中核派では2006(平成18)年から2008(平成20)年にかけて内紛があった。
 2006(平成18)年3月、中核派の近畿地方のトップである関西地方委員会議長の「財政的腐敗」などに反発して、関西の活動家らが同議長らに暴行を加え監禁したとされる事件が発生。中核派首脳は「やむにやまれぬ怒りの弾劾と打倒」、「党の革命」などと容認し、それを「テロ・リンチ」と批判した岸氏は政治局員辞任に追い込まれ中核派を離れた。関西地方委員会議長らは除名され、暴行の首謀者らが新しい関西指導部を発足。翌2007(平成19)年7月、岸氏は除名された。
 ところが、中央が認めたはずの関西指導部は路線をめぐって中央と対立を深め、11月に中央の承認を得ないまま関西地方委員会党員総会を開き、分裂した。翌20年に機関紙を創刊して独自の政治集会を開き、「革命的共産主義者同盟再建協議会」を名乗っている。