そのうえで、公表された断片的な事実によっても、荒川が権力のスパイとなっていたものと、私たち両人は考える。
荒川碩哉は、1970年安保・沖縄決戦の一つの頂点をなした1971年11・14沖縄返還協定批准阻止・渋谷暴動闘争の容疑で翌年、現場に行っていないにもかかわらず、事後逮捕・起訴され、星野文昭氏、奥深山幸男氏とともに裁判闘争をたたかった。そして懲役13年の実刑をうけ、長期の獄中闘争をたたかいぬき、1992年6月に出獄した。その後、革共同の中央指導機関である中央労働者組織委員会WOB(ウォッブいわゆる労対)に属してきた。故中野洋副議長や坂木(高原洋三)WOB議長の指導のもとに自治労戦線の責任をとる位置にあり、全国労働組合交流センターの事務局員として重要な役割をになってきた。党の機関紙誌に樋口暁生のペンネームでいくつもの論文を寄せてきた。とめよう戦争への道!百万人署名運動の拡大にも、WOBの一員として一定の役割を果たしてきた。また、獄中の星野氏の裁判とその再審要求の運動においても、当事者の一人として、他人には代行できない役割をになってきた人物である。
その荒川が権力のスパイであったという事実は、「なぜ、あの荒川が…」と、誰もが思わず絶句するぐらい、非常に重いことである。私たち両人が知るかぎり、「荒川が不審である」という認識は、政治局および対スパイ対策委員会(後述)になく、またそのような通報も、寄せられなかった。革共同政治局は、権力のスパイ化攻撃の前に重大な敗北をきっしたのである。荒川は、内調や公調に党内機密文書をはじめとする膨大な情報をわたしてきたという。くわえて、「内調の『特別職員』のような位置づけと役割」(2588号声明)をになってきたという。それが事実なら、革共同を権力にとって無力な存在にするよう、右へ右へと誘導する党内工作をも、WOBを舞台にしておこなってきたことを意味する。そうである以上、荒川が属してきた革共同が、この荒川スパイ問題とそこにおける敗北を真正面から解明し、その教訓化をなすことが、今日の3・11以後情勢下の日本階級闘争の必須の課題として求められていることは、いうまでもないことである。
●責任をとらず党内を恫喝する天田氏ら政治局
しかるに、革共同・中央派の今回の2588号声明は、荒川スパイ問題の深刻さにたいするひとかけらの内在的総括も、謝罪も、自己批判の表明もない、あまりにも無責任なしろものといわざるをえない。「偉大な勝利」と空叫びしているだけである。まるで、権力とたたかうすべての労働者人民や党員に「荒川スパイ問題を教訓化してほしくない」といっているにひとしいものである。そればかりか、権力のスパイ問題を、党内抗争の問題にすりかえている。除名した人間や離党した人間を、すべてスパイ荒川が「陰に陽に結託し」、「そそのかし」、「ともに」党破壊工作をしてきたという、“スパイ謀略話”をでっちあげているしまつである。そして、党内の「反中央」と思われる人々にむかって、「今なお党破壊のためにうごめいている輩は今こそ思い知るべきである」などと、党内の官僚主義的・強権的なしめつけの強化に注力しているありさまである。
荒川にたいして直接の指導責任をおってきた政治局が、自分自身の政治的・組織的・思想的な敗北の責任を棚にあげ、党員にむかって恫喝するなど、もってのほかである! 2588号声明の矛先は、帝国主義国家権力にむけられているのではなく、党内にむけられているのである。それだけではない。今回、党中央への反対派、異論をもつ者、除名者、離党者をすべて「血債主義者」とひとくくりにしてしまった。スパイ荒川は、その「血債主義者」と結託し、そそのかし、一緒になって党破壊工作、動労千葉破壊工作をやってきたというのである。“血債主義はイコール労働者蔑視であり、反革命だ”というのである。これはきわめて重大な画期的な言辞である。革共同が7・7自己批判、すなわちアジア人民・在日アジア人民と連帯する思想と路線を、よりによって権力によるスパイ化攻撃と同列において罵倒するにいたったのである。これは、天田三紀夫書記長、清水丈夫議長ら政治局が、革共同として綱領的に大転向したことを表明したということである。このように、2588号声明は、現在の革共同が、およそ政治党派としての体をなしていないことを鮮明に自己暴露している。革共同は、帝国主義国家権力と原則的にたたかえる組織ではなくなったことを満天下にさらしたのである。天田氏ら政治局の脆弱な精神と居直りのさもしい根性のみがめだつ声明である。まことに情けない。
私たち両人は、7年前までは革共同の政治局員であった。06年3月14日に起こったテロ・リンチによる党内クーデターをめぐって、私たちは政治局員を辞任し、岸は同年7月に、水谷は同年11月に、それぞれ離党した。その後、革共同は私たちの除名を決議した。ふりかえれば、私たちが政治局員であった時期に、2588号声明によれば、荒川は権力のスパイとなっているのである。革共同から離れた身ではあるが、こと荒川スパイ問題については、私たちもまた大きな責任を負っている。ここに、権力とのたたかいに日夜奮闘するすべての人々にたいして、私たちの謝罪と自己批判を表明するしだいである。
(二)権力とたたかうすべての人々への謝罪
第一に、これまで革共同を信頼し、あるいは批判的であっても革共同をたたかう仲間とみとめて接してこられた多くの労働者人民のみなさんに、党中央のなかに18年間にわたって内閣情報調査室および公安調査庁のスパイ=荒川碩哉がいたこと、そのスパイ活動を許してきたことについて、深くおわびするものです。荒川が長きにわたって権力のスパイとして暗躍していたことを見破ることができず、まことにもうしわけないかぎりであります。
天田三紀夫氏ら革共同政治局の責任下での荒川にたいするこのかんの糾問(約1カ月)によって、荒川は「膨大な告白文書」を書いたそうです。聞き取りもあるでしょう。それによると、「党の内部情報」はもちろん、「全国の情報」、「新左翼諸党派にかんする情報」、動労千葉や国労や自治労関係をはじめとする「労働運動の情報」を内調および公調に流すとともに、それら情報を自ら解説した「分析」をも提供していたとのことです(2588号声明)。それら諸情報は、荒川が革共同の労働運動担当の責任ある位置(病気療養中も含めて)についていたことによってはじめて知りえた情報にほかなりません。
荒川は、星野文昭氏および闘病中の奥深山幸男氏と並び称され、70年安保闘争を代表する数多くの人格の一人として、さまざまな場で認識されてきました。荒川のその経歴ゆえに、他党派の人々も、多くの労働組合活動家も、弁護士や支援の人々も、知識人・表現者の人々も、それなりの信頼をもって荒川に接してこられ、また荒川をとおして革共同の存在をみていただいてきたことと思います。
その荒川のスパイ活動を摘発することができずにみすごしてきたという点で、革共同は、多くのみなさんへの裏切りをおこなってきたといわざるをえません。このことを心から謝罪します。筆者ら両人も自らをかえりみて、ほんとうに無念であり、慙愧の念にたえません。
スパイ荒川が流した情報は、おそらく具体的な団体や個人、その動きを特定するものでしょう。荒川によって名前があげられた団体、個人のみなさんには、おわびのしようもない事態です。
ほんらいならば、特定された団体、個人にたいして、荒川がどのような情報を売ったのかをご報告し、おわびするとともに、権力の弾圧や調査からの防衛策を可能なかぎりこうじてくださるようご相談しなければならないところです。しかし、現在の革共同政治局は、そのような訪問の礼を何ひとつ尽くしていないようであり、その意志もないようです。筆者らとしては、重ね重ね恥じ入るばかりです。革共同を離れた身としては、機会があれば、個別に謝罪するよう努めるとしか申しあげられませんが、そのようにさせていただくつもりです。
(三)政治局は真剣に自己批判しなければならない
第二に、荒川スパイ問題をめぐっては、革共同政治局が根底的な自己批判をなさなければならない。政治局として、党員すべてにたいして、なによりも獄中の星野氏と闘病中の奥深山氏にたいして、帝国主義国家権力のスパイ化攻撃とのたたかいにおける自らの敗北をみとめて、自らの指導スタンスと指導内容の誤り、そして階級的感性の歪みを切開し、何をどう自己批判すべきかを明確にさせ、全党に謝罪しなければならない。
長いあいだ、荒川を同志と信じ、革命運動の苦難をともにしている仲間ととらえてきた革共同の構成員、そして私たちのように革共同を離れた者にとっても、今回の荒川スパイ化の事実は、非常な衝撃である。指導部も党員もいちように、自らの荒川認識とスパイ化攻撃にたいする不明を恥じるばかりである。
何よりも、星野氏、奥深山氏のうける精神的痛み、苦悩はいかばかりであろうか。それを思うと、無念でならない。
しかしながら、政治局はそれではすまされないのである。
なぜなら、前述したように、荒川は、WOBという党中央指導部の一人として、故中野氏をはじめとする政治局のもっとも近くに位置し、日常活動においても政治局とのまじわりが深かった存在だからである。荒川が内調および公調に売った情報は、中野氏の言動をはじめとして政治局内部にかかわる情報も多かったであろうことは、容易に推測できる。しかも、内調の「特別職員」として、革共同を右へいざない体制内化させる党内工作をはたらいてきたとみなしうる。この意味で、政治局は自己自身を防衛できなかったといわなければならない。
そして、とくに中野氏らをはじめとするWOBを舞台にした荒川の情報収集と党内工作はかなり深刻な、「衝撃的」なものであったと考えられる。2588号声明はこう記している。「荒川の数々の罪状はそのこと(註 『国鉄闘争の壊滅に日帝権力中枢は総力を挙げた』ことにスパイとして協力したこと)をあらためて衝撃的に示している」と。 そのようにいう以上、重ねていうが、革共同が荒川のスパイ活動の実態を明らかにすることは、必須の義務である。
ちなみに、筆者らの記憶によれば、荒川は、05年に大病を患って倒れ、翌年の3・14党内リンチ問題が発生した前後には療養中であった。その後、筆者らは離党したので、荒川が活動に復帰したのかどうかはうかがいしれない。ただ、革共同の組織的慣例からすると、WOB議長である坂木氏の指導下から離れているとは考えられない。いずれにせよ、病気療養中も、坂木氏を媒介に政治局に近い存在でありつづけたものと推測される。筆者らを含む政治局は、なぜ、権力とのたたかいの最前線で頑張りぬいたはずの荒川がスパイ化するのを許してしまったのか。なぜ、荒川のスパイ性をみぬくことができなかったのか。自らを厳しく問いたださなければならない。これは深刻な敗北なのである。
ところが、現在の天田氏ら中央派政治局は、労働者人民各位への謝罪も、党指導部としての自己批判も、しようとしていない。それは、「勝利論」のむなしいかけ声とは裏腹に、自らをますます堕落させるだけである。権力の思う壷にはまりこむだけである。
(四)二つのスパイ問題での原則逸脱
第三に、第二に関連して、厳しい自己批判をもって、明らかにしておかなければならない事実がある。
革共同は、1990年代から2000年代初めにかけて、党中枢の非公然情報をつかまれた二つの深刻なスパイ問題に直面してきた。時期的に、荒川のスパイ化過程と重なっているのである。ここでの主題ではないので、詳しくは述べないが、一つは、1997年に明らかになった栗山武スパイ問題である。これは、本人がスパイ活動のレベルアップ(公調用語では「格上げ」)を求められたことに動揺し、党中央のもとに駆けこんで告白したことで明らかになった。栗山は、当時、前進編集局員であり、編集局の労働運動担当であった。組織名は薄田、ペンネームは西原忠夫である。編集局になる前までは、WOBに属してきた。
栗山は、中央機関紙編集局という枢要の部署にあって、公調に踊らされ、数年間にわたって党の内部情報を流してきた。重大なことは、そればかりではなく、一定の時点から編集局内に反中央フラクション(栗山をはじめとする3人)をつくるなどの策動をしてきたのであった。栗山は、糾問と思想闘争の途中で逃亡した。あとの2人もそれにつづいて逃亡した。そのため、さまざまな疑惑が解明されずに残った。
二つは、2004年に明らかになった浅尾松則スパイ問題である。組織名は高杉であり、関西地方委員会所属の党員であった。1994年から2002年までの時期に、与田剛氏(政治局員、06年3・14党内クーデターでテロ・リンチを受け、その腐敗を断罪され、除名された)のごく近くにいて、中央機密文書をはじめ党内情報を流すスパイ活動をつづけた。
(五)党内矛盾のりきりの自己目的化を対権力のうえに置く誤り
第四に、前項と矛盾したことをいうようであるが、政治局の自己批判的総括は、権力のスパイ化攻撃における原則を貫いたのか、それとも踏みはずしたかという単純なオール・オア・ナッシングではありえない。
なぜなら、次のような過程があったからである。革共同は、1990年天皇決戦にたいしてくわだてられた破防法適用攻撃を粉砕した。その結果、権力の側は、その破産を総括して、直後から、革共同にたいするスパイ化攻撃をなりふりかまわず全面発動してきた。東京を中心に全国で、スパイ化攻撃の報告がつぎつぎとあがった。
そこで、1990年代後半以降、当時の政治局は、権力のスパイ化攻撃とのたたかいの独自の位置づけを強化し、1997年には、岸を責任者とする政治局直轄の対スパイ対策委員会を設置したのであった。設置の契機は、栗山スパイ問題につづいて、のちに判明した高杉スパイ問題の端緒となる事件が起こったことであった。そして、その厳格で細心の注意をはらった活動のなかから、『前進』紙上や党内通達をとおして、日常的に権力のスパイ化攻撃にたいする組織武装をするようつとめてきた。1997年には独自のパンフレットを発行し、04年12月にもその増補版を発行した。
この過程では、多くのスパイ潜入策動と党員へのスパイ化工作を摘発した。また、周知の宮崎学スパイ問題が01年4月に発覚し、当時の政治局は、対権力の原則にのっとった行動を即時におこし、判明した事実を党内外に公表した(『前進』2019号、01年9月3日付。水谷執筆)。
しかしながら、一つには、そこにおいて、栗山スパイ問題と浅尾スパイ問題での原則逸脱を犯し、さらに荒川スパイ問題の発生と継続を許してしまったのである。したがって、そこでの弱点、誤りは何だったのかを厳密に総括しなければならない。
二つには、06年3・14党内リンチ以降は明らかに、スパイ化攻撃とのたたかいそのものの一挙的な後退、というよりも放棄が生み出されたのである。この点は、天田氏らにとって、主体的な総括をすべき、とりわけ重大な課題であるはずである。
●スパイとのたたかいは「暗部」なのか
ここで2588号声明をみると、その第1節に、「こうしたスパイとの闘いはこれまで、何か『革命運動の暗部』のように扱われてきた。だが、それは、スターリン主義による革命運動の歪曲と疎外、帝国主義権力への屈服の結果に他ならない」という、じつに奇妙なフレーズがある。
いったい革共同のだれが、「スパイとの闘いを『革命運動の暗部』のように扱ってきた」というのだろうか。また、スターリン主義は、戦前・戦後において、権力のスパイ潜入工作につぎつぎと敗北する一方で、党内粛清の手段として、反対派や異端者を何でもかんでも「権力のスパイ」、「アメリカ帝国主義のスパイ」ときめつけ、でっち上げてきたのである。デマゴギッシュな「スパイ摘発・追放」は、いわばスターリン主義の常套的な基本路線の一つなのである。そういうこともわきまえず、革共同の機関紙が、いつからこのようなフレーズを平気で書くようになったのか。
これはじつは、天田氏の自意識をみごとに反映した文脈なのである。このフレーズは、「スパイとの闘い」について、「革命運動の暗部のように扱ってきた」のは、ほかでもない天田氏であるということを意味している。スパイ化攻撃とのたたかいは嫌なこと、ぞっとすること、避けたいことという、天田氏の対権力敗北主義と日和見主義の潜在的意識が思わず浮かび出てしまったのである。
しかしである。それは、破防法攻撃と一体のスパイ化攻撃とのたたかいを黒田=大川スパイ問題(註 1957~8年に黒田寛一の承認のもとに大川治郎=小泉恒彦が警視庁のスパイをはたらいた)以後、厳格に遂行してきた革共同の伝統、とくに1997年以降の対スパイ対策委員会を軸とする組織的とりくみに貫かれた革共同のあり方を、天田氏はまったく共有してこなかったということである。だから、それは、「自分らはかつての革共同ではない」と自認したにひとしい。「革命」は空文句、革命党の資格なし、と自白するものでなくて何であろうか。
●党内闘争のあり方におけるまちがい
筆者らの自己批判的総括としては、次の点に核心があると考える。すなわち、党内闘争のあり方、党内論争のとりくみ方がまったくまちがっていたことが、党内の亀裂をついた権力のスパイ化攻撃、権力によるスパイ工作を許してしまったのである。
前述した栗山スパイ問題では、党内に明確な形でスパイ栗山を軸とする反中央フラクションが形成された。そして、このスパイ問題の組織的克服においては、フラクションメンバーの3人との接触が多かった中野氏が、自らに分派活動とスパイ関与の疑いがかかることを恐れて予防線を張ったという事実があった。それにたいして、政治局は、95年に政治局に任命して日が浅かった中野氏への配慮から、栗山スパイ問題の究明をなし崩し的にうち切ってしまったのであった。
浅尾スパイ問題では、与田氏の一連の誤りを原則的に処断せず、かつ浅尾断罪もしなかったのは、どうしてだっただろうか。
私たち両人は、当時の政治局内部の左右葛藤という党内闘争の問題を、浅尾スパイ問題の徹底追及という課題よりもうえに置くという誤った立場をとったといわなければならない。対権力闘争よりも党内問題重視、党内闘争優先という重大な原則上の誤り、かつ組織論的な歪みをおかしたのであった。
清水氏は、この問題について次のような「総括」を出している。
「当時清水は政治局会議として2回もこのテーマで徹底的に討議しながら、与田への思想的批判と徹底的な自己批判の要求ということしか行いえなかったことについて、①新指導路線の貫徹をめぐる七転八倒のなかで、○○○○すなわち警察権力との激突に突入して全面的に闘うことに党の組織的エネルギーの膨大な投入の必要性を前にしてひるんでしまった、また、②与田の打倒がつくりだす関西地方委員会の党組織、解放戦線etcでの組織的混乱の予想のまえにひるんでしまった、…… この問題を今日さらに思想的政治的に切開してみるならば、次のような重要な諸問題がよこたわっていると思う。第一。まず第一は、一種のしのびよる合法主義への無自覚的な屈服ということ。…… 第二。高杉問題において、当時の清水が与田の限界をこえた対権力上の腐敗にたいして原則的に闘い、政治局の罷免や党内(とりわけ関西地方委員会)での情報公開に踏みきってトコトン闘いぬくということを日和った理由として、関西地方委員会etcの党組織の混乱をおそれたということは、党組織の本質についての百パーセント官僚主義的な思想に侵されていることを示しているということ。…… 第三。与田の腐敗を徹底的に追及し原則的に闘いぬくことが革共同の解放戦線指導に混乱をもたらすといった考え方(これも清水的になかったとはいえない)について。これは「第二」で論じたことと同じ側面をもっているが、これは裏返してみれば、解放戦線のためには腐敗した与田でもつづけさせていくということで、とんでもない誤りである。……」(「政治局会議Ⅱへの提起 06年7月」から引用)
上記は、真剣な自己批判のように読めるかもしれないが、ペテン的弁解に終始しているだけである。清水氏はほんとうのことを語っていないし、やはり問題の核心をつかめていない。
なぜなら、04年の時点では、前年にうちだした新指導路線をめぐって、なお党内の討議が流動的であった。かつ1991年5月テーゼ以降の政治局指導への不信もつのっていた状況であった。政治局内では左右の亀裂が生じていた。そういうなかで、浅尾スパイ問題の取り扱いいかんでは、与田氏をふくむ政治局そのものへの批判が起こるであろうことに、とりわけ清水氏が恐怖したという問題があった。「恐怖」というと誇張と思われるかもしれないが、非公然形態をとっている清水氏は、自己の指導への自信と確信をかなり喪失しており、自己保身にきゅうきゅうとしていた。
他方、中野氏や天田氏の側は、対権力のたたかいに無定見であったことにくわえ、新指導路線を関西の党に貫徹するうえで与田氏の力に期待していた。
また筆者らは、前述したように、党内に生じていた左右葛藤をのりきっていくためには、与田氏へのそれ以上の追及をしないという恥ずべきスタンスになっていた。そうすることで清水氏を中心に党を守っていかなければならないという意識が、強くはたらいていたのであった。
すなわち、政治局は、路線をめぐって党内にきしみが生じている状況にあって、党内抗争ののりきりを自己目的化し、それを対権力のたたかいのうえに置いてしまったのである。最高責任者としてふるまっている清水氏においてとくに顕著であるが、政治局全員が自己保身の最優先化、対権力のたたかいの放棄という決定的な過ちを犯したのであった。 私たち両人は、このことをすべての人々の前に真剣に自己批判する。
世界史的には01年9・11反米ゲリラ戦争情勢がつくりだされ、小泉政権によるイラク侵略戦争参戦が加速され、9条改憲の策動が強まり、奥田経団連路線が独占救済と成果主義・非正規雇用化をおしすすめていたのが、この時期であった。東京電力の原発事故隠しが発覚して東電全原発停止という前代未聞の事態がおこった(02~03年)のにつづいて、美浜原発の蒸気漏れ事故で5人が死亡する事態が起こった時(04年8月)でもあった。
今思えば、階級闘争の死活的な情勢を前にし、党内矛盾のりきりを自己目的化して権力とのたたかいをないがしろにした党に、何がたたかえるというのだろうか、といわなければなるまい。路線をめぐって党内で論争が起こるのはよい。その党内闘争をどう活発におこない、かつどう統一していくかの原則や方法、そこでの組織的人間関係のあり方を、われわれはつくりだしえていなかったのである。
このテーマは大きな組織論上の課題であり、ここではこれ以上のべないことを了解していただきたい。
●自浄力をもった党はいかにして建設できるのか
結論的にいって、帝国主義国家権力の破防法攻撃、それと一体のスパイ化攻撃にたいしてどうたたかうかという教訓は、そのまま、どのような党を建設するのかという問題にほかならない。
対スパイ対策委員会が発行したパンフレット『戦時下階級闘争における 権力のスパイ化攻撃を粉砕しよう』(04年12月)では、8年におよぶたたかいの経験を集約して、スパイ化攻撃の18の事例、他の公刊物で明らかにされた3事例を紹介し、スパイ化攻撃とのたたかいをどうすすめるかについて、きわめて具体的に提起している。また、権力と革共同との組織対組織の死闘戦をそれぞれの時代状況をふまえて歴史的に総括し、なぜ、2004年現在に、スパイ化攻撃との対決が必須の課題となっているのかを明らかにしている。その内容は、今もなお非常に有効なものである。
それに加えて、浅尾スパイ問題、栗山スパイ問題、そして荒川スパイ問題についての厳しい教訓を明確にしなければならないのである。 私たちの今回の謝罪と自己批判が、その一助になることを願っている。
対権力においていったん腐敗し、ひとたび屈服した時、その敗北をのりこえる自浄力をもつことは難しい。難しいけれども、敗北を率直に明らかにし、生まれ変わる決意で、自らをきびしく自己批判的に総括するならば、きっと立ち直ることができるはずである。この自己批判と再生の自浄力は、ただ共産主義社会の樹立をめざす反帝国主義・反スターリン主義世界革命の綱領と国家権力打倒の路線の正しさによってのみ、生み出すことができる。
だが、革共同の2588号声明は、現在の革共同が帝国主義権力とのたたかいから全面逃亡し、腐敗と破滅の泥沼に深く沈んでしまったこと、「血債主義反対」=7・7自己批判路線の否定と破壊をその綱領とするにいたったことを記す紋章となった。革共同は、もはや政治組織であるとさえいえない。
荒川スパイ問題は、他のスパイ問題とあわせて、革共同にかかわるすべての人間にそれぞれの原点を問うている。筆者らも、このことを深く肝に銘じたいと考える。以上をもって、わたしたち両人の謝罪と自己批判とさせていただきます。
2013年6月21日(6月30日一部加筆)
(注)本文部分はいろいろ突っ込むべきところは多いけれど、後日にまわしたい。(争論)
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