「小西誠への質問状」考 |
(最新見直し2009.5.16日)
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小西誠への質問状 2 |
20 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/06
09:56 小西いうところの「中核派内部には指導部への怨嗟が渦巻いている」がごとき 見解は単に彼自身の願望に根ざした謬見であるにすぎない。一部の脱落者が洩らすグチを聞いてやり、得手勝手な論評を加えて本に仕立て売り捌くことを生業にしているのが彼の実在なのであるからして、それには立派 な動機があるのだ。 さて、人民のたたかいに傷をつけることで維持される彼の実在にはいかなる価値が認められるだろうか。 いうまでもない。人民のたたかいによってその実在に終止符を打たれるにふさわしい反革命としての惨めな末路がただそこにはあるに過ぎない。 中核派は何故、『権力の過激派泳がせ』論を批判するの? |
47 名前: 中核事情通 投稿日: 02/07/07 00:12 中核派において「せん滅」は字義どおり、鉄槌を下すこと。「粉砕」は、実際に下すことでは なく「政治的に」威嚇すること。 大衆運動主義でやっているから、学生も労働者も 少しはのびている。しかししかし、古い人たちが 辞めていく。小西氏がかいていた高田氏追放のことは東京の活動家ならみんな知っている。なんせ公然と大声で大衆の前で江戸川の人たちと激論し ていたからね。もちろんLKもしっているよ。スモールはどうだか。じつは恐ろしいことですが、JR総連と決別したというのは 嘘なんです。JR総連の九州から始まった革マル派の内紛も 革マル派が本格的にJRの経営権を掌握しようと画策しているのを隠すための演技なのです。中核派はそのへんの事情 を察知して、慎重な態度をとっています。 |
65 名前: 小西まこと 投稿日:
02/07/07 09:45 >>56さん、その件は詳しく『中核派vs反戦自衛官』 で触れています。「借金」を返してもらったのをはじめ、 本代を回収したことなど、です。 中核派が「財政支援」をするほどの余裕は、この20年以上 前からなくなっていますよ。 >>62さん、政治的影響力としては中核派の方がブントより、 はるかにあるでしょう。しかし、そんなことよりも、自らが人生を賭けて共に闘おうと思ってきた「前衛党」が、大きく変質したこと、これを「解体的再生」しようとするのは、個人としての責任でしょう。もちろん、ことは中核派だけでなく、新左翼ー左翼の「解体的再生」を僕は志向しているのですが。中核派の場合、革共同第6回大会(評価はいろいろでしょうが) 路線では、社共に代わる労働者党の建設を打ち出してるようでして、小西さんのいわれる「解体的再生」の「解体」はないに せよ、「公然化による再生」にシフトしたように見受けられま す。表面的には小西さんの主張と同じ志向なので、「解体的」 の意味が分かりにくいものになっている気がします。 >>67さん、 「社共に代わる労働者党の建設」は、すでに1960年代 後半から何度も((^o^))打ち出しています。30年以上も 同じ事のくり返しですよ。しかし、70年前後は、中核派が 「社共」に代わって労働者党に成る可能性は充分にあったのです。問題は第6回大会なるものをはじめとして、その極端な非民主性・官僚主義でしょう。これを根本から変えるのが「解体的 再生」のひとつです。 |
109 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/08
07:51 >>65小西さん。中核の方が生活クラブなどのBUND(崩れ)よりも影響力がないというのは、あなたが中核を買いかぶりすぎてるというか、実際の政治フィールドを御覧になられていない証拠です。 中核的な市民運動よりも要求される「決断」が緩い分、BUNDの影響を受けた人達の方が世間への影響力…お茶の間や主婦などの、実行力のある人達を巻き込む力…は圧倒的に上です。その中で、どのような腐敗やスパイ行為が横行しているかを貴方はご存知ないのではないのですか? 生活クラブやネットの指導部連中なんて、ほとんどが権力・公安とずぶずぶなんですよ。 中核の指導部が革命的に要求される厳密さよりも俗っぽさが目立ち、その中で指導部がスパイに侵食されて総括を出さざるを得なかった事は事実として認められると思います。 しかし、それ以上の腐敗や権力との密通の横行が新左翼を経験した市民運動や労働運動などに蔓延していることは貴方の視野にはないようですね。 中核という「前衛党」一つの問題を党派党争的に叩き合うのは、貴方の遺恨や趣味者の興味を満たす物でしかないのではないでしょうか? 党派党争的な叩きあいではなく、視野をもっと広く持ち、左翼全般に横行する腐敗をこそただすのが、小西さんがやるべき「仕事」であり、小西さんの今までの人生を総括する「天命」ではないかと思うのですが。 |
111 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/08
12:11 昨日103を書いた者ですが、御質問の件ですが私自身の所属等については 当然あきらかにすることはできません。ただ地区党ではなくとある戦線に 身を置いています。 小西のせん滅を望む声が複数あるのならその実例をとのことですが、これはもう組織に蔓延する雰囲気といいますか、とにかくあのような人間が 一度は仲間であったという自己嫌悪も含めて、一刻もはやくそそがれなければ ならないという気運があるのだと思います。 組織的討議から逃亡しておいてあろうことか組織情報をネタに商売をはじめる ような人間とはもはや議論の余地はない。くりかえしになりますがこれは皆が思っていることです。 |
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199 名前: 124 投稿日: 02/07/10 18:33 >>184 中核派が革共同19、20全総で「対カクマル自衛武装闘争」へ移行しているということは、はっきり言って反論になっていないのです。私が言っているのは「カクマル=日本型の独特のスターリン主義」規定と、「人民によって包囲されれば、カクマルは機能しなくなって崩壊する」の2点への批判です。 いいですか、あなたの主張とは対カクマル戦争の明確な終結宣言要求にとどまらず、過去の対カクマル戦争をも全否定しようというものなのでしょう。そこが、実はあなたと白井氏との「違い」でもある。ではあなた自身も確認しておられる「中核派の大衆運動路線への転換」ですけど、それが可能になったのは何故なのか、考えたことがありますか? と、いうよりもカクマルが何故、70年代型の白色テロ路線がとれなくなったのか、あなたは考えたことがあるのでしょうか? あなたの一連の本では、そこに踏み込もうとしていないではないでしょうか? |
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209 名前: 124 投稿日: 02/07/11 07:57 >>204 さて、今回あなたはカクマルが70年代型の白色テロ路線がとれなくなった「もっと 大きな要因」として「疲弊」という言葉をあげられています。私も同じ見解ではあり ます。 そのことは実は中核派自身も70年代の末期から「厭戦主義のカクマル」という表現で認めていたはずです。では何故カクマルは「厭戦主義」となり、「疲弊」したのでしょうか? 白色テロに対しては「赤色テロ」での反撃がなされる、この「赤色テロ」こそがカクマルにとって、最も大きな打撃になったものであったからこそ、彼らは「疲弊」し、 厭戦主義になっていったということです。だからこそカクマルの拠点大学の失陥は73年秋から80年10・30までの期間のなかでこそ、最もドラスティックに進行していったということです。 そして、「赤色テロ」での反撃を死ぬほど恐怖するようになったカクマルは、「赤色テロ」の激化につながるような白色テロの実施に及び腰になっていったということです。 私はそれだけでも、中核派・解放派による対カクマル戦争の意義を積極的に評価するべきだと思います。 もし、あなたのいわれるように、71年12・4以降、という情勢下にあって、中核派が「防衛」のみに専念していたら、果たしてどうだったのでしょうか? それは今よりもさらに悲惨な状況です。今とは比較にならないくらいの巨大な勢力を もち、しかも70年代型白色テロ路線を今日に至るまで実行するカクマルによる(無党派系をも含めた)大衆運動への破壊と脅迫、恐怖政治が行なわれ、大衆運動ははるかに大きな困難を強いられた、ということです。 |
217 名前: 小西まことA 投稿日:
02/07/12 00:18 >124さん、 僕は「ゲバ」が現在なくなっている大きな要因の一つは 「両方」の党派が「「戦争に消耗し疲弊」しているという 要因を挙げたはずです。確かに74年段階で革マル派の 「厭戦」意識が革マル派のテロ行使を後退させたということは有るでしょう。しかし、これは中核派が言うように単なる 「厭戦意識」ではないでしょう。すでに述べた産別防衛問題、全党総戦争化できないカクマル組織の問題があったでしよう。 さて問題をもう一度原則的に整理してみますと、次の点が意見の相違ですね。 1、革マル派は「日本型の独特のスターリン主義」かファシストか。 これは124さんの論を提起してください。 2、革マル派への全人民包囲は有効であったのか。犠牲だけが大きかったのか。ーこれは短期的には有効ではなくとも長期的には有効であった、というのが僕の説。 3、そもそも「内ゲバ」の要因は何なのか。ー僕は革マル派主導論を採っていますが、しかし中核派にも大きな責任がある。例えば早稲田7/2事件、海老原事件、水元事件など、革マル派のテロ路線に対して、行き過ぎた報復行為が逆に革マル派のテロ路線を激化させたという説。 4、そもそも「内ゲバ」路線は、革マル派を主要因にしながら、民青、ブン ト、中国派など全左翼を巻き込み激化した。その象徴的事態が83年の第四 インター事件であり、中核派は「ここまでに至って」異論・反対論を暴力で 潰すというスタ的行動に純化した(対ノンセクトなども含めて)。 この日本左翼の「内ゲバ情況」を124さんは肯定するのか? 5、したがって、「内ゲバ」の完全な根絶以外には、その思想の一掃なしに 民衆は左翼を信頼しない。124さんは、こんな左翼の思想で民衆が獲得できると、いまもって思っているのか、ということです。 つまり、大事なのは、今後の日本の運動の未来のために、かつての「内ゲバ」 をどう総括・検証するのか、ということでしょう。 |
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223 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/12
12:34 >>124氏 貴方の分析は革マル派における「謀略史観」を肥大化させて適用しているように思える。彼らの場合、「謀略史観」の必然は「他党派解体」の困難性を国家権力が介在する事で彼岸化させ、そうすることで組織的現状認識のアイデンティファイ を作り出しいるのである。その結果、組織的タガハメに重宝な「国家権力による謀略」論はトンでも領域にまで達している。しかし、彼らの運動論・組織論等は左翼党派のそれであり極めて主観的で唯組織形成主義ではあるが左翼運動の一形態として認識できる。また、革マル派の「カルト」性について同意できる現象的特性はあると思うが 「ファシスト」と規定するには乖離がある。 |
235 名前: 再生してね 投稿日: 02/07/13 09:43 清水選集Dの序文には「革共同は自己を防衛し革命党としてまっとう するために、カクマル派という史上類例のない凶暴な組織的テロル党派とたたかわなければならなかったという事実。そして、階級闘争に おいては(とくに1930年代以降は)一定の段階でこのような一種の戦争、一種の内戦をたたかわなければならないという事実。こういう事実を知っているし、知らなければならない立場にいる人びとが、革共同が三〇年にわたって血みどろになってたたかって基本的な勝利の地平をきりひらいたという時点になって、その地平にのっかって、当の 革共同を「内ゲバ主義党派」などと言って非難しているのである。 『検証内ゲバ』(01年11月発刊)という本もそのような立場をとっているが、それは断じて許せないものである」と書かれています。 「内ゲバ」についての認識に目新しいものはないですが、小西さんの 編著作について編著者名をあげていないところは、前進論文(小西批判)に大きな反発があったことの表れではないかと思います。 清水氏は引っ込みがつかないにしても、中核派内部には批判を真面目に受け止めるセンスがあるように感じます。その部分においては、小西さんとの意識の共有が量れていつのではないでしょうか。 おそらくあとは「鯛は頭から腐る@佐高信」といった多くのの組織で 抱える病理の問題かと思いますが。 (前回は当方の無知をご指摘いただきありがとうございました) |
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250 名前: 124 投稿日: 02/07/13 21:21 1 カクマル=スターリン主義という表現は、私の知るところでは中核派以外の党派がだいたい、そういう見解でしたね。70年代のころから、「反スタ・スターリン主義」という言葉を、解放派も、ブント諸派も用いていたと思います。中野氏がいつからそういう見解なのかは私にはわかりません。ただ言えることは、単純な罵倒用語としての「スターリン主義」規定は、罵倒用語として「ファシスト」という言葉を用いることと、大差ないように私には思えます。実際に、カクマルと日本共産党との間には多くの相違点があります。日本共産党の運動は本質的に「議会主義」であることを、忘れてはなりません。 2 私がとくに批判してきたのは「内ゲバ終結宣言論」ではなく、「71年12・4以降 の情勢下では防衛・自衛のみに専念すべきだった」との見解です。あなた自身もよくご存知のように、中核派の機関紙からは「赤色テロ」とか「3・14復讐戦貫徹・総反攻完逐・三頭目処刑」とか「カクマルの総せん滅」という表現は消えています。そのうえで、過去の「対カクマル戦争」の全否定を内容としてともなうような、そんな「終結宣言」には同意できないということです。もちろん、ホンモノの内ゲバに関しては、その誤りを認め、二度と繰り返さない姿勢を見せるべきです 3 「完全せん滅」が民衆に受け入れられないとしたなら、三里塚闘争は71年秋に機動隊3人が死んだ時点で民衆から見放されているはずですが、現実はそうはなっていません。また、パレスチナの戦いも、日本の民衆から完全に見放されているはずですが、現実には(もちろん、イスラエル一般市民の死には賛否両論ありますが)そうはなっていません。にもかかわらず、対カクマル戦争がなかなか支持を受けなかったのは何故でしょうか? 海老原・水山問題での「沈黙」が悪い形で作用したということもあるでしょう。が、 もうひとつあげなければならないこととは、あなたもよくご存知のように、中核派もホンモノの内ゲバをしていたことです。あなたがあげているインターやノンセクトだけでなく、71年秋には解放派とのゲバもありましたし、そういう内ゲバの歴史のなかで「対カクマル戦争は内ゲバではない」といっても、なかなか支持はされにくかったでしょう。 |
252 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/14
10:43 >もし、あなたのいわれるように、71年12・4以降、という情勢下にあって、 中核派が「防衛」のみに専念していたら、果たしてどうだったのでしょうか? それは今よりもさらに悲惨な状況です。今とは比較にならないくらいの巨大な 勢力をもち、しかも70年代型白色テロ路線を今日に至るまで実行するカクマル による(無党派系をも含めた)大衆運動への破壊と脅迫、恐怖政治が行なわれ、 大衆運動ははるかに大きな困難を強いられた、ということです。 そうかなという気もする。小西さん、この辺はどうでしょうか? |
282 名前: 小西まことーその1
投稿日: 02/07/17 23:43 >>124さん他への回答です。 「71年以降、中核派が自衛・防衛に専念していたら、今以上に大きな犠牲が出ていた、革マル派が巨大に存在していた」との論は、端的にいって、自衛闘争ー「自衛戦争」の意義の軽視です。軍事論的にいっても、「自衛戦争」は、もっとも有利な「戦争形式」ですが、「内ゲバ」の場合、この自衛闘争を原則的に打ち出すことによって、圧倒的に有利な政治的陣地、つまり、革マル派の「反革命性」を、そして味方の政治的正統性を打ち出せます。この政治的な大きな優位性こそが、自衛闘争の「軍事的勝利」にまで結びつけられたはずです。中核派がこのような方針をとらなかったのは、当時の雰囲気を知るものとしては、彼らの革マル派のゲバに対する恐怖があったと思っています(74年の法政大会戦ころまで)。つまり、当時の中核派指導部の対革マル派ゲバへの恐怖が海老原事件などの「行き過ぎ」を生みだしたと言えるでしょう。 |
283 名前: 小西まことーその2
投稿日: 02/07/18 00:05 124さんは、中核派の第四インターや解放派などへの内ゲバを否定しておられます。現中核派は、第四インターへのゲバを今でも正当化していますから、この意味では、124さんの独自性は評価いたします。ですが、問題は中核派の、革マル派及び他の勢力への内ゲバをどれほど区別できるでしょうか。これは、僕も書きましたが、60年代初期からの内ゲバの歴史を見れば、一目瞭然です。あるいは70年前後のその歴史についても言えます。文字通り全左翼党派を巻き込んだゲバです。ーこれこそまさにスターリン主義の悪弊を新左翼も引き継いだと言うことでしょう。いや、革マル派へのゲバはそうではない、と言うなら、論理的かつ実践的に言って、革マル派以外の他の党派に対する内ゲバの「完全停止」を中核派は「宣言」せねばならなかったでしょうー消極的意味で。積極的には他党派、異論・反対論を保障する民主的ルールを実践的に提案せねばならなかったでしよう。これが第一の問題。第二の問題は、革マル派が「ファシスト」で有ることの具体的、論理的提起をしなければならないでしょう。だが、中核派の革マル派ファシスト論は、説得力がなかったとということですし、いまだかつて、このファシスト論の具体的展開はないのです。 |
284 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/18
00:20 ファシスト=金融資本のテロリズム独裁(ソ同盟議長、ディミトロフ)ですから、革マル派へのファシスト規定には無理があります。JR当局との結託はあっても、金融ブルジョアジーが革マル派の運動を支持しているとは思えません。だとすれば、民間反革命(革命派への敵対)、社会ファシズム(口先の社会主義・実際はファシズム運動の尻押し)となる。ただし、社会ファシズム論には社民主要打撃論という陥穽があって、反ファシズム統一戦線がネグレクトされます。中核派の場合、革マル派との分派・党派闘争を50年代共産党分裂の総括として突き出すべきだったのではないか? 革マル派いうところの「反革マルブロック」として、ML派や4トロを含む三派全学連・全国全共闘(およびべ平連構改ブロック)を指導できなかったところに、革命党派としての限界があった。革マル派に仕掛けられた背後からの「戦争挑発」に「戦争の論理」で対応してしまったところに、今日の惨状があるのではないだろうか。小西さんの「自衛戦争の軽視」には、なるほど説得力が感じられる。だが、はたして。当時は小西さんをしても、それを考えさせなかったはずだが・・・ |
285 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/18
03:24 >284 つまり、中核派はZの挑発に翻弄されたのだと? それでも、持久戦(体力)で勝てると踏んでいたのでしょうか。 でも、そもそも中核派やブント系は情勢の党派ですからね。持久戦とは、物理的な体力じゃなくて、イデオロギーだったのかもしれない。革マル派が中核派に優位を誇り、青解派が少数になっても相互絶滅戦をつづけられるのは、宗派という性格によるものだから。ではないでしょうか。すべてにおいて楽観的な気風の小西誠さんとはちがって、私は日本の共産主義運動の救いがたい結末に絶望します・・・ |
286 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/18
09:55 >この自衛闘争を原則的に打ち出すことによって、圧倒的に有利な政治的陣地、つまり、革マル派の「反革命性」を、そして味方の政治的正統性を打ち出せます。この政治的な大きな優位性こそが、自衛闘争の「軍事的勝利」にまで結びつけられたはずです。 疑問。たとえば川口事件後のワセダの情況は「味方の政治的正統性」 「政治的な大きな優位性」が何の役にもたたず、「こぶし」が勝つことを示しているのではないか |
287 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/18
13:55 マルクス主義というのは暴力革命を目指しているのでしょ。それは労働者が資本家階級を暴力によってやっつけて世の中をひっくりかえすということですよね。労働者自身が権力者になるということでしょ。そのことの善し悪しはこの際どうでもいいです。 ところで、 中核と革マルの殺しあいは身内同志の殺しあいだから「内ゲバ」と称されるわけですよね。小西さんもそうした考えに同意してその用語をつかってらっしゃるんですよね。 でも中核や革マル自身は決して相手を身内とはおもっちゃいないわけでしょ。 正当な「革命的暴力」の一貫であると思ってる。 そこで、 私らマルクス信奉者でもなんでもない人間からすれば、「革命のための暴力」だろうが「内ゲバ」だろうが、当然同じ「人間」どうしの「内ゲバ」にしか見えないわけです。なぜこんなことをいうのかといえば、小西さんという人は一度は中核に籍をおいていたひとなわけでよね。革マルを「敵」だと認め、かつ攻撃を認めていたわけですよね。それを「悪かった」と反省することは至極当然であるとしても、「中核や革マルのふるった暴力は悪いが暴力革命の暴力はいい」という極めて得手勝手な論理をその言に認めざるをえません。「スターリン主義」などという一般的に用いられることのない言葉で問題を曖昧にしているとしか思えません。なぜ正直にマルクスの暴力革命論に諸悪の根源があるという単純な事実をお認めにならないのですか? でないと、あなたのおっしゃっていることは詭弁にしか聞こえませんが。 |
290 名前: 小西まこと 投稿日:
02/07/18 16:08 286さんは、早稲田解放闘争の限界を主張されましたが、この闘争こそ「自衛武装闘争を機軸にした全人民包囲に よる革マル派解体」の「現実性」を示したものです。では、どうしてそうならなかったか。この詳細の分析は関係者にお願いするとして、僕の記憶によれば、やはりノンセクト中心の「ゆるやかな統一戦線」の限界でしょう。革マル派側は全国動員部隊で制圧しようとしたわけですが、「学内的」には、ノンセクト潮流は「ほぼ単独で」彼らと闘うわけです。もちろん、一定の「学内的諸党派」も存在したでしょう。しかし、中核派などは「学外から」しか、関われなかった、と思います。つまり、ノンセクトと中核派を含む全党派の「強固な統一戦線」が形成できなかったわけです。その原因は、すでに上で書いた、中核派などの早稲田解放闘争は、「内ゲバの延長」 でしかなく、またノンセクト諸君もそうみなして、中核派などとの「強固な統一戦線」を組むことを拒んだんでしょう。 ノンの中には早稲田革マル派も法政中核派もゲバ支配という意味では50歩100歩という意識があったと聞きます。 革マル派の全国動員部隊を含むゲバ部隊にノンセクトのほぼ単独で闘いを行うというのは、まず勝てる見込みはなかった でしょう。ということで、この強固な統一戦線が形成できたとしたら勝てるのです。これは日本の現在・未来にわたる問題として、僕はあくまで提起しています。単なる過去の総括ではありません。 |
293 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/18
16:39 >ノンセクトと中核派を含む全党派の「強固な統一戦線」が形成できなかったわけです。その原因は、すでに上で書いた、中核派などの早稲田解放闘争は、「内ゲバの延長」でしかなく、またノンセクト諸君もそうみなして、中核派などとの「強固な統一戦線」を組むことを拒んだんでしょう。 すると、「強固な統一戦線」の現実性はなかったということにならないか? 中核派が、何をもくろもうとも事態はさして変わらなかったと思えるが。 |
294 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/18
17:14 暴力は、歴史上で、他のもう一つの役割(悪いことをするという以外の)、 つまり革命的な役割を演じるということ、暴力は、マルクスの言葉によると、 新社会をはらんでいる旧社会の助産婦であるということ、暴力は、社会的運動が自己を貫徹し、硬直し死亡した政治的諸形態を打ち砕くための道具であるということ |
295 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/18
17:43 ブルジョア国家がプロレタリア国家(プロレタリアートの独裁)と交替するのは、 「死滅」によっては不可能であり、それは暴力革命によってのみ可能である。エンゲルスが暴力革命にささげた賛辞は、マルクスのたびたびの言明と完全に一致しているが、この賛辞は、けっして「陶酔」でもなければ、大言壮語でもなく、また論戦上の脱線でもない。暴力革命についてのこのような見解で大衆を系統的に教育する必要が、マルクスとエンゲルスの学説全体の基礎になっている..プロレタリア国家のブルジョア国家との交替は、暴力革命なしには不可能である。 |
302 名前: 124 投稿日: 02/07/18 23:10 283はともかくとして、282を見ていると、やはり小西さんのカクマルに対する批判の不徹底性というものを感じずにはいられない。私は思うのだが、対カクマル戦争が最も激しかった70年代においても、カクマル以外の他の党派に対する内ゲバの「完全停止」と自己批判、「小異を認め合って大同に付く」柔軟な統一戦線の志向、という方向さえ示していたならば、「内ゲバ反対主義者」との間にもカクマルを包囲する統一戦線の実現は可能だったのではないか? 「戦争」であれば、できうる限り中立勢力を自陣営に引き込む、あるいはそこまで いかなくても好意的中立へと導くことは可能だったはずだ。 |
322 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/19 12:56 >>315 暴力革命とは、 「(1)敵階級に、(2)直接の暴力行使で、(3)少なくとも壊滅的打撃を与える」ことそのものを当然含む。 それは「やっつける」ことそのものといってもいい。ただ、「やっつける」からといって、 「『敵階級に所属する』というだけで、直接の暴力行使対象にされる」ことはもちろんない。 敵階級に「所属」し、もしくは与する者による反革命的な暴力的敵対をプロレタリアの武装に よって粉砕するということに過ぎない。 >>287は暴力革命とは「暴力で・・資本家階級をやっつける・・ということですよね」と言っているわけで、 「資本家階級に所属する個人をやっつけることですよね」などと言ってはいない。 つまり暴力をもって階級としてのブルジョアジーを打倒することが暴力革命なのだから、 その規定はまったくもって正しいわけで、>>288であなたが「ぜーんぜん違います」なんて 偉そうに言っちゃったことがこの「粘着からみ」の原因でしょ。 それより、あなた自身、もしくは小西さん自身は、暴力によっての、すなわちせん滅戦をも含むかたち での階級闘争の必要性を認めているのかいないのかをハッキリさせてもらえないだろうか? >>287のいうことは、平和主義者にありがちな論ではあるが、 あなたがた「内ゲバ」反対論者の自己欺瞞を鋭くつきだしている。 それに答えられないからといって、不毛な字義論争へのスリカエはこれ以上やめていただきたい。 |
332 名前: 322 投稿日: 02/07/19 16:14 >>つまり暴力をもって階級としてのブルジョアジーを打倒することが暴力革命なのだ >じゃ、なんで社会主義初期段階でもブルジョアジーは残るんですかぁ?(笑) 超累進課税で抑圧する必要があるんですかぁ?(笑) ブルジョア階級が、階級として止揚されてゆく過程は当然のことながら武装したプロレタリアートの軍事力によってブルジョアジーが専制されているという状態 がなければありえないことだ。 あなたは革命というものを単にブルジョアジーからの政権奪取だと勘違いして いるようだが、革命とはまさにプロレタリアートの武装=暴力装置の保持及びその行使によって階級としてのブルジョアジーを暴力的に根絶してゆく全課程だということがわかっていない。 ロシア革命をみれば明らかなように、革命の困難性は一斉武装蜂起による政権の奪取自体よりも、その後の、つまり過渡期における反革命とのたたかいにこそあるわけで、まさにそのたたかいが血で血をあらうものになることをマルクスにせよ、エンゲルスにせよ、レーニンにせよ、2月革命やパリコミューンの経験から知っているからこそ、革命は暴力革命でなければならないという結論を導き出してるわけ。 じゃなきゃ、「社会主義初期段階」に「開始された革命を全力で防衛せよ」なんていうボルシェビキのスローガンもでてこないでしょ。 |
333 名前: 322 投稿日: 02/07/19 16:15 >>暴力によっての、すなわちせん滅戦をも含むかたちでの階級闘争の必要性を認めているのかいないのか >ぎゃはははは(爆笑 「暴力によっての」と「殲滅戦をも含む」を「すなわち」でつないでいる>>322はそもそも破綻しています。 繰り返すが、革命とはブルジョアジーを絶滅するためのたたかいのことだ。 自らの利益のためなら労働者階級を虫ケラのように殺すことをも厭わない ブルジョアジーを絶滅するための。 当然にも武器もちブルジョアジーに楯突けば、暴力装置によって弾圧されることとなる。しかし圧倒的多数者たるプロレタリアートであればこそ、一見強大に見えるブルジョアジーの暴力装置をも撃ち破ることができるのであって、逆に少数者たるブルジョアジーどもは常にあらゆる謀反、叛乱、一揆に怯えている。階級闘争というものが、ブルジョアジー及び革命勢力相互の絶滅を賭けた たたかいである以上、そのありかたも当然せん滅戦としてあらわれざるを得ない。 暴力革命の意味することとはこれ以上でも以下でもない。 すなわち「暴力によっての、すなわちせん滅戦をも含むかたちでの階級闘争」 こそが求められているというわけ。 >いずみはマルクス主義者ではないですし階級闘争での勝利を最主要任務と考えていません。 要するにこの人に革命のなんたるかを聞こうというほうがマチガイであったということですな。 |
335 名前: いずみ(リモート)@
p4214-ipad02maru.tokyo.ocn.ne.jp 投稿日: 02/07/19 17:16 今、いずみは、心底感動しています。(笑) こんな化石みたいな人がまだいたのね。。。 >あなたは革命というものを単にブルジョアジーからの政権奪取だと勘違いしている いません。だからこそ「革命」というふうに、「」をつけています。 そもそもの発端である>>287は「労働者自身が権力者になる」ということを「革命」の意味として説明しているわけで、つまり「権力奪取段階」のみがこの文脈での「革命」を意味しているのは明らか。 無論これはマルクス主義的な革命のイメージとは違うけど、世間で言う「革命」は臨界点の近傍のみを指すことが多いわけで、「マルクスの信奉者でもなんでもない」287が「世間で言う」前提から言っていることもまた明らかなわけだ。 >革命は暴力革命でなければならないという結論を導き出してるわけ >ボルシェビキのスローガンもでてこないでしょ というのを、>>287が前提としていると思われる「現代のお話」にも適用できる、というのは、現代社会が、パリコミューンやロシア革命時代と本質的に同じ構造だ、という前提なしにはいえないことだ。 いずみはそうだとは思ってませんし、そういう立場を取る左翼は日本では相当にマイナーではないか。 #って本家はそうなんだけども。(笑) >圧倒的多数者たるプロレタリアートであればこそ、一見強大に見えるブルジョアジーの暴力装置をも撃ち破ることができる そうですね。しかし、 >階級闘争というものが、ブルジョアジー及び革命勢力相互の絶滅を賭けたたたかいである以上、そのありかたも当然せん滅戦としてあらわれざるを得ない というのは、どういう飛躍なんだ? そもそもプロレタリアートとブルジョアジーは、量でも質でも「対等でない」。 だから戦術・戦略は双方で非対称になってもちっともおかしくないし、むしろその方が「自然」。 で、いずみは、現代のシステムは非常にもろく、簡単に崩壊する可能性を常に持っていると考えています。 ただしその後に何が起こるかは以前以上に予測不能。当然、選択肢の1つとしては「自衛のための武装」という話は出てくるでしょ。 #なんだか「敵の出方論」みたいになってきてるなぁ^^;; |
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359 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/21 03:10 清水丈夫を首班とする政治局は武力で合法的な機関である党大会を 解散させたのであるから、これは規約違反であり、本来なら、党大会の多数を 占めていた中野派、小西派、白井派などはこのような規約違反を犯した 清水丈夫を含む政治局内の茶坊主どもを規約違反のかどで除名するのが当然だった。 それができなかったのは清水直属軍の武力が優っていたので、清水 のなすがままにされてしまったのだ。 |
360 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/21
03:22 レーニン主義こそがすべての悪の根源だ。 「国家と革命」などというものは、レーニンがセクト的利害に理論的整合性を 与えるためにデッチあげたものだ。 意見の対立を暴力によって解決しようとするなら人間はどこまでいっても同じ 過ちを繰り返さざるを得ない。 |
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369 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/22 00:37 その後のレーニン、トロツキーらによる住民略奪、容赦ない政治犯への銃殺刑、飢餓の放置等々、その犯罪には枚挙の暇がない。そしてそうした体質はそのままこの現代にいたるまで一部左翼たちのあいだに脈々とうけつがれているのだ。度重なる暴力的な違法デモ、はたまたテロ、殺人にいたるまで一部若者を熱狂してやまないこの悪しき伝染病は今もこの国に巣くっている。 小西某らの出版した「検証内ゲバ」なる本に新左翼と呼ばれた者どもの反省を期待した私ではあったが、それはとんだお門違いというものだった。そこに表明されていたのは「反内ゲバ」の体をした「新たな内ゲバ宣言」ともいうべきものにすぎず、昨日までは「内ゲバ」に熱中していた自分をなんら恥じることもなく、ただただ古巣の組織を中傷するのみという敵ながら見上げた厚顔ぶりが開陳されているのみだった。 君は左翼がお嫌いだそうだが、まずはこのような卑劣破廉恥漢をどうにかするのでなければお先は暗いよ。 |
372 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/22 02:20 たしかに中核と革マルが壮絶な殺しあいを演じるにいたった根本原因は政治的暴力を、自らを主張する手段として認めているからですね。 その基本にあるものは上記のマルクスレーニン的な暴力肯定論であることはまぎれもないとこです。 いずみちゃんのいうように私もこの社会のシステムそのものの脆弱性をついたやりかたこそが必要だと思うし、ブンドではないが、マルクスとの訣別というものが「反内ゲバ」を語る以上どうしても必要なのではないかと思っています。 |
376 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/22
10:02 >>368 >>この国会でポリシェヴィキはすべての権力がソビエトに属するとの宣言を採択 するよう提案したが、237対138で否決された。 つまり、憲法制定会議で否決されたという事だね。しかしソヴィエトでは「全権力をソヴィエトへ!」のスローガンは採択されている。 憲法制定会議と、ソヴィエトと、どちらが当時の人民の権力として承認されるべきかを論ぜずして、 一方的に「憲法制定会議」の方を正統と認めるべきではない。 憲法制定会議の選挙名簿について調査すれば、 それが当時の流動的状況のなかで人民の意志を正しく表現していない事がわかる。とくにエスエル左派への農民の支持が不当に縮小されている。つまり憲法制定会議の正統性には著しい疑問があるという事だ。 なぜなら、選挙名簿が提出された時点ではエスエルは左右に分裂していなかった。 そしてその比例代表名簿の上位は右派が占めていたからだ。ところが、選挙が実施された時点では、エスエル左派は右派と分裂し、しかも農民の間で絶大な支持を受けていた。農民はエスエルに40%の支持を与えたが、それは右派への支持ではなかったにもかかわらず 圧倒的に右派が議席を占めてしまった。もし選挙結果が農民の支持を正しく反映していたら、 「全権力をソヴィエトへ」を支持していたエスエル左派とボリシェヴィキの合計64%が賛成し ボリシェヴィキの提案は可決されていただろう。 |
377 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/22
10:08 君たちは結党以来のカクマルの罪状をどう考えているのか。東大決戦からの前夜逃走、三里塚闘争への度重なる敵対、 国鉄労働者首切り攻撃への全面的協力、その歴史は人民への 裏切りの歴史にほかならない。また諸君は知っているだろう。カクマルの特徴とは決して権力に対してはむけることのない武器を自らの党派的利害の貫徹のためならばあらゆるたたかう翼に対しては容赦なくさしむけ、かつうす汚い「ナーバス」攻撃やデマ運動に よってたたかいを混乱させ、破壊することにのみ血道をあげてきた党派であるということを。常に彼らはたたかう人民の怨嗟の的であったし、これからもそうであろう。階級闘争を真剣にたたかおうとするならばするほど、彼らのような民間反革命とのたたかいが人民必須のたたかいであることがわかるし、逆にそれが理解できないということはその人が敵権力に対する憎悪すらもちあわせていないことの証にほかならないのだ。小西はまさに自らがそのような人であるということをわざわざ本まで出版して昨今内外に公表してまわっている。彼は一度として命がけの階級闘争に身を投じたこともなければ、真剣にたたかう人民とむきあったことすらない。しかし、たたかいから逃亡するのみならず、そのたたかいに 傷をつけるためだけに登場してくるならばまた話は別ということだ。我々はたたかわない者を責めることはしないが、たたかいに敵対する者に対しては人民の名において断固たる処置を講ずるものである。 |
380 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/22
13:23 >農民はエスエルに40%の支持を与えたが、それは右派への支持ではなかったにもかかわらず これは明らかなウソ。「民主主義は維持されていた」ということを強弁するためのボルシェビキによる歴史偽造の典型だ。エスエルを支持していた農民のほとんどは中央の分裂劇などにはなんら関知していなかったというのが実際だ。その分裂自体も投票によって正当な民主的手続きを経て行われたことを無視してなにか憲法制定会議の普通選挙が無効であるかのごとく主張することは盗人猛々しいと言わざるを得ない。疑われるべきはソビエト代議員が本当に正当に選出されていたのかというこだ。もともとロシアに定着していたソビエト=評議会と呼ばれる代議機関にはさまざまな問題があった。ある地域では地元経済を支配するボスの意のままにされていたり、選挙そのものが全く行われていない地域すらあった。レーニンはここに着眼した。暴力的恫喝を駆使すれば容易にそれを手にいれることができると踏んだのだ。そして事実それに成功した。民主主義の仮装に成功したのだ。極めて厳密な近代的普通選挙によって選出された代議員によって構成される憲法制定会議と、その対極にあるがごとき杜撰な「選挙」によってなるソビエトなるものの「どちらが当時の人民の権力として承認されるべきか」など議論の余地すらない。繰り返しになるが、ソビエト政権なるものは100%軍事力によって成立したクーデター政権にすぎないのだ。であるがゆえにその後のソビエト社会も暴力の支配するものとなった。そんな当たり前のことにケチをつけようというのは全くどうかしているとしかいいようがない。 |
385 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/22
15:08 >>380 歴史を偽造しているのはどちらの方かは調べれば簡単にわかる。全国の憲法制定会議の選挙結果と、ソヴィエトの記録は「レーニンの偽造」ではなく客観的資料として公開されている。憲法制定会議が農民の意志を反映していなかったのは歴史的事実である。 |
387 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/22 16:32 >>385 >憲法制定会議が農民の意志を反映していなかったのは歴史的事実である。 といってもボリシビキが暴力によって政権を手にいれたということもまた歴史的事実なのではないでしょうか。彼らが公然と「暴力革命」を掲げていたのは事実ですし。 |
393 名前: 客観的資料 投稿日: 02/07/22 19:36 歴史新書「ロシア革命」稲子恒夫より 11月全ロシア憲法制定会議の選挙結果(ズナメーンスキー) ボリシェヴィキー10,649,000(23.9%) エス・エル 17,864,000(40.0%) メニシェヴィキー 1,158,000(2.3%) カデート 2,099,000(4.7%) この選挙の結果については、一部の選挙管理委員会が記録をソビエト政府に引き渡すことを拒否し、破棄してしまったので、全国についての正確な数字は不明である。各種の研究によると選挙が行われた79選挙区のうち68選挙区(4選挙区についてはその一部)における選挙の結果は、表のとおりであり、40パーセントの得票を得たエス・エルが第一党となり、ボリシェヴィキーは24パーセントの得票しかえなかった。しかしこのことからロシアの世論が十月革命に拒否反応を示したとみてはならない。なぜならエス・エルの候補者名簿は左派の分裂のまえにつくられたものであり、したがってエス・エルの票には左派の候補者に投ぜられた分が含まれていたからである。第二に、この選挙は地方において十月革命が進行中に実施されたものであり、したがってその結果は変動しつつある世論の選挙の時点での中間報告にほかならなかった。(以上180〜181ページより引用) この本には全国68選挙区の得票数とパーセンテージが出ている。(十月社会主義大革命百科事典)もしこの数字が「レーニンの偽造」なら、ボリシェヴィキが「第一党」になってたと思うが? |
395 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/22
20:12 >>387 >>といってもボリシビキが暴力によって政権を手にいれたということもまた歴史的事実なのではないでしょうか。彼らが公然と「暴力革命」を掲げていたのは事実ですし。 「暴力」の意味を知らないとオモワレ。ツァーリのもとで行われていた政治は「暴力」ではなかったのだろうか?労働者と農民が武装蜂起したのは間違いであったというのだろうか? れではコルニーロフが人民を暴力により弾圧した事に耐えるべきだったのだろうか? 何もしないで殺されるべきだったのだろうか? |
397 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/23
00:07 >>390 ほう。よろしい。私から何を奪うつもりかはしらないが、ただひとつはっきりしたことは君らが強盗狼藉者の一種にすぎぬということだ。 >>393 そのようなトロツキストかぶれの似非学者のいうことのどこに客観性があるというのか? ボルシェビキのデマをそのまま垂れ流しているだけではないか。全く左翼という人種の人の良さは尊敬に値しますな。 >>395 帝政下のそれはいうにおよばず、しかし、赤軍や秘密警察の所業もまた暴力そのものではないか。「コルニーロフが人民を暴力により弾圧した事」を非難できる者はまたレーニン一派の暴虐をも許さぬものだけである。 |
399 名前: 287 投稿日: 02/07/23 03:18 >>287です。しばらく来ないうちに私のせいで大分スレが延びてしまっているようで驚いています。小西さんからのレスはいただけていないようですね。代わっていずみさんをはじめ、みなさんからの実直な意見を聞けて大変光栄です。いまさらレスをつけていくことも無理なので、全体を通読してあらためて意見を述べさせていただきたいとおもいます。 まず、私の「マルクス主義は暴力革命主義だ」という前提自体が誤りであるとの指摘を>>288でいずみさんよりいただきました。これについては再三多くの「名無しさん」からの意見によってむしろいずみさんの指摘こそが誤りであるという認識を深めるにいたりました。 レーニンやエンゲルスといった「聖人」たち自身の言葉に明確に「暴力革命」とある以上 いずみさんもご納得せざるを得なかったのではないでしょうか。 |
400 名前: 287 投稿日: 02/07/23 03:18 つづいて、現役左翼活動家と思しき方が期せずして>>322、>>332、>>333、>>337とお出まし になり、私を代って(?)熱弁をふるわれていましたね。いずみさんは彼の人をさして「化石」と評されましたが、私もその点には同意致します。ソ連や中国といった社会のありかたを私はどう贔屓目に見ても評価することはできません。なぜ理想に燃えて立ち上がった人々によって作られたはずの社会があのような最悪の腐敗を結果するにいたったのか。その原因はその社会の誕生そものもにあると私は思っています。つまり、手段としての暴力を彼らが倫理的に承認したことがその根本原因であると。私もとある市民運動家のはしくれではありますが、つねに心掛けていることは「身の丈を わきまえる」ということです。日頃、あまりに憤激にかられ、「爆弾でもしかけてやろうか」 などと思うこともしきりなのですが(冗談ですよ)、そんなことをしてしまえば元も子もなくなってしまうわけで、結局は一人の生活者として社会にアプローチするほかはないとでもいいますか、派手ではない地道な活動が身を結ぶものだということをこの歳になって知ったしだいです。 仲間には学生運動出身も結構いまして、その人らを通して小西さんの名も知るにいたったのですが、 彼、彼女らのいうことはやはり小西さんはマルクスの呪縛から解放されていないということ なんですね。一方で中核派の「非民主的組織運営」や「内ゲバ主義」を非難しておきながら、「プロレタリア独裁」や「暴力革命」、はたまた暴力そのものの賛美を認めているというのではとてもではないが市井の運動に参加することなどできませんよ。 |
403 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/23
08:31 >>400 およそ人間の行いにおいてどこからどこまでが暴力であるかということをまずは厳密に規定していただけませんか。私は「言葉の暴力」というものや「無意識の暴力」といった類も立派に暴力の範疇に含めるべきものだと思います。日々横行するパレスチナ人虐殺にあなた自身は完全に無関係であるといえますか?アフリカでの饑餓による子供たちの死や、はたまた国内におけるリストラが原因と思われる自殺者の急激な増加についてはいかがでしょう。この世には暴力が充ち満ちており、その人の好むと好まざるとにかかわらずすべての人は多かれ少なかれそれに加担しているのが実態なのです。その中でも最大の暴力ともいえるものが軍隊や警察、もしくはそれを支える国家機構というものです。もしあなたがその暴力と対決しなければならないときがきたらどのようなたたかいかたをなさるおつもりなのかお伺いしたいと思います。 |
404 名前: ワショイ 投稿日: 02/07/23 08:48 >400 市民に幻想を抱き過ぎと思われ。 >401 賛美ではないけど、肯定はされてると思われ。 たしか 著書「マルクス主義軍事論入門」で、武力革命の為に若者に 自衛官になるよう 提言されてましたよ。 >403 特定の暴力機構を憎む余り、別の暴力機構に加担するのか、暴力に拠らないアプローチを強力にすべく努力するのか、選択肢はいろいろありますね。後者がカコ(・∀・)イイ ワショイ |
405 名前: 小西まこと 投稿日:
02/07/23 09:53 >>287さんへ。 あなたの質問に答えを躊躇したのは「権力への暴力行使」 までもあなたが「内ゲバ」と主張された論に対して、議論の不毛さを感じたからです。しかし、今回、あなたの市民運動体験を書かれたので、意図することが分かりました。前提的にお断りしておきますと、暴力革命論・プロレタリア独裁論については、僕は現在、根本的再検討している時期です。場合によっては、年内にまとまったものを公表することになると思います。その点から若干。 僕は「マルクス主義への呪縛」に囚われたことは、運動を始めてから一度もありません。常に「懐疑の精神」で全ての理論・思想を見てきたつもりです。ですが、どこかの党派などのように、「19世紀・20世紀が生んだ最大の社会科学」である、マルクスやレーニンの思想を「簡単に」放り投げる無責任さは許容できません。僕などは、何十年学習しても、まだ彼らの思想を「乗り越えられ」ません。だからといって、疑問はたくさんあります。この一つが「国家論」や「暴力革命論」です。これについても、すこしずつ書いていきます。 |
406 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/23 12:31 >>399 マルクスを「暴力革命主義だ」などとするのは極めて粗暴な読み方をしている人だけが主張するものにすぎません。マルクスにせよレーニンにせよ、その永い文筆になかには、論争的な場面の違いからする明らかな矛盾点をさがすことはむしろ容易なことです。19世紀半ばから20世紀初頭にいたる世界情勢や資本主義そのものの変化をなんら算入せず、ただただ「国家と革命」という限定された一著作を教条化し、マルクス主義=「暴力革命主義だ」などと規定することは大きな間違いです。レーニンは、スイスに亡命中で、社会主義と民主主義の関係について、 ちいって研究した論文をずいぶん書きました。その基調は、 資本主義の時代の民主主義の成果を積極的にひきついで、これを全面的に発展させるのが社会主義だという大胆なもので、そこで展開されている考え方は、いまでも立派に通用するものです。ところが、一九一七年の十月革命以後は、ブルジョア民主主義、つまり資本主義体制のもとでの民主主義を社会主義の対立物だとする見地が前面に出てきて、民主主義の発展的継承論が消えてしまうのです。これには、ブルジョア民主主義の体制にあるイギリスやフランス、アメリカが、ロシアにたいする干渉戦争に乗り出してきたとか、民主主義をかちとったドイツの新共和体制のもとで、ローザ・ルクセンブルクの虐殺など野蛮な政治弾圧が 横行したなど、当時の国際的な政治情勢の反映という面も、たしかにありました。しかし、それ以上に重要なことは、レーニン自身が、十月革命前に『国家と革命』を書いて、資本主義時代の民主主義と社会主義革命後の民主主義とは、互いに相いれない異質物だという理論的な立場を確立してしまった、という点にありました。それが、干渉戦争というきびしい情勢のなかで、いちだんと極端な形で展開されていったわけで、これは、民主主義の問題での、理論と実践の大後退でした。 |
407 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日:
02/07/23 21:55 >>406 釈然としないものがあるので、突っ込みます。 まず、そもそも資本主義における民主主義に何らの限界がないとすれば、革命は不要なのではないでしょうか。それはある意味、理想的な状況であると思います。しかし、現実には、旧体制の特権階級は、自らの歴史的使命を使い果たしているのに、権力装置を握って、新たなる歴史の主人公に席を譲ろうとしないことが多く(というか、それがほとんど)、そこに革命の根拠があると思います。そして、その排除が理性的な形で進められるならば良いのですが、大抵は生きるか死ぬかの状況になります。暴力が排除のための実践であるならば、革命とは暴力になる、と、#論理的に#思います。ちなみに、ロシア革命の11月7日は、見た目は「平和革命」という名前こそ、相応しいものであったようですね。翌朝か翌日かの、トロツキーによる臨時政府の大臣への丁重なおもてなし(解放)を忘れてはなりますまい。 ブルジョア社会における民主主義の限界、それを小生は「権力奪取」の瀬戸際にあると考えております。 思うに、>>406さんは、「レーニンと資本論5」を受けての書き込みであると思いますが、小生は「レーニンと資本論5」については、「認識が甘すぎる!」と思いました。 その上で、プロレタリア民主主義はブルジョア民主主義を発展的に継承するべき、その道を誤ったということは承認します。むしろ、死の直前のレーニンは若き日のその思想に立ち返り、「権力者として」実践する段で亡くなったと思います(L全の最後の方の文章を見て、そう思いました。) |
408 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日:
02/07/23 21:59 オマケです。既出です。おちょくり表現ですが、ここに相応しいかと思います。おゆるしください。 そんな事より>>406よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。このあいだ、不破ちゃんの「レーニンと資本論」読んだんです。そしたらなんか自分勝手な見解が一杯あるんです。で、第5巻には「国家と革命は暴力革命必然論で間違い」、とか書いてあるんです。もうね、アホかと。馬鹿かと。お前らな、自分たちの都合で先人の理論を間違いと決めつけんじゃねーよ、ボケが。階級敵が自分の利益に忠実ならば、暴力を辞さず権益を保護するのは自明の理じゃねえか。マルクスの手紙については「大問題を私信でのみ書くのか」と言いながら、エンゲルスについては、手紙から引用。おめでてーな。レーニンはどこで道を踏み誤ったか、とか言ってるの。もう見てらんない。お前らな、投票はしたるから共産党の看板は他の奴にやれっての。革命ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。相対立する二つの階級が、ギリギリの状況で対峙して、いつ内戦が生じてもおかしくない、殺すか殺されるか、そんな緊張感がいいんじゃねーか。日和見主義は、すっこんでろ。で、やっとロシア革命の権力奪取にまつわるヨタ話が終わったかと思ったら、次にはコミンテルンの設立はまちがいであったとか第6巻に書いてあるんです。そこでまたぶち切れですよ。 |
409 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日:
02/07/23 22:00 あのな、社民主義じゃあるまいし、コミンテルン否定なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。得意げな顔して何が、ソ連の応援団になったから、だ。お前は本当にレーニンの意志を継いでいるのかと問いたい。帝国主義最弱の環を断ち切られたゆえ、世界革命を追求するために世界党が必要だ、という帝国主義論の結論を忘れたのか、と問い詰めたい。査問部屋で小1時間問い詰めたい。お前、一国社会主義を正統化したいだけじゃないのか、と。共産趣味者の俺から言わせてもらえば今、カウンタームーブメントの間での最新流行はやっぱり、分散と協働、これだね。ネットワークを介在して重層的に繋がる運動。これが通の運動。ネットワークってのアメーバ型の組織。当然統合責任者はいない。これ。で、それを既存組織を超えてつなぐ。これ最強。しかしこれを党組織がでしゃばってやると、左翼への不信感がある大衆は拒否するという、諸刃の剣。ネット素人にはお薦め出来ない。まあ不破君は、カウツキーの尻でもおっかけてなさいってこった。 |
412 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日:
02/07/23 22:43 あ、そうそう、今電子化仕事していて、面白い「資本論からの引用」(第一巻、原書745ページ?)がありました。これは、世間の社会主義像と結構対立すると思う。 社会的変革のあとはどうなるかについては、彼はわれわれにきわめて漠然たる暗示しかあたえていない。われわれは、大工業が「生産過程の資本主義的形態の矛盾と敵対を、したがって同時に新社会の形成要素と旧社会の変革要素を成熟させる」ことを、そしてさらに、生産の資本主義的形態の止揚が「個人的所有を復興させるが、しかしそれは資本主義時代の成果を基礎としてであり、自由な労働者の協業を基礎とし、土地と労働そのものによって生産された生産手段とにたいする彼らの共同所有を基礎としてである(17)」ことを知るのである。 |
418 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/24
01:42 ついに小西は公式にマルクス主義そのものをかなぐり捨て、その御都合主義的改作にのりだした。まったくマルクスの生前より闘わないことを正当化する脱落者の手口というものはまるで変わっちゃいない。 「暴力革命論・プロレタリア独裁論については、僕は現在、根本的再検討している時期です」だと!?貴様ごときにマルクスの何を「再検討」できるというのか。弾圧を恐れるあまり権力に白旗をあげて許しを乞う典型的な脱落者のすがたがそこにはある。 |
419 名前: 287 投稿日: 02/07/24 02:13 小西さんレスありがとうございます。なるほど深いお考えがおありなんですね。私はマルクスを真剣に勉強したことはありませんが、評価できる部分は多分にあるのではないかということは分かりますし、永年マルクスとともに歩んできたあなたの歴史を全否定しようなどとは思っていません。その暴力革命主義的部分や独裁論さえ払拭されればマルクスも私にとって実り多い学習材料になるのではと、小西さんによる自説の出版にいまから期待してしまいます。頭の堅い人たちからはいろいろいわれるでしょうがそんな雑音は気にせず、私のようにその小西さんの変節を喜ぶべきとうけとめているものもいるということをお忘れなく。 革命などという遠大な理想を追うことも若いときにはいいかもしれません。しかし、もっと切羽詰まった我々を追い詰める理不尽がこの世にはいくらでもあり、また我々の行動を期待する多くの人たちがいるということも事実です。元左翼の人たちは基本的に真面目な人が多いというのが私の評価です。いまどきナニナニ主義などというもので動く人などいませんよ。小西さんも考えるところは種々ありましょうが、右翼だ左翼だなんてくだらない区別にかかずりあっていないで今必要なことをやる、というシンプルかつ確実なスタンスにたたれることを期待しています。 |
420 名前: 【暴力革命をめざす者が内ゲバを非難することができるか】 投稿日: 02/07/24 03:17 できない。それはどちらも自らの政治的目的のために暴力を行使するという点においては同じであるから。よって小西氏はレーニン主義の核心である暴力革命論を「再検討」せざるをえなくなった。暴力によらない革命とはなにか。いうまでもなくそれは単なる改良主義というものだ。よってすでに彼はマルクス主義者ではない。 |
422 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/24
04:06 それより僕的に一番の疑問は次のことです。小西さんたちは内ゲバが左翼運動衰退の主原因だといったいるわけですよね。だとしたら当の内ゲバ党派が一番に滅んでいなければおかしくないですか? 内ゲバに反対していた党派が滅んで、一番激しくやっていた党派が生き残る。これは不思議だと思うわけです。 |
424 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/24
09:41 >小西さんたちは内ゲバが左翼運動衰退の主原因だといったいるわけですよね。だとしたら当の内ゲバ党派が一番に滅んでいなければおかしくないですか? 小西さんは左翼運動が全体として衰退したことの主原因が内ゲバだといったので、内ゲバ党派が衰退するとは言っていない。 |
425 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/24
09:48 >>423 実際「消滅寸前」ということはない。権力自身が月刊『治安フォーラム』最新号においても中核、革マル両派の勢力的伸張は「漸次的だが確実」なものがあると認めている。百歩譲って中核派が消滅寸前だとしても、それは>>422への答えにはなっていない。すでに第四インターやプロ青同といった反内ゲバ党派はすでに崩壊してしまって久しいわけだし、もし今中核が消滅したとしてもことの順序に変わりはないからである。逆に内ゲバを徹底的にやりぬいたがゆえに両派は組織的な規律をつよめ、組織としての強固な団結力を獲得した。がゆえに今にいったって健在であるのだということはいえないだろうか。内ゲバの動機は、組織外部の人間には全く理解の範疇を超えた論理があり、その意味では新たな大衆を獲得するに障害となるのではないかということは容易に想像できる。しかし、それ以上に組織内部の人間にとってそれは命を賭けてでもやりぬかねばならないという悲壮な決意すらさせる必須な事柄なのであり、お互いが「革命のためならばこれを避けて通ることはできない」ものだと強く意識している。そのような意識下にある彼らにとって内ゲバとは革命闘争の一貫そのものであり、その勝利は革命闘争上の勝利そのものとして組織を高揚させ、その敗北は理想に殉じた仲間への弔い戦を決意させるという具合に勝っても負けても彼ら自身をより組織への献身へと駆り立てる要素にしかなりえないのだ。結果として両派には自らの命すら組織に預けきることをなんら躊躇しないような筋金入りともいえる活動家が多数存在している。これを歴史の皮肉ということもできるかもしれないが、今の日本に命をも賭してなにかことにあたれる組織というものはそうはない。これからの時代、両派の動向はなんらかの情勢を決するものになる可能性があるとみるのは公安当局もふくめ注目されるに価するものであると思われる。 |
434 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/24
14:04 武装反革命との闘いは革命党にとって最も重要な任務のひとつである。さしあたり主体的力量に規定されてカクマルとの戦争を限定的に闘わなくてはならなかった我々ではあったが、この日本階級闘争場裏においてもっとも突出した民間武装反革命はいうまでもなく日本共産党スターリン主義である。満を持していまこそスターリン主義討伐の歴史的闘いに決起するのでなければならない。 |
437 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/24
15:41 スターリン主義は帝国主義とならび人民の手によって打倒されなくてはならない反人民的な政体である。一国社会主義を自己目的化し、過渡期として死滅してゆくはずの権力を反動的に固定化することで必然的に腐敗した官僚主義国家とその随伴者たちはまごうこと なき反革命そのものである。スターリン主義が世界革命を裏切り、帝国主義の延命に手を貸したことでいったいどれだけの人民の生命が犠牲になったか。帝国主義下階級闘争を混乱させ、世界人民の闘いをスターリン主義的に変質させることによってどれほどの革命の芽がつみとられたか。すべての人民の闘いは反スターリン主義の旗の下に再編成されなくてはならない。 |
438 名前: コニシさん江 投稿日: 02/07/24 16:26 党派闘争の現象面としての暴力性のみをとらえて「内ゲバ反対」などと叫んでみたところでどうにもならないでしょ。だって人と人が一度対立しはじめればそれが暴力的対立にまで発展した場合どこからが厳密に暴力的対立かなんてわからなじゃん。国が戦争するときはその準備もふくめて戦争なわけでしょ。だから戦争反対というばあいは軍備そのものに反対するんでしょ。だったらあんたらが政治的手段としての暴力をあつかうときも「こっちのは自衛のためだからいい。あんたのは攻撃のためだからダメ」なんて屁理屈とおるわけないということもわかるよね。そのへんハッキリさせてよ。 ょ。いくらなんでも。程度の話しをすれば「キャンパスでゲバ棒でちょっとなぐりあう」くらい だったら若い人は血の気が多いねーくらいですんだんだろうけど、「寝込みを大勢で襲って殴り殺す」というのはあまりにイメージ悪いよ。現実的な歯止めというか大局的に情勢を見る目というのがたりないのが問題なんだよ。 |
442 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/24
20:17 >この日本階級闘争場裏においてもっとも突出した民間武装反革命は>いうまでもなく日本共産党スターリン主義である。 それは全く間違っている!「もっとも突出した民間武装反革命」はやはりカクマルであり、そして「つくる会」に示される歴史修正主義勢力であり、2ちゃんねるハングル板などに巣食う差別者である。忘れたのか!山谷において、佐藤さん山岡さんを殺したのは誰だ? 反共右翼ファシストではないか! |
450 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/25
11:52 >>449 君な。日本には建前上言論の自由ってもんがあるわけよ。たとえ「○○を殺す」と宣言したとしても、それだけで 捕立件はできないのよ。脅迫罪が成立するにもまず被害者の訴えがなきゃならんしね。土門の会見にしても、それを殺人教唆として立件するには、実行者とそれを教唆した者とのあいだの因果事実が立証されなくてはならんのよ。実行者も特定できていないのに教唆が成立した「一般の刑事事件」なんてあるわきゃないの。わかる? とねー。扇動が罪になるのは破防法が適用された場合のみのはなし。団体適用があった場合はそりゃもちろん機関紙編集長は逮捕されるでしょうなー、って君もしやいまだに団体適用がないってことをもって「泳がされてる」なんて主張してんの?そうしたら日本中の犯罪組織が泳がされてることになっちゃうんじゃん!まったくこんな低水準な「根拠」で何をいっても弾圧待望論にしか聞こえないよ。実際そうなんだろうけどね。日共が必死に泳がせ論展開してたのも新左翼におされまくってる 期だしね。もっとも奴らは公然と「取り締まりを強化せよ」なんて弾圧要請してたけどね。小西が今頃泳がせ論なんて持ち出してくんのもこれと全くいっしょ 心理なのまるだしで笑えるよ。「警察のみなさーん。中核が僕を反革命だといって粉砕するって いってますよー!はやく取り締まってくださーい!もたもたしてたら 僕やられちゃいますよー!」 |
454 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/25
14:20 「K=K連合」という言葉を中核派が使いはじめたのは、革マル派が機関紙『解放』72年新年号論文において以下のような、俗にいう「首根っこ急所」論を展開して以降のことである。 >プロレタリア的道徳性の片鱗すらとどめないこの反労働者的徒党を、我々はプロレタリア階級の名において絶滅し尽くさねばならない。権力による攻撃にすくみあがっているブクロ派にとってそれ以上の恐怖は、我が革マル派の党派闘争に他ならない。権力は首根っこを>押さえているに過ぎないけれども、我が革マル派は下の急所を握っているからなのだ。(『解放』72年新年号) これは70年安保沖縄闘争における大量逮捕者に疲弊している中核 派に対して、これを機として攻撃を加えるぞという革マル派による戦闘宣言にほかならない。そして実際に手始めとして、革マル派は71年12・4中核派学生2名を、初めて明確に殺人を目的化した襲撃によって虐殺するという挙にでる。組織的に弱体化していた中核派はなんら有効な反撃にでることが出来ず、当初この「戦争」は革マル派による一方的な優勢をもって幕をあけた。中核派のゲバルト急進ぶりにさんざん手を焼いていた警察権力といえどもこれに気を良くしたかどうかは定かではない。しかし、中核派が主体的には上記のような革マル派の宣言を聞いて「権力とカクマルは結託している」と考えたとしてもなんら不思議ではないだろう。 したがって、中核派の「K=K連合」論には「警察は革マルを使って 中核を潰させているんだ」という何か警察の意志にしたがって革マル派が使嗾されているんだというニュアンスはない。権力と革マル派という異なる敵が暗黙の了解によって意志を通じて 中核派潰しにでてきているとういうのが彼らのいわんとしていたこ とであろう。これに対し、革マル派の「権力の謀略」論は、襲撃自体は「権力内謀略グループ」と彼らの呼ぶ襲撃のプロによって行われ、中核派はそれを「追認」しているに過ぎないとするもので、結果として革マ ル派による中核派への攻撃をトーンダウンさせるという性格をもっ ていた。 |
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小西誠への質問状 2 |
519 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/02
13:42 プロレタリート独裁は、「安穏」でも「固定観念」でもない。 それはマルクス主義学説の原則中の原則だ。 原則を放棄することが弁証法だなどとは闘いを放棄した者の言い訳に過ぎない。 何はともあれ、君自身はプロ独を承認するのか否かそれはまずは明らかにしてもらいたい。 |
520 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/02 14:33 マルクスがどんなに偉いか知らないけど、独裁は絶対悪であることは歴史が証明しているところでしょ。 小西さんはあたりまえのこと言ってるだけ。ためしに独裁掲げてどっかの選挙に立候補してみな。泡沫まちがいないから。 |
521 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/02
15:35 国家の暴力装置はもはやその本質ではなく、一属性にすぎない。 レーニンの時代は戦争の時代であって現代とは明らかに違う。 個人を結ぶ横方向のネットワークが網の目のように発達し、社会の変革を目指すための組織のありかたもそれにしたがって形は かわっていかるべきべきではないか。 状況の変化を見ることが出来ない者が唱える独裁なるものに未来はない。 |
522 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/02
15:57 プロレタリアートは、ますます革命的社会主義のまわりに、 すなわちブルジョアジー自身がそれにたいしてブランキなる 名称を考えだした共産主義の周囲に結集しつつある。この社会主義は、革命の永続宣言であり、階級差異一般の廃止に 到達するための 必然的な経過点としてのプロレタリアートの 階級的独裁である。 コミューンの組織がいったん全国的な規模で確立されたとき、 おそらくその前途になお待っている災厄は、奴隷所有者の散発的な 反乱であろう。それらの反乱は、平和な進歩の仕事をしばらく 中断させはするが、社会革命の手に剣を握らせることによって、 かえって運動を 促進するだけであろう。資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、前者から 後者への革命的転化の時期がある。この時期に照応してまた政治上の過渡期がある。 この時期の国家は、プロレタリアートの革命的独裁以外のなにものでもありえない。 |
524 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/02
16:33 暴力革命は プロレタリアートの防衛における 最後の切り札だと思う。 放棄はすべきでないが、悪戯に 切望する事は間違いだと思う。 あれは副作用が強過ぎるんだ。 致命的重態でなければ処方すべきではない。 |
528 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/02 17:40 暴力革命は プロレタリアートの防衛における 最後の切り札だと思う。革命とは労働者による自発的かつ能動的な行為なのではないですか? 受動的な「防衛」というものに暴力革命を限定してしまっては革命というものではなくなってしまいませんか? |
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530 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/02
17:47 >528 帝国主義者が横暴を極めるのであれば、我我労働者は 命と言う実力行使を以って 自らは死すとも 同朋の生存を勝ち取るだろう。 そういう意味での防衛だよ。 革命と言う暴力においても、正統性・すなわち専守防衛の観点があればこそ、人民は 自発的かつ能動的にその事業を行うものと考える・・・が、どーよ。 |
531 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/03
00:44 >>529 、>>522はただ単にマルクスを引用しているだけであって、それを無批判に信仰せよなどとはいっていない。 引用を行ったにすぎない者を、あなたは「古典なんぞに縛られる..教条主義者」だと断定をしている。 このような非論理的かつ恣意的「批判」を行う者が「共産主義は宗教ではないので、絶対的命題など存在しない」 などとは、とんだお笑い草というものだ。 まったくもって、資本論に「批判の対象として取り上げる価値」をしか見い出すことのできない貧弱なセンスの 持ち主にして相応しい厚顔ぶりというほかはない。 >>530 >同朋の生存を勝ち取るだろう この御仁「労働者は祖国をもたない」という言葉すら知らない御様子。 今気づいたがこりゃコヴァ信者かなんかの騙りだな・・・。 いうに事欠いて「専守防衛」ときたよ。 相手すんのもアホくさいね。 |
540 名前: hdk ◆T6CE/fXE 投稿日:
02/08/04 22:17 >538-539 1)プロレタリアートの意志は、有能な者が代弁可能だ。 2)有能な者が示す労働者の意志。それへの異存は即ち 不勉強と不理解です。 3)プロレタリアートの意志は、プロレタリアート独裁を拒否します。 故に、プロレタリアート独裁は 否定されます。 論理1を否定するなら、プロレタリアート独裁の実現は不可能です。 論理2を否定するなら、プロレタリアート独裁の実践は不可能です。 論理3を否定するなら、(論理2によって)、あなたが不勉強と不理解なんですよ(ワラ つーわけで、プロレタリアート独裁なんて、机上の空論です(トカイウ プロ独に固執するなら、代弁可能という論拠を示してください。 階級の代表を自称する 詐 欺 師 が横暴を極める罠。 |
542 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/05
10:46 >541 最初は「ソヴィエト」による意思決定のはずが、そのソヴィエトをほぼ ボルシェヴィキが占拠。最初は左派SLや、アナキストもいたのに… のちには官僚独裁ね。労働者階級が総体として独裁したなんて事実 はなく、労働者個人は逆に官僚階級とその暴力装置によって支配さ れた。 それが旧ソ連の「政治」の内実でそ。 |
543 名前: ただいま 投稿日: 02/08/08 01:42 >のちには官僚独裁ね。労働者階級が総体として独裁したなんて事実はなく、労働者個人は逆に官僚階級とその暴力装置によって支配された。 なんでそうなったか、ということだよね。レーニン主義自体にひいてはマルクス主義自体にその原因があったと考える人も多い。だとしたらマルクスの批判的乗り越えは必死だろうね。 マルクス主義者としてことにあたることはできなくなる。 |
545 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/08
13:56 暴力革命論とプロレタリアート独裁論こそがスターリンによる恐怖政治の根源です。したがってマルクス主義のなかから上記二項を消しさる必要があるのです。そのための思想的営みはすでに様々な人々によってすすめられています。小西さんもやっとそのことに気づかれたようですね。 |
546 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/09
02:49 >>540 >プロレタリアートの意志は、有能な者が代弁可能だ。 政権をブルジョアジーから奪取してのち、武装したプロレタリアートはただちに全国的 な代議機関の整備をおしすすめなくてはならない。代議機能が特権にむすびつかないよう細心の注意をはらって、すなわちあらゆる労働者と同等の賃金をさしあたり受け取るにすぎない「代弁」者によって階級の意志はひとつ のものとなることができる。 >有能な者が示す労働者の意志。それへの異存は即ち 不勉強と不理解です。 「代弁」は「有能な」者のみの特権的職能ではない。むしろそれは労働者でありさえす れば誰でもかまわないといった種類の、まさに評議会の決定を中央に伝達し議決に票を 投ずることのできる者ならばその資格を得ることのできるものであるにすぎない。 したがってそれへの「依存」や「不理解」などということは機能的に起こり得ない。 >プロレタリアートの意志は、プロレタリアート独裁を拒否します。 革命とはブルジョア独裁の打倒である。したがって政権奪取後の社会的諸権能はさしあ たり別の独裁によってしか引き継がれることはできないし、その主体がブルジョアジー の打倒をなしえた者、すなわちプロレタリアート以外の者に担われることはありえない。 ただしその独裁は自らの止揚を機能的に獲得した特殊な独裁、すなわち無階級社会を目 指し実現するための独裁、独裁をやめるための独裁としてのみ存在できるにすぎない。故に、プロレタリアート独裁の実現は唯一現実的な革命の手段であるといえる。 |
550 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/09
21:04 暴力を好む者は少ないが、強いられてそれを担ったり、承認する者は多い。 国家の戦争施策はこの世における最大限の暴力であるといえるが、 それが歴史上幾度となく大衆の身に降りかかったのは、逆に言えば大衆自身が そうした政策を許してしまったがゆえであるともいえないだろうか。 なぜ許してしまったのか? いうまでもなく弾圧を恐れるあまりである。 弾圧とはなにか? 国家によって独占された暴力が、武装を禁じられた人民に対して用いられることである。 しからば戦争反対の意志を貫くには必然的にこの国家暴力との対決を余儀無くされる。 弾圧に屈することのない組織が必要になる。 これがプロレタリアートの武装というものだ。 国家の強大な暴力装置にはなんら反対せずに、人民のこのささやかな武装にはとたんに 「暴力反対」などと言い出する者は、この暴力に満ちあふれた社会にあっては奴隷である ことに甘んずることを表明している以外のなにものも意味しない。 |
552 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/09
21:59 もちろん551はやくざの武装と一部新左翼党派の武装が、区別がつかない所にまで堕しているという実態をふまえた上で書いているのであり、一般的に「人民の武装」に反対するとのは別の意味で言っているのは当然であります。(藁 |
553 名前: 550 投稿日: 02/08/09 23:00 >>511 >>522 >何十人も人殺してるもんを「ささやかな武装」とはいわんと思うが(藁 それがささやかであるか否かは主観の問題ではありましょう。 では暴力が国家によって独占されているというこの社会のありかたについてはどう思われますか? 暴力を扱う以上、その行使が現象としての人の死を結果させることを、行為者として退けることが 出来ないものである、ということは認められますか? >一般的に「人民の武装」に反対するとのは別の意味で言っているのは当然であります。(藁 では、あなたは、「一般的な」意味での人民の武装については承認されるのですか? もしそうであるならその営みはどのような形で開始されるべきとお考えですか? |
554 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/09
23:42 それはあんたが「主観的に」何十人も殺す事が「ささやか」であると認識しとるのね? で、殺すのは避ける事が出来ない事だから全然OKだと? 「一般的な」意味で、どういった武装が承認されうるか、それはあんたが考えないといけないんじゃないのか? 私は今の一部の新左翼セクトの「武装」とやらが、大学や組合や大衆運動という「縄張り」を支配する為の武装でしかないじゃないか、という事を言ってるんだが? だから、やくざの武装と全く変わらない質の武装としてしか、「人民の武装」とやらは実態として組織されてないという現実を、あんたはどう考えるんだよ? |
555 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/10
00:25 554さんに「半ば」賛成だね。あくまで半ばね。 だいたい、新左翼の内ゲバは小西さんが検証内ゲバ で書いているように、大学内での自治会の利権のぶ んどりあいで始まり、激化し、そして学内の支配を 巡って続いたもんだろう。新左翼の武装なんてそんな もんだよ。 しかし、暴力の問題は真剣に考える必要があるね。国家 が暴力を支配の手段とする限りはね。だからといって単純に 暴力革命はできないだろう。これだけ民主主義が発達した社 会ではね。この矛盾を解くことがカギではないか。 |
556 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日:
02/08/10 00:26 一人のマルクス・レーニンファンとして、小西さん、いずみさんに「反対」しつつ、 マルクス革命(変革)論を自分なりに再検討したい。 1.マルクスの時代の革命(変革) マルクスの思想は現実に立脚する。彼の思想は徹底的にそれまでの歴史を唯物論的に 解釈し、それを論拠に現状を変革するために闘った。彼の生きた時代は、民主主義が極 限された形でしか存在せず、封建主義が世界的に支配的で、闘争は直接的な物理的な対 決で決着をつけることが時代の趨勢であった。議会は往々にして王様に欺瞞され、決定 的局面ではお人よしの「勤労大衆の代表」は物理的に排除され、殺された。そういう時 代にあっては、民主主義を守ることは同時に物理的な暴力《Gewalt》を伴わざるを得な いものであった。 かの時代にあっては、プロレタリアの大義を守ることは何の疑いもなく、暴力 《Gewalt》を行使せざるを得なかっただろう(共産主義の原理16の答えを見よ)。 ましてや、社会を根本から変革する革命は、畢竟暴力的な解決にならざるを得ない。 |
557 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日:
02/08/10 00:27 要は、お互いに信頼関係もなく、相互浸透もない状態に分裂した社会の変革はいわゆ る暴力革命が必然的である、ということだ。全くの新世界への期待と旧体制の腐敗・衰 退から、旧体制の要素はほとんど引き継ぐ必要のない滓《かす》であると断定され、暴 力的に爆砕する必要がある、と。さらに言うならば、そのような旧体制は自分を必要に 応じて変革することはなく、一気に変革する圧力(革命の圧力!)によって、暴力的に 引き倒される必然の中にある。ヘタレな体制だから革命を惹起するということだ。その ことは、20世紀の大革命にも見られる現象である。ロシア、中国など。革命の起こる 国は、全てと言っていいほど、度し難いほど腐敗し、硬直し、生命力を失った旧体制を もつ。戦争によってどうしようもないほど腐敗・堕落していることが暴露されたツァー リズムではあるが、そういうことが暴露されるつつも、ストルイピンの健全なる反動に よりロシア資本主義が着実に成長した生命力の惰性が残っていた時、レーニンは、「我 々老人の生きている間に革命はないだろう」と言ったが、それはこういうことの裏返し である。 |
558 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日:
02/08/10 00:27 2.暴力革命と平和革命 ここまで日本語でイメージされる暴力を念頭に、古典的な、マルクス=レーニン主義 的な革命(変革)論を書いた。だが、ドイツ語の《Gewalt》には、暴力というよりは強 制力と言うべきニュアンスがある。確かに、強力革命という言い換えは、間違いとは言 い切れない。いずれにせよ、《Gewalt》は強制的に排除されるものがいなければ、使用 されない言葉である。それは王様であったり、ブルジョアジーであったりするわけだが、 彼らは粛々と政権の座から離れるという保証はない。革命という急激な変革とあれば、 なおさらである。そもそも、粛々と政権の座から離れるならば、革命ではない、ではな いか。彼らを強制的に政権から排除し、他の主体が権力の座につくから、革命である。 ならば、革命は《Gewalt》以外にありえようか。平和革命における、見た目の平和さは、 圧倒的な《Gewalt》の行使力によって保証されるのである。それの一番の例証は、かの 1917年11月7日の、ボリシェヴィキのみならず、圧倒的多数の住民・労働者・兵 士の武装によるケレンスキーの退場(レーニンが逃亡の車を逮捕せずに見逃したことを 想起せよ)、SR左派、ボリシェヴィキに代表される者たちの権力奪取の瞬間に見られ る。ロシア革命は、一部の歴史から学ばないものの怒号する「クーデター」などでは決 してなく、平和革命であったと言ってもよいくらいである。何しろ、スハーノフがその 場に立ち会えたくらいなのだから! そのお人よしの代償こそ、後の歴史に見られるが、 それはここでは触れない。 |
559 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日:
02/08/10 00:28 3.プロレタリアート独裁について これは、革命期と平時に分けて論じる必要があると思う。まずは、革命期から。革命 と反革命が入り乱れ、権力基盤が脆弱であるとき、ましてや内戦期に、独裁以外の手段 がありえようか? 但し、これは権力者の独裁であり、トロツキーの言う代行主義の極 致であり、永続するような代物ではない。当然、平時のプロレタリアートの独裁とは似 て非なるものである。だが、これは、プロレタリア革命の本質から導き出される、革命 期には必要な独裁なのである。これがなければ、反革命の独裁が貫徹されるであろう。 広範な大衆が通常の方法で意志決定を行なう民主主義など、そんな余裕はない。 |
560 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日:
02/08/10 00:28 一方、平時のプロレタリアート独裁とは、どういうものであろうか。これは、ブルジ ョア独裁と対比し、「似たもの」として想定出来ると思う。今の日本でただの勤労大衆 が立候補!・・・・出来るだろうか。組織の後ろ盾でもあれば別だが、供託金、主張を広げる場、色々なことで権力の座から遠ざけられ、結局お金のあるブルジョアジーの代 弁者が圧倒的に有利であり、共産党をはじめとする労働者の政党は、「聞き捨て」状態 にある。これをひっくり返し、フツーの勤労大衆でも意志のあるものは誰でも立候補で き、発言権を保証し、多数者(勤労大衆)による少数者(ブルジョアジー)の抑圧、と いう、多数決の原理という民主主義の原理を貫徹することがプロレタリアートの独裁で ある。そして、階級対立の死滅に従い、プロレタリアートの独裁も死滅することは、国 家と革命にあるとおりである。 小西さんのおっしゃる疑問は、おそらくこの二つを意図的に混同してきたマルクス= レーニン主義への疑問なのではないか、と思う。ソヴェトや中国は、前者の独裁をずっ と継続して、原則にまでして来たのだから・・・。 |
561 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日:
02/08/10 00:29 4.では、現在先進国の変革(革命)論は? 現在の日本は、マルクスやレーニンの時代とは条件が著しく異なっている。変革の理論 と実践も異なっていてもおかしくない。腐敗と行き詰まりを見せる日本ではあるが、だが かつてのロシアや中国と比すると、事態はそんなに煮詰まっていず、革命という方法を他 の手段を差し置いて積極的に追求する必要はまだないと思う(備えることはよいことだが)。 正直に言えば、改良に主眼を置くべきである。革命的条件がありながら、それを殺して反 革命に血路を拓くことが改良主義の罪だが、それは「改良オンリー、革命ダメ」という教 条によって引き起こされる。今は(まだ?)そういう時代ではない。逆に「改良=改良主 義」という教条こそ、危険で有害だと思う。 革命か、改良か、という問題は、その社会がどういう社会であるかに規定される。我々 は、ガンジーによるインドの独立を知っている。これは、宗主国イギリスが道義的に追い つめられた所以による。かつて共産主義者は「ガンジを葬り去れ」と嘲笑していた。それ は、道義などの力を信じていなかったからである。だが、今のブルジョア国家で、道義を 無視しえる国家はどの程度あるか? アジェンデ政権崩壊に関連して、下手人どもは今、 追及されている。米帝はサンディニスタを退場させるため、選挙という手段を余儀なくさ れた。これらは、革命によらない変革の可能性が広がっていることを示しているのではな いか。(勿論、革命という選択肢を排除する意図で書いたわけではない。) プロ独については、3.に見たとおり、民主主義の徹底を要求することで、その道は開 けるであろう。 |
562 名前: hdk@忍法マジレス返しの術 ◆T6CE/fXE
投稿日: 02/08/10 02:02 >548 マジレスだったんですか。申し訳ない。では漏れも忍法マジレス返しの術。 小西さんによる「プロ独」への見解 表明もまだみたいですし、 煽った手前もあり 私の愚考を晒しておきますですYO。 私見では、プロ独は無理です。(代議制の成熟に伴う 実質のプロ独、 ・・・プロレタリアートによる支配が ベストの選択と思います) ∵ 正義 =「止揚された達観」で在り、議論こそ正統性を 証明する唯一の方法だからです。暴力でしか正当性を示せない主張は 概ね間違いであり、間違いだからこそ議論で負け、暴力をとらざるを得ない。 それこそ 暴力で以って否定(鎮圧)されるべき 誤り でしょう。 |
563 名前: hdk@勉強不足で用語が変かも>漏れ ◆T6CE/fXE
投稿日: 02/08/10 02:04 546>労働者と同等の賃金をさしあたり受け取るに すぎない「代弁」者によって階級の意志はひとつ のものとなることができる。 収入は ブルジョアの条件ではないです。階級です。ブルジョアとは てる者の論理/持たぬ者の軽視。悲しいほど既存の社会主(以下略 代弁不可能です。(異存の提出者と議論し、お互いの見識を止揚し、 方の納得を模索する真性の共産主義者同志なら話は違います。 かし) 以下の如き 似非共産主義者には無理です。彼らは 1)自己(主観)と階級を無根拠に同一視している。 2)暴力の行使に寛容=暴力で正統性を主張できると信じている。 3)異存保持者を排除し、自説を「ひとつの意志」にしつらえる。 →そんなものは 階級の 主張ではない。 →そんなものが 万一革命を成功し、プロ独を謳っても、実質は 生産設備を略奪し所有する新ブルジョアに過ぎない。前より凶暴で悪質だ。 んなわけで>>549禿同。 |
564 名前: hdk@小難しい用語を使いたい年頃(ワラ ◆T6CE/fXE
投稿日: 02/08/10 02:05 自己と階級の無根拠な同一視を棄て、下級機関、支持者、世論、他セクト、敵対勢力、 れらからの批判に 謙虚に耳を傾け、止揚し、正論を主張する事により信を問う姿勢こそ 人民の信頼を培い、強力な連帯を生むのではないですか?・・・自己批判も出来ぬ者に 指導者たる資格はありませんよ。私も社会主義化を切望しますが、共産主義者の質・信用を 考えるに、今はまだ時期尚早だと思っています。 546>「代弁」は「有能な」者のみの特権的職能ではない。むしろそれは労働者でありさえす れば誰でもかまわないといった種類の、まさに評議会の決定を中央に伝達し議決に票を投ずることのできる者ならばその資格を得ることのできるものであるにすぎない。 しかし 現実の党派は 「思索せる労働者である事」 を 唯一の条件とせず、 恣意的基準を 濫用し、追放・党籍剥奪を 乱発しているではないか。 左様な内容で 階級を名乗るなど おこがましい。 異存提出者と議論した結果、彼を共産主義に引き込めない共産主義など 共産主義ではない。それが出来なければ弁証法の不徹底だ と思います。 放逐者の数は、党の未熟さのメルクマールだ と思います。 |
565 名前: hdk@連続投稿スマン ◆T6CE/fXE 投稿日:
02/08/10 02:05 546>それへの「依存」や「不理解」などということは機能的に起こり得ない。 数学的センスを育てない多くの愚民は、公式を享受し、道理や過程に留意せず、結果のみを用いるし、結果のみを求めます。左様に、 あらゆる人間には堕落の罠が待ち構えいます。 共産主義者も人間であり、彼らを過大評価し 彼らに依存する事こそ、 この上なく危険な誤りです。現に共産党は 輝かしい功績の陰で、 (階級の利益を無視し)党利党略に固執しているではありませんか。 てゆーか、「依存」や「不理解」など ありふれています。共産党を含む 多くのセクトってば 中央に依存した 教条主義者 じゃネーノ?(トカイウ |
566 名前: hdk@あとふたつ ◆T6CE/fXE 投稿日:
02/08/10 02:06 546>すなわちプロレタリアート以外の者に担われることはありえない。 ただしその独裁は自らの止揚を機能的に獲得した特殊な独裁、すなわち無階級社会を目 指し実現するための独裁、独裁をやめるための独裁としてのみ存在できるにすぎない。 故に、プロレタリアート独裁の実現は唯一現実的な革命の手段であるといえる。 必要性はわかりますが、正統性の証明に難があり、支持しかねます。 合法・議会闘争という共産党の「方針」は 正しいと思います。 大阪民青・キンピー氏関連を踏まえ、共産党の[実質]は言及できませんが(ワラ >550 浅慮です。殴られるよりも痛い仕打ちというものがある。 殴り返す事が 相手の 思惑通りということも在るんです。むしろ、 機動隊員に殴り返す事こそ、労働者階級同志の消耗だと気付くべきです。機動隊員を説得する事が出来ないなら 貴方の正義も所詮その程度という事です。 その程度の正義では、暴力の正当化には とても 至りません。 |
568 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/10
03:07 >>556 >民主主義が極限された形でしか存在せず、 「勤労大衆の代表」は物理的に排除され、殺された。 かの時代にあっては、 社会を根本から変革する革命は、畢竟暴力的な解決にならざるを得ない。 あなたは「マルクスの時代」などと限定してしぶしぶと暴力革命の「畢竟」を承認する。 しかし、現代が「マルクスの時代」と比して、どれほどの「民主主義」が実現されているというのか。 およそこの世で「民主」などと名のつくものほど胡散臭いものはない。戦後教育なかでわれわれは、 「人間は生まれながらに平等だ」などという嘘っぱちを教え込まれてきた。 貧乏人も金持ちも一票の投票権をもつという意味での平等なるものがいかにインチキそのものであるか は、社会に出てみさえすればだれにでもたちまちわかることだ。 ひとたび戦争になれば「民主主義」のお題目などは消し飛んで労働者とその子息たちは虫けらのように殺される。 徴兵され、前線に立たされるのは常にプロレタリアートであったし、これからもそうであろう。 沖縄人民への、三里塚農民への国家の仕打ちに「民主主義」などがあっただろうか。断じてない。 いまや小泉の戦争国家化政策によってすべての人民が同じ目にさらされようとしているのだ。 いわばそこで語られる「民主主義」なるものはマルクスの時代よりもっと酷く、徹底的に人民を収奪し、 その命をすらもっと無残に、かつてを上回る規模で差し出すことを強制するための手段でしかない。 現代を「マルクスの時代」と比して民主主義という制度において何か進んだ地平にあるがごとき幻想は、 敵のめざすところに完全に包摂されていまっている意見だと言わざるをえない。 |
569 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/10
03:08 >>557 >要は、お互いに信頼関係もなく、相互浸透もない状態に分裂した社会の変革はいわゆ る暴力革命が必然的である 度し難いほど腐敗し、硬直し、生命力を失った旧体制 行き場のないこの大不況は早晩金融恐慌へと発展するだろう。あらゆる中間的階級は没落し、 プロレタリアートとブルジョアジーの「相互浸透」は急速に薄まってゆく。 軍事において他帝国主義に決定的に立ち遅れた日本の帝国主義者どもは、勝算すらない絶望的な戦争に突き進んでいかざるをえない。 責任転嫁を繰り返しながら支配階級はさらに「腐敗し、硬直し、生命力を失っ」てゆくだろう。まさ現代こそがあなたのいうところの暴力革命を「惹起」させる好機そのものではないか。 |
570 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/10
03:09 >>558 >見た目の平和さは、圧倒的な《Gewalt》の行使力によって保証されるのである。 全くもって正しい。「平和革命」なる語はスターリン主義者のデッチあげたペテンにすぎない。 >>559 >>560 >プロレタリアート独裁について これは、革命期と平時に分けて論じる必要がある 。革命期には 広範な大衆が通常の方法で意志決定を行なう民主主義など、そんな余裕はない。 分けて論じるべきではない。なぜならあなたの措定する「革命期」なる期間が プロレタリア革命全体を時間的に含むならば、そもそも「平時」の独裁などというものは ありえないからである。 革命は階級を消滅させ、賃労働を止揚し、国境を解消する。これが全世界において 実現してのみ革命は果たされたといえる。それにいたる過程はすべてが革命の期間であって、 その内実はプロ独政権が敵階級ブルジョアジーを暴力的に専制し、収奪すること、 及び、それに反抗して不断に襲い掛かる反革命を殲滅すること、これ以上でも以下でもない。 反革命の掃討には武装力が不可欠であり、 労働者階級の利益にのみ立脚した独裁政権のみがそれを持つことができる。 しかしその武装は一部の暴力装置によってのみ代表される武装なのではなく、あくまで全人民 の武装という革命の基礎に立脚するところの武装でなくてはならない。 したがってプロレタリアートの独裁は、「大衆が通常の方法で意志決定を行なう民主主義など、 そんな余裕はない」どころか歴史上もっとも進化し徹底した民主主義によって保証される独裁といえるのだ。 スターリン主義の犯罪性はこの階級の独裁を党の独裁に置き換え、人民を武装解除して官僚の意のままと しようとした点にある。人民の武装に立脚しない独裁などはあらゆる意味でプロレタリアートの独裁とは 無縁のものだ。 |
571 名前: hdk ◆T6CE/fXE 投稿日:
02/08/10 08:19 >568 現代も「理想」や「無謬」から、ほど遠い。 現代の 民主主義の反故は、建前と現実のギャップを示している。 それなのに、なぜ プロ独は大丈夫だと 考えるのですか? むしろ、酷くなることは 歴史が明かしているじゃありませんか。 スターリンの粛清、クメールルージュによる虐殺。 それらの二の舞にならないと考える根拠は ありますか? |
572 名前: いずみ 投稿日: 02/08/10
09:01 ご指名ですかい^^;;>TAMO2さん 手短に。 ロシア革命当時、プロレタリア革命が暴力によってのみが有効であったことにははじめから同意してますです。 また、現代においても、「既存権力システムを暴力的に破壊すること」が、その実際の戦闘戦術スタイルにかかわらず「革命」といえるだけの要件だとも思います。 んで、じゃーいずみがなんて「プロレタリア革命が当面のもっとも重要なテーマだ」「暴力革命が必要だ」というのの両方に反対するのか、なのですが。 これらは今の日本の状況においてだけ考えていることで、他国、まして後発国なんかがどうあるべきかは勉強不足で正直わかりません。 今の日本では、「市民としての成熟性」を大衆的に獲得する作業を現実の異議申し立て(対案なし大いにけっこう!)の中で打ち鍛えていくべきだ、と考えているです。 階級間の問題が大きな問題であることは前提とした上で、今のままプロ独を掲げたりするのは新たな一部者の独裁を生むだけの気がします。なんか2段階革命論だな。^^;; また、もはや日本の今の状況では、「自国民」から死者が大量に出るような事態には社会システムが耐えられないのではないか、と思うです。 この面では、戦争準備を進める今のシステムは根本的に矛盾と危機をもっているといえるわけですが、逆にそのような状況では「暴力革命で権力奪取」というのはむしろリアルじゃないと思うわけです。 なお、「非暴力実力抵抗」は必要不可欠ですし、システム全体ではなく一部が直接的暴力を集団行使してくる(単パネ的に)危険性は常にあるので、民衆の側を完全非暴力路線的に武装不要とすることはできないでしょう。なんか敵の出方論だな。^^;; |
573 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/10
10:47 プロレタリアートの武装においてその核となるのは、何より弾圧に潰されることのない組織づくりだ。 戦争反対という主張は本質的にすべての人民の利益にかなったものであるがゆえに、 国家は戦争政策の推進においてそうした人民の声を圧殺することなしに、人民に死を強制することはできない。 戦争とは人民にとっては苦しみ以外のなにものでもない。逆にブルジョアジーにとってもそれは避けたくとも 避けることのできない事態であり、支配の危機をうみだす危険な賭けであるということだ。 であるがゆえに人民はそれを革命の好機とすることができるのだ。それを好機とできるかどうかは何にかかっているのか? それはひとえに国家の暴力を総動員しての弾圧に戦争反対の声を潰えさせることのない 人民の側の体制づくりにかかっているのだ。 それこそが人民の武装というものの核心だ。 「非暴力実力抵抗」を行動原理とする者もいるだろう。それはそれで結構なことだ。 しかし、国家はすでに空前の暴力を独占している。人民に死を強制する以上その抵抗を鎮圧するために その暴力が用いられるこであろうことは非暴力の君も理解できるだろう。 戦争が近づくにつれて戦前のような人民統制法案が次々と上程され、民主主義の名の元に人民を合法的 に殺すための準備がすすめられてゆく。 まさに今がそのときなのだ。確かに、今このときが革命前夜だなどというつもりはない。 しかい、すくなくとももはや現代が「平時」でないことは小泉のやろうとしていることを 見ていれば容易に理解できるのではないだろうか。 プロレタリートは圧倒的多数者であり、ブルジョアジーの利益のためにすすんで死のうなどという人は一人も いないのであるから、要はいかにペテンを暴くかが肝要だということだ。 「御国のため」とか「祖国を防衛」するとかのお題目がじつは「ブルジョアジーのため」 「ブルジョアジーの利益の防衛」のために死ねということしか意味していないということを徹底的に暴露しなくてはならない。 それはまさに人民の武装とは不可分の行動であるということを御理解いただきたいのだ。 |
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576 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/10
11:11 >>573 だからその「人民の武装」とやらがどういう実態であるのか、現在の一部新左翼党派の「武装」の内実に即して説明してみやがれ、つってんだよ。 戦争反対の声を暴力で潰された例としては、国家の暴力によるものよりも「人民の武装」とやらで潰された例の方が多いんじゃないかというような現状を、どう考えるんだよ? |
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579 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/10 21:45 >>569 >軍事において他帝国主義に決定的に立ち遅れた日本の帝国主義者どもは、勝算すらない絶望的な戦争に突き進んでいかざるをえない。 現代の世界は、日本を含め覇権国アメリカの圧倒的なヘゲモニーのもとにあり、日本帝国主義など残骸しか残ってないのでは? >>572 >また、もはや日本の今の状況では、「自国民」から死者が大量に出るような事態には社会システムが耐えられないのではないか、と思うです。 「死者が大量に出る」というのが何人ぐらいを想定しているのかわかりませんが、 自殺者が毎年3万人出ても「社会システム」にとっては痛くも痒くもない。 **被害者が弱者に集中している限り**、毎年数万人の自国民の死者が出ても 「社会システム」は無関心でいられるという実証ですね。 実はいずみさんもその醜悪な社会システムの内側にいる・・・ というのは言い過ぎかな? |
581 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/12 15:19 >暴力一般を革命の範疇において位置づけるのなら、それはヘーゲル的意味ではなくして、まさに疎外労働の分析を経てのちのマルクスによるところの弁証法によって、すなわち対自と即自を綜合によってのりこえた本質と現象の一体的認識によってのみ可能となるとい うことを付言しなくてはならない。 雑派の盲動にはそのような視点をきたいするべくもないが、「国家 と革命」を読み下して暴力のイロハを理解したかと錯角して自滅す るのもまた自由であるからして。 |
582 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/12
15:25 >580-581 引用元が何処かは知らないが、 その結論を元に 革マル派が どう変り、 いかなる行動を採るのか、 注目させていただきマしょ☆ 似非では無い 真の 共産主義者であれば こそ、 行動で示してくれるだろう、と。 |
587 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/12 17:49 門外漢の*党員(皆さんから「スタ*」と呼ばれて**年)ですけども。 プロ独論、革命論のこの間のスレ読んでいて、小西さんの整理は、分か り易いと思ったなぁ。 >>568さんの見解は、「国家の本質論と統治形態との区別」が無いんじゃないだろうか。本質論レヴェルでの、ブルジョア国家への原理的 な批判とそこから導かれる対抗戦略なんじゃないのだろうか。 ブルジョア国家による統治形態は、一定の民主主義を取り込まね ば支配を維持できない形態になっていると思うのよ。だから例え ば戦争法ができたら戦前と単純に同じになるというのは違うだろ うとも思うのね。今のアメリカの統治形態がそう。 統治形態=社会統合の仕組み、つまり支配層への国民の同意の調達(と セットの排除の仕組み)が、いかなる態様なのかを見ないと、と 思うのです。プロ独論、革命論の一環としても。 |
607 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/12
20:34 「政治的なもの」の多義性 「パラダイム」(クーン『科学革命の構造』)という概念 「科学者コミュニティーの成員によって共有されている信念、価値、技法などの全集合」 「通常科学の教授に際して、模範として使われるパズル解き」 要するに「一定期間、専門家に対して、問い方や答え方のモデルを提供することになる広く承認された業績」 パラダイム転換としての「政治」の観念(パラダイム転換には世界像の転換が伴う) |
われわれは「自分の知らないもの」をリストアップできない。「自分が知らない」と「知っているこ と」はすでに知っているということである。ここでソクラテス的な「無知の知」、自分が知らないと いうことを自覚することが必要となるが近代科学はこれを許さない。->ソクラテスの「無知の知」はパラドックスを内包している。しかしこのパラドックスを回避した 近代科学は一種の「宗教」になる。 ->「全知全能」の神になりかわろうとする近代科学の決定論の神話 ・「自由とは必然性の洞察である」(エンゲルス)という名(迷)言 *誰が「すべてを知る」ことなどできよう。非決定論(必ずしもすべての出来事がそのあらゆる極微 の細部に渡って絶対的正確さをもってあらかじめ決められているわけではないという教説)的な、あ てにならない「知」を前提にせざるをえない。この前提から何ができるか。ソクラテスの知徳合一性(「正義とは何かの知を持つ者」=「有徳者」?) |
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644 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/13
01:57 >今日の日本左翼の思想的・運動的危機をもたら したその根源は、ソ連・東欧などのスターリン主義的変質とその 崩壊を乗り越えられていないことーその理論的要因がプロ独論、 暴力革命論、前衛党組織論などにあることです(内ゲバもこのひとつ)。 過渡期におけるプロレタリアートの独裁は、一重にブルジョアジーによる反革命の粉砕という 極めて現実的課題にあたるために、革命の防衛のためにはどうしても不可欠なものだ。 プロレタリア革命とは、ブルジョア社会において生産主体でありながら無所有の状態におかれている 労働者階級が、その無所有ゆえに立つことのできる革命性に立脚して、つまり、社会的に生産される 富を、その生産者として平等に分配されることを要求して行う事業である。 したがって、その事業からはあらゆる所有階級は排除されなくてはならない。無所有の者が私的所有を 経由せずに、制度としての社会有を経由することによって所有をその概念もろとも止揚してやろうと いうのがその目論みだ。 プロレタリアート独裁という語にはこれ以外の意味はない。ゆえに、プロレタリアの独裁に反対する ということは、支配階級に自らを高めることに成功したプロレタリアートにたいして「独裁はよくない。 他の階級の者も政権に参加させよ」と要求することと同義である。 |
645 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/13
01:58 ブルジョア独裁の核心をなすものは、その統治形態はどうあれ、ブルジョアジーによって独占された 巨大な暴力装置であることにかわりはない。ブルジョアジーは圧倒的少数者であるがゆえに、その 搾取構造をプロレタリアートに悟られまいと様々工夫を凝らす。それが功を奏しているうちはその 支配は安定しているといえる。しかし、ブルジョアジー自身が困窮してそのような余裕を失うことと なれば、もうこれはなり振りかまわず「もっと働け」とむちを打ち、「いうことを聞かない者は監獄 へぶち込め」ということになる。 それだけならまだしも、さらに「武器を持って敵を殺してこい」もしくは文字どおり「御国のために死ね」 ということになる。 これにはいかに寛容な者ともいえども「なんとかせねば」と思うことだろう。 しかしながら、だいたいにおいて時すでに遅し。つねに人民は煮え湯を飲まされてきた。 これは何故か?人民に学習能力がないからか?支配階級の教育がそれ程巧妙だからか? 断じて否。戦争に反対する声を糾合し、社会的な力とする術をあたえられていなかったからだ。 国家の暴力装置をもってする直接的弾圧に対抗する手段を持ち得ていなかったからだ。 国家の暴力に対抗する人民の武装に目覚めることがなかったからだ。 戦争とは国家の存亡をかけた行為だ。当然にもそれに反対するものは容赦なく暴力的に圧殺される。 戦争をこととする帝国主義を、資本主義を打倒するにはその暴力装置との対決は避けて通ることはできない。 敵の弾圧をかわすことのできる非公然非合法の体制づくり、それをもとにした革命的暴露・宣伝(戦争が人民のためのものでなくブルジョアジーの利益のためのものであるということの)、警察及び民間反革命 とのせん滅戦を闘いぬける軍事組織の建設、それらすべてが一丁一夕になるものではない。 ながいあいだの敵との切り合いのなかでこそはじめて習熟し獲得することができるものなのだ。 ゆえに人民が武装につとめることに「まだ早い」だの「敵の出方を見てやれ」などという説教をたれることは 「すすんで帝国主義戦争の犠牲になれ」ということと同義である。 以上から、この小西という男、がもはや人民に死を要求する帝国主義の側に身を落とした輩であることは 明白である。 |
648 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/13 05:07 >>585 >自殺が3万は社会もある程度織り込み済みのことでしょ。でも自殺と殺されるじゃ意味違うでしょ。おバカねー。 自殺をやりたくてやる奴はごくわずか。大部分の自殺者にとって、不本意な死を強制されるという意味では、自殺も殺されるのも変わらない。 では自殺と殺されるので何が違うのか。 自殺するのは病気や借金に苦しむ弱者である。しかし殺されるのは弱者とは限らない。 自殺と殺されることの違いは、「自分は自殺とは無関係だが、殺されるかもしれない」という585氏個人にとっての違いに過ぎない。 自分が自殺と無関係だと思っているからこそ、585氏は毎年3万人の自殺を「織り込み済み」と無慈悲に書くことができるのである。 「織り込み済み」? とんでもない! 自殺者にとって自分の自殺が「織り込み済み」であるはずがない! 要するに585氏は、毎年3万人に死を強制する暴力的で醜悪な「社会システム」の中の安全地帯から発言しているのである。 以上 |
661 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/14
10:47 >>577 >僕の問題意識は、今日の日本左翼の思想的・運動的危機をもたら したその根源は、ソ連・東欧などのスターリン主義的変質とその 崩壊を乗り越えられていないことーその理論的要因がプロ独論、 暴力革命論、前衛党組織論などにあることです(内ゲバもこのひとつ)。 要するに、小西は、「スターリン主義は、プロ独論、暴力革命論、前衛党組織論などの マルクス・レーニン主義の思想的要素が必然的に結果させたものであるから、 そのようなものは再検討して捨去れ」と要求しているのである。 しかしながらそれらは、言うまでもなくマルクス・レーニンの革命的思想の核心をなす ものであるがゆえに、その要求は事実上、マルクス・レーニン主義自体の否定へとつな がってゆくであろうことはこの後の小西の言動が証明するであろう。 |
663 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/14
11:22 >662 否! あくまで否! 内ゲバ党派という 乱雑な括りは棄て、 誤りを 総括し 未来の再発を防ぎ、 広範な 左翼の 統一戦線の樹立なくして、 米帝の横暴と戦う事は難しい! あなたの、左様な偏見こそ、左翼内に 工作員を投入し煽動し 内ゲバを誘発させた 権力の 思う壺だということを、ここに指摘しておく! 以上。 |
667 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/14
13:57 >>578 >レーニンは、一方ではプロ独を国家の本質論として展開していま すが、他方ではプロ独を「過渡期国家の現実形態」として論じています。 僕の問題意識は、ブル国家・プロ国家ーいずれも国家の本質論と 現実形態・統治形態を区別して論ずべきではないか、というもの。 革命が実現しようとするものを認識論の範囲において表現すれば、「経哲草稿」の言葉を借りると、 それはまず、主客の統一であり、ついで、現象と本質の認識における一致ということになる。 ブルジョア独裁を論ずるに種々その統治形態が問題となるのは、ブルジョア的統治というものが、 いかなる形態においてであれ生産活動の無政府性、自然発生性を基礎とするものであるがゆえに、 その政治的動機ではなくして、経済的可能根拠が示されるのでなければ、それが独裁の「現実形態」 であることを論証することが不可能だからである。 これに対してプロレタリア独裁は、その主体たるプロレタリアートの目的意識性に根ざしたものである がゆえに、その統治にブルジョア独裁のような自然発生的ブレが生じることはない。 それは史上はじめての、人間の理性による社会の制御として実現する統治なのであり、人間が人間を 統治すること、もしくは政治などという飯のタネにならぬもの自体を止揚するための統治なのだ。 であればこそ、それは人類史を前史と後史にわける偉大な事業であるといえるのだ。 政策として様々なシステムが採用されることはあったとしても、それはブルジョア独裁における統治 形態の変遷とはまったく異なる質、内容をもつものであり、両者の並べて論じようとすること自体が 愚の骨頂というものである。 あまつさえ、「レーニンの国家と革命などの著書では、この本質論と統治形態を混同しているのではないか?」 などとは小西らしい自大主義というほかないお笑いぐさではないか。 |
673 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/14
15:20 ついでにちゃんと反論しておいてやろう。 内ゲバという現象によって、大衆のこころは左翼運動から離れた。 それは、理性による支配を目指していた筈の左翼運動が、殺し合いに突入するという、全く非理性的な行為に出た、そしてその矛盾を解決することが左翼運動自身にできなかった。 その結果、大衆は左翼運動を見捨てた。 これが「内ゲバによる左翼運動の衰退」である。 「内ゲバ党派」と呼ばれる党派は、主要には革マル派・中核派・革労協の3潮流を指すが、 この3党派が理性的であったか? それぞれの党派が、内ゲバを闘うために蓄えた軍事力を、学園や組合、大衆運動を支配するために、互いのそもそもの敵であった所の相手以外にも行使するようになった。 これが「理性による支配」か? 階級内部の矛盾を暗殺や恫喝によってしか解決できない連中が、どのようにして 「理性による社会の制御」などをおこなうというのか? |
674 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/14
15:43 >内ゲバという現象によって、大衆のこころは左翼運動から離れた。 今その辺の大学生に聞いたら「内ゲバ」なんて言葉すらしらないでしょ。 それだけとっても内ゲバだけが今運動がもりあがらない原因みたいにいうのは おかしいってこと気づかんか? そーいや、実際には内部の強姦事件で組織潰したくせに、全部他党派の内ゲバにせい にしちゃう第四インターっていう泡沫党派が昔あったなー(W >殺し合いに突入するという、全く非理性的な行為 殺し合い=非理性的とはかぎらないでしょ あらゆる民族解放戦争は殺し合いだし、革命に死人はつきものじゃないの。 極端な話、理性的殺人ってものもあるわけよ。 それが認められないっていうならあんたパレスチナ人に黙って殺されてろというのかね? |
675 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/14
15:56 その辺の大学生が「内ゲバ」という言葉すら知らないのは、左翼運動というものそのものが、誰もその内実について知らないというところまで衰退した、という結果に過ぎない。 世間に忘却される事が免罪になるのかね? で、あんた、 4トロに黙って足切断されてろというのかね? 西田戦旗に黙って革マルに狩られてろというのかね? 山谷の労働者会館は黙って新組合に明け渡さなければならないし、 革労協両派はまさに相互に絶滅するまでやらせておくようかね? 大体、パレスチナの解放闘争で行われている殺人、これは「あらゆる殺人」を肯定するものだとでもいうのかね? 誰が誰を殺しているのか、そういった因果関係を全く切り捨てて「殺人万歳!」と叫んでいるのが674ではないか(藁 |
679 名前: 門外漢 投稿日: 02/08/14 17:31 楽しい話し合いを邪魔して悪いが俺も一言。 読んでいると「理性」って言葉に特別の意味を込めていないか? gooの国語辞典で確認したがどうもすっきりしない。 (^^;; >>667 >これに対してプロレタリア独裁は、その主体たるプロレタリアートの目的意識性に根ざしたものである がゆえに、その統治にブルジョア独裁のような自然発生的ブレが生じることはない。 社会の富の増大によってブルジョア独裁が自然発生的に生まれた。もちろん今後生 まれるプロレタリアの独裁もまた自然発生的に生まれる、言葉を変えれば必然的に。 だから「ブレ」はプロレタリア独裁を勝ち取った後でも当然ある。いくつもの問題 を解決できるだろうがそれ以上の問題が生まれることもあるだろう。 プロレタリア独裁が根ざすのはプロレタリアートの目的意識性ではなく社会主義革 命が可能になるほどの資本主義の発達だ。目的意識性なんてものに期待すべきじゃ ない。 一つの学説が未来の社会を全て規定できるとは考えられない。 マルクスレーニン主義の理論的純粋性を保つためのご都合主義にはうんざりする。 その「その主体たる」「目的意識性」を持ったプロレタリアートって何人いるの? そんな言葉に前衛による(一党)独裁を感じるのは誤りだろうか? フランス革命のときの人々の目的意識性と「あなたたちの」革命時の目的意識姓 の差異はそれほど大きいの? それに理屈じゃなくて悪いが 強い意志によって人為的に作られた社会がそれほど快適とは思えない。 |
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695 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/15
11:31 >>679 君みたいな自動論をいう奴も歴史上イパーイいたよ。 「資本主義も必然なんだから共産主義も必然。だから革命党なんて必要なし」って論理。 そういうのをレーニンは「自然発生性への拝跪」と呼んで、共産主義者の目的意識性を 対置して、批判した。ま、詳しくは『なになす』読んでね。 |
小西誠への質問状 2
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(私論.私見)