「小西誠への質問状」考

 (最新見直し2009.5.16日)

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小西誠への質問状
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 小西氏が著書「新左翼運動その再生への道」で「共産党を含む左翼統一戦線の実現」を呼びかけている。 但し、中核派との縁を切り関係を断絶するとしている。 全文が清水丈夫だけの批判となっています。これは、90年から清水丈夫氏以下の革共同政治局全員は直ちに自己批判して  辞任せよ、と要求しています。ということで、清水丈夫氏は、即刻自己批判して  辞任すべきと言うことです。 中核派―新左翼の 「解体的再生」です。この解体的再生というのは、幾つかの意味を込めていっています。 『中核派vs反戦自衛官』 ―中核派議長・清水丈夫の徹底批判はこれをどう評するべきか。

 小西氏は次のように述べている。「内ゲバ党派の暴力は 一個の権力であり、これを個人が行使されたら身を守るすべはない。だから絶対この行為は許され ない。しかしその組織の暴力に身を守るすべや方法がない一個人が「警察」に保護を求めたとして もいいことではないがやむを得ない。僕個人はこういう方法はとらない」。「反権力的一市民」の立場に身を置いて物事を考えるとしている。

 57ページで赤色テロを全否定している。カクマルに対して「自衛」のみを徹底して呼びかけるべきであったとしている。 そうすれば「それを遥かに超える民衆の支持」を受け、「その時に革マル派は、民衆の包囲によって革命運動場裡に何ら影響を与えられなくなり、機能しなくなったであろう」としている。

 
すでにカクマルという党派は、三里塚闘争への敵対、国鉄分割民営化への協力、学園での暴力支配等によって、とっくの昔に「民衆に包囲」され、「革命運動場裡に何ら影響を与えられない」党派へと転落し去っているのである。 カクマルが「大衆運動主義」の党派であれば、とっくに彼らは自然消滅してしまっているであろう。

 カクマルの学生組織が一挙に崩壊していったのは、実は73年から80年10・30に至るまでの赤色テロの嵐であったことは、まぎれもない事実である。 少なくとも、赤色テロが大きく減少していった81年以降は、カクマルの学生組織は「現状維持」だけはできていることは、はっきりした事実である。 別の言い方をすれば、70年代型の赤色テロの嵐が80年代、90年代と続いたならば、カクマルの組織的な没落は今とは比較にならないくらい激しく進行したことは確実だったはずだということだ。黒田主義者であろうがなかろうが革マルは全人民の敵であることは間違いない。 革マルを撃滅することこそが革命運動の爆発を克ち取るということをがっちりと 確認しなければならない。

 「おれは今は一市民だから階級的暴力はいやだ」というのでは、そもそもあなたに革命を語る資格などないはずではありませんか。 歴史のうえで日和見主義が反革命に転化してゆく過程をあなたが知らないなずはない。戦わない自己を自らのそれまでの思想的資質にすりあわせ、精神的整合を図ろうとするならばそうした主体は必ず最終的には反革命に転化していく。党に問題がないなどというつもりは毛頭ありません。 しかし、あなたのしていることはどう贔屓目にみても革命に利することとは思えない。 あなたは同盟員たちが指導部への怨嗟をつのらせ、党の改革をいかに渇望しているかを書き立てていますが、逆にいかに多くの同盟員があなたのそのような態度に心を傷めているかは知るよしもないでしょう。党の改革は同盟員の仕事であって、外部の者たるあなたの仕事ではありません。 まして白井のごとき純然たる反革命分派活動にくみしたことはあなたにとって致命的なことです。真摯な自己批判をなしにあなたがこれ以上放言をつづけることは、一度はあなたと握手をかわし、生死をともにしたわれわれにとって本当にたえることのできない身を切るような苦しみであるということを忘れないでいただきたい。

 いかに「一個人としての市民」であっても、そこには明確な反権力の目的意識を必要としていかなければならない。 真の革命家は「一個人としての市民」に対して、たえずそれを身につけるように説得していかなければならないし、「言葉による説得」が不可能の場合は「関係を切断する」という選択が必要とされねばならない。反権力の目的意識を身につけられない「一個人としての市民」は、どこにでも好きな所にいけばよいということだ。 だから、「共産趣味者」はどこにでも、好きな所にいけばよいのである。 しかし、革命家には反権力上の高いモラルが必要とされる。 あなたは「清水を排除した中核派は立派な統一戦線の対象です」と書く。 あなたの中核派批判の目的がここに示されているといえるだろう。 あなたは、中核派の分裂を望んでいたのだ。では、あなたはどのような「分派」を望んでいるのか? 権力への通報を平然と行なう「一個人としての市民」との共闘を、最も積極的に行なう腐敗し切った「分派」なのだ! あなたの「中核派批判」のなかには、いくつかの正当な部分はある。第四インターへのテロは言語道断の行為だったことは、まぎれもないことだ。 しかし、あなたが「反権力上の原則」を(宮崎学擁護派と同じように)平然と踏みにじる以上、私は中核派の全活動家、シンパに対して「小西誠のような男にはついていくな」と呼びかけていくしかない。 そういうことだ!

 「実践家」 「革命家」などという、傲慢さも捨ててください。そういう傲慢さが「唯一前衛 党論」や「前衛主義者」として忌み嫌われていることも明かです。 ちなみに、中核派の「一般活動家」は、この点ではもっと謙虚ですよ。貴方と違 って。

 中核派と共闘してきた一市民たちが、革マルからどのようなひどい ナーバスを受けてきたのか、それは他でもない小西さん、あなた自身が一番よく知っている筈だ。三里塚の反対同盟の人達は戸村委員長の 逝去に際して「戸村が死んでおめでとう、次はおまえだ」「あと三日の命だ。せいぜい楽しんでおくがいい」という脅迫電話をかけられるなど、今回の「趣味者」連中とは全然違って、明確な形でのテロの脅 迫をかけられているんですよ。そのなかの、いったい誰が「警察への 保護依頼」を宣言し、これを居直ったというんですか? そのような直接のテロのおどしをかけられた一市民たちは、他にも いっぱいいる。杉並革新連盟を支持していた一区民など自宅に重油ま でまかれているんですよ。 そして破防法裁判会議襲撃に際しては、カクマルはついにその武器 を中核派以外の人達にまで向けてきたんですよ。 こうしたナーバスやテロを受けた人達の、いったい誰が権力への保護依頼を公然と宣言し、これを居直ったというんですか?

 第四インターも含めて、政治組織が警察に泣きついたりしたとすれば、それは重大な問題でしょう。個人は困ったことがあれば警察に相談に行きます。なぜなら現国家体制が大衆的公認のもとに成立しており、その中で私たちは生活しているのですから、だから、それはやむを得ないことでしょう。 大衆は一般的には現体制を意識としても実生活としても受け入れて生活しています。しかし党派の場合は、意識的にはもちろん、実生活のうちでも必要最低限のものをのぞいて 極力反権力の立場から行動をしようとします。それは当然な事です。その上で 大衆が現体制を実生活のうえでどれだけ拒否できるかは、運動の発展と それにもとづく大衆の意識の変化によってきまってくるでしょう。そうした思考にたって、現在の段階ではどの程度「体制を拒否できるか」を分析するのが 党派人のやるべきことであって大衆に「体制拒否」を決意させることではないと思います。

 路線的に対立が起こる→暴力的衝突 という地平から、殺すことを目的とした殺人、という地平までは かなりの距離があると思う。 この三派の特殊な共通性は、「話し合いというものが成立しない」 という部分にあると思うのだが。最終的に軍隊だして言うこと聞かし ちゃったらいいわけだからね。で、そんな奴らには、間違えても権力握って欲しくない、と思うのだが。 ・・・・・内ゲバ三派以外にも、話し合いの成立しない相手はイパーイいるけどね(ワラ

 例えば、学生自治会、労組において、構成員の要求での一致に基づいて大衆的組織の行動を決めようとすると、「それはお願い運動だ」と言って、情勢論から戦術論 までの一致を求め、「革命的行動」を構成員に求めてくるのが中核派です。 どっちが引き回しなのです?
 182 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/03/07 20:56
 >>180
 
 革マル主義の認識論における方法論的基準における、上下向の論理の諸モメントを存 在論的にプロットするならば、下向的認識過程においては「現象論」「実体論」「本質論」であり、上向的綜合過程においては「普遍本質論」「特殊段階論」「個別現実論」がそれぞれのモメントをなす。従って「特殊実態論」などという一知半解なカテゴリーは元であれ、現であれ革マル主義の洗礼を受けたものであればけっして使用しない。それを鬼の首をとったかのように「元カクマルをハケーン!」などと一人悦にいっている輩は如何に己の敵に対して無知・無理解であるか、その自らの理論的低水準を恥ずかしげもなくこうした公の場において自己暴露しているのである。 革マルチックにやるならこのくらいしなっきゃ!
 203 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/03/08 20:31
 新左翼各派においては、既に過去の思想的な対立点は風化しつつある。 赫旗とMLの合流などがその好例だろう。この事実は彼らの口からも語られている。

 コム未来の破綻などは思想的路線対立と言うよりも、むしろ事務的な作業における方法論の問題と言って良い。 時間の経過と情勢の変化が、小異をぬぐい去り、再び左翼結集の大道を用意しつつあるのだ。この期にあって、共産、社民、新左翼の共闘、つまり過去為し得なかった、共産・旧社党の革新統一も、旧社党と新左翼各派との共闘も越えた 新たな地平を目指さずしてなんとしよう。試みに、アフガンへの米英の武力行使に反対した 市民運動の動きを見てみるとよい。各地で、無党派市民主導の活動が取り組まれる中で、共産も社民も新左翼各派も、共に黄色や白のリボンをつけて 共通する課題において手を結び合っていたではないか。私たちは、今まさに、過去為し得なかったグローバルな左翼共闘の展望を開きつつあるのだ。
 252 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/03/12 05:56
 対カクマル戦を闘いぬくなかで我々が組織を鍛え、対権力GP戦争を戦取するにいたった ことは紛れもない事実であり、この先内戦の核心が清水同志の一存で決められたなどという主張は極めて作為的なデマゴギーにほかならない。小西よ。貴様がそれを知らぬとはいわせない。我々は渾身の怒りをもって党の破壊を阻止する。そのためにはどんな犠牲をも払う覚悟であることを通告する。
 前進紙上で、小西誠氏を「反階級的転向分子」(第2043号)と規定した革共同に対し、かっての「反軍兵士・小西誠」はもちろん、現在の小西氏を知るものとして、怒りをもって反論する。細部にわたる詳細な反論は、本人(小西氏)に委ねるが、ともに苦闘しながら、反戦・反軍運動をたたかった反戦自衛官として、我々はここに共同アピールを発するものである。

 
そもそも小西氏を「転向分子」と規定した根拠に、90〜91年の「相互批判の闘争から逃亡し、反軍戦線指導の破産をみすえようとせず…。」 としているが、91年といえば、戦後初めて自衛隊が海外派兵を強行し、それに対し「掃海艇のペルシャ湾派兵反対」の声をあげ、私たち3兵士が 隊内から決起した年である。3兵士の一人藤尾は、このたたかいの中で、強制的に連れ戻された隊内で、上司に「お前は部落民だろう。だからこん なことをやるんだ」といわれ「部落差別は許さない」と宣言、病院にかつぎ込まれるまで8日間のハンストを決行したのだ。これは3兵士のそれぞ れの人生をかけ、時には生命さえも賭して、たたかいとられたものである(掃海艇裁判を放棄したことは明らかだ)。そこには当然、小西氏の反軍戦線の指導がある。それを「破産」と規定するならば、一人の人間として、さらに「制服を着た労働者」としてたたかいとられた、私たち3兵士の決起・たたかいを全否定したのと同じ事である。しかも、これを「ある種の軍事クーデター」(『前進』)とでもい うのであろうか。下級兵士、士・曹の決起・反乱は、人権も人間性さえも剥奪された軍隊の中からの、自己解放・人間解放の叫びである。それと比して、幹部・将校の反乱は、時の権力者と結び、民衆を軍事的に弾圧し権力を掌握する。ここまで書かなければならないのかと情けなくなってくるが、この幹部・将校の反乱を軍事クーデターといい、曹・士の決起・反乱がどんなに大規模になろうが、軍事クーデターとは言わないし、軍隊の構成や社会的構図から軍事クーデターには絶対ならないのである。 

 
小西氏の過去・現在のたたかいや著作、反軍戦線の指導はもちろん、私たちの30年間の反軍闘争において、反軍工作の対象はあくまで「制服を着た労働者」である曹・士である。さらに前進紙上では、91年以降数年間「大衆運動の妨害物として振る舞う」といってるが、小西氏は、この間、反戦共同委の代表として、「PKO派兵阻止」の最先頭にたち、小牧基地正門を「解放区」的に制圧した大衆的な実力闘争や北海道の千歳基地を包 囲した大衆的な反戦闘争を指導したことは、当時を知り、現場でたたかった者の周知の事実ではないか。その後は、「自衛隊の海外派兵を阻止す る」という目的をもった反戦共同委に、革共同の路線・運動を持ちこみ、革共同の代理機関と化し、人員的にも減少し、大衆運動とは名ばかりの現在の姿。その責任はもとより、結果的に「大衆運動の妨害物として振る舞った」のは革共同政治局ではなかろうか。このように見てみると、私たちは、この前進紙上の文章は革共同政治局が初めて30年間における自らの反戦・反軍運動の総括をしたと見ている。なんと、あわれで情けない総括であろうか。革共同自らたたかった反戦・反軍運動を否定し、現場で苦闘しながら、たたかい通した労働者・学生・民衆・兵士すべてにツバを吐きかけているのと同じである。西決起以来30年の反軍運動。その間革共同政治局は何をやってきたのか。すべて小西氏にまかせきりで、その運動を学ぼうともせず、反軍戦線を党の利益のみに利用してきた。そして今「新しい反軍戦線の形成が、一定の結実を始めている」と、確信をもって記しているが、現実の革共同の反軍戦線は、崩壊寸前ではないか。党による「上意下達」的統制・規正だけを押付け、民主的な運営や自主性を剥奪した自衛隊バリの党中央の指導の歪みによって、反軍戦線はバラバラである。
 

 なぜ小西氏の批判を真剣に受け止めようとしないのか。小西氏は、「反階級的」「権力側」に立って批判しているのではない。まして革共同に敵対し、誹謗・中傷しているわけでもないことは誰の目にも明らかである。 真に日本の左翼運動を見据え、「再生」の道を真剣に提示しているのである。戦争国家の道を一歩一歩あゆみだした日本。このまま行けばアメリ カと同様、左翼運動が壊滅させられ、国益のために他民族・国家を虐殺・侵略することによって、権力体制が民衆から支持され、維持される。そんな国家にさせないためには、日本の左翼運動の「再生」が急務である。最後に、前進紙上の「徹底的断罪を」の中で、小野田兄弟・三島の名があるが、肝腎の宮崎学がないのはどういうわけなのか。宮崎自身「公安と取引をしたが、その内容は墓場まで持っていく」とまで公言しているのだ。「非合法・非公然体制」と自称している革共同は、宮崎によってガラス張り状態にさせられたのだ。そんな宮崎を「免罪」したいのであろうか。小西氏の資料の暴露がなければ、ガラス張りのガラスさえ割られていたのだ。政治警察・公安調査庁の手のひらに乗せられていたのはどっちであろ うか。現実の革共同の組織体制は、外には「合法・公然」、内には「非公開・非公然」体制である。ここまでくれば悲劇を通り越して喜劇的であ る。こうしてみてみると、前進紙上の文章は主語が違うのではないか。「小西」という主語を「革共同政治局」もしくは「議長・清水丈夫」とすれば ピタリとくる文章である。私たちは、直ちに革共同政治局が先の論文(第2043号)を全面撤回し、真摯に反省することを要求する。 2002年3月14日 片岡顕二(反戦自衛官) 、佐藤備三(反戦自衛官)、藤尾靖之(反戦自衛官)
 318 名前: 偽前進 1 投稿日: 02/03/14 12:28
 全国の労働者人民・読者の皆さん。革命闘争―反軍闘争から逃亡して 久しい清水が、少し前から、恥ずべきことに反軍闘争の革命的発展の敵対者になり下がるばかりか、党と階級闘争を破壊する策動を行うに至っている。かつての清水を知る人びとは、現在の清水の腐敗と反動ぶりにまゆをひそめ、何たることかと憤慨し、また革共同の明確で峻厳な態度表明を求めている。われわれ革共同は、この清水問題についてこれまで態度表明を控えてきたが、ここに公然と清水との闘いを断固として推進することを明 らかにする。われわれは、21世紀革命の勝利へ断々固として党の死力を尽くして総決起することをあらためて決意する。その一環とし て、革共同は、清水との歴史的関係の決別に至った問題の核心を明ら かにし、清水を打倒し、清水をのりこえて、新たな革命的な反軍闘争を強靭に再建=創造すること、この闘いに着手していることをここに 宣言する。


 清水は、90年から91年の過程で、小西誠の熾烈な批判と相互批判の思 想闘争から逃亡し去り、それ以前からの自己の共産主義者としての根本的な問題性、その主体的内的危機を開き直り、自らの反軍戦線指導の破産をみすえようともせず、主体的総括を放棄して小西とともに闘 う立場から離れた。しかし、小西はなおも清水に対し革命的大衆闘争の爆発のために限定的ではあれ戦列を同じくするよう要求し、その時点では清水もかろうじてこたえた。しかしそれも数年たらずのことで、 その後は大衆運動の妨害物として振る舞うことしかできなくなった。非公然活動(非合法活動ではない)に専念したいという清水の選択に対し、われわれは、これを尊重し、過去において反スターリン主義・ 革命的共産主義運動の重要な位置にあった清水が社会的に悲惨な結末 を迎えないよう最大限の配慮をした。清水からの強い要請もあって、 あえてその後も多大な財政的処理の協力まで行ってきた。清水に対して 当時、われわれが党として特殊な措置をとったことは明らかであっ た。党内では、大衆運動をただただ内部から破壊する言動をなすだけ で自己批判もしない清水を党は徹底粉砕すべきだという正当な意見が強かったが、前記のような中央の考えを理解してくれるよう説得してきた。何よりも革共同として、二重対峙・対カクマル戦の内戦過程と重なる長年月にわたって清水と闘いをともにする中で、相互批判と自己批判の関係を正しくつくることができない結果となったことについて痛切にとらえ返し、このことをめぐっての自己批判的総括とそこからの創造的再建をやりとげなければならないと決意してきた。反軍戦 線を始めとする党の内部で清水問題についての組織的論議を真摯かつ非妥協的に推し進め、それをとおして清水問題をのりこえる反軍戦線の革命的再建をかちとることに精力をそそいできた。

 60年安保闘争の敗北後、清水は歴史的な自主的決起を行い、革共同においてと闘うとい う主体的な選択をした。革共同の思想と理論、戦略的総路線に賛成し、そこに自己の人生をかける決断をした。そのことは高く評価されるべきことであった(清水が今になって消去法の選択であったなどと自己史を偽造していることは自らを辱めることしか意味しない)。清水はいったんは共産主義者として自己を確立することをめざしたし、本人自身が相当の努力をしたことは事実である。だが、指導部の地位にあることを一切の基準にする立場を超えることができないという限界を固定化し続けた。清水は、共産主義的全体性の立場を獲得する努力を結局遂行できなかった。同時に、最も深刻な問題性は、自己の責任において組織的実践を行い、かつそこでの勝利も敗北も自己の指導責任として自己に引きつけて総括する立場を基本的にはぐらかし、たえずメンバーに責任を転嫁する悪しき官僚主義・権威主義の傾向を脱皮できなかったということであった。革共同は、清水に対して 、真の意味での共産主義者への飛躍を求め、あえて妥協や譲歩をもとおしてあらゆる格闘 を遂行したが、その限界の固定化を突破できなかった。清水のあまりの共産主義的信念の形骸性の克服していくことができなかった。この総括について、われわれは清水との思想 的格闘それ自体は長い過程の中でぎりぎりまでやったと考えている。中央自身が清水との対話、相互批判と自己批判において、試行錯誤を不可避とした面もあった。清水から学んできたこともけっして少なくない。そこで自己批判すべきことは、清水指導体制のもとで 清水をのりこえる力を正しい組織原則のもとで育成し、励ましていくことが十分にできなかったことである。清水指導の歪みによって、心ならずも戦線を離れざるを得なかった同志諸君を、中央が支え、擁護しきれなかったことは痛恨の極みである。清水の党内でののいわば治外法権的な官僚主義的な権限の行使を正していくことにおいて、踏み込めないできた部分が多かったことについて、苦闘してきたすべての同志諸君に対して心から自己批判する。

 端的に言って、清水の革命観は、たえず揺れ動いていたし、克服の契機もあった のだが、突き詰めればある種の「軍事クーデター」論にとらわれたものであり、労働者階 級の壮大な階級形成とその自己解放闘争として革命を展望する立場を受け入れないものであった。清水は、労働者階級への根本的な意味での確信についに到達することができず、 労働者階級の力不足を軍事組織の力でのりこえなければ、いや軍事組織が軍事力を行使するのでなければ、革命を実現することはできないという、労働者階級への不信を根っこに もったままの思考を護持し続けたのであった。それはまた、帝国主義論・帝国主義世界戦争論とそれに基づくレーニン主義的革命戦略の中に労働者階級をとらえ返し、軍事方針を 位置づけることが、清水においてすっぽりと抜け落ちていたことにほかならなかった。その傾向が85年前後から開き直り的に純化されていったのだ。清水の党批判は、党の革命的自己変革を求めるものではなかった。なぜなら、清水にとって、党とは外在的に存在する物理的機能にすぎず、自己の指導部としての地位、それに基く(しかも、自分勝手な)指導に服するかどうか、役に立っているかどうかという対象でしかなかったからである。清水自身は最高指導者ということを、自己が責任ある組織的人格=共産主義者になりきろうとしないことへの批判の防波堤にし、非公然にこもる小ブルヒロイズム、実践における空論主義の次元を超えられない自己の免罪符にしてきた。
 334 名前: 255 投稿日: 02/03/14 20:42
 われわれ革共同は、この清水問題についてこれまで態度表明を控え らかにする。>>318
 われわれは、21世紀革命の勝利へ断々固として党の 死力を尽くして総決起することをあらためて決意する。その一環とし て、革共同は、清水との歴史的関係の決別に至った問題の核心を明ら かにし、清水を打倒し、清水をのりこえて、新たな革命的な反軍闘争 を強靭に再建=創造すること、この闘いに着手していることをここに 宣言する。>>318  こんな事小西氏がいうかい? だから努力しろつってんだよ(笑)。


 毎日新聞からでてる
 http://www.mainichi.co.jp/life/family/syuppan/chronicle/1957_60.html
 に清水丈夫の写真がありました。 意外と線の細い感じのひとなんですね。 清水丈夫は樺美智子と同い年。この写真は22歳の頃と思われ。 ちなみに小西誠とはひとまわり違う。
 
 清水は、小西が書いた本の内容を「デマ・一知半解」とののしる。それでは中核派が宮崎のスパイ活動によって 情報を盗まれたというのはウソなのか? ウソではあるまい。すでに昨年8月の『前進』紙上で宮崎問題を事実 と認めているではないか。さらに小西は、宮崎がスパイである事実を本の出版よりも前に組織に通報し警告して いたと言っているではないか。それに対する無防備さが引き起こした事態に対する責任はどこにあるのか? 「小西=反革命」規定は、スパイ問題における組織中央の責任を小西になすりつける行為ではないか! 羽仁五郎が「言論が害を為すことはないというのはギリシア以来の格言です」と言っているぞ
 「ここであらためて指摘しておきたいことがある。昨年二月、先の公安庁文書集の発行時にも私たち は同様のことを行ったということだ。この本の中では、公安庁が中核派の関西地方委員会の数百人のメンバーを特定した名簿があったのであるが、私たちは、もちろんこの本の中からこの名簿を削除 し、さらにその名簿を人を介して中核派中央のもとに届け出たのである。中核派自体の、公安庁から の組織防衛に役立ててもらうためである。」(「中核派VS反戦自衛官」104ページ) 「清水丈夫氏よ、しっかり考えてみたまえ。宮崎学の摘発さえ、私たちの協力がなかったらあなた方 は全くできなかったではないか。私たちは、あなた方に「感謝」されることはあっても、「反革命」 などと罵倒されるいわれはない。これこそ、恩を仇で返すというものだ。」(同105ページ)
 809 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/05/18 00:21
 だからさぁ、黒田はそもそも 左翼過激派を権力がコントロールする為に 投入された走狗なんだよ。 という論理も成立するのでは?
 880 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/02 10:07
 北原さんが委員長になってから「軍事空港建設反対」のスローガン が表立って前面に出てきたでしょう。それを初めから唱えてたのは 中核派じゃないの。戸村委員長のころからもあったけれども、党派色の濃いスローガンを謳いだしたのは北原さんからだと思う。 そして、中核派が三里塚支援勢力に幅をきかしてきたのも北原さん 以降のことだよね。こうみると、中核派と北原さんは何かリンクして いると考えてもおかしくはないと思うのだが。 小西さんはそういう反対同盟の体質を察してしまったのではないだろうか。何も中核派の体質ということではなく、運動体としての限界性をという ことを。
 
 この半年、僕の所には、中核派の現役・元の人たち、そして「百万」 などの大衆戦線の人たちから中核派官僚に対する「怒り」や「悲痛 な叫び」が相当届いています。官僚は、彼らをどんどん切り捨てて います。例を挙げ公開しましょう。昨年15年の指名手配で 時効成立したかの有名な高田隆氏は、岩手爆取被告の祐子氏の夫妻共々 「不満分子」として追放されました。同じく指名手配ですでに出ていた 御崎直人氏も、追放されました。両方とも今年1月のことです。詳細は名前を出さずに僕の『中核派vs反戦自衛官』で書いています。 まー、現状はこれよりもっとひどいですよ。 3反戦自衛官の声明も参考にしてください。 http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/hansen.htm
 916 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/04 00:48
 >同じく指名手配ですでに出ていた御崎直人氏も、追放されました。
 彼はAMLの常連の一人で、書き込みの内容を見ていれば「もう中核派とは切れたな」ということはうすうすわかっていた。 だけど、彼は小西氏みたいに、中核派に対する「恨み節」なんか、いっさいやっていないよ。AMLで行われた小西氏に対する角田富夫氏の批判に、小西氏は反論ができないだろう。自分は中核派の現役・元の人たち、そして「百万」などの大衆戦線の人たちなど、「不満分子」から支持されていると小西氏はいきがっているようだけどね。
 917 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/04 01:05
 角田富夫氏の批判というのは、「中核派なんか相手しても意味ないんだからやめておけ」というものだったと思うが? 小西氏は、中核派というものにまだ多少なりともこだわりあるから批判に踏み切っているのではないのか? 俺もあんなくだらない組織は早く見切りつければいいのにとは思うが。
 基本的に、偶像的指導者というのは、悪だとは限らないと私は思うのです。 人間は誤まりも犯す 不完全な存在ではあります。しかし、不完全性は 悪ではない。 悪とは 指導者でありながら 偏見に固執したり、耳目を塞ぐ状態に 甘んじる事、 それが悪だと思うのです。異存・反論・批判を無視せず、味方や現状を過大評価せず 必要に応じて認識を修正し、時として自己批判を行い、 (棄却ではなく)揚棄を行う姿勢を「維持」するなら、不完全でも 善良であると思います。 また、左様な人的資源を消費しまくる止揚行為を率先して行うからこそ、 前衛は有効だし 必要な存在だと、期待するのです。何があったにせよ、清水指導部が 誤りを是正し、異存の提出者が納得するほどの 対処を採るならば、退陣を要求するには及ばないと思います。

 
私は 日章旗を国旗とする事に賛成です。この主張に通じますが、 トップの退陣や国旗の変更、こんなものは欺瞞です。詐欺です。噴飯物です。 例えば、退陣を前提とした横暴。そんなものは断じて許せない。 死ぬより苦しい贖罪の道もある筈です。 今、退陣を清水が受け入れるなら、それは逃亡です。 清水にそれが許されるべきではないと思います。 また、左様な苦難の道を歩む者こそ、指導者の名に値すると思います。 ちなみに 指導者が席を譲るときとはより相応しい・優れた指導者の 登場によってのみであるべきだと私は考えます。

 左翼の諸勢力が 厳密に弁証法的な態度を維持するなら、いずれは必然的に至極自然に諸左翼が癒合し 統一戦線が形成される筈であり、 それまでは社会主義へ向けた日本革命は時期尚早であると私は思います。 その統一戦線は、決して何かをスポイルしたものではなく 中核派を「も」含むはずだし、各セクトとも、名誉ある位置・部分を占めるべく 研鑚と努力を重ねていただきたいと願っております。

 政治革命を要するような危機の時代においては、独裁、それも場合によっては 個人独裁が必要であることは、革命というものを真剣に考えた人には言うまでも ないことですよね。それは、平時における階級の独裁(今の日本はブルジョア独裁だと思うし、それに対抗出来るものはプロレタリアート独裁だと思うし、それ を追求しなくては社会革命は不可能)とは異なるものです。

 主観的に「万年危機」を主張している党派はともかく、一趣味者として冷静に考えて、今はそういう政治革命の時代ではなく、そういう時代に向けて陣地を築 くべき時代だと思います。そういう状況で清水氏独裁は、かの党派が本当に革命党派たらんとすれば、割の合わない危険な方法であると思うのです。


 おっしゃられる独裁者からまず思い起こされるのは、やはりレーニンです。革命 期のレーニンは、大いに間違えましたが、非常に深いところからその過ちをすぐに分析し、すぐに修正できたと思います。(人間のもつ保守的・反動的な意識との妥協=NEPは遅すぎましたが)。但し、彼がなぜ英明な独裁者として振舞えたか と考えると、革命前の彼の作風にある、と小生は考えます。彼はロシア社会民主労 働党内部では、非常に原則的に「個人を党の上におかない」行為をし、反対者に意見を述べさせ、それを言語で痛烈に批判し、またそれでも決を採ったときにレーニ ンの主張が通らなかった場合は#非常に原則にかかわる場合を除いて(ボルとメニ の分裂のような)#、党議に従いました。

 清水さん、あなたは これまでに 中核派として死んだ 数多の命を 背負ってるんだ。 その対価は、あなたが作り、後世に残す、価値の筈だ。 その価値は、まだ、変わり得る。 かれらが 犬死と貶されるのか、 それとも貴重な礎として光り輝かせるのか、 それは 生き残った者の仕事のはずだ。過去の誤りは分析・批判を量ね再現を避け、克服することで建設的な意味を持たせる事が出来る。中核派の三文字が人民の心に刻まれるのかどうかは、 清水さん、あなたに懸かっているんだ。 小西誠 個人に烙印を押し 批判を怠り逃げるな 清水!

 
・・・清水さん、もちろん自覚されているとは思うが いずれあなたが去った後に、 中核派の名のもとに誰が何を為そうとも、 それは限定された意味しか持てない。 たとえ同じ行為であっても、あなたが行うかどうかで、 意 味 と 重 さ が 違 う ん で す、 大違いなんですよ、清水さん!!
 967 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/05 12:52
 清水丈夫批判が花盛りのようです。が、小西ならびに白井の両名は何故か肝心なことには触れようとはしていません。 それは、何故「清水独裁」なるものが形成されたのかということです。 いうまでもなく、革共同全国委員会という組織をつくったのは清水氏ではなく、故本多書記長です。清水・北小路・高木・陶山・藤原らといったブントからの移行組は全員、自己批判のうえで革共同全国委に移行してきたという過去をもっています。 第一次ブントにおいて清水氏は全学連書記長という高いポストにあったことは事実ですが、他の人達もそれぞれ第一次ブントのなかでは清水氏に負けないくらいの高い地位にありました。 しかも、清水氏が属した「プロ通派」は清水氏の「選書」のなかで彼自身が「第一次ブントの破産にもっとも無自覚な分派」と表現する分派だったわけです。白井氏あたりが清水氏を批判すればするほど、こういう疑問が生じます。「何故、故本多書記長の側近で、党最古参の白井氏ではなく、『第三次分裂において黒田に手を貸した』清水氏が中核派の独裁者になったのだろうか」と。
 970 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/05 13:38
 清水を独裁者だなどと言ってるのは、あくまで組織外の者であり、 しかも革命運動そのものになんらかの悪意抱いている者にほかならない。 自らの脱落を正当化するためにそのようなためにする戯言を弄する者は いつの時代にも現われては消える鍋の灰汁のような存在に過ぎないが、 それが些末ではあっても組織化する徴候を見せるのであれば、 革命党は全力をもってそれを粉砕するのでなければならない。 なぜならそれを放置すればそれは必ず反革命として純化していくからだ。
 971 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/05 13:42
 いや、革共同という組織は
@60年6.19に国会突入をなぜやらなかったか
A第3次分裂における地区党の選択は正しかったか(選挙か労働運動か) をめぐって、つねに激烈な内部論争をしているのです。 それが派閥抗争、人事に現れてくる 。
 979 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/05 16:53
 @「革共同の対カクマル戦は、左翼運動あるいは新左翼運動の内部の内ゲバである。 中核派、カクマルの双方とも思想・信条に基づく闘いであった。それぞれの党派の 未来、革命運動の未来をかけて闘った」
 A「中核派のカクマルに対するK=K連合規定、ファシスト規定は、根拠がない。 自らへの反対者をファシスト呼ばわりしているだけだ」「カクマルの『権力の謀略 論』も、中核派のK=K連合規定と同様の『権力との癒着』論をとっているもので ある」
 B「本物のマルクス主義者・レーニン主義者は赤色テロルの採用という方針を絶対にとってはならない」
 C「内ゲバをもたらした理論の根拠は唯一前衛党論、民主集中制論にある。内ゲバは スターリニズムと同様の反対派へのテロルである。カクマル黒田が内ゲバの元祖である」
 D「革共同は清水独裁体制である。人権・民主主義がない。スターリン主義と同様で ある。非公然性を強調し、非公開の原則を貫くことは非民主的組織以外の何物でも ない」
 E「日本共産党の『権力の過激派泳がせ』論はすべてが間違いとは言えない。権力 は人員と機構の保持のために、一定の反権力闘争と過激派の存在を必要としている」
 Fその他。
 
 前向きに新左翼運動の総括をしようとしてる 小西さんの態度に感銘を受けます。 外部の者には、現在の革共同(中核派)の路線が 清水丈夫さんによるものなのか、複数員指導部によるものなのか 興味のあるところです。選挙(地区党)と労働運動(産別党)の 確執はないのでしょうか?
 993 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/06 00:53
 新左翼系の人たちは『権力の過激派泳がせ』論をどう思っているんだ。 『権力の過激派泳がせ』論は日本共産党だけではなく、作家の船戸与一も言ってるぞ。
 995 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/06 01:15
 ある程度、そのとおりだと思います。 たとえば、私の経験ですが、党派同士が内ゲバになったとき 警察はすぐには介入しません。大衆運動を媒介にした内ゲバ でしたから、一方がピケストを張って、相手方の登場を排除 しようとしたさいに、一般学生を巻き込んだゲバになりました。 根性のある?体育会系の学生が突っ張って、流血の惨事に・・・警察(公安)はすぐに動きました。過激派同士の殴り合いには 「同士討ち」と見過ごすのに、一般の人たちがまき沿いになった ときは介入します。これは「権力の過激派泳がせ」だと思います。
 998 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/06 01:30
 日共の武装闘争時代に、当局側の工作員が 入り込んで 煽動していた実績があるのに、 新左翼時代以降に そのような投入が 無いと考えるほうが 不自然です。

 小西誠への質問状 2
 20 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/06 09:56
 小西いうところの「中核派内部には指導部への怨嗟が渦巻いている」がごとき 見解は単に彼自身の願望に根ざした謬見であるにすぎない。一部の脱落者が洩らすグチを聞いてやり、得手勝手な論評を加えて本に仕立て売り捌くことを生業にしているのが彼の実在なのであるからして、それには立派 な動機があるのだ。 さて、人民のたたかいに傷をつけることで維持される彼の実在にはいかなる価値が認められるだろうか。 いうまでもない。人民のたたかいによってその実在に終止符を打たれるにふさわしい反革命としての惨めな末路がただそこにはあるに過ぎない。 中核派は何故、『権力の過激派泳がせ』論を批判するの?
 47 名前: 中核事情通 投稿日: 02/07/07 00:12
 中核派において「せん滅」は字義どおり、鉄槌を下すこと。「粉砕」は、実際に下すことでは なく「政治的に」威嚇すること。 大衆運動主義でやっているから、学生も労働者も 少しはのびている。しかししかし、古い人たちが 辞めていく。小西氏がかいていた高田氏追放のことは東京の活動家ならみんな知っている。なんせ公然と大声で大衆の前で江戸川の人たちと激論し ていたからね。もちろんLKもしっているよ。スモールはどうだか。じつは恐ろしいことですが、JR総連と決別したというのは 嘘なんです。JR総連の九州から始まった革マル派の内紛も 革マル派が本格的にJRの経営権を掌握しようと画策しているのを隠すための演技なのです。中核派はそのへんの事情 を察知して、慎重な態度をとっています。
 65 名前: 小西まこと 投稿日: 02/07/07 09:45
 >>56さん、その件は詳しく『中核派vs反戦自衛官』 で触れています。「借金」を返してもらったのをはじめ、 本代を回収したことなど、です。 中核派が「財政支援」をするほどの余裕は、この20年以上 前からなくなっていますよ。

  >>62さん、政治的影響力としては中核派の方がブントより、 はるかにあるでしょう。しかし、そんなことよりも、自らが人生を賭けて共に闘おうと思ってきた「前衛党」が、大きく変質したこと、これを「解体的再生」しようとするのは、個人としての責任でしょう。もちろん、ことは中核派だけでなく、新左翼ー左翼の「解体的再生」を僕は志向しているのですが。
中核派の場合、革共同第6回大会(評価はいろいろでしょうが) 路線では、社共に代わる労働者党の建設を打ち出してるようでして、小西さんのいわれる「解体的再生」の「解体」はないに せよ、「公然化による再生」にシフトしたように見受けられま す。表面的には小西さんの主張と同じ志向なので、「解体的」 の意味が分かりにくいものになっている気がします。

 
>>67さん、 「社共に代わる労働者党の建設」は、すでに1960年代 後半から何度も((^o^))打ち出しています。30年以上も 同じ事のくり返しですよ。しかし、70年前後は、中核派が 「社共」に代わって労働者党に成る可能性は充分にあったのです。問題は第6回大会なるものをはじめとして、その極端な非民主性・官僚主義でしょう。これを根本から変えるのが「解体的 再生」のひとつです。
 109 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/08 07:51
 >>65小西さん。中核の方が生活クラブなどのBUND(崩れ)よりも影響力がないというのは、あなたが中核を買いかぶりすぎてるというか、実際の政治フィールドを御覧になられていない証拠です。 中核的な市民運動よりも要求される「決断」が緩い分、BUNDの影響を受けた人達の方が世間への影響力…お茶の間や主婦などの、実行力のある人達を巻き込む力…は圧倒的に上です。その中で、どのような腐敗やスパイ行為が横行しているかを貴方はご存知ないのではないのですか? 生活クラブやネットの指導部連中なんて、ほとんどが権力・公安とずぶずぶなんですよ。

 中核の指導部が革命的に要求される厳密さよりも俗っぽさが目立ち、その中で指導部がスパイに侵食されて総括を出さざるを得なかった事は事実として認められると思います。 しかし、それ以上の腐敗や権力との密通の横行が新左翼を経験した市民運動や労働運動などに蔓延していることは貴方の視野にはないようですね。 中核という「前衛党」一つの問題を党派党争的に叩き合うのは、貴方の遺恨や趣味者の興味を満たす物でしかないのではないでしょうか? 党派党争的な叩きあいではなく、視野をもっと広く持ち、左翼全般に横行する腐敗をこそただすのが、小西さんがやるべき「仕事」であり、小西さんの今までの人生を総括する「天命」ではないかと思うのですが。
 111 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/08 12:11
 昨日103を書いた者ですが、御質問の件ですが私自身の所属等については 当然あきらかにすることはできません。ただ地区党ではなくとある戦線に 身を置いています。 小西のせん滅を望む声が複数あるのならその実例をとのことですが、これはもう組織に蔓延する雰囲気といいますか、とにかくあのような人間が 一度は仲間であったという自己嫌悪も含めて、一刻もはやくそそがれなければ ならないという気運があるのだと思います。 組織的討議から逃亡しておいてあろうことか組織情報をネタに商売をはじめる ような人間とはもはや議論の余地はない。くりかえしになりますがこれは皆が思っていることです。
 113 名前: 小西まこと 投稿日: 02/07/08 12:26
 >>109さん、僕は「党派闘争的」には、中核派批判を やっていませんが。分派闘争などは最初からやるつも りはないことは「白井氏」との違いを含めて、機会あるごとに述べています。したがって、批判には節度を もって臨んでいます。 ところで、ご指摘のブントの人たちの「権力との密通・ 腐敗」ですが、これはやはりその関係者が明らかにする事でしょう。最近、僕もその幾つかの事実を見聞きして います。その限りでは近々、その問題についても公表す ることになるでしょう。しかし、こういう問題は、ある 程度厳密に証明して公表しなければ成らないことは、宮崎学スパイ問題の教訓でもあります。したがって、ブ ント問題とは関係者が公表すべき問題です。109さんをはじめとした方々の公表を望みます。必要な援助はしますよ。

 >>113さん、あなたは本当に「とある戦線」に所属 していますか? それが事実なら例えば「高田氏追放」 に反対する「とある戦線の意見書」を承知しているでしょう。 知らないなら「もぐり」ですね。 あなたの騙るほど「とある戦線」の人たちは、教条主義ではありませんよ。誰もが革マル派との「戦争の停止」や 「革命軍戦略の停止」を望んできたし、何よりも中核派の原則的で本格的な大衆運動への登場を望んできた人たちばかりです。「組織情報をネタに商売」などと、清水丈夫のようなことを言う前に一度は人の本を読みましたか。批判は読んでから具体的にし てください。
 僕が清水丈夫批判ー新左翼の総括・検証をしている意味はおわか りでしょう。傷つき、倒れていった人々に対して、真に報いるのは誤りの原因を糺し、勝利の展望を切り開くこと以外にはないでしょう。結成以来、40年以上もたって、いまだ極少数はでしかない清水丈夫 の率いる中核派には、革命の展望など全くない。今週号でも「21世紀 における日本革命の勝利」などと空叫びしていますが。
 130 名前: 111 投稿日: 02/07/09 05:32
 >あなたの騙るほど「とある戦線」の人たちは、教条主義ではありませんよ。

 小西よ。そもそもおまえは組織内に身をおいていた当時より反軍戦線以外の活動家と 対話する機会がどれだけあったというのか。付かず離れず組織の甘い樹液だけを舐めて いたような人間にすぎないおまえが組織内部の声を聞いたふうに語ることなど笑止千万 というものだ。はっきりしていることは、おまえは永い党との関係のなかで一瞬たりとも我々の同志であった ことはないということだ。 つねに態度を一貫させずジグザグを繰り返し、革命に命を賭けることに最後まで逡巡していた おまえが今さらだれをつかまえてお説教を垂れようと言うのか。

 >誰もが革マル派との「戦争の停止」や「革命軍戦略の停止」を望んできたし、 >何よりも中核派の原則的で本格的な大衆運動への登場を望んできた人たちばかりです。

 カクマルとの戦争をその「停止」を願望しながら闘うことなどできようもないことだ。 そんなことを考えていたのはおまえぐらいのものだ。だからこそ実際におまえは何一つ 手を汚してはいないし、カクマルとの闘いにおける勝利の意義も理解することができな いだけのはなしだ。 軍のたたかいこそが勝利の原動力であり、必要不可欠のものであったことはおまえ自身何度も認めていることではないか。

 僕はいつも書いているように中核派の軍事主義路線から大衆運動路線への転換は大いに歓迎しますが、このようにいつまでも大衆運動の自立性・自治制を認めない中核派の大衆運動路線はつまり、前衛主義路線はかならず大衆運動それ自身を崩壊させると、自分自身の痛苦の経験から総括しているのです。 共産党の新規約の大衆運動・大衆団体の箇所を読んで見てくださ い。あの共産党でさえ、大きく大衆運動に対する党の考えを転換 しています。
 「カクマルは人民から包囲されれば、機能しなくなり解体する」というのは カクマルの本質を理解しない者のきれいごとでしかありません。それは、カク マルの選民思想と人民蔑視感を理解せず、カクマルを単に「独特の日本型スター リン主義」としか規定しようとしない小西氏の弱点です。今でもすでにカクマルは「人民から包囲」されています。にもかかわらず、 対カクマル戦争が大きく減少した80年代以降は、カクマルの学生戦線は少な くとも「現状」だけは維持できています。問題はそこなのです。
 140 名前: 124 投稿日: 02/07/09 11:53
 >>138 では、同じように「人民から孤立」しているのにもかかわらず、どうしてこういう「違い」が生じたのでしょうか? 念のために言えば、「一本釣りオルグ」はカクマルだけでなく、中核派もしています。 カクマルという党派の「強さ」はまさに人民から孤立しても包囲されても充分に耐えられるだけの選民思想と人民蔑視感にあるということです。 だからこそ彼らは三里塚闘争に全面敵対して全左翼から爪はじきにされても、国鉄分割民営化に全面協力して全左翼から非難されても、「機能」したということなのです。それは、オウムとも非常によく似ているといえるでしょう。オウムはそれこそ「全人民的な包囲陣形」を受けたのだということ、それにもかかわらず解体することなく、今日に至るまで存続しているのです。 何故でしょうか。それはオウムもカクマルと同じように、強烈な選民思想と人民蔑視感をもっているからです。 繰り返して言いますが、「独特の日本型スターリン主義」規定はそこを見落としているのです。 「全人民的な包囲陣形」が必要ないとは言いません。むしろ、それは必要なものです。私の見るところ、三里塚開港決戦に全面敵対し、インターを「第三の走狗」などと言い出したころが、最もその可能性が高かったのだろうと思います。 しかし中核派はあのころ、残念な事に第四インター非難に熱中していた。

 それから、二人で一致した見解は、「小西氏はML主義的・党派的な革命家で はなく、大衆活動家であり、党派の原理や狙いと一致した行動をするとは限らな い」とのこと。で、小生は「だから、大衆組織と党は一線を画し、お互い尊重した取り組みが必要、要は党派の思うようにならなくても仕方がない」と言ったの に対して、彼は、「我々は、革命をするために党組織をもち、そのために大衆組織を支援している、党の意向と異なれば批判する権利があるんじゃないか?」( 不確かかも知れない・・・すまん)と党派を擁護。ここに見解が分かれる。但し、「反革命は言いすぎ」と言う点ではお互い一致。こういうことは、「労組と党」 なんかで、大昔から言われていることだけど、だけど、「別れ方」を間違えれば 有害無益と思う。共産主義者は、こういうの下手だからなあ。
 
 しかし、すでに中核派は革共同19、20全総で「対カクマル自衛武 装闘争」へ移行しており、この10年間「対カクマルゲバ」をやってい ません。つまり、この「対カクマル自衛武装闘争」という路線は、暴力で 革マル派を解体できないことの明確な歴史的証左でしょう。これは誰が見ても明かですよ。この事実を前にして清水丈夫氏は相変わらずメンバーに 「対カクマルせん滅」叫ばせている、ということです。そして、僕の主張は 本来、70年前後からこの「対革マル派自衛武装闘争」を「厳格に」貫くべ きであったということです。 このような検証・総括がなぜ必要かおわかりでしょう。これからの日本の 革命運動で「異論を暴力で排除する、異論・反対論をスパイ・反革命」と ののしるスターリン主義的手法を一掃するためです。これなしには日本の 左翼の崩壊的危機は一歩も打開できないでしょう。
 199 名前: 124 投稿日: 02/07/10 18:33
 >>184 中核派が革共同19、20全総で「対カクマル自衛武装闘争」へ移行しているということは、はっきり言って反論になっていないのです。私が言っているのは「カクマル=日本型の独特のスターリン主義」規定と、「人民によって包囲されれば、カクマルは機能しなくなって崩壊する」の2点への批判です。 いいですか、あなたの主張とは対カクマル戦争の明確な終結宣言要求にとどまらず、過去の対カクマル戦争をも全否定しようというものなのでしょう。そこが、実はあなたと白井氏との「違い」でもある。ではあなた自身も確認しておられる「中核派の大衆運動路線への転換」ですけど、それが可能になったのは何故なのか、考えたことがありますか? と、いうよりもカクマルが何故、70年代型の白色テロ路線がとれなくなったのか、あなたは考えたことがあるのでしょうか? あなたの一連の本では、そこに踏み込もうとしていないではないでしょうか?
 204 名前: 小西まこと@ 投稿日: 02/07/11 01:52
 >>124さんの「対カクマル戦の勝利による大衆運動路線への 転換可能論」についての反論。

 あなたは、中核派の大衆運動路線への転換が、あたかも革マル派への 80年代初期までのゲバ路線の勝利「だけ」によって可能になった、というように述べていますが、それは事実とは違うでしょう。大衆運動への路線転換をした「91年5月テーゼ」を知っているでしょう。 革命軍戦略や軍事主義路線による組織の危機(財政的危機を含む)の中で 僕自身も含む政治局との対決ー90〜91年の路線的・大衆運動的崩壊などなど、これらが大衆運動路線への転換の最大要因です。詳細はここでは明らかにしませんが、もっと大変な現実があります。「歴史」としてそのうち公 開することもあるでしょう。つまり、大衆運動路線に転換しない限り、中核派は、組織の存亡の危機に立ったのです。その深刻な現実は「ウラ」から出 てきた人にでも聞いてみたらいかがか?。
 
 また、あなたは革マル派が「ー70年代型の白色テロ路線がとれなくなったのか」の 要因を中核派の80年代初期までの「対カクマル戦」「だけ」に求めているようですが、 それは一面的でしょう(現実的結果としてそれが一要因としてあるのは事実ですが)。 革マル派は動労を始めとした「産別」の政治的防衛のためには、「攻撃」はできなくなった(等価報復を宣言し実行されている)のも大きい要因です。そして産別を含む革マル派は中核派のように「全党戦争化」できない、つまり、この革マル派の産別の一定の 「肥大化?」があることによって、純粋に一時期、軍事的に革マル派は「敗北した」と いうことに過ぎません。 さらに、もっと大きな要因は、双方とも20年以上の「戦争」によってすべてが消耗したこと(これは組織経験を持っている人は実感できるでしょう)が原因です。これらの諸要因を無視して「先制的内戦戦略の高次段階への移行」という清水丈夫 の5月テーゼや19全総の「天下り的」提起こそ無責任きわまりないものです。

 205 名前: 小西まこと 投稿日: 02/07/11 02:16
 「非公開は事実に反しています。郵便物でも、宮崎辞任は公表されています。」 とのこと。そうですか、この内容で「公開」といえますか。 あえて少しだけ引用しましようか。「ーーー呼びかけ人を辞任するとの宮崎氏からの要請もあり受理したこと」 (10/19○○○○会議) スパイ宮崎学の「辞任」の申し出があつたから「受理」しましたーー。 これでは、責任有る大衆運動とも言えなければ、大衆運動の原則として 運動内外で徹底議論したとも言えないでしょう。言っておきますが、僕は本でも述べているように、中核派やその大衆運動は 「権力ともっとも闘うが故にスパイ工作は必然である」と一貫して思ってい ます。だが、問題は党であれ、大衆団体であれ、このスパイが明らかになっ た場合の対応である。中核派批判はここではくり返しませんが、大衆団体であれ、いや大衆団体こそ(運動が広がれば広がるほど工作が激しくなるこ とは80年代の僕の経験です。そして、これらは摘発の時点ですべて機関紙等に公開してきた。その一部は拙著『公安警察の犯罪』)、その内外に亘る徹底討議・公開の原則を貫くべきではないでしょうか。つまりスパイの「公開・追放」の原則を多くの運動に身を以て指し示すべきでしよう。
 209 名前: 124 投稿日: 02/07/11 07:57
 >>204 さて、今回あなたはカクマルが70年代型の白色テロ路線がとれなくなった「もっと 大きな要因」として「疲弊」という言葉をあげられています。私も同じ見解ではあり ます。 そのことは実は中核派自身も70年代の末期から「厭戦主義のカクマル」という表現で認めていたはずです。では何故カクマルは「厭戦主義」となり、「疲弊」したのでしょうか? 白色テロに対しては「赤色テロ」での反撃がなされる、この「赤色テロ」こそがカクマルにとって、最も大きな打撃になったものであったからこそ、彼らは「疲弊」し、 厭戦主義になっていったということです。だからこそカクマルの拠点大学の失陥は73年秋から80年10・30までの期間のなかでこそ、最もドラスティックに進行していったということです。 そして、「赤色テロ」での反撃を死ぬほど恐怖するようになったカクマルは、「赤色テロ」の激化につながるような白色テロの実施に及び腰になっていったということです。 私はそれだけでも、中核派・解放派による対カクマル戦争の意義を積極的に評価するべきだと思います。

 もし、あなたのいわれるように、71年12・4以降、という情勢下にあって、中核派が「防衛」のみに専念していたら、果たしてどうだったのでしょうか? それは今よりもさらに悲惨な状況です。今とは比較にならないくらいの巨大な勢力を もち、しかも70年代型白色テロ路線を今日に至るまで実行するカクマルによる(無党派系をも含めた)大衆運動への破壊と脅迫、恐怖政治が行なわれ、大衆運動ははるかに大きな困難を強いられた、ということです。
 217 名前: 小西まことA 投稿日: 02/07/12 00:18
 >124さん、 僕は「ゲバ」が現在なくなっている大きな要因の一つは 「両方」の党派が「「戦争に消耗し疲弊」しているという 要因を挙げたはずです。確かに74年段階で革マル派の 「厭戦」意識が革マル派のテロ行使を後退させたということは有るでしょう。しかし、これは中核派が言うように単なる 「厭戦意識」ではないでしょう。すでに述べた産別防衛問題、全党総戦争化できないカクマル組織の問題があったでしよう。 さて問題をもう一度原則的に整理してみますと、次の点が意見の相違ですね。
1、革マル派は「日本型の独特のスターリン主義」かファシストか。 これは124さんの論を提起してください。
2、革マル派への全人民包囲は有効であったのか。犠牲だけが大きかったのか。ーこれは短期的には有効ではなくとも長期的には有効であった、というのが僕の説。
3、そもそも「内ゲバ」の要因は何なのか。ー僕は革マル派主導論を採っていますが、しかし中核派にも大きな責任がある。例えば早稲田7/2事件、海老原事件、水元事件など、革マル派のテロ路線に対して、行き過ぎた報復行為が逆に革マル派のテロ路線を激化させたという説。
4、そもそも「内ゲバ」路線は、革マル派を主要因にしながら、民青、ブン ト、中国派など全左翼を巻き込み激化した。その象徴的事態が83年の第四 インター事件であり、中核派は「ここまでに至って」異論・反対論を暴力で 潰すというスタ的行動に純化した(対ノンセクトなども含めて)。 この日本左翼の「内ゲバ情況」を124さんは肯定するのか?
5、したがって、「内ゲバ」の完全な根絶以外には、その思想の一掃なしに  民衆は左翼を信頼しない。124さんは、こんな左翼の思想で民衆が獲得できると、いまもって思っているのか、ということです。  つまり、大事なのは、今後の日本の運動の未来のために、かつての「内ゲバ」 をどう総括・検証するのか、ということでしょう。
 221 名前: 124 投稿日: 02/07/12 09:42
 簡単に説明していきます。
1、カクマルは左翼の形態をとった日本型の独特のカルト集団というのが、もっとも適切な規定そもそも「陰謀や謀略によって歴史はつくられる」という「謀略史観」はカルトやファシストのそれであり、階級闘争史観とは相容れないもの。
2、全人民包囲そのものは決して否定しないばかりか、むしろ絶対に必要なもの。それをつくる最も大きな機会はカクマルが三里塚闘争に全面敵対してきた70年代後半の「開港決戦」 。私が批判しているのは中核派は「自衛」、「防衛」だけにとどめるべきだったというあなたの主張。それは「犠牲だけが大きなものになった」ということ。
3、私が批判しているのは、カクマルをどう規定するかということと、そして71年12・4以降、中核派がとるべき姿勢の2点に関して、あなたが行なっている主張です。
4、5、こうしたホンモノの内ゲバは決して肯定できない。では何故、そうなったのか、それはあなたの言うように、中核派にも「内ゲバ」体質があったということだろう。

 これは私の見解だが、中核派の「内ゲバ」体質は中核派のカクマル批判の不充分性、「対カクマル戦争は内ゲバ」認識を心のなかから払拭できなかったということにある。 だからこそ、中核派はあなたのように今日、「対カクマル戦は左翼党派間の内ゲバだった」と主張する人を生み出してしまったということだ。 中核派がそうではないというのなら、「対カクマル戦争」は「インターへの内ゲバ」には発展しなかっただろう。 「自分達に反対するから反革命だ」という「反革命」規定はおおざっぱである。 だからといって、あなたのように、「対カクマル戦争は左翼党派間の内ゲバ」とすることは、カクマルのあの体質を「左翼として許容できる範囲の『誤まり』程度にすぎない」ということになり、ホンモノの「内ゲバ」を根絶することにはつながらない。
 223 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/12 12:34
 >>124氏 貴方の分析は革マル派における「謀略史観」を肥大化させて適用しているように思える。彼らの場合、「謀略史観」の必然は「他党派解体」の困難性を国家権力が介在する事で彼岸化させ、そうすることで組織的現状認識のアイデンティファイ を作り出しいるのである。その結果、組織的タガハメに重宝な「国家権力による謀略」論はトンでも領域にまで達している。しかし、彼らの運動論・組織論等は左翼党派のそれであり極めて主観的で唯組織形成主義ではあるが左翼運動の一形態として認識できる。また、革マル派の「カルト」性について同意できる現象的特性はあると思うが 「ファシスト」と規定するには乖離がある。
 235 名前: 再生してね 投稿日: 02/07/13 09:43
 清水選集Dの序文には「革共同は自己を防衛し革命党としてまっとう するために、カクマル派という史上類例のない凶暴な組織的テロル党派とたたかわなければならなかったという事実。そして、階級闘争に おいては(とくに1930年代以降は)一定の段階でこのような一種の戦争、一種の内戦をたたかわなければならないという事実。こういう事実を知っているし、知らなければならない立場にいる人びとが、革共同が三〇年にわたって血みどろになってたたかって基本的な勝利の地平をきりひらいたという時点になって、その地平にのっかって、当の 革共同を「内ゲバ主義党派」などと言って非難しているのである。 『検証内ゲバ』(01年11月発刊)という本もそのような立場をとっているが、それは断じて許せないものである」と書かれています。

 「内ゲバ」についての認識に目新しいものはないですが、小西さんの 編著作について編著者名をあげていないところは、前進論文(小西批判)に大きな反発があったことの表れではないかと思います。 清水氏は引っ込みがつかないにしても、中核派内部には批判を真面目に受け止めるセンスがあるように感じます。その部分においては、小西さんとの意識の共有が量れていつのではないでしょうか。 おそらくあとは「鯛は頭から腐る@佐高信」といった多くのの組織で 抱える病理の問題かと思いますが。 (前回は当方の無知をご指摘いただきありがとうございました)
 236 名前: 小西まこと@ 投稿日: 02/07/13 11:39
 124さん、 ここまで討議して大体、あなたの考えが分かってきました。 相当、共通する問題意識があるように思います。そこでさらに以下の点を指摘します。
 あなたは「カクマルは左翼の形態をとった日本型の独特のカル ト集団というのが、もっとも適切な規定」といいますが、これと 中核派のファシスト規定の関連はどうなのですか。最近彼らも前進 でカルトという表現を使い始めていますが、これが明確ではない。 (ちなみに、僕の「日本型の独特のスターリン主義というのは、千葉の中野洋さんの「革マル派=スターリン主義」規定を発展させて います)
 2、僕の「内ゲバ終結宣言論」を相当批判されているようですが、 すでにこれは『検証内ゲバ』に書きましたように、「中核派の有名な労組指導者」が清水丈夫氏に提起し、拒否されています。 この労組指導者が誰がおわかりでしよう。 大事なのは、この日本の左翼の危機の中で「責任有る大衆運動」を 行おうとする人々は誰もが「内ゲバ」を完全に克服した運動を期待 しているということですし、またその克服なしには「本物の統一戦線」は形成できないからです。 この点をどう考えますか?

 
 3、あなたの「対カクマル戦論」が正しければ、中核派は この革マル派との「戦争」のなかで一時期はともかく組織 的にも大いに発展(増大)したはずですが、実態はこの「 戦争」のなかで、極端に縮小したことはおわかりでしょう。 また、この「戦争」が中核派メンバーの大量の離反をまねいたばかりか、外部の人々からでさえ一部を除き支持されなかったのはおわかりでしょう(相当多数の人々が革マル派の 「反革命的」ゲバを嫌悪しているにも関わらず、実際に中核派の攻撃は支持しない)。 つまり、この「先進」帝国主義国で(生命・人権尊重、民主主義が一定程度発達した国)、いかに「反革命的」であろうが、これを「完全せん滅する」という中核派の主張は、民衆に受け容れられない、ということでしょう。離反していった活動家達やそれを支持しない他の左翼を「死に直面して動揺する小ブル」 などと非難するのは、大衆蔑視ではないでしようか? この点をどう考えますか。 僕がファシストであれ、カルトであれ、その暴力に対して「厳格 な自衛武装論」を主張しているのは、この観点からです。 つまり、「暴力革命論」を自衛武装論を軸に再構成しようとしています。
 250 名前: 124 投稿日: 02/07/13 21:21
 
 カクマル=スターリン主義という表現は、私の知るところでは中核派以外の党派がだいたい、そういう見解でしたね。70年代のころから、「反スタ・スターリン主義」という言葉を、解放派も、ブント諸派も用いていたと思います。中野氏がいつからそういう見解なのかは私にはわかりません。ただ言えることは、単純な罵倒用語としての「スターリン主義」規定は、罵倒用語として「ファシスト」という言葉を用いることと、大差ないように私には思えます。実際に、カクマルと日本共産党との間には多くの相違点があります。日本共産党の運動は本質的に「議会主義」であることを、忘れてはなりません。
 2
 私がとくに批判してきたのは「内ゲバ終結宣言論」ではなく、「71年12・4以降 の情勢下では防衛・自衛のみに専念すべきだった」との見解です。あなた自身もよくご存知のように、中核派の機関紙からは「赤色テロ」とか「3・14復讐戦貫徹・総反攻完逐・三頭目処刑」とか「カクマルの総せん滅」という表現は消えています。そのうえで、過去の「対カクマル戦争」の全否定を内容としてともなうような、そんな「終結宣言」には同意できないということです。もちろん、ホンモノの内ゲバに関しては、その誤りを認め、二度と繰り返さない姿勢を見せるべきです
 3
 「完全せん滅」が民衆に受け入れられないとしたなら、三里塚闘争は71年秋に機動隊3人が死んだ時点で民衆から見放されているはずですが、現実はそうはなっていません。また、パレスチナの戦いも、日本の民衆から完全に見放されているはずですが、現実には(もちろん、イスラエル一般市民の死には賛否両論ありますが)そうはなっていません。にもかかわらず、対カクマル戦争がなかなか支持を受けなかったのは何故でしょうか? 海老原・水山問題での「沈黙」が悪い形で作用したということもあるでしょう。が、 もうひとつあげなければならないこととは、あなたもよくご存知のように、中核派もホンモノの内ゲバをしていたことです。あなたがあげているインターやノンセクトだけでなく、71年秋には解放派とのゲバもありましたし、そういう内ゲバの歴史のなかで「対カクマル戦争は内ゲバではない」といっても、なかなか支持はされにくかったでしょう。
 252 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/14 10:43
 >もし、あなたのいわれるように、71年12・4以降、という情勢下にあって、 中核派が「防衛」のみに専念していたら、果たしてどうだったのでしょうか? それは今よりもさらに悲惨な状況です。今とは比較にならないくらいの巨大な 勢力をもち、しかも70年代型白色テロ路線を今日に至るまで実行するカクマル による(無党派系をも含めた)大衆運動への破壊と脅迫、恐怖政治が行なわれ、 大衆運動ははるかに大きな困難を強いられた、ということです。 そうかなという気もする。小西さん、この辺はどうでしょうか?
 282 名前: 小西まことーその1 投稿日: 02/07/17 23:43
 >>124さん他への回答です。 「71年以降、中核派が自衛・防衛に専念していたら、今以上に大きな犠牲が出ていた、革マル派が巨大に存在していた」との論は、端的にいって、自衛闘争ー「自衛戦争」の意義の軽視です。軍事論的にいっても、「自衛戦争」は、もっとも有利な「戦争形式」ですが、「内ゲバ」の場合、この自衛闘争を原則的に打ち出すことによって、圧倒的に有利な政治的陣地、つまり、革マル派の「反革命性」を、そして味方の政治的正統性を打ち出せます。この政治的な大きな優位性こそが、自衛闘争の「軍事的勝利」にまで結びつけられたはずです。中核派がこのような方針をとらなかったのは、当時の雰囲気を知るものとしては、彼らの革マル派のゲバに対する恐怖があったと思っています(74年の法政大会戦ころまで)。つまり、当時の中核派指導部の対革マル派ゲバへの恐怖が海老原事件などの「行き過ぎ」を生みだしたと言えるでしょう。
 283 名前: 小西まことーその2 投稿日: 02/07/18 00:05
 124さんは、中核派の第四インターや解放派などへの内ゲバを否定しておられます。現中核派は、第四インターへのゲバを今でも正当化していますから、この意味では、124さんの独自性は評価いたします。ですが、問題は中核派の、革マル派及び他の勢力への内ゲバをどれほど区別できるでしょうか。これは、僕も書きましたが、60年代初期からの内ゲバの歴史を見れば、一目瞭然です。あるいは70年前後のその歴史についても言えます。文字通り全左翼党派を巻き込んだゲバです。ーこれこそまさにスターリン主義の悪弊を新左翼も引き継いだと言うことでしょう。いや、革マル派へのゲバはそうではない、と言うなら、論理的かつ実践的に言って、革マル派以外の他の党派に対する内ゲバの「完全停止」を中核派は「宣言」せねばならなかったでしょうー消極的意味で。積極的には他党派、異論・反対論を保障する民主的ルールを実践的に提案せねばならなかったでしよう。これが第一の問題。第二の問題は、革マル派が「ファシスト」で有ることの具体的、論理的提起をしなければならないでしょう。だが、中核派の革マル派ファシスト論は、説得力がなかったとということですし、いまだかつて、このファシスト論の具体的展開はないのです。
 284 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/18 00:20
 ファシスト=金融資本のテロリズム独裁(ソ同盟議長、ディミトロフ)ですから、革マル派へのファシスト規定には無理があります。JR当局との結託はあっても、金融ブルジョアジーが革マル派の運動を支持しているとは思えません。だとすれば、民間反革命(革命派への敵対)、社会ファシズム(口先の社会主義・実際はファシズム運動の尻押し)となる。ただし、社会ファシズム論には社民主要打撃論という陥穽があって、反ファシズム統一戦線がネグレクトされます。中核派の場合、革マル派との分派・党派闘争を50年代共産党分裂の総括として突き出すべきだったのではないか? 革マル派いうところの「反革マルブロック」として、ML派や4トロを含む三派全学連・全国全共闘(およびべ平連構改ブロック)を指導できなかったところに、革命党派としての限界があった。革マル派に仕掛けられた背後からの「戦争挑発」に「戦争の論理」で対応してしまったところに、今日の惨状があるのではないだろうか。小西さんの「自衛戦争の軽視」には、なるほど説得力が感じられる。だが、はたして。当時は小西さんをしても、それを考えさせなかったはずだが・・・
 285 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/18 03:24
 >284  つまり、中核派はZの挑発に翻弄されたのだと? それでも、持久戦(体力)で勝てると踏んでいたのでしょうか。 でも、そもそも中核派やブント系は情勢の党派ですからね。持久戦とは、物理的な体力じゃなくて、イデオロギーだったのかもしれない。革マル派が中核派に優位を誇り、青解派が少数になっても相互絶滅戦をつづけられるのは、宗派という性格によるものだから。ではないでしょうか。すべてにおいて楽観的な気風の小西誠さんとはちがって、私は日本の共産主義運動の救いがたい結末に絶望します・・・
 286 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/18 09:55
 >この自衛闘争を原則的に打ち出すことによって、圧倒的に有利な政治的陣地、つまり、革マル派の「反革命性」を、そして味方の政治的正統性を打ち出せます。この政治的な大きな優位性こそが、自衛闘争の「軍事的勝利」にまで結びつけられたはずです。

 疑問。たとえば川口事件後のワセダの情況は「味方の政治的正統性」 「政治的な大きな優位性」が何の役にもたたず、「こぶし」が勝つことを示しているのではないか
 287 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/18 13:55
 マルクス主義というのは暴力革命を目指しているのでしょ。それは労働者が資本家階級を暴力によってやっつけて世の中をひっくりかえすということですよね。労働者自身が権力者になるということでしょ。そのことの善し悪しはこの際どうでもいいです。

 ところで、 中核と革マルの殺しあいは身内同志の殺しあいだから「内ゲバ」と称されるわけですよね。小西さんもそうした考えに同意してその用語をつかってらっしゃるんですよね。 でも中核や革マル自身は決して相手を身内とはおもっちゃいないわけでしょ。 正当な「革命的暴力」の一貫であると思ってる。 そこで、 私らマルクス信奉者でもなんでもない人間からすれば、「革命のための暴力」だろうが「内ゲバ」だろうが、当然同じ「人間」どうしの「内ゲバ」にしか見えないわけです。なぜこんなことをいうのかといえば、小西さんという人は一度は中核に籍をおいていたひとなわけでよね。革マルを「敵」だと認め、かつ攻撃を認めていたわけですよね。それを「悪かった」と反省することは至極当然であるとしても、「中核や革マルのふるった暴力は悪いが暴力革命の暴力はいい」という極めて得手勝手な論理をその言に認めざるをえません。「スターリン主義」などという一般的に用いられることのない言葉で問題を曖昧にしているとしか思えません。なぜ正直にマルクスの暴力革命論に諸悪の根源があるという単純な事実をお認めにならないのですか? でないと、あなたのおっしゃっていることは詭弁にしか聞こえませんが。
 290 名前: 小西まこと 投稿日: 02/07/18 16:08
 286さんは、早稲田解放闘争の限界を主張されましたが、この闘争こそ「自衛武装闘争を機軸にした全人民包囲に よる革マル派解体」の「現実性」を示したものです。では、どうしてそうならなかったか。この詳細の分析は関係者にお願いするとして、僕の記憶によれば、やはりノンセクト中心の「ゆるやかな統一戦線」の限界でしょう。革マル派側は全国動員部隊で制圧しようとしたわけですが、「学内的」には、ノンセクト潮流は「ほぼ単独で」彼らと闘うわけです。もちろん、一定の「学内的諸党派」も存在したでしょう。しかし、中核派などは「学外から」しか、関われなかった、と思います。つまり、ノンセクトと中核派を含む全党派の「強固な統一戦線」が形成できなかったわけです。その原因は、すでに上で書いた、中核派などの早稲田解放闘争は、「内ゲバの延長」 でしかなく、またノンセクト諸君もそうみなして、中核派などとの「強固な統一戦線」を組むことを拒んだんでしょう。 ノンの中には早稲田革マル派も法政中核派もゲバ支配という意味では50歩100歩という意識があったと聞きます。 革マル派の全国動員部隊を含むゲバ部隊にノンセクトのほぼ単独で闘いを行うというのは、まず勝てる見込みはなかった でしょう。ということで、この強固な統一戦線が形成できたとしたら勝てるのです。これは日本の現在・未来にわたる問題として、僕はあくまで提起しています。単なる過去の総括ではありません。
 293 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/18 16:39
 >ノンセクトと中核派を含む全党派の「強固な統一戦線」が形成できなかったわけです。その原因は、すでに上で書いた、中核派などの早稲田解放闘争は、「内ゲバの延長」でしかなく、またノンセクト諸君もそうみなして、中核派などとの「強固な統一戦線」を組むことを拒んだんでしょう。

 すると、「強固な統一戦線」の現実性はなかったということにならないか? 中核派が、何をもくろもうとも事態はさして変わらなかったと思えるが。
 294 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/18 17:14
 暴力は、歴史上で、他のもう一つの役割(悪いことをするという以外の)、 つまり革命的な役割を演じるということ、暴力は、マルクスの言葉によると、 新社会をはらんでいる旧社会の助産婦であるということ、暴力は、社会的運動が自己を貫徹し、硬直し死亡した政治的諸形態を打ち砕くための道具であるということ
 295 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/18 17:43
 ブルジョア国家がプロレタリア国家(プロレタリアートの独裁)と交替するのは、 「死滅」によっては不可能であり、それは暴力革命によってのみ可能である。エンゲルスが暴力革命にささげた賛辞は、マルクスのたびたびの言明と完全に一致しているが、この賛辞は、けっして「陶酔」でもなければ、大言壮語でもなく、また論戦上の脱線でもない。暴力革命についてのこのような見解で大衆を系統的に教育する必要が、マルクスとエンゲルスの学説全体の基礎になっている..プロレタリア国家のブルジョア国家との交替は、暴力革命なしには不可能である。
 302 名前: 124 投稿日: 02/07/18 23:10
 283はともかくとして、282を見ていると、やはり小西さんのカクマルに対する批判の不徹底性というものを感じずにはいられない。私は思うのだが、対カクマル戦争が最も激しかった70年代においても、カクマル以外の他の党派に対する内ゲバの「完全停止」と自己批判、「小異を認め合って大同に付く」柔軟な統一戦線の志向、という方向さえ示していたならば、「内ゲバ反対主義者」との間にもカクマルを包囲する統一戦線の実現は可能だったのではないか? 「戦争」であれば、できうる限り中立勢力を自陣営に引き込む、あるいはそこまで いかなくても好意的中立へと導くことは可能だったはずだ。
 322 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/19 12:56
 >>315 暴力革命とは、 「(1)敵階級に、(2)直接の暴力行使で、(3)少なくとも壊滅的打撃を与える」ことそのものを当然含む。 それは「やっつける」ことそのものといってもいい。ただ、「やっつける」からといって、 「『敵階級に所属する』というだけで、直接の暴力行使対象にされる」ことはもちろんない。 敵階級に「所属」し、もしくは与する者による反革命的な暴力的敵対をプロレタリアの武装に よって粉砕するということに過ぎない。

 >>287は暴力革命とは「暴力で・・資本家階級をやっつける・・ということですよね」と言っているわけで、 「資本家階級に所属する個人をやっつけることですよね」などと言ってはいない。 つまり暴力をもって階級としてのブルジョアジーを打倒することが暴力革命なのだから、 その規定はまったくもって正しいわけで、>>288であなたが「ぜーんぜん違います」なんて 偉そうに言っちゃったことがこの「粘着からみ」の原因でしょ。

 それより、あなた自身、もしくは小西さん自身は、暴力によっての、すなわちせん滅戦をも含むかたち での階級闘争の必要性を認めているのかいないのかをハッキリさせてもらえないだろうか?

 >>287のいうことは、平和主義者にありがちな論ではあるが、 あなたがた「内ゲバ」反対論者の自己欺瞞を鋭くつきだしている。 それに答えられないからといって、不毛な字義論争へのスリカエはこれ以上やめていただきたい。
 332 名前: 322 投稿日: 02/07/19 16:14
 >>つまり暴力をもって階級としてのブルジョアジーを打倒することが暴力革命なのだ

 >じゃ、なんで社会主義初期段階でもブルジョアジーは残るんですかぁ?(笑) 超累進課税で抑圧する必要があるんですかぁ?(笑)

 ブルジョア階級が、階級として止揚されてゆく過程は当然のことながら武装したプロレタリアートの軍事力によってブルジョアジーが専制されているという状態 がなければありえないことだ。 あなたは革命というものを単にブルジョアジーからの政権奪取だと勘違いして いるようだが、革命とはまさにプロレタリアートの武装=暴力装置の保持及びその行使によって階級としてのブルジョアジーを暴力的に根絶してゆく全課程だということがわかっていない。 ロシア革命をみれば明らかなように、革命の困難性は一斉武装蜂起による政権の奪取自体よりも、その後の、つまり過渡期における反革命とのたたかいにこそあるわけで、まさにそのたたかいが血で血をあらうものになることをマルクスにせよ、エンゲルスにせよ、レーニンにせよ、2月革命やパリコミューンの経験から知っているからこそ、革命は暴力革命でなければならないという結論を導き出してるわけ。 じゃなきゃ、「社会主義初期段階」に「開始された革命を全力で防衛せよ」なんていうボルシェビキのスローガンもでてこないでしょ。
 333 名前: 322 投稿日: 02/07/19 16:15
 >>暴力によっての、すなわちせん滅戦をも含むかたちでの階級闘争の必要性を認めているのかいないのか

 >ぎゃはははは(爆笑 「暴力によっての」と「殲滅戦をも含む」を「すなわち」でつないでいる>>322はそもそも破綻しています。

 繰り返すが、革命とはブルジョアジーを絶滅するためのたたかいのことだ。 自らの利益のためなら労働者階級を虫ケラのように殺すことをも厭わない ブルジョアジーを絶滅するための。 当然にも武器もちブルジョアジーに楯突けば、暴力装置によって弾圧されることとなる。しかし圧倒的多数者たるプロレタリアートであればこそ、一見強大に見えるブルジョアジーの暴力装置をも撃ち破ることができるのであって、逆に少数者たるブルジョアジーどもは常にあらゆる謀反、叛乱、一揆に怯えている。階級闘争というものが、ブルジョアジー及び革命勢力相互の絶滅を賭けた たたかいである以上、そのありかたも当然せん滅戦としてあらわれざるを得ない。 暴力革命の意味することとはこれ以上でも以下でもない。 すなわち「暴力によっての、すなわちせん滅戦をも含むかたちでの階級闘争」 こそが求められているというわけ。

 >いずみはマルクス主義者ではないですし階級闘争での勝利を最主要任務と考えていません。

 要するにこの人に革命のなんたるかを聞こうというほうがマチガイであったということですな。
 335 名前: いずみ(リモート)@ p4214-ipad02maru.tokyo.ocn.ne.jp 投稿日: 02/07/19 17:16
 今、いずみは、心底感動しています。(笑) こんな化石みたいな人がまだいたのね。。。

 >あなたは革命というものを単にブルジョアジーからの政権奪取だと勘違いしている

 いません。だからこそ「革命」というふうに、「」をつけています。 そもそもの発端である>>287は「労働者自身が権力者になる」ということを「革命」の意味として説明しているわけで、つまり「権力奪取段階」のみがこの文脈での「革命」を意味しているのは明らか。 無論これはマルクス主義的な革命のイメージとは違うけど、世間で言う「革命」は臨界点の近傍のみを指すことが多いわけで、「マルクスの信奉者でもなんでもない」287が「世間で言う」前提から言っていることもまた明らかなわけだ。

 >革命は暴力革命でなければならないという結論を導き出してるわけ  >ボルシェビキのスローガンもでてこないでしょ

 というのを、>>287が前提としていると思われる「現代のお話」にも適用できる、というのは、現代社会が、パリコミューンやロシア革命時代と本質的に同じ構造だ、という前提なしにはいえないことだ。 いずみはそうだとは思ってませんし、そういう立場を取る左翼は日本では相当にマイナーではないか。 #って本家はそうなんだけども。(笑)

 >圧倒的多数者たるプロレタリアートであればこそ、一見強大に見えるブルジョアジーの暴力装置をも撃ち破ることができる

 そうですね。しかし、

 >階級闘争というものが、ブルジョアジー及び革命勢力相互の絶滅を賭けたたたかいである以上、そのありかたも当然せん滅戦としてあらわれざるを得ない

 というのは、どういう飛躍なんだ? そもそもプロレタリアートとブルジョアジーは、量でも質でも「対等でない」。 だから戦術・戦略は双方で非対称になってもちっともおかしくないし、むしろその方が「自然」。 で、いずみは、現代のシステムは非常にもろく、簡単に崩壊する可能性を常に持っていると考えています。 ただしその後に何が起こるかは以前以上に予測不能。当然、選択肢の1つとしては「自衛のための武装」という話は出てくるでしょ。 #なんだか「敵の出方論」みたいになってきてるなぁ^^;;
 336 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日: 02/07/19 23:54
 うーむ、こんな面白いやり取りがあったのか・・・。リアルタイムで参戦できず、残念。で、マオイスト系としては、次のような言葉を思い出すのでした。

 http://maoist.netfirms.com/mao/goroku008.htm
 戦争の目的はほかでもなく、「自己を保存し、敵を消滅する」(敵を消滅する とは、敵のすべてを肉体的に消滅することではなくて、敵の武装を解除すること、 つまり「敵の抵抗力をうばう」ことをいう)ことである。

 337 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/20 02:41
 >「労働者自身が権力者になる」ということを「革命」の意味として説明しているわけで、つまり「権力奪取段階」のみがこの文脈での「革命」を意味しているのは明らか。

 そうじゃないでしょ。そもそも>>283は賃労働が全面的に止揚された社会とそれに至る過渡期社会 とを別個措定してはいないわけだし、「労働者自身が権力者になる」という言葉に革命後の永続的 状態をある程度想定して(ソ連や中国といった実例を念頭に)否定的なニュアンスを込めているのは明らか。それこそ文脈からいって。まあ、あなた自身が「いません」というのならこれ以上言うことはないがね。

 >>階級闘争というものが、ブルジョアジー及び革命勢力相互の絶滅を賭けたたたかいである以上、 そのありかたも当然せん滅戦としてあらわれざるを得ない

 >というのは、どういう飛躍なんだ? そもそもプロレタリアートとブルジョアジーは、量でも質でも「対等でない」。 だから戦術・戦略は双方で非対称になってもちっともおかしくないし、むしろその方が「自然」。

 この問題はまさにプロレタリアートを革命の主体として承認するか否かの意見の対立に帰するね。 私はプロレタリアートの革命の主体としての資質にとことん依拠したいと思っている。 あなたはそうは思わない。単にそういうことでしょう。 プロレタリアートは必ず勝利する。必ずやブルジョアジーを絶滅する。この意志、この確信に基づけば権力によって絶滅的弾圧にさらされることを常に念頭においたたたかいかたをしなく てはならない。我々が彼らブルジョアジーの絶滅を目指す以上、彼らも我々を絶滅することなしに 我々の意志を挫くことはできない。当然にもブルジョアジーとプロレタリアートの階級対立は何か話し合いや歩み寄りによって 解決するものではない。 何故か?商品交換という外皮に隠蔽された構造において、プロレタリアートの創造するあらゆる価値、 富がブルジョアジーによって強奪されている関係性に両者がある以上、それは相容れない立場の相違であって、ひとつしかないものを奪い合う関係だからだ。
 350 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/21 01:31
 レーニンを首班とする人民委員会議は武力で合法的な機関である憲法制定会議を解散させたのであるから、これは内乱罪であり、本来なら、憲法制定会議の多数を占めていたエスエル、メンシェヴィキ、カデットなどはこのような内乱罪を犯したレーニンを含む人民委員会議の委員全員を内乱罪のかどで逮捕するのが当然だった。それができなかったのはポリシェヴィキの武力が優っていたので、ポリシェヴィキのなすがままにされてしまったのだ。

 351 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/21 01:44
 つまり彼らボリシェビキにとっては選挙や合法的政権運営などというものはハナから問題ではなかったのだ。彼らの関心は反対勢力をいかに押さえ込み自派に有利な権力をつくりだすかということだけだったのだ。これはレーニンという人間の育ち方に起因していることは意外に知られていない。兄を国家によって殺された彼はただその私怨をはらすためにのみ大衆に武器をもたせ、独裁政権をつくったのだ。 暴力革命主義のいきつくところは皆独裁であるのはいつの時代にもしめされて いるところだし、そんな化石のような思想に固執するのは大抵は社会の最底辺でしか生きて行くことのできない落ちこぼれと相場は決まっている。 「どうにでもなれ」という破れかぶれにつきあわされる者はたまったものではない。
 359 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/21 03:10
 清水丈夫を首班とする政治局は武力で合法的な機関である党大会を 解散させたのであるから、これは規約違反であり、本来なら、党大会の多数を 占めていた中野派、小西派、白井派などはこのような規約違反を犯した 清水丈夫を含む政治局内の茶坊主どもを規約違反のかどで除名するのが当然だった。 それができなかったのは清水直属軍の武力が優っていたので、清水 のなすがままにされてしまったのだ。
 360 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/21 03:22
 レーニン主義こそがすべての悪の根源だ。 「国家と革命」などというものは、レーニンがセクト的利害に理論的整合性を 与えるためにデッチあげたものだ。 意見の対立を暴力によって解決しようとするなら人間はどこまでいっても同じ 過ちを繰り返さざるを得ない。
 368 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/22 00:37
 >>366
 >大衆の暴力は、一部のもののみが行使する暴力とは違う意味合いを持つ。

 ばかも休み休みにしたまえ。レーニン一派や一部新左翼のふるう暴力が「大衆の暴力」だとでも言うのか!歴史の偽造はいいかげんやめてもらいたい。1917年に10月革命が成功した直後に開催された第二回全ロシア労農兵ソビエト大会で満場一致で可決されたレーニンの起草になる「労働者・兵士・ 農民諸君へ」というアッピールの中にも憲法制定会議の召集の保証はうたわれていた。そのために10月革命直後の11月12日以降、全国で選挙が行われた。この選挙はこれまでの極端な制限選挙とは違い、ロシア史上空前絶後の自由な普通選挙であった。この選挙の結果の得票率は、立憲民主党(カデット)4.7%、共産党少数派(メンシェヴィキ)2.7%、共産党多数派(ボリシェヴィキ)24%、 社会革命党(エスエル)40.4%。他方、全ロシア労農兵ソビエトを母体とし、レーニンを首班とする人民委員会議が組織された。この選挙が行われた翌1918年1月5日に憲法制定会議が開かれた。この国会でポリシェヴィキはすべての権力がソビエトに属するとの宣言を採択するよう提案したが、237対138で否決された。レーニンを首班とする人民委員会議は憲法制定会議の解散を決定し、武力によってこの憲法制定会議を解散させた。ソビエトは労働者、農民、兵士の組織であってロシアの全国民を代表している機関ではない。普通選挙によって選ばれた全国民を代表する国権の最高機関である憲法制定議会に対して、労農兵ソビエトに権力を全部引き渡せと要求することは非民主的な要求であることは明らかだ。以上のことからソビエトなるものは反乱兵士及び赤衛隊等の雑兵を率いることによってのみ成立した軍事クーデター政権にすぎず、民主主義のかけらもない ものであることは自明のことだ。 
 369 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/22 00:37
 その後のレーニン、トロツキーらによる住民略奪、容赦ない政治犯への銃殺刑、飢餓の放置等々、その犯罪には枚挙の暇がない。そしてそうした体質はそのままこの現代にいたるまで一部左翼たちのあいだに脈々とうけつがれているのだ。度重なる暴力的な違法デモ、はたまたテロ、殺人にいたるまで一部若者を熱狂してやまないこの悪しき伝染病は今もこの国に巣くっている。 小西某らの出版した「検証内ゲバ」なる本に新左翼と呼ばれた者どもの反省を期待した私ではあったが、それはとんだお門違いというものだった。そこに表明されていたのは「反内ゲバ」の体をした「新たな内ゲバ宣言」ともいうべきものにすぎず、昨日までは「内ゲバ」に熱中していた自分をなんら恥じることもなく、ただただ古巣の組織を中傷するのみという敵ながら見上げた厚顔ぶりが開陳されているのみだった。 君は左翼がお嫌いだそうだが、まずはこのような卑劣破廉恥漢をどうにかするのでなければお先は暗いよ。
372 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/22 02:20
 たしかに中核と革マルが壮絶な殺しあいを演じるにいたった根本原因は政治的暴力を、自らを主張する手段として認めているからですね。 その基本にあるものは上記のマルクスレーニン的な暴力肯定論であることはまぎれもないとこです。 いずみちゃんのいうように私もこの社会のシステムそのものの脆弱性をついたやりかたこそが必要だと思うし、ブンドではないが、マルクスとの訣別というものが「反内ゲバ」を語る以上どうしても必要なのではないかと思っています。
 376 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/22 10:02
 >>368
>>この国会でポリシェヴィキはすべての権力がソビエトに属するとの宣言を採択 するよう提案したが、237対138で否決された。

 つまり、憲法制定会議で否決されたという事だね。しかしソヴィエトでは「全権力をソヴィエトへ!」のスローガンは採択されている。 憲法制定会議と、ソヴィエトと、どちらが当時の人民の権力として承認されるべきかを論ぜずして、 一方的に「憲法制定会議」の方を正統と認めるべきではない。 憲法制定会議の選挙名簿について調査すれば、 それが当時の流動的状況のなかで人民の意志を正しく表現していない事がわかる。とくにエスエル左派への農民の支持が不当に縮小されている。つまり憲法制定会議の正統性には著しい疑問があるという事だ。 なぜなら、選挙名簿が提出された時点ではエスエルは左右に分裂していなかった。 そしてその比例代表名簿の上位は右派が占めていたからだ。ところが、選挙が実施された時点では、エスエル左派は右派と分裂し、しかも農民の間で絶大な支持を受けていた。農民はエスエルに40%の支持を与えたが、それは右派への支持ではなかったにもかかわらず 圧倒的に右派が議席を占めてしまった。もし選挙結果が農民の支持を正しく反映していたら、 「全権力をソヴィエトへ」を支持していたエスエル左派とボリシェヴィキの合計64%が賛成し ボリシェヴィキの提案は可決されていただろう。
 377 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/22 10:08
 君たちは結党以来のカクマルの罪状をどう考えているのか。東大決戦からの前夜逃走、三里塚闘争への度重なる敵対、 国鉄労働者首切り攻撃への全面的協力、その歴史は人民への 裏切りの歴史にほかならない。また諸君は知っているだろう。カクマルの特徴とは決して権力に対してはむけることのない武器を自らの党派的利害の貫徹のためならばあらゆるたたかう翼に対しては容赦なくさしむけ、かつうす汚い「ナーバス」攻撃やデマ運動に よってたたかいを混乱させ、破壊することにのみ血道をあげてきた党派であるということを。常に彼らはたたかう人民の怨嗟の的であったし、これからもそうであろう。階級闘争を真剣にたたかおうとするならばするほど、彼らのような民間反革命とのたたかいが人民必須のたたかいであることがわかるし、逆にそれが理解できないということはその人が敵権力に対する憎悪すらもちあわせていないことの証にほかならないのだ。小西はまさに自らがそのような人であるということをわざわざ本まで出版して昨今内外に公表してまわっている。彼は一度として命がけの階級闘争に身を投じたこともなければ、真剣にたたかう人民とむきあったことすらない。しかし、たたかいから逃亡するのみならず、そのたたかいに 傷をつけるためだけに登場してくるならばまた話は別ということだ。我々はたたかわない者を責めることはしないが、たたかいに敵対する者に対しては人民の名において断固たる処置を講ずるものである。
 380 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/22 13:23
 >農民はエスエルに40%の支持を与えたが、それは右派への支持ではなかったにもかかわらず

 これは明らかなウソ。「民主主義は維持されていた」ということを強弁するためのボルシェビキによる歴史偽造の典型だ。エスエルを支持していた農民のほとんどは中央の分裂劇などにはなんら関知していなかったというのが実際だ。その分裂自体も投票によって正当な民主的手続きを経て行われたことを無視してなにか憲法制定会議の普通選挙が無効であるかのごとく主張することは盗人猛々しいと言わざるを得ない。疑われるべきはソビエト代議員が本当に正当に選出されていたのかというこだ。もともとロシアに定着していたソビエト=評議会と呼ばれる代議機関にはさまざまな問題があった。ある地域では地元経済を支配するボスの意のままにされていたり、選挙そのものが全く行われていない地域すらあった。レーニンはここに着眼した。暴力的恫喝を駆使すれば容易にそれを手にいれることができると踏んだのだ。そして事実それに成功した。民主主義の仮装に成功したのだ。極めて厳密な近代的普通選挙によって選出された代議員によって構成される憲法制定会議と、その対極にあるがごとき杜撰な「選挙」によってなるソビエトなるものの「どちらが当時の人民の権力として承認されるべきか」など議論の余地すらない。繰り返しになるが、ソビエト政権なるものは100%軍事力によって成立したクーデター政権にすぎないのだ。であるがゆえにその後のソビエト社会も暴力の支配するものとなった。そんな当たり前のことにケチをつけようというのは全くどうかしているとしかいいようがない。
 385 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/22 15:08
 >>380
 歴史を偽造しているのはどちらの方かは調べれば簡単にわかる。全国の憲法制定会議の選挙結果と、ソヴィエトの記録は「レーニンの偽造」ではなく客観的資料として公開されている。憲法制定会議が農民の意志を反映していなかったのは歴史的事実である。
 387 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/22 16:32
 >>385
 >憲法制定会議が農民の意志を反映していなかったのは歴史的事実である。

 といってもボリシビキが暴力によって政権を手にいれたということもまた歴史的事実なのではないでしょうか。彼らが公然と「暴力革命」を掲げていたのは事実ですし。
 393 名前: 客観的資料 投稿日: 02/07/22 19:36
 歴史新書「ロシア革命」稲子恒夫より

 11月全ロシア憲法制定会議の選挙結果(ズナメーンスキー)
 ボリシェヴィキー10,649,000(23.9%)
 エス・エル    17,864,000(40.0%)
 メニシェヴィキー  1,158,000(2.3%)
 カデート       2,099,000(4.7%)

 この選挙の結果については、一部の選挙管理委員会が記録をソビエト政府に引き渡すことを拒否し、破棄してしまったので、全国についての正確な数字は不明である。各種の研究によると選挙が行われた79選挙区のうち68選挙区(4選挙区についてはその一部)における選挙の結果は、表のとおりであり、40パーセントの得票を得たエス・エルが第一党となり、ボリシェヴィキーは24パーセントの得票しかえなかった。しかしこのことからロシアの世論が十月革命に拒否反応を示したとみてはならない。なぜならエス・エルの候補者名簿は左派の分裂のまえにつくられたものであり、したがってエス・エルの票には左派の候補者に投ぜられた分が含まれていたからである。第二に、この選挙は地方において十月革命が進行中に実施されたものであり、したがってその結果は変動しつつある世論の選挙の時点での中間報告にほかならなかった。(以上180〜181ページより引用)

 この本には全国68選挙区の得票数とパーセンテージが出ている。(十月社会主義大革命百科事典)もしこの数字が「レーニンの偽造」なら、ボリシェヴィキが「第一党」になってたと思うが?
 395 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/22 20:12
 >>387
 >>といってもボリシビキが暴力によって政権を手にいれたということもまた歴史的事実なのではないでしょうか。彼らが公然と「暴力革命」を掲げていたのは事実ですし。

 「暴力」の意味を知らないとオモワレ。ツァーリのもとで行われていた政治は「暴力」ではなかったのだろうか?労働者と農民が武装蜂起したのは間違いであったというのだろうか? れではコルニーロフが人民を暴力により弾圧した事に耐えるべきだったのだろうか? 何もしないで殺されるべきだったのだろうか?
 397 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/23 00:07
 >>390
 ほう。よろしい。私から何を奪うつもりかはしらないが、ただひとつはっきりしたことは君らが強盗狼藉者の一種にすぎぬということだ。

 >>393
そのようなトロツキストかぶれの似非学者のいうことのどこに客観性があるというのか? ボルシェビキのデマをそのまま垂れ流しているだけではないか。全く左翼という人種の人の良さは尊敬に値しますな。

 >>395
 帝政下のそれはいうにおよばず、しかし、赤軍や秘密警察の所業もまた暴力そのものではないか。「コルニーロフが人民を暴力により弾圧した事」を非難できる者はまたレーニン一派の暴虐をも許さぬものだけである。
 399 名前: 287 投稿日: 02/07/23 03:18
 >>287です。しばらく来ないうちに私のせいで大分スレが延びてしまっているようで驚いています。小西さんからのレスはいただけていないようですね。代わっていずみさんをはじめ、みなさんからの実直な意見を聞けて大変光栄です。いまさらレスをつけていくことも無理なので、全体を通読してあらためて意見を述べさせていただきたいとおもいます。 まず、私の「マルクス主義は暴力革命主義だ」という前提自体が誤りであるとの指摘を>>288でいずみさんよりいただきました。これについては再三多くの「名無しさん」からの意見によってむしろいずみさんの指摘こそが誤りであるという認識を深めるにいたりました。 レーニンやエンゲルスといった「聖人」たち自身の言葉に明確に「暴力革命」とある以上  いずみさんもご納得せざるを得なかったのではないでしょうか。
 400 名前: 287 投稿日: 02/07/23 03:18
 つづいて、現役左翼活動家と思しき方が期せずして>>322>>332>>333>>337とお出まし になり、私を代って(?)熱弁をふるわれていましたね。いずみさんは彼の人をさして「化石」と評されましたが、私もその点には同意致します。ソ連や中国といった社会のありかたを私はどう贔屓目に見ても評価することはできません。なぜ理想に燃えて立ち上がった人々によって作られたはずの社会があのような最悪の腐敗を結果するにいたったのか。その原因はその社会の誕生そものもにあると私は思っています。つまり、手段としての暴力を彼らが倫理的に承認したことがその根本原因であると。私もとある市民運動家のはしくれではありますが、つねに心掛けていることは「身の丈を わきまえる」ということです。日頃、あまりに憤激にかられ、「爆弾でもしかけてやろうか」 などと思うこともしきりなのですが(冗談ですよ)、そんなことをしてしまえば元も子もなくなってしまうわけで、結局は一人の生活者として社会にアプローチするほかはないとでもいいますか、派手ではない地道な活動が身を結ぶものだということをこの歳になって知ったしだいです。

 仲間には学生運動出身も結構いまして、その人らを通して小西さんの名も知るにいたったのですが、 彼、彼女らのいうことはやはり小西さんはマルクスの呪縛から解放されていないということ なんですね。一方で中核派の「非民主的組織運営」や「内ゲバ主義」を非難しておきながら、「プロレタリア独裁」や「暴力革命」、はたまた暴力そのものの賛美を認めているというのではとてもではないが市井の運動に参加することなどできませんよ。
 403 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/23 08:31
 >>400
 およそ人間の行いにおいてどこからどこまでが暴力であるかということをまずは厳密に規定していただけませんか。私は「言葉の暴力」というものや「無意識の暴力」といった類も立派に暴力の範疇に含めるべきものだと思います。日々横行するパレスチナ人虐殺にあなた自身は完全に無関係であるといえますか?アフリカでの饑餓による子供たちの死や、はたまた国内におけるリストラが原因と思われる自殺者の急激な増加についてはいかがでしょう。この世には暴力が充ち満ちており、その人の好むと好まざるとにかかわらずすべての人は多かれ少なかれそれに加担しているのが実態なのです。その中でも最大の暴力ともいえるものが軍隊や警察、もしくはそれを支える国家機構というものです。もしあなたがその暴力と対決しなければならないときがきたらどのようなたたかいかたをなさるおつもりなのかお伺いしたいと思います。
 404 名前: ワショイ 投稿日: 02/07/23 08:48
 >400 市民に幻想を抱き過ぎと思われ。
 >401 賛美ではないけど、肯定はされてると思われ。 たしか 著書「マルクス主義軍事論入門」で、武力革命の為に若者に 自衛官になるよう 提言されてましたよ。
 >403 特定の暴力機構を憎む余り、別の暴力機構に加担するのか、暴力に拠らないアプローチを強力にすべく努力するのか、選択肢はいろいろありますね。後者がカコ(・∀・)イイ ワショイ
 405 名前: 小西まこと 投稿日: 02/07/23 09:53
 >>287さんへ。
 あなたの質問に答えを躊躇したのは「権力への暴力行使」 までもあなたが「内ゲバ」と主張された論に対して、議論の不毛さを感じたからです。しかし、今回、あなたの市民運動体験を書かれたので、意図することが分かりました。前提的にお断りしておきますと、暴力革命論・プロレタリア独裁論については、僕は現在、根本的再検討している時期です。場合によっては、年内にまとまったものを公表することになると思います。その点から若干。 僕は「マルクス主義への呪縛」に囚われたことは、運動を始めてから一度もありません。常に「懐疑の精神」で全ての理論・思想を見てきたつもりです。ですが、どこかの党派などのように、「19世紀・20世紀が生んだ最大の社会科学」である、マルクスやレーニンの思想を「簡単に」放り投げる無責任さは許容できません。僕などは、何十年学習しても、まだ彼らの思想を「乗り越えられ」ません。だからといって、疑問はたくさんあります。この一つが「国家論」や「暴力革命論」です。これについても、すこしずつ書いていきます。
 406 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/23 12:31
 >>399
 マルクスを「暴力革命主義だ」などとするのは極めて粗暴な読み方をしている人だけが主張するものにすぎません。マルクスにせよレーニンにせよ、その永い文筆になかには、論争的な場面の違いからする明らかな矛盾点をさがすことはむしろ容易なことです。19世紀半ばから20世紀初頭にいたる世界情勢や資本主義そのものの変化をなんら算入せず、ただただ「国家と革命」という限定された一著作を教条化し、マルクス主義=「暴力革命主義だ」などと規定することは大きな間違いです。レーニンは、スイスに亡命中で、社会主義と民主主義の関係について、 ちいって研究した論文をずいぶん書きました。その基調は、
資本主義の時代の民主主義の成果を積極的にひきついで、これを全面的に発展させるのが社会主義だという大胆なもので、そこで展開されている考え方は、いまでも立派に通用するものです。ところが、一九一七年の十月革命以後は、ブルジョア民主主義、つまり資本主義体制のもとでの民主主義を社会主義の対立物だとする見地が前面に出てきて、民主主義の発展的継承論が消えてしまうのです。これには、ブルジョア民主主義の体制にあるイギリスやフランス、アメリカが、ロシアにたいする干渉戦争に乗り出してきたとか、民主主義をかちとったドイツの新共和体制のもとで、ローザ・ルクセンブルクの虐殺など野蛮な政治弾圧が 横行したなど、当時の国際的な政治情勢の反映という面も、たしかにありました。しかし、それ以上に重要なことは、レーニン自身が、十月革命前に『国家と革命』を書いて、資本主義時代の民主主義と社会主義革命後の民主主義とは、互いに相いれない異質物だという理論的な立場を確立してしまった、という点にありました。それが、干渉戦争というきびしい情勢のなかで、いちだんと極端な形で展開されていったわけで、これは、民主主義の問題での、理論と実践の大後退でした。
 407 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日: 02/07/23 21:55
 >>406
 釈然としないものがあるので、突っ込みます。

 まず、そもそも資本主義における民主主義に何らの限界がないとすれば、革命は不要なのではないでしょうか。それはある意味、理想的な状況であると思います。しかし、現実には、旧体制の特権階級は、自らの歴史的使命を使い果たしているのに、権力装置を握って、新たなる歴史の主人公に席を譲ろうとしないことが多く(というか、それがほとんど)、そこに革命の根拠があると思います。そして、その排除が理性的な形で進められるならば良いのですが、大抵は生きるか死ぬかの状況になります。暴力が排除のための実践であるならば、革命とは暴力になる、と、#論理的に#思います。ちなみに、ロシア革命の11月7日は、見た目は「平和革命」という名前こそ、相応しいものであったようですね。翌朝か翌日かの、トロツキーによる臨時政府の大臣への丁重なおもてなし(解放)を忘れてはなりますまい。

 ブルジョア社会における民主主義の限界、それを小生は「権力奪取」の瀬戸際にあると考えております。

 思うに、>>406さんは、「レーニンと資本論5」を受けての書き込みであると思いますが、小生は「レーニンと資本論5」については、「認識が甘すぎる!」と思いました。 その上で、プロレタリア民主主義はブルジョア民主主義を発展的に継承するべき、その道を誤ったということは承認します。むしろ、死の直前のレーニンは若き日のその思想に立ち返り、「権力者として」実践する段で亡くなったと思います(L全の最後の方の文章を見て、そう思いました。)
 408 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日: 02/07/23 21:59
 オマケです。既出です。おちょくり表現ですが、ここに相応しいかと思います。おゆるしください。

 そんな事より>>406よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。このあいだ、不破ちゃんの「レーニンと資本論」読んだんです。そしたらなんか自分勝手な見解が一杯あるんです。で、第5巻には「国家と革命は暴力革命必然論で間違い」、とか書いてあるんです。もうね、アホかと。馬鹿かと。お前らな、自分たちの都合で先人の理論を間違いと決めつけんじゃねーよ、ボケが。階級敵が自分の利益に忠実ならば、暴力を辞さず権益を保護するのは自明の理じゃねえか。マルクスの手紙については「大問題を私信でのみ書くのか」と言いながら、エンゲルスについては、手紙から引用。おめでてーな。レーニンはどこで道を踏み誤ったか、とか言ってるの。もう見てらんない。お前らな、投票はしたるから共産党の看板は他の奴にやれっての。革命ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。相対立する二つの階級が、ギリギリの状況で対峙して、いつ内戦が生じてもおかしくない、殺すか殺されるか、そんな緊張感がいいんじゃねーか。日和見主義は、すっこんでろ。で、やっとロシア革命の権力奪取にまつわるヨタ話が終わったかと思ったら、次にはコミンテルンの設立はまちがいであったとか第6巻に書いてあるんです。そこでまたぶち切れですよ。
 409 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日: 02/07/23 22:00
 あのな、社民主義じゃあるまいし、コミンテルン否定なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。得意げな顔して何が、ソ連の応援団になったから、だ。お前は本当にレーニンの意志を継いでいるのかと問いたい。帝国主義最弱の環を断ち切られたゆえ、世界革命を追求するために世界党が必要だ、という帝国主義論の結論を忘れたのか、と問い詰めたい。査問部屋で小1時間問い詰めたい。お前、一国社会主義を正統化したいだけじゃないのか、と。共産趣味者の俺から言わせてもらえば今、カウンタームーブメントの間での最新流行はやっぱり、分散と協働、これだね。ネットワークを介在して重層的に繋がる運動。これが通の運動。ネットワークってのアメーバ型の組織。当然統合責任者はいない。これ。で、それを既存組織を超えてつなぐ。これ最強。しかしこれを党組織がでしゃばってやると、左翼への不信感がある大衆は拒否するという、諸刃の剣。ネット素人にはお薦め出来ない。まあ不破君は、カウツキーの尻でもおっかけてなさいってこった。
 412 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日: 02/07/23 22:43
 あ、そうそう、今電子化仕事していて、面白い「資本論からの引用」(第一巻、原書745ページ?)がありました。これは、世間の社会主義像と結構対立すると思う。

 社会的変革のあとはどうなるかについては、彼はわれわれにきわめて漠然たる暗示しかあたえていない。われわれは、大工業が「生産過程の資本主義的形態の矛盾と敵対を、したがって同時に新社会の形成要素と旧社会の変革要素を成熟させる」ことを、そしてさらに、生産の資本主義的形態の止揚が「個人的所有を復興させるが、しかしそれは資本主義時代の成果を基礎としてであり、自由な労働者の協業を基礎とし、土地と労働そのものによって生産された生産手段とにたいする彼らの共同所有を基礎としてである(17)」ことを知るのである。
 418 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/24 01:42
 ついに小西は公式にマルクス主義そのものをかなぐり捨て、その御都合主義的改作にのりだした。まったくマルクスの生前より闘わないことを正当化する脱落者の手口というものはまるで変わっちゃいない。 「暴力革命論・プロレタリア独裁論については、僕は現在、根本的再検討している時期です」だと!?貴様ごときにマルクスの何を「再検討」できるというのか。弾圧を恐れるあまり権力に白旗をあげて許しを乞う典型的な脱落者のすがたがそこにはある。
 419 名前: 287 投稿日: 02/07/24 02:13
 小西さんレスありがとうございます。なるほど深いお考えがおありなんですね。私はマルクスを真剣に勉強したことはありませんが、評価できる部分は多分にあるのではないかということは分かりますし、永年マルクスとともに歩んできたあなたの歴史を全否定しようなどとは思っていません。その暴力革命主義的部分や独裁論さえ払拭されればマルクスも私にとって実り多い学習材料になるのではと、小西さんによる自説の出版にいまから期待してしまいます。頭の堅い人たちからはいろいろいわれるでしょうがそんな雑音は気にせず、私のようにその小西さんの変節を喜ぶべきとうけとめているものもいるということをお忘れなく。

 革命などという遠大な理想を追うことも若いときにはいいかもしれません。しかし、もっと切羽詰まった我々を追い詰める理不尽がこの世にはいくらでもあり、また我々の行動を期待する多くの人たちがいるということも事実です。元左翼の人たちは基本的に真面目な人が多いというのが私の評価です。いまどきナニナニ主義などというもので動く人などいませんよ。小西さんも考えるところは種々ありましょうが、右翼だ左翼だなんてくだらない区別にかかずりあっていないで今必要なことをやる、というシンプルかつ確実なスタンスにたたれることを期待しています。
 420 名前: 【暴力革命をめざす者が内ゲバを非難することができるか】 投稿日:  02/07/24 03:17
 できない。それはどちらも自らの政治的目的のために暴力を行使するという点においては同じであるから。よって小西氏はレーニン主義の核心である暴力革命論を「再検討」せざるをえなくなった。暴力によらない革命とはなにか。いうまでもなくそれは単なる改良主義というものだ。よってすでに彼はマルクス主義者ではない。
 422 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/24 04:06
 それより僕的に一番の疑問は次のことです。小西さんたちは内ゲバが左翼運動衰退の主原因だといったいるわけですよね。だとしたら当の内ゲバ党派が一番に滅んでいなければおかしくないですか? 内ゲバに反対していた党派が滅んで、一番激しくやっていた党派が生き残る。これは不思議だと思うわけです。
 424 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/24 09:41
 >小西さんたちは内ゲバが左翼運動衰退の主原因だといったいるわけですよね。だとしたら当の内ゲバ党派が一番に滅んでいなければおかしくないですか?

 小西さんは左翼運動が全体として衰退したことの主原因が内ゲバだといったので、内ゲバ党派が衰退するとは言っていない。
 425 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/24 09:48
 >>423
 実際「消滅寸前」ということはない。権力自身が月刊『治安フォーラム』最新号においても中核、革マル両派の勢力的伸張は「漸次的だが確実」なものがあると認めている。百歩譲って中核派が消滅寸前だとしても、それは>>422への答えにはなっていない。すでに第四インターやプロ青同といった反内ゲバ党派はすでに崩壊してしまって久しいわけだし、もし今中核が消滅したとしてもことの順序に変わりはないからである。逆に内ゲバを徹底的にやりぬいたがゆえに両派は組織的な規律をつよめ、組織としての強固な団結力を獲得した。がゆえに今にいったって健在であるのだということはいえないだろうか。内ゲバの動機は、組織外部の人間には全く理解の範疇を超えた論理があり、その意味では新たな大衆を獲得するに障害となるのではないかということは容易に想像できる。しかし、それ以上に組織内部の人間にとってそれは命を賭けてでもやりぬかねばならないという悲壮な決意すらさせる必須な事柄なのであり、お互いが「革命のためならばこれを避けて通ることはできない」ものだと強く意識している。そのような意識下にある彼らにとって内ゲバとは革命闘争の一貫そのものであり、その勝利は革命闘争上の勝利そのものとして組織を高揚させ、その敗北は理想に殉じた仲間への弔い戦を決意させるという具合に勝っても負けても彼ら自身をより組織への献身へと駆り立てる要素にしかなりえないのだ。結果として両派には自らの命すら組織に預けきることをなんら躊躇しないような筋金入りともいえる活動家が多数存在している。これを歴史の皮肉ということもできるかもしれないが、今の日本に命をも賭してなにかことにあたれる組織というものはそうはない。これからの時代、両派の動向はなんらかの情勢を決するものになる可能性があるとみるのは公安当局もふくめ注目されるに価するものであると思われる。
 434 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/24 14:04
 武装反革命との闘いは革命党にとって最も重要な任務のひとつである。さしあたり主体的力量に規定されてカクマルとの戦争を限定的に闘わなくてはならなかった我々ではあったが、この日本階級闘争場裏においてもっとも突出した民間武装反革命はいうまでもなく日本共産党スターリン主義である。満を持していまこそスターリン主義討伐の歴史的闘いに決起するのでなければならない。
 437 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/24 15:41
スターリン主義は帝国主義とならび人民の手によって打倒されなくてはならない反人民的な政体である。一国社会主義を自己目的化し、過渡期として死滅してゆくはずの権力を反動的に固定化することで必然的に腐敗した官僚主義国家とその随伴者たちはまごうこと なき反革命そのものである。スターリン主義が世界革命を裏切り、帝国主義の延命に手を貸したことでいったいどれだけの人民の生命が犠牲になったか。帝国主義下階級闘争を混乱させ、世界人民の闘いをスターリン主義的に変質させることによってどれほどの革命の芽がつみとられたか。すべての人民の闘いは反スターリン主義の旗の下に再編成されなくてはならない。
 438 名前: コニシさん江 投稿日: 02/07/24 16:26
党派闘争の現象面としての暴力性のみをとらえて「内ゲバ反対」などと叫んでみたところでどうにもならないでしょ。だって人と人が一度対立しはじめればそれが暴力的対立にまで発展した場合どこからが厳密に暴力的対立かなんてわからなじゃん。国が戦争するときはその準備もふくめて戦争なわけでしょ。だから戦争反対というばあいは軍備そのものに反対するんでしょ。だったらあんたらが政治的手段としての暴力をあつかうときも「こっちのは自衛のためだからいい。あんたのは攻撃のためだからダメ」なんて屁理屈とおるわけないということもわかるよね。そのへんハッキリさせてよ。

 ょ。いくらなんでも。程度の話しをすれば「キャンパスでゲバ棒でちょっとなぐりあう」くらい
だったら若い人は血の気が多いねーくらいですんだんだろうけど、「寝込みを大勢で襲って殴り殺す」というのはあまりにイメージ悪いよ。現実的な歯止めというか大局的に情勢を見る目というのがたりないのが問題なんだよ。
 442 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/24 20:17
 >この日本階級闘争場裏においてもっとも突出した民間武装反革命は>いうまでもなく日本共産党スターリン主義である。

 それは全く間違っている!「もっとも突出した民間武装反革命」はやはりカクマルであり、そして「つくる会」に示される歴史修正主義勢力であり、2ちゃんねるハングル板などに巣食う差別者である。忘れたのか!山谷において、佐藤さん山岡さんを殺したのは誰だ?
反共右翼ファシストではないか!
 450 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/25 11:52
 >>449
 君な。日本には建前上言論の自由ってもんがあるわけよ。たとえ「○○を殺す」と宣言したとしても、それだけで 捕立件はできないのよ。脅迫罪が成立するにもまず被害者の訴えがなきゃならんしね。土門の会見にしても、それを殺人教唆として立件するには、実行者とそれを教唆した者とのあいだの因果事実が立証されなくてはならんのよ。実行者も特定できていないのに教唆が成立した「一般の刑事事件」なんてあるわきゃないの。わかる? とねー。扇動が罪になるのは破防法が適用された場合のみのはなし。団体適用があった場合はそりゃもちろん機関紙編集長は逮捕されるでしょうなー、って君もしやいまだに団体適用がないってことをもって「泳がされてる」なんて主張してんの?そうしたら日本中の犯罪組織が泳がされてることになっちゃうんじゃん!まったくこんな低水準な「根拠」で何をいっても弾圧待望論にしか聞こえないよ。実際そうなんだろうけどね。日共が必死に泳がせ論展開してたのも新左翼におされまくってる 期だしね。もっとも奴らは公然と「取り締まりを強化せよ」なんて弾圧要請してたけどね。小西が今頃泳がせ論なんて持ち出してくんのもこれと全くいっしょ 心理なのまるだしで笑えるよ。「警察のみなさーん。中核が僕を反革命だといって粉砕するって いってますよー!はやく取り締まってくださーい!もたもたしてたら 僕やられちゃいますよー!」
 454 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/25 14:20
 「K=K連合」という言葉を中核派が使いはじめたのは、革マル派が機関紙『解放』72年新年号論文において以下のような、俗にいう「首根っこ急所」論を展開して以降のことである。

 >プロレタリア的道徳性の片鱗すらとどめないこの反労働者的徒党を、我々はプロレタリア階級の名において絶滅し尽くさねばならない。権力による攻撃にすくみあがっているブクロ派にとってそれ以上の恐怖は、我が革マル派の党派闘争に他ならない。権力は首根っこを>押さえているに過ぎないけれども、我が革マル派は下の急所を握っているからなのだ。(『解放』72年新年号)

 これは70年安保沖縄闘争における大量逮捕者に疲弊している中核 派に対して、これを機として攻撃を加えるぞという革マル派による戦闘宣言にほかならない。そして実際に手始めとして、革マル派は71年12・4中核派学生2名を、初めて明確に殺人を目的化した襲撃によって虐殺するという挙にでる。組織的に弱体化していた中核派はなんら有効な反撃にでることが出来ず、当初この「戦争」は革マル派による一方的な優勢をもって幕をあけた。中核派のゲバルト急進ぶりにさんざん手を焼いていた警察権力といえどもこれに気を良くしたかどうかは定かではない。しかし、中核派が主体的には上記のような革マル派の宣言を聞いて「権力とカクマルは結託している」と考えたとしてもなんら不思議ではないだろう。

 したがって、中核派の「K=K連合」論には「警察は革マルを使って 中核を潰させているんだ」という何か警察の意志にしたがって革マル派が使嗾されているんだというニュアンスはない。権力と革マル派という異なる敵が暗黙の了解によって意志を通じて 中核派潰しにでてきているとういうのが彼らのいわんとしていたこ とであろう。これに対し、革マル派の「権力の謀略」論は、襲撃自体は「権力内謀略グループ」と彼らの呼ぶ襲撃のプロによって行われ、中核派はそれを「追認」しているに過ぎないとするもので、結果として革マ ル派による中核派への攻撃をトーンダウンさせるという性格をもっ ていた。
 467 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/27 01:12
 反革命分子がくだらない煽りに徹してるな(w 革命が成就すればまずお前が反革命の罪の裁きを受けることになるだろう。いいか?反革命分子よ。革命運動というものはそこらへんのガキ(お前のようなヤシ)がお遊びでやるもんじゃない。人生を賭して大衆を扇動しつつ 自らを革命戦士として闘争場に置くのだ。闘争途上では血は流れる。無血にこしたことはない。だが権力奪取と並行して反革命を打倒する闘いにおいては一切の情をかなぐり捨て、殲滅すること。これは当然の闘いであるのだ。分かるか?盲目的に組織と自身、そして大衆を信じねば、闘いは不毛に終わる。勝利を克ち取るには必要な「闘い」なのだ。

 小西誠への質問状 2
 519 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/02 13:42
 プロレタリート独裁は、「安穏」でも「固定観念」でもない。 それはマルクス主義学説の原則中の原則だ。 原則を放棄することが弁証法だなどとは闘いを放棄した者の言い訳に過ぎない。 何はともあれ、君自身はプロ独を承認するのか否かそれはまずは明らかにしてもらいたい。
 520 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/02 14:33
 マルクスがどんなに偉いか知らないけど、独裁は絶対悪であることは歴史が証明しているところでしょ。 小西さんはあたりまえのこと言ってるだけ。ためしに独裁掲げてどっかの選挙に立候補してみな。泡沫まちがいないから。
 521 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/02 15:35
 国家の暴力装置はもはやその本質ではなく、一属性にすぎない。 レーニンの時代は戦争の時代であって現代とは明らかに違う。 個人を結ぶ横方向のネットワークが網の目のように発達し、社会の変革を目指すための組織のありかたもそれにしたがって形は かわっていかるべきべきではないか。 状況の変化を見ることが出来ない者が唱える独裁なるものに未来はない。
 522 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/02 15:57
 プロレタリアートは、ますます革命的社会主義のまわりに、 すなわちブルジョアジー自身がそれにたいしてブランキなる 名称を考えだした共産主義の周囲に結集しつつある。この社会主義は、革命の永続宣言であり、階級差異一般の廃止に 到達するための 必然的な経過点としてのプロレタリアートの 階級的独裁である。

 コミューンの組織がいったん全国的な規模で確立されたとき、 おそらくその前途になお待っている災厄は、奴隷所有者の散発的な 反乱であろう。それらの反乱は、平和な進歩の仕事をしばらく 中断させはするが、社会革命の手に剣を握らせることによって、 かえって運動を 促進するだけであろう。資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、前者から 後者への革命的転化の時期がある。この時期に照応してまた政治上の過渡期がある。 この時期の国家は、プロレタリアートの革命的独裁以外のなにものでもありえない。
 524 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/02 16:33
 暴力革命は プロレタリアートの防衛における 最後の切り札だと思う。 放棄はすべきでないが、悪戯に 切望する事は間違いだと思う。 あれは副作用が強過ぎるんだ。 致命的重態でなければ処方すべきではない。
 528 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/02 17:40
 暴力革命は プロレタリアートの防衛における 最後の切り札だと思う。革命とは労働者による自発的かつ能動的な行為なのではないですか? 受動的な「防衛」というものに暴力革命を限定してしまっては革命というものではなくなってしまいませんか?
 529 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/02 17:43
 縛られるとは 無批判に尊重すべき教条として 肯定する態度のこと。健闘する価値はあるよね。批判の対象として取り上げる価値は。 しかし 共産主義は 宗教ではないので、絶対的命題など存在しないよ。

 ソビエト同盟も無謬の組織ではなかった。世界中の社会主義勢力も無謬ではない。 それらが、古典の不完全性を示しているし、先人の失敗は我々に考える材料を提供してくれていると思う。

>527 だから、共産党の努力の不足を物語っていると言っているだろ〜が!!  
 理論的必然性を自負する政党であればこそ、 非・支持者の数=批判票ということですよ。
 530 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/02 17:47
 >528 帝国主義者が横暴を極めるのであれば、我我労働者は 命と言う実力行使を以って 自らは死すとも 同朋の生存を勝ち取るだろう。 そういう意味での防衛だよ。
 革命と言う暴力においても、正統性・すなわち専守防衛の観点があればこそ、人民は 自発的かつ能動的にその事業を行うものと考える・・・が、どーよ。
 531 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/03 00:44
 >>529>>522はただ単にマルクスを引用しているだけであって、それを無批判に信仰せよなどとはいっていない。 引用を行ったにすぎない者を、あなたは「古典なんぞに縛られる..教条主義者」だと断定をしている。 このような非論理的かつ恣意的「批判」を行う者が「共産主義は宗教ではないので、絶対的命題など存在しない」 などとは、とんだお笑い草というものだ。 まったくもって、資本論に「批判の対象として取り上げる価値」をしか見い出すことのできない貧弱なセンスの 持ち主にして相応しい厚顔ぶりというほかはない。

 >>530
 >同朋の生存を勝ち取るだろう

 この御仁「労働者は祖国をもたない」という言葉すら知らない御様子。 今気づいたがこりゃコヴァ信者かなんかの騙りだな・・・。 いうに事欠いて「専守防衛」ときたよ。 相手すんのもアホくさいね。
 540 名前: hdk ◆T6CE/fXE 投稿日: 02/08/04 22:17
 >538-539
1)プロレタリアートの意志は、有能な者が代弁可能だ。
2)有能な者が示す労働者の意志。それへの異存は即ち 不勉強と不理解です。
3)プロレタリアートの意志は、プロレタリアート独裁を拒否します。

 故に、プロレタリアート独裁は 否定されます。
論理1を否定するなら、プロレタリアート独裁の実現は不可能です。
論理2を否定するなら、プロレタリアート独裁の実践は不可能です。
論理3を否定するなら、(論理2によって)、あなたが不勉強と不理解なんですよ(ワラ

 つーわけで、プロレタリアート独裁なんて、机上の空論です(トカイウ プロ独に固執するなら、代弁可能という論拠を示してください。 階級の代表を自称する 詐 欺 師 が横暴を極める罠。
 542 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/05 10:46
 >541

 最初は「ソヴィエト」による意思決定のはずが、そのソヴィエトをほぼ ボルシェヴィキが占拠。最初は左派SLや、アナキストもいたのに… のちには官僚独裁ね。労働者階級が総体として独裁したなんて事実 はなく、労働者個人は逆に官僚階級とその暴力装置によって支配さ れた。 それが旧ソ連の「政治」の内実でそ。
 543 名前: ただいま 投稿日: 02/08/08 01:42
 >のちには官僚独裁ね。労働者階級が総体として独裁したなんて事実はなく、労働者個人は逆に官僚階級とその暴力装置によって支配された。

 なんでそうなったか、ということだよね。レーニン主義自体にひいてはマルクス主義自体にその原因があったと考える人も多い。だとしたらマルクスの批判的乗り越えは必死だろうね。 マルクス主義者としてことにあたることはできなくなる。
 545 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/08 13:56
 暴力革命論とプロレタリアート独裁論こそがスターリンによる恐怖政治の根源です。したがってマルクス主義のなかから上記二項を消しさる必要があるのです。そのための思想的営みはすでに様々な人々によってすすめられています。小西さんもやっとそのことに気づかれたようですね。
 546 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/09 02:49
 >>540
 >プロレタリアートの意志は、有能な者が代弁可能だ。

 政権をブルジョアジーから奪取してのち、武装したプロレタリアートはただちに全国的 な代議機関の整備をおしすすめなくてはならない。代議機能が特権にむすびつかないよう細心の注意をはらって、すなわちあらゆる労働者と同等の賃金をさしあたり受け取るにすぎない「代弁」者によって階級の意志はひとつ のものとなることができる。

 >有能な者が示す労働者の意志。それへの異存は即ち 不勉強と不理解です。

 「代弁」は「有能な」者のみの特権的職能ではない。むしろそれは労働者でありさえす れば誰でもかまわないといった種類の、まさに評議会の決定を中央に伝達し議決に票を 投ずることのできる者ならばその資格を得ることのできるものであるにすぎない。 したがってそれへの「依存」や「不理解」などということは機能的に起こり得ない。

 >プロレタリアートの意志は、プロレタリアート独裁を拒否します。

 革命とはブルジョア独裁の打倒である。したがって政権奪取後の社会的諸権能はさしあ たり別の独裁によってしか引き継がれることはできないし、その主体がブルジョアジー の打倒をなしえた者、すなわちプロレタリアート以外の者に担われることはありえない。 ただしその独裁は自らの止揚を機能的に獲得した特殊な独裁、すなわち無階級社会を目 指し実現するための独裁、独裁をやめるための独裁としてのみ存在できるにすぎない。故に、プロレタリアート独裁の実現は唯一現実的な革命の手段であるといえる。
 550 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/09 21:04
 暴力を好む者は少ないが、強いられてそれを担ったり、承認する者は多い。 国家の戦争施策はこの世における最大限の暴力であるといえるが、 それが歴史上幾度となく大衆の身に降りかかったのは、逆に言えば大衆自身が そうした政策を許してしまったがゆえであるともいえないだろうか。 なぜ許してしまったのか? いうまでもなく弾圧を恐れるあまりである。 弾圧とはなにか? 国家によって独占された暴力が、武装を禁じられた人民に対して用いられることである。 しからば戦争反対の意志を貫くには必然的にこの国家暴力との対決を余儀無くされる。 弾圧に屈することのない組織が必要になる。 これがプロレタリアートの武装というものだ。 国家の強大な暴力装置にはなんら反対せずに、人民のこのささやかな武装にはとたんに 「暴力反対」などと言い出する者は、この暴力に満ちあふれた社会にあっては奴隷である ことに甘んずることを表明している以外のなにものも意味しない。
 552 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/09 21:59
 もちろん551はやくざの武装と一部新左翼党派の武装が、区別がつかない所にまで堕しているという実態をふまえた上で書いているのであり、一般的に「人民の武装」に反対するとのは別の意味で言っているのは当然であります。(藁
 553 名前: 550 投稿日: 02/08/09 23:00
 >>511 >>522
 >何十人も人殺してるもんを「ささやかな武装」とはいわんと思うが(藁

 それがささやかであるか否かは主観の問題ではありましょう。 では暴力が国家によって独占されているというこの社会のありかたについてはどう思われますか?
暴力を扱う以上、その行使が現象としての人の死を結果させることを、行為者として退けることが 出来ないものである、ということは認められますか?

 >一般的に「人民の武装」に反対するとのは別の意味で言っているのは当然であります。(藁

 では、あなたは、「一般的な」意味での人民の武装については承認されるのですか? もしそうであるならその営みはどのような形で開始されるべきとお考えですか?
 554 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/09 23:42
 それはあんたが「主観的に」何十人も殺す事が「ささやか」であると認識しとるのね? で、殺すのは避ける事が出来ない事だから全然OKだと? 「一般的な」意味で、どういった武装が承認されうるか、それはあんたが考えないといけないんじゃないのか? 私は今の一部の新左翼セクトの「武装」とやらが、大学や組合や大衆運動という「縄張り」を支配する為の武装でしかないじゃないか、という事を言ってるんだが? だから、やくざの武装と全く変わらない質の武装としてしか、「人民の武装」とやらは実態として組織されてないという現実を、あんたはどう考えるんだよ?
 555 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/10 00:25
 554さんに「半ば」賛成だね。あくまで半ばね。 だいたい、新左翼の内ゲバは小西さんが検証内ゲバ で書いているように、大学内での自治会の利権のぶ んどりあいで始まり、激化し、そして学内の支配を 巡って続いたもんだろう。新左翼の武装なんてそんな もんだよ。 しかし、暴力の問題は真剣に考える必要があるね。国家 が暴力を支配の手段とする限りはね。だからといって単純に 暴力革命はできないだろう。これだけ民主主義が発達した社 会ではね。この矛盾を解くことがカギではないか。 
 556 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日: 02/08/10 00:26
  一人のマルクス・レーニンファンとして、小西さん、いずみさんに「反対」しつつ、 マルクス革命(変革)論を自分なりに再検討したい。

1.マルクスの時代の革命(変革)
 マルクスの思想は現実に立脚する。彼の思想は徹底的にそれまでの歴史を唯物論的に 解釈し、それを論拠に現状を変革するために闘った。彼の生きた時代は、民主主義が極 限された形でしか存在せず、封建主義が世界的に支配的で、闘争は直接的な物理的な対 決で決着をつけることが時代の趨勢であった。議会は往々にして王様に欺瞞され、決定 的局面ではお人よしの「勤労大衆の代表」は物理的に排除され、殺された。そういう時 代にあっては、民主主義を守ることは同時に物理的な暴力《Gewalt》を伴わざるを得な いものであった。

 かの時代にあっては、プロレタリアの大義を守ることは何の疑いもなく、暴力 《Gewalt》を行使せざるを得なかっただろう(共産主義の原理16の答えを見よ)。 ましてや、社会を根本から変革する革命は、畢竟暴力的な解決にならざるを得ない。
 557 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日: 02/08/10 00:27
 要は、お互いに信頼関係もなく、相互浸透もない状態に分裂した社会の変革はいわゆ る暴力革命が必然的である、ということだ。全くの新世界への期待と旧体制の腐敗・衰 退から、旧体制の要素はほとんど引き継ぐ必要のない滓《かす》であると断定され、暴 力的に爆砕する必要がある、と。さらに言うならば、そのような旧体制は自分を必要に 応じて変革することはなく、一気に変革する圧力(革命の圧力!)によって、暴力的に 引き倒される必然の中にある。ヘタレな体制だから革命を惹起するということだ。その ことは、20世紀の大革命にも見られる現象である。ロシア、中国など。革命の起こる 国は、全てと言っていいほど、度し難いほど腐敗し、硬直し、生命力を失った旧体制を もつ。戦争によってどうしようもないほど腐敗・堕落していることが暴露されたツァー リズムではあるが、そういうことが暴露されるつつも、ストルイピンの健全なる反動に よりロシア資本主義が着実に成長した生命力の惰性が残っていた時、レーニンは、「我 々老人の生きている間に革命はないだろう」と言ったが、それはこういうことの裏返し である。
 558 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日: 02/08/10 00:27
 2.暴力革命と平和革命
 ここまで日本語でイメージされる暴力を念頭に、古典的な、マルクス=レーニン主義 的な革命(変革)論を書いた。だが、ドイツ語の《Gewalt》には、暴力というよりは強 制力と言うべきニュアンスがある。確かに、強力革命という言い換えは、間違いとは言 い切れない。いずれにせよ、《Gewalt》は強制的に排除されるものがいなければ、使用 されない言葉である。それは王様であったり、ブルジョアジーであったりするわけだが、 彼らは粛々と政権の座から離れるという保証はない。革命という急激な変革とあれば、 なおさらである。そもそも、粛々と政権の座から離れるならば、革命ではない、ではな いか。彼らを強制的に政権から排除し、他の主体が権力の座につくから、革命である。 ならば、革命は《Gewalt》以外にありえようか。平和革命における、見た目の平和さは、 圧倒的な《Gewalt》の行使力によって保証されるのである。それの一番の例証は、かの 1917年11月7日の、ボリシェヴィキのみならず、圧倒的多数の住民・労働者・兵 士の武装によるケレンスキーの退場(レーニンが逃亡の車を逮捕せずに見逃したことを 想起せよ)、SR左派、ボリシェヴィキに代表される者たちの権力奪取の瞬間に見られ る。ロシア革命は、一部の歴史から学ばないものの怒号する「クーデター」などでは決 してなく、平和革命であったと言ってもよいくらいである。何しろ、スハーノフがその 場に立ち会えたくらいなのだから! そのお人よしの代償こそ、後の歴史に見られるが、 それはここでは触れない。
 559 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日: 02/08/10 00:28
 3.プロレタリアート独裁について
 これは、革命期と平時に分けて論じる必要があると思う。まずは、革命期から。革命 と反革命が入り乱れ、権力基盤が脆弱であるとき、ましてや内戦期に、独裁以外の手段 がありえようか? 但し、これは権力者の独裁であり、トロツキーの言う代行主義の極 致であり、永続するような代物ではない。当然、平時のプロレタリアートの独裁とは似 て非なるものである。だが、これは、プロレタリア革命の本質から導き出される、革命 期には必要な独裁なのである。これがなければ、反革命の独裁が貫徹されるであろう。 広範な大衆が通常の方法で意志決定を行なう民主主義など、そんな余裕はない。
 560 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日: 02/08/10 00:28
 一方、平時のプロレタリアート独裁とは、どういうものであろうか。これは、ブルジ ョア独裁と対比し、「似たもの」として想定出来ると思う。今の日本でただの勤労大衆 が立候補!・・・・出来るだろうか。組織の後ろ盾でもあれば別だが、供託金、主張を広げる場、色々なことで権力の座から遠ざけられ、結局お金のあるブルジョアジーの代 弁者が圧倒的に有利であり、共産党をはじめとする労働者の政党は、「聞き捨て」状態 にある。これをひっくり返し、フツーの勤労大衆でも意志のあるものは誰でも立候補で き、発言権を保証し、多数者(勤労大衆)による少数者(ブルジョアジー)の抑圧、と いう、多数決の原理という民主主義の原理を貫徹することがプロレタリアートの独裁で ある。そして、階級対立の死滅に従い、プロレタリアートの独裁も死滅することは、国 家と革命にあるとおりである。  小西さんのおっしゃる疑問は、おそらくこの二つを意図的に混同してきたマルクス= レーニン主義への疑問なのではないか、と思う。ソヴェトや中国は、前者の独裁をずっ と継続して、原則にまでして来たのだから・・・。
 561 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日: 02/08/10 00:29
 4.では、現在先進国の変革(革命)論は?

 現在の日本は、マルクスやレーニンの時代とは条件が著しく異なっている。変革の理論 と実践も異なっていてもおかしくない。腐敗と行き詰まりを見せる日本ではあるが、だが かつてのロシアや中国と比すると、事態はそんなに煮詰まっていず、革命という方法を他 の手段を差し置いて積極的に追求する必要はまだないと思う(備えることはよいことだが)。 正直に言えば、改良に主眼を置くべきである。革命的条件がありながら、それを殺して反 革命に血路を拓くことが改良主義の罪だが、それは「改良オンリー、革命ダメ」という教 条によって引き起こされる。今は(まだ?)そういう時代ではない。逆に「改良=改良主 義」という教条こそ、危険で有害だと思う。

 革命か、改良か、という問題は、その社会がどういう社会であるかに規定される。我々 は、ガンジーによるインドの独立を知っている。これは、宗主国イギリスが道義的に追い つめられた所以による。かつて共産主義者は「ガンジを葬り去れ」と嘲笑していた。それ は、道義などの力を信じていなかったからである。だが、今のブルジョア国家で、道義を 無視しえる国家はどの程度あるか? アジェンデ政権崩壊に関連して、下手人どもは今、 追及されている。米帝はサンディニスタを退場させるため、選挙という手段を余儀なくさ れた。これらは、革命によらない変革の可能性が広がっていることを示しているのではな いか。(勿論、革命という選択肢を排除する意図で書いたわけではない。)

 プロ独については、3.に見たとおり、民主主義の徹底を要求することで、その道は開 けるであろう。
 562 名前: hdk@忍法マジレス返しの術 ◆T6CE/fXE 投稿日: 02/08/10 02:02
 >548 マジレスだったんですか。申し訳ない。では漏れも忍法マジレス返しの術。
 小西さんによる「プロ独」への見解 表明もまだみたいですし、 煽った手前もあり 私の愚考を晒しておきますですYO。

 私見では、プロ独は無理です。(代議制の成熟に伴う 実質のプロ独、 ・・・プロレタリアートによる支配が ベストの選択と思います) ∵ 正義 =「止揚された達観」で在り、議論こそ正統性を 証明する唯一の方法だからです。暴力でしか正当性を示せない主張は 概ね間違いであり、間違いだからこそ議論で負け、暴力をとらざるを得ない。 それこそ 暴力で以って否定(鎮圧)されるべき 誤り でしょう。
 563 名前: hdk@勉強不足で用語が変かも>漏れ ◆T6CE/fXE 投稿日: 02/08/10 02:04
 546>労働者と同等の賃金をさしあたり受け取るに すぎない「代弁」者によって階級の意志はひとつ のものとなることができる。

 収入は ブルジョアの条件ではないです。階級です。ブルジョアとは てる者の論理/持たぬ者の軽視。悲しいほど既存の社会主(以下略 代弁不可能です。(異存の提出者と議論し、お互いの見識を止揚し、 方の納得を模索する真性の共産主義者同志なら話は違います。 かし) 以下の如き 似非共産主義者には無理です。彼らは
1)自己(主観)と階級を無根拠に同一視している。
2)暴力の行使に寛容=暴力で正統性を主張できると信じている。
3)異存保持者を排除し、自説を「ひとつの意志」にしつらえる。
→そんなものは 階級の 主張ではない。
→そんなものが 万一革命を成功し、プロ独を謳っても、実質は
 生産設備を略奪し所有する新ブルジョアに過ぎない。前より凶暴で悪質だ。 んなわけで>>549禿同。
 564 名前: hdk@小難しい用語を使いたい年頃(ワラ ◆T6CE/fXE 投稿日: 02/08/10 02:05
  自己と階級の無根拠な同一視を棄て、下級機関、支持者、世論、他セクト、敵対勢力、 れらからの批判に 謙虚に耳を傾け、止揚し、正論を主張する事により信を問う姿勢こそ 人民の信頼を培い、強力な連帯を生むのではないですか?・・・自己批判も出来ぬ者に 指導者たる資格はありませんよ。私も社会主義化を切望しますが、共産主義者の質・信用を 考えるに、今はまだ時期尚早だと思っています。

 546>「代弁」は「有能な」者のみの特権的職能ではない。むしろそれは労働者でありさえす れば誰でもかまわないといった種類の、まさに評議会の決定を中央に伝達し議決に票を投ずることのできる者ならばその資格を得ることのできるものであるにすぎない。

 しかし 現実の党派は 「思索せる労働者である事」 を 唯一の条件とせず、 恣意的基準を 濫用し、追放・党籍剥奪を 乱発しているではないか。 左様な内容で 階級を名乗るなど おこがましい。 異存提出者と議論した結果、彼を共産主義に引き込めない共産主義など 共産主義ではない。それが出来なければ弁証法の不徹底だ と思います。 放逐者の数は、党の未熟さのメルクマールだ と思います。
 565 名前: hdk@連続投稿スマン ◆T6CE/fXE 投稿日: 02/08/10 02:05
 546>それへの「依存」や「不理解」などということは機能的に起こり得ない。

 数学的センスを育てない多くの愚民は、公式を享受し、道理や過程に留意せず、結果のみを用いるし、結果のみを求めます。左様に、 あらゆる人間には堕落の罠が待ち構えいます。 共産主義者も人間であり、彼らを過大評価し 彼らに依存する事こそ、 この上なく危険な誤りです。現に共産党は 輝かしい功績の陰で、 (階級の利益を無視し)党利党略に固執しているではありませんか。 てゆーか、「依存」や「不理解」など ありふれています。共産党を含む 多くのセクトってば 中央に依存した 教条主義者 じゃネーノ?(トカイウ
 566 名前: hdk@あとふたつ ◆T6CE/fXE 投稿日: 02/08/10 02:06
 546>すなわちプロレタリアート以外の者に担われることはありえない。 ただしその独裁は自らの止揚を機能的に獲得した特殊な独裁、すなわち無階級社会を目 指し実現するための独裁、独裁をやめるための独裁としてのみ存在できるにすぎない。 故に、プロレタリアート独裁の実現は唯一現実的な革命の手段であるといえる。

 必要性はわかりますが、正統性の証明に難があり、支持しかねます。 合法・議会闘争という共産党の「方針」は 正しいと思います。 大阪民青・キンピー氏関連を踏まえ、共産党の[実質]は言及できませんが(ワラ

 >550 浅慮です。殴られるよりも痛い仕打ちというものがある。
 殴り返す事が 相手の 思惑通りということも在るんです。むしろ、 機動隊員に殴り返す事こそ、労働者階級同志の消耗だと気付くべきです。機動隊員を説得する事が出来ないなら 貴方の正義も所詮その程度という事です。 その程度の正義では、暴力の正当化には とても 至りません。
 568 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/10 03:07
 >>556
>民主主義が極限された形でしか存在せず、 「勤労大衆の代表」は物理的に排除され、殺された。 かの時代にあっては、 社会を根本から変革する革命は、畢竟暴力的な解決にならざるを得ない。

 あなたは「マルクスの時代」などと限定してしぶしぶと暴力革命の「畢竟」を承認する。 しかし、現代が「マルクスの時代」と比して、どれほどの「民主主義」が実現されているというのか。 およそこの世で「民主」などと名のつくものほど胡散臭いものはない。戦後教育なかでわれわれは、 「人間は生まれながらに平等だ」などという嘘っぱちを教え込まれてきた。 貧乏人も金持ちも一票の投票権をもつという意味での平等なるものがいかにインチキそのものであるか は、社会に出てみさえすればだれにでもたちまちわかることだ。 ひとたび戦争になれば「民主主義」のお題目などは消し飛んで労働者とその子息たちは虫けらのように殺される。 徴兵され、前線に立たされるのは常にプロレタリアートであったし、これからもそうであろう。 沖縄人民への、三里塚農民への国家の仕打ちに「民主主義」などがあっただろうか。断じてない。 いまや小泉の戦争国家化政策によってすべての人民が同じ目にさらされようとしているのだ。 いわばそこで語られる「民主主義」なるものはマルクスの時代よりもっと酷く、徹底的に人民を収奪し、 その命をすらもっと無残に、かつてを上回る規模で差し出すことを強制するための手段でしかない。 現代を「マルクスの時代」と比して民主主義という制度において何か進んだ地平にあるがごとき幻想は、 敵のめざすところに完全に包摂されていまっている意見だと言わざるをえない。
 569 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/10 03:08
 >>557
 >要は、お互いに信頼関係もなく、相互浸透もない状態に分裂した社会の変革はいわゆ る暴力革命が必然的である 度し難いほど腐敗し、硬直し、生命力を失った旧体制

 行き場のないこの大不況は早晩金融恐慌へと発展するだろう。あらゆる中間的階級は没落し、 プロレタリアートとブルジョアジーの「相互浸透」は急速に薄まってゆく。 軍事において他帝国主義に決定的に立ち遅れた日本の帝国主義者どもは、勝算すらない絶望的な戦争に突き進んでいかざるをえない。 責任転嫁を繰り返しながら支配階級はさらに「腐敗し、硬直し、生命力を失っ」てゆくだろう。まさ現代こそがあなたのいうところの暴力革命を「惹起」させる好機そのものではないか。
570 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/10 03:09
 >>558
 >見た目の平和さは、圧倒的な《Gewalt》の行使力によって保証されるのである。

 全くもって正しい。「平和革命」なる語はスターリン主義者のデッチあげたペテンにすぎない。

>>559 >>560
 >プロレタリアート独裁について  これは、革命期と平時に分けて論じる必要がある 。革命期には 広範な大衆が通常の方法で意志決定を行なう民主主義など、そんな余裕はない。

 分けて論じるべきではない。なぜならあなたの措定する「革命期」なる期間が プロレタリア革命全体を時間的に含むならば、そもそも「平時」の独裁などというものは ありえないからである。 革命は階級を消滅させ、賃労働を止揚し、国境を解消する。これが全世界において 実現してのみ革命は果たされたといえる。それにいたる過程はすべてが革命の期間であって、 その内実はプロ独政権が敵階級ブルジョアジーを暴力的に専制し、収奪すること、 及び、それに反抗して不断に襲い掛かる反革命を殲滅すること、これ以上でも以下でもない。 反革命の掃討には武装力が不可欠であり、 労働者階級の利益にのみ立脚した独裁政権のみがそれを持つことができる。 しかしその武装は一部の暴力装置によってのみ代表される武装なのではなく、あくまで全人民 の武装という革命の基礎に立脚するところの武装でなくてはならない。 したがってプロレタリアートの独裁は、「大衆が通常の方法で意志決定を行なう民主主義など、 そんな余裕はない」どころか歴史上もっとも進化し徹底した民主主義によって保証される独裁といえるのだ。 スターリン主義の犯罪性はこの階級の独裁を党の独裁に置き換え、人民を武装解除して官僚の意のままと しようとした点にある。人民の武装に立脚しない独裁などはあらゆる意味でプロレタリアートの独裁とは 無縁のものだ。
 571 名前: hdk ◆T6CE/fXE 投稿日: 02/08/10 08:19
 >568  現代も「理想」や「無謬」から、ほど遠い。 現代の 民主主義の反故は、建前と現実のギャップを示している。

 それなのに、なぜ プロ独は大丈夫だと 考えるのですか? むしろ、酷くなることは 歴史が明かしているじゃありませんか。 スターリンの粛清、クメールルージュによる虐殺。 それらの二の舞にならないと考える根拠は ありますか?
  572 名前: いずみ 投稿日: 02/08/10 09:01
 ご指名ですかい^^;;>TAMO2さん

 手短に。 ロシア革命当時、プロレタリア革命が暴力によってのみが有効であったことにははじめから同意してますです。 また、現代においても、「既存権力システムを暴力的に破壊すること」が、その実際の戦闘戦術スタイルにかかわらず「革命」といえるだけの要件だとも思います。 んで、じゃーいずみがなんて「プロレタリア革命が当面のもっとも重要なテーマだ」「暴力革命が必要だ」というのの両方に反対するのか、なのですが。 これらは今の日本の状況においてだけ考えていることで、他国、まして後発国なんかがどうあるべきかは勉強不足で正直わかりません。 今の日本では、「市民としての成熟性」を大衆的に獲得する作業を現実の異議申し立て(対案なし大いにけっこう!)の中で打ち鍛えていくべきだ、と考えているです。 階級間の問題が大きな問題であることは前提とした上で、今のままプロ独を掲げたりするのは新たな一部者の独裁を生むだけの気がします。なんか2段階革命論だな。^^;; また、もはや日本の今の状況では、「自国民」から死者が大量に出るような事態には社会システムが耐えられないのではないか、と思うです。 この面では、戦争準備を進める今のシステムは根本的に矛盾と危機をもっているといえるわけですが、逆にそのような状況では「暴力革命で権力奪取」というのはむしろリアルじゃないと思うわけです。 なお、「非暴力実力抵抗」は必要不可欠ですし、システム全体ではなく一部が直接的暴力を集団行使してくる(単パネ的に)危険性は常にあるので、民衆の側を完全非暴力路線的に武装不要とすることはできないでしょう。なんか敵の出方論だな。^^;;
 573 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/10 10:47
 プロレタリアートの武装においてその核となるのは、何より弾圧に潰されることのない組織づくりだ。 戦争反対という主張は本質的にすべての人民の利益にかなったものであるがゆえに、 国家は戦争政策の推進においてそうした人民の声を圧殺することなしに、人民に死を強制することはできない。 戦争とは人民にとっては苦しみ以外のなにものでもない。逆にブルジョアジーにとってもそれは避けたくとも 避けることのできない事態であり、支配の危機をうみだす危険な賭けであるということだ。 であるがゆえに人民はそれを革命の好機とすることができるのだ。それを好機とできるかどうかは何にかかっているのか? それはひとえに国家の暴力を総動員しての弾圧に戦争反対の声を潰えさせることのない 人民の側の体制づくりにかかっているのだ。 それこそが人民の武装というものの核心だ。 「非暴力実力抵抗」を行動原理とする者もいるだろう。それはそれで結構なことだ。 しかし、国家はすでに空前の暴力を独占している。人民に死を強制する以上その抵抗を鎮圧するために その暴力が用いられるこであろうことは非暴力の君も理解できるだろう。 戦争が近づくにつれて戦前のような人民統制法案が次々と上程され、民主主義の名の元に人民を合法的 に殺すための準備がすすめられてゆく。 まさに今がそのときなのだ。確かに、今このときが革命前夜だなどというつもりはない。 しかい、すくなくとももはや現代が「平時」でないことは小泉のやろうとしていることを 見ていれば容易に理解できるのではないだろうか。 プロレタリートは圧倒的多数者であり、ブルジョアジーの利益のためにすすんで死のうなどという人は一人も いないのであるから、要はいかにペテンを暴くかが肝要だということだ。 「御国のため」とか「祖国を防衛」するとかのお題目がじつは「ブルジョアジーのため」 「ブルジョアジーの利益の防衛」のために死ねということしか意味していないということを徹底的に暴露しなくてはならない。 それはまさに人民の武装とは不可分の行動であるということを御理解いただきたいのだ。
  574 名前: 屑箱愛好会 ◆7Wpm.iX2 投稿日: 02/08/10 10:53
 >>567
 いや、小生の考えるプロ独は、現在のブル独のひっくり返しであり、 「偉大なる前衛党様」など「あほちゃうか?」なんです。政治的代行 主義こそ、プロ独を腐らせると思いますから。

>>568
 おっしゃることは感覚的には分かります。確かに、今の民主主義はおため ごかしではあります。(小生が今の日本を「ブル独」と言っているのは、そ ういうことです。)だが、マルクスの時代から民主主義の可能性が広がって いない、というのには同意できません。言論の自由、結社の自由、これらが 多くの先人の血によって贖われていることを否定できるでしょうか。闘いの 成果により、革命的条件が「遠ざかる」こともまた、ありえるのではないで
しょうか。

 また、革命にしろ、改良にしろ、問題は変革側の主体性と変革される側の 構造に依存します。小生はエンゲルスの言う「暴力への賛辞」に強く同意し ますが、これは抑圧された大衆が、自らの力に目覚め、行使する方法を学ぶ ことへの賛辞であると解釈しています。その賛辞は、いわゆる「暴力」への 賛辞に限らないと思います。でなければ、晩年のエンゲルスの言葉を否定し なければなりません。
 
 >>572  理論の問題と、当面の実践の問題をごっちゃにされているように感じた ので、「反対」と挑発したわけです。で、小生の書いた4.を実践的に展 開すると、おそらくいずみさんのこの書き込みに大筋なるわけです。(プロ 独論はちゃうけど。)
 576 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/10 11:11
 >>573
 だからその「人民の武装」とやらがどういう実態であるのか、現在の一部新左翼党派の「武装」の内実に即して説明してみやがれ、つってんだよ。 戦争反対の声を暴力で潰された例としては、国家の暴力によるものよりも「人民の武装」とやらで潰された例の方が多いんじゃないかというような現状を、どう考えるんだよ?
 577 名前: 小西まこと 投稿日: 02/08/10 12:39
 「屑箱」さんからの御指名のようなので((^o^))若干の意見。 僕の「再検討」論を、プロ独論や暴力革命論を「否定」したか のように受け取ったり、また全面肯定しているかのように受け とったっりと、誤解があります。 僕の問題意識は、今日の日本左翼の思想的・運動的危機をもたら したその根源は、ソ連・東欧などのスターリン主義的変質とその 崩壊を乗り越えられていないことーその理論的要因がプロ独論、 暴力革命論、前衛党組織論などにあることです(内ゲバもこのひとつ)。

 この問題をどうとらえるかは、きわめてシビアな理論的問題です。 そこで簡単な問題意識の提起。 かつて中核派の本多書記長が、国家論の提起の中で、「ブルジョア国家の 支配の〈本質〉はブルジョア独裁であり、その〈統治形態〉としては議会 制民主主義、ポナバルチズム、ファシズムなどがある」とかいています。 つまり、ここでは国家の本質論と統治形態を区別しています。

 ところで、レーニンの国家と革命などの著書では、この本質論と 統治形態を混同しているのではないか? というのが、僕の問題 意識です。 レーニンは、一方ではプロ独を国家の本質論として展開していま すが、他方ではプロ独を「過渡期国家の現実形態」として論じて います。 僕の問題意識は、ブル国家・プロ国家ーいずれも国家の本質論と 現実形態・統治形態を区別して論ずべきではないか、というもの。 つまり、プロ社会主義革命の過渡期国家の本質は「プロ独」である が、その「統治形態」、現実形態は、コミューンやソヴィェトであ ったり、直接民主主義を媒介とした議会制であったり、その併存で あったり、するということです。(これらは創造されるでしよう) こういうプロ独論と同時に、暴力革命論も「本質論と現実形態論」を 区別して論ずるべきだという問題意識を持っています。
 579 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/10 21:45
 >>569
 >軍事において他帝国主義に決定的に立ち遅れた日本の帝国主義者どもは、勝算すらない絶望的な戦争に突き進んでいかざるをえない。

 現代の世界は、日本を含め覇権国アメリカの圧倒的なヘゲモニーのもとにあり、日本帝国主義など残骸しか残ってないのでは?

 >>572
 >また、もはや日本の今の状況では、「自国民」から死者が大量に出るような事態には社会システムが耐えられないのではないか、と思うです。

 「死者が大量に出る」というのが何人ぐらいを想定しているのかわかりませんが、 自殺者が毎年3万人出ても「社会システム」にとっては痛くも痒くもない。 **被害者が弱者に集中している限り**、毎年数万人の自国民の死者が出ても 「社会システム」は無関心でいられるという実証ですね。 実はいずみさんもその醜悪な社会システムの内側にいる・・・ というのは言い過ぎかな?
 581 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/12 15:19
 >暴力一般を革命の範疇において位置づけるのなら、それはヘーゲル的意味ではなくして、まさに疎外労働の分析を経てのちのマルクスによるところの弁証法によって、すなわち対自と即自を綜合によってのりこえた本質と現象の一体的認識によってのみ可能となるとい うことを付言しなくてはならない。 雑派の盲動にはそのような視点をきたいするべくもないが、「国家 と革命」を読み下して暴力のイロハを理解したかと錯角して自滅す るのもまた自由であるからして。
 582 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/12 15:25
 >580-581 引用元が何処かは知らないが、 その結論を元に 革マル派が どう変り、 いかなる行動を採るのか、 注目させていただきマしょ☆ 似非では無い 真の 共産主義者であれば こそ、 行動で示してくれるだろう、と。
 587 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/12 17:49
 門外漢の*党員(皆さんから「スタ*」と呼ばれて**年)ですけども。 プロ独論、革命論のこの間のスレ読んでいて、小西さんの整理は、分か り易いと思ったなぁ。 >>568さんの見解は、「国家の本質論と統治形態との区別」が無いんじゃないだろうか。本質論レヴェルでの、ブルジョア国家への原理的 な批判とそこから導かれる対抗戦略なんじゃないのだろうか。

 ブルジョア国家による統治形態は、一定の民主主義を取り込まね ば支配を維持できない形態になっていると思うのよ。だから例え ば戦争法ができたら戦前と単純に同じになるというのは違うだろ うとも思うのね。今のアメリカの統治形態がそう。 統治形態=社会統合の仕組み、つまり支配層への国民の同意の調達(と セットの排除の仕組み)が、いかなる態様なのかを見ないと、と 思うのです。プロ独論、革命論の一環としても。
 607 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/12 20:34
 「政治的なもの」の多義性 「パラダイム」(クーン『科学革命の構造』)という概念

 「科学者コミュニティーの成員によって共有されている信念、価値、技法などの全集合」 「通常科学の教授に際して、模範として使われるパズル解き」 要するに「一定期間、専門家に対して、問い方や答え方のモデルを提供することになる広く承認された業績」 パラダイム転換としての「政治」の観念(パラダイム転換には世界像の転換が伴う)
 608 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/12 20:37
 近代民主主義の原型としてのポリス? ポリスとは何だったか ポリスは都市でも国家でもない。それは地理的・空間的観念ではなく、たとえばアテネというポリスは アテネ人が私的なものを省みずに集い、法が支配する公的空間に積極的に参加する人的で倫理的な結合 体を指す。一般に近代以前の政治共同体の観念はどれも人的結合体をさすもので、権力装置や統治機構 という枠組みを表すstateの意味での国家の観念が登場するのは近代以降となる。

 アテネの直接民主制  民会にはすべての市民が平等の参加資格を持ち、軍の司令官をのぞく公職は、通常一年という非常に短い任期で、それもくじ引きと輪番制によって選出されていた。

 くじ:人間を越えた神の意志がそこに反映される
 輪番:政治とは専門知識を必要とする事柄ではなく、万人が、平等な資格で関与できる。

デモス クラティア
最大のポリスアテネ
面積:佐賀県
人口:約30万
その中でデモス=市民(成人男子)は1/4
奴隷:言葉をしゃべる道具(アリストテレス

*近代的な意味(個人主義)の自由はない。全体から出発して市民を完全に服従させる。
・・・ポリスへの抵抗権などありえぬ。ありうるのは他のポリスへ侵攻する自由

  ここでの民主政とは支配形態の問題
 君主政 暴君政 貴族政 寡頭政 民主政 衆愚政

 私生活privacyとは、人間的能力が何か奪われたdeprived状態として、それを省みるのは卑しいこととされていた。 H・アーレント『人間の条件』、ちくま学芸文庫

 デーモスにとって、「私的なもの」をなげうち、ポリスでの「公的なもの」に献身することが美徳と考えられてい たが、それは生命の維持や種の保存という、「低次元の」労働が奴隷や女性に押しつけられていたからこそ可能に なるものだった。近代民主主義の前提となる個人主義はいまだ存在していなかった。

 ギリシァにおける「政治」の発見

 ピュシス(自然)とノモス(作為、慣習、法、制度)をめぐるソフィストたちの問答が、 自然現象から独立した、人間自身の手によってつくられる「政治的なもの」の意識を形成した。

  ギリシァにおける哲学の姿−−方法としての哲学

 哲学と宗教

 抽象的思考vs.物語(神話)
 物語の共同体を越えた言語ゲーム-->普遍性(開かれた言語ゲーム)
 -->「閉じた社会」から「開かれた社会」へ
  参照K.R.ポパー『開かれた社会とその敵』、未来社
自由な意識(個)vs.宿命論(摂理)・・・前提を疑わない宗教<--政治的権威にとって好都合 (政治神学)

 「ソフィスト」とは誰か その方法:弁論術(レトリケー) その目的:徳(アレテー)の育成  「徳の教師」、ソフィストの両義性(教師か、詭弁を弄する詐欺師か)
 
二元論  アンティポン
      ピュシス:万人が平等にわけもつ真理
     ノモス:真理に反して制定された正義

真理=強者の利益説   カリクレス(プラトンのゴルギアスに登場)
      ピュシスの正義:より強いもの、より優れたものが多く得る
      ノモスの正義:より強いもの、より優れたものに型をはめる悪しきもの

ノモス妥協説   グラウコン(プラトンのポリーティアー)
  ピユシス:闘争
  ノモス:弱者救済の便宜的契約
  「不正を働きながら罰を受けないという最善の事と、不正な仕打ちを受けな
がら仕返しをする能力がない
最悪の事との間の中間的な妥協」としてのノモスの正義

正義=強者の利益説  トラシュマコス(ポリーティアー)
  法とは支配階級がみずからの利益のためにつくり、それを正しいと宣言してお人好しの人民を 配する道具。不正こそが得をもたらす。

ソクラテス=プラトンの反論:支配者とは羊飼い、あるいは医者のごとき者である。すぐれた者が 支配者になるのは、彼らが自分たちより劣ったものに支配されることを恐れるから。(これはプラ トンがソクラテスをして語らしめたプラトン説の可能性が高い)正義とは徳とそれについての知恵である。

 ソクラテス:最大にしてもっとも危険な「ソフィスト」
人間のピュシス:努力による獲得=徳・・・個々人の魂の卓越性 ピュシスとノモスの二元論ではなく、その相互依存性の認識
 参考
 「習慣は第二の天性である」(パスカル)・・・human nature(人間的自然=天性、つまり「人為(努力)」により形成される「人間の自然」)  
 「無知の知」
 われわれは「自分の知らないもの」をリストアップできない。「自分が知らない」と「知っているこ と」はすでに知っているということである。ここでソクラテス的な「無知の知」、自分が知らないと いうことを自覚することが必要となるが近代科学はこれを許さない。->ソクラテスの「無知の知」はパラドックスを内包している。しかしこのパラドックスを回避した 近代科学は一種の「宗教」になる。
 ->「全知全能」の神になりかわろうとする近代科学の決定論の神話
 ・「自由とは必然性の洞察である」(エンゲルス)という名(迷)言
 *誰が「すべてを知る」ことなどできよう。非決定論(必ずしもすべての出来事がそのあらゆる極微 の細部に渡って絶対的正確さをもってあらかじめ決められているわけではないという教説)的な、あ てにならない「知」を前提にせざるをえない。この前提から何ができるか。ソクラテスの知徳合一性(「正義とは何かの知を持つ者」=「有徳者」?)
 619 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/12 21:11
 初代養心館長恩師故妹尾武俊彦三郎先生は明治二十六年生まれですので、私が生まれた明治四十五年には 二十九才です。その時すでに養心館活動がありました。前の金子県知事さんも丸亀城北小学校で剣道を恩 師より学んでおります。又、木像を彫刻された森谷誠之さんも小学校時代に養心館活動による薫陶を受け たと申していますから養心館開設は約七十年を経ていると確信いたします。 昭和二年恩師は今の観音寺第一高等学校へ香川県下唯一人の剣道と修身の教諭として赴任され、やがて 養心館支部を設置され郡内の青年を合わせ指導するよう県より委任状が出され郡内各町村を指導講習し続 けられました。現在養心館が再建された十五年前には、まだ、恩師の指導を受けた人達が沢山いまして、 落成式に参加してくださいました。その方々は、剣道とは何か、何の為に学ぶのかを己みづから深く考え させられたことと思います。即ち心を練れとのことです。心とは、日本人の心です。日本人の心とは  「義は君臣、情は父子」 「忠孝一本」 の心です。即ちこの心を養うことが指導理念です。
 私はこのような薫陶を受けて青年前期を成長しました。青年後期には、 忠君愛国の大義は武徳の本領なり宜しく平素心身を鍛練し義勇奉公の修養を怠るべからず。 名誉廉耻は武道の生命なり苟も怯懦垢汚背信の行為あるべからず。 礼譲慈憫は武道の精華なり賎しくも長を凌ぎ少を侮り他人を侮蔑するの行為あるべからず。 質素は剛健の本にして浮華は惰弱の源なり宜しく相切磋琢磨し厳に軽俳淫靡の行為を戒むべし。 上長に対しては恭礼を尽くし克くその命令に服従して以って規律節制の慣習を養成すべし。 

 以上の皇国史観と東洋の代表的思想の儒教で練りかたまった武士道精神が骨の髄まで浸透した武道学士 の称号を持った青年が出来上がったのです。その後、支那事変当初から南京で大東亜戦争が終わるまで 軍陣生活の止むなき十年間、終始一貫忠良なる日本人として時代に生きて悔いはありません。この生活 態度や生活理念は立派に民主主義世相に矛盾するものではない。「武道精神」は真の民主主義。真の共産思想。 とも矛盾するような偏狭な精神でないことを確固として信じており。その信念のもとに養心館の指導理念が あることを本日ここに明言いたします。

 今日、世界各方面より、日本の剣道を飢渇の如く求めてやまない状況は、民主主義、社会主義文化圏の 国民が国家が次の世紀へ生き延びてゆくための必要要素を保有温存していることに目覚めたからです。 かく信じて、道場の青少年若人に接触指導してきたことが正しかったの証言を嗣子啓策の述懐により 確認し得ました。国外での三年半ほどの生活で日本の姿が明確に認識できたからかも知れません。 養心館にかかわりのある老若男女の皆様に私の本姓、本音を披瀝いたし、本館将来の進路を御誘掖下さ れたくお願いいたします。

 626 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/12 21:21
  
[語句の解説]
名誉:めいよ「優れたものとして認められること。Honor」
廉耻:れんち(耻は恥の俗字)「恥を知ること。Sense of honor」
苟も:いやしくも、かりそめにも
怯懦:きょうだ「臆病で弱気なこと・さま。Cowardice」
垢汚:こお「よごれけがれること・さま」
背信:はいしん「信義にそむく。裏切り。Infidelity、Betrayal」
礼譲:れいじょう「礼を尽くしへりくだること」
慈憫:じびん「いつくしみあわれむ」
精華:せいか「そのものの真価を表す一番すぐれたところ、Essence」
侮蔑:ぶべつ「馬鹿にして軽く見ること。Despice」
浮華:ふか「見た目は華やかだか、実質が伴わず軽薄なこと」
惰弱:だじゃく「いくじのないこと・さま」
切磋琢磨:せっさたくま「互いに励ましあい、努力すること」
軽俳:けいはい「けいそつでふざけること・さま」
淫靡:いんび「風俗・男女関係などがみだらなこと・さま」
恭礼:きょうれい「うやうやしくおじぎ、挨拶をすること・さま」
克く:よく
 627 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/12 21:31
 天皇と部落問題――自らの心を見つめて
 「貴族あれば賎族あり」、つまり「天皇がいるから差別がある」。部落問題にかかわるこの言葉はど、 皇室を敬愛する国民の心に重苦しくのしかかってきたものは他にあるまい。私の心の底にもずっとそれは わだかまっていた。大事な問題だとは思うが、なんとなく直面することを避けてきた。その問題に「しっか りと向き合ってみよう」と考えるようになったのには、一つのきっかけがあった。
 「新田、松浦両先生の神道観、天皇観、歴史観をお伺いしたい」と、部落解放同盟三重県連合会の西野紳一 氏から私の研究室に電話がかかってきたのは昨年(平成十二年)四月八日のことだった。 三重県では、一昨年十二月十五日に県立松阪商業高等学校の校長が自殺し、それが「週刊新潮」(二月十七日号)  で取り上げられ、校長自殺の背景に部落差別事件があるらしいことが報じられた。それが三重県議会教育警察常任 委員会で問題として取り上げられる中で、″同和問題解決に向けての政府の基本方針が教育現場に徹底されていない″ という事実が明らかになった(本誌平成十二年四月号「校長が自殺し、教授が解任される!」に詳報)。
 三重県の教育改革運動に関わっていた関係で、たまたまこの委員会を傍聴していた私と松浦光修氏(皇学館大学文学 部助教授)は、同和問題の解決が国民的課題とされているにも拘わらず、その解決方法についての政府の方針が県民 に周知徹底されずにいるのはおかしい、と感じた。それで、県議会でこの問題を取り上げられた浜田耕司県会議員を 交えた座談会で話題にした(「広島の二の舞いを許すな、三重教育界で何が起きているか」『諸君!』平成十二年五月号)。  西野氏が電話をかけてこられたのは、その記事を読んでのことだったが、おそらく、同和問題について発言した私たち の真意を知りたいと思われたからだろう。私たちの発言は“国民的課題である以上、政府の方針を多くの人々が知るべきだ し、タブー視されるべきではない”との単純な思いからだったが、西野氏からの電話は、「自分はどのような方向で同和問 題が解決されることを望んでいるのだろうか」との問いを自らに投げかける切っかけとなった。自分自身の基本的な立場を 明確にしないままでは、何を話しても実りあるものにはならないように思え、まず、自らの心を見つめ、本心を明らかにす ることから準備を始めることにした。

 水平社宣言を起草した西光万吉
 もし本当に、「天皇がいるから差別がある」というテーゼが真理であるとするならば、 それは日本国民にとって悲劇以外の何ものでもない。日本国憲法は「天皇は日本国の象 徴であり、日本国民統合の象徴」、であると、その第一条で明記している。だから、こ のテーゼが真理なら、日本国民は「差別の根源を統合の象徴としている国民」というこ とにならざるを得ない。当然に、第一条は、第一四条が規定する「法の下の平等」とも 矛盾することになる。  この矛盾を突き詰めれば、日本国民は、皇室を廃止するのか、それとも部落差別を容 認するのかの二者択一を迫られることになる。そうなれば、部落差別の撤廃を目指す人々 は日本国憲法第一条の破棄を唱えて改憲運動を展開し、皇室を尊崇する人々は皇室の存続 のためには部落差別もやむなしと主張して、解放を目指す人々と対決しなければならない ことになる。こういう事態を双方ともに、さらには多くの国民が望んでいるであろうか。  私は皇室を尊崇し、その弥栄を願っている者の一人であるが、だからと言って「部落 差別もやむなし」とは思っていない。それどころか、等しく国民の上を思われる天皇陛下 を戴きながら、国民同胞の間に部落差別などというものが存在することを実に悲しく残念 に思っている。このような思いは私のみでなく、実は尊皇の念の厚い人々の間に広く共有 されているものなのではないか、と思う。

 そうであるならば、「天皇か、部落解放か」という二者択一の発想から抜け出す道を摸索する ことが、自分の思いに最も忠実な生き方だと思った。第三の道を探るにはどんな方法があるだ ろうか。いろいろと考えてみたが、まずは、これまでの部落解放運動の歴史の中で、天皇の存 在と両立する解放理論を唱えた人物はいなかったのか、それを調べるところから私は始めた。

 「水平社宣言」以降の生涯

 そんな折、同和問題に詳しい人たちから、「水平社宣言」を起草した西光万言は、実は 「尊皇家だったらしい」という話を聞かされた。早速、西光万吉の著作を調べはじめたと ころ、偶然にも『西光万吉著作集』全四巻(涛書房、昭和四六〜七年)が手に入った。そ こには、私が予感もしなかった言葉が書き連ねられていた。
 西光万言(本名・清原一隆)の名は、彼が起草した「水平社宣言」の最後の言葉、 「人の世に熱あれ、人間に光あれ」とともに、部落解放史上に燦然と輝いているりしかし、 水平社宣言」以降の彼の生き方については意外なほど知られていない。ここで西光の 思想を語る前に、「水平社宣言」以降の彼の生涯を簡単に記しておきたい。以下は、 『西光万吉著作集』所収の史料に基づく。 水平社設立後、西光は農民運動に参加する。「封建的な農民の生活と観念が変わらぬか ぎり、われらに対する賎視差別も消えないから」(「略歴と感想」)というのがその理由だった。 彼は日本農民組合に参加し、さらに農民労働党、労働農民党の結成に加わる過程で、共産党に入党し た。彼が共産党に入党したのは「純粋なマルクス主義者としてではなく、当時の不正横暴な政府や政 党に対する反抗と、組合や無産政党員のふまじめさに対する不満からであった」(同)という。

 しかし、彼は当初から「小さな小作争議にまで天皇制打倒を持ち出そうとする共産党の 方針に反対した」(同)。「いたずらに争議を悪化させるのみならず、組合大衆まで離 反させるおそれがある」のと、「純然たるマルキストになりきれぬものがあった」(同) からだ。そこで彼は「党の上級機関へ日本の国体問題について再検討を要求した」(同)  昭和三年、普通選挙による第一回衆議院議員選挙に、西光は労働農民党公認で奈良県 から立候補したが、次点で落選した。そして、同年三月十五日の治安維持法違反による 共産党員検挙事件(「三・一五事件」)で検挙され、懲役五年の判決を受けて、奈良刑務 所に服役した。

 服役中の昭和七年、「日本の国情に即した社会運動のあり方について、しんけんに考えた」 (木村京太郎「西光さん−その人と作品−」)結果、「国情に即さない直訳的な無産運動の 謬りを認めて『マツリゴトについての粗雑なる一考察』と題する思想転向を表明した」(阪本 清一郎「七十年の友、故西光万吉について」)。
 昭和八年に仮釈放されると、盟友の阪本清一郎と『街頭新聞』を発刊して、日本的な「高次 的な高天原の展開」としての天皇を中心とした社会主義国家の実現を目指して言論活動を開始し、 石川準十郎の日本国家社会党に入党した。また、吉田賢一、大橋治房らの皇国農民同盟にも入り、 橋本欣五郎らの軍人とも交わった。西光自身は、この時期に知り合った人々の中で、後々まで影響 を受けた人物として東京の至軒寮の穂積五一を挙げている。  さらに、支那事変が大東亜戦争へと拡大する中で、西光は「欧米資本の侵略と搾圧からアジア民族 を解放する聖戦を貫徹するために、国内維新を断行すべしと主張し、近衛内閣の新体制運動にも協力 した」(「七十年の友」)。

  しかし、国内維新はならず、日本は戦争に敗れた。「日本がその悪業のために敗れ、 自分がその悪業を浄化するための真の智恵と気力を欠いて、その悪業に引きずられ ていた」「日本の悪業は、分に相応した私の悪業にはかならぬ」(「略歴と感想」) との自責の念にかられた彼は、ピストル自殺をはかったが、弾丸が出ずに未遂におわる。  その後、「皇国今日の事態は、まさしく我らの心情と制度の気枯れによる。心から みそぎはろうて浄らかに更正維新せねばならない」と思い直した西光は、「我が『気枯れ』 に対する責任を思い、むしろ悦んで『みそぎ』の道を行かん」(「偶感雑記」)として、 原水爆禁止の運動に挺身し、破壊的な武力で国を守るよりも、科学的な技術を持つ国際的な 協力隊をつくり、世界の平和と人類の幸福に貢献すべきだとして、「国際和栄隊」の創設を 提唱した。そして、和栄隊の必要性を説き続けて、昭和四十五年、和歌山市日赤病院におい て胃癌のために七十五年の生涯を閉じた。

 「高天原」の理想
 西光が理想とした「高次的な高天原の展開」とは、簡潔に言えば、日本神話で語られている天照大神を中心とした 高天原を、祭政一致の「原始的同胞共産社会」と捉え、この原始社会の伝統を継承した天皇を中心として、資本主義 を止揚した社会主義国家(高次的な高天原)を実現しようというものである。 西光は「私にとって、高天原は単なる神話であるよりも歴史である」(「偶感雑記」)と述べている。 彼が「歴史である」というのは、世界には「男性による私産的権力国家」(地上界)が発生する以前に「母権的共産社会」 (天上界)が存在した、という意味である。この「母権的共産社会」は、「母と民によって成る親和社会」であり、 「祭政一致」の社会でもある。これが即ち日本神話に描かれている天照大神を中心とした高天原であると西光は理解した。

 彼のこのような高天原論の背景には、社会主義思想の影響が顕著であるけれども、どうもそれだけではな さそうだ。この高天原におけるマツリゴトは「どこまでも、天国の栄光、あるいは彼岸の浄土を求めるも のではなくして、端的に現実的幸福として地上の豊饒と平和を希望したものであって、自然の生産力と人 間の生産力とを調和せしめるために、かれらの育積された経験にもとづいて行われたものであった」( 「高次的タカマノハラを展開する皇道経済の基礎問題」)と、西光は書いている。 彼は、浄土真宗西本願寺派の末寺である西光寺の住職の長男として生まれたが、同派が経営していた平安 中学で受けた差別によって、僧侶になることを断念せざるを得なかった。後に、部落民の大多数を門徒と する東西本願寺は、部落民の現実的苦痛を浄土への希求に向けさせることによって、現世における解放を 妨げたばかりでなく、浄財を搾取して肥え太ってきたとの非難を、水平社から受けることになった (北川鉄夫『西光万吉と部落問題』涛書房、昭和五十年)。


 この事実を踏まえて先の「現実的幸福云々」の文を読むと、西光は自らの宗門では得ることのできな かった現世における理想世界の姿を神話の中に見出したのではないか、と思えてくる。後に彼は戦時 体制を機会として自らの理想を実現しようと努めるのだが、その時のことを、こう書いている。
 「私はみそぎして神前に拍手し、その祝詞の中で、農業生産の面から地主を清算し、工業生産の面か ら資本家を解消し、いわゆる労務処理を一元化し、生産必要物資の配給機構から営利性を一掃するこ となどを当然のこととして祈った」(「偶感雑記」)と。彼の宗門である浄土真宗が「神祓不拝」 (神を拝まず)を標樺する一神教的な仏教であることを考慮するならば、その末寺に生まれた彼が、 神に拍手して祝詞をあげていたというのは驚くべきことだ。 また、神道はしばしばその世俗性を、 宗教としての未熟さとして批判されてきたが、西光はその世俗性にこそ「救い」を見出している。 これは、私にとって大きな宗教観の転換を促すものだった。
 642 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/12 22:30
 >>574
 >言論の自由、結社の自由、これらが 多くの先人の血によって贖われていることを否定できるでしょうか。闘いの 成果により、革命的条件が「遠ざかる」こともまた、ありえるのではないで しょうか。

 あらゆる事象には相反する側面が同居している。勝ち取れた労働者の権利がまた足枷になるということ もひとつの事態としてはなんら不思議なことではない。 革命めざす党とそうでない組織の利害がそうした点で対立することはむしろ避けることはできない。 であるからこそ我々は、レーニンのながきにわたる経済主義、労働組合主義とのたたかいに学ぶので なければならないのだ。 我々はつねに想起しなくてはならない。帝国主義がもたらす最大の災厄は戦争である。 それを阻止することこそが革命党の最大の任務なのだということを。 帝国主義が帝国主義であるかぎり、その不均等な発展は必ずや新たな縄張り争いを結果させる。 またも数多の人民の命が犠牲になろうとしているのだ。 否、今日もアフガンやパレスチナでは犠牲になっている。 それを阻止する道は唯一ブルジョアジーの打倒をおいてほかはないのだ。 ブルジョア的権利の拡張によってブルジョアジーそのものを打倒することなどができようもないの は当然のことだが、改良をもって革命にかえよという要求は事実上帝国主義戦争に道をひらくもの にほかならない。
 644 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/13 01:57
 >今日の日本左翼の思想的・運動的危機をもたら したその根源は、ソ連・東欧などのスターリン主義的変質とその 崩壊を乗り越えられていないことーその理論的要因がプロ独論、 暴力革命論、前衛党組織論などにあることです(内ゲバもこのひとつ)。

 過渡期におけるプロレタリアートの独裁は、一重にブルジョアジーによる反革命の粉砕という 極めて現実的課題にあたるために、革命の防衛のためにはどうしても不可欠なものだ。 プロレタリア革命とは、ブルジョア社会において生産主体でありながら無所有の状態におかれている 労働者階級が、その無所有ゆえに立つことのできる革命性に立脚して、つまり、社会的に生産される 富を、その生産者として平等に分配されることを要求して行う事業である。 したがって、その事業からはあらゆる所有階級は排除されなくてはならない。無所有の者が私的所有を 経由せずに、制度としての社会有を経由することによって所有をその概念もろとも止揚してやろうと いうのがその目論みだ。 プロレタリアート独裁という語にはこれ以外の意味はない。ゆえに、プロレタリアの独裁に反対する ということは、支配階級に自らを高めることに成功したプロレタリアートにたいして「独裁はよくない。 他の階級の者も政権に参加させよ」と要求することと同義である。
 645 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/13 01:58
 ブルジョア独裁の核心をなすものは、その統治形態はどうあれ、ブルジョアジーによって独占された 巨大な暴力装置であることにかわりはない。ブルジョアジーは圧倒的少数者であるがゆえに、その 搾取構造をプロレタリアートに悟られまいと様々工夫を凝らす。それが功を奏しているうちはその 支配は安定しているといえる。しかし、ブルジョアジー自身が困窮してそのような余裕を失うことと なれば、もうこれはなり振りかまわず「もっと働け」とむちを打ち、「いうことを聞かない者は監獄 へぶち込め」ということになる。 それだけならまだしも、さらに「武器を持って敵を殺してこい」もしくは文字どおり「御国のために死ね」 ということになる。 これにはいかに寛容な者ともいえども「なんとかせねば」と思うことだろう。 しかしながら、だいたいにおいて時すでに遅し。つねに人民は煮え湯を飲まされてきた。 これは何故か?人民に学習能力がないからか?支配階級の教育がそれ程巧妙だからか? 断じて否。戦争に反対する声を糾合し、社会的な力とする術をあたえられていなかったからだ。 国家の暴力装置をもってする直接的弾圧に対抗する手段を持ち得ていなかったからだ。 国家の暴力に対抗する人民の武装に目覚めることがなかったからだ。 戦争とは国家の存亡をかけた行為だ。当然にもそれに反対するものは容赦なく暴力的に圧殺される。 戦争をこととする帝国主義を、資本主義を打倒するにはその暴力装置との対決は避けて通ることはできない。 敵の弾圧をかわすことのできる非公然非合法の体制づくり、それをもとにした革命的暴露・宣伝(戦争が人民のためのものでなくブルジョアジーの利益のためのものであるということの)、警察及び民間反革命 とのせん滅戦を闘いぬける軍事組織の建設、それらすべてが一丁一夕になるものではない。 ながいあいだの敵との切り合いのなかでこそはじめて習熟し獲得することができるものなのだ。 ゆえに人民が武装につとめることに「まだ早い」だの「敵の出方を見てやれ」などという説教をたれることは 「すすんで帝国主義戦争の犠牲になれ」ということと同義である。 以上から、この小西という男、がもはや人民に死を要求する帝国主義の側に身を落とした輩であることは 明白である。
 648 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/13 05:07
 >>585
 >自殺が3万は社会もある程度織り込み済みのことでしょ。でも自殺と殺されるじゃ意味違うでしょ。おバカねー。

 自殺をやりたくてやる奴はごくわずか。大部分の自殺者にとって、不本意な死を強制されるという意味では、自殺も殺されるのも変わらない。 では自殺と殺されるので何が違うのか。 自殺するのは病気や借金に苦しむ弱者である。しかし殺されるのは弱者とは限らない。 自殺と殺されることの違いは、「自分は自殺とは無関係だが、殺されるかもしれない」という585氏個人にとっての違いに過ぎない。 自分が自殺と無関係だと思っているからこそ、585氏は毎年3万人の自殺を「織り込み済み」と無慈悲に書くことができるのである。 「織り込み済み」? とんでもない! 自殺者にとって自分の自殺が「織り込み済み」であるはずがない! 要するに585氏は、毎年3万人に死を強制する暴力的で醜悪な「社会システム」の中の安全地帯から発言しているのである。 以上
 661 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/14 10:47
 >>577
 >僕の問題意識は、今日の日本左翼の思想的・運動的危機をもたら したその根源は、ソ連・東欧などのスターリン主義的変質とその 崩壊を乗り越えられていないことーその理論的要因がプロ独論、 暴力革命論、前衛党組織論などにあることです(内ゲバもこのひとつ)。

 要するに、小西は、「スターリン主義は、プロ独論、暴力革命論、前衛党組織論などの マルクス・レーニン主義の思想的要素が必然的に結果させたものであるから、 そのようなものは再検討して捨去れ」と要求しているのである。 しかしながらそれらは、言うまでもなくマルクス・レーニンの革命的思想の核心をなす ものであるがゆえに、その要求は事実上、マルクス・レーニン主義自体の否定へとつな がってゆくであろうことはこの後の小西の言動が証明するであろう。
 663 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/14 11:22
 >662 否! あくまで否! 内ゲバ党派という 乱雑な括りは棄て、 誤りを 総括し 未来の再発を防ぎ、 広範な 左翼の 統一戦線の樹立なくして、 米帝の横暴と戦う事は難しい! あなたの、左様な偏見こそ、左翼内に 工作員を投入し煽動し 内ゲバを誘発させた 権力の 思う壺だということを、ここに指摘しておく! 以上。
 667 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/14 13:57
 >>578
>レーニンは、一方ではプロ独を国家の本質論として展開していま すが、他方ではプロ独を「過渡期国家の現実形態」として論じています。 僕の問題意識は、ブル国家・プロ国家ーいずれも国家の本質論と 現実形態・統治形態を区別して論ずべきではないか、というもの。

 革命が実現しようとするものを認識論の範囲において表現すれば、「経哲草稿」の言葉を借りると、 それはまず、主客の統一であり、ついで、現象と本質の認識における一致ということになる。 ブルジョア独裁を論ずるに種々その統治形態が問題となるのは、ブルジョア的統治というものが、 いかなる形態においてであれ生産活動の無政府性、自然発生性を基礎とするものであるがゆえに、 その政治的動機ではなくして、経済的可能根拠が示されるのでなければ、それが独裁の「現実形態」 であることを論証することが不可能だからである。 これに対してプロレタリア独裁は、その主体たるプロレタリアートの目的意識性に根ざしたものである がゆえに、その統治にブルジョア独裁のような自然発生的ブレが生じることはない。 それは史上はじめての、人間の理性による社会の制御として実現する統治なのであり、人間が人間を 統治すること、もしくは政治などという飯のタネにならぬもの自体を止揚するための統治なのだ。 であればこそ、それは人類史を前史と後史にわける偉大な事業であるといえるのだ。 政策として様々なシステムが採用されることはあったとしても、それはブルジョア独裁における統治 形態の変遷とはまったく異なる質、内容をもつものであり、両者の並べて論じようとすること自体が 愚の骨頂というものである。 あまつさえ、「レーニンの国家と革命などの著書では、この本質論と統治形態を混同しているのではないか?」 などとは小西らしい自大主義というほかないお笑いぐさではないか。
 673 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/14 15:20
 ついでにちゃんと反論しておいてやろう。 内ゲバという現象によって、大衆のこころは左翼運動から離れた。 それは、理性による支配を目指していた筈の左翼運動が、殺し合いに突入するという、全く非理性的な行為に出た、そしてその矛盾を解決することが左翼運動自身にできなかった。 その結果、大衆は左翼運動を見捨てた。 これが「内ゲバによる左翼運動の衰退」である。 「内ゲバ党派」と呼ばれる党派は、主要には革マル派・中核派・革労協の3潮流を指すが、 この3党派が理性的であったか? それぞれの党派が、内ゲバを闘うために蓄えた軍事力を、学園や組合、大衆運動を支配するために、互いのそもそもの敵であった所の相手以外にも行使するようになった。 これが「理性による支配」か? 階級内部の矛盾を暗殺や恫喝によってしか解決できない連中が、どのようにして 「理性による社会の制御」などをおこなうというのか?
  674 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/14 15:43
 >内ゲバという現象によって、大衆のこころは左翼運動から離れた。

 今その辺の大学生に聞いたら「内ゲバ」なんて言葉すらしらないでしょ。 それだけとっても内ゲバだけが今運動がもりあがらない原因みたいにいうのは おかしいってこと気づかんか? そーいや、実際には内部の強姦事件で組織潰したくせに、全部他党派の内ゲバにせい にしちゃう第四インターっていう泡沫党派が昔あったなー(W

 >殺し合いに突入するという、全く非理性的な行為

 殺し合い=非理性的とはかぎらないでしょ  あらゆる民族解放戦争は殺し合いだし、革命に死人はつきものじゃないの。 極端な話、理性的殺人ってものもあるわけよ。 それが認められないっていうならあんたパレスチナ人に黙って殺されてろというのかね?
 675 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/14 15:56
 その辺の大学生が「内ゲバ」という言葉すら知らないのは、左翼運動というものそのものが、誰もその内実について知らないというところまで衰退した、という結果に過ぎない。 世間に忘却される事が免罪になるのかね?

 で、あんた、 4トロに黙って足切断されてろというのかね? 西田戦旗に黙って革マルに狩られてろというのかね? 山谷の労働者会館は黙って新組合に明け渡さなければならないし、 革労協両派はまさに相互に絶滅するまでやらせておくようかね?

 大体、パレスチナの解放闘争で行われている殺人、これは「あらゆる殺人」を肯定するものだとでもいうのかね? 誰が誰を殺しているのか、そういった因果関係を全く切り捨てて「殺人万歳!」と叫んでいるのが674ではないか(藁
 679 名前: 門外漢 投稿日: 02/08/14 17:31
 楽しい話し合いを邪魔して悪いが俺も一言。

 読んでいると「理性」って言葉に特別の意味を込めていないか? gooの国語辞典で確認したがどうもすっきりしない。 (^^;;
 >>667
 >これに対してプロレタリア独裁は、その主体たるプロレタリアートの目的意識性に根ざしたものである がゆえに、その統治にブルジョア独裁のような自然発生的ブレが生じることはない。

 社会の富の増大によってブルジョア独裁が自然発生的に生まれた。もちろん今後生 まれるプロレタリアの独裁もまた自然発生的に生まれる、言葉を変えれば必然的に。 だから「ブレ」はプロレタリア独裁を勝ち取った後でも当然ある。いくつもの問題 を解決できるだろうがそれ以上の問題が生まれることもあるだろう。 プロレタリア独裁が根ざすのはプロレタリアートの目的意識性ではなく社会主義革 命が可能になるほどの資本主義の発達だ。目的意識性なんてものに期待すべきじゃ ない。

 一つの学説が未来の社会を全て規定できるとは考えられない。 マルクスレーニン主義の理論的純粋性を保つためのご都合主義にはうんざりする。 その「その主体たる」「目的意識性」を持ったプロレタリアートって何人いるの? そんな言葉に前衛による(一党)独裁を感じるのは誤りだろうか? フランス革命のときの人々の目的意識性と「あなたたちの」革命時の目的意識姓 の差異はそれほど大きいの? それに理屈じゃなくて悪いが 強い意志によって人為的に作られた社会がそれほど快適とは思えない。
 680 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/14 18:53
 天皇制度は何故続いたか
 西光によれば、原始高天原は、社会の物資生産力や人口の増加、父系家族制の成長や異民族との交渉などによって 経済関係が複雑化し、私有財産制が発生・発展したために、祭政一致の共産制度を維持することが困難となり、祭政 分化へと向かい、祭司としての地位と政治的主権者としての地位が分化した。その際、日本においては、祭司の地位 にある者が政治的主権者の地位についた。それが現神(天皇)である。したがって、「家長的・祭司的な政治的主権 者の所有は、いわゆる現神的所有であって、たんなる個人的所有ではなく、成長しきたれる個人的所有観念にたいす る厳格なる社会的制限であり、統制である。すなわち、祭政分化は、私財観念の発達に伴う現象であり、政治におけ る現神の地位は、祭事における、共産思想による私財観念の支配を意味」(「『マツリゴト』についての粗雑なる考察 −民族国家の家長的主権および私財奉還思想の断片的説明−」)したという。

 難解な表現だが、要するに、祭司としての天皇は、高天原における同胞愛と共産財 という観念の体現者であり、その天皇が政治的主権者の地位につくことによって、 私有財産の観念に由来する様々な弊害が抑制されたというのである。  ところが、私有財産制度のさらなる発展は、この「マツリゴト」の理想を押し 流し、遂に王土を失える「マツリゴト」の民の上に封建制度がしかれることになってしまった。

 それでは、何故、このような事態に立ち至ってもなお「天皇」は存続 し得たのか。その問いに西光はこう答える。「高天原において、中心 母性をめぐつて展開された、素朴な同胞愛と共産財という観念と習俗 が、まさしく人間社会の深い本能と高い理想に通ずるものとして、自 然にわれらの民族の歴史と理念の中に伝統されて来た」(「偶感雑記」 )からだと。

 さらに言えば、「日本民族は、その永い生成の道程における私産発展の各段階を貫いて、 各時代の権力的為政者に対して、つねに天皇制の権威を通じて高 天原以来の同胞愛と共産財を主張して来た。(中略)天皇制は、 私産的権力政治の分野に共産的(神産的)祭事思想の権威をもっ て君臨せられるものとして惟神に伝統されたものである」(同) 。

 「それはじつに民衆の意識以上に強く深く潜在する社会的本 能の帰趨の対象であった」(「奉還思想を基礎とする日本的皇 産主義」)。

 これまで説明してきた西光の思想の中で、人間社会の出発点 に原始共産社会を想定し、それを神話に当てはめるという思考 方法は、今日では支持され得ないであろう。けれども、天皇を 私的所有を制限する公的所有観念の体現者と捉え、そうである が故に民衆の権力者に対する抵抗の根拠として、あるいは潜在 的な社会本能の帰趨の対象として、 存続してきたとの発想は、 高森明勅氏の「天皇−公民」制論や、丸山眞男が行き着いた
「歴史意識の『古層』」という発想の先駆をなすもののよう に思える。

  高森氏は、天皇という地位は国家の公的統治の理念を表現す るものであったとし、さらに「天皇はほんらい人民への私的・ 個別的な支配を一切、排除し否定する存在であり、その地位は 人民の公民としての立場と対応するものだった」とする。

 そし て、封建領主たちが天皇をみずからの正統性の源泉とすること によって一定の制約を受けただけでなく、「民衆の側でもみず からの『公民』性をテコとして、封建領主層の私的な支配にた ちむかった。この方面も軽視できない」と言い、「ここに『天 皇−公民』の関係性によつてなりたち、国家の統合と公共機能 の基盤をささへる国制上の持続的なわくぐみを想定することが できる」と主張している(『歴史から見た日本文明』展転社)。

 他方、丸山眞男は、「近代にいたる歴史意識の展開の諸様相の 基底に執拗に流れつづけた、思考の枠組」(「歴史意識の『古層』 」『丸山眞男集』第十巻、岩波書店」)の存在を仮定し、これを日 本人の意識の「原型」「古層」あるいは「執拗低音」と呼んだ。 それは「外来思想を『修正』させる考え方のパターン」として執拗に繰 返されてきた、と丸山は言う(「日本思想における『古層』問題」同第十一巻) 。

 彼はそのパターンのいくつかを、古事記や日本書紀などに記された神話や律 令国家以前の国制の中から抽出しているが、その中には、天皇の存続と深く関 連する、「つぎつぎ」という範疇や、日本の「政事」における正統性の所在と 政策決定の所在との截然たる分離、などが含まれていた。後者のパターンに ついて説明した文章の中で彼は次のように述べている。  「正統性のレヴエルと決定のレヴエルとの分離という基本パターン から、一方では実権の下降化傾向、他方では実権の身内化傾向が派 生的なパターンとして生まれ、それが、律令制の変質過程にも幕府 政治の変質過程にも、くりかえし幾重にも再生される、といういわ ば自然的な傾向があり、それが日本の政治の執拗低音をなしている 、という仮説になるわけです。

 その際に大事なことは、権力が下降 しても正統性のローカス[所在]は動かないということです。もちろ ん正統性自身のレヴエルは、視点によって幾重にも設定できます。 日本全体として見れば、いかに実権が空虚化しても最高の正統性は 皇室にありました。」(下線引用者、「政事(まつりごと)の構造 −政治意識の執拗低音−」同第十二巻)。

 「天皇社会主義」国家の実現へ  「なんら史的反省もない民族革命も維新もあるものではない。 それがいかに進歩的革命であるにしても、民族性はかならずそ の前途に過去の史的反省を投影させずにはおかぬ」 「史的反省を反動とするならば、高次的ゲマインベーゼンを希 望したエンゲルスもまた反動として排斥されねばならぬ。いち がいに復古性が不可なのではない。

  それがたんなる尚古主義であるがゆえに不可なのである。民族 心理に潜在するかかる高次的復古性を無視するような社会科学 があるならば、それは真実の科学ではない」(「明治維新のス ローガンと昭和維新のスローガン」)。 「民族の理想と歴史」を投影しない改革は歪んだものだという のが西光の基本的な考えだった。そうした考えの基碇の上に、 天皇制を「原始的同胞共産社会を昨日のごとく回顧しうる制度」 「尊重すべき民族的形式」と捉え、その結果として、「天皇制 の帰結としての国家主義、国体完成としての同胞社会主義、マ ツリゴトの確立による高次時タカマノハラの展開」(同)を彼 は主張した。
 695 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/15 11:31
 >>679
 君みたいな自動論をいう奴も歴史上イパーイいたよ。 「資本主義も必然なんだから共産主義も必然。だから革命党なんて必要なし」って論理。 そういうのをレーニンは「自然発生性への拝跪」と呼んで、共産主義者の目的意識性を 対置して、批判した。ま、詳しくは『なになす』読んでね。

 小西誠への質問状 2
 700 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/15 16:02
 アルバニアでは全人民武装闘争による政府の転覆と国家の消滅という過程が レーニンの国家と革命に出てくるままの理想的な形で行なわれたっと私には思えるのですがどうでしょうか?

 701 名前: 700 投稿日: 02/08/15 16:04
 90年代のことをさして言っています。 前衛党と民衆の関係においても理想的でしたし、国家の消滅と前衛党の消滅 も実際に起こりうると言うことを世界的に示したのではないでしょうか? で、パレスチナの解放闘争の過程でのイスラエルに対する攻撃、この中身にもいろいろあるのは当然だか、 これを我が国の腐れ党派の縄張り防衛戦争と同一視するあんたの立場ってなに?「パレスチナでも人殺してるんだから、俺たちも殺していいんだ」ってわけか? ガキかあんたは? あんたは要するに内ゲバ党派が内ゲバをやり続ける事を否定する論理を持っていないんだよ。 で、俺はこんな暗殺政治をやるような連中が権力握ったら、欺瞞に満ちた戦後民主主義政治よりもよほどひでえ状態になるじゃねえか、と言ってるんだよ。 マジで戦車に蹂躙されてるパレスチナ民衆をここで持ち出すあんたみたいのを、漫画化された第三世界人民利用主義つーんだよ。

 709 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 02:22
 >今現在、どういう運動をやってたら「衰退していない」という認識をもてるのかね?

 どうしてそんなにも衰退してるってことにこだわるかね。 そんなこといくら自己確認しても意味ないってことわからんか? そういう後ろ向きなことじゃいつまでたっても負け犬根性から抜け出れんよー。

 >「パレスチナでも人殺してるんだから、俺たちも殺していいんだ」ってわけか?

 じゃあ、あんたは人殺し一般を絶対悪とする立場というわけね。 だったらパレスチナの闘いも否定するということね。もちろんインティファーダにも。 だって事実投石あたって死んだイスラエル兵もいるしね。 結局あんたみたいな単に「人が死ぬのはイヤー」という立場じゃなに言っても キレイゴトにしかならんということよ。 その人殺しが正しいか間違ってるかということは、その政治的動機が正しいか間違ってるかに よってきまるわけでしょ。 だったら内ゲバ党派が殺しあいするのをあんたがオカシイと思うならその政治的動機を批判しなきゃはじまらんわけよ。ただ「人の殺してるからダメ」というんじゃ批判にならんということ。 わかるかな〜?

 >あんたは要するに内ゲバ党派が内ゲバをやり続ける事を否定する論理を持っていないんだよ。

 
そうだよ。そのとおり。でもそれはあんたも同じことよ。 ある政治的目標を貫くために武器をもってことにあたろうとするならば、 人が死ぬという事態も当然さけることはできんわけよ。 それはパレスチナでも内ゲバ党派でも同じことでしょ。 あんたみたいにただ死にたいする嫌悪をヒステリーみたいにくりかえすだけじゃ
事態はなんもかわらんよ。

 710 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 02:33
 >そんなこといくら自己確認しても意味ないってことわからんか?
 それは単に状況認識ができてないだけじゃねーか(藁
これまでそうやって妄想に基づく状況判断・方針を出してきたのか?

 >じゃあ、あんたは人殺し一般を絶対悪とする立場というわけね。
 日本語読めないのかあんたは? 俺は人殺し一般を肯定しないが、パレスチナ民衆の闘争と腐れ党派の内ゲバでの殺人は全くその政治的動機が異なっている、と繰り返し書いているだろうが? あ、そうか、あんた、自分の論敵の内容も妄想で判断するのか?(藁

 711 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 03:14
 あんたみたいな低水準を「論敵」だなんておもっちゃいませんが何か?

 >パレスチナ民衆の闘争と腐れ党派の内ゲバでの殺人は全くその政治的動機が異なっている

 だったらその政治的動機のどこが「腐れ」ているといえるのかを書きなさいよ。あんたなりに。 あんたはいままでただ「殺しあいをしてるからダメ」ってことしかいっちゃいないでしょ。 それじゃ批判にならんよって助言してあげてるだけなにになー。 だいたいわたしのことを勝手に「内ゲバ党派」の「ゲバゲバ君」って思ってるらしいけど妄想もほどほどにね。 で、これだけは聞いとくけど、あんたはパレスチナ人民のテロによるたたかいを支持するのかしないのか。 ちゃんとこたえてね。

 
 713 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 09:36
 ほお、内ゲバの話してるところに、パレスチナ民衆の闘い持ち出して話ずらすのが水準高いのか?(藁 まさか「パレスチナの話の方が水準高い」とか、そういう愉快な話じゃないだろうね!>ゲバゲバ君 >で、これだけは聞いとくけど、あんたはパレスチナ人民のテロによるたたかいを支持するのかしないのか。
 >ちゃんとこたえてね。
 パレスチナの闘いの評価と内ゲバ党派の内ゲバへの評価にはなんの因果関係もない、と言ってるだろうが? 政治的動機を持って人を殺したという事においては、オウム真理教もそうだが、オウムへの評価はパレスチナ民衆の闘いへの評価となんかの因果関係があるのかね?(藁 実際にこういう立場に立ちうる内ゲバ党派以外の人てな、暴力フェチ潮流の人間が、実際どういう形態で残存してるのか興味深いところではあるがね。 で、これだけはきいとくけど、あんたは暴力にフェチズム的欲求を覚えるのか。ちゃんとこたえてね。(藁

 714 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 09:46
 >>577
>僕の問題意識は、今日の日本左翼の思想的・運動的危機をもたら したその根源は、ソ連・東欧などのスターリン主義的変質とその 崩壊を乗り越えられていないことーその理論的要因がプロ独論、 暴力革命論、前衛党組織論などにあることです(内ゲバもこのひとつ)。

 なにはともあれ、小西さんが「内ゲバ」の原因を、レーニン主義の思想的内実である、 プロ独論、暴力革命論、前衛党組織論にあると考えていることははっきりしたようですね。 逆にいえばレーニン主義の立場にたてば「内ゲバ」も避けて通ることができないということも 認めざるをえないということなのでしょう。 であるがゆえに、レーニン主義というもの自体の「再検討」が必要だとお考えなのでしょう。 しかしながら、日本の新左翼運動がその全体にわたってレーニン主義という思想的内実を抜きには 存在しえなかったということもまた事実であろうとは思います。 ということは、新左翼運動というものがその全体にわたって「内ゲバ」を結果する要因をはらんで いたということになるのでしょうか?

 728 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:20
 ちなみに西光は、「国体」という言葉を「天皇を日本民族の首長とする伝統」(「偶感雑記」)と定義している。  したがって、彼の場合、社会主義の実現は歴史の断絶を意味しない。西光は言う。「われらは理想的同胞社会を タカマノハラに反省し、すでに維新によって再建されたこの統一国家のうえに、その高次的展開を実現せんとする もの」であると(「明治維新のスローガンと昭和維新のスローガン」)。

 729 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:20
 つまり、明治維新は、西光が目指す改革の前段階と捉えられ、逆に彼の改革は明治維新の理想の発展として位置づけられているのである。「明治維新を契機として、ドミニウム[私有権]が、 フランス革命の人権宣言に若返ったさっそうたる姿をわが国にあらわした当時は、けっしてこん にちのごとく醜悪ではなかった。

 730 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:21
 。(中略)それは身分的階級的差別のはなはだしき旧幕的話法制に比して、はるかに公平で一視同仁、庶民平等的であり、旧幕的身分上のシツコクから解放されたる自由であった。その自由、公平とはじつに『新たな正義観念による伝統的法律体系の匡正である』」(「日本的皇産分用権−皇道経済の基本思想について−」)

 731 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:22
 「ドミニウムをわが国に輸入した明治維新初期の人びとは、もちろん それがこんにちのごとき借越横暴をなすものとは予想しなかったであろう」(同)。「しかしながらドミニウムはわが国資本主義経済の発 達につれて、かつてのローマのパトリキイ[支配者、掠専者]によって 生み出された本性をあらわしはじめた。そして独占資本主義の段階にお いて、もはや黙視しえざるほども露骨に皇産を冒涜し、みずからその 分用権に代わらんとする勢いを示すにいたった」(同)。

 732 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:23
 ここで西光は「皇産」「分用権」なる言葉を用いている。 それは、ローマ法的な絶対的な私有権という観念は日本の伝統にそぐ わないものであり、むしろ日本では財産はすべからく公の支配の下に あり(皇産)、各人はそれを広義の公益のために管理使用する義務を 負っている(分用権)という意味である。このような考えを彼は自ら「奉還思想」と呼び、この思想の徹底によって、全産業を合理的組織 統制の下におくべく、奉還運動を提唱した。

 733 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:24
 その「全国民の奉還財の対象は『天皇』であり、その道は『神ながら の道』」(「奉還思想を基礎とする日本的皇産主義」)であり、言い 換えれば、天皇は「権力国家発生以前の原始的高天原から権力国家止 揚以後の高次的高天原へまで貫き通ずる日本民族の史的理想の大道」 (「偶感雑記」)であった。なお、西光は、日本人はことごとく天照 大神という中心母性から生まれた同胞、すなわち平等な神の子孫と考 え、これを「赤子思想」と呼んでいる。

 734 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:24
 国敗れても・・・ 西光は、「赤と言われ神がかりと言われ、ファッショと言われ」 (「偶感雑記」)ながら、自らの思想を語り、祈りつづけた。「日本 はモトモト『神の国』なのだ。だがこんにちでは、資本家や地主ども はもちろんのこと、われら無産勤労大衆でさえそれを忘れかけている のだ」と嘆き、「神の国」とは、「君民一如、搾取なき国」「赤子思 想と奉還思想のうえに建つ国」、(「君民一如搾取なき高次的タカマ ノハラを展開せよ」)即ち「タカマノハラ」のことだと叫びつづけた。 しかし、維新はならず、国は敗れた。

 735 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:25
 敗戦後、西光は、戦争を機会として国内改革を断行させるべく奔走し ていた当時を振り返って次のように書いている。「私も、かつては 『支那から手を引け』という運動もした。従って、満州事変当時は受刑 中で、よく知らなかったが、今度の支那事変も好ましい事だとは思わな かった。けれども、支那の背後にある英帝国を見ると、私はいつの間 にか戦争に対する自制心を失い、その加担者となった。

 736 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:26
 相手が世界最大の帝国主義国家であり、アジア民族の最大の搾圧者で ある限り、従って、それとの避け難い一戦を予想した時、私は一応は 日本の帝国主義者と共に、それと戦う事も、止むを得ぬと思ったので ある。(中略)私は、英帝国との真剣々戦争によつて、当然にわが同 胞の心情も浄まり、制度もまたその反省の上に改まるであろうと思っ た。国際的には、インドをはじめ英帝国に搾取せられつつあるアジア の諸民族を奮起せしめ、当然にわが同胞の心情も浄まり制度もまたそ の反省の上に改まるであろうと思った。

 740 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:35
 国際的には、インドをはじめ、英帝国に搾取せられつつあるアジア の諸民族を奮起せしめ、国内的には、支那事変とは、自ら性質を異 にする戦争によって、人心制度ともに維新せられるであろうと考え たのである。けれども、事実は、まさしく正反対に進み、国内維新
は成らず、従って国際戦争にも敗れた。私の考えはあまりに甘く、 また多分に身勝手なところがあった」(「偶感雑記」)。

 741 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:36
 このような反省をしたのだから、きっと彼は「天皇社会主義」の理想をも放棄したに違いないと予想するのが、戦後教育を受けてきた私達 に共通する思考パターンであろう。ところが、敗戦については自分の 無力さを恥じ、自殺まではかった西光だったが、自らの理想に対する 確信はいささかも揺るがなかった。むしろ、敗北への反省は、自らの 理想の否定へではなく、「われらは、この際、何故に『天皇』をかよ うな存在として生かし得なかったのか、という事について深く反省し 、慙愧すべきではなかろうか」(同)という方向へと向かった。

 742 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:36
 そして、「瑞々しき惟神の無我執観たる赤子思想に照りかがやき、清々しい惟神の無所有観たる奉還思想に澄みわたる高天鳳の高次的 展開などというと、今なお祝詞癖の抜けぬ神がかりと哂われるであ ろうが、これも醒める事のない私の一つの夢である」(同)と書き、 次の世代に期待をかけた。
 「われらを超えて行く日本の新しい世代は、必ず再び満州事変を起した り、ファシズムになったりはせないであろう。そして彼らの日本的反 省は、惟神の高天原を目指すであろう。もとよりそれは、権力国家発 生以前の親和社会への高次的回帰であり、その国際的展開である」 (同)。

 745 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:38
 ここでは端的に彼の下した結論だけを紹介したが、これを理解する ためには、戦争の原因、ファシズム、戦争に対する評価、などについ ての西光の考えを知る必要がある。 彼は、大東亜戦争の原因について、次のように自分の考えを語って いる。「『天皇』の存在が、今度の戦争を起こした最大の原因である ようにも言われているが、こ戦争の根本原因もまた『帝国主義』であ る事については、あまり言われていないようだ。 もとより私は、今度の如き戦争は、必ずしも『天皇』の存在に由来す るものではなく『帝国主義』の存在に由来するものと思うが、その事 は、もとより帝国主義に関連した程度において『天皇』の存在が、今 後再び、帝国主義的存在として利用し得ざる程度に改められねばなら ぬ事に反対するものではない」(同)。

 749 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:41
 さらに、敗戦についての悲嘆は大きく、慙愧は深かったが、大東亜 戦争の評価については、全否定という態度をとっていない。「日本 の政戦後、戦勝国によって、インドをはじめアジヤの諸民族が、各 自、その独立を承認されつつある事実は、日本に与えられた新しい 秩序とともに、私に次のような感想をなさしめている。『日本は、 その悪業のゆえに戦うて敗れ、その善業のゆえに目的を達したと( 「略歴と感想」)。


 751 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:51
 ついでながら、彼が保持しつづけた神道観は次のようなものだった。 「私はかつて共産党員であった。それが今日のようになったのは、 唯物と唯心を超えた命の世界を思い、高次的な高天原の展開を望む 者は、高天原の世界観に生きることは当然であり、日本の天皇制が 惟神に原始的高天原から高次的高天原に貫き通ずる道であることを 信じたからである。もとより惟神にということは、高い大きないの ちに連なり違うて最も自然順調にということである」(「偶感雑記 」)。
 752 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:51
 部落解放原理の伝承者としての天皇

 西光の思想の根底に、私有財産制度を諸悪の根源とみなす社会主 義思想があることは間違いない。彼が水平社運動の枠内に止まり得 なかったのも、社会主義国家を実現しなければ、部落差別を根本的 に解決することはできないと考えたからだった。

 754 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:52
 このように考える彼が、天皇こそ私有財産制を止揚する原理を内蔵 した存在だとの信念に到達した時、建設さるべき社会主義国家の中 核に天皇を位置づけたのは当然であった。そうだとすれば、彼の天 皇論の中に″部落解放原理の伝承者としての天皇″という側面が含 まれていたことは想像に難くない。「天皇制は元来いわゆる権力的 なものではない」(「偶感雑記」)と彼が言う時、この言葉は、そ のような文脈で理解されるべきものだと思う。

 755 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:53
 それでは、 要するに、西光は差別の根源を何だと認識していたの だろうか? 断言することは差し控えるが、昭和二十六年十月に 、彼がインドのネール首相に宛てた文章に、その答えが端的に表 明されているように思う。そこで彼は、古代に高い哲学と輝かし い王国を創りあげたインドが、イギリスの植民地にならざるを得 なかった原因は「世界に例のない種姓差別の陋習にあった」とし た後で、次のように書いている。

 756 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:54
 「そして、そのことをインドのために深く悲しむとともに、ことに 不幸なハリジャン[被差別民]のために烈しい憤りを禁じえませんで した。これは、私たちが、日本における単なる被差別民であるとい うだけでなくて、私たちもまた、インド的種姓差別の受難者である からです。

 757 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:54
 というのは、一般的な奴隷的差別よりも深刻な私たちに対する 賎視観念は、多分に、かつての支配階級によって巧みに悪用さ れた仏教思想と関連しているからです。しかも、今なお私たち の大多数は、他の大多数の日本人同様に仏教信者なのです」 (「印度解放の父、ネール首相におくる」)。

 759 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:55
 「反動的似非日本主義者は『日本民族の発展か、無産階級の解放か』 と故意に二者択一的に問題を提起する。だがわれらは『日本勤労国 民の解放に通ずる日本民族の発展』と二者統一的に規定する」(「 明治維新のスローガンと昭和維新のスローガン」)と、西光は言 った。

 760 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:56
 彼がたどつた苦難の道を単に想像することしかできない私には、この提起のもつ重さを十分に受けとめることはできそうにもない が、せめて「反動的似非日本主義者」と彼から非難されないよう に、″同和問題の解決と尊皇の二者統一という願い″を持ち続け て行きたいと思っている。

 761 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:56
 最後に西光をよく知る二人の人物の西光評を抜き書きしておこう。 「酒のみであり、思想的には右からは『赤』だと言われ、左から は『ファッショ』だ、『転向者だ』と悪評もされましたが、私が 三十年を通じて傍らで見てきた人間西光は、妻馬鹿と笑われるで しょうが、人間の尊厳をひとすじに思い、絶対に人を差別するこ となく、菩薩修業を積み重ねた人だったと断言させて頂くことが できると思います」(清原美寿子「夫・西光の思い出」)。

 762 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:57
 「その理論の内容はマルクス主義者の理論からすれば批判の余 地があろうし、私も共産党員として批判をおしまないが、これ が基本になって、もう少しほんとうの日本民族というものを見 出し、人類の進化の過程と将来に確信をもって西光さんが夢に もたれたものを生かすようにしなければならないのではないか と考えます」(難波英夫「西光万吉の人と思想 ――私自身と のかかわりの中で―― 」)。

 763 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 14:58
 昭和天皇が即位された時期は、日本が大きな危機を迎えようと していた。天皇は各国との友好と親善を願っていたが、時代はそ れと異なる方向に進んでいった。しかし、天皇は立憲君主として、 政府や軍の指導者が決定したことに介入すべきではないとの考え から、意に反して、それらを認められる場合もあった。

 765 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 15:01
 ただ、天皇がご自身の考えを強く表明し、事態をおさめたこと が2度あった。一つは、1936(昭和11)年の二・二六事件のとき であった。事件で政府や軍は混乱状態におちいった。そうした中 、天皇は反乱を断固として鎮圧すべきであると主張し、事件は急 速に解決に向かった。もう一つは、1945(昭和20)年8月、終戦の ときであった。

 766 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 15:01
 政府や軍の首脳の間で意見が分かれ、聖断(天皇がくだす判断) を求められた天皇は、「これ以上戦争を続けることはできない と思う。たとえ自分の身がどうなっても、ポツダム宣言を受諾 すべきである」と述べ、戦争は終結した。このときの天皇のお気 持ちをよまれた御製(天皇がよまれた歌)がある。

 769 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 15:02
 「私は天皇が、戦争犯罪者として起訴されないよう、自分の 立場を訴えはじめるのではないか、という不安を感じた。しかし 、この不安は根拠のないものだった。『私は、国民が戦争遂行に あたって行ったすべての決定と行動に対する全責任をおう者とし て、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたず ねした』。

 775 名前: 758 投稿日: 02/08/16 15:57
 黒目やいずみが、小西さんに質問をする連中(漏れもだけど)のことを 『ニセモン君』、『正味のアホ』『2ちゃんで中核ごっこやってるあなた』 『趣味者にすら勝ち目無い類のクズ』 などと定義しているということはもういやというほど判っております。 そういうレッテル張りはご自由にどうぞとしかいえないのですが、 質問に答えてくれるぐらいイイじゃないですか。

 >>74 :名無しさん@1周年 :02/07/07 16:25
 要するにさ、「小西誠大先生を批判するような奴は、中核派の内部も含めて、どこにもいない。中核を装う政治ゴロだけが小西さんを批判するのだ」と本気で信じている小西カルトの信者が痛いということさ。

 >>1-200でやってた妄想君達が大活躍するそんな社会を小西さんが目指していると
理解してもよろしいかね?

 776 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 16:46
 天皇は、古くから国家の平穏と国民の幸福を祈る民族の祭り主とし て、国民の敬愛の対象とされてきた。また、その精神的・宗教的な 権威によってみずからは権力をふるわないものの、そのときどきに 権力をにぎる幕府などに権限を与える立場にあった。例えば幕府の 将軍も征夷大将軍として、天皇から任命される形をとることで正統 な権力となった。

 777 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 16:46
 わが国の歴史には、天皇を精神的な中心として国民が一致団 結して、国家的な危機を乗りこえた時期が何度もあった。明 治維新や第二次世界大戦で焼土と化した状態からの復興は、 その代表例である。 大日本帝国憲法においても、天皇は元首 であり統治権の総覧者であったが、直接政治を行ったわけでは なかった。

 778 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 16:47
 日本国憲法では天皇について「日本国の象徴であり日本国民統 合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意 に基く」(1条)と表現し、国民主権のもとで伝統的な天皇制度 を維持することを確認している。 天皇は憲法の定める国事行為のみを内閣の助言と承認によって行 い、国政に関する権能(権利を行使する能力と資格)を有しない とされている(3条・4条・6条・7条)。 天皇は政治に直接にはかかわらず、中立・公平・無私な立場に あることで、日本国を代表し、日本国民を統合している。

 780 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 16:48
 「皇国史観」のもつ意味

 それでは「皇国史観」とはいったいどんな歴史観なのか ――  たとえば平凡社の『世界大百科事典』は、その内容の特徴を、 まずこんな風に記述しています。

 781 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 16:49
 「(1)日本は神国であり、皇祖天照大神の神勅(<天壌無窮の神勅 >)を奉じ、<三種の神器>を受け継いできた万世一系の天皇が統治 してきたとする、天皇の神性とその統治の正当性、永遠性の主張」  これ自体は、決して間違った解説ではありません。これは『日本書紀 』にも『古事記』にも書かれているとおりの内容で、たしかに、「皇 国史観」というものは、そうした故事を重要視して、そこに道徳的な 意味を見出してゆくという考え方なのですから、まずはこれで十分に 正しい解説だと言うことができます。

 782 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/16 16:50
 ところが、この解説の最後の方には、こんな言い方が見られます。 「・・・・・この史観は大東亜共栄圏の建設の名の下に、国民を大規模 な侵略戦争に駆り立てるうえで大きな役割を果たした」  いったいどのようにしてこの史観が「国民を大規模な侵略戦争に 駆り立てる」役割をはたしたのか、最初の説明文とは、どうもはか ばかしくむすびつきません。
 
 792 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/17 03:36
 うんうん。能書きはいいから、

 >で、これだけは聞いとくけど、あんたはパレスチナ人民のテロによるたたかいを支持するのかしないのか。ちゃんとこたえてね。

 なんで、この人ここまでかたくなにこの問いに答えることを拒否するのか? 簡単なことね。あらゆる意味で暴力の政治的使用を認めてしまったら、自らの反内ゲバの論理が崩壊しちゃう のを自分が一番よくわかってるからなんだよね。 小西さんは内ゲバの原因が暴力の政治的使用そのものにあるという立場を鮮明にしてる。 当然、パレスチナの自爆テロにも反対の立場でしょ。 でも、こういう左翼の幻想にとらわれてる人はまだまだどうしてもみとめられないんでしょうね。 ほんと御都合主義っていうのはこういうのをいうんだろうね。

 793 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/17 03:44
 小西誠がどこかで「自爆テロに反対」って言っていたかね? 大体、第三世界民衆の闘いをカスみたいに言っていて、で、内ゲバは革命的暴力の行使だからいいんだ、という理論を持っていた党があったと思ったがね?(藁 内ゲバ反対の4トロも、塚では機動隊をパイプで殴ってたじゃねえか。

 >簡単なことね。あらゆる意味で暴力の政治的使用を認めてしまったら、 自らの反内ゲバの論理が崩壊しちゃう
 自分の脳内の論敵(藁)をロンパーして勝った勝ったと言ってみせるのが、脳内勝利の基本型だからね。 お約束通りだよ(藁

 798 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/17 11:22
 妄想君の相手はこのくらいにしてそろそろ話を本題にもどしませんか? 整理させてもらいますと以下の様かと。

 質問1 暴力革命論を掲げて内ゲバを批判するのはオカシイのでは?

 小西氏 だから暴力革命論、プロ独論、前衛党組織論については再検討の作業中だ。

 質問2 それはレーニン主義を捨てることになるのでは?

 小西氏 レーニンの誤りを指摘しているだけだ。 それは、レーニンがプロ独下の統治形態論をわかっていないがゆえの誤謬だということだ。

 質問3 ブル独の統治形態論とプロ独のそれを並べて語ろうとすること自体ナンセンスなのでは? なぜならプロ独はブル独とは違って人間の目的意識性に根ざした特殊な独裁なのだから。

 小西氏 沈黙

 質問4 そもそも共産主義者が自ら為そうとしていることに「本質論」と「現実形態論」のつかいわけを措定すること自体が詭弁ではないか?

 小西氏 沈黙

 質問5 そもそもあなたは共産主義者なのですか?

 小西氏 沈黙

 803 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/17 11:42
 対話不能はあんただろ(藁>>脳内勝利君  「答えが聞きたければ、自分でパレスチナの闘いと内ゲバとの因果関係を展開してみれば?」と言われて
 >じゃあ内ゲバとは因果関係なしってことでいいよ。
 などというのは、この時点であんたの前提は説明できていない、つまり破綻してるんだよ(藁

 
 804 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/17 12:15
 >>794 >>798

(1)めざさなければならないのはイスラエル人民とパレスチナ人民の連帯ではないのか? それとも、すべてのイスラエル人民は敵なのか?
(2)イスラエルでは徴兵拒否者が増えている。自爆テロによって、 彼らと連帯することができるのか?
(3)パレスチナ内部でも自爆テロに反対する人々が出現し、新聞に広告を掲載している。 彼らは「裏切り者」で、テロリストこそが連帯の対象なのか?
(4)テロリズム、内ゲバと「暴力革命」とは同列に論ずるべきものなのか?

 807 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/17 17:35
 >めざさなければならないのはイスラエル人民とパレスチナ人民の連帯ではないのか?

 全く正しい。そのためにもパレスチナ解放闘争の武装的発展は不可欠のものだ。 現在極めて限定的力量のなかで、まさに自己犠牲そのものともいうべき、「自爆テロ」 という手段に訴えることしかイスラエルの巨大な暴力装置と闘うすべをもたないパレ スチナ人民は、その自らの命を賭した闘いによってイスラエル人民を覚醒しつつある。 イスラエル人民の徴兵拒否者を先頭とする決起は真の人民連帯ともいうべき状況を 創出しているのだ。 10代の女性が命を賭してなにをいおうとしていたのか、いまやすべてのイスラエル 人民はいやがおうでも考えざるをえなくなっている。

 >イスラエルでは徴兵拒否者が増えている。自爆テロによって、 彼らと連帯することができるのか?

 起きている事態は一個の戦争なのだ。パレスチナ人民の解放をかけたこのたたかいを いかなることがあろうとも帝国主義足下の抑圧民族たる我々が傷をつけるようなこと は断じて許されない。 民族解放戦争とはいえそれは戦争だ。罪なき者の上に剣のふりおろされることがあろう ともそれはいたしかたのないことだ。彼らにはその道しかなかったのだ。 彼らの命がけの決起に対し、無責任に安全地帯から悪罵をなげかけるがごときは 人間の腐ったもののやることと言わざるを得ない。

 808 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/17 17:36
 >パレスチナ内部でも自爆テロに反対する人々が出現し、新聞に広告を掲載している。彼らは「裏切り者」で、テロリストこそが連帯の対象なのか?

 アラファトの奴隷政策によってながく武装解除されてきたパレスチナ人民内部には様々 な腐敗が存在しているのもまた冷厳な事実だ。 恫喝と甘言によって多くのスパイが跋扈し、多くのかけがえのない指導者が暗殺された。 いまだに融和を求めて右往左往している動揺的翼も少なからず存在している。 しかし、パレスチナ人民はその不屈の精神によってそのような過去の遺物を自ら一掃しつつある。 今パレスチナ人民にもとめられているのはイスラエルの暴力装置に対抗しうる新たな指導部 なのだ。ながきにわたるインティファーダはそれを育んだ。すなわち、奴隷根性を棄て、 帝国主義者の手になる「和平」を拒否し、闘いの武装的発展を強力に推進する若き指導部 が今確実にパレスチナ解放闘争の主流派となろうとしているのだ。

 >テロリズム、内ゲバと「暴力革命」とは同列に論ずるべきものなのか?

 暴力によって自らの政治的目的を達成しようという点においてはそれらは全く同列のものだ。 暴力とは武器を持ち敵に我が方の意志を強制することにほかならない。 当然にもそこには流血、殺しあい、罪なき者の死というものがついてまわるだろう。 だからといって、これを嫌悪し、足を引っ張ろうとする者は敵と同罪である。 階級闘争とはそのように人々を白黒はっきり敵味方に分裂させながら発展してゆくものだ。

 809 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/17 19:26
 リッダ闘争は今もパレスチナ人なら子供でも知っている。 遠く日本から来た義勇兵の若者が命を賭けて、絶望的戦況に勝利の光明を もたらした英雄的なたたかいとして。 日本では「テルアビブ空港過激派銃乱射事件」として、「パレスチナ過激派」 に同調した極悪人の無差別殺人として報道され、また当時、日本人はそれに 疑いすら抱かなかった。 一部「進歩的」知識人ですら「ほかに手段があったはずだ」などとまくしたて、 赤軍派を「左翼とは縁もゆかりもないもの」と断罪した。 俺は言ってやりたかったよ。同じことをパレスチナで言ってみろ、と。

 811 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/17 22:51
 空港で一般人を射殺することが革命だというなら俺は反革命で結構だ。 そのような人間こそ社会の責任で死刑にされなければ秩序はたもてない。 過激派の独りよがりな正義感にいままでどれだけの無辜の人々が犠牲になったのか。 今の社会は君らのおもってるような野蛮な社会ではすでになくなってるということを知りなさい。 民主主義というものは君らの矮小な理想主義なんかより何百倍もこの世の不幸を救済してるよ。

 828 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/18 08:19
 >>822
 殺られる恐れがある場合は先に殺ることで「緊急避難」をする。 この場合は法的な意味ではないが仕方が無い。権力に助命嘆願する ヤシはいないからね。殺人を否定するなら国家による「殺人」=死刑 は否定するのか?あんたの論理ならそういうことにならないか? 論旨すり替えでも何でもないからな。

 829 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/18 08:25
 >825
 パレスチナのインティファーダ(イスラエル抵抗運動)は民族解放運動かテロなのか認識を示してくれ。自爆行為はテロか解放運動か。

 832 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/18 13:11
 >>821
 正確な事実を言えば、数あるパレスチナの武装勢力で「内ゲバ」に手を染めていない組織は存在していないといっていいだろう。 それこそみんながみんなお互いに頭たたきわったり焼き蛤やったりしているというわけ。

 >>822
 さんざん「内ゲバ」で返り血をあびてきた方々にしてはじめていえる御意見として拝聴しときましょう。 「ミヤザワケンジ」君!

 >>823>>828
 殺人とは他人の生命活動を強制的に停止させる行為のこと。 しかし、政治的殺人というのは人を殺すこと自体が目的なのではなく、相手の政治的立場を粉砕するために行うもの。 ゆえにあらゆる集団的殺人行為=戦争とはいえども、それはあくまでも政治の延長であることということだ。 だからあらゆる戦争への批判は政治的目的の批判でなくてはならないわけ。 例えば、日本での平和運動はたいがいが「戦争は嫌だ。もうゴメンだ」というレベルのものだが、それじゃあ批判にならないよ、ということ。 ここで「内ゲバ」批判をしている人はそこがわかってないんだね。全然批判になってない。だから話が噛み合わないわけね。

 834 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/18 14:04
 全くのパレスチナの運動に対する侮蔑、いや、デマ宣伝というしなかないな>>832 日本の内ゲバ党派や「唯銃主義」(藁)の連中が、「日本の運動はみんなこんなのだ」と称しているようなもんだな。

 835 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/18 14:17
 で、勿論、内ゲバ政治のその政治的殺人の、政治的目標の内容を批判しているのであり、その政治的目標の差異を無視して内ゲバ政治とパレスチナの自爆攻撃を比較してみせたのはあんたじゃねーか(藁 >>ゲバゲバ君

 837 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/18 15:27
 >で、勿論、内ゲバ政治のその政治的殺人の、政治的目標の内容を批判しているのであり、

 そりゃウソでしょ。 君は単に「殺し合いを非理性的と言わずして、何を理性的というのかね?」などと、一貫して無前提的に現象としての殺人を非難してきたにすぎない。 そこにあるのは「人を殺すこと=非理性的=悪」という非政治的論理のみで、その「政治的目標」になんかはまったく言及してないじゃん。 だからこそ、君は「パレスチナのテロは支持するのかしないのか」という問いに答えることができなかったんでしょ。

 >その政治的目標の差異を無視して内ゲバ政治とパレスチナの自爆攻撃を比較してみせたのはあんたじゃねーか(藁

 君に自らの論理的矛盾をわからせたいがためにそうしただけのことだよ。 言っとくが、私個人は日本のセクト同士の内ゲバの政治的動機などには一片の政治的正当性があるとは思っちゃいない。 しかし、あんたみたいな反「内ゲバ」論者の論旨には常々欺瞞を感じてたから言わせてもらったまでよ。 だって君はこの期に及んで、まだ政治的暴力と殺人一般についてそれを君自身がどうとらえているのかを全くあきらかにしてないじゃん。 そんな人が何言ってもまったくケチツケにしか聞こえないよ、ということを親切に助言してやってるだけなのに、勝手にひとを「ゲバゲバ君」規定して的外れな非難くりかえして悦にいられても、こっちとしては脱力するほかないわけよ。 だからいい加減答えてよ。

 >で、これだけは聞いとくけど、あんたはパレスチナ人民のテロによるたたかいを支持するのかしないのか。 ちゃんとこたえてね。

 838 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/18 15:47
 >言っとくが、私個人は日本のセクト同士の内ゲバの政治的動機などには一片の政治的正当性があるとは思っちゃいない。
 そりゃ初耳だね(藁 じゃ、あんたはそれに対してどうするんだよ?反内ゲバ論者は腰抜けだ欺瞞だとつまらん茶々入れして自らのゲバゲバぶりを確認するのがゲバゲバ君の役割かね(藁 内ゲバ党派が内ゲバをする、その政治目標・動機の愚劣さが自ら認識できないというのは、「理性の問題」ではないとでもいうのかね?

 839 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/18 16:21
 > じゃ、あんたはそれに対してどうするんだよ? 反内ゲバ論者は腰抜けだ欺瞞だとつまらん茶々入れして自らのゲバゲバぶりを確 認するのがゲバゲバ君の役割かね(藁

 何が言いたいのかもはや理解するのが難しいレベルの文章になってきたね。まあまあ君、気を鎮めて。 「内ゲバ」党派も自らの責任においてその政治的目的のために「内ゲバ」をやっているわけだし、 その目的になんらあずかるところのない私としては、そもそも「それに対してどう」かすることなど ということはありえないわけよ。左翼運動が盛り上がらないのが「内ゲバ」のせいだとは思わないし、 第四インターの活動家が足を切断されたことも私自身の政治的課題にはなんら関係のないことなのでね。 ただ第三者として反「内ゲバ」論者たる君の論理的弱さを指摘してるだけのはなしね。

 >内ゲバ党派が内ゲバをする、その政治目標・動機の愚劣さが自ら認識できないというのは、「理性の問題」ではないとでもいうのかね?

 君は只々それを「愚劣」だというのみでそれがなんでなのかを一言も語ってないわけよ。 そしてそれを「認識できない」者は「理性」に「問題」があると決めつけてる。 それじゃ批判になってないよと繰り返し言ってるわけよ。何度同じこと言わせんのかね。

 840 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/18 17:07
 はあ、結構だな、内ゲバセクトと関わり合いなしに平和に暮らして来れたのだったらな(藁  で、自分とはなんの関わり合いのない話に、これまたなんの関わり合いもないパレスチナの話を持ち出してみましたよ、と? 持ち出されたパレスチナ民衆の方はいい面の皮だな? まずあんたが、内ゲバの政治的動機の正当性について語ってみたらどうかね? なんの関係もない話持ち出す前によ?

 841 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/18 17:53
 >内ゲバの政治的動機の正当性

 左翼運動は、適当に小さく、くすぶりつづけるのが 丁度良い。無くなると 機動隊や公安の維持の口実が 無くなるし、でか過ぎると 政権が不安になる。 でも、まともな左翼活動家を 殺すのに、 機動隊にやらせたら いろいろと面倒だろ。 左翼がやった、ということにすれば 楽なんだよ。 左翼内に投入した工作員に、敵対セクトをやらせるよう仕向けさせる。 敵対セクトに、アジトなどの情報をリークする。 覆面の機動隊員が実行する。方法はイロイロあるだろ? まぁ、動機がわかったよな?

 846 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/18 20:45
 >内ゲバセクトと関わり合いなしに平和に暮らして来れたのだったらな(藁 で、自分とはなんの関わり合いのない話に、これまたなんの関わり合いもないパレスチナの話を持ち出してみましたよ、と?

 君がこれまでどれほど「内ゲバセクト」に虐められてきたかなどということは知る由もないし、また 別に知りたくもないわけだけど、「内ゲバセクト」と「関わり合い」がなければイコール「平和に暮ら」せる という君のあまりに偏狭な感覚が今の反「内ゲバ」論者の精神性一般をよくあらわしているとは言えるね。

 >まずあんたが、内ゲバの政治的動機の正当性について語ってみたらどうかね?

 私は「内ゲバの政治的動機」に「正当性」があるなどとは一言もいっちゃいないでしょ。 ただ単に、政治的暴力のある一部分だけを切り取って「内ゲバ」だなどと非難することが欺瞞的だ、といってるわけよ。 まず、政治的手段としての暴力を肯定した時点で、イコール敵味方双方の肉体的負傷、 場合によっては死亡をも結果しうるということを覚悟しなくてはならないわけ。 で、実際に、この世に暴力というものがすでに存在し、それが社会を支配する実効力として機能しているのであるわけだから、 その転覆を目論めば当然手段としての暴力が必要だと考える勢力が世界中に多々存在しているわけね。 その転覆の方法が様々想定できるものである以上、それぞれ異なった方法論をもつもの同士が対立するのは
むしろ当然のことでしょ。そもそも方法論がいっしょなら、組織もいっしょになれるわけだから。 そして対立関係にある双方が、政治的手段としての暴力を肯定し、かつ備えていれば当然にもその対立は暴力的なものとなり、 殺しあいにまで発展するのもまた当然おこりうることだといってるの。 それを非難できるのは完全に非暴力の立場に立つ者だけだということがいいたいわけ。わかる? そこで、君はどちらの立場なの?と聞いているわけですよ。 小西さんは「再検討」してるそうだけどもどね。 因みに私は政治的暴力については全面的に肯定しています。ただし、現下の日本のセクト同士の「内ゲバ」 についてはその政治的動機に全く承服できないので反対だということ。 で、君はどうなのかということよ。

 847 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/18 21:56
 自分の意見の矛盾を指摘する人間はすべて内ゲバ賛美者だと決め付ける 愉快な思考回路をお持ちの方がいらっしゃいますね。 宮崎学が個人情報保護法反対運動を私的に利用しようとしたのを 模倣しようとしてるのかな?

 848 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/18 22:13
 武装自衛のための暴力と、他者の声を圧殺するための暴力は全く政治的意味が異なるものだ。 それをあえて混同して内ゲバを正当化しようとするのは内ゲバ党派の常套手段だ。
 860 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/19 02:45
 あなたがたは「内ゲバ」という用語をあたりまえのように使っているが、 われわれはカクマルとの闘いを「組織内部のゲバルト」などとは考えて いないし、実際そうでありません。 まず第一に、われわれとカクマルは久しく39年まえに完全な組織的分 離をはたしており、その時点で彼らを「内部」とする要素は、感覚的に も思想的にもわれわれのなかに微塵もありませんでした。 第二に、カクマルは、頭目黒田寛一の階級闘争からの脱落を契機に形成 された組織であり、その後の彼らの裏切りの歴史をみるまでもなく、こ の日本における階級闘争においてはその破壊者としての役割をのみはた してきたにすぎません。 したがって彼らは党派を超えて広く左翼としての範囲にすら属さないも のであることは明白です。 第三に、カクマルは、70年安保・沖縄闘争の爆発過程において、決定 的な質的変化をとげいるということを押さえなければなりません。 かの階級闘争の武装的爆発は、彼らにとっては「あってはならないもの」 だったのであり、それまでは単に日和見主義的存在として運動の片隅に ひっそりと棲息し、いかに権力と闘わないかということを追求していた 黒田信者にして息の根を止められかねない非常事態として映ったという ことです。

 861 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/19 02:45
 そこで彼らのえらんだ道は「あってはならないもの」を能動的に粉砕す るための「実践」を開始するということ、すなわち反革命的な白色襲撃 をこととする集団になりはてるということでした。 そして権力の弾圧に疲弊したわれわれにたいして、嵩にかかって明確に 虐殺を目的とした襲撃にでてきたのです。日和見主義が、自らを暴力に よって正当化することは反革命以外のなにものでもないという歴史の教 訓にふまえ、われわれは彼らを一個の武装反革命であると認定せざるを えませんでした。 われわれは彼らとの闘いをまずは組織防衛の観点からしいられて開始す ることとなったのです。 その後彼らは国鉄分割民営化時での翼賛に明らかなように、ファシスト として自らを純化し今にいたっています。 以上明らかなようにカクマルとの闘いを「内部ゲバルト」であるなどと いうことは、全くの客観主義であり、真剣に革命を志すものであるなら 到底口にすることのない悪宣伝そのものであると断じざるをえません。
 873 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/19 14:40
 そう。まさに第四インターの三里塚反対同盟への敵対、裏切りは あってはならないものであった。 83年3月、反対同盟青年行動隊内の一部腐敗分子によって策動 された「一坪再共有化運動」なる闘争破壊を党派をあげて推進し、 反対同盟に分裂をそそのかした張本人こそが反革命第四インター である。 分裂を回避せんと必死の説得行動にまわるわれわれに対し、彼ら は度重なる白色襲撃をもってそれを妨害し、「次は命がないぞ」 などと尊大にもわれわれへの敵対をあらわなものとした。 肋骨骨折や重度の打撲を負わされながらも、われわれは反撃を留 保し、当面分裂の回避を目指して説得行動をのみ続けていたのだ。 しかし、彼らは三里塚現地の白色支配をもって反対同盟実行役員 会の分裂開催を強行したのだ。 それは空港二期工事を目前にしての闘争からの集団脱落であった。 相原や石井らの末路をみるまでもなく、その後の彼ら脱落派の腐 敗はおしとどめようのないものとなった。 これは日本階級闘争史上最悪の大裏切りである。 憎むべきは分裂の立て役者、反革命白色テロ集団=第四インター である。われわれは厳粛に極悪の反革命分子どもへの復讐を誓い それを実行した。

 874 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/19 14:40
 問題は何故彼ら第四インターがかように分裂にこだわり、一切をかなぐり捨てて闘争の幕を引こうとしたのかということである。 その答えはわれわれが彼らのアジトから奪取した「指導文書」か ら明かとなった。 驚くべきことに、彼らの団結小屋内においては指導部による下部 女性同盟員・シンパへの強姦が常態化しており、すでに彼らの組 織内においてはそれを「ABCD(強姦をしていた指導部4名をさす) 問題」などと呼び、組織全体を揺るがす大問題へと発展していた のだ。闘争破壊に血道をあげるかたわら彼らは左翼としてはおろ か、人間として絶対に許すことのできない女性差主義者として三 里塚に巣食っていたのだ。 聞くにおぞましい反革命的腐敗というほかはないではないか。 そのような連中を左翼面してのさばらせて置くことができるだろ うか?断じて否だ。 しかし、彼らはほどなく全人民の弾劾と嘲笑をあびつつ自壊した。

 883 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/19 15:17
 わからん人だね>>846
 >因みに私は政治的暴力については全面的に肯定しています。
 というのと
 >ただし、現下の日本のセクト同士の「内ゲバ」についてはその政治的動機に全く承服できないので反対だということ。
 というのは「ただし」もなにも、矛盾するじゃないか。 政治的動機によって、「この政治的暴力は正しい」「これは正しくない」と分別するわけでしょ? ちっとも「全面的に肯定」なんかしてないじゃないか。 丁度、中核の人だか中核ごっこをした人だかが出てきているようだから、これに反論して、あんたの考えるところの「政治的動機の正しくなさ」でも説明してみれば?

 888 名前: いわゆる暴力マニア 投稿日: 02/08/19 15:42
 >>873-874 を書いた主体は本物の中核かも知れないし、単なる趣味者かも知れない。 前進を良く読んでる奴だということしかいえない。それこそ小西さんや黒目かも知れないのである。そこを詮索して、書き込みの主体がくだらない存在だという決めつけを行ない、 どこの誰が書き込んだに違いないなどと触れ回る。 2ちゃんねるの基本理念を理解していない妄想君がいるということ、そして彼が 共産趣味界隈を宣伝の場として利用し、小西さんと議論をしようとする者たちを誹謗中傷している のは明白である。彼はこのスレを『次期総理は、小西さんです。Part4 (737)』のような 小西さん個人崇拝スレッドに作り替えようとでもしているのだろうか? 中核派などのいわゆる内ゲバ党派の論理を理解し、それを書き込む存在のどこがいけないのか 妄想君は説明する必要があるのではないか。この板で中核派が公式見解を表明していると思っ ているものなど一人もいない状況下で"騙りだ"などと騒ぎ立て正常な議論を阻害する主体の「気持ち悪さ」を感じざるをえない。

 889 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/19 16:23
 >>因みに私は政治的暴力については全面的に肯定しています。
 >というのと

 >>ただし、現下の日本のセクト同士の「内ゲバ」についてはその政治的動機に全く承服できないので反対だということ。
>というのは「ただし」もなにも、矛盾するじゃないか。 政治的動機によって、「この政治的暴力は正しい」「これは正しくない」と分別するわけでしょ? ちっとも「全面的に肯定」なんかしてないじゃないか。

 予想どおり釣れたよ。 「政治的暴力については全面的に肯定しています」というのは、もちろん「あらゆる政治的暴力に 賛成する」という意味じゃない。その存在をまず肯定しなくてはだめだということだよ。 暴力を行使する敵に対して君のような「人殺し反対」などという小ブル的対応にでるのではなく、 暴力で反撃するという立場にたつということ。敵がもし戦闘において優位であるならそれに学ぶことすらする。 政治的な暴力同士がぶつかりあうことこの世においてはさけられない、そうした事態を否定することは現実逃避でしかないよということであり、「人殺し反対」なんていうスローガンにはなんの意味もないということよ。

 「『内ゲバ』についてはその政治的動機に全く承服できないので反対だ」というのは読んで字のごとく 政治組織が政治的暴力を用いることは全面的に肯定するが、「内ゲバ」という行為の政治的動機には承服できないので、 その行為に関しては反対だということよ。 パレスチナの解放戦争は全面的に肯定するが、彼らの「内ゲバ」戦闘は帝国主義者に利するのみだから反対だ といってるのとまったく同じこと。それも矛盾してるというの? 「君たちは戦争反対といってるくせに、革命戦争には賛成といっている。それは矛盾してる!」 なんてクラ討で言われたことない? ないか・・。 まあ、そのレベルということね。そのへんをわかってないと自滅していくパターンになるわけ。

 どうでもいいけど小西派完全に粉砕されてない? チョットイタイね。あれだけ偉そうにここで喋ってたのに、 ここまででてこなくなっちゃうのってどういうことなんだろね。 話が終わってスレも下がってから「まとめてレス」なんてやめてよね。 キチンとすべてにレスしてくださいよ。 じゃなきゃ小西さん、あなたのいうことなんて信用できませんよ。

 905 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/19 19:38
 何しろ、『サンライズ』に入った途端に他の女には目もくれずに彼女を指名しているのだ。 なぜ自分が選ばれたのか分からない彼女にとっては、私の行動が不可解で不気味だったかも しれない。開口一番、彼女が私に言ったのは「アー・ユー・フケン?」だった。フケンとい うのは中国の福建省出身の中国人のことを指しており、彼女は私が福建人かどうかを知りた がった。なぜ『福建』が出たのはよく分からない。  もしかして、福建人は売春宿に行って性急に女を選ぶ癖があるのだろうか。あるいは置屋 に来る客は台湾人や福建人が多いのだろうか。しかし、それにしては私がどうも中国人にし ては態度が違うというのが何となくヘリナにも分かっていて、それが「アー・ユー・フケン?」 という質問になったのだろう。 私は自分が福建人ではなく、日本人であることを説明した。 ヘリナは日本人を初めて見たらしく、やはり私がどんな人間なのかイメージをつかみ損なって 明らかに困惑顔をしていた。そして「福建語はしゃべれるの?」と英語で尋ねる。

 906 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/19 19:40
 私は笑いながら首を振って「分からない」と答えた。そして「君は福建語できるのかい?」 と尋ねた。ヘリナはぱっと顔を輝かせて「ウォ・アイ・ニー(愛している)」と言った。私は 大笑いした。それなら私にも知っている。  しばらく話をしているうちにやっと打ち解けて来て、彼女はシャワーを浴びると言ってシャ ワー室に消えて行った。出てきたときは身体にバスタオルを巻いていた。部屋の電気を消して 欲しいと彼女は英語で言ったが、私は「NO」と答えた。彼女の身体を見たかったからである。  ヘリナは恥ずかしがってベッドに横たわったが、恥ずかしがったのは最初だけだった。私が 軽く彼女の口唇にキスをすると、彼女は私の目をしっかり見つめたまま、いきなり私の首に腕 を回してディープキスを求めてきた。自ら舌を絡ませてきて私の唾液を吸い込む。  こんなに激しいディープキスは久しぶりだった。ディープキスというのは売春に従事してい る娘がセックスに対してどう向かい合っているかを示す一種の試金石のようなものであると私 は感じている。 決してディープキスを許さない娘たちは多い。「身体は許しても口唇は許さ ない。口唇は本当に好きな男のために取っておくの」というロマンチックな理由も中にはある だろうが、ほとんどは単に性病を防止するためである。  ディープキスでヘルペスも移れば梅毒も感染する。キスでHIVには感染しないかもしれな いが、性病はHIVだけではないのだ。不特定多数の男たちとセックスに明け暮れる娘たちが、 会う男すべてにディープキスを許していたら、いくらコンドームを使ったとしても性病は避け ることはできないだろう。性病を防止するという意味ではディープキスはない方が良い。

 913 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/19 19:58
 はいおつかれさん>>889
 >>その存在をまず肯定しなくてはだめだということだよ。
 じゃあ、なにか?戦争反対って言ってる奴は、戦争という事柄が「存在しない」って言っているのか?(嘲笑 政治的暴力というものの存在を認識していなければ、その中の特定の政治的暴力に「反対する」なんて事は不可能だわなあ(藁 あんたの言説が有効かどうか、みてやるから、早くここの中核だか中核ごっこしてるやつだかに、その「政治目的の正しくなさ」を説明してみろよ?

 915 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/19 20:08
 >>813,814
 マジレスです。まず、議論の前提として、Oも、そしてT橋@楼門犬もアソシエとは無関係ではありません Oが少なくとも一時期、明確に「アソシエ早稲田支部」を名乗っていたのは複数の当事者および 目撃者から得た事実です。  また楼門犬がT橋をはじめとして、複数の構成員がアソシエに出入りしていたのは 私も、この目で見ているので(ワラ)事実です。わたしの目撃だけでは不十分なら 証言者はほかにもいます。  で、今回の弾圧ですが、メインは、T橋、通称「卑下」です。  卑下は、アソシエに出入りしていたO出版の社長の旧知の間柄でした。  また件の人物、「千年さん」ことOが、O出版の編集者なのも周知の事実。  で、この二人がH性で政治的な対立関係にある人物の連載をストップさせるため  この社長とのコネをフルに利用したようなのです。  そうでなければ、人気が下がっているわけでも、本人が急病で倒れたわけでもないのに  連載中断が社内で検討されているのは不可解でしょう。  私は、こうした行為は、ほとんど右翼か総会屋のやり口だと思います。  もし、その連載なり著者なりが気にくわない、間違っているというなら  直接、本人なり別の媒体、例えば『情況』上ででも反論するのが筋  なのではないでしょうか。  アソシエが組織的に、今回の言論弾圧に関与しているとはいいませんが、  少なくとも、こういった右翼的手法に暴走する権力主義者(OとT橋)に利用されている  と考えます。 スパイM崎との関係も含め(O出版から業績が極めて不振で、内容も極めて差別的な『アウトロージャパン』がM崎責任編集で出ているのはご存じのはず)  良心的なアソシエ諸氏の自浄化の努力に期待するものです。  長文スマソ。
 916 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/19 20:10
 >>853
 拙文をよく読んでもらえれば分かるかと思いますが、私はアソシエが組織的関与をしているとは書いていません。アソシエの一般会員に分からないところでいろいろあるのではないか 、政治的野心のある人物に利用されている側面があるのではないかと書いているのです。 そんなの知ったこっちゃないよ、ということであるなら話しは別ですが。
 >>839
 国家権力が発動しないと言論弾圧にならないのでしょうか。岡留へんしゅちょが自慢げに語る右翼のなぐり込み、あれは言論弾圧じゃないんですか?  政治的対立関係にある人物が、政治的対立を一般誌に持ち込み、出版社に怒鳴り込んで、連載をストップさせようとしたことを問題にしているわけで  あなたのいう「政治問題」なんですよ。で、その怒鳴り込みに来たTと仲が良かった社長の鶴の一声で、人気がないわけでもないのに  連載がストップしちゃいそうと。大体怒鳴り込んだのはライターじゃなくて、自称「運動家」の男ですからね。へんなバッグのある男なんですよ。で、変なバッグのある社長が、そいつの主張を  飲んじゃったと。拙文をよく読んでもらえれば分かると思うんですがね。後、「反論を書く云々」は完全な誤読で、怒鳴り込んだ側に対してストップさせたいぐらい連載が気にくわないなら  とりあえず、どっか運動業界の媒体に反論を書けばいのでは、と書いているのです。よく読めば分かると思うんですけど。まあ、文面を読む限り物書きの関係のひとなんでしょうが、こういう程度の日本語読解力で、やってけるんですから、今回の言論弾圧のような事件が横行するわけですな。  物書きでもないのに「ライター業界ではこういうのは常識」とか書きこんでいるんなら  イタイヤシとしか言いようがありませんが・・。ひょっとして千年さん?

 918 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/19 21:37
 > じゃあ、なにか?戦争反対って言ってる奴は、戦争という事柄が「存在しない」って言っているのか?(嘲笑 政治的暴力というものの存在を認識していなければ、その中の特定の政治的暴力に「反対する」なんて事は不可能だわなあ(藁

 いったいどうしたらそう読めるかね。 意図的曲解をもとにした揚げ足取りはいいかげんやめなよ。 せっかくお互いエネルギーを傾注しているのだから不毛なやりとりはこの辺にして、 そろそろ問題をはっきりさせようや。 君は「内ゲバ」という行為が「殺し合い」であるがゆえに、「非理性的」だという指摘をした。 私は理性的な殺人というものもあるのではないかとパレスチナの例をひいてそれへの返答を求めた。 君はそれに答えることを一切拒否して、私を「内ゲバ」支持者であると誤認してただただ前項の 規定をくりかえした。 それが誤解であることを私は説明した。 さて、あくまで君が私の質問に答えていないということからはじめよう。

 >で、これだけは聞いとくけど、あんたはパレスチナ人民のテロによるたたかいを支持するのかしないのか。 ちゃんとこたえてね。

 919 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/19 22:01
 そうじゃないか(藁 「内ゲバ反対と言ってる者は、政治的暴力というものが存在する事を認識していないのである」 というのがあんたの主張だろ?違うのか? で、パレスチナ民衆の自爆攻撃について、あんたはこれが「同じ政治的暴力である」といい、これを例に引こうとするわけだな。 俺は、パレスチナの自爆攻撃はその目的・動機において全く異質のものである、よって、パレスチナ自爆攻撃を支持・不支持、内ゲバ反対・賛成てな事の間にはなんの関連もない、と言っているんだよ。 この両者にはなんの関係もない事は、あんたも認めたよな?で、なんで関係のない話を何回も繰り返し持ち出すの?

 あんたは、その政治的動機において、内ゲバは正しくないと言って見せるが、その政治的動機の「正しくなさ」をどう考えるのか、なにがどう「正しくない」のかを早く述べろよ。 「関係のない」質問繰り返して逃げてるヒマがあったらさ(藁
 920 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/19 23:40
 >「内ゲバ反対と言ってる者は、政治的暴力というものが存在する事を認識していないのである」 というのがあんたの主張だろ?違うのか?

 違うんですけど。わざと言ってるのかと思ったらそうでもないのね。 う〜ん、じゃあ分かりやすくもう一回説明するわ。

 まず、君も含め、昨今の「内ゲバ」反対論者の主張は、暴力の政治的使用一般については、 棚にあげたままで、「内ゲバ」が「人殺し」や「殺し合い」であるという現象のみをとらえて すなわち悪だ。とするのみで、その政治的企図についてはなんら言及しない。 そういう批判に終始するのみじゃ「内ゲバ」はなくならんよ、ということが私の認識の前提ね。

 そう思ってるところに、 「内ゲバは人間としての理性の欠如が原因」という君の主張にでくわしたわけ、 そういう認識がそもそもダメでしょといってるわけ。 まずは「理性的な政治的殺人・暴力」というものが存在してるということをまず理解したうえで、 その政治性を批判するのでなけりゃダメだということ。 「政治的暴力というものが存在する事を認識していない」といってるんじゃなくて、 「理性的な政治的暴力というものが存在する事を認識していない」という点が君の誤りだと指摘したわけ。

 で、現象としては、「内ゲバ党派」もパレスチナの諸組織も人殺しをしているという点では同じなわけで、 「殺人」をしているということをもって「内ゲバ党派」を否定するならば、パレスチナの闘いも 否定することになっちゃうんじゃない?それでいいの?ということをいいたいわけ。

 921 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/19 23:40
 >俺は、パレスチナの自爆攻撃はその目的・動機において全く異質のものである よって、パレスチナ自爆攻撃を支持・不支持、内ゲバ反対・賛成てな事の間にはなんの関連もない
 それが政治的殺人であることは同じことでしょ。君が、あらゆる殺人=悪だというならその闘いも 否定されなくちゃいけないわけでしょ。そうでないならそうでない、この場合の殺人は正しい、支持する とはっきりいえばいいわけよ。 「内ゲバ」はその政治的目的・動機が正しくないから悪、自爆テロは その政治的目的・動機が正しいから善だ、 といえばいいだけのこと。 「関係ないから言わない」なんていうのは君がまだ理性的な政治的殺人というものの存在を肯定できていない ということのあらわれでしょ。 わかってもらえた?

 >その政治的動機において、内ゲバは正しくないと言って見せるが、その政治的動機の「正しくなさ」をどう考えるの か、なにがどう「正しくない」のかを早く述べろよ。

 それも上で君が私のいうことを理解してくれたのならば、おいおい述べさせてもらうよ。 だって前提的なことをわかってないのなら、およそ、私の「内ゲバ」に反対する理由も理解してもらえるとは思えんからね。 ま、討論はあせらずね。

 922 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/20 00:35
 面倒だね全く。 「理性的な政治的暴力」というものが存在し、内ゲバはそうではないというのがあんたの立場なのであれば、内ゲバはどう理性的政治的暴力ではないのかを、やってる連中に理解できるように説明してみなよ?
 >だって前提的なことをわかってないのなら、およそ、私の「内ゲバ」に反対する理由も理解してもらえるとは思えんからね。
 俺に理解してもらえる事以前に、内ゲバやってる当事者に理解してもらう心配をしたほうがいいんじゃないの? 理解が得られるような事をあんたが言えるかどうか、見せてもらうよ。

 923 名前: 小西まこと 投稿日: 02/08/20 00:35
 いやあー、すみません。いくつか原稿をかいているもので、 充分な書き込みが出来ません。この間の激しい論争はしっかり 読んでいますし、なかなかためになります。しばらく、論争に 対応するのは難しいと思いますが、一点だけ。

 >920さん、
 >まず、君も含め、昨今の「内ゲバ」反対論者の主張 は、暴力の政治的使用一般については、棚にあげたままで、「内 ゲバ」が「人殺し」や「殺し合い」であるという現象のみをとら えてすなわち悪だ。とするのみで、その政治的企図についてはな んら言及しない。

 『検証 内ゲバ』をこのようにしか読まれませんでしたか? それは 僕らの意図とはまつたく違いますが、その不十分性は「『検証 内ゲ バ』パート2」で僕の担当で行う予定です。だから「再検討中」と書 いています。もう少し、この本の趣旨を理解してください。その趣旨を 読み解く考えがおありと思っています。

 924 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/20 02:43
 >「理性的な政治的暴力」というものが存在し、内ゲバはそうではないというのがあんたの立場

 あのう、申し訳ないが、私はもう繰り返し何度も「内ゲバ」は理性的暴力だ言ってるんだけどね。 「内ゲバ」の原因が理性の欠如だとする君の論を批判して。もう一回よく読んでくれる? どう読めばそんな真逆な理解ができるのか聞きたいもんだね。

 >俺に理解してもらえる事以前に、内ゲバやってる当事者に理解してもらう心配をしたほうがいいんじゃないの?

 それはそれで直接当事者と私なりにやってるから心配してもらわなくていいよ。 今は君と論争しているわけだからさ。まずはこちらの問いに答えてよ。 そこからはじめないと、対話にならないでしょ。 パレスチナ人民のテロによるたたかいを支持するのかしないのか。

 928 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/20 09:35
 楽しいですねーここは、読んでいても何の事だかゼーンゼーンさっぱり、チンプンカンプンで、 宇宙の人達みたい、いずれにしても、議論すると言う事は、良い事ですね。 私もその昔、町を歩いていたら、突然声をかけられて、話をしたいと言うので、近くの喫茶店で聞いてみると 「貴方も革命家になりませんか?」だと!。思わず”私は仏教徒です”と答えてしまったのを覚えています。 今は笑える話ですが、あの時もし、東京某アジトへ行っていたら、どうなっていたか・・・もしかすると、 今の私から想像すると、革命という名のテロや襲撃などは、 当たり前にこなしていたかもしれません。 しかしやっぱり、共○党だけは好きになれません、嘘をつくにも、あまりにも人を馬鹿にした 直ぐばれるような嘘はつくべきでないと思いますね、なぜなら、私みたいな人は直ぐ確認すれば 判ってしまうような嘘を平気で言えるのですから、相手にしたくなくなってきますね。 当時(あえて昔とは言わない)の、学生運動には、希望に満ち溢れていました、今思えば、 消して綺麗ではないかも知れないけど、本当の意味での若者のエネルギーがこれほど分かりやすく、 表現できた事もなかったでしょう、少なからず、赤軍歯に共鳴した理由もそこにあります。 今の学生に望むのは、イデオロギーではなく、ヒューマンスピリットと言うか、もっと愛国心 (かといって決して右ではない)すなわち、日本人である事の誇りを持って欲しいと思います。 またはそう思えるような活動をしてもらえたら・・・、日本の将来は貴方に懸かっているのですから・・・。 日本改革推進同盟 参議会議長  岩波某
 932 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/20 09:45
 ≫848
 マジか?ネタか?ネタだよな。地球市民ねえ。なんとも胡散臭い響き だ。国際平和ミュージアムには愛国心を忌避させ、地球市民になる事 を推奨・強迫してくる展示物があるのだろうね。俺はほとんどまとも に見ていないから知らないが。 戦前の過去を全否定し、180度違った考え方にいたるというのは、 朝日新聞の大学バージョンそのもの。これほどよく似た組織はそうは ない。大学と新聞社、組織の形式は違えども、その使命は同じ。 ここにきて朝日は随分叩かれるようになってきて、かつての力は なくなりつつあるように思うが、立命がそのぶん、頑張っているの だろう。多種多様の試験形式により蓄えた資金を元にして、地球市民 という理想を世界に喧伝する。アジア太平洋大学という地球市民大学を前衛大学として。 かつてあの石原莞爾が教壇に立っていたことがあるという、輝かしい 過去を隠蔽し、末川博からの戦後の立命の歴史ばかりを喧伝する。 優れた戦略家であり、世界的視野を持った思想家でもあった石原莞爾 がかつて教壇に立っていたという事実は、誇ることではあれ、 恥ずべきものではないと思うのだが。俺は福田和也の「地ひらく」で 初めて知った。我が母校にあの石原莞爾が短期間とはいえ、講義を していたという事実を。 やはり末川博からのものなのだろうな。この校風は。彼なくしては 現在の立命館はないのかもしれん。入学時に岩波書店の彼の自伝を 配っていた。中身はほとんど憶えていないが、あれも反日サヨク思想 を刷り込むための一環なのだろう。ワイツゼッカーを招聘し、日本が ドイツと比べて、いかに反省していないか、賠償していないかを 講演させたのもそうなのだろう。たしかに講義では表立っては、 立命の思想を披露していないとはいえ、そのぶん講演・シンポジウム で思想喧伝・刷り込みを存分にやっている。 まあ、大多数の学生は、共産主義が何たるものかなど興味などなく、 政治的祭りにも参加しないだろうから、その影響力はたかが知れてる と思うけどなあ。無意識の刷り込みが一番あぶないと云われれば、 それはそうなのだが。

 944 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/20 13:39
 >「内ゲバも理性的暴力である」。ではあんたはなんで内ゲバが正しくないというのか。

 もう何度もいってるじゃん。私が「内ゲバが正しくない」と考える理由はそれが「理性的でない」 からではなくて、政治的動機・目的を承認できないからだということ。 「人殺し=非理性的」というだけじゃ批判になってないよということ。これ言うの何度目かな〜。

 >あんたはここで話をしている本題についての質問には回答しない。

 私が答えないことをもって君も答えないなんて小学生みたいなこといわないでよ。 じゃあ答えるから君も答えてね。いい? 私が何故「内ゲバ」に反対かということね。 まず中核と革マルの内ゲバが、それが分裂当初から開始されたものではないということにも しめされるように、どの党派にあってもその党派が政治的暴力によって事態を切り開こうとしていた 限りにおいては、70年闘争の敗北という事実を誰もが総括しきれないという危機におちいったことから その危機を他者の責任に転嫁していくという政治的目的・力学がそこに生まれ、それこそが日本的「内ゲバ」 という事態を結果する原因になったと思うわけよ。 総括ができないというのは指導部の責任でしょ。それを回避できないことに焦れば当然人のせいにするしかない。 そこで他者を攻撃するという方針がでてくるわけ。これは党派闘争としてはあってはならないパターンだと 思うのよ。だって、あくまで理論的なものはあとから引きずられてくるということでしょ。 自らの革命論のなかでそれを後からどう位置付けるのかという作業をみんながやったのよ。極めて理性的に。 それが何を意味するのかというと、必然的に支持者・大衆は蚊帳の外、だれもそこで行われてる 作業については指導部以外は知る由もないという状態になるわけね。 だから、私は「内ゲバ」の政治的目的・動機について承認しかねるから反対だといったわけ。 わかってもらえました?

 947 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/20 17:47
 その論理で内ゲバ党派が説得されるとでもいうのかい?(藁 あんたは、「内ゲバやってる本人たちに対しての説得力」を問題にしていた筈だよな?  
 >総括ができないというのは指導部の責任でしょ。それを回避できないことに焦れば当然人のせいにするしかない。 そこで他者を攻撃するという方針がでてくるわけ。
 これはあんたの総括だろ?で、それを中核なり革マルなりが受け入れて説得されるとでもいうのか? 中核は「ファシストだから殺したんだ」というだろうし、革マルは「権力の走狗だから殺したんだ」というだけではないか。 たいして説得力があるとは思えないね。 まあ、ここで説得してみろよ。中核だか中核ごっこだかが折角でてきてるんだからよ。

 950 名前: 888 投稿日: 02/08/20 18:45
 >>947の黒目さんらしきお方よ、 じゃあ、あなたが内ゲバ党派を説得できる論理を提示してみてくれないか? 「中核だか中核ごっこだかが」でてきているように、痛い小西信者ごっこだか痛い小西信者 のあなたなら出来るはずですね。 全ての殺人行為自体が非理性的であり、やめるべきだという立場をあなたはとっているのかどうかを 問いたいのだよ。ガンジーやダライラマみたいなのもいるわけでさ。

 951 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/20 18:53
 ここの小西さんと>>947などの妄想君達の関係って天皇制ににてるよな。 小西さんはいつもにこにこしてありがたいお言葉を御下賜なさって(案外いいことを言ってたりする) それをみんなでありがたがめ。 少しでも小西さんに質問をすると非論理的で理解に苦しむ難詰やレッテル貼り(内ゲバ主義者) 等がされ、お前の身元はわかっているんだという恫喝が行われる。 その間も小西さんは妄想君達を非難するわけでもなくただほほえんでいるだけ。 バールを振り回す連中よりは少しましかも知れませんな(w


 954 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/20 20:32
 >その論理で内ゲバ党派が説得されるとでもいうのかい?(藁 あんたは、「内ゲバやってる本人たちに対しての説得力」を問題にしていた筈だよな?

 党派としての彼らを説得することなど、私ごときにはできようもないよ。 ただ個人的に私が彼らにあった際には、だれも反論はできなかったということは本当だよ。 その意味で彼らのなかに70年代初頭の対応に後悔があることはまぎれもないことだと確信できた。 これは私の批判に説得力があったかどうかというより、彼ら自身がそう感じているといった方が正確だと思う。 暴力の扱いについて彼らはあまりに稚拙だったということなんじゃない?実際みんな若かったしね。 そういう反省は個々のメンバーのなかには少なからずあるよ。でもそれは彼らにとってはさけることが 非常に難しい道だったということも本当だね。彼らが若いなりにギリギリの厳しい道を選択し、熟考の いとまなく、追い立てられてしまったということを彼らだけのせいにすることは間違ってると思うのよ。 その意味でかれらは周囲の批判に凄く真摯だよ。実際自分にとっても微妙な問題だけに。 ただね、逆に言えることは君のような嫌悪のみに依拠した批判には彼らは聞く耳すらもたないということだ。

それはそうと、はやく答えなさいよ。君。

 956 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/20 20:36
 なにかね、今度は人定ごっこかね?(藁 残念ながら俺はいまさら誰かの信者になるほどには初々しくないのだよ。 「内ゲバに反対するのは小西信者か4トロだ」というあんたの世界観からはずれるだろうがね(藁 そもそもあんたは、 「それじゃ批判にならんよって助言してあげてるだけなにになー。」 と>>711で言っているではないか。かつ、あんた自身は内ゲバには反対だと。 ならどういうのなら「批判になる」のか見せてみろと。 それで出てきたのが>>944なわけだ。 そんで、>>944の内容は、批判になっていますか? ま、あんたとあんたのお友達の間でなら通用する話かもしれないがね(藁


 968 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21 04:02
 各論反論してちょ。分かりやすいようにじゃあ番号つけるわ。
1、私は君の「内ゲバ」批判(内ゲバとは殺し合いだから即ち悪)に、 以下のように反論する。
  政治的暴力を是とし、実際にそれを用いることをいとわなければ、敵味方双方に死者がでること、 殺し合いが結果するという事態も当然覚悟しなければならない。  したがって、「内ゲバ」を、殺し合いだから即ち悪とする論理は政治的暴力そのものを否定することなる。しかるに、君は政治的暴力、もっといえば政治的殺人一般を否定するのか?  たとえば、パレスチナの自爆テロについてはどう考えるか?

2、君は「内ゲバ」が非理性的だと言う。私は以下のように反論する。
  「内ゲバ」を理性を失った者の暴走ととらえるのは誤りだ。むしろそれが理性的な政治判断に基づいているがゆえにこそ事態は深刻だといえる。 ゆえに彼らの行為への批判は、その現象に対してではなく、その政治に対してなされなければならない。君の批判は「内ゲバ」という事態への嫌悪の表明に過ぎず、事態をなんらいい方向へ向かわせるために役にたたない。それでも、君は「内ゲバ」の原因をあくまで、その党派のメンバーが理性を失ったがゆえであると主張するか?

3、君は私の「内ゲバ」批判が、批判になっていないという。   ならば、それはどの点でそういえるのか展開してもらいたい。 以上どうですか?

 973 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21 08:58
 >>1 では、政治的暴力について 俺は政治的暴力を一般的に肯定しない。 本質的にそれは、権力を持った者による持たないものへの抑圧としてしか作用しないからである。 パレスチナの自爆攻撃について、俺は
1,本質的に「自殺」である
2,無差別攻撃である
という2点で否定的である。
イスラエルはさらなる政治的暴力で報復をするのであり、最終的には軍事力で上回る側が勝利するのは見えているではないか。 また、死を賭して闘う主体は、本人が決めたことであるから、とりあえずよい。 どれだけの、無辜の血が双方に流されたのか? その流された血に対して、無差別攻撃を「積極的に支持する」主体は、責任を持てるのか?

 政治的暴力が有効に働く場合もある。 例えばサパティスタ民族解放軍は武装蜂起したわけだ。 そしてその上で、メキシコ国家に対して「交戦団体として認めよ」と要求し、そして停戦交渉に持ち込んだ。 その結果、長期にわたる解放区の維持を可能にしたのである。

 パレスチナの自爆攻撃、これは絶望にかられた無限戦争ではないか。 この戦略によって、何を獲得するのか、これはまさにあんたのいう「指導部の責任」であろうが、 どこで決着をつけるのかという事が、見えた上でやっている事ではない。 闘う主体がその時点で死ぬという事は、その結果に責任を持たないという事である。 本人の死を前提とした戦略を、俺は認めない。

 974 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21 08:59
 >>2
 内ゲバに突入した組織は、それぞれ組織の大きな部分を失い、防衛の為に大きな犠牲を支払った。 あんたの説、「70年の闘争の総括が出来ないという危機を内ゲバによって乗り越える」といった事が内ゲバの要因であるのであれば、 そのような判断は「理性的な判断」か? 内ゲバが双方の組織にどのような結果を生んだかを見れば、その判断の誤りは既に自明ではないのか? その指導部の判断もなにも含めて「非理性的である」と言っているのである。一方、当事者が、「70年の闘争の総括が出来ないという危機を内ゲバによって乗り越える為に内ゲバに突入した」 という話になぜ反感を持たないのか、理解できない。 当事者は、互いに相手がファシストだ、権力の走狗だとして殺し合っているのであり、 これはそういった内容を全く否定するものではないか。
>君の批判は「内ゲバ」という事態への嫌悪の表明に過ぎず、事態をなんらいい方向へ向かわせるために役にたたない。
これは内ゲバ党派にすりよった立場の話でなければ、当該者は話を聞かないという事に過ぎない。 現実に俺は内ゲバ党派を嫌悪しているのであり、当該者を説得する為に向こうの立場に擦り寄るなどというのは、俺にとっては意味のない事である。

 >>3
 現在、総括を求められているのは、内ゲバをどう総括するのかという事ではないのか。 内ゲバに突入したことそのものが、無惨な結果をもたらしているのであり、指導部の責任は、この無惨な結果を招いた内ゲバに突入するという方針を出した事そのものの総括が問われているのではないのか。 「70年闘争の総括が出来なかったから」という話は、昔から連中は総括なんか全然出来なかったんだという評価としては興味深いが、大昔の出し忘れの宿題の話を今更しているようにしか見えない。 それは単に「70年闘争の総括」という事が共通の話題になる、特定の世代の基盤があるという話以上のものではない。

 981 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/21 20:39
 ここで話するのもどうかと思いますが 投稿者:黒目  投稿日: 8月21日(水)11時59分50秒

 >>TAMO2さん
 一般的に論理を展開するスタイルそのものがなんとかならないか、というのであれば、それはなんともなりません。それは俺のモノを考える方法そのものですので、これをやめたらなんにもなくなる(w。 それは俺がこの界隈から消える以外には方法はない事になりますね。

 で、具体的に、誰の怒りをどう不必要に増大させたのか、「素人さん」とは誰の事か、という話をしてもらうようではないですか? どのケースについて言われているのか、よくわかりません。

 982 名前: 一週間前にこうやって始まった。 投稿日: 02/08/21 21:49
 >>674 :名無しさん@1周年 :02/08/14 15:43
 殺し合い=非理性的とはかぎらないでしょ  あらゆる民族解放戦争は殺し合いだし、革命に死人はつきものじゃないの。 極端な話、理性的殺人ってものもあるわけよ。 それが認められないっていうならあんたパレスチナ人に黙って殺されてろというのかね?
>>675 :名無しさん@1周年 :02/08/14 15:56
大体、パレスチナの解放闘争で行われている殺人、これは「あらゆる殺人」を肯定するものだとでもいうのかね? 誰が誰を殺しているのか、そういった因果関係を全く切り捨てて「殺人万歳!」と叫んでいるのが674ではないか(藁
>>676 :名無しさん@1周年 :02/08/14 16:08
そもそも、殺し合いを非理性的と言わずして、何を理性的というのかね?(藁 あんたは自分が殺し合いが好きなだけだろうが?





(私論.私見)