被告会社は、本件記事は右偽造の主体を原告と指摘しているわけでなく、これによつて原告の名誉が毀損されるような印象を与えるものではないと主張する。しかしながら、ある記事が、法人を含めて特定の社会組織につき、当該組織に属する者が右組織のため文書を偽造し、右組織は右行為による結果を利用ないし享受しているという内容のものであるとすれば、右の行為者が必ずしも右組織の代表者又は責任ある地位の者でないとしても、右記事は、右の者は右組織の意を受けて右偽造を行つたとの印象(裏返せば、前段のとおり、右組織は右偽造に積極的に関与しているという印象)を読者に与え、右組織が社会活動をするうえでその信用を失わせる結果をもたらすことは世上一般に経験するところである。そして、本件記事が原理研を原告と一体の組織とするその前提と相まつて右の場合に該当することは前段で判示したところから明らかであるから、被告会社の右主張は採用できない。
五〈証拠〉を総合すれば、請求原因5の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない(右事実中、被告資長らが、被告会社取材班の取材に対し、禎子が本件御願い書に署名捺印したことはない旨申し述べたことは、原告と被告村井らとの間では争いがない。)。
六進んで、被告らの抗弁について判断する。
1 本件記事の内容が、公共の利害に関する事実に係り、被告会社は専ら公益を図る目的でこれを報道したものであることは当事者間に争いがない。
2 そこで次に、本件御願い書中禎子作成名義部分の成立の真否につき審究する。
(一) 禎子本人は、本件御願い書に署名捺印した覚えはない旨供述し、そして同本人尋問の結果によれば、本件御願い書中の禎子名下の印影は禎子の印章によつて顕出されたものではないことを、また、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第一六号証の一(戸谷富之の鑑定書。以下この鑑定を「戸谷鑑定」という。)及び丙第八号証の一、二(金丸吉雄の鑑定書。以下この鑑定を「金丸鑑定」という。)によれば、右署名は禎子の筆跡ではないことをそれぞれ認めることができる。
(二) 甲第七号証の一、二(町田欣一の鑑定書。以下この鑑定を「町田鑑定」という。)及び甲第一一号証の一(狩田義次の鑑定書。以下この鑑定を「狩田鑑定」という。)は、本件御願い書中の禎子の署名が禎子の筆跡であることを肯定して、前記のとおりこれを否定する戸谷鑑定及び金丸鑑定と対立する。
しかしながら〈証拠〉によれば、町田鑑定は、対象となる文字の字画形態、字画構成の各特徴を比較対照し、対照特徴総数に対する同一特徴数の割合に応じて筆跡の異同を判別する手法をその基本とするところ、本件で見る限り、前記各特徴の抽出基準が必ずしも明確でなく、客観性を欠いており、前記同一特徴数の割合も七〇パーセント以上であれば同一筆跡、それ未満(ただし、六〇パーセント以上)のときは配字形態、書字速度、筆圧の特徴の異同を参考にして同一筆跡又は異同不明という一般的基準をたてながら、本件鑑定では、右割合が計算上七〇パーセントに満たないものを約七〇パーセントとして同一筆跡と判定しており(甲第一、第二号証のそれぞれと甲第五、第六号証との対照結果)、その判定結果も自らたてた基準からさえ逸脱した、厳密性を欠くものであることを認めることができる。
また、〈証拠〉によれば、狩田鑑定は、基本的には、字画形態、字画構成の特徴の比較により異同を判別するという町田鑑定と同じ手法をとつており、各特徴の内容及び対照資料との異同については一応の説明がなされているものの、それらの各特徴が似ていれば何故筆跡が同一と言えるのかの根拠を欠いていることが認められ、〈証拠〉に経験則を合わせ考慮すれば、同一人の筆跡でも時、場合、筆記具、用紙等により別異に見えることがあり、他方、字とは標準化された記号であることから、別人でも非常に似た字を書く可能性は否定できないことが認められることに鑑みれば、その結論が十分な説得力を有するものとは認め難い。
これに対して、〈証拠〉によれば、戸谷鑑定は、一般にあまり見られないその人固有の筆跡特徴(希少性)及びその発現頻度(常同性)に着目し、本件御願い書の禎子の署名の真否の判別に当たつて、禎子の自筆文字のみならず、被告資長及び禎子宛の年賀状一六九葉をも対照文書として用い、筆跡の一般的検査及び数理統計学的処理によつて被検筆跡から希少性、常同性を有する特徴を抽出して禎子の筆跡と比較検討し、その結果本件御願い書の禎子の署名の筆跡には、字画構成、筆圧、筆順などに右の観点からする特徴が見られ、対照文書による禎子自身の筆跡とは明確に異なるとの結論をとるものであることが認められ、戸谷鑑定には町田鑑定及び狩田鑑定について指摘した方法論上の欠点が見られず、前者は後二者に比較すれば信用性が高いものと認められる。
他方、〈証拠〉によれば、金丸鑑定は、書家としての観点を基本とし、筆跡リズム及び筆跡情感を筆跡文字の構成要素として捉えて、これらを本件御願い書の禎子の署名の筆跡と対照文書中の同人の自筆の筆跡につき検討し、両者は造形上では類似タイプであるが、前者の筆跡文字組成の呼吸は、ツケ・トメが意識的で、西洋音楽の音階的であり、建築的でもあるのに対して、後者のそれは、ツケ・トメが無意識的であり、流動的で柔軟であり、民謡音階的でもあること、また、筆跡情感について、前者は強烈、剛直、豪毅であり、知性的、論理的であり、男性的であるのに対して、後者は、柔軟、温雅、穏健、淡泊、流暢であり、情趣的、叙情的であり、女性的であることから、両者は文字の構成要素を異にし、同一筆跡とは認められないとするものであることが認められる。同鑑定は、数量的な客観性は有しないものの、被検筆跡と対照筆跡との特徴の単なる相対的異同ではなく、各筆跡それ自体の具備する筆跡文字組成上の特徴が別個であることを判別の根拠とするもので、狩田鑑定のような欠点は免れており、その摘示する点も各筆跡についての吾人の常識的観察に一致するものと言える。
以上各鑑定の方法、内容の比較検討の結果によれば、町田鑑定及び狩田鑑定は、戸谷鑑定及び金丸鑑定に照らして採用し難い。
(三) 証人大江益夫、同井口靖雄、同藤井美雄、同川口正人は、禎子が昭和五一年四月二七日本件セミナーハウスにおいて自ら本件御願い書に署名した旨証言し、甲第八号証、第三六号証中にも同趣旨の記載があり、証人川口サトの証言中にも一部これに沿う部分がある。しかしながら、右各証言、記載は、各筆跡鑑定の信用性についての検討結果を別としても、以下に述べるとおり措信できない。
① 証人大江益夫、同井口靖雄、同藤井美雄は、右日時場所において、先ず甲第二号証にサト、禎子、藤井美雄(以下「藤井」という。)、大江、川口正人(以下「正人」という。)、井口が順次署名したが、禎子及び藤井がペン先を用紙に引つかけて穴をあけてしまつたため、別の用紙に同じ順序で署名しなおして本件御願い書(甲第一号証)を作成し、次いで覚書と題する書面(甲第三号証。以下「本件覚書」という。)にサト、禎子が順次署名捺印し(禎子は資長名で)、その後続いて河野炳に寄贈するパネル(甲第三七号証)に前記六名が署名した旨証言する。
確かに、甲第一、第二号証は、右六名の署名捺印(甲第二号証は、署名のみ)があり、その各記載位置は、右証言に沿うかのように見える。しかしながら、本件覚書のサト名下の印影が同人の実印によることは右各証人の証言によつて明らかであり、他方甲第一号証を見ると、本件御願い書のサト名下の印影は右実印によるものではなく、かつ右印影は正人名下にも顕出されているのであるが、その場に実印がありながら前者に劣らない重要性を有するはずの本件御願い書にこれを使用しなかつたこと及びこれを使用しないで敢えてサトと正人が同一の印章を用いたことについては何ら合理的な理由が認められないこと、証人川口サトの証言によれば、同人は本件覚書及び前記パネルへの署名については鮮明に記憶しているのに、本件御願い書への署名についてはその記憶は曖昧で、冒頭の証人大江益夫らの各証言のような説明を聞くとそのような事実があつたような気がするという程度であつて、右各証言のような経過で前記各文書が作成されたのであれば、本件御願い書についてのサトの右のような記憶状態は不可解であることに照らせば、本件御願い書が本件覚書と同一機会に作成されたと見るには不自然である。
② 証人川口サト、同村井瑛子、同二木啓孝の各証言によれば、昭和五二年一月ころから村井側の代理人として本件セミナーハウスの扱いについて原告との折衝に当たつた村井瑛子弁護士は、そのころ及び同年三月ころの二回にわたつて禎子に対し本件御願い書に署名捺印したかどうか尋ねたところ禎子はいずれもこれを否定し、その都度サトに架電して右署名捺印の事実の有無を確認していること、サトはこれに対していずれも署名捺印した記憶はない旨回答しており、更にサトは、昭和五三年八月本件記事のために取材に赴いた二木啓孝に対しても本件覚書の自己の署名捺印については記憶があるが本件御願い書に署名捺印した覚えはなく、同書中の禎子の署名も違うようである旨話していたことを認めることができる。
③ 証人川口正人の証言並びにこれにより成立の認められる甲第八号証及び第三六号証によれば、正人は、昭和五三年九月一一日、大江の求めに応じて、本件御願い書につき同人の署名捺印は自分でしたもので、その印章は現在も所持している旨記載した証明書に捺印してこれを大江に交付し、その後昭和五七年五月二日になつて、本件御願い書の同人名下の印影は当時サトが認め印として使用していた印章によるもので、これを自分とサトのいずれが押捺したかはつきりとは覚えていない旨訂正していること、右記憶違いは本件御願い書のサト及び正人名下の印影が正人の印章による印影と似ていたからという理由によることを認めることができ、更に、同証人は、右捺印は自分がした旨証言している。しかしながら、記憶の正確性を証する記載であるはずの使用印章について右のような記憶違いをしている事実はそれ自体正人が確たる記憶に基づかずに前記証明書に捺印したことを物語つていること、捺印者についての記憶も二転三転していることも同人の記憶の曖昧さを窺わせること、証人川口サト、同川口正人の各証言によれば、サトは前記②の禎子からの確認の際、正人に対しても本件御願い書への署名捺印の有無を確かめたが、同人はこれを否定していたものであることが認められることに鑑みれば、本件御願い書の作成に関する証人川口正人の証言及び前記甲号各証の記載の信用性には疑問が残る。
④ 右①ないし③の諸点に照らせば、禎子が昭和五一年四月二七日本件セミナーハウスにおいて本件御願い書に署名した旨の前記各記載、各証言はいずれもたやすく措信できない。
(四) 本件覚書の被告資長の署名捺印が証人大江益夫らの前記証言のとおり禎子によつてなされたものであることは、禎子自身本人尋問で自認しているところ、証人大江益夫、同井口靖雄、同藤井美雄の各証言中には、本件願願い書は本件覚書と共に被告資長の指導に従つて文案を作成したものであり、また、禎子はその当時本件セミナーハウスを原告に献上(無条件で寄進すること)する意思を有しており、この意思に基づいて本件御願い書に署名捺印した旨の部分がある。
そこで、本件覚書作成に至る経緯について見るに、〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。
① 本件セミナーハウスは、サトの次男川口大三郎の早稲田大学(以下「早大」という。)構内でのリンチ事件による死亡(昭和四七年一一月八日)を契機として、サトの発意に基づき、その建設資金の一部を募金で賄い、被告資長が敷地(の大部分)を提供して建設されたものであるところ、右発意の実現にあたつては、一方で右事件を早大における勢力拡大の機会とすることを意図する原理研の立場からの大江、井口の当時早大総長であつた被告資長に対する強い働きかけと、他方において総長夫人としての立場から個人的にサトの発意に応えようとする禎子の使命感とが原動力となつた。
② 右実現化にあたつて以上の関係者を主体とする建設準備委員会が組織され、更に昭和四八年七月過ぎにはセミナーハウス建設委員会(以下「建設委」という。)が結成されたが、その構成はサト及び禎子以外は藤井(委員長)、大江(事務局長)、井口他二名の原理研関係者で占められた。
③ しかして、全国大学原理研究会の協力を得て進められた募金活動で得られた約金四二〇〇万円を主たる資金として本件セミナーハウスは、その建設地が当初予定の大磯から韮山に変更になつたものの、昭和五〇年六月二〇日完成した。なお、右建設にあたつては、次に述べるように未だ財団が設立されていなかつたため、原理研の上部団体である原告名で建築確認の手続をし、また建築の資金不足分(金二五〇〇万円)その他の設備資金(約金一〇〇〇万円)は原告からの借入れによつた。
④ ところで、被告資長は、敷地の提供にあたつて、建設されたセミナーハウスは新たに設立する財団法人に帰属させ、その管理運営も右財団による構想を立て、禎子もこれに同調し、建設委も右構想を受け入れていたが、本件セミナーハウス完成後も右財団の設立の手続きは進まず、かえって昭和五〇年一二月ころまでには、規模、目的の点で右設立が困難な見通しとなつた。
⑤ このような中で、建設委は打開策として本件セミナーハウスの管理運営を原告に委ねる方針を打ち出し、昭和五一年三月一八日ころ、大江、井口において、これを原告に帰属させて、その運営の面倒を見て欲しい旨の内容の要望書(甲第九号証)をサトに作成させたうえ(被告資長も同様の書面を作成していると偽つて作成させたものである。)、その二、三日後、被告資長に右書面の写しを提示して本件セミナーハウスの敷地の所有名義人として同様の書面を提出するよう求めた。
⑥ これに対して、被告資長は、完成した本件セミナーハウスの運営主体が明確でないまま放置されるのは好ましくなく、現段階では原告にこれを帰属させてその管理運営を委ねることはやむをえないと考え、その場合原告への帰属についてはその期限あるいは条件について煮詰める必要があり、被告資長名義の敷地についても別途利用関係についての契約書を作成すべきであること等を藤井に指摘し、同年四月中旬ころ大江の作成した本件覚書の草稿を藤井が持参したのに対し、第二項に「別紙村井資長と教会との契約書に基づき」との文言を挿入し、更に、「本セミナーハウスは、故川口大三郎君を祈念して暴力を排除し、平和な社会を建設するため、学生、生徒だけでなく、広く一般社会にも場を提供することを目的とするものである。この目的が変更される場合には、三者(原告、被告資長及びサト)間で協議し、その合意によらなければならない。」との一項を追加するよう要求し、これに従つて本件覚書の内容が確定した。
⑦ 禎子は、右⑥の被告資長の意図を熟知しており、かつこれに反する考えを有しなかつたため、大江らから本件覚書への署名を求められた際第二項の別紙契約書が未作成であることを理由に拒もうとしたが、同人らの強い要請を受けて前記のとおり被告資長名で署名するに至つたものである。
以上の事実が認められ、〈証拠〉中右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らしてたやすく信用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
上叙認定した本件覚書作成に至る経緯に徴すれば、被告資長は、本件セミナーハウスを原告に帰属させることは了承しても、その帰属はあくまで本件覚書第四項の目的による制約を前提と考えていたことは容易にこれを推認できるのであつて(被告資長本人尋問の結果及びこれにより成立の認められる乙第一一号証によれば、被告資長は、昭和五一年末ころ本件セミナーハウスの運営は原告代表者、禎子及びサトの三者の協議により、右協議が一致しないときは、右三者の関係を解消し、原告は本件セミナーハウスを収去して敷地を被告資長に返還するとの内容の、本件覚書第二項にいう別紙契約書の草稿を作成していることが認められるところ、右事実はこの推認を裏付けるものと見ることができる。)、被告資長の右考えは、本件セミナーハウスを無条件で原告に帰属させることを主たる内容とする本件御願い書とは相容れないものというべきである。更に、証人大江益夫、同藤井美雄の各証言によつても、右大江らは本件御願い書の文案について何ら被告資長に相談しなかつたことが認められる。以上の点に被告資長本人尋問の結果を合わせ比照すれば、証人大江益夫らの前記各証言中前段の部分はたやすく措信できない。
更に、前叙①及び④の事実に、禎子が同⑥、⑦のようにして被告資長の原告への条件付帰属の意向を汲んで成文化された本件覚書に(同被告の名でにせよ)署名していること(なお、証人大江益夫の証言及び承継前被告禎子本人尋問の結果によれば、禎子は当初自分の名で右署名をする意思であつたことが認められる。)、右署名のいきさつ、被告資長、承継前被告禎子各本人尋問の結果によれば、禎子は昭和五一年五月二五日双柿舎において、原告代表者の妻久保啓子らから本件覚書第四項を削除するよう求められたのに対してこれを拒否していることが認められること、禎子は本人尋問において本件セミナーハウスを原告に献納する意思は有しておらず、この点については被告資長と同じ考えでいた旨の供述をしていることを合わせ比照し、かつ禎子が原告の信者となつたというような右献納を宗教的行為として自然なものとする特別の事情を認めるに足りる確たる証拠もないことを考慮すれば、証人大江益夫らの前記各証言中後段の部分もまた措信し難い(なお、甲第四〇号証の二ないし五、第四一号証の二、三(禎子の藤井に宛てた手紙)中には、右証言部分に沿うようにも受け取れる記載があるけれども、右記載は抽象的でその意味は一義的に明確ではなく、これは右各証言部分のような趣旨の記載ではない旨の禎子自身の本人尋問における供述に照らせば、右記載は右各証言部分の信用性を裏付けるものと見ることはできない。)。
(五) 以上(二)ないし(四)で判示したとおり(一)の認定に反する各証拠はいずれも措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、右認定判示したところによれば、本件御願い書中禎子作成名義の部分は、何ら禎子の意思に基づくことなく偽造されたものと認めるのほかない。
3 右偽造が何人によつてなされたかを確定するに足りる証拠はない。しかしながら、被告資長らには右偽造は原理研を含めた原告の組織に属する者が原告の意を受けてなしたという意味で原告側のなしたものと信ずべき相当の理由があつたものと認められる。すなわち、〈証拠〉を総合すれば、①原告は、昭和五一年六月八日、被告資長との間に本件覚書第二項の契約書が作成されていないにかかわらず、同被告の了解も得ないで、本件セミナーハウスにつき種類を信者修行所として表示の登記を了してしまい、更に昭和五二年一月一五日には原告を所有者とする保存登記を経由したこと、②その後、原告主導の管理運営にサトが馴染めず、本件セミナーハウスから手を引く意向を示し、これを受けて被告資長及び禎子も本件セミナーハウスへの協力関係を解消すべく、村井側の代理人として原告と折衝を始めた村井瑛子弁護士に対し、原告の責任者又は代理人の代わりに大江及び井口が応対し、本件セミナーハウスは本件御願い書によつて原告に献納されており、被告資長らと協議すべき問題は残つていないと主張したこと、③しかしながら、同年一二月一〇日原告、被告資長及びサトによる本件覚書第四項記載の目的の達成が不可能になつたとして、被告資長が本件セミナーハウスの敷地を原告に売り渡すと共に、その運営については被告資長、禎子及びサトと関係なく原告が行うことを内容とする和解契約が締結されて、本件セミナーハウスをめぐる被告資長ら及びサトと原告との関係は一応終止符を打つたのであるが、右和解契約の前後を通じて、本件セミナーハウスをめぐる週刊誌(週刊文春)の取材等に対して原告の広報担当者は本件御願い書を本件セミナーハウスの原告への帰属の正当性の根拠として引合に出したこと、④更に、原告広報担当者は、本件記事のための被告会社の記者による取材に対しても同様の応対をなし、本件御願い書中の禎子の署名の真正を強く主張しつつ、大江及び井口に対する取材には難色を示したこと、以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
上叙認定の事実経過から窺われる原告の本件セミナーハウスについての関わり方、対応の仕方に本件御願い書の内容及び禎子以外の各署名者の構成、既に認定した原告と原理研との関係及び本件覚書作成に至る経緯を合わせ考慮すれば、被告資長らには本件御願い書中禎子の署名部分が前記の意味での原告側によつてなされたと信じたとしても無理からぬところであつて、右のように信じたについて相当の理由があつたものと解するのが相当である。
4 被告資長らに本件御願い書中の禎子の署名が原告側の偽造に係るものと信ずべき相当の理由があるとしても、これから直ちに被告会社にも右の点につき相当な理由があるものと速断することはできない。けだし、本件週刊誌のような不特定の読者に対して多量に頒布される出版物において、真実に反する報道によつて毀損された名誉の回復は事実上著しく困難となるのであるから、右のような出版物を編集発行する者は、事実の報道にあたつては、単に特定の取材源からの情報を鵜呑みにすることなく、可能な限り取材を尽くしてその記事の正確性の確保に努めるべき一般的な注意義務を負つているものというべきであり、とりわけ本件記事のようにそれ自体が特定人(原告)の名誉を毀損するような内容の記事を掲載する場合には、右の点につき一層重い注意義務を負うものというべきだからである。
しかしながら、当裁判所は、本件については、被告会社は右の注意義務を尽くしており、被告会社にも前記のように信ずるについて相当の理由があるものと認める。すなわち、〈証拠〉を総合すれば、被告会社は昭和五三年六月ころ週刊ポストに原告の特集記事を掲載する企画を立て、取材を開始したこと、同年七月下旬には原告に取材し、その広報担当者から3で認定したような応対を受け、他方被告資長らからは右3で認定した事実及び前記2(三)②、(四)の各事実を話されたこと、同年八月一六日にはサトから取材したが、同人も本件御願い書については記憶がない旨の話であつたこと、一方、被告会社の担当記者は本件御願い書の作成に関与したと思われる大江及び井口の取材を強く求めたが、当初の約束にもかかわらず原告の担当責任者と連絡がつかなかつたため、原告側が取材を拒否したものと判断し本件記事を掲載した本件週刊誌の発行に踏み切つたものであること、以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。前記3の事実経過に上叙の取材経過(単に被告資長らからの取材結果のみによらず、相手方たる原告側の直接的関係者大江、井口からも取材すべく努力し、更に中立的立場にあつたサトからも取材して被告資長らの言い分の裏付けを得たこと)に本件御願い書中禎子の署名は前記金丸鑑定について指摘したように常識的観察によつても本件御願い書中の禎子の署名が筆跡文字組成上の特徴において禎子の自署と別個であると認められることを合わせ考慮すれば、本件御願い書の禎子の署名が前記の意味での原告側によつて偽造されたと被告会社(直接には本件記事の編集者)が信じたとしてもこれについて何らの過失も認められない。すなわち、被告会社には本件記事部分が真実と信じたについて相当の理由があつたものと認められる。
以上によれば、被告会社の抗弁は理由がある。
5 原告は、被告村井らに対する請求においても、被告資長及び禎子の前記行為によつて本件記事が本件週刊誌に掲載されて同誌が発行され、これによつて原告の名誉が毀損されたと主張するものであるから、原告の主張する名誉毀損という結果は、結局のところ被告会社を介しての本件記事の掲載発行によつてもたらされたという主張に帰する。そうとすれば、右記事が公共の利害に関する事実に係り、かつ専ら公益を図る目的で報道されたものである以上、右両名が本件御願い書の禎子の署名が原告側によつて偽造されたものと信ずるについて相当な理由がある限り、右両名も名誉毀損の責任を負ういわれはなく、免責されるものと解するのが相当である。
したがつて、原告の被告村井らに対する請求も失当に帰する。
七結論
以上によると、原告の被告らに対する請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官村重慶一 裁判官信濃孝一 裁判官髙野輝久)
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