別章【「佐野、鍋山両名による共同被告同志に告ぐる書(「転向声明」)」考】 |
(最新見直し2007.5.3日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
インターネット検索は便利の良いものであるが、重要なことについては逆になかなか手に入らない。「佐野、鍋山両名による共同被告同志に告ぐる書(通称、「転向声明」)」もそうで、下手な解説本など要らない。原文が欲しい。れんだいこは何かの本の付録で読んだが題名が分からない。探してみたが手元の書庫には無い。そこでどなたかにお願いしたい。リンク、転載、引用フリーの書き出し者が現れんことを。 2004.8.15日 れんだいこ拝 |
2004.9.1日、念ずれば通ずで、とある先輩から「佐野、鍋山両名による共同被告同志に告ぐる書」を送って貰った。改めて読んでみたが、これを「転向声明」と見なして無視するのは片手落ちであることを感じた。「佐野、鍋山両名による共同被告同志に告ぐる書」の歴史的地位は、戦前の党活動及びマルクス主義理論に関わる重大提言であり、極めて理論的に質疑されるべき内容的に高度な試論であった、と捉えるべきではなかろうか。 作用的には、当人がこれにより脱党し、獄中獄外の同志の動揺を誘い、転向を促進せしめたので、「転向声明」と見なすことが出来ない訳ではない。しかしながら、かくまで重大にして高度な質をもって提起した理論的諸問題を無視してよいということにはならない。理論的に提起された以上理論的に問答する必要がある。残念ながら、日本左派運動は、当時も戦後も今日に至るまでそれを為してこなかった。 今日、ソ連邦及びその衛星圏の崩壊で否応無く確認することが出来、ロシア10月革命以降の歴史的社会主義実験は革命の成果を灰塵に帰したが、我が日本左派運動史において、スターリニズム風コミンテルン運動の変調さを逸早く指摘したのが「第一次大量転向」をリードした水野成夫であり、それを更に深めたのが「佐野、鍋山両名による共同被告同志に告ぐる書」であった。それを思えば「佐野、鍋山両名による共同被告同志に告ぐる書」の史的価値は高いと云うべきだろう。本サイトでは、これを「佐野、鍋山脱党時声明」と称することにする。 とはいえ、内容を知らずしては検討しようも無かろう。そこで、れんだいこがここにサイトアップする。その上で、論評する。 2004.9.3日 れんだいこ拝 |
「佐野、鍋山脱党時声明」原文 | ||
「佐野、鍋山脱党時声明」れんだいこの対話式逐条コメント | ||
れんだいこの「佐野、鍋山脱党時声明」論 | ||
幹部大量転向の背景と生態 | ||
Re戦前日共史(八)宮顕の党中央潜入と「スパイ摘発闘争」の実態考 | ||
事項注 | ||
解 説 | ||
あとがき | ||
人名索引 | ||
文 献 |
(私論.私見)