「佐野、鍋山脱党時声明」原文

 (最新見直し2012.7.8日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「佐野、鍋山脱党時声明」は、戦前の日本共産党史には欠かせない重大事件であった。しかるに、その全文が明るみにされていない。戦後60年になるというのに、しようと思えばできる筈なのに誰も為していないように見える。これはどういうことであろうか。れんだいこは、福本イズム同様、「佐野、鍋山脱党時声明」とも真剣対話せねばならないと考える。不遜にもそのように見なさないお歴々が一瞥で済ませてきた歴史が有るのではなかろうか。本当に一瞥されるべきはそういう御仁たちの方であろうに。

 「佐野、鍋山脱党時声明」は、れんだいこの知る限り次のような構成になっているようである。1933.6.9日付けで「緊迫せる内外情勢と日本民族及びその労働者階級ー戦争及び内部改革の接近を前にしてコミンターン及び日本共産党を自己批判する」声明が為され、その末尾で「共同被告に告ぐる書」が発表された。

 「共同被告に告ぐる書」は、「佐野学著作集(全5巻)」の第1巻の冒頭の「共同被告に告ぐる書」に記載されており、ここではそれを転写する。読みやすくする為に任意に現代仮名使いに変換し、時に句読点、洋数字変え、段落替えもれんだいこ風に簡略にした。正確には上記テクストないし原本に当たるべし。

 山本勝之助・有田満穂の「日本共産主義運動史」には「緊迫せる内外情勢と日本民族及びその労働者階級」声明文の一部が掲載されており、追ってサイトアップしようと思う。


 2004.9.5日 れんだいこ拝


 我々は獄中に幽居すること既に四年、その置かれた条件の下において全力的に闘争を続けると共に、幾多の不便と危険とを冒し、外部の一般情勢に注目してきたが、最近、日本民族の運命と労働階級のそれとの関連、また日本プロレタリア前衛とコミンターンとの関係について、深く考える所があり、長い沈思の末、我々従来の主張と行動とにおける重要な変更を決意するに至った。
 日本は今、外、未曾有の困難に面し、内、空前の大変革に迫られている。戦争と内部改革とをはらむこの内外情勢に対し、あらゆる階級と党派とは、課題解決の準備と対策に忙しい。この時、労働階級の前衛を以って任ずる日本共産党が幾多の欠陥を呈露している。党の基礎は現実的にも可能的にも著しく拡大したが、党員の社会的構成も党機構も行動も宛(もっぱ)ら急進小ブルジョアの政治機関化している。党は近年の恐慌及びそれに関連して暴露された資本主義機構の腐敗に対する大衆の憤激を指導し得なかった。

 満州事変及びそれに引き続く一連の戦争情勢に対する党の公式的対策は完全に破綻し、党の反戦闘争は支那新聞のデマ記事やコミンターンのアジ文書においてのみ華やかであっにとどまる。重要なストライキの指導も深刻化してゆく農民戦争の権威ある指導も、党によって行われなかった。

 かって或る時代の日本共産党は武装デモの呼びかけをなし、事実、小規模ながらそれを組織した。それは決定的に誤謬であったが、それでもなおこの誤謬は大衆の支持を確信した大衆の中に突入する思想を現わしている。それに比べて昨年来の諸事実はブランキズムの悪い要素のみの寄せ集めの観があり、プロレタリアートと全然縁無き腐敗傾向すら示した。

 党は客観的に見て労働階級の党であると云えない。我々は大体のことは獄中から沈黙しているべきである。又我々は個々の党員諸君がまじめで勇敢に働いていること、闘争が極めて苦しく且つ深刻なものとなっていること、一般的諸条件が有利に緊張していること等を十分知っている。しかしも党として、組織として、全体として、プロレタリア前衛の結合体として正しい発展をしていると諸君は断言し得るだろうか。

 社会の生産機構に直接参加しない小ブルジョアの尖端分子たるインテリ層が、労働階級を踏み台としてその意欲を発散させんとしたのは従来とてもしばしば有ったけれども、彼らは今や連続せる弾圧のために生じた共産党の弱さと間隙とに乗じてこれに入り、労働階級中の進歩分子たる前衛をも踏み台にせんとしている。

 もとより個々の同志は夢にもそんな大それたことは考えまいが、階級が個々人の意思から独立して決定された自己の目的を追求することは小ブルジョアとても同じである。

 この故に弾圧に屈せざる真摯な同志の勇気と熱情にも拘らず、党自身の方向が歪み、ジャーナリズムの喝采を受けても肝腎の労働者大衆の関心から離れ、欠くべからざるプロレタリア的自己批判は放擲され、純真の青年同志や労働者党員は大衆的闘争の中に訓練せられない。我々はこの現情に大なる遺憾なきを得ない。

 勿論かかる事態は最近時の党指導者の個人的資性や能力にその本来的原因が有るのでない。彼らの多くが所与の条件の下において最も誠実優秀の人物であったことを十分信ずる。それにも拘らず党がプロレタリア前衛の結合足り得ないことが根本問題なのだ。

 我々は熟考の末、かかる事態を必然ならしめた根本原因の一つは我々が無限の信頼を寄せていたコミンターンの政治及び組織原則そのものの中にあることを悟った。
 我々は従来最高の権威ありとしていたコミンターン自身を批判にのぼせる必要を認める。我々はコミンターンが近年著しくセクト化官僚化し、余りに甚だしくソ連邦一国の機関化し、21か条加盟条件の厳格なプロレタリア前衛結合の精神を失い、各国の小ブルジョアに迎合し、悪扇動的傾向すら生じたと断定する。彼は日本の党に関して、気骨ある労働者よりも筆舌的饒舌的小ブルジョアを歓迎し、希望と情勢とを混同して放恣なる戦術を考案し、目に見えたウソを以って無責任な扇動をやっている。

 1926年よりその翌年に亘り日本共産党の陣営内に最初の小ブルジョア的氾濫の現象があったとき、コミンターンは峻烈に之を批判し、党内の優秀な労働者党員と共にこの偏曲を克服した。然るに現在、小ブルジョア要素があの当時と比較にならぬほど圧倒的優勢を党内に占め、有形無形の損害を日本の左翼的労働運動に加えつつあるにも拘らず、コミンターンは一言半句もかかる偏曲に触れず、却って歯の浮くような文句を以って党を賞揚している。

 近年の世界恐慌及びその後の先鋭化した諸情勢に対するコミンターンの理論的批判は常に深刻鋭利、人を傾聴せしめるが、コミンターンはこの情勢中において国際的革命組織として諸国労働者の現実闘争を指導するには甚だ無能力であることを暴露した。各国の労働者はコミンターン及びその支部と殆ど無関係に自国の資本主義と戦っている。

 コミンターン支部は世界にあまねしと雖もその実勢は揚言の如く発展していない。ワホワホワ極端な例をひく。コミンターンの大党たるドイツ共産党がヒットラーの反動の前に何等抵抗を為し得ざりしは如何。現に革命渦中にあること既に二年なるスペインの党の弱さと、それに対するコミンターンの叱責的高等批判だけを繰り返す無責任は如何。支那共産党はソビエート地域の大衆運動を基礎とするが故に強いのであって、コミンターン支部たるが故に然るのではない。むしろコミンターン支部たるが故に同党は時々セクト的暗影を持つのである。国際的カンパもお座なりだけのものである。(国際失業対策闘争、反戦デー等。)

 コミンターン大会は既に5年に亘って開かれない。党と組合とを問わず、大会を無視するはその指導組織の官僚化したことを意味する。コミンターンは各国に台頭せる国民主義的傾向に対してはただ之を排外主義とけなしつけるだけで、その中に働く生きた力を科学的に解剖するのを敬遠している。

 ソ連邦の異常な発達と国際的危機情勢が必然にコミンターンをしてソ連邦の国策遂行機関たる傾向を帯びさせたのは諒とするが、近時、その傾向極端となり、ソ連邦擁護の一語を各国共産党の最高無二のスローガンたらしめ、各国労働階級の利益をもこれが犠牲たらしむるを要求しているのは、世界的労働運動の発展にとって決して正しいことではない。

 事実上、日本共産党は我が労働階級の解放を目指す党たるよりも、日本におけるソ連邦防衛隊又はその輿論機関たることにより多くの意義が置かれているかに見える。コミンターンが日本共産党の現状に何等の批評を加えず、却って無責任に扇動するは、この意味なしとしない。我々は元よりソ連邦及び支那ソビエート政府との結合を我が労働階級の重要任務の一と主張するけれども、それは飽くまで自主的立場においての任務でなければならぬ。

 今日、日本共産党が、既に内面的に変化せるコミンターンの決議に事々に無条件服従を求められ、日本の労働階級の創意の奔放を妨げているのは、我が労働運動の一大不幸となった。我々は過去11年間、忠実に一切の苦楽をコミンターンに托してきたが、今、一切の非難を甘受する決意を以って、本声明書に述べる諸理由に基づき、日本の左翼的労働者運動が、党と言わず、組合と言わず、コミンターンの諸関係から断然分離し、迫り来る社会的変化に適応すべく、新たなる基準においてラジカルに再編成せられねばならぬことを主張する。
 コミンターンが日本の特殊性を根底的に研究せず、ヨーロッパの階級闘争の経験殊にロシア革命の経験に当てはめて日本の現実を引きずって行く傾向は、我々の夙に指摘していた所であるが、昨年5月発表の日本問題新テーゼはかかる傾向の頂点を示している。その著しき方法論的誤謬の二、三を示す。

 同テーゼの冒頭は、日本資本主義の「特殊に攻撃的な強盗性」なるものに対する自由主義的憤激を以って始まっている。資本主義は比喩的に言ってどこでも「強盗的」だった。歴史はイギリス、フランス、アメリカ、前代ロシアのは紳士的だったが、日本のは強盗的だったなどと教えていない。問題は、19世紀後半に日本が他国の植民地とならず、自ら資本主義国として発展したことが当時の事情の下において莫大な革命的意義を有したことにある。

 それは欧米資本の重圧に呻吟するアジア諸民族の覚醒と革命的闘争を早め、以って世界史の進歩の有利な条件を創造した。この歴史的必然、この世界史的意義をヌキにして日本資本主義の全発達過程をただ強盗と罵ってみても何等科学的なものはない。これはソ連邦リトヴィノフ外交が日本及び支那に関して国際連盟のブルジョア諸国と一致するに似て、 コミンターンの指導者もまた満州事変以後の日本に対してヨーロッパの自由主義者と同じ興奮に駆られているのを示すものであるか。

 真にこのテーゼは日本において君主制反対の大衆闘争が渦巻いているとか反戦的大衆運動が激化しているという、支那及び欧州で捏造された虚構の事実を基礎として全部のテーゼを引き出している。主観的願望を以って客観的事実をゆがめ之を戦術の基準とするが如きは、革命家として恥ずべきことであり、このテーゼの作者は詩人であっても、プロレタリア戦術家でない。
 最近の世界的事実(ソ連邦の社会主義も含んで)は我々に教える。世界社会主義の実現は、形式的国際主義に拠らず、各国特殊の条件に即し、その民族の精力を代表する労働階級の精進する一国社会主義建設の道を通ずることを。

 民族と階級とを反発させるコミンターンの政治原則は、民族的統一の強固を社会的特質とする日本において特に不通の抽象である。最も進歩的な階級が民族の発展を代表する過程は特に日本においてよく行われよう。世界革命の達成のために自国を犠牲にするも怖れざるはコミンターン的国際主義の極致であり、我々も亦実に之を奉じていた。しかし我々は今、日本の優秀なる諸条件を覚醒したが故に、日本革命を何者の犠牲にも供しない決心をした。

 我々は世界プロレタリアートの間の国際主義そのものを否定するものでない。しかし今後のヨリ高い国際主義はむしろ世界の主要箇所における一国的社会主義建設の努力の中に築かれるであろう。世界全ての民族がかかる能力を現有しているのでないが、日本は現在到達している高度の文化から見てこの能力を豊富に有している。

 従来ブルジョアが彼らの防衛のために恣に日本を使ったが故に、階級意識ある労働者は却って自国に対する大なる関心を欠くようになっている。しかし日本の労働者が日本を主として考慮するほど自然且つ必要なことはない。日本民族が古代より現代に至るまで、人類社会の発達段階を順当に充実的に且つ外敵による中断なしに経過してきたことは、我々の民族の異常に強い内的発展力を証明している。

 また日本民族が一度たりとも他民族の奴隷たりし経験なく、終始、独立不羈の生活をしてきたことの意義は甚だ大きいのである。之によって培われた異常に強固な民族的親和統一と国家秩序的生活の経験とは、内面的に相関連して、日本の歴史上に生起した数次の階級勢力交替の過程を、他の、異民族的支配と経済的搾取と政治的圧伏とが錯綜せる国々に見られる如き、階級闘争の原始的な、絶望的な、惨烈な過程とは著しく異ならしめている。

 この歴史的に蓄積された経験は、今日の発達した文化と相俟ち新時代の代表階級たる労働階級が社会主義への道を日本的に、独創的に、個性的に、且つ極めて秩序的に開拓するを可能ならしめるであろう。

 民族的範疇の無視を以って階級に忠実なる条件と空想するのは小ブルジョア的思考である。日本民族の強固な統一性が日本における社会主義を優秀づける最大条件の一つであるのを把握できないものは革命家でない。民族とは多数即ち勤労者に外ならない。我々は我が労働階級及び一般に勤労人民大衆の創造的能力に強い信念をもつ。
 日本共産党はコミンターンの指示に従って君主制廃止のスローガンを掲げた。前記テーゼの主想の一は、更に一歩を進め、反君主闘争が現下の階級闘争が現下の階級闘争の主要任務であるなどのバカげた規定をしたことにある。コミンターンは日本の君主制を完全にロシアのツァーリズムと同視し、それに対して行った闘争をそのまま日本支部に課している。日本共産党におけるこのカムパは最近極端に赴いている。(恐らくコミンターン指導者をも満足させ過ぎるほどに。)

 党は政治的スローガンとしては「天皇制打倒」を恰も念仏の如くに反復し、あらゆる場合に当てはめ、残薄な呪詛の言葉をヤタラに振りまいている。資本家地主政権という階級的言葉すら最近の党機関紙には見当たらない。労働者の階級闘争をかかる一題目に単純化して以って能事了れりとしているのは極めて政治的無能であるか、極めて具体的に何もして居らぬかである。党のかかるカムパは急進小ブルジョアの間に空疎且つ観念的な自由主義的興奮を喚起すると同時に、他方、労働者の生活気持には、ますます近づき難い状態に自らを置いている。

 我々は日本共産党がコミンターンの指示に従ひ、外観だけ革命的にして実質上有害な君主制廃止のスローガンをかかげたのは根本的な誤謬であったことを認める。それは君主を防身の楯とするブルジョア及び地主を喜ばせた代りに、大衆をどしどし党から引離した。日本の皇室の連綿たる歴史的存続は、日本民族の過去における独立不羈の順当的発展が世界に類例少きそれを事物的に表現するものであって、皇室を民族的統一の中心と感ずる社会的感情が勤労者大衆の胸底にある。我々はこの実感を有りの侭(まま)に把握する必要がある。

 更に日本の君主制が旧ロシアのツアール、旧ドイツのカイゼル等と異り、明治維新以来、進歩の先頭に立った事実はブルジョアジーの間でもプロレタリアートの間でも、反君主闘争を現実的問題たらしめなかった。多数の犠牲者を出した幸徳事件はブルジョア自由主義者のセクト的テロリズムとして記憶されるだけであって、少しも労働階級の革命的伝統の一部を形成して居らぬ。

 急進的小ブルジョアはその本質上、単純な反君主制コースに興奮し易い。現在の共産党が殆どアナキズムと見分けのつかぬ反君主団体の観を呈しているのは之等の要素が氾濫しているからである。しかしながら労働階級はその階級的生活から資本主義機構の変革を本能的に欲求するけれども、単純な、自由主義的な又はロシアの反ツアーリズムそのままの君主制打倒論にくみするものでない。
 コミンターンが反君主闘争と共に日本共産党に課している今一つの大きい課題は戦争反対特に敗戦主義である。我々はここにも深刻な小ブルジョア性を見る。元来、因循卑怯な平和主義を愛する小ブルジョアは、現在、之を適当に表現する手段を持たぬため、その尖端たる急進的小ブルジョアはコミンターンの戦争絶対反対論に何の批判もなしに引付けられる。 

 戦争に一般的に反対する小ブルジョア的非戦論や平和主義は我々のとるべき態度でない。我々が戦争に参加すると反対するとは、其戦争が進歩的たると否とによって決定される。支那国民党軍閥に対する戦争は客観的にはむしろ進歩的意義をもって居る。また現在の国際情勢の下において米国と戦ふ場合、それは双互の帝国主義戦争から日本側の国民的解放戦争に急速に転化し得る。更に太平洋における世界戦争は後進アジアの勤労人民を欧米資本の抑圧から解放する世界史的進歩戦争に転化し得る。

 我々はソ連邦及び支那ソビエート政府に対する戦争は反動的戦争として反対する。我々は断じて好戦的主戦論にくみするものではないと雖も、いま不可避なる戦争危機をかく認識し之を国内改革との結合において進歩的なものに転化せしめることこそ、我が労働階級の採るべき唯一の道と信ずる。民族の利害と労働階級の利害とを反発せしめるのは誤謬である。

 我々は日本のブルジョアジーが日本を永くアジアの憲兵たらしめ、欧米資本と共同してアジア諸民族を搾取せんとするを排斥する。同時にコミンターンがソ連邦の目前の利害の見地から日本共産党に向って無闇矢鱈に敗戦主義を課しているのは日本の労働階級にとって有害であることを力説する。支那軍閥や英国に敗戦する必要はどこにもない。腐敗の極に達していたツアーリズムのロシアにおいては児童走卒も自国の敗戦を希望した。

 あらゆるロシアの経験を時処と条件を無視して普遍的教養に転化するのはコミンターンの根本的誤謬の一つであるが、今日の日本は当時のロシアに比して遥に健全であり、遥に文化高く、原始的な敗戦主義は決して大衆の胸に訴へ得ない。日本が敗退すればアジアが数十年の後退をすることは目に見えて居る。日本における敗戦主義は日本民族の敗北の希望を意味し得る。我々は大衆が本能的に示す民族意識に忠実であるを要する。

 労働階級の大衆は排外主義的に興奮しているのでない。彼らは不可避に迫る戦争には勝たざるべからずと決意し、之を必然に国内改革に結合せんと決意している。之を以って大衆の意識が遅れているからだと片付けるのは大衆を侮辱するのみならず、自ら天に唾するものだ。
 我々はコミンターンが日本共産党に向って要求する公式的な植民地民族の国家的分離政策が日本において妥当ならざるを指摘する。コミンターンの民族自決の原則は、民族の牢獄と呼ばれたツアーリズムのロシアにおいて、之を認めざれば二十有余の諸民族の反乱によってロシア革命そのものの成功を不可能ならしめるものなりし故に成立した原則であり、その内容においてウィルソン的国際連盟的なるブルジョア民主主義性、形式的小国主義性を含んでいる。それはあらゆる時と所に妥当な原則でなく、プロレタリアートの原則としてもロシア革命当時にもった革命性を既に失った、もう陳腐となった原則である。

 現にロシア革命における民族自決の実践の結果は、反動的ポーランドの独立、バルト海沿岸諸邦の英仏資本の傀儡化等に見る如く、ベルサイユ条約の民族自決の結果、中部ヨーロッパに中世的分裂状態が成立したのと同様、悉く反動的効果を収めたのみである。

 この原則は母国のプロレタリアートと植民地の労働者大衆との結合によって築かれる大国的な一国社会主義の可能を無視している。諸民族の生活の権利に甲乙はない。我々は鮮台両民族に対する資本主義的搾取及び弾圧を何よりも日本民族自身に対する最大の侮辱として排する。我々は日台鮮各民族の完全な同権のために戦う。

 しかし民族同権の具体的表現は形式的な国家的分離でない。経済的文化的歴史的に近接せる諸民族の勤労者大衆が一個の大国家に結合して人民階級的に融合し社会主義の建設に努力することが遥かに現実的な世界史的方向である。緊密の同一経済体系の中に生活する日台鮮勤労者大衆の共同の任務は搾取者との闘争を通じてこの国家を勤労者自身の国家たらしめるにある。もし日台鮮諸民族がコミンターンの希望する如く、機械的に民族自決の原則に従い国家的分離を行ったならば、それは依然ブルジョアの支配する反動的小国群の成立に終り、アジア諸民族のヨリ保守的分裂の第一歩となるであろう。

 ヨーロッパの帝国主義母国とその植民地(例えばイギリスとインド、フランスと印度支那)は経済的文化的歴史的に懸絶する故に、相互の勤労者と雖も容易に結合し難く、従って一個の社会主義体系を産出するは殆ど不可能である。日本と朝鮮、台湾は、それらと殆ど範疇的に異なっている。我々は日本、朝鮮、台湾のみならず、満州、支那本部をも含んだ一個の巨大な社会主義国家の成立を将来に予想する。
 コミンターンはこれまで多くの輝かしい仕事をしてきたから、当然に勤労者及び弱小民族に魅力をもっている。この故にコミンターンを去った人間にして、その去った後までも自らコミンターンの支持者であるが如き、不分明な、未練がましい、狡猾な態度をとるものが日本にも外国にも少なくない。これらの大衆を欺瞞する、首鼠両端を持するの徒をコミンターンが常に軽蔑し、辛辣な嘲罵を加えているのは尤もなことである。

 我々はこの嘲罵を招かないために今後鮮明な態度をとるであろう。我々は支那ソビエート政府やその共産党に活動する同国の同志達がコミンターンのセクト化、官僚化、ソ連邦一国機関化に関して我々と同意見になるのは時期の問題に過ぎぬと考える。コミンターンは恐らく世界戦争勃発と共に尖鋭な瓦解をするであろう。

 各国の最も積極的なプロレタリアートを含んでいる共産党では、戦争と革命との相関を現在のコミンターンの如く消極的に理解せずして、戦争への積極的参加を通じて問題を解決せんとする者を多く出すだろう。11年来、コミンターンの旗の下に教養され、全力を以ってその陣営のために戦った我々であったが、今、相容れざるもの多くを持つに至ったから、潔くこの陣営を去って新たな道に就く。我々はコミンターンの歴史的意義や革命的業績や方針等について今後と雖も一定の敬意を失うものでない。
 我々は尚資本の搾取に対する労働者の利益擁護(七時間労働その他)や農業革命の諸問題(寄生的土地所有の廃除その他)につき、多く語るべきものを持っているが、それらに関しては根本において従来の態度を変更する必要を認めないから、ここに省く。又、労働階級前衛の指導的役割とその結合の必要についての確信に少しの変りもない。

 我々はコミンターン日本支部という組織が前衛の結合形態であるという公式的仮定をやめねばならぬ。現に決してそうなっておらぬ、又なり得ない。我々は日本、台湾、また満州をも含んでの、プロレタリア前衛の独自的な結合隊の可能を信ずる。左翼労働者運動の全領域に過度に入り込んだ小ブルジョア要素及びイデオロギーは執拗に掃蕩されねばならぬ。日本の労働階級は他人を搾取せざる小ブルジョア勤労大衆を獲得せずしてその役割を果たしえないけれども、労働階級の主導的地位が確立された後にのみ、小ブルジョア勤労者はその同盟者たり得る。
 我々はコミンターンを難じ、党を難じ、急進小ブルジョアを難じた。我々は深い苦しみを感じつつ痛苦な自己批判として之を認めた。勿論我々はすべての責任をコミンターンや小ブルジョアに転嫁するものではなく、又転嫁し得るものでない。日本共産党が今日、尖鋭に示している欠陥や矛盾に対し我々自身、強い連帯責任が有る。

 ここに述べたことは言簡単に過ぎて意を尽くさぬものが多い。しかし我々はこの短い言葉を獄外に出すにも甚だしく苦労している。もしできればヨリ詳細の見解を告げたい。しかしここに述べたことだけでも不完全乍ら問題の核心を提出し得たと信ずる。公式的理論から我々の見解を反駁するのは他人をまたず我々自身に十分できる。しかし動かし難い現実は日本の左翼労働者運動のラジカルな再編成を要求している。

 プロレタリア前衛の党の権威は、コミンターンの決議や論文を神聖視して反復復誦することやソ連邦社会主義の成功の宣伝だけから生まれるのでない。権威は内面から、党活動から、奔出し発揚し形成さるべきものである。かかる創意が如何に欠けていることか。コミンターンの原則及び組織そのものが来りつつ日本社会の変革に決定的に不適合であること、これが略々11年を費して実証された問題の核心である。

 コミンターンの指導に従っていればそのうち何とかなるだろうという日和見主義を排する。党同志は勿論多くの真摯な党外労働者や支那朝鮮台湾の同志は我々の声明に驚愕し憤慨するかも知れぬ。我々はその憤慨する良心的態度に信頼し、根本からの広汎な討議の実行を望む。我々に対して汚はしき態度をする者があるかも知れぬ。しかし我々が茲に問題を提示したことは経歴短き個々党員の単なる心境変化と全然その出発を異にする。

 我々も獄中よりかかる意見を発表する不適当を十分理解しているが、この上、沈黙していることは却って我々の義務に反く。我々の見解は従来のそれと対蹠的に異る外観が有るが、その自由な内的発展に外ならぬ。何人も我々を自由に批判し、或は賛成し、或いは叛徒として鞭打つもよろしい。

 我々は、我々の見解は、我々の口を通して出た日本のプロレタリアートの自覚分子の意見だという確信を固守する。我々が労働階級に全身を捧ぐる基本態度は過去と同じく少しの変わりも無い。たとえこのまま獄中に終わろうともプロレタリア前衛の誇りを以って死に赴くことも変わりない。我々は日本の労働者運動に真摯の関心をもつ何人もここに提示された問題に厳重な注意を向けることを要請する。

 一、我々は過去11年間共産党の指導者として日本に於ける共産主義の運動のために全力を以って働いてきたものである。我々は部署についているとき全力をもって活動した。我々は労働者階級を強暴な資本の鉄鎖より解放せんとする我々の根本動機のあくまで正しいことを信じる。この信念は毫もひるがえ必要を見ない。

 然るに我々がこの信念に基づいてやって来た共産党運動、それ自身は終に誤謬であったのである。小ブルジョアの政治機関化した共産党は歪んだ方向へ邁進しつつある。共産党を組織する人々の主観的意志如何にかかわらず現在の党は日本社会の為の進歩的契機ではなく一つの「ネガチーブ」な存在となりつつある。(中略)

 党に関して一切の責任を自覚する我々は今労働階級に向って正しい進路を示すことを絶対必要と感ずる。我々が隠密のうちに個人的に転向するという厚顔無恥なことは考えるだに汚はしき事である。我々は今、他の同志に率先して公然と従来の誤謬を認め、新たに認識し得た進路について世に向って明らかに語る義務がある。
 二、我々をかかる自覚に導いた第一衝撃は、我々の民族が満州事変以来当面した国家的出来事である。ひれは我々の胸にあるー日本人の誰の胸にもある、共産党員の誰にもあるー日本人意識を目覚ました。

 我々は日本民族が、独立不羈の大民族として人類の社会生活を充実的に発展させた過去の歴史的民族的誇りを感じ日本民族の優秀性について確信を獲得した。

 世界政治の緊迫した情勢殊に日本の当面する戦争情勢は民族的自覚を促したー共産党はその内面的過誤にかかわらず衰えそうにもない。それは実に日本の社会の矛盾そのものの反映であり、縮図である。世界の大国中現下の日本の如く社会的矛盾の鋭く内面的危機に面せるはない。英米独仏もそれぞれの内外の困難をもつが、日本の如く農村問題の紛糾や恐るべき大衆の窮乏や、封建的残存の桎梏や資本主義機構の腐敗や、ブルジョア政党の堕落やによって、社会生活の危機を鋭くしている国は無い。

 この危機自身が共産党の基礎である。この社会的理由によって共産党は社会の各層に根を張り、良心的な青年は死刑法をも怖れず入党するのである。5年に亘る弾圧にも屈せざる勇気と熱情とは日本に於ける進歩的青年の無数なることの証左としてむしろ尊敬に値する。勤労大衆の利益を真剣に擁護する公然の党派が他に存在しないから、真面目な青年に対して共産党が吸引力を持つ所以なのだ。これは一般的に云っての事である。(中略)

 コミンテルンは従来資本家地主政権打倒と云う方が多かったが満州事変以来日本軍の放送する「皇軍」思想に狼狽して、レーニンの「ツアーリズム」に関する論文の断片を引用して日本でも君主を「ツアール」と同一視し、君主制廃止を前面に押し出すに至った。1932年5月の新テーゼは君主制打倒の一本槍である。今日の日本共産党は全く反君主制団体、反戦団体と化了した。
 三、コミンテルンは日本民族の歴史的伝統や社会生活の特殊性、社会心理的特徴について殆ど無理解だ。又理解するだけの力も無い。日本の特殊性からテーゼを引き出すのでなしに、欧州の階級闘争から割り出された原則に日本の現実を引きづって行く無理をやっている。
 四、ソ連邦ロシアの発達と国際的危機の情勢からして客観的に見て、コミンテルンは日本共産党をして、わがプロレタリアートの解放を目的とする党たらしめるよりも、ソ連邦の防衛隊又はその与論期間たらしむるに多くの意義を置いているかに見える。
 五、新テーゼ(32年テーゼ)は「日本の国家権力は君主制と地主的土地所有と独占資本主義の三者が合体して成立している」という従来かって見ざる明確な解決を打ち立てた。

 一昔前、山川均、赤松克麿らの唱えた三位一体説と共通し、内容に於いてもこの説による所が極めて多い。君主制の比重を特に大なるものとして取り扱っている新テーゼは「日本の君主制は一方主として地主なる寄生的封建的階級に依拠し、他方には又急速に富みつつある貪欲なブルジョアジーに依拠して、これらの階級の上部と気褒めて密接な永続的ブロックを結び、かなりの柔軟性を以って、両階級の利益を代表しながら同時に又その独自の相対的に大なる役割と僅かに、エセ立憲的形態で軽く覆われているに過ぎぬ、その絶対的性質とを保持している」と、政治機構としての君主制を取り扱いながら、こんな瓢箪鯰の説明は結局説明しないと同じことだ。コミンテルンとしてはこれ以上に観察を広げることは出来ない。

 石神井会議の時でも、君主制廃止の問題には手をつけずあっさり審議から除いてしまった。1932年9月全協中央委員会に於いても君主制廃止のスローガンは僅から一票の差で採用と決し、これと同時に中央委員会は全部辞職したと云う。その他過去に於ける我々の会合に於いても、この問題には誰もが強いて触れようとはしなかったのである。かかる日本の特殊事情を無視したコミンテルンとは日本共産党は分離すべきである。
 六、我々の祖先が自己の置かれていた範囲内で最大限の力を発揮してきたことは歴史が教えてくれる。今日日本民族は全世界屈指の指導的民族の一つに属する。それは、イ、強固な民族的統一とこれを表現する国家と君主制、ロ・社会的生活の内部的緊密、ハ・家族の社会細胞的役割、二・労働者の優れた生産性、ホ・東洋文明の精神の蓄積である。
 七、我々は「君主制廃止」のスローガンの大誤謬であったことを認めて、きっぱり捨てる。皇室に対し我々の認識が著しく一面的なりし事、大衆が皇室に対し抱く社会的感情と全く背馳するものであったこと、極めて苦痛であるが非日本的であったことを潔く承認する。民族的統一と社会的発展とを如実に表現した日本国家は、民族を形成する広汎な勤労大衆の下から力を基礎として築かれている特質が著しく階級と階級との露骨に闘い合う組織体でなかったし、外部に対し奴隷生活をしたことが一度も無い。皇室の連綿たる存続は日本民族が独立不羈に、しかも人類社会の発展段階を正常且つ典型的に発展し来った民族歴史を事物的に表現するものだ。皇室がかくも統一的な民族生活の組織体としての国家の中枢たることは極めて自然である。
 汎アジア主義の一般的形相

 アジア諸民族間の言語、文化、人種、宗教の間にアジア的共通特徴がある。西洋資本主義に対する限りに於いて精神的連帯がある。彼らの生存する闘争は必然的に資本主義に反対して行われる。汎アジ卯主義は諸民族の人民的結合及び融解といえるものがありより高いものを要求する。

 西洋資本主義との闘争は戦争にまで発展するであろう。かくの如き戦争はアジア諸民族の側に於いて進歩的戦争である。

 この場合日本民族は汎アジア主義の指導者であらねばならぬ。かくして東洋の民族が階級的に結合し遂に巨大な民族として融合する日が来るであろう。西洋のプロレタリアートが再編成する西洋と汎アジア主義によって構成する東洋とは最後に合体して一体となるであろう。云々。

 以上が声明書の一部であり、更に第二次世界大戦の危機の迫りつつある戦争の本質と之に対する労働者階級の態度を述べ、最後に「共同被告同志に告ぐるの書」を発表して、コミンテルンより日本共産党は分離して日本独自の無産階級運動を為すべしと説いている。この声明書は新しい時代的扮装をもって登場したが、水野、門屋らの解党論の再版であり先に彼らに向って投げかけた階級的別離の詞は今度はこの新登場者が受けることになった。

 しかしながらこの佐野・鍋山の提唱は獄内で、高橋貞樹、杉浦啓一が賛成し、これに続いて三田村もこれに従い、田中正玄、風間丈吉も各声名を発して転向するなど党指導者の転向は滔々たる潮となって獄内外の被告は勿論、共産主義陣営を席巻するに至った。昭和8年7月の当局発表によれば全国の思想犯中、未決党員1370人中転向者415人、既決全員392人のうち133人の転向追随者が出たことを伝えている。

 この転向理論を基礎に一つの社会主義運動が生まれた。それはいわゆる一国社会主義の運動として、昭和10年頃、獄概の元党員、西村祭喜、堅山利忠、神間健寿、渡辺多恵子、九津見房子らが獄内ま佐野ら転向幹部と連絡し活動を始めたが、当時の客観的情勢はその資金難とともに有利にならず自然解消してしまった。

 しかしながらこの転向事件は日本の共産主義運動史上画期的なものであり、日本共産党へ与えた影響は莫大なものであった。それ故に同8年4月付けコミンテルン機関紙インプレコールは、「日本帝国主義に仕うる共産主義背教者」の論文で転向指導者を攻撃し、在露中の片山潜、山本懸蔵、野坂参三も、機関紙「赤旗」に発表して党粛正の処置をしたことは勿論いうまでもなかった。

 このような党粛正の決定とは逆に共産主義運動に対する懐疑を生みその自己批判を通じてこの陣営を去るものが滔々として世を覆うに至ったのは何故か、絶えざる白色テラー、弾圧のためばかりではない。当時日本の侵略戦争が極めて順調な進行を見せ、日本経済は軍需インフレーションと為替低落を*木旱*としてこれまでの不況から活況へと転化し始め、貿易の伸長、物価の上昇、就業労働者数の増加、生産制限の緩和などその経済的指標は著しく改善され、重工業を中心とする景気は一路回復へ向いつつあったことが大きな理由の一つであり、軍部官僚政府が一帯となって大衆の対外問題への関心を刺激した精神総動員の効果が次第に奏功し始めつつあったことが大きな原因であった。




(私論.私見)