「呂新吾『呻吟語』の大臣六等分論」考

 (最新見直し2010.08.30日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK93」の純一 氏の2010.8.30日付け投稿「第2等の小沢一郎 と 第5等の菅直人、仙谷由人、野田佳彦、枝野幸男4人組の「人物対決」が佳境に入る (板垣 英憲)」で、「呂新吾『呻吟語』の大臣六等分論」を知った。原文は、板垣英憲(いたがき えいけん)氏の「マスコミに出ない政治経済の裏話」] (http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/ce2fd1a7985f805ac808a1e48b572e2c)のようである。「呂新吾『呻吟語』の大臣六等分論」については、経済雑誌「財界」の元副主幹を経て評論家に転身して活躍した伊藤肇・氏の著書「現代の帝王学」の「呻吟語」から学んでいるとのことである。それは良いのだが、「呻吟語」を物差しにしての板垣英憲氏の政治家分析論は面白い記述もあるが、政治家品評でとてもではないが使えないところもある。そこで、れんだいこが焼き直しすることにする。

 関連著作として、 安岡正篤氏の「呻吟語を読む」(致知選書)、中島孝志の「呻吟語」、守屋 洋・氏の「呻吟語」(徳間書店、現代人の古典シリーズ31) 等があるようである。


 2010.08.30日 れんだいこ拝


Re::れんだいこのカンテラ時評790 れんだいこ 2010/08/30
 【「呂新吾『呻吟語』の大臣六等分論」考その1】

 「阿修羅情報」で知ったのだが、元毎日新聞記者にして現フリー評論家の板垣英憲(いたがき えいけん)氏の「マスコミに出ない政治経済の裏話」の8.29日付け同名題ブログ「第2等の小沢一郎と第5等の菅直人、仙谷由人、野田佳彦、枝野幸男4人組の『人物対決』が佳境に入る」で、中国・明末の元高級官僚にして碩学、思想家・呂新吾の「大臣六等分論」が紹介されている。著作「呻吟語」の一節らしい。非常に為になったので、これを確認しておく。これを機会に「マスコミに出ない政治経済の裏話」れんだいこサイトのリンク集に入れさせていただく。
 (ttp://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/d/20100829)

 板垣氏は、「大臣六等分論」の元ネタを、経済雑誌「財界」の元副主幹を経て評論家に転身して活躍した伊藤肇・氏の著書「現代の帝王学」の「呻吟語」としている。「呻吟語」考については他にも安岡正篤氏の「呻吟語を読む」(致知選書)、中島孝志の「呻吟語」、守屋洋・氏の「呻吟語」(徳間書店)等があるようである。

 板垣氏は同ブログで、「大臣六等分論」を援用して現代政治家を俎上に乗せて評しつつ、その合間で興味深い政界裏話を書き付けている。元毎日新聞記者と云うことなので情報嗅覚が働くのだろう。まずはこれを確認しておく。

 「岡田克也外相、野田佳彦財務相、直嶋正行経済産業相が28日北京で開かれた『日中ハイレベル経済対話』に出席したが、『レアアース輸出枠』について、中国側から『ゼロ回答』という残念な結果になった。中国側は、いまでは、小沢前幹事長しか信用していない。小沢政権ができれば、この交渉はうまくいく公算が大である。そう見てよいだろう」。

 「民主党の渡部恒三・元衆院副議長、石井一副代表(参院議員、元自治相、国土庁長官)、藤井裕久前財務相らにこれらの特徴が顕著に見られる。渡部・元衆院副議長は、政権交代直前に『次は私が衆院議長だ』と衆院事務局などに吹聴していたが、実際に就任したのは、横路孝弘衆院議長だった。小沢前幹事長の推挙と知ってからは、昭和44年当選組の同期で41年もの長い付き合いを裏切り、『小沢は悪い奴だ』とマスメディアで悪口の限りを尽くしている。TBS番組『時事放談』の8月29日放送でも小沢前幹事長を終始口汚くののしり続けており、『友情の儚さ』を痛感させられるばかりで、恍惚老人の醜悪さだけが、テレビ画面を汚していた」。

 「石井参院議員は、これまでの小沢擁護の立場を翻して、代表選では菅選対本部の副本部長に就任して、小沢前幹事長の敵に回っている。藤井前財務相は、『幹事長室に陳情一元化』の原則に反して日本経団連の御手洗富士夫会長に会って意見交換したのがバレ、小沢前幹事長の怒りを買い、財務相をクビにされたのを恨み、『反小沢』に転んだ。この陰で、仙谷由人官房長官が配った官房機密費という『毒饅頭の毒』が効いているという噂が絶えない。このなかで、とくに石井副代表は、『筋の悪い借金に苦しんでいたところ、仙谷官房長官に救われた』とも言われている。財務官僚は、官房機密費として資金をどんどん注ぎ込んで、仙谷官房長官に小沢前幹事長潰し用に使わせているという」。

 「この説明から真っ先に思い浮かぶのは、菅直人首相、仙谷官房長官、野田佳彦財務相、枝野幸男幹事長の4人組の顔である。『オリジナルメンバー』『脱小沢』などの言葉が、偏狭な排斥主義を言い表している。『挙党態勢』に真っ向から反する政治思想と言えよう。この4人組は、『脱小沢』の旗印の下で、小沢前幹事長追い落としを狙い、幹事長時代の小沢前幹事長の民主党の資金の使途について、データをマスメディアの一部にすでに流していると言われ、前例のないネガティブ・キャンペーンを開始している。さすがの自民党も左翼政権特有のえげつないやり方にあきれ果てている。とりわけ、暴力団・総会屋専門の弁護士である仙谷官房長官の『インテリ・ヤクザ』さながらの手法は、『政治家の品性』が問われており、『インテリ・ヤクザ左翼政権』の継続が国政を危うくすると多くの国民が憂慮し始めている。マルクス以来、マルキストの最終目標は、『国家の死亡』にあるので、国政が危うくなるのは当たり前である」。

 「フランス革命時の恐怖政治は、それを行ったダントンやロベスピエールを断頭台に送ったように、仙谷官房長官自身が、今度は朝日新聞の8月29日付け朝刊1面トップ記事『仙谷政治資金 長男側に 計320万円ビル賃料に充当』と書かれ、社会面(39面)で徹底的に『槍玉』に上げられているのは、何とも皮肉である。これもレッキとした『政治とカネ』の問題である。朝日新聞社会部は、手を抜いてはならない」。

 「菅首相については、東京・赤坂の韓国クラブの女性(韓国情報部のスパイ説あり)との親密な関係が取りざたされており、韓国に帰国している女性とその子ども、そして生活費の資金源を追って、大勢の取材陣、調査陣が、大挙して海を渡り裏づけ調査に奔走しているという。仙谷官房長官が握っている菅首相の弱みが、これだという情報もある。このスキャンダル合戦は、いよいよ佳境に入っているようである。実に面白い限りだ」。

 「菅政権が、新左翼、革マルといった極左暴力集団の影響下にあるとすれば、これは警察庁・警視庁の警備・公安部の仕事である」。

 上記の情報はどれも非常に興味深い。れんだいこ的には、元親小沢の渡部恒三、石井一、藤井裕久がここへ来て急激に反小沢に転化した裏に、それぞれの弱みに付け込んだ「仙谷官房長官工作」があるという指摘が面白かった。真偽不明であるが妙に説得力がある。疑問が解けた気がする。

 板垣氏の論でどうにも承服できないのは次の下りである。「過去には、吉田茂、鳩山一郎、岸信介、田中角栄、中曽根康弘らがいた。自民党の小泉純一郎元首相は、自民党をぶ壊すと公言して、それぞれ物議を醸しながら、やるべきことはビシビシやってのける政治家であった。敵からの反発、妨害し熾烈を極めながら、果敢に驀進した。いまは、剛腕政治家と言われる民主党の小沢一郎前幹事長が、このタイプである」。

 「第2等人物」に触れた下りの話であるが、中曽根康弘、小泉純一郎を持ちあげているところがイタダケない。ミソとクソを一緒にしてしまっている。と云う訳で、アングラ情報としては有益ではあったが、政治家品評でとてもではないが使えないと云うことになる。

 それはともかく、板垣氏の論で開陳された、呂新吾の「大臣六等分論」は非常に有益にして面白い宰相論、政治家論であるように思われるので、これを検討しておくことにする。但し、れんだいこが焼き直しする。且つ但し、れんだいこは現時点では同書を読んでいない。専らネット情報から組み立てるものとする。

 2010.8.30日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評790 れんだいこ 2010/08/30
 【「呂新吾『呻吟語』の大臣六等分論」考その2】

 呂新吾は、著書「呻吟語」の中で「大臣」を六等分している。「大臣」とは今風に云えば「首相」のことであり宰相論と云うことになる。或いはもう少し広く政治家論と受け止めても良い。呂新吾は同書で、一口にリーダーと言っても、その資質は最上等から下等までを六段階に分けられるとして分析している。興味深い言説なので、これを確認する。

 ちなみに、呂新吾(りょしんご)は、1536-1618年の人で中国・明末の時代を生きた、陽明学の始祖・王陽明(1472-1528)より百年後の人物と云うことになる。その呂新吾が、恐らく王陽明の「「古本大学」、「伝習録」等を意識しながら「呻吟語」を著したのではなかろうか。内容的に近似しているので、そう読みとれるように思われる。と云うことは、合わせて読めばなお良いと云うことになる。

 呂新吾は当時の高級官僚であり地方長官などを歴任した経歴をもっている。若き時代に官僚として大活躍し、やがて政争に巻き込まれ讒言で失脚し官界から退いた履歴を持つ。晩年はもっぱら著述と講学に専念し83歳で生涯を終えた。何となく王陽明の生きざまに似ているように思われる。呂新吾が残した言葉の数々を弟子たちがまとめたものが「呻吟語」である。

 「呻吟」とは、「病気に苦しみながら発する沈痛なうめき声」という意味と解されている。「呻吟語」は、人とはどうあるべきか、どう生きるべきか、世の中はどうあるべきか、人間観察論等々につき様々な角度から解き明かしており、これを読む者に多くの示唆を与える内容になっている。この思想を生む営為を「呻吟」と表意したのではなかろうかと思われる。佐藤一斉など江戸の学者に影響大きな影響を与えたという。

 さて、本題に入る。

 「第1等の人物」とは、曰く「寛厚深沈。遠識兼照。福ヲ無形ニ造シ、禍ヲ未然ニ消シ、智名勇功ナクシテ、天下、陰ニソノ賜ヲ受ク」。「深沈厚重これ第一等資質」とも云い換えられている。

 これを解説すれば次のように云えようか。「寛厚深沈」とは、「器量寛容にして、温厚で懐広く、思慮深い」と云う意味であろう。「遠識兼照」とは、「学識、思索に優れ、それが元で物事に処する判断が明るい」と云う意味であろう。「福ヲ無形ニ造シ」とは、「あたかも人間が日光に浴し、空気を吸い、水を飲みながら、これを意識しないと同じように、何となしに人々を幸福にする政治を行う」と云う意味であろう。「禍ヲ未然ニ消シ」とは、「国家的危難や禍に処するに果断で未然に防ぐ」と云う意味であろう。「智名勇功ナクシテ」とは、「頭脳明晰、勇猛果敢を売り込まず功を露わにしない」と云う意味であろう。「天下、陰ニソノ賜ヲ受ク」とは、「世の人民が知らず知らずのうちに善政のお陰を受け、天下泰平を楽しむ」と云う意味であろう。

 こういう大臣が第1等であると云う。「第1等の宰相」が史上に居たのかどうか分からない。と云うより滅多に居るものではないので理想像として述べているのであろう。れんだいこがこれを無理矢理に史上に照らせば、池田隼人―田中角栄―大平正芳政治が近いのではなかろうか。この三人セットで、それぞれの長所を括れば第1等政治に近いのではなかろうか。

 「第2等の人物」とは、曰く「剛明、事ニ任ジ、慷慨敢テ言イ、国ヲ愛スルコト家ノ如ク、時ヲ憂ウルコト病ノ如クニシテ、太(はなは)ダ鋒芒ヲ露(あらわ)スコト免レズ。得失、相半バス」。「磊落豪雄これ第二等資質」とも云い換えられている。

 これを解説すれば次のように云えようか。「剛明、事ニ任ジ」とは、「磊落豪雄、剛直にして明敏で、職に就いては事を正面から引き受け、テキパキと処理する」と云う意味であろう。「慷慨敢テ言イ」とは、「政策課題を直言し、議論を提起し、改革に着手する」と云う意味であろう。「国ヲ愛スルコト家ノ如ク」とは、「国を我が家の如く愛し思いやる」と云う意味であろう。「時ヲ憂ウルコト病ノ如クニシテ」とは、「時局を憂うこと病に苦しむ様の如く見立てて真剣に対処する」と云う意味であろう。「太(はなは)ダ鋒芒ヲ露(あらわ)スコト免レズ」とは、「いかなる障害があろうとも敢然と主張すべきは主張し、やるべきことを為すが、時に物議をかもしたり反発、抵抗を招く」と云う意味であろう。「得失、相半バス」とは、「こういう政治がうまく行く時もあれば、失敗する時もある」と云う意味であろう。

 こういう大臣が第2等であると云う。これを史上に照らせば、日本の政治史には居ないようである。無理矢理に探し出せば、幕末維新―明治維新過程の英傑辺りが該当するのかも知れない。有能の士の多くが倒れたのは衆知の通りである。れんだいこの知見不足によってか、西郷隆盛以降は見当たらない。

 「第3等の人物」とは、曰く「安静、時ニ逐(お)イ、動(やや)モスレバ故事ニ循(したが)ッテ、利モ興ス能ワズ。害モ除ク能ワズ」。「聡明才弁これ第三等資質」とも云い換えられている。

 これを解説すれば次のように云えよう。「安静」とは、「ひたすら事なかれ、御身保全、地位汲々主義」と云う意味であろう。「時ニ逐(お)イ、動(やや)モスレバ故事ニ循(したが)ッテ」とは、「時局に追随しがちで、万事を旧弊故事に倣って処理する」と云う意味であろう。「利モ興ス能ワズ」とは、「そういう政治であるから有益な政治を執り行えない」と云う意味であろう。「害モ除ク能ワズ」とは、「国家的危難や災害に対して有能に対処できない」と云う意味であろう。

 こういう大臣が第3等であると云う。「聡明才弁これ第三等資質」と云い換えられているが誤訳であろう。原文別文で「聡明才弁これ第三等資質」とあるのかどうか分からないので何とも言えないが、「聡明才弁」とは読みとれまい。むしろ「旧態墨守の事なかれ主義これ第三等資質」の方が近いのではなかろうか。「聡明才弁」は、「第1等の人物」、「第2等の人物」に関わっており、且つそういう記述がないことを考えると重視されていないのではなかろうか。しかし、ここまではまだ有能政治家の部類である。

 「第4等の人物」とは、「禄ヲ持シ、望ヲ養イ、身ヲ保チ、寵ヲ固メ、国家ノ安危モ略(ほぼ)、懐(こころ)ニ介セズ」。

 これを解説すれば次のように云えよう。「禄ヲ持シ、望ヲ養イ、身ヲ保チ」とは、「俸禄、地位、身分を守るのに汲々している」と云う意味であろう。「寵ヲ固メ」とは、「私利私欲、私物化で徒党を組む」と云う意味であろう。「国家ノ安危モ略(ほぼ)、懐(こころ)ニ介セズ」とは、「国家の安危を口にはするが、実際は自分のことしか頭になく、真剣には気にしない」と云う意味であろう。

 こういう大臣が第4等であると云う。頭が痛い政治家が多かろう。殆どの政治家がこのタイプではなかろうか。

 「第5等の人物」とは、「功を貪り、衅(きん=ちぬる、あらそい)ヲ啓キ、寵ヲ怙(たの)ミ、威ヲ張リ、是ニ愎(もと)リ、情ニ任セ、国政ヲ撓他(どうらん)ス」。

 これを解説すれば次のように云えよう。「功を貪り」とは、「立身出世の亡者」と云う意味であろう。「衅(きん=ちぬる、あらそい)ヲ啓キ」とは、「常に政争を好む」と云う意味であろう。「寵ヲ怙(たの)ミ、威ヲ張リ」とは、「背後の支持勢力におもね、権勢に乗じ威張る」と云う意味であろう。「是ニ愎(もと)リ、情ニ任セ」とは、「そういう訳で政治を情実化させ、自分に組する人間だけを用い、そうでない人間を排斥する我欲、私心の塊」と云う意味であろう。「国政ヲ撓他(どうらん)ス」とは、「公儀を無視し、国政を乱してはばからない」と云う意味であろう。

 こういう大臣が第5等であると云う。誰かの顔が浮かぶような話である。典型的には菅なぞこのタイプではあるまいか。

 「第6等の人物」とは、「奸険、凶淫、煽虐、肆毒(しどく)、善類ヲ賊傷シ、国家ノ命脈ヲ断ジ、四海ノ人望ヲ失ウ」。

 これを解説すれば次のように云えよう。「奸険、凶淫、煽虐、肆毒(しどく)」とは、「邪悪な奸漢にして陰険、凶淫、残虐、毒性政治を好む」と云う意味であろう。「善類ヲ賊傷シ」とは、「国を思い、民を愛する政治家を排斥し処罰する」と云う意味であろう。「国家ノ命脈ヲ断ジ」とは、「国家の重要な資産を食い潰し命脈を断つ」と云う意味であろう。「四海ノ人望ヲ失ウ」とは、「天下の怨みを買い人望を失う」と云う意味であろう。

 こういう大臣が第6等であると云う。小泉の顔が浮かぶような話である。

 この分析は、中国・明末の元高級官僚にして碩学、思想家だった呂新吾の透徹した歴史観、人物分析から生み出された評である。なかなか鋭い知見ではなかろうか。れんだいこは、そういう書があることを教えてもらって感謝している。

 2010.8.30日 れんだいこ拝

 性情論。①利益を見ると、とびつく。②美人を見ると、愛情をいだく。③飲食を見ると、貪る。④安逸を見ると、身を置く。⑤愚者や弱者を見ると、欺く。いずれも自分にとってプラスになるからであり、プラスになると思えば、必ず動きだす人間の本性を的確に把握している。水は高きより低きに流れる、水を治める要領で民を治める。つまり、おのずから低きに流れるようにしむけさせよと教えている。

 「悔前莫如慎始 悔後莫如改図 徒悔無益也」

 (意訳)後悔するなら、始めから慎重にすべきである。後悔している暇があったら、すぐに改めるべきだ。いたずらに、後悔しつづけるのは、無益である。

 「為悪惟恐人知為善惟恐人 這是一副甚心腸安得長進」

 (意訳)悪をなして、人に知られることを恐れる。善いことをして、人に知られないことを、恐れる。知られる知られないというのは、どうでもよい。ただ、心の中の問題だ。そんなことを気にしているようでは、大きな進歩は望めない。

 「忍激二字是禍福関」

 (意訳)ものに堪え忍んで隠せば、幸せが、せき止めていた水を流すように激しくすれば、わざわいがやってくる。

 「察言観色 度徳量力 此八字処世処人 一時少不得底」

 (意訳)相手の言葉を意味を吟味し、顔色で本音を観る。自分の人徳と力を見極める。世の中で、生きるために、少しも、欠いてはいけないものである」。

 「修身以不護短 為第一長進 人能不護短 即長進日至」
 (意訳) 修身とは、まずは、長所を伸ばしながら、短所をそのままにしないことである。人は、短所に逆らい、従わないようにするならば、長所も日ごとに伸びる。
 「学者只事事留心一豪不肯 苟且徳業之進也如流水矣」
 (意訳) 学者は、ただ、事ごとに集中することである。そして、すこしも、いい加減なことをしない。徳業が進むというのは、水の流れるごとしである。
 「真機真味要涵畜 休点破其妙無窮 不可言喩所以聖人無言 一犯口頬九年説不尽 又離披澆漓 無一些咀嚼処矣」

 (意訳) 物事の微妙な機微や味わいは、心のなかにうるおいとして蓄えておくものだ。その妙はつきることがなく、言葉で説明することはできない。聖人が無言でいる理由である。いったん、誤って、口に出してしまえば、いくら説明しても、説明しつくせないし、せっかくの味わいも、広がり、薄って、したたり落ちるようにして、消え去る。

 「深沈厚重是第一等資質 磊落豪雄是第二等資質 聡明才弁是第三等資質」
 (意訳) 厚みがあって、どっしりと、深い落ち着き、是が第一等、 気が大きく強い、是が第二等、聡明で弁が立つ、是は第三等の資質である。
 「得罪於法尚可逃避 得罪於理更没処存身 只我的心更放 不過我 是故君子畏理 甚於畏法」

 (意訳) 法において罪を犯したとしても、なお逃れることができる。しかし、理を外した場合は、身のおきどころを失う。自分の心が自分を許さないからだ。このため君子は、法より理を外すことを、はなはだ、畏れる。

 「見前面之千里 不若見背後之一寸 故達観非難而 反観為難 見見非難而見不見為難 此挙世之所迷 智者之独覚也」

 (意訳) 前であれば千里先まで見ることができる。しかし、後ろは、一寸といっても、見ることができない。故に、広く見渡すことは難しいことではないが、反対側を見ることは難しい。見ることができるところを見るのはやさしく、見えないところを見るのはむずかしい。これは、世の人の迷うところであるが、智者というのは、そのことを、独り、肝に徹している。

 「有天欲 有人欲 吟風弄月 傍花随柳 此天欲也 声色貸利 此人欲也 天欲不可無 無則禅 人欲不可有 有則穢 天欲則好底人欲 人欲即不好底天欲」
 (意訳) 欲には天のものと人のものがある。風と歌い、月と遊び、花を傍らに、柳に随う、これは天の欲である。名声、色、利子を貪るのは、人の欲である。天の欲は持つべきであり、持たないならば、禅となってしまう。一方、人の欲は、持つべきでない。持てば、穢れる。天の欲は、人が持つべきものであり、人の欲は、天の欲ではない。
 「進言に四難有り。人を審(つまびら)かにし、己を審かにし、事を審かにし、時を審かにす。一も不審有れば、事必ず済(な)らず」
 (意訳) 上級者に進言する場合に、むずかしいことが四つある。一、相手を知ること。一、自分をわきまえること。一、問題を把握すること。一、時期を誤らないこと。このうちの一つでも欠けていたのでは、成功しない。
 「智愚は他なし。書を読むと書を読まざるとに在り」
 (意訳)
 「切れ味は内に秘める」
 (意訳)
 「公道の四敵。公道とは公人として実践しなければならない道のこと。公道の四敵とは、勢利術言で、それは勢力、利欲、知術、言論を指す」
 (意訳) 
 「言論の四誤。詖辞(ひじ)、淫辞(いんじ)、邪辞(じゃじ)、遁辞(とんじ)」
 (意訳)詖辞(ひじ)とは、人を陥れるために一方的に偏った言論。淫辞とは、性とセクショナリズムのような変質的な言論、度をこした言論。邪辞とは、正しくない言論、よこしまな言論。遁辞とは、言いのがれるための言論を云う。




(私論.私見)