| 【チンケなれんだいこ批判考】 |

更新日/2019(平成31→5.1栄和改元).6.16日
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| どうでも良いような良くないような「れんだいこ批判」が出廻っているので確認しておく。ついでにコメントしておく。2012.8.7日現在、確認できるのは二点だが、書き手が同じような臭いがする。組織だった動きが行われようとしているのかも知れない。姉妹編「反感派感想記」。 2012.8.7日 れんだいこ拝 |
| 【チンケなれんだいこ批判考その1】 | ||||||||
2012.8.7日、,ネット検索で遭遇した「日本国憲法擁護本当の自由主義と民主主義連合 法大ОBのブログ」の「久保田政男をたたえる、馬鹿のれんだいこ」を転載する。その前に確認しておけば、このサイトは次のような文言で政治的立場を示している。
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| 【チンケなれんだいこ批判考その2】 | ||||
「社会批評社」の「内ゲバ廃絶・社会運動研究会 掲示板」の「れんだいこが好きな久保田政男」を転載する。
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| 【チンケなれんだいこ批判考その3】 | ||
| 2015.1.20日ブログ「為にする田中角栄悪評論を斬り捨てておく」の姉妹編として「為にするれんだいこ批判を斬り捨てておく」を発信しておく。とりあえずネタ元の「時事解説ディストピア」の2013.5.26日付けブログ「ちょっと笑ってしまった本」を確認しておく。執筆者のハンドルネームを「姓は習志野、名は権兵衛」としているので仮にNとする。 Nは、概要「全共闘世代の連中は日本共産党をバッシングすればそれで万事うまくいくという宗教に凝ってるようで」と云う。この物言いで「新左翼批判、日本共産党支持」の立場の者であることが分かる。「宗教に凝ってるよう」との表現で宗教を格下に見て粗雑に扱う日共式科学主義者であることも分かる。 Nは次にれんだいこに関して次のように述べている。
Nはかくハンドルネームれんだいこに難癖をつけ、その著述に対して「中身は基本的に共産主義のバッシングであり、本気でマルクス主義を評価しているのかさらさら怪しい御仁である」と評している。Nが、手前の持論と同調しない諸説に出くわすと反マルクス主義と罵る御仁であることが分かる。 Nは次に、れんだいこ処女作「検証学生運動(上下巻)」に関して次のように酷評する。
Nの馬鹿さ加減は「日本の共産党でいえば蔵原惟人」としているところで満開している。れんだいこの見立てによれば、蔵原惟人は宮顕配下の子分であり早くよりの当局のスパイである。蔵原は日本プロレタリア文学運動の指導者として君臨してきたが、文学を政治に下僕させるいびつな方向への指導を旨としており、結果的に日本プロレタリア文学運動の破壊者でしかなかった。宮顕と蔵原こそが小林多喜二を嵌めた黒幕でもある。そのような蔵原をリスペクトして自慢していることになる。Nの蔵原好評は類は類を呼ぶとしか考えられない同じ穴のムジナ現象だろう。この後のNの評論はいいだもも批判、社会党批判に向かっている。いずれも「云うだけのマルクス主義護教、日本共産党賛美」に終始しており批評に値しないので割愛する。 れんだいこの総評は要するに、Nの言論が粗雑過ぎ、政治と云う高等な対象を論じるには下等過ぎるのに、何を血迷うたか言論界に出て邪険を振り回しているとみなす。例えてみれば、囲碁のアマ初段程度の者が高段者を相手に囲碁論を闘わせ、それならまだしも、ここはこう打つべきだと着手まで指針せしめているような倒錯を感じる。N程度の粗脳論に逐一相手する必要はないのだけれども興が向いたので本稿をものし発信しておく。因果応報でブーメランが手前の脳天に戻ってきたと心得よ。 |
| 【チンケなれんだいこ批判考その4】 | |
「革労協スレッド13」より引用する。
これを採り上げるのは、この発言者が、れんだいこの宮顕論を否定し、否定的に「宮本顕治はスパイだったとまで言うようになった人物。田中角栄をひどく尊敬・評価している」と評していることによる。この評のレベルが革労協一般のそれなのか、ここでの評者がこの程度なのかは分からない。しかし、れんだいこからすれば、「れんだいこの宮顕論」を咀嚼する能力がないのが気にかかる。れんだいこは、学生運動党派の中で中核派、社青同解放派、ブント諸派についてはまずまず好意的なだけに、その側の党派ないしは党員の能力の低さには失望せざるをえない。「れんだいこの宮顕論」を否定、批判するのは構わない。しかしそれは、れんだいこ立論を正確に採り上げ、その上で論の間違いを指摘せねばならない。その作業を経ぬままのれんだいこ批判の作法こそ反動的なものではないかと思う。少なくとも、れんだいこの作法、所作にはないものである。 2015.04.30日 れんだいこ拝 |
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(私論.私見)