第6部1 川上−油谷論争発生考

 (最新見直し2009.1.31日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 新日和見事件に関して、川上徹・氏により「星雲状態ながら分派的動きが存在していた」とする新たな事実が告知され、これまで川上氏と併走して事件に言及してきた油井喜夫氏との間に観点の齟齬が発生している模様である。れんだいこは、両人が告発した新日和見主義事件について、それなりの論評をしてきたいる手前、これについても言及しておきたい。

 それにしても、この両人は、当然知っているはずのれんだいこの労作に対して言及しようとしないのはいかがなものだろうか。れんだいこは、こういう作風を好まない。何も、れんだいこを持ち上げてくれと云うのではない。新日和見主義事件研究上、既に避けて通れないレベルのものをれんだいこが提起している以上、これに対する意図的無視は不自然ではなかろうか。そういう学究的態度では対象の深い認識には入れないだろうという苦言を呈したい訳である。それはともかく以下検証しておくことにする。

 2009.1.31日 れんだいこ拝


【「川上−油井論争」に寄せて】
 「川上−油井論争」の経緯を確認しておく。1973年、まず日本共産党中央委員会機関紙経営局が「新日和見主義批判」を発行している。事件の見方はこれが通説化していた。ところが、事件発生当時、民青同盟中央常任委員であり、筆頭的処分を受けた川上氏が事件後25年近く経って突如、1997年に「査問」(筑摩書房)を出版した。これに続いて、当時民青同盟静岡県委員長で同じく委員長解任処分された履歴を持つ油井氏が2年後の1999年に「汚名」(毎日新聞社)、続いて2000年に「虚構」(社会評論社)を出版した。この時点までは、両者とも「理不尽な党の言いがかりによる民青同幹部弾圧事件」としての視点を共有していた。

 ところが、川上氏が、2007.3月、「素描・1960年代」(共著者・大窪一志、同時代社)を出版し、党中央に分派容疑で弾圧される時点で、民青本部内で反党分派を形成中の動きがあったことを明らかにした。これにより、油井氏は衝撃を受けることになった。なぜなら、「査問」刊行直後の1998.1.20日付け赤旗紙上での党中央見解が分派容疑については正しいものであったことになるからであった。それは、川上氏ら民青本部グループが民青地方組織の新日和見主義事件連座者にも35年間分派の事実を秘匿していたことをも意味する。

 油井氏は、2008.4月、「真相を徹底的に明らかにする」として「実相 日本共産党の査問事件」(七つ森書館)を刊行した。これにより、新日和見主義事件をめぐる動きは新たな考察段階に入ったと思われる。

 これより以降、我々は、新日和見事件を廻って議論をどう発展すべきだろうか、何を獲得すべきか、ここが問われているように思われる。れんだいこの立論によれば、既に論考しているように事態は少しも変わらない。なぜなら、新日和見事件の被処分者の謂いの方が正しく、それを批判した当時の党中央の見解の方に問題があったとみなしているからである。

 新日和見事件で真に考察されねばならないことは、指導的幹部が一網打尽されたことにより民青同が急速に凋落し、当時の政治日程課題であった「70年代の遅くない時期の民主連合政府構想」が頓挫する重要な一因となったことに対する党中央の責任問題ではなかろうか。この観点の帰するところ、当時の党中央が繰り返し呼号していた7民主連合政府構想が実は社会科学的に裏付けられたものではなく、当時の全共闘の解体反乱運動に対置する理論的役目のみ持つ所詮イカガワシイものでアドバルーンに過ぎなかったということになる。これを確認するのが新日和見事件考察の意義となるべきではなかろうか。

 次に確認されなければならないことは、党中央の組織論、運動論の核となっている民主集中制理論の虚妄を確認することではなかろうか。民主集中制が必要なのは革命論的立場からの規律論としてのみ意味を持つのであり、直接社会主義革命を目指さない二段階式革命運動体にあっては百害あっても一利もないのではなかろうか。この観点の帰するところ、本来の左派的組織論、運動論に於いては、党中央の云う通りの「星雲状態の分派活動」があったとして、それがどうしたのだと云うことになる。そもそも政治運動には異論、異端、分派がつきものとすべきであり、これを内包しつつ発展させていくべきであり、「党中央の云うことはその通り」とする組織論、運動論そのものがナンセンスとすべきなのではなかろうか。

 我々が獲得すべきは、異論、異端、分派をも許容する組織論、運動論であり、分派活動の存在如何による是非論議ではなかろう。組織は硬直化されるべきではなく柔軟しなやかであるべきではなかろうか。新日和見事件総括ではここが問われており、「実際には党中央拝跪制でしかない民主集中制」の見直しこそ点検されるべき獲得事項となるべき筈ではなかろうか。さて、議論はどう進展していくのだろうか。

 2009.1.31日 れんだいこ拝





(私論.私見)