●自民党機関紙『自由新報』で“転向゜表明(86年4月)
「私自身、かつて革マルに属していたことを否定するつもりはない。しかし、いまは、そうではないということも、はっきりさせておきたい」 |
●元警視総監・秦野章とテレビ対談(87年2月)
「本来(列車を)走らせるのが本職なんですから、止めるのが仕事であってはいけない。……スト・順法はやりませんと宣言しましたら、あいつは変節漢だ、堕落している、走狗になったと、国労の皆さんや共産党からね、さんざんたたかれましたよ」(秦野からは「同志だ」「よく変節した」と言われる) |
●勝共連合機関紙『世界日報』で「スト撲滅が使命」と宣言(87年2月)
「社会主義を目指すための労働運動……これは完全に間違っていた。これと決別する」
「核はだめだけれど自衛隊はいいという、そういう議論にはならない……自衛隊を認めるんだったら、核だって」
「ストライキをさせない、これは私の使命感ですね」 |
●JR東日本経営幹部に「妨害者を切れ」とけしかけ(87年6月)
「会社を黒字基調にするために、そのためにのみ闘う。こう決めているわけです。だから、妨害するものだったらだれとでも闘う」 |
●『世界日報』で「日の丸労働運動」提唱(87年7月)
「ヨーロッパとかアメリカに行くと、組合の委員長室に必ず国旗があるが、なぜ日本にはないんだ。おかしいじゃないか。……国旗(日の丸)を掲げないのが革新なのか……赤旗だけを掲げてきたのが革新だという錯覚から一早く脱却すべき時期に来ている」 |
●大東亜共栄圏を賛美(88年1月、東鉄労(JR東労組)セミナー)
「『大東亜共栄圏』という構想はそれ自身必要だった……円経済圏というのがたしかに法則的に必要だった」 |
●1988年6月、長野工場支部での松崎明:東労組委員長の公演。
「私は、過激派の革マルの役員もやってましたし、その前に共産党でもあったし、社会党員でもありました。自民党にだけはならなかったけれども、とにかく、いろんな経歴を歩んでおります。列車を止めるために精いっぱいの闘いをやった人間ですから、国鉄を悪くした紛れもない犯罪者の一人であるという自覚しているわけであります。ずいぶんいろんな方が『もういい加減なところで引いたほうがいいんじゃないか、本当に命を狙われますよ』と言われます。私は、中核派などというけちな集団に命を狙われるなんていうことは、一回も思ったこがない」。 |
●90年10月、大阪さつき会での講演
「私は動労委員長の時、今の橋本大蔵大臣、当時の(自民党運輸)部会長にずいぶん努力してもらった」 |
●91年1月、JR東日本「新春労使セミナー」での挨拶
「1月11日に甲府で、自民党の金丸信に会う。これは重要な会談なので、無理して外国から帰ってきた。新幹線問題について話し合いたいと思う」 |
●91年2月、JR九州労組、鹿児島地元「大集会」での講演
「私は何かの機会に、金丸(信、元自民党総裁)さんという方にお会いするんですが、東労組では政経フォーラムを毎月一回やってまして、金丸先生にも来ていただきました。 三塚博さんという運用大臣、通産大臣もやりました方にも来ていただきました。 今月26日は、秦野章さんという元法務大臣であります。来月は(社会党)田辺副委員長か、場合によっては、現職の運輸大臣の村岡さんをお呼びしようと思っている」
「日韓トンネルについて、ひとつお話をしましょう。向こうの鉄道省の長官とも、お会いしました。距離的にもたいした距離ではない。金、技術、ノウハウが必要ですが、やったほうがいいんですよ」。 |
●「78年にはカクマルだった」と証言(92年10月刊『鬼が撃つ』)
「一九七八年に『貨物安定輸送宣言を行ったとき、私は革マルだったと思う」
「私は労組のリーダーとして生きようと思ったから、革マルと相いれなければ仕方ないという立場をそのとき明確にした」 |
●葛西攻撃はカクマルがやったと証言(94年8月、『宝島』)
「(葛西JR東海副社長〔当時〕の愛人スキャンダルを追跡取材したのはJR東海労組の有志かと問われ)ちがいますよ。あれはおそらく革マル系でしょう。私はそう思いますよ」
「(葛西が)そういうことをやっておいてね、われわれが何らかの手段でその事実を明らかにしようと思うのは当たり前なんですよ」
「(何年に革マルをやめたのかと問われ)さあ、何年でしょうか。辞令が出ないのでよくわかりませんね。自分が勝手にやめただけのことですから」 |
●賃下げワークシェアリングなどの新たなファシスト労働運動を提唱(95年6月、仙台)
「自分の労働時間を半分にしてくれと要求をする。その代わり賃金は半分でいい……それは広い意味でのワークシェアリングだと思う」
「もっと失業者が登場していく時に、ナチズムが登場していく。好むと好まざるとにかかわらず、登場することになる」 |
●軍需生産も賛美、カクマルの「国労が亀井運輸大臣に秘密献金」デマ指示を自認(95年7月、水戸)
「資本主義を肯定する以上、その中でどうやって生きるか、みんなで労働を分配する。その代わり従来の賃上げはもう無理である」
「理想を食っていきていくわけにはいかない。だったら軍需生産でもなんでもやって、食っていくようにしなければしょうがないでしょう」
「運輸大臣が……金をもらっていろんなことをやらない方が良い。……あの人は私が元所属していたカクマルから、金をもらったのではないかと書かれているが、亀井さんは『松崎がそう言っているのでは』と言っているようだが、ふざけんじゃねえ」 |
●「山手線ガタガタに」と列車妨害を予告(95年12月、鹿児島)
「会社(JR東日本)が、よもや汚い金を受け取ったどこかの大明神(亀井)や葛西とつるんでわれわれを裏切るようなことがあれば、山手線はガタガタになるということを忘れてもらっては困る」 |
●反松崎の会社幹部を脅迫(96年3月、政経フォーラム)
「『松崎にいろんなところで牛耳られてなんだ。松崎なんていうのは過激派じゃないか、あいつは。あんな過激派と仲良くなって経営権の放棄ではないか』とこういうことを言わんばかりのことさんざん宣伝しているわけですな。あの人とあの人と。ほら、いるでしょう。我が社にもいるぜ。……あまり邪(よこしま)なことをいろいろなさると神様はお許しにならないんですよ」 |
●列車妨害で「国労が犯人」とデッチあげ(96年5月18日、我孫子)
「今の列車妨害、国労が絡んでいるとごく単純に思うでしょう。思いませんか。思わなかったら相当感性が悪いよ」 |
●列車妨害でカクマルの「謀略論」を支持(96年6月、JR総連大会)
「事件は権力の謀略部隊が引き起こしたとカクマルが書いている。誰も信じない謀略説を繰り返している。私は謀略説を採る」 |
●『JRの妖怪』の著者・小林峻一氏宅の窃盗をカクマルがやったと証言(96年7月、JR東労組東京地本大会)
「なんか小林某というフィクション作家の資料をカクマルが盗んだと言うんで、最近のうちにカクマルに五億ぐらいやって資料をもらおうかと思っている」 |
●「よその国より自分の国」と帝国主義を擁護(97年7月1日刊『まっつあんの寺子屋賃金ばなし』)
「資本は最大限の利潤を追及しなければならないといことになりますから、効率よく労働をやってくれ、ということになります。私たちはそれを是認します」
「資本が自分のところさえ儲(もう)かればいいというように、国も同じことが言えます。よその国よりも自分の国という法則があり、これは止められません」 |
●千四十七人闘争に敵対(99年9月、JR東労組工務職場大集会)
「(国労組合員は)三回、四回働く場を与えたのに拒否したんだから、それはそれなりにいろんな責任があるけれども、いつまでも迷っていてはいけないのではないですか」
「戦争を起こす準備はすべて完了しつつありますから、もう最後は三年先、憲法改悪です……今から先は真っ暗なわけです。真っ暗だということがよく見えている」 |
●骨身削る、ストはやらないと誓う(99年10月、横浜)
「私は命がけで国鉄改革をやってきた。十何年間ストライキもやらなかった。これからもやらない」
「日本経済が厳しい条件を迫られる時に、労使が骨身を削る時があってもいい。労働組合がわがまま勝手な要求をすればいいというものではない」 |
●労使関係の危機叫ぶ(99年11月、政策フォーラム)
「私たちはこの会社をつくってきた。だから、この会社の発展を妨害する連中とは徹底的にたたかう。当たり前のことでしょう」
「労使関係の危機です。大変な危機に陥っています。それは外部勢力からやられているわけです」 |