補足(論評12) 中核派全学連、反帝全学連の誕生考

 (最新見直し2008.7.7日)

 れんだいこが見立てるのに、全学連の革マル派化、民青同の自前全学連創出は、運動全体の利益を考えるより党派的な利益を優先する体質的なそれであるから是非に及ばずとして、中核派の自前全学連創出はいかがなものであっただろうか。むしろ、共同戦線型の全学連を良しとして引き続き主力となって三派全学連を担い続けるべきであったのではなかろうか。少なくとも中核派の方から自前全学連を創る必要は無かったのではあるまいか。

 中核派が安直に革マル派、民青同型を踏襲した事を惜しいと思う。この指摘は、中核派を非難しようとして述べているのではない。日本左派運動の共同戦線型運動に対する軽視ないしは不見識が高揚期の場面になるや現われ、それがやがて運動の衰微を用意していく下地になるという法理を確認したい為である。

 こうして、三派全学連から中核派が抜け、反中核派連合の第二次ブント統一派−社学同、ML派、社青同解放派、第4インターなどが反帝全学連を創出する。これで4つ目の全学連が誕生することとなった。その反帝全学連もそれぞれの全学連を創出していく事になる。

 れんだいこが思うに、全共闘運動は元々革マル派、民青同のロゴス派運動とは質の違うカオス派の共同戦線運動として進められたが故に昂揚したのではなかったか。ならば、この昂揚を醸成発展せしめる為にも、引き続きあくまでも共同戦線運動として保持されていくべきではなかったか。思えば、第1次ブント運動の功績も、この共同戦線型の構えであったが故に空前の盛り上がりをみせてたのではなかろうか。第1次ブントが解体されたのは、これを担う連中のカオス型共同戦線運動に対する軽視ないしは不見識によってではなかったか。

 日本左派運動のカオス型共同戦線運動に対する見識不足が、この時の中核派全学連、反帝全学連創出に見て取る事ができ、やがてこのツケが自家撞着していくことを見る事になるであろう。




(私論.私見)