「学生運動に対する牧歌的のどかな時代」に関連する田中角栄の次のような語録が遺されている。
東京タイムズ記者をしていた「学生運動上がり」の早大卒の早坂茂三氏に対し、秘書スカウトした時の言葉である。
「俺はお前の昔を知っている。しかし、そんなことは問題じゃない。俺も本当は共産党に入っていたかも知れないが、何しろ手から口に運ぶのに忙しくて勉強するひまが無かっただけだ」。 |
「俺は10年後に天下を取る。お互いに一生は1回だ。死ねば土くれになる。地獄も極楽もヘチマも無い。俺は越後の貧乏な馬喰の倅だ。君が昔、赤旗を振っていたことは知っている。公安調査庁の記録は全部読んだ。それは構わない。俺は君を使いこなせる。どうだ、天下を取ろうじやないか。一生一度の大博打だが、負けてもともだ。首までは取られない。どうだい、一緒にやらないか」(早坂茂三「鈍牛にも角がある」106P)。 |
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その早坂秘書は、著書「オヤジの知恵」の中で次のように記している。1970の安保闘争の頃、フランスのル・モンドの極東総局長だったロベール・ギラン記者が幹事長室の角栄を訪ねて聞いた。全学連の学生達が党本部前の街路を埋めてジグザグデモを繰り広げていた。「あの学生達を同思うか」。この問いに、角栄は次のように答えている。
「日本の将来を背負う若者達だ。経験が浅くて、視野は狭いが、まじめに祖国の先行きを考え、心配している。若者は、あれでいい。マージャンに耽り、女の尻を追い掛け回す連中よりも信頼できる。彼等彼女たちは、間もなく社会に出て働き、結婚して所帯を持ち、人生が一筋縄でいかないことを経験的に知れば、物事を判断する重心が低くなる。私は心配していない」。 |
私を指差して話を続けた。「彼も青年時代、連中の旗頭でした。今は私の仕事を手伝ってくれている」。ギランが「ウィ・ムッシュウ」と微笑み、私は仕方なく苦笑した。 |
日本左派運動は、角栄のこの眼差しを味わうべきではなかろうか。2008年の現在の地点から思うに、この当時の「激動の7ヶ月」が成立したこと自体、政府自民党内のハト派権力の温かい眼差しと理解、ズバッと云えば甘やかしがあってこそではなかったか。それが証拠に、今日の如くなタカ派権力にあっては「過激なデモ許さず」で到底成り立たず、凶器準備集合罪その他ありとあらゆる罪状を被せられ予備段階で事前検束されるのではなかろうか。つまり雲泥の差が有る。そういう目線を持ちたいと思う。
補足しておきたいことは、かような目線を保持していた角栄がその後ロッキード事件ではがい締めされるに及び、公判闘争にも行き詰った最終局面でいわゆる新左翼系弁護士に救援を依頼することになる。これをどう評すべきか。れんだいこは、角栄窮して左派的本質を露わしたと見る。しかるに、これを受けた新左翼系弁護士の働きがパッとせず、新左翼系各派も叉冷視した。ここに政治貧困が認められるのではなかろうか。弁護士は大いに立ち働き、新左翼は、日共的なロッキード糾弾闘争に対置すべく逆ロッキード事件批判に向かうべきではなかったのか。こういうことを云っておきたい。それほど日本左派運動は社共も新左翼もおぼこいと云うかあらぬ闘争に耽ってきたということになろう。 |