補足(論評16) | れんだいこがなぜ民青同に加入したか考 |
(最新見直し2008.7.7日)
この頃、れんだいこは、自治会の諸闘争に参加しており、ある時の確か日比谷公園での座り込みの際にオルグられた。それまで誘われなかったのは多分異色であり臭いが違っていたのだろう。某先輩から誘われた時、凝縮した30秒の去来の内に了承した。以来、自治会活動家として、自分で言うのもなんだが8年在学しても良いと思うほどのめり込んだ。 その事はさておき、れんだいこは、よりによってなぜ民青同に加盟したのだろうか。今でも時々考える。既に革マル派の某氏からは執拗に誘われており、何度か逃げ、最終的にあきらめさせた経緯がある。れんだいこの理論水準はさほどのものもなく、オルグられたら落とされていたかも知れない。何となく人物的な感性が受け付けず、あわてることはないと構えていたのが幸いしたと思っている。 それはともかく、れんだいこは、なぜ民青同に加盟したのか。今思うに、既に骨抜きにされつつあったとはいえ、戦後民主主義の質を好評価しており、民青同の「民主主義を護れ」を琴線的に受け入れたのではなかろうかと思う。既に、党派間ゲバルトが目立ち始めており、何やら本来の軌道から外れているように思っていたから、無難な選択をしたのだと思う。 その点で、川口大三郎氏の悲劇は他人事ではなかった。既に学生運動各派の怨念は、シンパ段階の者にまで容赦ない鉄槌を浴びせ始めていた。川口氏が正義感の赴くまま「見てやろう聞いてやろう」で各派の集会へ顔出しし、そこで得た見解を吹聴することが許される状況にはなかった。そういう意味で、れんだいこの避難所的民青同加盟選択は幸いであった。 しかしながら、闘争の進め方、アジり方、組織戦術を廻ってしっくりせず、「お前は深まっていない。『日本革命の展望』を読め」と云われ続けるのに閉口して、1年有余の活動を経てサークル活動へ転じた。もろに(実名は避けるが例えば)「社会科学研究会」と銘打っているのが気に入り、読書三昧に耽る時間が与えられる事になった。今にして思えば、これも幸いであった。 それにしても、宮顕の「日本革命の展望」を読んで深まっていると自惚れていた連中の頭脳はどうなっているのだろう。あれほどくだらない詭弁とマルチ舌詐術で塗り固められた駄作を褒めていた連中に今も憤然とした思いを禁じ得ない。というか、怒るほどのことでもないのでからかってやるべきか。 それはともかく、ここで云いたいことは、人は理論により靡くのではなく身近な人間関係により縁を結ぶという法理を確認したい為である。それと、好んで暴力的に向かうのは愚であり、極力は学びと議論とその練りあいを重視すべきであり、それから行動が始まるのだという法理を確認したい為である。 このことをここで記す理由は、その後の学生運動の貧相化によほどこの事が関係していると思うからである。思えば、戦後から営々と積み重ねられる運動を組織しておれば、今頃はよほど違う世の中になっていたのではなかろうか。穏健派も急進派も肝心なこの事が出来ないど坪方向に向かったように思え、残念で堪らない。 革命も事業と捉えれば、よろづに通ずるのは「裾野を広く、上部の質は高く」が理想であろう。これを逆にやると、いかな老舗も倒れるのが道理だろう。道理を唱える者がこの道理を分かっていないので、通りでこんな具合になってしまったように思う。世間とはそういうものかも知れないが。 2008.1.9日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)