補足(論評5) | 新左翼のトロツキズム受容考、日本型トロツキズム考 |
(最新見直し2008.7.7日)
【新左翼のトロツキズム受容考】 |
以降の流れに入る前に、ここで原理的な問いかけをしておこうと思う。戦後学生運動の第4期の一コマとして、トロツキズム運動の誕生がある。戦後学生運動の昂揚と挫折、それを指導した日共内の政変(徳球系から宮顕系への宮廷革命)、ソ共内でのスターリン批判、フルシチョフ式平和共存路線、1956.6月のポーランド・ボズナンの暴動、同じ10月のハンガリー・ブタペストの蜂起、それに対する国際共産主義運動側の弾圧等々の経過が、戦闘的左翼に深い幻滅を与えていった。こうした事情を背景として1957年頃から様々な反日共系左翼が誕生することとなった。 これを一応新左翼と称することにする。新左翼が目指したのはほぼ共通して、ス ターリン主義によって汚染される以前の国際共産主義運動への回帰であり、 必然的にスターリンと対立し放逐されたトロツキーの再評価へと向かうことになった。この間の国際共産主義運動において、トロツキズムは鬼門筋として封印されていた。つまり一種禁断の木の実であった。そのトロツキーの見直しにより、スターリニズム批判の観点を獲得していくことになった。こうしてトロツキズムの諸潮流が生まれることになる。 スターリン政治の全的否定が相応しいのかどうか別にして、スターリンならではの影響として考えられることに、党内外の強権的支配と国際共産主義運動の「ソ連邦を共産主義を祖国とする防衛運動」へのねじ曲げが認められる。戦後の左翼運動のこの当時に於いて、スターリン主義のこの部分がにわかにクローズアップし批判されてくることになった。 逆に、スターリン流「祖国防衛運動」に対置されるトロツキーの「永久革命論」 (パーマネント・レボリューション)が脚光を浴び、席巻していくこととなった。 今日から見てこの流れが正しいかどうかは別として、この経緯には史的必然性があったと看做すべきだろう。 2004.10.3日再編集、2008.1.5日再編 れんだいこ拝 |
【日本型トロツキズム考】 |
日本トロツキズム運動開始の根底にあったものを、「日本における革命的学生の政治的ラジカリズムと、プチブル的観念主義が極限化して発現したもの」とみなす見方があるが、そういう見方の是非は別として、この潮流も始発は戦後の党運動から始まっており、党的運動の限界と疑問からいち早く発生しているということが踏まえられねばならないであろう。つまり、内省無しの日本トロツキズム批判は為にするものでしかないということになる。 宮顕理論に拠れば、一貫してトロツキズムをして異星人の如くいかがわしさで吹聴しつつ党内教育を徹底し、トロツキストを「政府自民党の泳がせ政策」の手に乗る「反党」(ここは当たっている−れんだいこ注)、「反共」(ここが詐術である−れんだいこ注)主義者の如く罵倒していくことになるが、私はそうした感性が共有できない。前述した「党的運動の限界と疑問からの発生」という視点で見つめる必要があろう。 ところで、今日の時点では漸く日共も含め左翼人の常識として「スターリン批判」に同意するようになっているが、私には不十分なように見受けられる。なぜなら、「スターリン批判」は「トロツキー評価」と表裏の関係にあることを思えば、「トロツキー評価」に向かわない「スターリン批判」は、俗に言う片手落ちだろう。 もっとも、日共の場合、不破の専売であるが、その替わりに「科学的社会主義」なる造語で乗り切りしようとしている。「科学的社会主義」なる言い回しの中で一応の「トロツキー評価」も組み込んでいるつもりかもしれない。が、あれほどトロツキズムを批判し続けてきた史実を持つ公党としての責任の取り方としてはオカシイのではなかろうか。スターリンとトロツキーに関して、それこそお得意の「自主独立的自前」の史的総括をしておくべしというのが筋なのではなかろうか。「自主独立精神」の真価はこういう面においてこそ率先して発揮されるべきではないのか、と思われるが如何であろうか。不破式「科学的社会主義論」は姑息であり、そういつも不破は姑息である。 ちなみに、私は、我々の運動において一番肝心なスターリンとトロツキーとレーニンの大きな相違について次のように考えている。理論的相違は置いておくとして、組織論に於けるこの二人の相違は、党運動の中での見解とか指針の相違を最大限「統制しようとするのか」対「認めようとするのか」をめぐっての気質のような違いとしての好例ではないかと。レーニンはややスターリン的に具体的な状況に応じてその両方を使い分ける「人治主義」的傾向を持っていたのではなかったのか。そういう手法はレーニンには可能であったがスターリンには凶暴な如意棒に転化しやすい危険な主義であった。晩年のレーニンはこれに臍を噛みつつ既になす術を持たなかったのではなかったのか。 スターリン手法とトロツキー手法の差は、どちらが正しいとかをめぐっての「絶対性真理」論議とは関係ないことのように思われる。運動論における気質の差ではなかろうか。「真理」の押しつけは、統制好きな気質を持つスターリン手法の専売であって、統制嫌いな気質を持つトロツキー手法にあっては煙たいものである。運動目的とその流れで一致しているのなら「いろいろやってみなはれ」と思う訳だから。但し、トロツキー手法の場合「いざ鎌倉」の際の組織論、運動論を補完しておく必要があるとは思われるが。実際のトロツキー手法は別かもしれないが、一応このように理解しておく事にする。 ついでにここで言っておくと、今日の風潮として、自己の主張の正しさを「強く主張する」のがスターリン主義であり、ソフトに主張するのが「科学的社会主義」者の態度のような踏まえ方から、強く意見を主張する者に対して安易にスターリニスト呼ばわりする傾向があるように見受けられる。これはオカシイ。 強くとかソフトとかはスターリン主義とは何の関係もない。主張における強弱の付け方はその人の気質のようなものであり、どちらであろうとも、要は交叉する意見、異見、見解の相違をギリギリの摺り合わせまで公平に行うのか、はしょって権力的に又は暴力的な解決の手法で押さえつけつつ反対派を閉め出していくのかどうかが、スターリニストかどうかの分岐点ではなかろうか。スターリニズムとトロツキズムの原理的な面での相違はそのようなところにあると考えている。こう考えると、宮顕イズムは典型的なスターリニズムであり、不破のソフトスマイルは現象をアレンジしただけのスターリニズムであり、同時に日本トロツキズムの排他性も随分いい加減なトロツキズムであるように思われる。 ところで、こうしてスターリニズムの対極としてトロツキズムが模索されていったが、今日に於いてはネオ・シオニズムのプリズムに照らせば、レーにズムもスターリニズムもトロツキズムも、現代世界を牛耳るロスチャイルド派国際金融資本の走狗としての役割を担っていたことが判明しつつある。つまり、どちらも手放しで礼賛できないということになる。と云う事は、この当時に於いてはスターリニズムの幻滅によりトロツキズムへ傾斜していったと云う時代のニューマを淡々と確認すれば良いということになろう。 |
(私論.私見)