補足(コメント) ネオ・シオニズムに対するそもそもの無知

 (最新見直し2008.9.10日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 
 
 2008.1.10日、2008.8.10日再編集 れんだいこ拝


【「物語り戦後学生運動論」の執筆観点その1】

 「物語り戦後学生運動論」をどう書くか、ここで視点を明らかにしておきたい。一つは、当時の時点に立ち戻り、当時の感覚に立ち入り内在的に書くのも一法である。肯定的に継承する場合にはこの方法が良い。が、そうではなく、これから追々記すように半ば肯定、半ば否定的に記す場合には、姿形が見えて来た今日の視点で過去を論評的に書く方が適切ではなかろうか。その後の学生運動の衰微を知る今となっては当時の正義を語るより、理論及び実践上の欠陥を指摘しつつその後の衰微の事由を検証して行く方が説得的ではなかろうか。

 実は、ここに拘る事由がある。というのは、れんだいこ自身も関わった世界であるから余りに否定的に書くのは辛いが、れんだいこは今、戦後学生運動のみならず近年から現代に至る左派運動総体がどうやら、その正体が怪しいと気づいている。当然、全否定するようなものではない。肯定的に受け止めるべき流れと、それに纏いついた不正の流れの両面があり、その両面を考察せねばなるまい。こういう気づきを得ているので、当時の感覚に深のめりして書くより、肯定面のそれと否定面のそれを分離させつつ評論しようと思う。その方が却って適正なのではなかろうかと考えている。

 以上、思わせぶりに述べたが、正体をはっきりさせておく。戦後学生運動のみならず近年から現代に至る左派運動総体の正の面とは、国家権力の暴政に対する抗議及び抵抗と人民大衆の民生向上及び福利、国際平和協調、反戦へ向けての闘いにあった。これは今も正しいし、今後も目指すべきであろう。

 では、負の面とは何であろうか。これを明らかにするのに、れんだいこの苦節30年有余の内省格闘があった。見えて来たことは、戦後学生運動のみならず近年から現代に至る左派運動総体のうち急進主義者が北斗七星の如く金科玉条としてきたマルクス主義の基盤的危うさを知らずに、これを鵜呑みにしてきた経緯である。なお且つマルクス主義にも認められる正の面と負の面の両面のうち負の面を拝戴してきたという経緯である。

 これは一種の捩れであるが、この捩れが当時も今も続いているように思われる。本書の意義は、このことを鋭く指摘し、マルクス主義者のマルクス主義研究をひとたび初手に戻し、マルクス主義の正の面と負の面を識別遠心分離させ、正の面の継承及び発展に立ち返らせたいということにある。大言壮語かもしれないが、れんだいこはマジでかく述べたいと思う。

 2008.1.4日、2008.2.23日再編集 れんだいこ拝


【「物語り戦後学生運動論」の執筆観点その2】

 では、マルクス主義の負の面とは何であろうか。当然、関心はそのように向かう。れんだいこはかく述べる。マルクスは、初期の「共産主義者の宣言」から晩年の不朽の名作「資本論」に至るまで一貫して、社会発展の歴史的必然行程として封建制から資本制への転換を認め、資本制の次の段階として社会主義、共産主義への必然的歩みを展望させた。これにより、資本制下に苦吟するプロレタリアートの歴史的解放と救済を主眼とする闘う武器としての理論を与えた。

 マルクスが、資本制下に苦吟するプロレタリアートに闘いの根拠と正義を与えたのは良いとして、人類社会の歴史的行程として封建制から資本制への転換をいとも容易く歴史的必然として容認したのはいかがなものであろうか。れんだいこは今、眉唾すべきではなかったかと考えている。ここには明らかに理論の飛躍と詐術が認められるように思う、というのがれんだいこ史観である。

 本来の歴史的発達は、幾ら科学と産業が発達したとしても、その後的な資本制には移行し難いのではなかろうか。資本制に移行したのは、歴史的必然の趨勢としてではなく明らかに人為的なものであり、その推進者及び推進主体無しには為し得なかったのではなかろうか。この推進者及び推進主体こそが資本制の産みの親であり黒幕であるのではなかろうか。それは人為的なものではなかろうか。かく認識し直したい。

 当然次のようになる。それが人為的なものであるなら、我々が闘うべき対象は、徒な体制批判としての資本制ではなくむしろ資本制を生み出した黒幕に対してでは無かったか。れんだいこは、そのように思い始めている。

 マルクスは、「資本論」及びその数々の前著で、この黒幕に対して意識的に言及を避けており、むしろその著作は却って煙幕的役割を果たしている気配がある。これが意図的故意か偶然かまでは判然としないが、マルクスと黒幕との通謀的証拠が遺されているからして、没交渉であったとは云い難い。

 では、資本制の黒幕とは何及び誰であろうか。当然、関心はそのように向かう。れんだいこはかく述べる。マルクス時代も、我々の戦後学生運動時代にも定かには見えなかったが、今日段階ではっきりしているのは、近代から現代へ至る歴史に於いて真なる創造者は、近現代史上モンスター的に登場し世界を席捲支配している国際金融資本であり、これが資本制帝国主義の黒幕ではないのか。

 彼らは、「シオン長老の議定書」でマニュフェストした如く世界を操り始めており、しかしてその首領はロスチャイルドであり、その財閥及びその系譜の者達である。そういう意味で、「シオン長老の議定書」の持つ意味は大きく、これを露見させたのは世界史的事件と云うことになろう。その「シオン長老の議定書」を偽書扱いする一群のサヨイストが居る。これと対決する以外には左派運動の真っ当な進展はなかろう。

 もとへ。ロスチャイルドの正体は何か。それは、史上のユダヤ教パリサイ派へとさかのぼる。思えば彼らの歴史は悠久であり、紀元前後のイエス教の発祥時、イエスが最も激しく論難した事で知られている。その後、対ローマ帝国戦争で敗北して以来エルサレムの地から所払いを受け、以来世界中へ離散し、中世期にはキリスト教化国家権力のクビキの下で社会の一隅でのゲットー生息を余儀なくされ、いわば雌伏した。この期間を中世と云う。

 彼らは、十字軍戦争からルネサンス時代になって漸く出番を迎える。以降急速に社会進出を成し遂げ、産業革命の果実を資本主義的に利用する事で一挙に富を膨らませた。次第に公民権を得始め、当然のことながら勢力を扶植し、その後世界中に国際的シンジケートを張り巡らしつつはるけき今日へと至っている。彼らは秘密結社を好み、表に出るよりは裏から各国政府を操り世界を靡かせている。

 この連中がそもそも資本制を導入し、西欧世界を席巻し、各国の表向きの支配者を唆(そそのか)して世界の分割植民地化に乗り出させ、国内では内乱と革命、国外では戦争の時代を招いたのではないのか。その度に黄金金貨の山を築いたのではなかったか。近代から現代に至る過程はこのように捉えなければ真相が見えてこないのではないのか。

 彼らの社会的台頭には多少は正の面もあった。特に初期の頃は、ゲットーからの解放理論が市民化論と結びつき、市民革命を領導したことにより、社会的ルネサンスを切り開いた面がある。この場合、ルネサンスとは、「自由、自主、自律」の息吹を社会全般に攪拌するイデーという意味で使っている。近代の入り口に当たって、このイデーは確かに進歩的役割を果たした。

 しかし、その彼らが勢力伸張させ、次第に彼らが住み着くそれぞれの国家の裏の支配者となって君臨し始めるや、彼らはルネサンス的イデーをかなぐり捨て、元々からの独特の選良主義的宗教観、世界観、社会観、処世観に則り社会操作をし始め、市民革命理論の抑圧に転じて自己否定し始め、果てし無き資本増殖主義、ルネサンス精神及び民主主義の形骸化、貧富格差、強権政治、地球環境破壊をもたらし、社会を奇形化させたのではなかろうか。この流れが今日へと至っている。

 れんだいこが思うに、これは歴史的必然的な発展行程ではない。明らかに、彼らが信奉するユダヤ教パリサイ派の、その教義にも両面有る内のより悪しき面に依拠した哲学、思想、宗教、文化からもたらされる社会観世界観が生み出し、それに基き拵えられた人造社会に過ぎない。

 もう一つ、こと細かに書くと膨大になるので書くのを省くが、国際金融資本にしてロスチャイルド財閥及びその系譜にしてサタニズム化身させたユダユ教義の信奉者であるこの連中が、マルクス及びマルクス主義者を手玉に取りうまく操ってきた歴史こそが左派運動史であるという裏面があるのではなかろうか。

 確認すべきは、左派運動にはこの時より、ルネサンス的人民大衆解放運動と現代パリサイ派にして「シオン長老の議定書」派とも云うべき国際金融資本の奏でる世界支配運動が絡み合ったことだろう。これに無自覚なままの左派運動は人民大衆解放運動を目指しながら国際金融資本の下僕として立ち働く事になる。この愚を深く知る事こそ今我々に要請されている知性ではなかろうか。

 2008.1.4日、2008.2.23日再編集 れんだいこ拝


【「物語り戦後学生運動論」の執筆観点その3】

 戦後学生運動は、否日本及び世界のマルクス主義的左派運動が、このカラクリを見抜けぬまま、マルクス主義を金科玉条視し、憧憬し純朴に仕えてきた歴史があるのではなかろうか。左派の国際主義はその空疎性にも拘らず今なお左派精神を規制しているが、そろそろその不毛、恐さを顧みるべきではなかろうか。マルクス主義者の伝統的宿アは批判に長けるが、こうしたことを内省するのに弱い面があるように思われる。その精神は極めて安逸と罵られるべきではなかろうか。

 我々はこうして、史上の真の敵に向かわず、在地の国家権力打倒に勤しむ事により、むしろ真の敵に利用されてきたのではなかろうか。人民大衆が一定シンパシーするもそれ以上接近しなかったことの裏にはこういう事情が有るのではなかろうか。これを批判的に総括せずんば学生運動論を称賛的に書き上げても意味が無い。

 れんだいこはこのように認識しているので、戦後学生運動及び左派運動総体のこの盲目性を見ないままの運動史を単に字面で叙述する事ができない。このことを言い添えておきたかった。漸く結論になった。そういう訳で、以上の観点からの「物語り学生運動論」を書き上げる事にする。

 これが、れんだいこの学生運動論上宰事由である。長年腑に落ちなかったものが今次第に溶けつつある。これを如何に暴くか。ここにれんだいこの能力が掛かっている。願わくば、れんだいこ共々多くの人士が叩き台にしてくれんことを。そして、得心いったなら、今からでも遅くない、日本左派運動の軌道をあるべき方向に据え直してくれん事を。

 2008.1.4日、2008.2.23日再編集 れんだいこ拝


Re:れんだいこのカンテラ時評306 れんだいこ 2007/06/23
 【日本左派運動の致命的誤り考】

 れんだいこは、学生運動も含め日本左派運動の致命的な誤りに気づいている。今日かっての隆盛に比して落ちるところまで落ちた感のある日本左派運動であるが、この致命的な誤りに気づかない以上は仕方ない、否むしろ日本左派運動が下手に革命に成功しなくて良かったと思っている。以下、これを記しておく。

 こういう場合はいきなり結論を書いた方がよい。日本左派運動の致命的な誤りは、西欧史の今では世界史の真の抗争軸に無知過ぎることにある。真の抗争軸は経文的な階級闘争にあるのではない。それははるか長期の視野に立てばそうであるかのように概括できるというだけで、実践的には殆ど何の意味も無い。

 眼前の喫急焦眉の真の闘争は、ユダヤ的ネオ・シオニズムと諸々の在地権力の植民地化されるか主権を維持するかの闘争である。日本左派運動はこのことを認識していない。日本左派運動はこれまでも今も、歴史上もっとも危険で悪質残虐非道なネオ・シオニズムに対して何の見識も持ち合わせていないという無防備な状態にある。ネオ・シオニズムとの闘争の重大性に比較すれば、国内的な利害闘争は従たるものでしかない。

 れんだいこがなぜこのことを訴えるかというと、ここを理解しないと、現下の政治闘争、経済闘争、文化闘争の抗争軸がみえてこないからである。抗争軸の見えていない中で正義運動してみても、足元をすくわれてしまう。それは悲劇であり喜劇になる。今我々が闘う対象は、ネオ・シオニズムの日本溶解政治に対してであり、日本植民地化に対してであり、日本傭兵化に対してである。これらは皆ネオ・シオニズムが意図的に策動しているところのものであり、我々は己を知り敵を知り正しく対処せねばならない。改憲は当然この狙いから導かれているものである。

 ところで、ネオ・シオニズムというのはれんだいこの造語である。世上のネオ云々用語に模して使っている。ネオ・シオニズムをより正確に規定すると、18世紀後半にロスチャイルド1世の秘密講義録を元にして作られた「シオン長老議定書」マニュフェストに基づくユダヤ教現代パリサイ派即ちロスチャイルド派の世界支配運動であり、それはサタニズムとシオニズム運動を特質とするということになる。

 世上では、陰謀主義についてマキャベリズム、ユダヤ人迫害及び世界征服思想についてナチズム、強権的統制的大衆運動についてファシズムをもって代名詞としており、左派圏内では議論の余地無く悪いものである。が、れんだいこの見るところネオ・シオニズムこそ近代史以降のあらゆる悪行の本家本元であり源泉であるように見える。これらの悪行は全てネオ・シオニズムの内に胚胎しており、現に今もなお至るところで確認することができる。彼らは、陰謀、金融支配、テロリズム、暗殺、拷問、虐待、差別、収奪、奴隷、規制等々あらゆる手段を駆使しており、自己に都合のよいような動乱、革命を引き起こし、反対の場合には情け容赦ない強権弾圧をお見舞いしている。

 にも拘らず、世上ではネオ・シオニズム批判を声高にせず、マキャベリズム、ナチズム、ファシズム、スターリニズム、テロリズムその他その他を造語してそれの批判に向かっている。なぜこういうことが起こるのかと云うと、現代世界を牛耳っているのがネオ・シオニズムであり、彼らが情報コントロールしているせいである。その為に彼らはメディア戦略を重視する。今ではいわゆる先進国のメディアは総じて彼らの支配下に有り、彼らが欲することは大々的に喧伝し、批判し、不都合なことは隠蔽する。最近の松岡農相変死事件の自殺認定、事件隠しはこれの為せる技であろう。恐らく不都合な何かがあった筈だ。

 日本左派運動は、世界の左派運動も含めて、このネオ・シオニズムのコントロール下にある。日本左派運動が、明治民権運動の頓挫以来乗り換えたマルキシズムにしても、ネオ・シオニズムのコントロール下で創造され運動展開されてきた気配が認められる。日本左派運動は、このことを知らなさ過ぎる。敢えて云えば、マルキシズムは、ネオ・シオニズム左派のようなもので、ネオコンは逆にネオ・シオニズム右派に位置する。マルキシズムとネオコンは左派右派の違いが有るが同じ土俵に乗っている。

 マルクス自身がこのことをどこまで承知していたのかは分からない。但し、かの階級闘争論、史的唯物論のものの見方考え方は明らかにパリサイ派のものであり、その観点から近代的諸科学の成果を吸収して理論化したものである。違いを見つけるとすれば、パリサイ派のそれがユダヤ教的選民主義に立脚しているのに対し、マルクスのそれはその狭い枠組みから抜け出ようとしていることにある。しかし、マルクスは、実践局面に入ると露骨にセクト主義に陥ったし、排他独善的であった。我々はそろそろこういうことを客観相対化せねばならないだろう。

 そういう目で見ると、マルキシズムの国際主義が、ネオ・シオニズムの「シオン長老議定書」マニュフェストに基づくワン・ワールド思想に帰一していることに気づかされる。マルキシズム国際主義インターナショナルは、コミンテルン、コミンフォルムを生み出したが、盟主ソ連に拝跪する統制運動に堕し、それは各国各地の在地主義的左派運動の創出と発展に重大な損失を与えた。

 我々は未だその被害を直視し得ていない。つまり、西欧被れから抜け出ていないように見える。「西欧被れ」とは、西欧に通暁することを否定しているのではない。西欧に大いに通暁すべし、されども西欧の価値基準を良しとする勿れという意味である。ちなみに、この場合の西欧とは、ユダヤ的という意味で使っている。今日今なお「西欧被れ」から抜け出ていないように思われる。というか現代パリサイ派の思惟様式がますます汚染しつつあるというべきか。

 なぜこれを発信するのか。我々の闘う真の敵を見定めたい為である。ここが疎かにされていると思うからである。とりあえず以上このことを発信しておく。

 2007.6.23日 れんだいこ拝

【そもそもの誤謬としてのネオ・シオニズムに対する無知】
 学生運動史第一期の考察が格別重要なのは、この時期に戦後学生運動のレールが敷かれたことによる。第一期以降は、このレール上の試行錯誤、時に発展、時に衰退、時に分裂と云う様々な局面を見せる。これを詳細に追うのも一理有るが、れんだいこはレールを敷き変えようとしているので、時々の重要事件は当然として、レール替えに関係する事象に留意しながら情報を選択して行くことにする。

 それでは、この時期のレールとはどのようなものであったのか。当時では見えず、60数年後の今日2008年時点から見えて来たことを確認しておく。次のように云えるのではなかろうか。

 近現代史を貫く真の革命勢力は、いわゆるロスチャイルド派の国際金融資本帝国主義である。この勢力が1770年代に「シオン長老の議定書」に結実するネオ・シオニズムに基く世界支配戦略をマニュフェストして以来、世界各国は国際金融資本帝国主義に襲われるばかりの子羊と化した。この観点は現在、現代日本白眉の思想家と評されるに相応しい太田龍・氏の諸言説に結節している。れんだいこは、氏の観点を受け入れる。詳細は「シオンの議定書考」に記す。

 国際金融資本帝国主義は、ロスチャイルド派の子息を西欧要衝各国に配置する等アミーバ状に触手を伸ばした結果、それらの国は西欧列強に仕立て上げられ、覇を競って世界の植民地化に乗り出すことになった。彼らは、狙いを定めた当該国の権力機構即ち政・官・財・学・報・司の六者機関を右から篭絡する。同時に国債を発行させ財政的にコントロールする。他方で、反国家、反権力運動を支援し左から揺さぶる。その反国家、反権力運動はネオ・シオニズム特有の二枚舌的無国籍型の国際主義運動に統制される。これらを協力目立たぬよう即ち陰謀主義的に遂行する。陰に陽の秘密結社が生まれる所以がここにある。これが、国際金融資本帝国主義の世界支配方程式である。

 彼らは、この戦略に立ち塞がる各国王朝を順次崩壊させ、最後まで頑強に抵抗したロシアのロマノフ王朝を解体しソ連邦を創出した。日露戦争がこれに利用されたと云う意味で、日本はこの流れと無縁ではない。むしろ駒として利用され続けられ、大東亜戦争まで誘導されるところとなった。それはともあれソ連邦創出以降、世界は資本主義対社会主義がせめぎ合う体制間冷戦時代に突入した。この間、内乱と革命と戦争が絶え間なく、そのたびに世界は国際金融資本帝国主義に利する時代へと変容していく事になった。この流れが今日まで続いている。

 記せばキリが無いのでこれ以上の言及は割愛するが、世界はこういう構図にある。これから考察する戦後日本左派運動、その息子としての学生運動は、現代史のこういう構図に全く無知無防備であった。まず、このことを踏まえておく必要がある。我々は、戦後の左派運動が、ネオ・シオニズム支配下のGHQのお墨付きで始まった歴史を踏まえる必要がある。

 但し、そうい云っても、ひとたび手に入れた合法化左派運動を、当局肝いりの運動から脱して如何にして手前達の運動に仕上げていくのかは、その時々の指導者の能力に左右される。戦後日本左派運動の最初期を指導した日本共産党の、その指導部を構成した徳球系党中央は、これを能く為し得た。何しろ1947.2.1ゼネストの際、GHQの強権介入さえなければ政府権力を手に入れ、赤旗を国会になびかせることができたほど能力的な左派運動を指導した歴史を遺している。徳球運動は、戦後日本革命を自律的に手探りで邁進し、あわやというところまで押し進めた立派な史実を遺している。こう評するべきであろう。

 しかしながら、徳球系党中央運動は、戦後日本の奇跡的な経済的復興と党内対立に次第に勢いを失速させられ、足を引っ張られ始め、1950年の朝鮮動乱激動に巻き込まれ、共産党が再々度非合法化されるに及び北京への亡命を余儀なくされる羽目になった。その結果、中ソを盟主とする世界共産主義運動の武装反乱指令に盲目的に従わざるを得なくなり、その武装闘争が失敗に帰することにより最終的に潰えた。

 代わって党中央を掌握したのは、不屈な再建史を誇る戦前共産党運動の最終的な撲滅者コンビと云うべき宮顕−野坂ラインであった。この系譜が今日の共産党まで続いている。宮顕−野坂ラインが、共産党をひいては左派運動を如何に殺(あや)めて行ったか、国際金融資本帝国主義の隷従であったか、これを考察せずんば歴史検証にはならない。こういう見立てが欲しいと思う。

 本書は、このような観点から戦後左派運動、ここでは戦後学生運動を解析する。この観点からの叙述は本邦初であり、大方の者には奇異に受け止められるのも止むを得ない。しかし、この観点が打ち出された以上は検証されるべきであり、これを否定するに首肯し得る見解が出されない限りは学ばねばならないであろう。そうならずんば真の学問とはならないであろう。れんだいこの自負するところ、れんだいこ式学生運動論総括が登場したことにより、従前の研究本は「れんだいこ式観点」を持たない分それだけ意義と生彩を失うことは止むを得ない。こう俯瞰しながら以下、戦後学生運動史を切開する。




(私論.私見)