補足(論評) ブントに結集した俊英考

 (最新見直し2008.7.7日)

 この頃ブントを率いる島氏の回りに次第に人材が寄ってくることになった。香村正雄(東大経済卒、現公認会計士)、古賀康正(東大農卒、現農学者)、鈴木啓一(東大文卒、現森茂)、樺美智子(東大文、安保闘争で死亡)倉石庸、少し後から多田靖・常木守等が常駐化したようである。

 2.15日、機関紙「共産主義」が創刊された。論客として、佐伯(東大卒、山口一理論文執筆他)、青木昌彦(東大卒、現経済学者、姫岡論文執筆)、片山○夫(早大卒、現会社役員)、生田、大瀬振、陶山健一が活躍した。


 この時期の党の青年運動組織への指導ぶりは次のようなものであった。全学連のブント化の動きに対して12.25日、党は幹部会を開催し、幹部会声明で「学生運動内に巣くう極左日和見主義反党分派を粉砕せよ」と、全学連指導部の極左主義とトロキツズムの打倒を公言し、「島他7名の除名について」と合わせてブント結成後旬日も経たないうちの12.25.27日付け「アカハタ」紙上の一面トップ全段抜きで幹部会声明を掲載した。こうして党は、社学同を排撃し、一方で党中央委員会の査問を開始し、正月と共に全国の学生細胞に直接中央委員などをさし向け、一斉弾圧を策した。他方で、民青同学生班を強化育成していくこととなった。




(私論.私見)