れんだいこの塩見総括論評

 (最新見直し2008.6.6日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 連合赤軍問題に関する塩見議長の総括と対話してみたい(http://homepage2.nifty.com/patri/column/1.html)。そういうことから、塩見議長総括を「塩見議長総括考1」、「塩見議長総括考2」にサイトアップした。塩見議長の総括を仮に「塩見総括」と命名する。その昔、ざっと読んだ事があると思うが特段に記憶に残らなかった。こたびは、れんだこの総括との比較と云う意味で入念に読む事にした。その感想を以下記しておくことにする。

 2008.1.28日 れんだいこ拝


【連合赤軍問題に於ける塩見議長の総括考その1】
 「塩見総括」はまず何より、党派の元最高責任者として、自派の引き起こした事件に関して真摯に総括し見解を披瀝している。この点で評価されるべきであろう。これが当たり前の作法だと思われるが、日本左派運動にはこの種のケジメはめっきり少ない。

 日共の「50年問題総括」があるにはあるが、塩見総括と比較してみて、事件の因って来たる原因を内在的に検証し、処方箋を提起したものではない。勝てば官軍負ければ賊軍の謂いそのままに、「50年武装闘争の歴史的ニューマ」を頭から否定し、党中央争奪戦の勝者側の宮顕派が敗者側の徳球派の仕業として弾劾し、我々は無関係と免責言辞を連ねた噴飯ものの悪総括でしかない。ご丁寧な事に、宮顕派日共党史は、この史実過程そのものを隠蔽している。それに比べれば、「塩見総括」は、正々堂々と事件検証に内在的に立ち向かっており好感が持てる。

 「塩見総括」は、れんだいこがこたび指摘したような規約問題には立ち入っていない。但し、日本左派運動が大きく影響を受けたロシアマルクス主義のポルシェヴィキ運動以来の伝統が胚胎していた諸問題を切開し、有益な教訓を引き出そうとしている点で評価されるべきであろう。

 結果的に、れんだいこと同じようなところに目をつけている。特に目立つ点として、マルクス主義、レーニン主義の相対化を呼びかけ、党中央集権制を忌避させ、暴力主義の暴走を批判し、在地主義型左派運動を展望させ、ルネサンス気風を尊重する左派運動を称揚せんとしている。これらにつき、れんだいこ観点と同じところへ行き着いていることに気づく。

 但し、少し云いたいことがある。もし今後対話するなら、いっそのこと、戦後民主主義をプレ社会主義と規定し直したらどうだろうか。戦後左派運動がこれをブルジョア体制とみなして各派各様になべて批判否定転覆運動に走った構図自体を疑う視点を持つべきではなかろうか。この視点に立ってこそ、当時の軍事的暴力革命論の虚妄性を切開できるのではなかろうか。

 れんだいこは今、プレ社会主義的戦後秩序の下で政権を奪取し、政府与党となり責任政治に当たった自民党ハト派の池田−田中−大平時代の政治履歴に対し、これこそ実は裏方左派政治だったのではないかと思い直している。もとよりかなり変態化している。当人達はそのように述べておらず、むしろ体制内保守政治を標榜していた。しかし実は深部で左派政治ではなかったかと云う風に。

 これは、社共的左派運動が体制批判的革新政治を標榜しながら、深部でネオシオニズムに操られる御用政治だったことと微妙に拮抗していることに気づく。つまり、「面前での左派が本当の左派ではなく、面前での右派が実は左派であった」という滑稽と云うかオゾマシイ現実がある。これが日本政治の奇形化された特質であるという点にそろそろ気づくべきではなかろうか。

 「塩見総括」の面白さは次のことにある。彼らは凡そマルクス主義的教条を正面から引き受け、その結果、国際主義の極致を追求し、国内的な軍事闘争と並行して国際革命根拠地作りまで向かうことになった。北朝鮮へ渡った田宮派、パレスチナへ向かった奥平−重信派はその実践例である。その赤軍派が最新の塩見理論も含め共に、理論と実践の極化を経て遂に反対の極とも云える在地主義型左派運動へと辿り着いている。この摩訶不思議を思うべきではなかろうか。

 れんだいこは、口先で左派を気取りながらその実単なるネオシオニズム派の手駒でしかない社共運動、その他同種の新左翼系運動が何も教訓を得れなかったのに比して、身命賭して闘った赤軍派ならでは獲得した新見地ではなかろうかと思っている。そういう意味で、「塩見総括」を、ブント主義の必然的理論的発展と受け止めるべきではなかろうかと評している。

 但し、少し云いたいことがある。「塩見総括」は、太田龍・氏が辿り着いた歴史的ネオシオニズム批判の見地にまでは辿り着いていない。否、自ら辿り着こうとしていないように見受けられる。しかし、太田氏の歴史的ネオシオニズム批判も叉トロツキズムから突き進んで逆転発想した末の成果としての「太田龍総括」であることを思えば、両者が相まみえぬ事は作法的に狭量であろう。そういう風に思う。

 2008.2.9日 れんだいこ拝

【連合赤軍問題に於ける塩見議長の総括考その2】
 最後に云いたいことは次のことである。我々はそろそろ、連合赤軍同志殺人にせよ、党派間ゲバルトにせよ内ゲバにせよ、左派圏内に常態化させた暴力の意味と限定に対する理論を獲得すべきではなかろうか。この暴力は、権力に向かう前に左派圏内で振るわれるという意味で二重的に犯罪的なものである。そういうものとして位置づけたい。

 活動家のひいては人間そのものの命の重みをどう捉えるのかに関係してくるが、革命論で云々するのも良かろうが、単純にヒューマニズム的命の重みと一人の人間がいっぱしの見解を持てるまでの成育に要した親の手塩から始まる社会的コストの重みを弁える必要があるのではなかろうか。この両面から考察する視点がいるのではなかろうか。ごく平凡なこのことを踏まえたい。 

 左派運動を愛する者なら、左派運動活動家一人を輩出する為の経緯と値打ちに思いを馳せる事は造作なくできよう。これができないのなら左派とは云えない。例え信奉する理論と実践が違えども、敵を見る目で見なす訳にはいくまい。それをどこでどう狂うのか、左派圏内での潰し合いに興じる様は異様であろう。

 確かにこれは相互に要求される事で、片方だけの一方通行的な遵守では意味を為さない。同時に相手方を掣肘する力を持たなければ基準とは為し得ない。良い事は云うだけでは意味がない。良い事を行い、悪しき事をさせない手立てを生み出す必要がある。これをよろづ責任と云う。運動は責任まで持たねば信を生まない。

 これを仮に左派仁義と命名するとして、左派仁義確立の為の事例的基準作りが要請されているのではなかろうか。運動的に要請されているのに、これを為さないままに正義運動が展開されている危うさを思うべきではなかろうか。 そこで、れんだいこが以下の事を提言しておく。
 基本的にされて嫌な事はするな。これを第一公理とすべきである。
 党及び党員は、自らが切り開こうとする新社会の倫理道徳基準に照らして行動せよ。
 意見と見解と行動の違いは先ず議論で練り合わせよ。
 党中央は公明正大な多数決主義で信任を得よ。
 党中央は党内反対派を容認する。反対派は党中央指導に従わない権利を担保することができる。但し、徒に党中央の指導を妨げてはならない。
 党中央の任期期限に於いては信を問わねばならない。反対派は新党中央になるべく運動する事ができる。
 新党中央は、指針権、指導権、財務権、人事権の四権を掌握し、全党に責任を負う。
 党内反対派は、党中央との非和解的対立に陥った場合、分派分立する事ができる。但し、党名称をそのまま使うことはできず、人民大衆が識別できるようにせねばならない。
 上記の過程で、暴力的解決を介在させてはならない。
10  万一、暴力的事態が発生した場合、党内外の駆け込み機関で審議を仰ぐ事ができる。審議は三審制とする。
11  党は他党との折衝叉は競り合いに於いて暴力を用いない。
12  他党が暴力を仕掛けた時、その経緯と今後の対応について全党会議で議論せねばならない。緊急時に於いては、党中央責任で処する事ができる。
13  党中央は、人民大衆に対して事の顛末を報告せねばならない。
14  党派間戦争に突入する場合、党中央は内外にその正義を声明せねばならない。
15  党は、会議録を作成し、適宜に公開せねばならない。

 以上の提言は、過去の事例を念頭に、どうすれば無益な争いを防げたかを自問自答して生み出したものである。云える事は、やろうと思えばできるのになぜ採用しなかったかにある。これができない様に仕掛けられた面を憶測せねばならないと云うことだろう。

 2008.2.10日 れんだいこ拝

【連合赤軍問題に於ける塩見議長の総括考その3】
 れんだいこは、連合赤軍考の後、どういう経緯で始めたのか分からなくなったが急遽「西郷南州公遺訓41か条」を知りたくなり、西郷隆盛考をサイトアップした(「rekishi/meijiishico/saigoco/saigoco.htm」)。そこで西南の役を知り、これこそ近代史上稀なる本格的な武装闘争史ではないかと了解した。

 思えば、西郷は奇特な人で武装闘争を二度経験している。一つは幕末維新で、勝利した。一つは西南の役で、敗北した。その敗北も、勝利した幕末維新ほど意欲的でなく、内乱を呼び込まないという意味で所詮勝利の展望を持たぬ抵抗運動に位置づけていた風がある。つまり、お国と民族の後先考えず本気でやっていたらどうなっていたか分からぬ。そういう気がする。

 ここで、なぜ西郷隆盛を採り上げるかというと、日本左派運動が権力奪取まで視野に入れ且つ武装まで含めた人民大衆的闘争を展望する場合、西郷を中心に回った二つの回天運動の経験を学ばねばならないのに、なぜだか無視していることについて疑問を呈したいからである。有り得てならない不学ではないかと思っている。

 日本左派運動が、フランス革命史、ロシア革命史、中国建国史については見てきたように議論するのに、我が日本史上の貴重重要な闘争については皆目無知で良しとする作風はどこから発生しているのだろうか。れんだいこは、ここに疑問を持つ。ここにネオシオニズム論が介在する事になる所以であるが、日本左派運動がネオシオニズムに操られてきたことを示しているのではなかろうか。

 そのことを思えば、日本左派運動が向かうべき道は、ネオシオニズムに操られない自由自主自律的な土着在地主義的社会主義であり、この立脚点から国際主義を展望する運動ではなかろうか。この種の運動は、日本左派運動にはまだ生まれていない。塩見氏が赤軍派史30年の中から辛うじて展望し初めている事に敬意を表したい。長く掛かったが一生懸命過激に闘ったゆえに得た智恵ではなかろうか。

 最後に付言しておくことがある。戦後日本左派運動は1970年代までのそれは、当時の支配者がハト派であったがゆえに許容された社会的経験であったように思われる。彼らは当然弾圧したが、左派運動を見る目線は温かい。逆に、1980年代以降今日までの目線は冷酷非情である。それは、当局がハト派支配からタカ派支配に移転した事情と絡んでいる。れんだいこはそのように気づいている。

 かく了解して始めて、連語赤軍同志査問致死事件及びその被害者に対するせめてもの手向けになるのではなかろうか。合掌。以上で、「れんだいこの塩見総括」とする。

 2008.2.19日、2008.6.6日再編集 れんだいこ拝




(私論.私見)