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「連合赤軍の」の青年達は世の中の不正を正そうとし、必死で一途に生きた日本人民の最良の教養と良識をもった勇敢で献身的な青年達であった。とりわけ12名はそうであった。 |
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同志殺しは許されない過ちであり、それは森君や永田さんの利己主義に基づくモノであった。しかし、それはあくまで人民内部の過ちであり、利己主義は赤軍派や革命左派の政治、思想路線の限界、人民解放の大道から逸れた誤った「遊撃戦」路線や山岳根拠地路線とスターリン主義的処断方式の採用、決定的な野合判断の過ちらの判断の過ちからくる日和見主義に起因するもので一時的なモノである。森君は逮捕されて反省し、自決で、自裁し、永田さん、坂口君は死刑攻撃に今でも闘い続けている。森君、永田さんを含めた12名を始めとする人々は人民の戦士達であった。 |
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「共産主義化」は森、永田の利己主義に基づく自己権力確立の為の「粛清」であったが副次面で「革命兵士になるための自己錬成」の側面があったこと、とりわけ12名において。 |
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「連合赤軍」の根底の根底に於いて「自己を自傷しつつ、人柱になって」人間解放、人民解放を実現せんとする、殉教の精神があったこと。 |
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「銃撃戦」は、山田や坂口、板東等によって正され、その自己批判、贖罪として闘われたのであり、彼等が人間解放、人民解放を目指していたことの厳然たる証であり、この点に於いて評価されるべきである。 |
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事件は巨視的に見て、日本や世界の人民運動の負の側面、マルクス主義の限界、欠陥の蓄積の上に発生したモノで森君や永田さんの固有の「資質」に依るもではない。権力者の社会背景や人民運動の歴史的要因を無視する「資質論」は断固として否定されるべきである。
しかし、事件の要因の重要な比重として、二人の指導者としての器量、経験、行動や思考法等のの特殊要因が決して無視できない要因として存在する。この特殊要因を基底還元主義的に程度、質を踏まえず赤軍派やブント、或いは革命左派、毛沢東思想、マルクス主義や人民運動全体に還元するするのは誤っている。特殊と普遍を統一的に正しく捉える努力が必要である。この点を踏まえて、日本社会、日本人民運動の負の伝統、要因が二人にどのよな影響を与えてきたかも究明されるべきである。 |
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ベトナム人民の闘いは勝利し、それを抑圧し、侵略してきたアメリカ帝国主義、それに加担してきた日本独占資本主義は敗北し、両国は「統一ベトナム」を承認した。日米安保が如何にベトナム侵略、アジア抑圧に機能したかは明きらかであり、人民の側の反安保闘争は正義の闘いとして勝利したのであった。 |