日本赤軍考

 更新日/2024(平成31.5.1栄和改元、栄和6)年.3.10日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 日本赤軍の史的意義はその活動軌跡にあるのではない。不首尾に終わった失敗軌跡の史的総括にこそある。れんだいこは、日本赤軍を評する視座をそのように据えている。思うに、日本赤軍は、第一次ブントの急進主義運動を、更に急進主義化させていった第二次ブントの、更なる理論的純化の末にもたらされた世界同時革命運動に殉じた。この経験から学ぶとすれば、その貴重な体験を通じて獲得した「世界同時革命運動の虚妄」であろう。

 物事は純化させねば正体が分からない。そういう意味で、日本赤軍は、世界同時革命運動の理論と実践を純正に遂行することにより、世界同時革命運動の正体をはっきりさせた。れんだいこは、日本赤軍の史的意義はここにあると考える。この貴重な経験を受肉化することこそが戦士達に対する誠意ではなかろうか。そして問わねばならない。日本赤軍運動の経験を踏まえて、我々は、如何なる革命運動の道を敷くのかと。ここが肝腎なところなのに議論されていないのではなかろうか。

 2008.1.31日 れんだいこ拝


目次
日本赤軍史1
重信房子のメッセージ考
重信房子のパレスチナ問題発言考
重信房子 「1960年代と私」考その1-1
重信房子 「1960年代と私」考その1-2
重信房子 「1960年代と私」考その2
重信房子 「1960年代と私」考その3
よど号赤軍派考
田宮の日本革命遺言考
インターネットサイト
参考文献
皆さま
PFLP元副議長アブ・アハメド・フアド少将が逝去しました。
PFLPから出された声明と、元日本赤軍とその仲間たちを代表して書かれた追悼文をお知らせします。 
合掌
<PFLPの声明>
パレスチナ解放人民戦線(PFLP)は、エルサレムの偉大な民族指導者、元PFLP副議長で、パレスチナ革命全体の最も著名な軍事指導者の一人であったダウド・アハメド・マラガ「アブ・アハメド・フアド」少将が闘病の末に逝去しました。
偉大な民族指導者の死亡に関する声明
パレスチナ解放人民戦線は、同志である偉大な民族指導者であるダウド・マラガ少将、元副議長でパレスチナ革命の最も著名な軍事指導者の一人である「アブ・アハメド・フアド」を追悼する。
パレスチナ解放人民戦線は、その抵抗路線に従って、 議長とその代理、政治局と中央委員会のメンバー、そして祖国とパレスチナの前線のすべてのメンバーと支持者を代表して、彼を追悼する。全避難民、パレスチナ人民大衆、アラブ民族、そして世界の解放を目指す民衆に向けて、エルサレム出身の偉大な民族指導者、パレスチナ革命の長い歴史を通して最も著名な軍事指導者の一人ダウド・アハメド・マラガ少将(組織名:アブ・アハメド・フアド)元議長代行が闘病の末に逝去した。
彼はパレスチナの大義とパレスチナ民衆を守ることに生涯を費やし、人生の最後の瞬間まで原則を堅持し、将来の世代の行末を照らす民族的かつ戦闘的な遺産を残しました。
亡くなったアブ・アハメッド・フアド司令官の生涯の注目すべき瞬間は以下である:
◯同志は、 1942年に占領下のエルサレムの東にあるシルワンの町で生まれた。
◯彼は、祖国への愛と占領の拒否で苦境下にあるエルサレムの家庭で育った 。
◯彼は、幼少時からアラブ民族主義運動に所属し、そのヨルダンとパレスチナにおける政治的で軍事的な活動に参加した。
彼は、1967年12月、ジョルジュ・ハバシュ博士のグループと共にパレスチナ解放人民戦線(PFLP)の創設者の一人となった。
◯彼は、長い闘争経験を経て戦線内で主要な任務を引き受け、エジプトと東ヨーロッパで高度な軍事課程を修了し、軍事的および組織的な能力の構築に参加した。
◯彼は、1960年代後半か1970年代前半にかけて戦線のヨルダン中央部門の指揮を執り、パレスチナ抵抗軍がヨルダンから撤退した後にはレバノンに移り、レバノン南部で前線の軍事作戦を指揮した。
◯彼は、1978年と1982年のシオニス・イスラエルトがレバノンを侵攻した際、英雄的な戦果を上げ、占領軍には厄介なレジスタンス基地の建設に貢献した。
◯彼は、抵抗と民族統一のアプローチを促進する民族的は役割を継続するため、2013 年のPFLPの第 7 回会議でPFLP政治部門の責任者に選ばれ、その後副議長に選ばれた。
◯彼は、2017年と2021年、カイロでの民族和解対話大会を含むパレスチナ民族対話の多くのラウンドでPFLPを代表し、武力抵抗に基づく団結が民族的な願望を達成する最も効果的な方法であると力説した。
◯かれは、ここ数カ月、病気に苦しんでいたにも関わらず、パレスチナ解放闘争の展開をフォローし続け、ガザ地区での壊滅的なシオニストの攻撃への追跡調査に没頭し、解放闘争の必然性を信じていた。そして、ガザの堅固さとその抵抗の勇敢さの中に、占領の継続をジレンマに陥らせる新しい戦術を生み出すパレスチナ新世代の能力の実証例を見出していた。
◯彼は、祖国の苦境と占領との闘争に常に注目しながらも、エルサレムは彼の心の中に故郷として存在し、占領から解放されたエルサレムを見ること、そしてその路地を歩いて息を吸うことを切望していた。
そして、エルサレムこそが永遠のパレスチナの首都であり、パレスチナ闘争の真珠であり続けることを信じて、その抵抗史の香りを感じていた。
私たちパレスチナ解放人民戦線は、人民大衆、我が民族、世界の自由戦士たち、戦死した同志たちの遺族、そして、彼の全ての同志や友人、そして彼を知り愛していたすべての人々に、深い哀悼の意を表します。
そして私たちは、彼の闘争の遺産と彼が生き続けた革命原則に忠実であり続けることを誓います。
今日、私たちは偉大で並外れた傑出した民族指導者に別れを告げるにあたり、彼の道をたどり、彼が擁護した民族の大義と原則を遵守する決意を確認します。
その第一は、あらゆる形態での抵抗闘争であり、パレスチナの土地が解放される最後まで続けることです。
偉大な民族指導者アブ・アハメド・フアド同志に永遠の栄光を!
抵抗は続く…そして勝利は必然的にやってくる!
パレスチナ解放人民戦線
2025 年 1 月 17 日
<元日本赤軍の声明>
戦士Abu Ahamed Fuadの死を悼む
PFLPの同志たち!
パレスチナ解放闘争を闘う全ての仲間たち!
私たちは、アブ・アハメド・フアド同士の逝去の悲報を受け悲しみに沈んでいる。
と同時に、生涯と生命をかけてパレスチナ解放闘争の発展と前進を担い続けたアブ・アハメド同志の遺志を継いで、日本の地からパレスチナ解放闘争への連帯を更に強めていくことを誓う。
アブ・アハメド同志の遺志を継ごう!
     パレスチナ解放闘争の前進 万歳!
     パレスチナ−日本の民衆連帯の発展 万歳!
                2025.1.18日 東京にて
  元日本赤軍とその仲間を代表して
                 Mariam 重信房子
                 Nabil 足立正生
(英文)
Mourning for the death of Fighter-Leader Abu Ahmed Fuad
All comrades of PFLP!
All the fighters for the liberation of Palestine!
We are saddened by the sad news of the death of Abu Ahmed Houard.
At the same time, we pledge to further strengthen our solidarity with the Palestinian Liberation Struggle from Japan, following the will of Comrade Abu Ahmed, who has been leading the development and advancement of the Palestinian Liberation Struggle with his life.
Let’s swear the will of Comrade Abu Ahmed!
Long live The advancement of the Palestine Liberation struggle!
Long live the development of People's Solidarity between Palestine-Japan!
January 18th.2025.
On behalf of the Japanese Red Army
Mariam Fusako Shigenobu
Nabil Masao Adachi




(私論.私見)