2007.3.20日、老壮青の共同戦線運動の創出を祝す

 (最新見直し2007.3.21日)

Re:れんだいこのカンテラ時評272 れんだいこ 2007/03/21
 【2007.3.20日、老壮青の共同戦線運動の創出を祝す】

 2007.3.20日、「ゼンガクレン老闘士、国民投票法案廃案訴え 国会前集う」なる快挙が為されたとのことである。3.21日、朝日新聞が報じている。こういう記事はやはり朝日のお家芸なのか。報じない他社がだらしないのか。朝日記事によると次の如くであった。

 3.20日、60年安保闘争に参加した元全学連(全日本学生自治会総連合)のメンバーら約50名が、憲法改定の手続きを定める国民投票法案の廃案を訴え、国会前でハンガーストライキや座り込みの抗議行動を始めた。「9条改憲阻止の会」として憲法記念日の5月3日まで続ける、とのことである。

 「四十数年ぶりに集まった」というかっての闘士たちは70歳前後となり、つえを片手に駆けつけた人も居た。3.19日には、かって対立・分裂した学生運動経験者や全共闘世代にも「大同団結」を呼びかけ、「非戦を誓った憲法前文と9条を変えない努力を続ける」という共同声明を出した。

 呼びかけに奔走した著述業蔵田計成さん(72)は、デモ隊が国会を取り巻いた60年当時との落差を痛感し、「運動を高揚させていけなかった過去に対して悔いがある。(改憲の動きが強まる)こんな時代になって無念で仕方ない」と語った、とのことである。

 これが如何に快挙なのかは、学生運動に真剣に関わり、今なぜ沈滞しているのか、その原因を切開し、現実を痛苦に問う者には自明である。戦後学生運動は、労働運動も、原水禁も、部落解放運動も、日中友好運動も、プロレタリア文学運動も然りであるが、永らくまさに長らく不幸な分裂を余儀なくされてきた。互いが「我こそは是、我こそは真」と呼号し、抜きん出ることのみ争ってきた。

 それだけならまだしも、排除の論理と他党派解体論理をのさばらせ、左派運動の分裂の傷口を広げてきた。これが左派運動の宿ァと勘違いさせ、左派運動の信頼と発展を毀損せしめてきた。多くの者が傷つき、命を落としてきた。あるいは逃亡を余儀なくされ、あるいはパレスチナに向かった。あるいは懲役をくらってきた。そういう現実がある。

 今、50年武装闘争、60年安保闘争、70年安保闘争の闘士達が、日共系反日共系の敵対枠を取り外し、左派運動の再生に向かいだした。依拠するのは、「大同団結」であり、統一戦線ではなく、左派の志さえあれば異論異端を許容する共同戦線である。我々は早くこれに気づくべきだったが、相応の年数を要したことになる。

 れんだいこ史観によれば、「2007.3.20日、老壮青の共同戦線運動創始」は、ねじれにねじれた糸をようやく自力で解いたことになる。左派は元々優秀な頭脳を持っており、本来のそれを開花せしめるべきだろう。遅きに失したが、気づいたことが良い。これはきっと左派運動再生の一里塚になるだろう。

 願うらくは、在地型左派運動の創出まで進みたい。マルクス文献を幾ら読んでもこの結論には至らない。我々は別智を働かせ、左派運動のトンデモ国際主義から自主独立せねばならない。民族と祖国の政治に責任を持たねばならない。ここから国際主義に向かわねばならない。依拠する足場を持たない理論は空疎である。この姿勢は、ネオシオニズムの狡知がある以上当然の弁えとなるべきである。

 曙光ではあるがこの観点の最初の披瀝者は、大方の理解と違って、戦後直後の共産党を指導した徳球−伊藤律派であった。1950.1.1日のスターリン論評がお見舞いされたとき、自主独立的に対応したのが徳球−伊藤律派で、所感派と呼ばれる。この時、スターリン式コミンテルン(当時はコミンフォルム)の指導に無条件に服するべきだと主張し、党中央に叛旗を翻したのが志賀、宮顕、春日(庄)その他その他であった。故に国際派と呼ばれる。

 1955年の六全協で、宮廷革命宜しく奪権し党中央に居座った宮顕−野坂派が、その後の日共運動を指導し、左派運動圏内に分裂と対立と弾圧と詭弁とその他諸悪を洪水の如く持ち込み始め、左派運動が大きく歪められた。賢明なる多くの左派人が抵抗したものの、結局は抗し得なかった。それが今日の左派運動の惨状の真の原因である。

 原因をかく見据えれば、後は容易である。もはや我々はいつでも互いに議論を尽くし、見解をすり合わせ練り合わせ、共同戦線運動を創出すればよい。二度と、子供騙しの排除の論理と他党派解体の論法に操られまい。猫の手を借りたいほどの事業に、分裂を持ち込むことはないのだ。異論異端があればこそ飛翔力がつくのであり、民主集中制なる、その実党中央拝跪制や満場一致制を強いられるには及ばない。

 しかし、さすがに、左派再生に一役買うのは60年安保世代である。れんだいこは大いに尊崇申し上げ、連帯しようと思う。共同声明の賛同人(3/15/9時現在)は次の通りということである。なかなか味わい深いことに気づかされる。

 星宮煥生(56年・全学連副委員長)、佐藤浩一(58年・同志社大学友会)、司波寛(58年・東大中央委議長)、塩川喜信 (58年・全学連委員長)、仲尾宏(58年・同志社 大学友会委員長)、由井格(58年・中大自治会)、小川登(59年・京大同学会)、藏田計成(59年・都学連副委員長)、篠原浩一郎(59年・社学同委員長)、下山保 (59年・全学連中執)、葉山岳夫(59年・東大緑会 委員長)、森迫嘉和(59年・立命館大自治会委員長)、岩崎義(60年・大阪府学連書記長)、北小路敏(60年・全学連書記長)、黒羽純久(60年・全自連議長)、小塚尚男(60年・中大二部自治会委員長)、最首悟(60年・東大教養自治会)、新開純也(60年・京大同学会書記長)、鈴木 達夫(60年・東大教養自治会)、鈴木迪夫(60年・安保改定阻止高校生会議議長)、中村幸安(6年・明大中執委員長)、林弘(60年・都自連議長) 、前原和彦(60年・明大中執事務局長)、丸山茂樹 (60年・全自連中執)、三上治(60年・ 中大自治会)、小野正春(62年・全学連副委員長)、塩見孝也(63年・京都府学連書記長)、篠原竜夫(63年・立命館大自治会委員長)、川上徹(64年・全学連委員長)、中沢広凱(64年・大経大自治会委員長)、横山一(64年・関西学院大自治会委員長)、片山正彦(65年・立命館大自治会)、野田雄一(65年・立命館自治会)、大口昭彦(66年・早大全共闘議長)、成島忠夫(67年・全学連副委員長)、秋田明大(68年・日大全共闘議長)、山本義隆(68年・東大全共闘代表)

 今日は何だかうれしいですね。出向いたときには一杯お付き合いさせてください先輩諸氏様。

 2007.3.21日 れんだいこ拝

【2007.3.19日、全学連・全共闘・学生運動OB「共同声明」】
 子どもも、若者も、私たちのような壮・老年も、いま共通の思いは、「自分の生き方を干渉されたくない」という切実な気持ちではないでしょうか。何をしたいのか、どんな人生を送りたいのかは多種多様です。そのためにも「強制されたくない」のです。いいえ、それだけではなくて、より積極的には「十分な自己実現をしたい」とねがう人もいます。
 
 だから、私たちは、政治的社会的な、あるいは教育の面における「干渉」や「強制」の意図や気配に対しては、敏感に異議申し立てをする感性を養う必要があります。年齢を重ねたのだからもう勝手気ままに暮らしたいし、他人や社会に何が起ころうと無関心でありたい。でも、そうすると、野放しの「干渉」や「強制」がやってきます。
 
 どうしますか?
 極端な「干渉・強制」が戦争です。戦争は貧しさから抜け出すために起こるかのように言われます。あるいは身を守るためだと。でも、核兵器・生物兵器を含む武器の開発で、戦争は人間や、生きものや、自然の死しか生みません。戦争はもうできません。 それなのに世界では戦争が続いています。軍備増強が図られています。戦争について は最優先の異議申し立てが必要です。

 私たちはかつて、学生運動という形で、政府や権力を持つ者の動きに異議申し立てを し、その暴走を食いとめようとしました。それは私たち学生が、異議申し立てをしなければ、政府や権力がどこへ行くか分からないという危惧があったからです。人々の 不断の異議申し立てのないところに、人々による、人々のための、人々に責任を持つ政府は出来ません。だから、市民運動として、戦争につながる動きに対して異議申し立てを強めなければならないと思い立ちました。異議申し立てと、その具体的な表われとしての行動は、もとよりさまざまです。しかしその根幹については一致しています。すなわち、「学生運動、全共闘運動に身をおいた者として、自衛か侵略かを問わず戦争につながる一切の動きに異議を申し立て、侵略戦争の内外の犠牲者に謝罪し、非戦を誓った憲法前文と9条を変えない努力を続ける」ことです。

 さらに当面の課題は、9条改憲阻止の行動に対する、より具体的な意思表示です。とくに「9条改憲阻止の会」が3月20日を期して開始する、9条改憲を許さない一連の行動に対して、また関西「5/3決起集会・梅田デモ」に対して、各自がその意志や行動の一半を共有し、できる限りの連帯・支援・参加されるよう、心から 呼びかけたいと思います。

 07年3月19日 全学連・全共闘・学生運動OB

 以上です。賛同者同意の件よろしく。締め切り、16日深夜です。声明文作成担当、最首悟、三上治、藏田計成




(私論.私見)