428913−1 戦後憲法前文と9条、99条の論理構造考

 (最新見直し2006.9.22日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 2003年秋の国会において、小泉首相は、日本国憲法前文の一句「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」を引用して、紛争地域イラクへの自衛隊の戦後初となる公然軍事派兵の論拠とするという詭弁を弄している。ならば、憲法前文を吟味してみようではないか。

 れんだいこの見るところ、日本国憲法第99条の「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負う」に違反しており、関係者は厳しく訴追されねばならない。特に悪質な米奴売国派に対しては、人民裁判で弾劾し、一統まとめて国外追放せねばならないだろう。

 米奴売国派を例で挙げれば、ロッキード事件の際に露呈した児玉誉士夫のケースが該当する。日頃、右翼の黒幕として愛国者的立場で政界汚濁に睨みを利かせていたが、ロッキード事件を通じてロッキード社の秘密代理人として利権に与っていた事実が判明した。明白に売国奴たる正体を晒した訳である。これと同じような事実を持つ者はものは米奴売国派として認定される。この嫌疑から抜け出られる政府高官は果たして何人いるか。

 関連サイト
「『軍事的自衛・防衛・戦争放棄』その対価としての『国際協調・平和主義的防衛』について」

 2003.12.2日 れんだいこ拝


【憲法前文の構造解析】
 憲法前文は次のように構造解析できる。
項目 概要 本文
第一項 非戦主義と国民主権の宣言  日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、

 政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、

 ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
第二項 議会制民主政治の称揚  そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

 これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令および詔勅を排除する。
第三項 平和主義の宣言  日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
第四項 国際的に名誉ある地位への求道  われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。
第五項 世界平和への貢献  われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 
第六項 国際的対等互恵主義の確認  われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、

 この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
第七項 上記各項取り組みへの国家的積極的決意  日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。

【憲法前文の和英対照解析】
 憲法前文を和英対照で理解してみる。
【和文】 【英文】
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、

 政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、

 ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
 We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the National Diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land,

 and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government,

 do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution.
 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

 これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令および詔勅を排除する。
 Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people.

 This is a universal principle of mankind upon which this Constitution is founded. We reject and revoke all constitutions, laws ordinances, and rescripts in conflict herewith.
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。  We, the Japanese people, desire peace for all time and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.
 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。  We desire to occupy an honored place in an international society striving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from the earth.
 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。   We recognize that all peoples of the world have the right to live in peace, free from fear and want.
 われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、

 この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
 We believe that no nation is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other nations.
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。  We, the Japanese people, pledge our national honor to accomplish these high ideals and purposes with all our resources.

文部省発行の「新しい憲法のはなし」の関連部分 】
 2004.2.14日付け「自由・論争」 掲示板にひまた氏の次の投稿があった。これを転載しておく。
 みなさんの中には、今度の戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。

 こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

 そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。

 しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。

 なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。

 そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。みなさん、あのおそろしい戦争が、二度と起こらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。

憲法前文の当時の生命力 】
 久保田政男氏は、著「フリーメーソン172P」の中で、憲法前文の当時の生命力について次のように述べている。
 「支那事変から数えると、8年の長きにわたる国家総力戦を戦い抜き、疲弊の極に達した日本国民の当時の心理状態には、この前文はまことにピッタリした表現だったのである」。

(私論.私見)

 久保田氏は、同書で戦後憲法否定論を展開しているのであるが、その途中で記した上記の発言のほうがより生き生きとしているので引用した。

 2006.9.22日 れんだいこ拝



マハティール前首相の発言考 れんだいこ 2003/11/28
 2003.11.28日付け毎日新聞余禄に、10月末に引退したマレーシアのマハティール前首相の、「ルックイースト(日本に学べ)政策」に関するコメントが為されている。興味深いのでここにも記しておく。

 マハティール氏は、超大国、米国に向かってあえて「ノー」と言う数少ない指導者だった。97年のアジア通貨危機では、批判を浴びながらも欧米流の手法ではなく、マレーシア独自のやりかたを貫き、しのぎ切ってみせた、とある。そのマハティール氏は最近引退した。引き際の美しさは、わが日本の中曽根の往生際の悪さと対照的だ。

 マハティール氏は引退講話の席上、世界のタブーを恐れずに「ユダヤ批判」をしたことで物議をかもした。次のように述べたとのことである。
 概要「ユダヤ人は現在、代理人を使い、世界を支配している。お抱え主は世界の財閥です。現在では国際金融資本と近代的な名前に変わっていますが、実態はユダヤ財閥です。世界中に紛争を引き起こし、対立させて、戦乱を巻き起こすことを商売の種としているのです。対立させて、決して仲直りは許しません。双方に金を貸して、武器を売り、ノコギリ商法で国を奪ってしまうのです」。

 その真意は、次のところにあったとのことである。
 「そういうイスラエルが何ゆえに強国になっているのか。その原因を知り、学ぶところは学ぶべきではないのか。イスラエルに徒な反発に向うのでは勝てない。その強さを認め、頭脳において伍していけるようにならなければ解決しない」。
 「イスラム教徒の結束が何より必要であるが、イスラム教の教典コーランの教義に関する神学的論争へ傾斜する傾向、科学や開発を軽視する傾向に対して反省する必要がある」。

 そのマハティール氏は、昨年、東京都立国際高校の生徒がマレーシアへ修学旅行に行った時、生徒を官邸に招き、次のように語ったと云う。
 「ルックイースト(日本に学べ)政策で、近代化を進めた」。
 「私たちは第二次世界大戦で焼け野原になった日本の復興を見て、そこから学ぼうとしたのです」。
、概要「英国から独立したてのマレーシアには、日本人のような献身的な愛国心が必要だった。日本と日本の人々から職業倫理、職場での規律正しさを学びたかった」。

 れんだいこは思う。これは、戦後日本を指導した自民党の主流派となったハト派ラインが統治した時代の日本のことを指しているのではないのか。しかし、そのハト派は窒息させられ、タカ派が牛耳るようになってからの日本の様代わりをも冷徹に見抜いている。
 
 最近、マハティール氏は引退後初めての旅行で神戸に寄った。次のようにため息を漏らしたとのことである(加藤暁子「アジアの目」毎日インタラクティブ)。
 「日本はどうして米国に追随するのだろう。国民は自衛隊の派遣に消極的だと聞く。今こそ日本はノーと言わないといけないのに」。
 「自信をもって、他国の言いなりになるのではなく、自分の足で行動してください」。

 これがマハティール氏のメッセージである。

 ところがいけない。今、小泉はんは、どういうオツムの配線具合か分からないが、事もあろうに日本国憲法前文を引き合いに出して、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」のところを抜き出して胸を張り、イラクへの戦後初の自衛隊軍事派兵の論拠にしている。野党がこれを誰も咎めない。えらい時代が来たもんだ。

 ちなみに、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」の直前の文章は、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている」である。この部分を割愛して、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」のところだけ拾い出して、胸を張っている。

 例の、「イラクに攻め込んだところ、口実としていた隠匿大量禁止兵器が見つからなかったからといって、それが無いことにはならない。フセインが見つからないからと云って存在しないということにはならないのと同様である」なる詭弁と同様の臭いがする。

 小泉つうのは口先の手品師かも知れない。しかし、誰かとっちめんとあかん。繰り返すが、事もあろうに恥ずかしげも無く憲法前文を引用しているんだぞ。なら、憲法前文にはどういうことが書かれているのか、国会で朗読してみよ。こんな虚言で沈黙させられるなら、させられる方の知力にも問題があり過ぎよう。

戦後憲法前文考その@ れんだいこ 2003/11/29
 戦後憲法は、前文を設け、以下に記すような7項目にわたる宣言をしている。7項目をれんだいこなりに列挙してみると、1・「非戦主義と国民主権の宣言」、2・「議会制民主政治の称揚」、3・「平和主義の宣言」、4・「国際的に名誉ある地位への求道」、5・「世界平和への貢献」、6・「国際的対等互恵主義の確認」、7・「上記各項の取り組みへの国家的積極的決意」ということになる。つまり、日本国憲法前文は、凡そ以上の項目を大綱的に列挙した美文となっているという捉え方が相応しい。

 れんだいこが思うに、この前文は日本国憲法の単なる前書きという意味のほか、この前文でもって戦前の軍事侵略的歩みの歴史を世界に謝罪し、同時に二度と繰り返さないという宣明でもって理解を得ようとする意味が秘されているのではなかろうか。してみれば、戦後日本が世界に為した国家的契約ないし誓約的意味を持っている、と捉えるべきでは無かろうか。

 但し、日本国憲法は弄ばれることになる。日本国憲法前文を要請した国際的環境が大きく変わり、その後の世界は米ソ二代陣営に色分けされる国際的冷戦事態となった。日本は米国陣営に組み込まれ、盟主米国は、極東の反共の砦として日本を格別に重視、その戦略に添う形での再軍備を促すことになった。朝鮮動乱がこれを一挙に加速させることになった。1950年代初頭の動きである。以降、この冷戦体制が約40年間続き、米ソ二代陣営は軍事、経済、科学技術の覇を競ってきた。

 この対立の決着が1990年初頭に付けられることになった。共産主義陣営の盟主ソ連邦はいずれにおいても資本主義陣営の成果に競い負け、遂に崩壊することになった。以後の世界は米国一極型世界支配体制へと突き進むことになった。その米国が向い始めたのは、パレスチナ地域紛争のイスラエル擁護的永久的安定政策である。米国は、冷戦時代の弁えをかなぐり捨て、イスラエルの脅威になる地域、国々を露骨に標敵にし始めることになった。否、先制的攻撃論という従来では許されなかった正義の御旗を振りかざし始め、アフガニスタンのタリバン政権、イラクのバース党政権を力づくで崩壊せしめる戦争に訴え始めた。

 かくて今や、米英イスラエル連合という最強国連合が、世界を欲しいままにしつつある。米国大統領ブッシュを代表者とするネオコン勢力は、遂に我が日本の自衛隊に目をつけ、便利な傭兵としての軍事出兵を要請しつつある。そう云う訳で、我が国の専守防衛政策からの大きな転換が迫られている。戦後の出発に当って日本が世界に約束した憲法前文が、それを要請した側から壊されつつある。

 時に、日本の首相のイスに辿り着いた小泉は、この戦略に嬉々として迎合する政策に蛮勇を奮いつつある。風変わりなを自認して登場した小泉首相の政治的本質は、米英イスラエル連合の在日司令官として忠実な働き振りを披露しつつある。その小泉政治の最新の段階での国会答弁は、あろうことかその憲法前文の一句を引用して、自衛隊のイラクへの軍事派兵の根拠付けに利用するというウルトラCまがいの詭弁を弄し続けている。

 馬鹿馬鹿しいことに、野党は誰もこれに異議を唱えない。一体、この国はどうなっているのだろうか。まともな論議が為されない言論の自由は、この国に言論の自由が存在しているのだろうか原点からの疑義さえ生じさせつつある。れんだいこが思うに、各政党の指導者、国会議員の能力がそれほど低下しているとは俄かには信じ難い。事実そういう面もあろうがむしろ、意図的に論議を避ける風潮つまり報道管制が敷かれており、これに唯々諾々する時代に入っている、ということでは無かろうか。

 2003.11.29日 れんだいこ拝

戦後憲法前文考そのA れんだいこ 2003/11/29
 こういう場合、社共があてになるだろうか。社共が文字通りの社共なら然りと云えたかも知れないが、今日では背筋まで寒い。社民党はか細く「ダメなものはダメ」とは云うものの往時の勢いは無い。ならば、日共ならどうだ。

 2003.11.27日付け赤旗は、この党の腐敗の様子を次のように伝えている。「赤嶺議員のイラク問題に関する質問について 11.26日付け日本共産党国対委員長 穀田恵二」なる記事が載っておりこれを見るに、「日本共産党の赤嶺政賢議員は、11.25日の衆院予算委における質疑のなかで、『米軍の撤退なんというようなことを、今世界がそこを問題にしているんじゃない』、『今国連で米軍が撤退せよと言う、こういう議論は起こっていません』と発言しました」ことを伝え、

 これに対して、「赤嶺議員のこの発言は、言葉足らずで、真意を的確に表現できなかった面はあると思いますが、表明されているかぎりでは、国際社会の動向への事実誤認があり、日本共産党の主張ともことなる誤った発言でした」と詫びるというテイタラクを見せている。

 続いて、「この問題での日本共産党の立場は明確で」、「日本共産党第六回中央委員会総会決定は、『イラク復興は、イラク国民の意思にもとづいてすすめられるべきであり、そのためには国連が中心的役割を果たし、米英軍をすみやかに撤退させることが必要である』とのべています。この決定にも明記されているように、わが党の主張は、現在の米英軍主導の占領支配から、国連中心の復興支援に枠組みを移し、イラク国民に主権を早期に返還し、この枠組みのもとで米英占領軍の早期の撤退をもとめるというものです」と述べ、同党の基本的見解を披瀝している。

 玉虫色のこの見解から云わんとしているところを読み取れば、先制攻撃論に基づく米英軍の国連決議無しの単独行動による軍事攻撃から占領の非を咎めるよりは、今後のイラク平定作業(復興支援とは云うものの)を国連中心で為すようにとの要請であるように見える。

 「国際社会の多くの国ぐにも、そのことをもとめています。OIC(イスラム諸国会議機構)は、占領軍の撤退と国連による暫定統治を『明白かつ短期の予定にしたがって』おこなうようもとめています。アラブ連盟のムーサ事務局長は、11.11日、米国アーミテージ国務副長官との会談で、『憲法の起草と選挙の実施、政府の樹立、イラクからの米軍撤退のタイムテーブルの作成によって、イラク国民の手にすみやかに主権をわたすこと』をもとめています」とあるばかりである。

 「日本共産党は、今回の教訓を国会論戦に生かすとともに、自衛隊のイラク派兵計画に反対するたたかいの先頭に立つ決意をあらためて表明するものです」と締めくくっているが、日共の「自衛隊のイラク派兵計画に反対するたたかい」の内実はその程度のものでしかない。思えば、アフガン懲罰戦争の際にも、国連あての申入書を得々と披瀝して、あたかも反対かのポーズを演出してお茶を濁し、事実上アフガン懲罰戦を易々と見過ごしたのも記憶に新しい。

 さて、「赤嶺議員のコメント」が傑作だ。日本共産党国対委員長・穀田の声明に並んで掲載されているが、「25日の衆院予算委員会における私の質問のなかで、わが党が、米英占領軍の撤退をもとめていないととられる間違った発言をしました」と詫びを入れているものの、「国連中心の枠組みの確立が先決問題であって、ただやみくもに撤退を要求しているのではないことを言うつもりでしたが、発言そのものは、明らかに間違ったものになっていました」と、真意を披瀝している。

 この訂正コメントに拠れば、何と、「ただやみくもに撤退を要求しているのではないことを言うつもりでした」とある。日共党中央が、「赤嶺議員の国会質疑内容」問題にし、詫びを入れさせた結果が、このコメントであることが興味深い。日共党中央は、「ただやみくもに撤退を要求しているのではないことを言うつもりでした」については、同意しているということだろう。

 マジかよと思うが、どうやらマジらしい。

 2003.11.27日付け赤旗に「イラク問題の現局面と日本共産党の立場 CSテレビ 志位委員長が語る」記事が載っておりこれを見るに、志位委員長は次のように述べている。
 「テロリストを孤立させ、テロの土壌をたつためにも、米英軍主導の占領支配をやめる必要がある」。
 「まさにテロを世界中から呼び込んで、テロリストの巣くつにするような作用を果たしているのが米英軍主導の占領支配だ。この枠組みを国連中心にいかに切り替えるかが一番の課題だ」。
 「国連中心の枠組みを早くつくり、米英の占領軍は撤退する。国連中心の支援の体制に切り替えるということが一番のかなめだ」。

 と強調しました、とある。

 「まるで逆立ちしたテロ呼び込むから米英軍主導の占領支配反対論」、「国連中心の支援の体制に切り替わるまでの巧妙な米英の占領軍の居座り是認論」であることが分かる。いろいろ見解はあっても良いが、今我々の目にする日共党中央の見解はこんなもんだ、ということを正確に聞き分ける必要があろう。

 もとえ。赤嶺議員よ、「今回の私の質問によせられたご意見やご批判を真摯(しんし)にうけとめて、今後の国会活動の教訓としたいと決意しています」と云うが、お前はもう田舎に帰れ。云えば云うほどボロが出るぞよ。れんだいこが、この手向け言葉を進呈しておこう。

 れんだいこは、実際の赤嶺議員の国会質疑を聞いていないので、その場の雰囲気までは分からない。さざなみ通信の「赤嶺質問(アンクル・トムさんへ)」(2003/11/27 ハート・オブ・ゴールド)には、概要「赤嶺氏の予算委員会での質問ですが、私もレジスタンスとは突っ込んだ事を言うなぁと思いました」、「ややもするとテロ擁護に取られかねないレジスタンス発言は意外ではありましたが、逆に新鮮に感じた事も事実です。赤嶺氏としては、米英の占領政策がイラク人民に受け入れられていない、その事を強調せんがために、口が滑ったのかもしれませんね」、「私は赤嶺氏の質問は概ねよろしかったとおもいますよ」との投稿が為されている。

 しかし、こうなると又別の問題が生じる。仮に、赤嶺議員がイラクで生起しているテロに対し、レジスタンス的観点でこれを見ようとする発言していたとしたなら、これは党中央の見解とは齟齬するだろうが、議員赤嶺の見解としては擁護されるべきであろう。そういう観点も必要だから、誰かが発言しなければなるまい。実際のテロを誰が操っているのか不明の面があるので、れんだいこの判断も宙に止っているが、イラク人民の抵抗運動として展開されているのなら、紛うことなくレジスタンスであろう。

 しかし、「赤嶺議員のお詫びコメント」にはレジスタンス発言に対する見解は少しも触れられていない。腫れ物に触るな式の隠蔽工作の臭いがする。現下日共党中央の有害無益方向のリードが透けて見え興味深いことである。

 2003.11.29日 れんだいこ拝

Re:戦後憲法前文考そのB れんだいこ 2003/12/02
 これまで触れることを控えてきたが、ここら辺りで軍事防衛費の突出化の非について検討しておきたい。小泉政府は、ブッシュ―ネオコン勢力の云うがままに打ち出の小槌を叩き、総額1兆円を上回り、今後天文学的にいくらの出費になるのか分からない軍事費用の予算化に着手している。

 本来であれば、バブル崩壊以降未だ景気回復しない日本経済の立て直しに懸命にならざるを得ない状況にあって、一体何をしてくれるんだと暴動が起らねばウソの愚挙であろう。国債累積債務の過重さの深刻さは卒倒する事態であると云うのに、みんなこれに目を背け、政策提言の動きさえない。こういうのを国家的脳死というのでは無かろうか。少なくともパニック寸前において、「何をして良いのか分からない判断停止状況に陥っている」という不気味さを感じ取る必要があると思われる。

 しかし何なんだろう。これだけマスコミ各社が居て、時評専門の自称知的エリートが居て、大学にも専門の研究者が居て、当然各省庁官僚が居て、政治家が居て、このテイタラクだ。湾岸戦争時の海部もそうだったが、今や我が国の上層部には金銭の規模感覚がさっぱり分からない。そういうボン育ちをしてきているので仕方ないのかも知れない。

 小泉となると、これにパラノイア的な悪乗りはしゃぎが加わっている。そう云う意味で、戦後史上特筆されるべき極悪首相であろう。この御仁の変態性は、状況を厳しくすればするほど気分が乗ってくるというサディズム的なところに認められる。日本経済の破滅、外資の舌なめずりを案外欲しているのかも知れない。そう云うわけで、どうみても総理の器では無いし、一刻も早く引き摺り下ろし、国外追放処分するに限る。

 ところが、この御仁の極悪反動政治が咎められない。咎める者がいるが丸めこまれる程度の口先批判しか繰り広げられない。あぁこうなると暴動しかないのか。是認はしないけど、時にはショック療法も有効ではないのか。

 とにかく云える事は、軍事防衛治安警察に必要論だけで次から次へと予算を注ぎ込んではならないという事だ。懐は一つなのだから、おっつけ皺寄せを受ける。その削られたところ、あるいは増税させられたところが景気後退に作用し、不況を長期化あるいは泥沼化させる。

 この悪循環の大元が、軍事防衛治安警察費の支出増大にあるという認識が欲しい。悦ぶのは軍事防衛族と背後の企業だけだ。それを思えば、戦後日本は、憲法の指し示すところによりこの方面の支出を極力抑制し、代わりに公共事業に振り分けてきた。それは至極賢明な手法であった。

 いわゆるハト派路線であるが、今日の日本崩壊前夜の状況は、このハト派路線の英邁な政策を放棄したところに起因している。この失政に水路を開いたのは誰あろう中曽根であり、今その馬鹿者の弟子ばかりが政界を牛耳って居る。これでは政治が良くなる訳が無かろう。

 イラクへの自衛隊の戦後初の公然軍事派兵の是非論の前提として、ここの理屈が押えられないといけない。底なしの国際的責務論のウソと非についてはおっつけ述べるつもり。

 2003.12.2日 れんだいこ拝

Re:戦後憲法前文考そのC れんだいこ 2003/12/02
 小泉首相以下川口外相も、その他諸々自称インテリ達はしきりに石油資源の安定的確保論をふぢあげ、イラクへの戦後初の自衛隊の公然軍事派兵の正当化を試みようとしている。しかし、れんだいこは、その説に従わない。

 我が国のハト派外交が見せたもう一つの中東政策の歴史を想起することは無駄にはならない。時に、1973.10.6日、第4次中東戦争が発生した。仕掛けた側のアラブ諸国は、「第一次オイルショック」政策で、揺さぶりをかけた。アラブ石油輸出国機構(OPEC)が緊急閣僚会議で、石油の原油生産削減と原油価格の大幅引き上げを発表、イスラエル支持国への一方的石油輸出停止を決定、イスラエルを支援する西側諸国を牽制した。

 この戦略は奏効せず、むしろイスラエルを支持する国際石油資本を太らせることになったが、この時我が国は如何なる対応を見せたか。トイレットペーパーの買占め騒ぎが発生するなど混乱したが、時の首相田中角栄は渾身の打開策を講じている。

 11.14日、キッシンジャー国務長官が中国訪問の帰途日本に立ち寄り、田中首相と会談。「今アメリカは中東和平工作を進めているので、日本がアラブ寄りに外交方針を変えることは控えて欲しい。無理をすると日米関係にもヒビガ入る」と強調した。これに対し、田中は、日本の中東に対する石油依存度が極めて高く、アメリカが石油の代替供給をしてくれない限り、日本はアラブ寄りにならざるを得ないと訴えた。

 あぁ隔世の感があるではないか。ポチ小泉に角栄のつめの垢でも煎じてやりたい。

 11.16日、閣議で、「緊急石油対策推進本部」を設置、石油緊急対策要綱を決定。11.22日、政府部内をまとめ、わが国のアラブ支持を明確にした「新中東政策」を策定し、中東政策の全面的転換を決定、二階堂官房長官が発表した。

 その内容たるや、1・武力による領土の獲得及び占領反対。2・1967年戦争の全占領地からのイスラエル兵力の撤退。3・同域内の全ての国の安全保障措置。4・パレスチナ人の正当な権利の承認と尊重、というものであった。

 危機の時にこそ本当の対応が出る。れんだいこには、角栄の人民的というか左派的体質が滲んでいるように見える。思うに、当時の田中派―大平派連合は、戦後日本の最盛期の頭脳的にも最強軍団だったのではなかろうか。それを思えば、大平首相の急死は惜しむべし惜しむべしであろう。

 なお、当時副総理兼環境庁長官であった三木武夫を中東八カ国へ歴訪させている。しかし、クリーン三木の無能ぶりが晒され、「油乞い外交」と云われるばかりで実質的な働きは何もしていない。角栄は三木を外し、米国追随の中東政策の軸足をイスラエルからアラブ諸国に移し始める。同時に「日の丸石油」(民族系資本)開発に力を入れることになった。

 我が国にはこういう中東政策の時期もあった。しかし今、小泉首相はその対極で親米ポチ化政策にのめりこんでいる。どちらの政策が良いのか、一概には断定できない。上述のような政策を採った角栄は葬られることになったことを思えば、親米・親イスラム外交という八方美人外交が許される環境に無いことが分かる。しかし、喧喧諤諤の議論を要すべきことは疑い無い。しかるに、この議論が弱すぎる。つまりは脳死国家を証左している。

 2003.12.2日 れんだいこ拝

Re:戦後憲法前文考そのD れんだいこ 2003/12/04
 イラクへの自衛隊軍事派兵の口実に国際的責務論が多弁されている。果たして信ずるに足る話だろうか。れんだいこに云わせれば、「中曽根的小泉的国際的責務論」とは「国際的」という冠詞が付けられただけの、その実は目下の世界を牛耳っている米英イスラエル連合に奉仕する下僕的売国的奉仕論でしかないのではなかろうか。そういうものを「国際的」という冠詞を付けることで誤魔化しているだけではないのか。そう思うので、目下の小泉政府の内外政策に逐一反対である。まったく、碌なことをしていないと思っている。

 連中は対価として何を貰おうとしているのだろう、それもなく嬉々としてこんな政策にうつつを抜かすことが信じられない。それとも弱みでも握られており、チップを埋め込まれているかの如くに指示通りに条件反射させられているのだろうか。

 戦後日本の舵取りは長らく自民党ハト派系に任されてきた。「軽武装・経済再建」の吉田ドクトリンに始まり、池田の所得倍増論に継承され、田中角栄の列島改造論へと結実した。この間外交にも目覚しい成果を見せている。サンフランシスコ条約による国家主権の独立、米国陣営への傘下入り、日台、日韓、日ソ、日中国交回復を成功裏に手掛け、世界のいわゆる後進地域の至る所に繰り出し該当国の社会基盤整備に尽力している。

 今でもイラク、イランの親日的な感情が伝えられているが、「下手なイデオロギーを振り回さず、ひたすら経済的貢献に傾注してきたハト派系政府の政策的勝利」であり、十分に外交が機能していたことを物語っているのでは無かろうか。

 ここまで云えば、もうお分かりだろう。このところの我が日本の外交は一体何をやっているのだろう、と訝るばかりである。四流政治屋が力んで何事か下手に政治をしてくれないほうが日本のために役に立つ。こういう感慨を覚えるのはれんだいこだけだろうか。
 
 戦後ハト派が営々と培ってきた外交的成功基盤を突き崩し、内治においても地方切り捨て、中小零細の苦境に無策で、公共事業の手を休め、金融のみならず消費市場まで外資に渡そうとしており、シラフではとても座視できない。あぁ思いやれば前頭葉が熱っぽくなってきた。うがいでもして冷やそうっと、やり切れない。

 2003.12.4日 れんだいこ拝

Re:戦後憲法前文考そのE れんだいこ 2003/12/17
 2003.12.14日付け毎日新聞「時代の風」欄に田中明彦東大教授の「イラク復興支援と憲法」なる評論が載っている。れんだいこがこれにコメントしてみる。

 田中氏は、小泉首相の「イラクへの自衛隊派遣の正当論拠としての憲法前文引用」に対して、「原理的に考えれば小泉首相は正しい」、「もし憲法に根拠を求めるとすれば、小泉首相が行ったように憲法前文に依拠すべきであり、そこには国際社会の為に積極的に行動しなければならないと書いてあるのである」なる珍論を表明している。

 れんだいこは思う。その昔、ドイツの鉄血宰相ビスマルクの言だと記憶するが、「万事、学者が調法に理屈を付けてくれる」を地で行く御用評論ではないか。田中明彦東大教授が何を専門とする学者か知らないが、ああでもないこうでもないの詭弁学を身に付けるために学問してきた経緯が透けて見えてこよう。

 田中氏は、評論の9割を「憲法9条解釈史」に費やし結論部分を無理やり御用付けしている。その様は、革命戦略戦術論における不破式詭弁と相似している。東大学問というのは、こういう術をマスターするための学府なのか、と皮肉りたくなるのはれんだいこだけだろうか。

 れんだいこは、田中氏の論拠に次の批判をお見舞いしておこう。「憲法9条問題」は、もっと正々堂々と論じ合えば良いではないか。国内法の最高法規として憲法がある。その前文には、大東亜戦争の歴史的教訓に鑑み、「平和主義と国際協調主義による国際貢献」が掲げられ、9条では「戦力の不保持」と「交戦禁止」規定が明記されている。しかし、その後の歴史において、憲法の頭越しで日米安保同盟条約が締結されたことにより、いわば国際法的な日米軍事同盟を主とし、国内法の最高法規としての憲法を従とする二頭立て体制が生まれることになった。

 政府は、これをどのように調整していったのか。日米軍事同盟に基づく諸行為に対して「解釈改憲」手法により正当化してきた。それは変則であるが、法治主義の手前必要欠くべからざる営為であった。おまけとして、この手法は、一定の軍事化抑制にもなってきた。

 実際には、日米軍事同盟の主たる主宰者である米国がその後の歩みにおいて国連を重視し、概ね「国連法的国際法」に依拠してきたため、政府の「解釈改憲」は国連決議に従うものであるとの錦の御旗を掲げることが出来、「国内法よりは国際法が優先する的合意形成」に則り、案外とスムーズに「説明責任」を果たし得てきた。これが、ブッシュ政権登場前までの日米同盟史並びに解釈改憲史であろう。

 ここまで云えばお分かりのように、ブッシュ政権の「狂人」ぶりは、この仕組みを破壊するウォードランカーぶりにある。それは米ソ二代陣営の拮抗が終わった局面で起ることが予見された「暴君政治」の登場でもあった。ブッシュは、クリントン時代の弁えを全否定するかのように秩序破壊に興奮している。そういう質の御仁なのだろう。今や、世界史は、この「暴君政治」に恐れおののき、あるいは暴君ぶりを如何に制約するか、はたまたこの暴君と如何に闘うのかがテーマとなっている。

 その暴君ブッシュによる「イラクへの自衛隊参戦要請」に対して、日本政府がどう対応するのか、ここが問われているのではないのか。この問題の歴史的新質は、「解釈改憲」の限度を超えているところにある。一つ、米英イ軍による対アフガン、対イラク「先制攻撃」の是非。二、何らかの口実を設けての「主権国家武闘侵略」の是非。三、国連決議なしの「主導的単独攻撃」の是非等々は、「解釈改憲」の範囲を逸脱している、と考えるのが正解では無いのか。

 これに加えて、1・自衛隊の「米衛隊化」の是非。2・自衛隊の「戦後史上初の軍事派兵」の是非。3・歯止めの無い軍事予算化の是非等々が議論されねばならないのではないのか。

 学者というものの役割は、こういうところの問題を提起しつつ是非を問う論を立て、私見を述べるところに意義があるのでは無いのか。「原理的に考えれば小泉首相は正しい」などと子供騙しの論を張って、ただ御用性のみを開陳するのは居酒屋談義以下の代物だろう。

 学者、マスコミが大本営発表の「裏からの喧伝」に務める習性があるのはある種法理のようなものであるにしても、道中を駄弁で煙りまきしつつ幼稚な結論のみ語る筆法は、悪質の謗りを免れまい。と、一言云っておきたかった。

 2003.12.16日 れんだいこ拝

小泉一派を訴追収監させよ れんだいこ 2004/01/27
 遂に、その日がやってきた。2004.1.26日、小泉首相の指揮により石破防衛庁長官が陸上自衛隊本隊のイラクへの派兵命令を下した。これで、陸・海・空3自衛隊が派兵されることになる。

 派遣隊員は陸海空3自衛隊で、過去最大の1000人以上が見込まれている。「派遣命令を受け、陸上自衛隊は第2師団(北海道旭川市)を中心に施設部隊と本隊を編成。来月1日、小泉首相や石破長官らが出席し同師団で編成完結式を行う」とある。

 その歴史的意義は、91年の掃海艇のペルシャ湾派遣から始まった自衛隊の海外派遣が、14年目にして初の軍事的戦闘を予定した武装派兵で出動することにある。戦後タカ派の領導するこの暴挙に対し、我々は今やどう立ち向かうべきだろうか。

 一つは、2.1日の編成完結式典粉砕だろう。その大義名分は、戦後日本の国策を廻ってのものであり、左派運動の断固たる意思を示しておく必要があるからである。その他様々な反戦闘争、国会包囲闘争等々が展開されるべきであろう。これは、実践運動である。もう一つに理論的批判活動がある。ここでは、この面に言及する。

 こたびの小泉の軍事派兵指揮には明らかに欠陥がある。この御仁は片手では憲法改正を指針させながら、もう一つの手で現行憲法の前文に則って軍事派兵の正当化を試みている。結構では無いか。彼の云う憲法前文を検討しようではないか。如何に読めば合理化できるのか、憲法前文を吟味しようではないか。

 れんだいこは、「自衛隊の軍事派兵考」 zieitainogunzihaheico.htm
で若干考察しているが、本来、国会質疑でこれをやらねばならない。残念ながら、憲法違反を云う野党は多いが、肝心のこの質疑を通して追求をするところがない。

 次に、「阿修羅、戦争47」の
「『首相は自衛隊法読め』箕輪氏、反対集会で批判[北海道新聞]」 による情報であるが、自衛隊法88条違反を追及せねばならない。

 「自衛隊法八八条で、武力行使はわが国が攻撃されたときに限定されている。(イラクは日本を攻撃していないので)現状での派遣は自衛法違反」とある。近々この法理論の見地から訴訟が準備されつつあり、「提訴時期は今週中で、弁護団は百人規模になることを明らかにした」とある。是非、この見地からの追求が為されねばならない。

 そして、法闘争の極致として、戦後憲法99条の「行政当局者の憲法遵守義務規定」違反の見地からも、自衛隊の軍事派兵決定権限者を訴追せねばならない。これは法治国家の面目に関わることであり、違反者を何としても収監せねばなるまい。

 こたびの暴挙に果たして、最高裁は「高度な政治的判断に関わることで司法判断に馴染まない」なる従来の見解で見過ごしえるだろうか。小泉一派は逃げ切れるだろうか。れんだいこは、明らかに一線を超えてオーバーランしており、司法判断されねばならないと考える。

 戦後憲法99条には、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負う」とある。この規定に拠れば、政治当局者は、何人も憲法遵守が義務付けられていることになる。つまり、憲法9条改正が持論の者でも、その改正前においては現行憲法を遵守せねばならないことになり、憲法でこのことが明記されているというところがポイントだ。

 れんだいこは次のように書き付けている。「本来であれば、この99条規定に基づく違憲訴訟裁判所が設けられるべきであろうが、そこまでの強行的規定にはなっていないようである。諸外国の憲法との比較で論じたいが、残念ながられんだいこにはその知識が無い。しかし、この規定は、行政当局者、公務員一般に対して強い義務を課していることには相違ない。ということは、行政当局者、公務員一般は何人も、この規定との緊張関係無しには業務出来ないのであり、国民はこれを監視する権利を得ている、というべきだろう。爾来、憲法学者はこのことを指摘してきたのであろうか」。

 してみれば、現行憲法下での小泉一派の自衛隊の軍事派兵は行き過ぎやり過ぎであり、法治国家の最高責任者としては大いなる不適格者ということになるだろう。という訳で、小泉―福田―安倍−川口―石破らは、直ちに検察の調査をうけねばならない。自衛隊の軍事派兵決定過程が調書に取られねばならない。憲法違反が認められれば訴追され収監されねばならない。

 ハト派の偉才鬼才角栄は容疑不鮮明なるも捕縛された。マスコミはこれを頻りに炊きつけた。ならば、こたびのような明々白々なるタカ派族の暴挙を如何にせんか。マスコミよまさかまさかだろうな。

 今や、かく闘争方向が提起されていると考える。れんたいこ党未だ3名なるも誰しも異存なかろう。党首はかく呼びかける。

 上が糾されざれば、下は順法しない。これが理屈であるぞよ。世には、やって良いこと、アバウトな面、してはならないこと、できないこととかあると思う。この分別無き者は人の上に立ってはいけない、右であれ左であれ。れんだいこはそう思う。




(私論.私見)