文鮮明の人身御供篭絡戦法

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和3).3.10日


 「ちゃぬの裏韓国日記」の【実話】日本人の女性信者を韓国政府高官の愛人として送り込んだ文教祖(1)」。
 私は統一教会の記事を5年以上書いていますが、調べても調べても統一教会の闇は深すぎてキリがありません。いつも思うのですが、統一教会の信者(特に日本人)は、統一教会の正体をどれほど知っているのだろうかと。私も全てを知っているわけではありません。しかし日本人信者は外部の(他者、ネット、マスコミ等)情報は上からの命令で遮断され、文教祖の語ったこともまともに読むことも許されず、韓国語の「み言葉選集」が約600巻発行されているうち、日本語翻訳を許可されたのはたった1冊(第55巻)のみ。現役信者が韓国語のみ言葉を読むと、文教祖の本音がバレるので日本語に翻訳できないのだろうということは、私が韓国語のみ言葉選集を読んでみてわかりました。まさに「裏情報(真の正体)の宝庫」です。こうしてカルトである統一教会は、極端に情報を遮断・隠蔽して、教会に都合のいい情報のみを信者に信じさせ洗脳していきます。

 例をあげると、韓国CIA(KCIA)のナンバー2に李哲煕(イ・チョルヒ)という人物がいましたが、文教祖は韓国政府の後ろ盾を得ようと、日本人の女性信者を李哲煕(イ・チョルヒ)の愛人として送り込みます。
ほとんどこのことは一般の日本人もあまり知らないでしょう。しかし実はこのことは文教祖もみ言葉で語っていますし、当時のマスコミにも大きく取り上げられています。ですが情報を知ったとしても日本人信者は、教会側から「嘘」または「反対派の捏造」として言いくるめられるだけでしょう。文教祖が権力欲しさに愛人を送ったのは、KCIA高官が初めてではありません。文教祖の隠し子である朴サムエルの祖父(崔聖模・財閥)に自分の妾(朴貞淑)を送り込んでいましたし、その後も、政治家たちに文教祖は秘書だけではなく、愛人も複数送り込んでいるのです。それもみ言葉ではっきり語っています。

 韓国の新聞で事件当時に報道された「KCIA李哲煕の愛人」についてのみ言葉。
 (※注意)下記のみ言葉中で、KCIA李哲煕と日本人信者(野島)とを結婚させたような表現になっていますが、実際は結婚式も入籍もしていない「同棲状態」だっただけです。韓国の幹部に命じて、当時、信者の間で美人で有名だった「野島登美子」を韓国政府高官の愛人として送り込みます。


 『(韓国キリスト教が統一教会に対して国家的反対をしてきたので)1974年のクリスマスの前日、1975年になる前に日本に行って、その時は情報機関(KCIA)次長だな。情報部(KCIA)次長を捕まえてきたのです。これが『野島事件』です。先日、新聞に出てたでしょう? これに戻るためには、国(韓国)が私の側に一つになったという基準を立てなくては戻ることができないのです。そのような意味で、そのとき崔昌林(※日本の在日、勝共担当。36家庭)が苦労しました。どんなことをしてでも(李哲煕次長)を捕まえるのです。捕まえて祝福をすることによって、情報部(KCIA)次長が先生を中心として、既成教会と戦うのです。既成教会がそのとき、どれほどひどいか、音が出ない銃があったら全員を撃ち殺したいような心情なのです。ちょうどその時です。そのような三角地帯が生じるときに、ぴったりそれに合わせるために情報部(KCIA)次長を捕まえてきて、その(KCIA)次長を結婚させるために、あらかじめずっと交渉して僑胞(在日韓国人)と結婚することができる承認を(韓国)大統領から受けたのです。ですから大統領がひっかかって入っていくのです。そうしておいて情報部(KCIA)次長を中心として統一教会と一つになるのです。その次に大韓民国と統一教会とが一つになり、その次に大韓民国とアメリカとを一つに作れば、すべて終わるのです』。
 (御言選集212巻「第8回愛勝日記念のみ言葉」1991年1月2日 韓国・漢南洞公館)

 文教祖は韓国政府高官の愛人(スパイ)として送り込んだ「野島登美子」を「ノンちゃん」と読ぶくらい、彼女のことをよく知っていたようです。
そのみ言葉です。このみ言葉は韓国や日本の幹部に語ったもので、このことはもちろん日本の幹部も韓国の幹部も知っていることなのです。

 『それから75年(中略)、韓国内で実体キリスト教と統一教会が衝突する。二つが衝突してね。真正面から。その時はちょうど韓国の政府がどういう立場かというと、既成教会と一つになったら大変だ。政府はイスラエル国のような立場にあり、キリスト教はイスラエル・ユダヤ教の立場にあり、統一教会はイエス様のような立場だった。ちょうどその途中、それを蕩減復帰しなければならなかった。それで、先生が、それは日本を中心としてね、韓国のノンちゃん、野島を中心として、それを結婚条件を組ませて、それで韓国政府を引っ張るようにする。ちょうどその時ちょうどキリスト教会が政府に真正面に反対して、これはもう危機に終わるような境地だ。その戦いを先生がみなやった。だから政府が完全に一つになって、これ既成教会を打つ方向になるんだね』
 (夕食後の先生のみ言葉 1986年1月2日 漢南洞公館)

 『ソウルまで攻略するために、政府と結んだのです。日本女性の野島と中央情報部(KCIA)ナンバー2である李哲煕を中心として一つに作って長老教(キリスト教)を握ったのです。政府と統一教会が一つになったため、長老教を越えて行ったのです』。
 (「文鮮明先生御言選集」388巻より)

 『アメリカで勝利したその基盤を持って韓国に来て接ぎ木をするのです。それを接ぎ木をするために…。現在の国家安全企画部、あの時は情報部(KCIA)だったでしょ? そこの副責任者を中心として日本の、誰だっけ、彼と結婚した食口(信者)? その情報部次長と私たちの日本食口(信者)と祝福をしてあげたのです。そうすればよくなるのです。日本と連結させて国家間を連結させなければならないのです』。
(御言選集208巻「洪順愛大母・昇華一周忌追慕礼拝のみ言葉」1990年11月21日 韓国・坡州元殿)

 女性を権力者の情婦として送り込んで利益を得ることを韓国では「性上納」と呼んでいます。文教祖は自分の野望のために、女性信者を性上納の道具に使ったのです。まさに鬼畜です。新聞記事によると女性信者「野島登美子」は、KCIA李哲煕との間に息子を生み、(※たぶん文教祖のため=摂理のために)李哲煕に対して最後まで結婚して欲しいと懇願していたようですが、結局は李哲煕に捨てられ、李哲煕は別の韓国女性と結婚してしまいました。
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 このことは、日本では成澤宗男著「統一協会の犯罪 霊感商法と勝共連合(八月書館・1990年10月発行)」で述べられています。(ネット上の韓国語サイトを日本語に翻訳しましたので、本書と表記が異なる部分があるかもしれません。間違いがあれば、ご指摘ください。)
 http://cluster1.cafe.daum.net/_c21_/bbs_search_read?grpid=1AV9l&fldid=3XWE&datanum
=104&openArticle=true&docid=1AV9l3XWE10420090814212524


 『1982年5月28日から6月1日にかけて、韓国の臨時国会は、「建国以来の大型詐欺事件 張令子・李哲煕スキャンダル」事件を審議していた。全斗煥大統領(当時)の妻の叔父イ・ギュグァン。鉱業振興会社社長(当時)の妻の妹の張令子が、夫である李哲煕KCIA前次長補と共謀して、2600億ウォン相当の手形を不渡りをだしたという「スキャンダル」である。「スキャンダル」の審議は別にして、特記したいのは、臨時国会の開始時、法務長官によって発表された最終調査報告書に野島登美子が登場するという点である。張令子と一緒に逮捕された李哲煕前次長補が、張令子と結婚する前の75年から76年にかけて在職中、「ノジマ・トミコ」という日本人女性を情婦として、彼女と同棲をしていたという。「ノジマ・トミコ」という名前は、言うまでもなく野島登美子を指す。統一教会の女性信者が、KCIAの次長補まで上った幹部の情婦だったという事実は、私たちにとって「張令子という女性のスキャンダル」以上の興味を引くことは、著者が接触した統一教会の中心で活動した経験があった退会者の証言によれば、野島は文鮮明氏によって李哲煕に「性上納」したという。文鮮明という男の本性を如実に示す一例ということができる。野島は、いわば統一教会とKCIAの結託を示す生き証人と見てもいいだろう。さらに、著者が調べた韓国統一教会の脱退幹部の証言として、統一教会を保護したKCIAの担当者こそ、この李哲煕に間違いないという。著者は、すでに「社会新報」(日本メディア)84年4月3日号に、野島登美子と李哲煕の関係を報道したが、統一教会側はいかなる反応もなかったということを付言しておく』

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 現役信者の皆さんは、これを事実と受け止められますか?そして統一教会のために政治家の愛人になれますか?文教祖は「(文教祖・統一教会のために)政治家の妾(愛人)になれ」と述べており、「現在も政治家の愛人として活動している女性信者がいる」と述べています。すぐに誤魔化しましたが・・・。

 『さて、女性たちは女性なので小銃の中でも一番軽いピストルを一つずつ与えたらいいのですが、女性に大砲を任せたといって私を嫌いだということができますか? それでは、女性に対して「スパイせよ」といって文総裁のたまわく「ソ連のゴルバチョフのところに行って秘書官のフリをしながら妾(愛人)になれ」といったらどうしますか? 妾(愛人)になって彼を溶かしなさいといったら...。(笑)女性たちは一度答えてみなさい。一人を地獄に送って50億の人類を解放するとすれば、神様は商売するかもしれませんか、しませんか? そんな時は、神様も商売する方なので、一人を犠牲にしてでもやるのです。こういう風に犠牲になろうが、ああいう風に犠牲になろうが同じではありませんか? 本来アベルが行く道は犠牲の道です。そんな道もあるのだなあと思って行かなければいけません。』(御言選集175巻「切実なみ旨の道」1988年4月24日 韓国・本部教会)

 『水に落ちて死にそうな人を生かすために、自分の妻がきれいに着ているスカートを脱いで、それを裂いて紐(ロープ)を作ったのですが、それでは足りなくて下着まで脱いでつなげて、それでも足りずに、はいていたパンティーまで脱いで、妻が水に投げ込む紐をつくることは、人を生かすのは律儀なことです。そこで自己自身の羞恥心を凌駕して...。そんな夫であれば「あれはなんなんだ?」と言うでしょう? 私たち統一教会の女性は、その次に脱ぐものを準備しなければなりません。(笑)あ、本当にですよ。そのような訓練が必要なのです。先生が必要だと言うときは、金日成の嫁として嫁ぎなさいと言えば行かなければなりません、仕方がありませんよね? 行きますか、行きませんか? (「行きます」)では私(※文教祖)が祝福をしてあげながら、夫がいるにもかかわらず「行け」と言って(北朝鮮に)送ったらどうしますか? どのようにしますか? (「お父様の御心(※み旨)どおりにしなければ」)お父様の御心はどんなお父様の御心! 皆さんがお父様の御心なのか、何なのか分からないではありませんか。(笑)そのように言ったらどのようにしますか?私が皆さんを売り飛ばしたら、どうしますか? 国のために売り飛ばし、世界のために売り飛ばすときは、それは貢ぎ物ですよね。公的な生活として悲惨に引き裂かれた場合には、万民が、4000万が、彼(彼女)が死んだ日を記念するというのです。一生のすべての貴重なものを、生活をすべて破壊して、一身を全て肥やしとして身をおけば、それは悪いものではなく、聖女として扱いを受けるというのです、反対に』
(御言選集181巻「国の根と郷土愛」1988年8月28日 韓国・漢南洞公館)

 水でおぼれた人を助けるために裸になることと、裸になって一線を越えること(愛人工作)は同じように素晴らしいことであり、そのための訓練が必要である述べています。さらに政府高官の愛人になることは「聖女」「英雄」扱いされるとこだと文教祖は述べています。

 『この女性たち(※女性信者)を中国に連れて行って売り飛ばしたらどうしますか。(笑)売ったら売られて行きますか、行きませんか? (「売られて行きます」)さっき間違いなくすると言ったでしょう? (「はい」)売られて行きます。それではロシア人に売るといったら、どうしますか? 間違いありません。日本人のように体格が小さい男性と一緒にいるよりも、大きく牛のような男性に抱かれて一つになって、お互い愛したら、歴史に記録として残るのです。そうしてみたくありませんか? (「やってみたいです」)先生が聞けば、言葉ではやりますといいますが、本当にやるのかと誰かに聞くときには逃げるでしょう。それでも行くなら、皆さんは先生に勝った結果になるのです。それは心配しなくてもいいのです。(笑)たまに 「ああ、蕩減復帰のために...!」といって、その国のために売られていって、今もそこでスパイ活動を熱心にしている女性がいます。特別なそのような使命を持っている人は多くはありませんが、たまに見ればいるかも...。(笑)その次は、皆さんが答えてみてください。いるかも? (「知れない!」)』
(御言選集224巻「時を知れ」1991年11月23日 韓国・中央修練院)

 文教祖は政府高官への愛人工作(性上納)をしろと、信者を洗脳する鬼畜教祖なのです。

 『今、何をしているのか知らないでしょう? 南洋のジャングルの中で日本の女性たちを訓練しています。スパイ工作をする以上の訓練をしています。それは準備しなければなりません。先生の命令によって何かをしている人たちが今でもいます』
(「真の御父母様の生涯路程11」より 日本の女性宣教師の派遣)文教祖はこのように、自分の欲望を達成するために、宗教の教義を装って信者を奴隷化(ロボット化)していきます。(良心や常識を麻痺させる)

 「日本人の女性信者を韓国政府高官の愛人として送り込んだ文教祖(2)」へ続く

 【実話】日本人の女性信者を韓国政府高官の愛人として送り込んだ文教祖(2)」。「日本人の女性信者を韓国政府高官の愛人として送り込んだ文教祖(1)」の続きです。
 ■777双に入るはずの信者の間では有名な女性信者(野島登美子)の姿がない

 文教祖は韓国政府の庇護を受けようとKCIAのナンバー2に日本女性信者を愛人として送り込みます。(詳しくは(1)をお読みください)文教祖によって韓国のKCIAナンバー2に愛人として送り込まれた女性信者を知っているという元信者(777双)の記事を紹介します。
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 ◆決断のきっかけ 一通の文書

 実は、このブログを始めて過去のことについて会話を持ったとき、妻がふと漏らした言葉に、彼女がUCから距離をおく決断をする一番のきっかけについて、やはりそうだったのかと確認させられることになりました。私は、“統一原理”を聴き始めたときから20年近く、UC組織の中で与えられた活動に従事しつつも、常に心の内は煩悶が終わることがなく、UCが変化して行くにつれて葛藤は拡大し、自然にひとつの結論に収束していきました。しかし、妻は、生来素直な性格で、物事の裏表を詮索するタイプではなかったため、UCの行き方に、当初自分が信じた方向性とのズレを感じ始めていたものの、私ほどには決定的な段階には至っていませんでした。むしろ、扱いの難しい私との付き合いに日々エネルギーを使っていたと思います。ですから、ホームチャーチということで、経済自立に傾いていく私を、信じて受け入れようと努めたのでしょう。その表れが、馬券への1000円の投資でした。もちろん当たるとは思っていなかったでしょうが。そんな妻でしたから、私が、組織内でなんとか役割を見つけ、後方支援を託せば、それはそれなりに頑張ったと思います。しかしまた、不正直な“万物復帰”に対しては、私以上に抵抗感をもっていましたから、経済的な面ではホームチャーチが受け入れやすいということはあったと思います。そのような私たち夫婦が岐路に立ったとき、一通の私文書に出会うことになりました。

 ◆そこに書いてあったのは

 それは、世界日報事件のほとぼりがまだ冷めやらぬ頃でしたか、ひとりの兄弟食口が私に会いたいといってきました。もう私より先にUCに見極めをつけ、自分で事業を始めていました。それで事業拡大のために一緒にやらないかと誘いをかけてきたのです。その話し自体は私には合わないと思い断りましたが、一通りビジネスについてのやりとりが終わったところで、彼は、「この話、知っていますか」と、紙袋の中から数枚の手書きの紙を取り出し、読んでみるよう勧めてくれました。そこにはいわゆる「血わけ」についての記載がされていたのです。彼がどのようにして、その事に関心を持つようになったかは、聞いたとは思いますが、忘れてしまいました。彼は、「コピーだからいいですよ」と紙を渡してくれましたので、持ち帰りましたが、残念ながら、現在それは持っていません。その後の歩みの中で二度と触れたくない思いがあったため破棄してしまったのです。今となっては貴重な資料だったようにも思いますが、昨今のブログ記事を見るとそれよりもはるかに詳しく、具体的な情報があふれていますので、用はなくなったともいえるでしょうね。

 家に帰った私は早速、兄弟食口の手書きの文書を妻に見せました。言葉がありませんでしたね。私は祝福のとき以来、ずーと思考を続けていた仮説が想定どおり現実のものであったと確認できただけですが、妻はまるで別世界に放り出された思いだったでしょう。しかし、私が考えていたことを段階を追って説明していくと、いちいち腑に落ちるようで、文書に書かれた内容に違和感なく、自然な思いの中で事実として受け止められていく様子がうかがえました。私たちが自立の道を歩み始めるとき、経済のこととか、子育てのこととか、色々話し合って結論を出してはいましたが、妻にとっては、このことを知ったことで、UCから心が完全に離れていったということですね。ブログを進める中で、過去のUCでのできごとが話題になり、その中であらためて確認できたことでした。

 ◆かすむ日本UCの会長という立場

 それで、兄弟食口の文書の中味です。そこには、“実体での血統転換”があったのかどうかについて、彼が一生懸命調べたことがまとめられていました。彼は韓国に何度も足を運び、先輩家庭を尋ねながら事実を確かめていったようです。その結果、確信を得て日本に帰り、12双を始めとして何人かの幹部に聞いてまわったのですが、そこでは十分な返事は得られなかったということです。そこで、最後に訊ねたのが三役事といわれる老婦人です。以前ブログで話題にしたO山のお父さんの妹Mママは有名ですが、それ以外にHママ、Kママがいらっしゃいました。そのお一人から「それを知ったらそこからどう受け止めるかが新たな信仰の始まりですよ(言葉は多少違うかもしれませんが)」とはっきり肯定されたそうです。さらにそこには、久保木会長夫妻が(“実体での血統転換”を)受け入れなかったことも記されていました。この“実体での血統転換”の問題、私自身は自分のうちではすでに777の祝福のときからテーマにして考えてきました(その過程についてはまたお話します)。しかし、具体的な証言を得ていた訳ではありません。それがこの兄弟食口から受け取った一文で自分の考えの筋道が裏付けられてしまったのです。それだけにそんなに違和感はありませんでした。そして、久保木会長夫妻の件については、世界日報事件に関連して、なるほどと思ったことがあります。因みに、久保木会長夫妻が受け入れられなかったことについて、その後、夫人が信仰的に幼かったからだと、まことしやかな噂を耳にしましたが、夫人は「大和なでしこ」の鑑のような人で、信仰がどうのこうのというより、夫である久保木会長以外の男性とそのような関係を持つことなど夢にも考えられなかったでしょう。また、久保木会長自身も夫人がそのようなことを受け入れられる人ではないことは良くご存知のことだったと思います。これが、失敗とされた“空気銃の摂理”以上に、“エバ国日本”の本質的な失敗とされたのでしょう。その見方については、また時機を得て考えたいと思いますが、内容が内容だけに、UCにおいて今後も公式的に認められることはないでしょう。

  ――なお、どのサイトだったか、久保木会長のお亡くなりになる直前のことが書いてありました。それによると、1か月前頃から、法華経の読経をされていたそうですね。それは若き頃、引き上げた日本で最初に出会った人生の道標だったのでしょう。その後、身と心を捧げた“統一原理”と“文開祖”は人生の幕を降ろす時機(とき)にはもはや別世界に消え去っていたのでしょうか。起き上がることができなくなり、経本も開くことができなくなると法華経を諳んじていらっしゃったということですから、人生の最後に久保木会長の心の世界で共にいたのは、先駆けてUCに飛び込んだ、立正佼成会青年部長だった小宮山さん、その立正佼成会から自分と共にUCに参加した若者たちだったのかも知れません。そして西川先生を始めとする“文開祖”来日前のUC草創期の食口たち、自分が守ってやれず命の危険に晒させてしまったS島さん、人生のすべてを通して、一言も抗うことをせず(実体の血統転換を除いては)自分について来てくれた夫人、そういう人々だったのでしょう。そしてまた久保木会長の一年後にお亡くなりになる年老いた庭野日敬氏に、「先生、申し訳ありませんでした」そして「ありがとうございました」と手を合わされていたのではないかと思います――

 それでは世界日報事件と、どうして関係があると見たかについてお話します。あの時、S島さんは、久保木会長が自分たちの思いを分かってくれていると考えていたようです。ですから、自分たちが非常手段をとった時、UC組織(特に文開祖)へのとりなしを久保木会長がやってくれるのではないかと期待していました。ところが、久保木会長にはもうその力はありませんでした。直接ではなく、F田さんを通して、文開祖の強い怒りが久保木会長に伝えられてきたのです。しかし、久保木会長は何ら動いてはいません。K栗さんが、その文開祖の怒りに対して、自分が責任を持った立場でバリケードを突破し、世界日報を“正常化”したということです。では、久保木会長が何も責任を感じなかったかというと、それも違うでしょうね。むしろ、もはや自分は日本UCの御輿に過ぎず、文開祖の信任を受ける立場にないこと、日本の幹部たちもそう思っており、文開祖の方針の下では幹部たちも自分の会長としての役割を認めるけれど、文開祖の方針からはずれるものであれば、自分が何をいったとしても聞く耳をもたないことがよく分かっていました。いわば外部向けの看板ではあっても、ラインの長ではなくなっていたんです。つまり、世界日報事件の時の久保木会長の影響のなさは、UCの霊的組織面においてはアベルたる位置ではなくなっていたことを如実に示していました。それが何故なのかということですね。

 ◆そんなことまで

 兄弟食口の文書にはあと一つ、情報がありました。本当は私も触れたくない内容で、お話すべきかどうか迷いに迷ったのですが、公になった事件の中にその存在が明らかにされ、すでに報道がされており、事件から40年の時を経て、風化も進んでいると思われますので、UCの本質を明らかにするために触れることにしました。

 777の中には私を始めとして名もない(本当にそうですよ、そういうメンバーも入ったということです)食口も多かったのですが、中には誰もが知っているような有名で、目立つ食口もいました。そういう食口の場合、マッチング(当時はまだこの言葉は使っていなかったと思いますが、分かりやすいのでこれにします)のあと、「ねえ、○○さんの相手誰?」なんてことで盛り上がっていました。ところが、その中に当然いるはずの超有名なエバさん(女性食口)がいないのです。そして、私たちの世界から忽然と姿が消え、その後二度と日本UCの活動の中に現われることはありませんでした。UCの場合、誰かいなくなったときの常套句が、“堕ちた”、つまり離教したということです。でもその場合は、いずれ風の便りにその事実が伝わってきていました。ましてや彼女は超有名食口です。そうですね。今時のアイドルでいえば、ちょっと『剛力彩芽』似でしたか(あ、剛力さんはUCとはまったく関係ありませんので、お間違いなく)。ですから、誰もが関心を持つ人で、離れたとすれば、すぐ伝わっていたでしょう。離れたとは考えられませんでしたね。それからもう、十数年の時が経っていました。そんな時にその兄弟食口の文書に彼女の名前が登場してきたのです。なんと韓国政府高官の愛人になっていたということなんです。そういえば、文開祖が“韓国の男は日本の女を愛人にすることが夢なんだよ”といっていました。それを聞いたときは、それは、気持ちの問題をいっているのであって、まさか本当にそういうことをするとは・・・。信じられない思いとはこのことでしょう。

 でも、私が知らないだけだったのかもしれません。あの、金大中事件に関連して、韓国社会では事件調査の結果報道の中ですでに明らかになっていたんですね。ブログを始めたときのネット渉猟で初めて知りました。そこには次のように書いてありました。「この方の名前が再び公になったのは、KCIA次長補李哲煕(あの金大中事件の首謀者の1人、公に金大中事件はKCIAが起こしたと述べた、また、KCIAの部長、次長は政治的な判断で役職につくことになるので、次長補は現場の総取締役の立場)に関して韓国の内務省が国会に報告書を提出した中にこの李哲煕の「愛人」としてこの方の名前が出されていたのです」。なんでこういうことができたのでしょうか。この類のことは、私の中では権謀術数の入り組んだ歴史小説や、「忍法くノ一」などというフィクションの世界のイメージでしかありませんでした。そういえば何年か前、女優の長澤まさみがNHKの大河ドラマ「天地人」で真田一族の娘として、「功名が辻」では甲賀出身の忍びの娘でそういう役を演じてました。しかし、それもドラマの話しです。実話で身近に起こっていたとは・・・。

 どういうことか、色々考えてはみました。昔から一家の窮乏を救うため、わが身を売る女性の話は多々ありました。現代においても、女性スパイの話題がニュースネタになったりしています。しかし、“統一原理”を知り、性に対して極めて潔癖な信仰の道に深く入り込んだ女性が、どうして「くノ一」的なことを受け入れられるのか、理解に苦しみました。皆さんはどう受け止められるでしょうか。彼女が信仰が深く、“み旨”のため、わが身を捧げたのでしょうか。

 ◆切迫する北朝鮮再南侵危機は確かにありました

 時は’70年。東アジア情勢は風雲急を告げていました。60年代に顕著となった中ソ対立は、`69年にダマンスキー島の領有権をめぐり起きた軍事衝突でピークを迎えます。この間、中ソの間でどちらの側につくかで振れていた北朝鮮は、「主体思想」を掲げて民族主義的な国家運営に傾き、南北統一を強く目指すようになります。そして、次第に開く南北の経済格差に焦りを感じ、ついに‘68年に韓国大統領府青瓦台襲撃未遂事件まで起こしました。一方韓国では、すでにブログでご紹介したとおり、北朝鮮の武力南侵、中ソの拡大路線の危機の中で国論は二分三分していました。このような韓国内外の状況の中で勝共が組織されたことはすでに見てきていただいたとおりです。

 しかしながら、勝共は国策に沿う形で組織されているため、韓国内においては必ずしもUC(文開祖)が主導権を握ることができている訳ではありません(UCは“教会史”で表現されるているものより、実態ははるかに脆弱な、スキャンダラスな組織でした)。ここで文開祖が必要としたのは、韓国政府内で力をもっている人物です。もちろん古くからの食口の中にそうい人物がいれば、いいのですが、いませんでしたね。よくネットでは朴普熙氏のKCIAつながりの話しが出てきますが、人的関係はあったでしょうが、アメリカ駐在武官であった彼に、当時それだけ政府上層部まで影響力があったとは思えません。今でこそUC内で最高位といえる地位にまで上りつめましたが、彼が影響ある存在となり始めたのは、文開祖一家が渡米し、アメリカ政界へのロビー活動で重要な役割を果たした頃からでしょう。当時の韓国内の幹部たちは、「朴さん?・・・」「英語はできますが・・・」という感じでしたし、李ヨハネ先生などは「朴さんの信仰観と私たちのものとは違いますね」と言っていましたから。

 それではどうやって、韓国政府内に影響力を持つ人物を掴むかです。そのために使われた手段が、歴史開闢以来使い古された、愛人をあてがい篭絡するという手だったのでしょうか。しかし、どうやって愛人になれたんでしょう。高官がUCに日本女性の愛人斡旋を頼み込んできたのでしょうか。それにUCが応えたのでしょうか。そしてまた、彼女が“み旨”として受け入れたということでしょうか。この設定どうしても無理があると思いませんか。それでもし“摂理”が進むとしたら、そんな“摂理”なんかクソ食らえです(すみません、頭に血が上りすぎておもわず、汚い言葉遣いになりました)。

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(1)を読んだ方は分かると思いますが、文教祖の指示で李哲煕と野島登美子をセッティング(根回し)したのは、36家庭の崔昌林(別名:崔容碩)です。崔昌林は当時、日本の民団(在日韓国人)および勝共担当でした。李哲煕と野島登美子の出会いは、新聞記事によると「1975年、李哲煕が日本に出張に行った際に、李哲煕の日本人の友人の酒の席に招待され出会った日本女性「野島登美子」を誘惑し欲望を満たすのに成功した」とあります。(京郷新聞1982年6月1日)
この記事中の「日本人の友人」というのが、36家庭の崔昌林ではないかと思われます。

まだ続きます。


<自分の欲望(利権)のために女を売り飛ばすとは文教祖はまさに鬼畜だな、と思った方はクリック!>

 https://ameblo.jp/mikan-ha417/?frm_id=v.mypage-ameblo--myblog--blog 
”統一教会のマイコン(洗脳)はマギル大学開発の「感受性訓練」カリキュラムだった!驚愕の真実?!” 
https://ameblo.jp/mikan-ha417/page-2.html 
第078回国会 外務委員会 第4号<統一教会関連だけど信者には伝えられていない 

https://ameblo.jp/mikan-ha417/theme16-10069645552.html 
統一教会「「真実」」のあの映像はこれ以上ないような言い分け!多くの大会は全てハッタリ! 

>フレーザー・レポートは、文鮮明組織の初期の歴史を次のように語っている。一九五〇年代後期に、英語の上手な四人の若い韓国軍将校が文鮮明のメッセージを好意的に受けとめた。この四人はみな、あとで一九六一年以後の韓国政府(朴政権)との重要な接点となる。ひとりはパク・ポヒで、彼は一九五〇年に韓国陸軍に入隊した。ハン・サングクは…… 一九六一年のクーデターの主導者でKCIAの創設者キム・ジョンピルの個人的補佐官となった。キム・サンギンは、一九六一年に韓国陸軍を退職してKCIAに入り、一九六六年までキム・ジョンピルの通訳をつとめた。一九六六年に(キム・サンギンは)KCIA将校の地位にもどり、後にメキシコ市のKCIA部長となる。彼はパク・ポヒの親友で、統一教会の支持者だった。第四の人物ハン・サンギルは、一九六〇年代後期に、ワシントンの韓国陸軍の大使館付武官であった。行政部のレポートも、彼をKCIAと結びつけている。韓国政府の勤務をやめたのち、ハンは文鮮明の個人的秘書兼、文の子どもらの家庭教師となった。一九六一年のクーデター直後、キム・ジョンピルはKCIAを創設し、新政権の政治基盤の構築を指揮した。CIA(アメリカ中央情報局)の、一九六三年の未評価の報告は、キム・ジョンピルがKCIAの長官だったときに統一教会を「組織し」、以来統一教会を「政治的道具」として使っていると述べている。 

https://ameblo.jp/mikan-ha417/entry-12200272539.html 
米国務省韓国部長ドナルド・レイナード証言<組織を知るための参考として 







(私論.私見)