北の湖2、協会理事時代


 (最新見直し2015.11.30日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「北の湖2、協会理事時代」を確認しておく。

 2015.11.30日 れんだいこ拝


 れんだいこのカンテラ時評№1279  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年11月28日
 北の湖理事長急逝考

 ここで、北の湖理事長急逝考をものしておく。冒頭で、力士北の湖、親方北の湖、理事長北の湖の急逝に心から追悼、合掌。

 2015年11.20日午後6時55分、相撲取組のNHK中継が終わるのに合わせたかのような時刻、「昭和の大横綱」にして日本相撲協会現役理事長の北の湖(本名/小畑敏光)が福岡市内の済生会福岡総合病院で急死した(享年62歳)。理事長在職中の死去は1968年の時津風理事長(元横綱双葉山)の逝去以来である。理事長が本場所中に急逝するのは前例がない。この経緯を確認しておく。

 北の湖は初日から連日、福岡国際センターの役員室で報道陣との囲み取材に応じていた。そのやり取りを窺うのに協会トップとしての自負に満ちた発言が続いている。今から思うのに、特段のイザコザもなく北の湖体制の絶頂期を迎えていたのかも知れない。11.13日、九州場所6日目、早くも全勝は休場明けの横綱白鵬ただ1人、1敗で7人が追う展開となった。北の湖は今後の賜杯レースについて次のように言及した。「(白鵬の)逃げ切りでしょう。危ない相撲もないし、先場所、今までになかった休場を経験している。プライドがある。他の横綱もついて行けない。よほどのことがない限り連敗もしないでしょう。優勝確率80%」。

 11.17日、九州場所10日目、白鵬-栃煌山戦に白鵬が二度の猫だましを繰り出し得意の右四つに組み止めて寄り切った。(「猫だまし」は、立ち合いの際、相手力士の眼前で手を叩き目をつむらせる技で、体の小さな力士や番付下位の者が上位者に使う奇襲戦法である)その取り口に対して、「(猫だましを)やるってのは、なかなかありえない。やられる方もやられる方だけど、やる方もやる方。横綱としてやるべきことじゃない。横綱がやるのは前代未聞なんじゃないの? 拍手がないじゃない。お客さんはどう見ているか分からないけれど。しかも横綱だから、負けていたら笑いものだった。白鵬はせっかく全勝で走っても、これではいい感じに見られない。みんな(モヤモヤした)気持ちが残っちゃうでしょ? 横綱はそういう風に見られちゃだめ」と苦言を呈した。これは、北の湖が現役時代、「1978年1月、大関三重ノ海の立ち合い時の奇手猫だましに動じず」そのまま押し切った経緯を踏まえての薀蓄であった。

 11.19日、白鳳が9年連続の年間最多勝を決めると、「立派だが他の横綱は何をしているのか」とコメントしている。北の湖は朝青龍然り、白鵬然りで、両者を名横綱と称えた上での愛情のこもった辛口批評を遺している。それにしても、「朝青龍-白鵬」戦をもう少し見たかったのは、れんだいこだけだろうか。朝青龍の相撲の切れ味は史上天下一品の国宝級のものだった。それを見れなくすることに精出した杉山アナ、中沢アナ、やく何とか、チンくしゃみの正義弁が許し難い。

 北の湖理事長は、急逝の1週間前から各部署へ事細かな指示を入念すぎるほどに出していた。第二次北の湖理事長時代、好取組が続出し相撲人気が盛り上がっていた。九州場所の18年ぶりの大入り2桁が確実で満員御礼の波を引き寄せていた。北の湖理事長は「来年も流れに乗りたい。何といっても魅力のある相撲。拍手の続く相撲。これでしょう」と力士の奮闘を称え、再び相撲ブームが訪れていた。

 その北の湖理事長が、19日夜、持病の貧血の症状を訴え、20日朝に救急車で福岡市内の済生会福岡総合病院に運ばれて入院した。点滴治療などで容態は安定した。昼過ぎ、日本相撲協会が、「血圧が低くて病院に行った。14日目以降の職務復帰については回復次第で判断する」と発表した。北の湖部屋関係者は、「意識はしっかりしている。昼過ぎまでは病室で今後の業務について思案していた」と証言している。かく容態が安定していたが夕方になって急変、急逝した。やましいことがなければ隠すこともなかろうに、この時の担当医師名が明らかにされていない。よって医師による経過説明が一切ない。司法解剖にも付されていない。既に記したがご丁寧なことに病院名までが伏せられている。これは相撲協会理事長職たる者に対する冒涜ではないのか。

 北の湖理事長が死去した病院には50人を超える報道陣が詰めかけた。その誰一人として病院ないしは担当医師の所見を聞き出す取材をしようとしていない。これも不自然過ぎる。午後8時半頃、出来山広報部長(元関脇出羽の花)が「理事長も無念だと思う」と話した。理事長代行を務める八角親方(元横綱北勝海)、審判部長の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)は無言で病院を後にした。病院に駆けつけた山響親方(元幕内・巌雄)によれば、最期に言葉を発することもなく息を引き取ったと云う。千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)の目は真っ赤に腫れあがっていた。福岡市内にある北の湖部屋の宿舎前にも大勢の報道陣が詰めかけ、応対した序二段の北斗龍は言葉を詰まらせながら「頑張ったと思う。(これ以上は)察していただければ」と語った。

 11.20日夜、玉ノ井広報部副部長(元大関・栃東)が件の病院で報道陣に対応し、涙を浮かべて言葉を詰まらせながら次のように語っている。「死因は直腸がん。多臓器不全。容体が急変しました。きのう(19日)も元気に公務をこなしていた。いきなり、こういうことになって残念。何とも言えない」。しかしそれにしても玉ノ井広報部副部長ではなく何で医師が説明しないのだろう。広報部発表の死因説明では死因が定まっていないと受け取るべきだろう。

 大まかではあるが北の湖理事長の急逝経緯は以上である。れんだいこはこれを変死事件しておく。真性の容態急変による病死の場合もあろうし、点滴や注射等の医療ミスによる容態急変致死の場合もあろうし、治療に名を借りた毒殺事件の場合もあろう。今は判定不能故に変死事件としておく。こう態度しておくのが正解で、マスコミの病死報道は犯人側が裏から手を回した作為の虚偽報道と心得たい。

 北の湖理事長急逝に対し、「理事長は白鵬に殺されたようなものだ。『猫だまし』の参列はお断りします」なる弁がなされている。名横綱に間違いなく、その職責を十分に果たし続けている白鵬に対する濡れ衣冒涜であり許せない。大阪中1事件に於けるY容疑者仕立と同じ臭いのする犯人すり替えである。胸糞が悪くなるこういうへんてこりんな評論が意図的故意に流され過ぎている。
 天才的な頭脳で相手の取り口を見抜いていた北の湖理事長。その眼力のすごさを本場所中、私を含め相撲記者は、毎日のように実感していた。 記者は本場所中の15日間、幕内の取組が始まると、理事長室に集まりテレビを見ながら北の湖理事長から取組の感想を聞くことを許されていた。2012年の理事長復帰後からは大関戦からになったが、その確かな分析は驚きの連続だった。「鶴竜は、突っ張った後に必ず右に動く」。「きょうの稀勢の里は、仕切っている形がいい。期待できますよ」など、力士の特徴から立ち合い前の形、さらには控えでの表情から調子の良し悪しを予測。これが、ズバリ、当たるのだ。 時には、取り口を詳細に予想し、その通りの展開になることもあった。あまりの的確さに記者が感嘆のため息を上げると、どや顔でほほ笑み、「言わん方が良かったな」とちゃめっ気たっぷりに片方の手で口を抑えた。 また、一瞬で勝負が付いた一番を「差しに行こうとしたのが良くなかったな」と指摘。ビデオが流れると、まさにその通りに力士が動いている。素人では、分からない瞬時の動きを見極める眼力。それは、まさに寸分違わないものだった。

 伸びる力士を見る目も確かだった。最近で忘れられないのは、昨年の名古屋場所だ。東前頭6枚目だった照ノ富士の取組を見て「この相撲は、いいですよ。力がなければ、こんな相撲は取れません。もしかしたら、来年の今頃は大関の声がかかるかもしれません」と断言したのだ。その通り、照ノ富士は、今年の夏場所で初優勝し名古屋が新大関場所となった。すごいというよりすさまじいほどの眼力。「どうして、分かるんですか?」と聞くと「分かりますよ。ずっと、見てきてますから。見てれば分かりますよ」と平然。1985年初場所の引退から30年近く経っているのに、この分析力。これが現役時代だったら、どれほど研ぎ澄まされていたことだろう。優勝24回の大横綱のすごさを本場所の理事長室で肌で感じることができた。理事長は亡くなる前日の11月19日、九州場所12日目まで記者の囲みに応じていた。それは、記者を通じて多くの方々に相撲のすばらしさを知って欲しいという熱意だったと思う。理事長が亡くなった今、あの理事長室での囲み取材は相撲記者として最高に幸せな時間だったと心の底から思う(2015年11月30日、スポーツ報知「【元番記者が語る北の湖理事長】(8)「見てれば分かりますよ」すさまじい眼力」)。

 相撲を取材する前まではひとつの都市伝説かと思っていたが、正真正銘の本当だった。本場所中に現役時代の話になると、対戦相手はもちろん、すぐに年と場所、さらには何日目かを即答。例えば、土俵で珍しい決まり手があると「オレもあったな。あれは」といった感じで、すぐに出てくるのだ。

 中でも忘れられないのが2012年九州場所9日目、日馬富士と豪栄道の一番だ。日馬富士の足が俵から出たと勘違いした湊川審判(元小結・大徹)が「勝負あり」と手を上げて、立行司の式守伊之助が2人の動きを止めてしまうハプニングが起こった。審判団は協議の結果、「やり直し」と発表。勝負を立ち合いからやり直す前代未聞の一番となった。

 この時、理事長室で北の湖理事長は「審判は四つに組んだまま、相撲を止めて確認しても良かった」などと見解を明かした。そして、こう明かしたのだ。「オレも高見山とこういうのあったからね」。記憶になかった私は「いつですか」と問うと「昭和50年の名古屋、初日だったな」とすぐに返ってきたのだ。

 この高見山との一番は当時も確かに「誤審騒動」として話題になった。はたかれた北の湖が手を付いたとして行司が軍配を上げ、高見山が力を抜いてしまう。しかし、北の湖はそのまま寄り切り物言いが付いた。11分もの長い協議の末、取り直しとなり北の湖が寄り切りで勝つという内容だった。

 「あの時は、協議が長くてな」と苦笑いを浮かべたが、聞いている私は、すぐに自分の相撲を明かした理事長の記憶力のすごさに驚いた。自らの相撲をすべて覚えているということは、対戦相手別の勝因も敗因も完全にインプットされていることを意味する。天才的な記憶力を生かして、相手との作戦を立てていたのだろう。理事長から聞く現役時代の話を聞くたびに優勝24回の偉業の秘密を垣間見たような気がしていた。

 抜群の記憶力という意味でスポーツ報知の先輩相撲記者から聞いたエピソードも忘れられない。理事長は、携帯電話の電話帳登録は0件。着信画面出た下4ケタを見ただけで、相手が誰か分かったというのだ。天才的な記憶力。すべてにおいて別格な横綱であり理事長だった(「【元番記者が語る北の湖理事長】(9)抜群の記憶力「現役時代の相撲は、全部覚えている」)。


【北の湖理事長履歴考その6、第一次理事長時代の経緯】
 引退後は一代年寄「北の湖」を贈られた。所属していた三保ヶ関部屋には既に三保ヶ関の長男である増位山太志郎が部屋の後継者となることが暗黙の了解となっており、引退後の北の湖は独立し新部屋創設が規定路線となっていた。同年11月、三保ケ関部屋から独立して北の湖部屋を創設した。同じく一代年寄である大鵬の大鵬部屋(現大嶽部屋)と同じ江東区清澄にあり、両部屋の距離は約50mの近さ。面する通りは「横綱通り」と親しみ呼ばれている。

 現役引退後にはNHKの大相撲中継の解説を度々務め、また報知新聞社専属評論家を務めていたこともある。引退2年後、日本相撲協会の審判委員に抜擢された。
 1988年、監事(現・副理事)として審判部副部長などを務める。
 1996年、理事に昇格。
 1998年、協会ナンバー2といわれる事業部長に就任。

 2002年2月、第9代理事長就任。戦後生まれとして初めて協会トップの座についた。
 2005年5月、二子山が死去した後は翌年初場所まで事業部長兼務。
 2006年、2月、理事長3期目を迎える。協会の事業部長に二所ノ関一門の先輩理事を2期据えてきたが、3期目は同じ出羽海一門の武蔵川を事業部長にした。実績不振に陥っている巡業を強化するため、2期目まで監事2名だった巡業部副部長を契約推進担当(高田川)を含めた3名にして巡業部スタッフを強化した。同年5.25日、フジテレビ「クイズ$ミリオネア」に息子の北斗潤と一緒に出演(輪島も応援として出演)。12.31日、小野川の年寄名跡を再取得した(現役時に一度取得していたが厳雄に譲っていた)。

【北の湖理事長履歴考補足、第一次理事長時代の朝青龍バッシング】
 2007年、6.26日、時津風部屋で序ノ口力士の時太山(本名斉藤俊、当時17歳)が時津風や兄弟子から集団リンチを受けて死亡した時津風部屋力士暴行死事件が発生。
 2007年、7月(名古屋)場所、朝青龍優勝。北の湖理事長は、「今場所は危ない相撲が一番もなかった。休場明けの横綱は優勝して初めて復調したと言える。優勝したのだから完全復活でしょう」と称えている。同場所後の7.25日、朝青龍が「左肘内側側副靭帯損傷、左尺骨神経障害、急性腰痛症、第5腰椎疲労骨折で約6週間の休養、加療を要する」とした診断書を協会に提出し、相撲協会の夏巡業の不参加届けを出してモンゴルに帰国。その際に中田英寿とサッカーをしていた様子が報じられた。当初見学していた朝青龍だが、主催者側からチャリティーサッカー大会への飛び入り参加を依頼され、モンゴル政府その場の雰囲気の流れで途中から参加しプレイしたのが真相と後に判明したが、「巡業をさぼって、仮病を使い、そのあげくサッカーを元気にやっていた。実にケシカラン。横綱の立場をわきまえない許すべからざる行為である。相撲界の秩序を乱す行為として厳しく対処せよ」の朝青龍バッシングが世論化された。巡業部が、帰国後の巡業参加を拒否する方針を固めた。
 7.30日、朝青龍のバッシング騒動について、朝青龍と師匠の高砂から説明と謝罪を受ける。8.1日、日本相撲協会が、朝青龍に対して2場所の出場停止と4ヶ月間の自宅・部屋・病院以外で特別な事情がない限り外出を認めない謹慎、4ヶ月30%減俸の処分を下す。高砂親方には減俸30%(4カ月)を申し渡した。処分の理由について伊勢ノ海親方は、診断書の内容から詐病の可能性を否定した上で「横綱として誤解を招く行動で、軽率だったため」としている。この時、朝青龍相撲を大いに評価している北の湖理事長は、「あいつは意外と気が小さいから」と述べ、角界から朝青龍が去ってしまう可能性を危惧したと伝えられている。口頭で厳重注意し、但し温情をかけ続けた。白鵬一人横綱、朝青龍不在の二場所は土俵に締まりのなさをもたらした。相撲ファンは「やっぱり強い横綱がほしい。朝青龍の相撲は面白い。朝青龍のいる土俵には緊迫感がある」と朝青龍の復活に期待した。
 9.10日、朝青龍問題に関しテレビ番組を通じて朝青龍の謝罪を求め、間接的に日本相撲協会を批判し続ける東京相撲記者クラブ会友である杉山邦博の相撲取材証を北の湖敏満名義で没収した。朝青龍の問題に関し、テレビ番組を通じて朝青龍の謝罪を求め、間接的に日本相撲協会を批判を展開したことが理由とされる。この件に関しては記者クラブが猛抗議し、他の報道機関からも言論統制と非難され、これにより記者クラブと溝を深めた。
 9.29日、時津風部屋力士暴行死事件で、北の湖理事長が文部科学省を訪れて経緯を説明するとともに、協会の管理に不備があったことを認め、協会を代表して渡海紀三朗文部科学大臣に謝罪した。10.5日、相撲協会が緊急理事会を開き、時津風親方(元小結双津竜、本名山本順一さん)を解雇。 協会内に「再発防止検討委員会」を設置した。10.12日、北の湖理事長が時津風一門の伊勢ノ海理事(元関脇藤ノ川)らとともに、時津風部屋力士暴行死事件の被害者・時太山の新潟市内の遺族宅を訪れ謝罪した。
 11.30日、朝青龍が93日ぶりにモンゴルから再来日した。同日夕方、謝罪会見を開き、朝青龍本人が一連の騒動について謝罪し、会見後は臨時横綱審議委員会(横審)で謝罪と経緯説明を行なった。なお海老沢勝二横審委員長(元日本放送協会会長)や、「朝青龍の天敵」と言われた内館牧子横審委員などからは「今後再び同じような失態を起こした場合は、引退勧告も辞さない」と忠告されている。12.2日、大分県豊後大野市で始まる冬巡業に参加して、7月場所千秋楽以来133日ぶりに土俵に復帰した。初日の横綱白鵬戦では寄り切りで勝利した。12.21日朝、横審委員の内舘牧子が事前通告なしに稽古を視察するため高砂部屋を訪れた。朝青龍は稽古休みで不在だった為に肩透かしを食う格好となった。
 2008年、1月場所で前年7月場所以来の土俵復帰。朝青龍と白鵬が千秋楽を14勝1敗の相星決戦となり、白熱した大一番の末、白鵬が豪快な上手投げで破った。2002年9月場所の武蔵丸-貴乃花戦以来、約5年半ぶりの横綱同士による千秋楽となった。
 2008.2月、定例の役員選挙で出羽海一門代表として理事に再選、役員の互選により理事長に4選された。広報部長に九重、審判部副部長に貴乃花を抜擢した。2.7日、前・時津風が愛知県警察に傷害致死容疑で逮捕されたことを受け、就任したばかりの九重と伊勢ノ海を報告のために文部科学省に行かせたところ、「なぜ理事長自らが文部科学省に行って報告しないのか」と批判されている。
 3月場所、朝青龍と白鵬が千秋楽を14勝1敗の相星決戦となり、朝青龍が小手投げで勝利し22回目の優勝を決めた。この優勝で優勝回数が貴乃花と並んだ。1995年3月-5月場所の貴乃花-曙戦以来、約13年ぶりの2場所連続の千秋楽横綱相星決戦となった。5月場所で、朝青龍は優勝候補から外れていたが、千秋楽で白鵬に引き落としで勝つ。そのまま土俵上で四つんばいになっている白鵬を横から駄目押し、その行為に対し白鵬が立ち上がりながら朝青龍に右肩をぶつけ、両者がにらみ合う事件が起こった。北の湖理事長は、「朝青龍の突きは駄目押しでなく流れで有り、怒った白鵬が悪い」と朝青龍を庇った。横綱審議委員らは「その後土俵上で横綱同士が睨み合うのは喧嘩両成敗、両者に注意せよ」の進言により、結局朝青龍と白鵬の二人に厳重注意処分とした。7月場所、途中休場。
 2008年9.8日、弟子の白露山の関与も明らかとなった大相撲力士大麻問題が世間の耳目を集める中、日本相撲協会の臨時理事会が開催され、理事長を辞任して大阪場所担当部長理事に降格すると発表、後任理事長に武蔵川を選出した。
 2010.8月、武蔵川が辞任した際の理事長選挙に再び立候補したものの4票しか獲得できず8票獲得した放駒に敗れた。
 2010年、10月、朝青龍の断髪式でハサミを入れる。
 2011年、4.6日、大相撲八百長問題で弟子が関与したことを受けて、理事から役員待遇委員(大阪場所担当部長代理)に降格されている。

【北の湖理事長履歴考その7、第二次理事長時代】
 2012年1.30日、日本相撲協会理事選挙に再び立候補し、厚い人望により理事長に当選する。過去に辞任した理事長が返り咲きした初事例となった。

 2013年、5月場所後の6月、東京の両国国技館で、赤い綱を締めての還暦土俵入りを行い、太刀持ちを九重親方(第58代横綱千代の富士)、露払いを貴乃花親方(第65代横綱貴乃花)が務めた。歴代横綱還暦土俵入りは9人目。日本相撲協会の理事長在任中に還暦土俵入りを行ったのは、1988.4月の二子山親方(第45代横綱・初代若乃花)以来25年ぶり4人目。

 2013年6月、北の湖は両国国技館で赤い綱を締めての還暦土俵入りを行い、太刀持ちを九重親方(第58代横綱千代の富士)、露払いを貴乃花親方(第65代横綱貴乃花)に務めさせている。これで窺うべきは北の湖は「親九重、親貴乃花」であり「反九重、親貴乃花」ではない。この見立てがキモである。


 同年12月、大腸ポリープの手術の為に入院。


 2014年、1.28日、財団法人日本相撲協会が公益財団法人の認定を受ける。1.30日、財団法人日本相撲協会が公益財団法人日本相撲協会に改称。これにより公益財団法人に移行した。1.31日、公益法人移行後初となる理事改選で互選により引き続き理事長職を務めることが決定し、これによって評議員の決議を経て発足する新法人の初代理事長に就任する運びとなった。新法人体制の骨子は北の湖体制下で形成された。

 新体制には、理事会の定数は10人以上15人以下と、旧制度とさほどかわらず。退職する予定の親方は5年以内に年寄襲名資格審査委員会へ後継者を推薦。先代親方が後継者から顧問料を受け取ることを容認(顧問料の支払いは個人間の裁量による)。協会は部屋に対して人材育成業務の委託という新たな契約を策定し、これにより弟子育成を親方に依頼した協会にも一定の責任が生じることになる。等々財団法人時代の色を残した。特に評議員会評議員を7名として、そのうち3名を協会員から選出するように措置した。「主体となる協会側にどちらかと言えば主導権を残す形態を保持させた」と評されている。「公益法人移行における北の湖の最大の功績」と評されている。陰りを見せ始めていた相撲人気の回復に懸命に尽力していたさ中に急逝を余儀なくされた。

【北の湖理事長履歴考その8、病歴】
 北の湖理事長の病歴は次の通り。2011.12月、直腸がんの宣告を受け、2012年2月、内視鏡による除去手術。「その後の一時は人工肛門を使用していた」との解説があるが真偽不明と云うか虚説だろう。腸閉塞。何度となく休養。2013年末、再度、大腸ポリープを切除。手術後に腸閉塞(へいそく)を起こして入院。2014年秋頃、膀胱がん。理事長が行うべき千秋楽の協会挨拶と表彰式での天皇賜杯の授与は、3場所連続で事業部長の八角親方が代行していた。

 2015年、名古屋場所7日目の17.18日、尿が体外に排出されず腎臓にたまる病気の両側水腎症で名古屋場所を途中休場して都内の病院に入院。8月に職務復帰。10月、腎臓がすぐれず都内の病院に入院。今場所は初日のあいさつを腰痛を理由に休むなど体調に不安を抱えていた。顔も含めた上半身は痩せ、立ったり座ったりなどは常に付け人の手を借りていた。それでも連日会場に姿を見せ、取材対応などをこなしていた。他に糖尿病も患っていた。「体中にがんが転移して満身創痍だった」。「直腸がんによる多臓器不全で死去」。「余命数カ月という情報が駆け巡っている」。「もう10歩も歩けない…。死の3日前、初めて吐いた弱音」。有り得ない超やせぎすの加工写真が出回る。

【北の湖理事長急逝に伴うコメント集】
 朝青龍が、ツイッターで「悲し涙が止まらない」と発信している。横綱・白鵬関は「誰より力士のことを考えてくれる、素晴らしい人だった」と悼んだ。「悲し涙が止まらない!昼に連絡して電話出なかた!部屋付き親方と話した!命まで大丈夫と安心したけど!悲し涙」。
 「猫だまし」を批判されたことに対して、白鵬関は「愛のむちだったと思っている」、「また、改めて食事をしたかった」とコメントした。
 横綱の日馬富士は、福岡県太宰府市の伊勢ケ浜部屋の宿舎で朝稽古前に取材に応じ、「びっくりしました。体調が回復していると聞いていたので」と話した。自身のしこ名が「安馬(あま)」だった20代前半の頃、北の湖理事長から「ついて来い」と言われ、理事長のモンゴル訪問に同行したことを明かした。「可愛がっていただいた。残り2日間、しっかり相撲を取ることが自分の役割。それを果たしたい」と決意を語った。11.23日、大相撲九州場所で2年ぶりに優勝した日馬富士が死去した北の湖理事長(享年62)についてこう言った。「ケガをしたときも声を掛けてもらい、励ましてもらった。心からお悔やみ申し上げたい」。
 横綱鶴竜「まさか亡くなるとは。今後も土俵で恩返ししたい」。
 最大のライバルだった元横綱の輪島は下咽頭(いんとう)がんの手術を受け話すことが困難。取材には留美さんに輪島さんの言葉を唇の動きから読み取ってもらう形で次のようにコメントした。「1月に会ったときは元気そうだったので、びっくりした。相撲界をもっと長く引っ張って欲しかったので残念だ」。生涯の対戦成績では、輪島さんが23勝21敗と勝ち越した。「それはただ単に結果であって、(勝ち越したことに)意味はない。北の湖は本当に強かった」と振り返っていた。
 輪島氏、北の湖さんへ「頑張ったね、俺はもう少し」
 2015.11.21日、「輪湖(りんこ)時代」を築いた元横綱、輪島大士氏(67)が、かつてのライバルの急死について文書でコメントを寄せた。咽頭がんの手術を受けて発声が困難なため。「最近、理事長は元気だと聞いたばかりだったので、とても驚いた。お互いに病気と闘っていたが、先に逝かれて寂しい」とした。 対戦成績は輪島の23勝21敗だが「運動神経が抜群だった。1度掛けた技は2度は通用せず、頭のいい力士だった」。思い出の対戦には74年名古屋場所を挙げた。千秋楽の本割、優勝決定戦と輪島が得意の下手投げで2連勝して逆転優勝。この場所後に北の湖は横綱に昇進した。輪島氏は引退後、日本相撲協会を退職した。その後はあまり付き合いがなかったというが「偶然、ホテルのサウナで会い、『裸の付き合いだね』と笑った。その後食事に行き、酒は強かった」と懐かしむ。 その縁もあり理事長からは毎場所、番付表が送られてきた。「昔のライバルが相撲界で頑張り続けていることが、とてもうれしかった。もらった番付表は全て取ってある」。そして「俺はもう少し頑張る。(理事長には)よく頑張ったね、お疲れさまと言いたい」と弔いの言葉を贈った。
 九重親方(元千代の富士)は、「心労的なこともあったと思う。一緒に仕事をした時期もあったが、率先してやってくれた人でした」、「きのう(20日)病院に運ばれたことは聞いていたが、その何時間後にまさか…」と沈痛な表情。さらに現役時代をと振り返って、「自分たちの世代は全員(横綱北の湖は)大きな壁で、大きな目標だった。全く歯が立たなかった。こういう人を追い越せるのだろうかと感じていた。それを超えないと何にもならない。1つの目標として頑張って、同じ地位になれた。そういう意味で偉大な人だった」と亡き先輩を悼んだ。
 11.26日、北の湖理事長の密葬が北の湖部屋で営まれた。北の湖理事長の棺を乗せた霊きゅう車を見送る玉ノ井親方、貴乃花親方、八角理事長代行。“協会No・3”で総合企画部長などを務める貴乃花理事(元横綱、43)がスポニチに哀悼の意を寄稿。後も北の湖理事長の遺志を引き継ぎ、相撲界発展のために自らの職務を全うすることを誓った。
 【貴乃花親方哀悼文】

 寛大なる心を忘れない、憎たらしいほどに強い横綱。それは本来、私どもには優しすぎるほどに美しいという意味です。その威厳と品格に優れた理事長の存在にどれだけ救われたことかを考えますと計り知れない功績です。相撲協会の信頼を第一に考えた理事長は職責につくものたちへの慈悲も忘れることはありませんでした。入門して以来、我々の業界では“背中に学び、言葉ではない実行力を身につけるべく世界観を抱くように”と相応に教えられてきました。理事長はそれを体現させてくださった唯一無二のお方でした。すべての行動に基づいて感謝や慈愛を抱くべきと真摯(しんし)な態度で取り組まれておられ、強くて当たり前の横綱論、それを教えてくださったのも理事長です。横綱とは引退しても生涯貫くものであり、精神視野が重要視され、横綱の道は軽々には語れない。(理事長が遂行した)力士としての根幹となるその集約の入魂は後世に語り継がれるべきものです。それが親方業であり、この世は全て修行の行という在り方と文化の発展を担うものとしての苦悩を感慨深く表現されていたのも(理事長に)垣間見られました。辛抱強く耐え忍ぶ。これを実行に移したのが理事長です。平成の大理事長と言われるべきお方です。昭和の大横綱から平成の大理事長として生涯横綱を普通にやってのけた方です。私自身、思惟(しい)を抱いて想(おも)う。釈然としない時勢であっても真摯な力を失ってはならない!伝統文化を攻守せよ!その覚悟を身に受け、手を合わせるばかりです。昭和と平成にまたがり大横綱として君臨した理事長にご冥福をお祈り申し上げますとともに、伝統文化の在り方と相撲協会の名誉や地位向上を慮(おもんぱか)り、それを念頭に掲げ、その遺志を受け継ぐものの一人として公明正大な公益法人として誉れな基軸を個人として確立させてまいります。今後の角界がご加護を賜れますよう精進いたします。合掌 貴乃花光司
 北の富士勝昭は、「初めて本人に会ったとき、すごい圧力があったことを覚えています。実に責任感が強く真面目な人で、今回のことはとても残念です。理事長のためにもみんな一丸となって相撲道を守っていかないといけない」。
 士は士と交わりを得、有無通じ合える。そういう好例のコメントだろう。
 伊勢ケ浜審判部長(元横綱旭富士)。
 同じ出羽海一門の春日野親方(元関脇栃乃和歌)は「顔は見たよ。みんな悲しんでいた。大きな星を失った。みんなが頼りにしていたからね。残念だけど、みんなで力を合わせて頑張らないといけない」。
 北の湖理事長と同期で、同じ部屋で切磋琢磨(せっさたくま)した元大関の増位山太志郎「想像もしていなかっただけに、大変ショックというか驚いています…」と絶句した。「同じ釜の飯を食った兄弟みたいな存在だった。先日、白鵬の猫だましに対して北の湖さんらしいコメントをしていたので、元気でいると思っていた。急な話にとてもびっくりしている。現役時代から弱音を吐かない人で、横綱とはこうあるべきという心構えは並大抵ではなかった」、「実は、直腸に腫瘍があって手術していて、具合が悪いのは、僕は前々から知っていました。でも、理事長は絶対に弱みを見せない人だったから、公にはしなかったんです」。
 出来山広報部長(元関脇出羽の花)は「今後のことは、まだ何も決まっていない。理事長も志半ばで無念だったと思う。こんなに急に亡くなるとは思わなかった。明日の理事会で、いろいろなことが決まると思う」、「こんなに急に亡くなるとは思わなかった。公益財団法人となってこれからというところ。志半ばで本当に無念だったと思います。残念です」と言葉をしぼり出した。
 北の湖部屋と同じ一門の出羽海親方(元幕内小城ノ花)は「場所中の一門会で話したのが最後。こんなことになるとは」とショックを隠せなかった。
 境川親方(元小結両国)は「急なことでびっくりした」と沈痛な面持ちを見せた。
 広報部の玉ノ井副部長(元大関栃東)は「昨日まであんなに元気だったのに。信じられない」と沈痛な面持ちで話した。玉ノ井広報副部長が発表した。「急変だった。きのうも元気に公務されていたのに、いきなりこういうことになって。何ともいえないです」と神妙に話した。
 同じ出羽海一門の春日野親方(元関脇栃乃和歌)は「大きな星を失った。みんなが頼りにしていた。残念だけど、力を合わせて頑張らないといけない」と一致団結を誓った。「残念だけど、力を合わせてがんばらないといけない」。
 同じ出羽海一門で、理事長から役員待遇に抜てきされた藤島親方(元大関武双山)は「大げさでなく、命を懸けてここまでやられてきた。我々も、生半可な気持ちではできません」、「絶対的なリーダーシップと人間力があり、及ぶ人はいない。協会の為にここまでやってこられなければ、病気になっていなかったかもしれない。北の湖理事長は命を懸けてやられていた」。
 故郷、北海道壮瞥(そうべつ)町で暮らす姉の小畑やす子さん(67)は「正義感が強く、親切で優しい弟だった。涙なしには語れません」、「家族思いの弟がまさかこんなことになるとは。悲しくていたたまれない。今朝、東京にいる一番下の弟から入院を知らせる電話があった。その時に北海道からすぐ福岡に出かけて顔だけでも見られればよかった」と話した。
 北の湖理事長と親交があり、相撲に造詣が深いアーティスト、デーモン閣下は次のように振り返った。「非常に強い力士で、輪島や貴ノ花らライバルとしのぎを削り、手に汗握る取り組みが毎場所繰り広げられていた時代を、代表力士として引っ張っていた。横綱って強いんだ、と印象づけた」、「今の相撲界を支えられる理事長は、他にはいないと思っていた。2年前、還暦土俵入りの際に「大変そうでしたね」と声を掛けたら、「横綱は力強くしこを踏まなくちゃいけない。だから思い切ってしこを踏んだけど、腰ががくっときた」と苦笑いしていた。正直な人。理事会では、周りの意見をよく聞いてまとめていた印象が強い。不祥事で相撲が存亡の危機に陥ったときは、批判されながらも、相撲の歴史と伝統を守るため盾になっていた。理事長に復帰し、期待していた。若すぎる」。
 漫画家やくみつるさんの話。「角界の「重し」をなくした。高校時代、新横綱として土俵入りを奉納した明治神宮に一番乗りしたほどのファンだった。若い頃からふんぞり返り、肩で風を切っていて、気持ちよかったなあ。強すぎて「アンチ」となる人もいたが気持ちは離れなかった。不祥事を受け、日本相撲協会の外部委員となった私に「大変なんだよ」とぼそっと言われた姿が忘れられない。理事長に復帰後は土俵が充実し、ファンサービスも増えたが、たがが緩みそうになると手綱をしめておられた。ずっと横綱にも厳しく指導できるご意見番でいてほしかった。残念でならない」。

【北の湖理事長葬送考】
 11.21、前日に62歳で急逝した日本相撲協会の北の湖理事長の遺体が、安置されていた福岡県内の葬儀所から東京へ向けて霊きゅう車で東京に搬送された。霊きゅう車は途中、大相撲九州場所が開催されている福岡国際センター(福岡市博多区)の正面玄関に横付けされ30秒間止まった。「相撲を最後に見せてあげたい」という夫人の思いだった。出迎えた協会幹部や大勢のファンが優勝24度の大横綱との別れを惜しみ、合掌の中でゆっくりと発進した。

 協会は、前夜に遺体と対面した際、涙の夫人に教えられた「ブレずに頑張れ」の遺志を受け入れ、九州場所を通常通りに開催した。14日目の21日は行司や呼び出しを含む協会員が左腰に喪章を着けて業務に当たった。玉ノ井広報部副部長(元大関栃東)は「理事長は土俵の充実を掲げ、仕事重視の考えだった。土俵優先を掲げた故人の遺志をくんで、会場内で訃報を知らせるアナウンスや黙とうもなく、献花台も設置しない。満員御礼の垂れ幕、関係者に配布する大入り袋なども自粛せず、優勝パレードやすべて通常通りを貫くことに決めた」と説明した。
北の湖部屋は師匠不在となったが、所属力士は千秋楽まで部屋の名称を変えずに土俵に上がる。後継が有力視される山響親方(元幕内巌雄)が当面、師匠を代行する。

 相撲協会は理事ら幹部が集まり、今後の対応を協議した。協会ナンバー2の八角事業部長(元横綱北勝海、52歳)の理事長代行就任を承認。12月22日午後1時から東京・両国国技館で協会葬を開くと発表した。協会役員や親方、関取衆、出羽海一門の一同が参列する。葬儀は近親者による密葬で、日時や場所は公表しない。

 今後の理事長占いとして八角事業部長(元横綱北勝海、52歳)の理事長代行はリリーフに過ぎない。九重親方派と貴乃花派の抗争が必至。

 2015.11.21日 れんだいこ拝

 11.22日午前11時頃、20日に62歳で急逝した大相撲の第55代横綱で、日本相撲協会の理事長だった北の湖敏満氏(本名・小畑敏満)の遺体が福岡から東京・江東区にある北の湖部屋に到着した。霊きゅう車から運ばれた北の湖理事長の遺体は布団に固定され、弟子ら大勢に大切に抱えられ、部屋に入っていった。白い布に包まれた遺体は部屋の力士などによって部屋の中に入り、近所の人たちが手を合わせた。

 北の湖理事長の妻の小畑とみ子さんはコメントを出し、部屋の力士の鳰の湖が部屋の前に集まった報道陣に対して読み上げた。「あっという間に亡くなってしまいました。今でも信じられません。前日まで理事長の仕事ができたことを親方らしく誇りに思います。親方は結婚したときから私が表に出ることを嫌がっていました。最後まで親方の言いつけを守り北の湖部屋が終わるまで、そのことばを貫きたいと思います」。鳰の湖は取材に対して、北の湖理事長が亡くなってからとみ子さんの体調が優れないことを明らかにしたうえで、「おかみさんは、親方が今までずっとがんで闘ってきた姿を見ていたのでいちばん苦しかったんだと思う。親方は気持ちよさそうな顔だった。自分も苦しんでいる姿をずっと見ていたので、ゆっくり休まれることを心より思っている」と言葉を詰まらせていた。
 増位山太志郎「ずっと一緒だから、なんとも言いようがない。理事長として最後はいろんなことに出くわして、いろいろな心労もあって病気になった。痛かったんだろうけど、弱音を吐く人じゃないから我慢していた。悲しい」。「今はもう、安らかな顔をしていた」と話したうえで、北の湖理事長に対することばとして「相撲協会のためによく頑張ったと、それしかない」と話した。
 北の湖理事長の遺体が安置されている都内の北の湖部屋には23日、関係者が弔問に訪れた。午後には部屋の幕内北太樹も到着。近くの大嶽部屋の大砂嵐も姿を見せた。稽古場の上がり座敷で眠る理事長の姿を、玉ノ井親方(元大関栃東)は「変わらぬご様子でした」と話した。貴乃花親方(元横綱)と同部屋、同一門などから枕花も届けられた。
 高砂親方が北の湖理事長を偲ぶ「懐が深かった」。 「憎らしいほど強い」といわれた北の湖に、勝ち越している力士は少ない。20戦(不戦勝含む)以上した中では、2人だけだ。ともに「輪湖時代」を築いた横綱輪島(23勝21敗)と、現高砂親方の大関朝潮(13勝7敗)。同親方は「あの人を倒すのが一番の目標だった」と振り返る。現役を引退した高砂親方が理事長との酒席になると、第三者から「北の湖に勝ち越した」という話に何度もなった。恐縮している同親方に、理事長は「そんなこと気にしなくていい」と声を掛けてくれたという。弟子の朝青龍が、不祥事を起こした時もそうだった。師匠としての立場を尊重してもらった。「『オレが言うべき時は、言ってあげる』と、支えてくれた。北の湖さんがいなかったら、青龍はもっと早くやめさせられていたはずだ。力士のことを第一に考える人だった。懐が深かった」。多分野の人と交流があり、話題も豊富だった。「テレビ番組の『なんでも鑑定団』好きで、見ながら『この絵は高い』なんて言ってた」。ずっと背中を追いかけてきた理事長が、急にいなくなった喪失感は簡単に消えない。だが、高砂親方は親方衆を代表するように力を込めた。「しっかり継承していくことが、オレらの責任だ」。【木村有三】
 大相撲の64代横綱で格闘家の曙(46)が24日、20日に急逝した北の湖理事長(享年62=本名・小畑敏満)の遺体が安置されている東京・江東区の北の湖部屋を弔問した。 「現役のときからいろいろとお世話になって…。訃報を聞いたときは、ちょっとびっくりしました」と声を震わせた。格闘家に転身するため、03年11月に退職願を出した際、北の湖理事長からは「記者会見までしまっているから、気持ちが変わったら、すぐ電話してくれ。でも、ほかの道に進むなら精いっぱい頑張ってほしい」と言われたという。相撲協会を去った後は訪れづらく、なかなか足を向けることができなかったが、それでも数年後に訪れた際は「温かく迎えてくれて、本当にうれしかった」と振り返った。「先輩横綱でもあり、まねしたい人だと思っていました」と故人をしのんだ。
 野球評論家の張本勲氏(75)が24日、20日に急逝した北の湖理事長(享年62=本名・小畑敏満)の遺体が安置されている東京・江東区の北の湖部屋を弔問した。 生前から親交があり、5月の夏場所初日には両国国技館を相撲観戦に訪れ、その際に理事長と話す姿もあった。「ありがとう。ご苦労さん」と声を掛けていた。
 11.25日、北の湖理事長(元横綱、本名・小畑敏満)の通夜が、東京・江東区の北の湖部屋でしめやかに営まれた。相撲協会関係者や歌手で俳優の杉良太郎(71)ら約200人が弔問。戒名は、しこ名から2文字とった「弘照院殿北偉徳実法湖大居士(こうしょういんでんほくいとくじつほうこだいこじ)」となった。八角理事長代行(元横綱・北勝海)や九重親方(元横綱・千代の富士)、貴乃花親方らも故人をしのんだ。現役時代に名勝負を繰り広げた九重親方は「何も(言葉が)出てこない。信じられない。これが現実なのかという感じ」と悔やんだ。また、北の湖理事長が弟子から深く慕われていたことを表すエピソードも明かされた。同理事長の付け人を14年間務めてきたロシア出身で角界最重量279・5キロの三段目・大露羅(32)は「こっちに(理事長が)着いたときから、みんなで一緒に(遺体の隣で)寝ている。今日も最後に寝ますよ」と話した。密葬後の26日午後には東京・両国国技館に立ち寄る予定。けがに苦しみながらも、こけら落としとなった85年初場所まで立ち続けた思い出の“聖地”に、最後の別れをすることになっている。また12月22日の午後1時からは両国国技館で協会葬が執り行われる。
 相撲協会:12月18日に互選で新理事長決定
 北の湖理事長死去:「土俵の充実」引き継ぐ 八角親方

 れんだいこのカンテラ時評№1278  投稿者:れんだいこ  投稿日:2015年11月27日
 北の湖理事長の後継闘争その1

 11.22日、日本相撲協会は、北の湖理事長の死去に伴い、事業部長の八角親方(元横綱・北勝海、52歳)を理事長代行に据えた。12.18日の定例理事会で、新理事長を互選すること、新理事長の任期は北の湖理事長任期残りの来年3月までとすることを申し合わせた。具体的には来年1月の初場所後に理事が改選されて新体制が発足し、4月以降に就任する理事長が選ばれることになる。ここで、次期理事長及びその体制を予測しておく。「九重親方に貴乃花親方…北の湖理事長死去で協会の権力闘争が激化」等を参照する。

 北の湖理事長の急逝後の次期理事長を廻る暗闘を確認しておく。なぜ関心を持つのか。それは、大本教的教理「大本を廻り発生する型が、明日の日本の型になる」に似せて「出雲王朝の御代から連綿と続く国技たる大相撲の在り姿が、明日の日本の型になる」と思うからである。こういう捉え方をオカルト的とみなすのではなく、永遠にないのかも知れないけれども今の科学ではこれを説明し得る能力がないだけではないかと思っている。

 八角理事長代行は暫定であり、追って九重親方(第58代横綱千代の富士、60歳)と貴乃花親方(第65代横綱貴乃花、43歳)決戦が待ち受けている。年齢等の履歴による人選順当であれば、かって北の湖理事長の下で事業部長を務め協会のナンバー2に位置していた九重親方が後釜に相応しい。ところが、北の湖理事長体制下に侵入した協会顧問派が貴乃花親方を担ごうとしている。

 この抗争の根は深い。分かり易く云えば、九重派は国粋国技派、顧問派は国際ユダ屋プロ相撲派である。日本大相撲が、九重派が大事にしようとする古式通りの型を維持しつつ発展を目指すのか、国際ユダ屋が狙う通りのプロレス並のプロ相撲興行を目指すのか、ここが問われている。マスコミは国際ユダ屋によって雇われているので、政治も然り、沖縄問題も然り、原発問題も然り、是非を全て逆に描く。即ち、件の協会顧問なぞ、日本大相撲協会を食物にする為にのみ送り込まれた国際ユダ屋の御用聞きであるのに、これを咎める筆には向かわず、その代わりに九重親方批判に健筆を振るう。当分、こういう浅ましい記事に苛(さいな)まされることになろう。これを今から予見しておく。

 協会顧問とは何者か、これを確認しておく。この御仁の本名は小林慶彦(58歳)。経営コンサルタントの肩書きを持つが経歴不詳である。経歴不詳の者が日本相撲協会の顧問になれるのがオカシイのだが現になっている。北の湖が理事長に返り咲いた時に顧問として相撲協会に入ったという。何やら裏取引があって送り込まれた人物であることが容易に推理できる。「台湾出身。立命館大卒、兵庫県警のマル暴だったらしい。2004中国巡業、2006台湾巡業、2008モンゴル巡業、2013インドネシア巡業の勧進元。株式会社エーティーアンドシージャパン社長」とある。

 2014.1月、この小林顧問が、2013年夏頃、相撲協会が大手パチンコメーカーと結んだライセンス契約に関連して、パチンコメーカーから2度にわたって計1700万円の裏金を受け取っている。その様子がネット動画サイトで暴露された。帯封つきの現金500万円を紙袋から取りだし、札束を数える顧問の顔、袋に戻す様子などが映っている。おまけに「絶対にこれ、バレんようにしてくれよ」と言っている。

 当時、相撲協会NO2にして事業部長を務めていた九重親方が、北の湖理事長に、「大変なことになっている」と進言。1.6日、理事会で、九重親方が、小林顧問の裏金授受疑惑を問題にして「外部で調査委員会をつくるべき」と発言し、責任追及音頭を取った。小林顧問は裏金受領を渋々認めものの、「お金を返したから問題ない」と居直った。調査委員会をつくることになったが、小林顧問派は委員会の開催時期を理事改選の後にするよう図った。これが癖だまであったが、その時は誰も気づかなかった。

 ところで、日本相撲協会内のこの大ニュースを大きく報じたメディアは日刊ゲンダイを含めてごくわずか。スポーツ紙は申し訳程度の記事しか掲載しなかった。マスコミは要するに国際ユダ屋の意向通りにしか書けない書かない。実のところ、そういう風には研究されていないが戦前も然りであった。戦後はなおさらで、勝ち馬にしか乗らない、長い物に巻かれろでしかない。

 1.30日、相撲協会は新公益財団法人へ移行。1.31日、理事選が行われた。この際、小林顧問派が九重親方落選を企画、「まさかの落選」を演出し、「11人中ただ1人落選」という不名誉な憂き目にあわせた。九重親方は理事から委員に降格となった。「顧問はお咎めなし、咎めた九重親方の方が逆に理事選落選」となった。

 次のように証言されている。「前回の理事選は友綱親方に票を集めて九重親方をはじき飛ばした。北の湖理事長の右腕といわれた協会顧問の策略であった。九重親方は今回の選挙で理事に再選されていたら、外部理事も出席して話し合いが行われる新公益法人に移行した最初の理事会で、小林顧問の悪事を暴露して解任の緊急動議を出す腹づもりだった。その計画がパーになった。九重親方は理事落選により2年間、冷や飯を食わされることになった。手にしたのは5票。あと2票取っていれば友綱親方に理事職を持って行かれることはなかった。実は北の湖理事長をドンとする出羽一門筋の水面下での『票を回してやる』口約束を信じて買収工作せず落選につながった。要するに一杯食わされたんですよ」。

 陰謀通りに事が運び、協会の危機管理委員会(委員長/宗像紀夫・元東京地検特捜部長、外部理事)が開かれたものの、「すぐに返却したので問題なしのお咎めなし」結論を下し、理事会に報告、承認された。「宗像紀夫」と云えばロッキード事件で公判担当検事を務めており、それ以来、検察裏街道一直線に出世街道を歩み詰めている面汚しでしかない。こんな御仁が人選されているだけで碌なことにならないのは自明であろう。

 この逆裁定により小林顧問は引き続き北の湖体制に食い込み協会内で権力を持ち続けることになった。協会を所管する内閣府が、相撲協会に理事会の議事録と危機管理委の報告書の提出を要請したものの、真相はどうやら「現金授受を問題なしと結論づけた報告書の提出を協会に求めた」のであって、真相解明に愛の鞭を振るった訳ではない。公益法人の認定の可否などを審査する公益認定委員会に協会提出資料を添えて経緯を報告、協会の一連の対応に問題がなかったかの判断を形式的に求めただけのようで何事もなく経過している。もっとも取上げただけで偉いと云うべきかもしれない。

 小林顧問の利権活動は他にもある。理事会の承認を得ないままの独断専行で、相撲協会が別のメーカーと過去現在すべての力士の肖像権を1億円でライセンス契約させており、これも発覚している。他にも、国技館の改修工事やパソコンの入れ替え、エアコンの施設工事などに関わっている。

 2014年、3.24日、横綱審議委員会(内山委員長)が開催され、大相撲春場所を14勝1敗で優勝した鶴竜の横綱昇進を満場一致で推薦答申した。同時に北の湖理事長の理事長再選を決め北の湖理事長体制が信任された。

 8.30日、朝日新聞に「相撲協会顧問の小林の現金授受問題、内閣府が対応を検証へ」という記事が掲載された。何でこの時期の記事なのかは分からない。

【北の湖理事長履歴考補足、第二次理事長時代の九重親方理事落選考】
 2014.1.31日、公益財団法人に移行した日本相撲協会は、東京・両国国技館で新法人の理事候補を決める選挙を行ったところ、97人の全親方による投票で、国民栄誉賞を受賞した実績、知名度抜群の角界の大看板が協会No.2の事業部長を務めた現職理事の九重親方(元横綱千代の富士)が落選した。事業部長が選挙で落選するのは旧法人時代を含めて初めてである。九重親方は大勢の報道陣に囲まれ 「不徳の致すところです」と沈痛な面持ちでつぶやいた。前回は7票で最下位当選。落選した友綱親方(元関脇魁輝)とは1票差の辛勝だった。新派の貴乃花グループを除けば、所属する高砂一門は基礎票が13票で最少。同門で同じ北海道出身の八角親方(元横綱北勝海)に比べ、 票の上乗せに失敗した。広報部長、審判部長など要職を歴任。事業部長として集客力アップを図るファンサービスの新施策を打ち出し、大相撲人気の回復に努めていた。 初場所では体調不良の北の湖理事長(元横綱)に代わり、初日と千秋楽の土俵上で協会あいさつも務めた。 近い将来の理事長候補とささやかれただけに“小さな大横綱”は帰りの車に乗り込む際に「しょうがない」とつぶやいた。北の湖理事長の側近顧問と九重親方がパチンコビジネスで対立したために北の湖理事長の側近が九重親方降ろしを画策したために九重親方は理事候補選挙に落選した説が高い。
 「スポーツ・遊び・からだ・人間 」の2014年2月1日付けブログ「九重親方(元横綱千代の富士)が理事選挙で落選。なにかのはじまり? 」()。
 栄枯盛衰は世の常だ。が,それにしても,九重親方の理事選挙落選には驚いた。長い間,理事を勤め,前事業部長の重責を担ってきた角界ナンバー2である。北の湖理事長の後継者として,次期理事長の呼び声も高かった人である。現に,この初場所では北の湖理事長の体調不良にともない,理事長代理として協会挨拶をこなしている。現役時代の実績といい,理事としての活躍といい,なに不足ない人物として誰もが認める存在である。なのに,この九重親方が落選した。いろいろ揉めに揉めた日本相撲協会の「公益財団法人」化への移行も,なんとか乗り切り,そのための新体制を固める上で重要な理事選挙だったはずだ。ここに思いがけない落とし穴が待っていた。

 ことの発端は貴乃花。日本相撲協会の理事は,各一門ごとに候補者を絞り込んで,一門のもっている基礎票(投票権のある親方の数)を配分するのが長年の通例となっていた。だから,一門の推薦がないかぎり理事にはなれない。まだ若かった貴乃花は,このままでは当分の間,理事にはなれないと判断。一門を飛び出して,貴乃花グループを結成して浮動票をかき集める作戦にでた。こんなことをしても当選は不可能という下馬評をくつがえして,みごとに理事に当選した。今回も,一門ではなく,「貴乃花グループ」として9票を確保して当選。

 この9票は,いわゆる浮動票で,親方衆が自分の所属する一門が推薦する理事候補を振り切って,自分の意思で投票行動にでる,その票だ。言ってみれば,貴乃花の協会改革案に賛同する親方衆の票だ。その改革案の一つが,理事選挙の方法。一門で票を配分するのは年功序列に縛られ,民主主義の原則にも反するというわけだ。この考え方に賛同する親方衆が一門を超えて票を投じている。それが9票ある。そのために一門は票の確保に必死だ。これまで以上の強い締めつけがなされたと聞く。それでも,その一角は崩れつつある。それが九重親方の所属する高砂一門だった,というわけだ。高砂一門の今回の基礎票は14。もともとは一門の親方は12人。そこに別の一門からの協力票などがあり,14票以上あった,という。しかし,その肝心要の協力票は,どこか別のところに流れてしまった。その結果,高砂一門から立候補していた八角親方(元横綱北勝海)が9票,九重親方が5票。計14票。

 九重親方は「不徳の致すところ」とひとこと述べただけだ,という。あの「体力の限界っ!」と全身から絞り出すようなひとことが想起される。この横綱千代の富士を引退に追い込んだ最後の一番の相手は貴乃花だった。奇縁というべきか。われわれ外部にいる者には知ることのできない日本相撲協会内部の確執がその背後にあることは間違いない。それにしても九重親方をはずす勢力が,ここまで大きくなってきているとは。つまり,次期理事長ポストをめぐる権力闘争のはじまりだ。これ以上の詮索は,いまの段階では差し控えておこう。なにか,わたしたちの眼にみえないところで,大きな地殻変動が日本相撲協会内部にも起きていることは間違いない。それでも考えてみたいことは,伝統芸能が近代化するとはどういうことなのか,ということだ。この問題については,また,別件で取り扱ってみたいと思う。今回はここまで。
 「スポーツ・遊び・からだ・人間 」の2014年4月20日付けブログ「北の湖理事長と九重親方の確執が露呈。貴乃花親方は漁夫の利。その背後にあるものは?」()。
 北の湖理事長と九重親方の確執が露呈。貴乃花親方は漁夫の利。その背後にあるものは?
 数の横暴。一門の保有する潤沢な票数を自在に操る北の湖理事長。ワンマン体制をほしいまま。こんなことがまかり通ると思っているのだろうか。いずれ,どこかで,抑圧された怨念は「亡霊」となって表出する。その恐ろしさは百も承知のはずなのに・・・・。それにしても九重親方の人望は急速に失われてしまったらしい。その背景にあるものはいったいなにか。

 わたしの耳に入ってきた極秘情報とネット上を流れている情報がほんとうだったとしたら,という前提条件つきで,以下はわたしの個人的な虚実入り交じっての仮説。

 さきの理事選挙で九重親方(元横綱千代の富士)が落選してしまった。本人はもとより,相撲界を熟知するタニマチにしても,予想だにしなかったことが起きた。角界ナンバー2で,次期理事長の声も聞かれていたのに・・・・。「わたしの不徳のいたすところ」とは九重親方理事落選のおりの弁。ぐっと唇を噛みしめた顔が印象的だった。が,その顔にはすでに舞台裏の動きを読み切ったかのような,不敵な自信も表われていた。なにかを期するかのように・・・・。

 しかし,4月3日に,新しく公益財団法人に移行した新体制のもとで,新しく選出された理事による理事会が開催され,親方衆の新しい担当職務が決定され,発表されると,関係者の間に大きな波紋が広がったという。たとえば,九重親方に代わって角界ナンバー2の事業部長に座ったのは八角親方(元横綱北勝海)。つまり,九重親方の弟弟子である。しかも,この人事は次期理事長のためのショート・リリーフで,長期政権をになうことになる理事長の本命は貴乃花親方だという。そのためのお膳立てが今回の新人事だったというのである。

 しかも,九重親方の扱いはみるも無惨なものであった。悪くても,理事からワン・ランク下がって副理事待遇か,もしくはもうワン・ランクさがって役員待遇あたりで落ち着くはずと思っていたら,そうではなかった。それらもすべて飛び越えて「3階級降格」という前代未聞の扱いを受けることになった。その結果,どういうことが起きたか。単なる平の「監察委員」に就任させたのである。

 監察委員は,場所中の取り組みの内容を一番一番チェックして,八百長や無気力相撲がなかったかどうかを打ち出し後に責任者である監察委員長に報告することが仕事。その監察委員長に貴乃花親方が就任している。ということは,九重親方は貴乃花親方の部下として相撲協会の仕事を引き受けなくてはならないのである。昨日までの部下が上司になってしまったのである。九重親方の心中やいかに。しかも,貴乃花は41歳。最年少理事である。

 この貴乃花親方が,これまた破格の出世をしたのである。貴乃花親方が任命された役職は以下のとおり。広報部長,総合企画部長,指導普及部長,生活指導部長,監察委員長,危機管理部長の六つの役職に加えて,相撲博物館運営委員にも任命されている。しかも,北の湖理事長は「これからの角界を背負って立つ貴重な人材なので,たくさんの勉強をしてもらって,将来に備えてほしい」という談話まで発表しているのである。

 この貴乃花親方と九重親方の天と地ほども違う扱い方はあまりに酷すぎる。普通では考えられない。よくよく情報を集めてみると,北の湖理事長と九重親方との間に,とんでもない怨念の応酬があったという。両者の間には以前から小さな確執があってお互いにそりが合わないという噂は聞いていた。しかし,今回のこれほどまでの酷い処遇に関しては,そうなるべく理由があったというのだ。

 ことの発端は,北の湖理事長の腹心といわれる男が協会と業界との間に入って仕事をまとめた報酬(賄賂)として500万円を受けとった現場を,九重親方サイドが隠し撮りしていて,それをネット上に流したことにある,という。つまり,北の湖理事長失脚をねらったシナリオだ。これを知って激怒した理事長が,理事改選の折に九重親方の票の突き崩しに全力を傾け,落選予定の候補を当選させるという挙にでて,それがまんまと成功した。

 すると,旧理事の最後の理事会の折に,九重親方はくだんのフィルムの問題を持ち出し,理事長の責任問題を追求した。しかし,時すでに遅しで,理事長サイドはしっかりと根回しがしてあって,九重親方の動議はいともかんたんに否決されてしまったという。その上で,新旧入れ代わった新理事会での九重親方の処遇である。ここを先途とばかりに,徹底的な追い打ちを九重親方に課したというのが,角界通のもっぱらの噂である。

 長年,理事を務め上げ,次期理事長の最有力候補と多くの理事が信じて疑わなかった元横綱が,それも輝かしい戦績を残した名横綱が,理事選挙で敗北を喫した直後に「3階級降格」という,みるも無惨な処遇をしたなどという話は前代未聞である。それに引き換え,貴乃花親方に対する目にあまるほどの厚遇も,これまた前代未聞である。

 これにはもう一つの裏がある,という。現役時代の千代の富士の身辺には八百長の噂が漂っていた。また,稽古場での暴力問題もしばしば話題になった。それに引き換え,貴乃花親方の身辺には「兄弟対決」以外には八百長の噂はいっさいなかったという。そのことは力士仲間の間ではよく知られた事実だという。だから,貴乃花親方は一門を超えた他の親方衆たちからの人望もきわめて篤いという。北の湖理事長はここに目をつけ,貴乃花親方を自分の陣営にひきつけて,身の保全をはかったのだ,という。

 それにしても,九重親方の理事長への道を断ち切ったばかりか,八百長問題を監視する監察委員に任命し,清廉潔白で知られる貴乃花親方の部下に据えるという,あまりにできすぎたシナリオの展開には,どこか恐怖に似たものを感じてしまうのはわたしだけであろうか。

 ついでに触れておけば,貴乃花親方の父である先代貴の花(元大関)に引導をわたして引退に追い込んだのが千代の富士であり,その千代の富士を引退に追い込んだのがその息子の貴花田(当時)だった,という奇しき因縁までついてまわっている。

 こうなってくると,まだ,ひと波瀾もふた波瀾もありそうな気配が漂ってくる。これもまた大相撲を楽しむ醍醐味の一つだと言ってしまうと叱られるだろうか。わたしには,これぞ人間のドラマであって,だから大相撲は面白い,と感じられるのだが・・・・・。
(私論.私見)
 貴重情報があるので転載しておくが、読みとして「北の湖理事長と九重親方の確執」で見てはいけない、と意見しておく。あくまでも、国技を守ろうとしている九重派と相撲のプロレス興行化を狙う貴乃花派の対決と見なければならない。北の湖は九重と貴乃花の対立化を危惧しており両者の提携を促そうとしていた。それが還暦記念土俵入りであった。北の湖は「親九重、親貴乃花」であり、「反九重、親貴乃花」ではない。ここがキモである。

 
 九重親方(58=元横綱千代の富士)の訴えにより改めて注目を集めている、相撲協会顧問にして北の湖理事長(元横綱)側近によるパチンコメーカーからの裏金授受疑惑は、長期戦になるかもしれない。ひとまずは危機管理委員会に委ねられ、外部の有識者らによる調査をするかどうかは「我々が調査をした上で必要があれば」(宗像紀夫委員長)決まるが、この危機管理委がクセモノだという。ある協会関係者は「宗像さんと理事長側近はズブズブだからですよ」とこう言う。

 「動画がネット上に出回ったのは1月末だが、協会幹部の間では昨年から問題になっていた。というのも、パチンコメーカーの裏金を仲介した人物と側近が決裂。仲介者は現金授受の現場を撮影した動画とともに側近を告発する文書を、外部理事の宗像さんを含む主な協会幹部に送っている。その時、動画を見て泡を食った側近が『今後、どうすればいいのか』と、最初に泣きついたのが宗像さん。以前から2人は何やらコソコソとやっていた」。事情をすべて知りながら「必要があれば」などと言っていることからも、宗像委員長は内部だけで握りつぶすつもりなのだろう。

 ■「危機管理委員会はまったく機能していない」

 九重親方はしかし、納得するはずがない。側近による不祥事を足がかりに理事長を引きずり降ろし、理事職に返り咲こうという野望を持っているからだ。「その場合は徹底抗戦となるでしょうね。九重さんの思惑がどうあれ、理事長の側近で現職顧問が裏金を受け取ったことが問題にならない方がおかしい。九重さんは周囲に『危機管理委はまったく機能していない』と話している。仮に外部調査委が立ち上がったところで、それが側近や宗像氏の人選ではアテにならない。その時は調査の発起人という立場から物申すことになるでしょう」(前出の関係者)。1月末の理事選で落選した九重親方にしてみれば、これが最後の一手。ここでアクションを起こして北の湖体制を叩きのめさなければ、九重一派は揃って窓際に追いやられることになる。ならば、死なばもろとも、ということだ。9日に始まった大相撲春場所。「荒れる春場所」の通称は土俵上だけではなさそうだ。

【小林慶彦顧問の裏金授受YouTube考】
 読売新聞の報道によると、謝礼は受け取ったものの返却したとのこと。また時事通信の報道では、6日に大阪で開催された理事会で話題になったようで、宗像紀夫外部理事の「必要なら危機管理委員会で調査する」との発言が掲載されている。

 「羽黒蛇の大相撲について語るサイト」の2014年7月21日 (月)ブログ「相撲協会が、小林顧問を解雇すべき理由(羽黒蛇)」。
 2015年1月12日付けブログ「小林顧問を解雇すべき、親方の再雇用に反対(羽黒蛇)」。
 小林顧問を解雇すべき、親方の再雇用に反対(羽黒蛇)

 初日を国技館で観戦。入場時に相撲協会の方にアンケートへの回答を求められたので応じる。アンケートの最後に、「相撲協会への意見がありましたら記載下さい」とあり、「親方の再雇用制度に反対」と記載した。能力のある親方が長く勤務すること、には反対ではない。再雇用となる親方が名跡を譲らないことに反対である。能力のある親方が再雇用となる場合は、年寄名跡を相撲協会に返却し、個人で(本名で)勤めるべきであろう。部屋持ち親方にも、役員にもなれないのだから、年寄名跡を保有する必要性はなく、顧問でよい。定款によると、

 第57条 
 この法人に、顧問若干名を置くことができる。

2 顧問は、この法人の運営に関して理事長の諮問に答え、又は、会議に出席して意見を述べることができる。

3 顧問に関する規程は、理事会が別に定める。


 再雇用される親方は顧問がふさわしい。現行制度では、70才まで親方を続けると、その名跡は、親方になりたい引退力士が継げないのが問題である。65才越え70才までの再雇用を、親方でなく、顧問とすれば、この問題は解決する。「顧問が、親方よりよい」もう一つの理由は、安易に再雇用(定年延長)を採用しないで、本当に能力のある者だけが再雇用されることになる。名跡が新しい引退力士に継がれることになると、再雇用(定年延長)者の給料が、相撲協会にとって追加の負担となるから。現行制度は、相撲協会の追加負担がない故に、安易に(再雇用する必要・能力のない親方)が定年延長となるから、反対である。アンケートには、「親方の再雇用制度に反対」ではなく、「パチンコに肖像権を売った小林顧問を解雇すべき」と書けばよかった。


【北の湖部屋の継承は山響部屋】
 11.30日、日本相撲協会は、北の湖理事長死去を受け、部屋付きの山響親方(元幕内・巌雄)が北の湖部屋を継承し「山響部屋」として活動することを発表した。山響親方は86年春場所初土俵で幕内在位23場所。最高位は西前頭筆頭で2000年春場所限りで引退した。所属力士は幕内・北太樹、十両の北●(●は石へんに番)磨ら16人。12.1日の大分・佐伯巡業から「山響部屋」として活動する。相撲協会広報部によると、山響親方は九州場所千秋楽翌日の23日に部屋継承の手続きを行い、27日の理事会において承認。この日の正式発表となった。この日、山響親方が、北の湖親方の妻、とみ子さんらと両国国技館にあいさつに訪れ会見した。

 東京都江東区の所在地は変わらず、部屋の看板は来年1月の初場所終了まで掛け替えない予定。本格的な稽古は今月7日から再開する。力士の師匠となった山響親方は次のように語った。
 「師匠(北の湖親方)の教えを守り、弟子のことを第一に考えて指導していきたい。オヤジ(北の湖親方)だったらどう行動するかを考えながらやっていきたい。とにかく自分に厳しい人でしたから。教えを守り、力士のことを一番に考えていく」。

 かく“北の湖魂”を継ぐことを誓った。将来的に「北の湖道場」として名前を残すかどうかについては「(北の湖親方は)そういうことは嫌がる人だから」と計画はないという。






(私論.私見)