外交官射殺事件考

 (最新再伸見直し2007.7.28日)

 関連サイト「外務官僚シオニスト派考

 (れんだいこのショートメッセージ)
 れんだいこの「外交官射殺事件考」に対し、ネットサイト「阿修羅戦争45」で、愚民党氏が2003.12.24日付投稿「日本外交官射殺事件考 【れんだいこ】」で紹介くださり、それに捨民党氏が批判的立場から2003.12.28日付投稿「Re: 日本外交官射殺事件考 【れんだいこ】」で意見を賜った。2004.12.30日、捨民党氏のコメントを肴にしながら書き直してみた。

 2004.12.30日 れんだいこ拝

 木村愛二氏は次のように述べている。

 「私は、前著で、メディア批判をすると同時に、『騙す方も悪いが、何度騙されても、懲りずにまた騙される方も、悪いのである』と断言した。『講釈師、見てきたような嘘を言い』の商売が通用するのは、情報の送り手と受け手の『馴れ合い』で成り立つ水準の社会だからなのである」。

 れんだいこも同感であるが故に冒頭に掲げ、誰しもが読めるようにした。

 2004.2.9日 れんだいこ拝



【事件発生】
 2003.11.29日、日本人外交官・奥克彦在英国大使館参事官(45歳)、在イラク大使館・井ノ上正盛書記官(30歳)、イラク人運転手の3名が殺害されるという事件が発生した。ところが、この事件が誤報に翻弄されることになる。犯人像、犯行状況について未だに情報が錯綜しており、「不審」が付きまとっている。 

 日本政府は、日本人初の犠牲者にして現役外交官が殺害されるという不祥事にして「不審な事件」であるにも拘わらず、その捜査を米国に「丸投げ」している。主権国家の面目が疑われる失態を平然と続けており、事件被害国としての調査責任を果たそうする気配も無い。
小泉首相派が対北朝鮮に見せる強面(こわもて)外交とは対照的で、腰を引かせた軟弱な対応を見せているが国家の一大不祥事であろう。が、このことをを指摘するマスコミは皆無である。恐ろしい日本に成り下がったもんだと思う。

 結果的に小泉政府は、米国の目論見通りに事件を政治的に利用し、「脅しに屈しない」との口上で自衛隊のイラク派兵盲動にのめり込むことになった。被害者及びその家族に為したことは、お定まりのテロ非難声明と葬儀の取り仕切りと何の価値もありはしない川口賞を授与するだけというお粗末振りである。こったら馬鹿なことが許されるだろうか。

 2003.12.9日 れんだいこ拝
(私論.私見) 「捨民党氏のコメント」について

 捨民党氏は、外交官射殺事件に、れんだいこが「不審」を嗅ぎ取ったことが気に召さないらしい。次のように云う。
 「事の顛末を見る限り『疑問点』ではあるけど、『不審』と言う言葉できな臭さを煽るにしては疑いにあたるものが述べられていないね?」。

 れんだいこが返歌しておく。外交官射殺事件には未だに不審な事が多い。2004.12.30日現在に於いても真相は藪の中にあり、一向に解明されていない。これを不審と云わずに疑問と云えというそなたの国語力が気になるぞもしふふふ。


 捨民党氏は、日本政府の事件対応を、れんだいこが「米国への丸投げ」と批判したことが気に召さないらしい。次のように云う。
 意訳概要「日本国の主権の及ばない異国の地故に、治安行政云々の半ばを代行している米軍に調査をお願いするのは当然であろう」、「もう1回小学校からお勉強してこいや?」。

 れんだいこが返歌しておく。よしんば当時に於いては仕方なかったにせよ、あれから一年経過している。未だに米軍におんぶにだっこしたままで事件の解明が進んでいない。むしろ、闇に包まれたまま風化しつつある。米軍を当てにしている限りそうならざるを得ないと違うかな。「もう1回小学校からお勉強してこいや?」がブーメランのように投げた人に帰らないよう願ってあげるわさ。

 捨民党氏は、いいことも云う。日本政府の事件対応を、れんだいこが「腰を引かせた軟弱な対応を見せている」と批判したことに対して次のように云う。
 「腰を引かせたって米軍に腰引きまくりなのは今に始まったことじゃないだろうが?」。

 分かってまんがな。その観点からずっと分析されれば、れんだいこ見解と一致する場面も出てきそうな予感がする。「強面」の読みは「こわもて」に直しました。ご指摘有難うね。

 捨民党氏は、れんだいこが「米国の目論見通りの自衛隊派兵」と批判したことが気に召さないらしい。次のように云う。
 「事件を政治的に利用して自衛隊のイラク派遣に盲動って、自衛隊の派遣は11月29日に起こった事件の遥か以前、8月1日付イラク特別措置法やほか諸々で自衛隊の候補は話があがってるんだよ。新聞見てるかおい? 」。

 れんだいこが返歌しておく。外交官射殺事件以前も以後もいずれにしても「米国の目論見通り」のシナリオに添っているとしたら、特段目くじら立てられることもないでせうに。事件以降、武装派兵方向に拍車がかかり、それが「米国の目論見」であるとすれば、特段批判されることはないでせうに。とにかくいちゃもん付けなければお気に召さないということかな。

 捨民党氏は、川口賞授与に対して、れんだいこが「何の価値もありはしない」と形容したことに対して次のようにイチャモンつけている。
 概要「遺族には川口賞だけでなく叙勲も出している」。

 れんだいこが返歌しておく。叙勲だせば、川口賞の値打ちが上がるとでも云うのかな。「もうちょっと、日本語の使い方勉強しろ。それとも日本語読めないのか?」とご批判くださるが、これもブーメランになりませぬようご配慮申し上げます。

【第一報】

 フランスAFP通信のニュース記事が事件一報となった。この記事では、米軍当局者の次のような「説明」が報ぜられていた。しかし、後に問題となるが、米軍の発表は日本外交官の死後5時間も経過している。この「空白の5時間」と「事件発生時刻誤発表」と「事故時の状況誤認」が疑惑を生むことになる。

 フランスAFP通信によれば、米軍第4歩兵師団の報道官・ビル・マクドナルド大佐は、
「事件発生は午後6時」と発表している。しかし、後に、事件発生は「29日午前11時ごろ」で、病院に搬送されたのが午後2時ごろ」であったことが判明する。マクドナルド大佐は何故に「事件発生は午後6時」としたのだろうか。外務省幹部は同日夕、売店に立ち寄ったかどうかを含め、事実関係について「調査中」と繰り返すことになる。

 マクドナルド大佐は、事件経過について次のように発表している。

 概要「日本人外交官2名が、サダム・フセインの出生地で援助会合の開催地になっていたティクリットに向かう途中のティクリット南方15キロにあるムカイシファの食品店に立ち寄った際に射殺された。この事件ではレバノン人も1人、負傷した。これら3人は食料と飲み物を買おうとして停車したが、そこを複数の攻撃者が小口径の銃器で狙い打ちされた。これら3人はティクリットの病院に運ばれた。負傷者の状態は不明である」。

 しかし、後に、「ムカイシファの食品店に立ち寄った際に射殺された」のではなく、走行中に挟撃射殺されたとの有力証言が出てくる。マクドナルド大佐がなぜ、わざわざ違うことを発表したのか未だ謎となっている。ところが、2003.12.10日現在の最新情報では、「どこか別の場所で殺され、ゲリラの犯行に見せ掛けるために現場付近まで運ばれ、そこで車ごと銃撃されたのかもしれない」との説も飛び交い始めている。いずれにせよ、「未だに、どういう経過なのか不明のままのことが多すぎる」。

(私論.私見) 「捨民党氏のコメント」について

 捨民党氏は、米軍当局者の説明による事件発生時間の誤差は、「日本時間と現地時間の問題」であると次のように云う。
 「マクドナルド大佐の発表した発生時間ってさAFPによってもたらされた情報の日本語訳である日本時間でいう29日午後6時って事じゃね―のか? そりゃそうだよな?マクドナルド大佐が発表するとき『「現地時間』午前11時だろう」。

 れんだいこが返歌しておく。フーーム、これについてはれんだいこには判断つかない。どなたか確認され、ご指摘頼む。問題は、フランスAFP通信の第一報道と米軍第4歩兵師団の報道官・ビル・マクドナルド大佐の後のコメントに誤差があるのかどうかということだろう。それを確認すれば良いのだが。「事件発生は午後6時」が「午前11時ごろ」になったいきさつは単に、「日本時間と現地時間の問題」と云われると、フーームまっ確かめておくに越したことはない。

 捨民党氏は、マクドナルド大佐の事件発表説明が変化したことに対して、「誤通報の訂正であって特段に疑惑はない」と云う。れんだいこが返歌しておく。ほんまかいなぁそうかいなぁ。

 捨民党氏は、れんだいこが、「ゲリラの犯行に見せ掛けるための細工説」を紹介したことに対して次のように云う。
 「もはやこう言った風評を鵜呑みにして何の考証もしないまま載せるのなら題にあるように『〜考』とはしないことだ」。

 れんだいこが返歌しておく。米軍の「誤通報の訂正」には寛大で、れんだいこの風評紹介に対しては軽率だという観点がなんちゅうかほんちゅうか。この風評はかなり意味のあることだと考え、載せてみたのだが、それはまさに「〜考」の立場としては理に適っていると思うよ。


【事件の詳報】

 事件日、サダム・フセインの出生地であるイラク北部のティクリット(ティクリート)で、米軍主体の連合軍暫定当局(CPA)主宰によるイラクの非政府組織(NGO)を集めた復興支援に関する会議が開催されることになっていた。ティクリットはバグダッドの北約150キロに位置するフセイン元大統領の出身地で、イラクでも最も反米感情の強い「スンニ・トライアングル」と呼ばれる一帯にある。なぜ、この危険な地域で会議が開催されようとしていたのかは不明。

 事件後同会議に参加していたサラー・エル・ディン県のフセイン・アル=ジャブリ知事は、事件発生当日直前(11.29日)まで、ティクリットとその周辺地域は完璧に安全であると訪問者にむけて太鼓判を押していた。援助活動でこの地を訪れる人々のための宿泊施設の開所式で、概要「ここは安全な地域です。あちこち歩き回っても安全ですよ。ヘルメットとか防弾チョッキなど不要です。これまでいろいろと噂を聞いているだろうが、実際はそれと正反対で、ここは安全な地域なのです」と述べていたと伝えられている。米軍関係要人は、重武装した米軍の護衛車隊でティクリット市街に乗り込んできたにも拘わらず。

 奥克彦参事官(45)と井ノ上正盛3等書記官(30)は、会議に出席するためバグダッドの日本大使館を早朝に出発した。同行者は、イラク人のジョルジース・ゾラ運転手(54)運転手を含む3名だけで、警備車両はは付かず、警備官も同行していなかった。車両は、在レバノン日本大使館が使用していた黒の四輪駆動車(トヨタの「ランド・クルーザー」)で、車体の底部を除いて防弾装備を施した「軽防弾車」。ナンバーなど日本の車両と特定できるようなものは取り外してあり、外観上日本大使館用とは分からないようになっていた。つまり、車の外見上、日本人外交官と特定される要素はなかったという。  

 車は見通しの良い直線道路を快調に北上していた。ティクリットの南方15キロ(35キロとの記載もある)付近のムカイシファ(シモム)の幹線道路沿い片側二車線の直線道路、視界を遮るものはほとんどなく、360度地平線が見渡せるほど見通しがよいところで、ここで事件が発生した。当初の報道によると、「食品店に立ち寄った際に射殺された」とされていたが続報で否定され、不審車に挟撃され射殺されたことが判明した。しかし、犯行声明が出されておらず、狙撃犯の正体は未だ不明である。


 地元のディジュラ警察のマキ・ムスタファ警部らによると、井ノ上書記官は銃弾が胸を貫通しており即死状態で助手席のドア付近で路面に崩れ落ちていた。奧参事官は少なくとも頭と腹部に1発ずつの銃弾を受け浴び、後部座席で血まみれになって倒れていた。2人が所持していた50ドル、10万イラク・ディナール、15ユーロ(計約1万3000円)の現金には手がつけられていなかった。車体には左側に自動小銃と思われる多数の弾痕があった。 道路の東わきには約30メートルにわたってくっきりと車のわだちの跡が残り、機関銃の乱射を受けた車が畑に突っ込んだことが示されていた。遺留品ないし車両は、後にイラク駐留米軍(暫定占領当局・CPA)に引き渡された。

 事件発生から警察署への通報までは約1時間かかった。現場からまだ息があったと云われている奥参事官をティクリットの研修病院に運ぶまでに、さらに1時間以上かかった。対応の不手際があったのか、「電話も救急車も何もなく、緊急事態にとても対応できない」現地では止むを得なかったのかどうかは不明。監察医によると、井ノ上さんは病院到着時には既に死亡、奥さんはまだ息があった。「輸血などをしたが手遅れ」で、 病院に運び込まれた約1時間後死亡したという。

 30日午前10時すぎ、バグダッドの日本大使館からイラク人職員4人が遺体確認と事件状況の調査に当った。イラク駐留米軍の報道官は30日、今回の襲撃に関し、「日本人外交官2人は売店に立ち寄り、食料と飲料水を買い求めた際に銃撃を受けた」と語っている。しかし、外務省の堂道秀明・中東アフリカ局長は同日夕の記者会見で、「そうした情報は入手しているが、確認できる状況にない」と述べるにとどまっている。

 外務省によると、日本政府には日本時間の30日午前0時40分ごろ、米英占領当局(CPA)から事件に関する第1報が入った。搬送先の病院にはパスポートなどがなかったが、その後、地元部族長のもとで発見され、奥氏らの身元確認を行った。部族社会では、重大な問題が発生した場合、部族長にすべてを委ねる伝統がある。パスポートが部族長の手元にあっても不自然ではない。奥氏ら2人の遺体はバグダッドに搬送され、隣国のクウェート経由で日本に運ばれる予定。政府は、二人の遺体を米軍のヘリコプターでクウェートに移送できないか検討している。

 ところで、事件が防げなかった理由について、
第4歩兵師団・第1旅団司令官のジェイムズ・ヒッキー大佐は、ティクリットでジャーナリストたちに次のように語った。「2人の日本人外交官は米軍の同行警護を受けていなかった」、「わが軍は、あのような個人的な集団に兵員を同行させることは一切行なってこなかった」、「そうした任務の要請がなかった」、「日本人外交官のグループが民間の保安チームを同行させていたかどうか判らない」、「彼の部隊は当該地域の保安業務を担当している。だが1日24時間ぶっとおしで巡察しているわけではない。「あの地域を巡察するときは、敵勢力があの土地にいることに警戒して、一定の時間帯に巡察を行なっている」。

 問題の援助会合は、第4歩兵師団司令官のレイモンド・オディアーノ少将の開会挨拶で始まったが、この暴力事件については一切言及がなかった。「この会議は、前進にむけてのものです。この会議はイラクへの国際社会の参加をますます勝ち取っていくためのものであります。この会議はイラクをイラク人にとって住みよい場所にしていくためのものであります」。あまりにも白々しい大会宣言となった。

(私論.私見) 「捨民党氏のコメント」について

 ここには何のコメントも無いようだ。


【同じ頃、スペイン兵、韓国人技師も襲撃される】
 12.29日のこの日、バクダッド南部の幹線道路でも、イラク戦争を積極的に支持してきたスペインの情報機関員の車両が襲撃され、7人が死亡している。翌12.30日にも、ティクリットで韓国人技師4人が銃撃を受け、二人が死亡している。つまり、日本と韓国とスペインが11.29日から30日にかけた同じ時期に襲撃、殺害されたことになる。

 米政府高官は、米軍主体の連合軍暫定当局(CPA)と同盟関係にある日本、韓国、スペインの三カ国を計画的に狙った連続テロとの見方を強め、中央情報局(CIA)などを動員、犯人グループ特定に向けた徹底捜査に乗り出したことを明らかにした。 日本人外交官と韓国人技術者が事件当時に乗っていた車が一般のイラク人が所有している車種でないことに着目し、犯行グループが米国と親交のある外国人と分かって追跡したとみている。


【事件の目撃証言が現れ、米軍情報を覆す】

 現場のすぐそばの道路わきでジュースなどを売る売店を持つハッサン・フセインさん(43)が事件目撃者として次のように証言している。どこまでがハッサン氏の証言か分からないが、概略次のように述べている。
 「発砲音を聞いたのは29日午後零時半(日本時間同6時半)すぎ。銃撃音が聞こえたので外を見ると、バグダッド方向から走ってきた黒い四輪駆動車がスタンドの手前で右に大きくカーブを切り、道路からそれて畑に鼻先を突っ込むようにして突っ込んだ。車の中に日本人2人がいた。犯行後、武装グループの車列は一気に加速、そのままティクリット方面に走り去った。

 すぐ後ろから米軍の車列が通り過ぎていった。奥参事官らの黒い四輪駆動車の車体左側には無数の弾痕があり、ドアを開けたら前部座席に二人、後部座席に一人が血の海の中で倒れていた。まだ息があり、うめき声を発していた。助けようと思ったが何もできず、警察を呼んだ。畑に残った車の轍(わだち)の脇には、生々しい血痕が残っていた」。

 この証言によると、事件の第一報となったAFP通信記事文中の米軍広報官の話として伝えられた「一行は、食料や水を買うために売店近くに車を止めた際に襲撃された」を否定していることになる。「すぐ後ろを米軍の車列が通り過ぎていった」という証言も重大すぎる。それが事実なら、少なくとも米軍は「日本の外交官を見殺しにした」ということになる。これは重大な疑惑だ。

 12.2日、新たな現場目撃者が登場した。現場近くで清掃作業や農作業をしていた複数のイラク市民で、次のように証言している。

 概要「11.29日正午から午後一時ごろの間、銃声が聞こえ、数百メートル先の幹線道路の方向を見ると、白っぽい四駆車と白のトヨタ製乗用車など四、五台の車列の最後尾に奥参事官らの車両とみられる黒色の四駆車が走行していた。白っぽい四駆車に乗る武装グループの車に前後を取り囲まれたような形で発砲されていた。銃撃は約一・五キロ、一分弱続いた。銃撃したとみられる四駆車などはその後、加速してティクリット方向に走り去った。参事官らの車両は被弾後急に減速して蛇行を開始、最終的に食料品露店の手前から幹線道路右側に外れ、牧草地に約60メートル突っ込んだところで停止した。奥参事官らに逃げるヒマはなかったと思われる」。

 この証言は、事件を処理したティグリス警察署の見解と一致している。つまり、奥参事官らを乗せた車両は、並走していた四輪駆動車など三、四台の車に分乗した武装グループに襲撃され、連携して威嚇する形で並走し、追い抜きざまに左側の追い越し車線から自動小銃を乱射されたことになる。つまり、奥参事官らの車が狙い撃ちされた可能性が強まった。

(私論.私見) 「捨民党氏のコメント」について

 捨民党氏は、外交官射殺事件に於ける米軍に護衛責任無し論を次のように聞かせてくれる。
 「米軍見殺しと言う理論は到底当てはまらない」。 

 れんだいこが返歌しておく。捨民党氏の手離しの米軍信頼振りは一体何なんだ。物事の推理はあらゆる選択肢を用意しておくのを要領とすべきところ、あらかじめ米軍関係の線を抜いておくつうのではねぇどうも。


【犯人が使用した銃器について】
 検視の医者、地元警察によると、撃ち込まれたのはロシア製自動小銃カラシニコフの弾で、弾痕はフロントガラスにもあり、追い抜きざまに銃撃を加えた執拗(しつよう)さもうかがわせている。「機関銃を約25発発砲したのとみられる」との説も為されている。5人の警察官を現場に派遣したディジュレ警察の一人は、「現場に薬きょうが落ちていなかったのはふに落ちない、と首をかしげた」とも伝えられている。

【事件の不審さが次々と露呈】
 事件には、次のような「不審」が付きまとっている。
 事件一報となった米軍当局者の「説明」が、日本外交官の死後5時間も経ってからのことであり、この「空白の5時間」は何を意味するのか。
 事件第一報での米軍第4歩兵師団の報道官・ビル・マクドナルド大佐によって為された「食料と飲料を買うために露店に立ち寄った際に襲撃された」なる説明は、どこから生まれたのだろう。何の必要があってそのように発表されたのか。「なぜ現場にいたイラク人目撃者の証言と駐留米軍の発表がこれほど極端に違っているのか」。「最早米軍発表を信じる者は誰もいない」。
 事件のあった現場周辺には露店はなかったのか無かったのかについても両説が為されている。
 犯人像、犯行車両の特定が為されていない。いったい誰に殺されたのかという疑問。ゲリラ説、米軍の盾として利用説、米軍の誤射説、プロによる暗殺狙撃説のいずれかが精査されようとしていない。
 事件直後に米軍車両が通過したとの証言も為されているが、米軍車両が通り過ぎるのも不自然である。
 被害車両その他遺留品が米軍に引渡されたのは自然かどうか。
 「現場に薬きょうが落ちていなかった」のはどう理解すべきか。
 銃器についても、ロシア製自動小銃カラシニコフ説と軽機関銃説の二通りあり精査されていない。
 死亡した二外交官の遺体の解剖所見が発表されていない。インターネット上に漏洩された写真によると、井ノ上書記官は死後硬直を呈している。これにより死亡時刻が推測できるがこの方面の精査に向わない。奥参事官の遺体に銃器以外の外傷が認められるとの説も為されているが、その精査に向わない。
10  奥参事官の愛用していたパソコンの行方が不明となっている。
11  「どこか別の場所で殺され、ゲリラの犯行に見せ掛けるために現場付近まで運ばれ、そこで車ごと銃撃されたのかもしれない」との説も飛び交い始めている。

(私論.私見) 「捨民党氏のコメント」について

 捨民党氏は、1については、「日本時間と現地時間の問題」であると云う。2については、「単に誤報の訂正」だと云う。3については、「どの時点での話か諸説があるにせよいずれも誰によってその説がもたらされ、またどういう経過からそう言う説にいたったか示すことが出来なければ考察とは言わない 」と手厳しい。何で、れんだいこにそったら厳しく迫るのよ。それは丸投げされた責任を持つ米軍や丸投げした責任のある日本政府にも向けて欲しいんだな。

 4については、「精査中」であると云う。「無知蒙昧の極みだな」とも云う。しかしねぇ、あれから一年たっている現在、「精査」の結果知りたいんだよな。捨民党氏よ、どう思う?

 5については、米軍車両が通り過ぎに対して、見殺し説と不自然説を掲げたのがお気に召さないらしい。「自己矛盾を繰り返しているぞ、早急に訂正しろ!」と云う。しかしねぇ、答えが出ていれば、不要な方を割愛することも出来る。今は、両方指摘しておくのが「考察」の所以たるところで仕方なかんべ。

 6については、「なんら不自然性は無い」と云う。とにかく、米軍関係のこととなると何でも是認やなぁ。

 7については、「銃弾とは違って薬きょうはほぼ真前方には飛ばない」から現場に落ちて無くても当たり前と云う。フーームそんなもなでやすかねぇ。

 8については、「精査中」であると云う。「精査中」でもゆったりして良い調べも有れば、すぐに割り出さねばならないものもあり、銃の特定なぞは後者の話だと思うがねぇ。

 9については、「捜査に関する情報やまして解剖所見というようなものは公にしない」のが嗜みで、「一般人が目に触れるべきものではないはず」らしい。「おまえは司法警察職員にでもなったつもりか?」とまで云う。そういう訳で、マスコミの皆さんが大本営発表しかできない、してはいけないつうことになるんだな


 総評として、この御仁の御用性は病膏肓の息に達していると云わねば成るまい。


【奥参事官のパソコンの行方と内蔵情報について】
 木村愛二氏の「緊急転載:誰が隠したか最重要の絶筆:故奥克彦参事官が死の直前に書いたイラク復興への思い」他から、れんだいこ風に要約する。

 奥参事官は外務省ホームページに「イラク便り」を70回連載する他方で、外交専門誌「外交フォーラム」11月号に寄稿し、イラク復興における国連の重要性を強調していた。復興を通じて「米一極世界」が転換する可能性を指摘し、日本に「関与の余地がもっとある」と貢献を促していた。国連事務所テロで死亡した職員の血染めの名刺を掲載し、「遺志を継いで復興に貢献する」と決意を記していた。

 その奥氏は亡くなる直前、個人用パソコンを使った“未公開の原稿”を書き上げる寸前だった。その原稿は、再来月号の「外交フォーラム」の英語版に掲載予定であった。事件に遭遇した直後がちょうど締切日にあたっていた。奥氏は、事件前、その原稿の内容を「外交フォーラム」宛へ伝えていたという。原稿の仮タイトルも、「紛争後における軍隊の役割について―イラクの実例から」(Military Role in the Post-Conflict Era: A Case in Iraq)とされており、次のように書き出していたという。
 「イラク復興に関与しているアメリカ軍を中心とした各国の戦闘要員である軍隊が、ポスト・コンフリクト(地域紛争後)において果たしている役割、例えば民政部門の復興への関与について、私が見た、体験したイラクでの実例を挙げながら解説する予定。その上で、今後のイラク復興の方向付けについての意見を展開します。イラクでは、連合暫定施政当局(CPA)よりも、むしろ軍関係者が治安維持という分野を越えて、さまざまな分野に関与している。つまり、軍が事実上の行政を取り仕切っている。こういったイラクの実例は、これまで国連のPKOが行われたコソポ、東ティモール、またアフガニスタンと比べてもまったく異質なるものである。これからも起きるであろう紛争後の社会の安定、経済発展を考えるうえでは、さまざまな示唆を提示していることをお伝えしたい。そして最後に、日本の自衛隊の今後のあり方についても問題提起をする予定である」。

 奥氏は、“未公開の原稿”の分量について、「十一月号の二倍は書きたい」といつになく熱っぽい調子でこう注文をつけていたという。注目すべきは、「今後のイラク復興の方向付け」を提言しようとしていたことであり、その方向は国連の役割の限界を見据えつつ「本当の現実」の米英軍主導の平定化にも疑問を発するものであり、「本来ありうべき貢献の在り方を模索し、日本の採るべき貢献への道筋」を訴えようとしていた。しかし、この「命がけの任務の中から彼が送ろうとしていた日本へのメッセージ」は遺稿となった。

 このような観点を持つに至った奥参事官は、一部の報道によれば、「生前、奥氏は事実上、名指しでの脅迫を受けていた」ことを伝えている。これが事実とすれば、脅迫者とは何者か詮議されねばならない。

 奥参事官の虐殺後、不可思議なことが起こっている。奥大使が常に携行していたノートパソコンが紛失している。アメリカ軍や現地警察などから渡された遺品の中からも見つかっていない。大使館の奥氏のデスクや宿舎をいくら探しても、なぜか彼のバソコンが見あたらない。在外公館に赴任した職員は、毎日の行動をパソコンに記録しておくのが習慣になっている。奥大使も、大使館幹部のスケジュールから、いつ、どこで誰と会い、どんな話をしたのかといった日常業務はもちろん、本省からの指示、米軍との連絡事項などまでパソコンに保存していた可能性が高い。しかも、奥大使の最大の任務は、イラクを実質統治しているアメリカの連合暫定占領当局(CPA)との交渉にある。遺稿その他貴重資料がパソコンに収められていたはずである。そのことを知る誰かがこのパソコンを意図的に闇に持ち帰ったことになる。果たして、ゲリラ側がここまでするだろうか。

 ところが、12.22日付け最新報道によると、日本人2外交官殺害事件の現地捜査を担当する米陸軍第四歩兵師団のマーク・ヒューロン大佐がイラク警察ディジュラ署で語った伝によると、「事件後に紛失していた日本人外交官の携帯パソコンについて、地元住民からイラク警察署へ届けられていたことが分かった。直後に通りかかった住民が車内から盗み出したという」とある。こうなると、様々な情報が飛び交いつつ浮かんでは消され、故意か偶然か情報が錯綜するように仕組まれていることになる。

(私論.私見) 「捨民党氏のコメント」について

 捨民党氏は、「奥参事官のパソコンの行方と内蔵情報について」、米軍に疑惑向けるよりゲリラに向けるべし論を得々と聞かせてくれる。旧政権の情報部の差し金でゲリラが奪取したとまで推測してくれる。米軍は全てお見通しだからそういうことをする必要が無いとまで聞かせてくれる。否、仮説として、日本の一部の極左セクトがアラブ過激派と手を組んでの犯行が考えられる、とまで聞かせてくれる。「なんか、笑えるくらい利にかなってると言うか動機十分何だけどな?」と云う。


(私論.私見) 「捨民党氏の素敵なご教示」について
 捨民党氏は最後にこう締め括る。
 「はっきり言ってここまで事実誤認と歪曲、一方的な見識による決めつけ、等々害悪甚だしい文書を見たのは初めてだ。まぁお前に出来るかどうかは知らんが出来るものなら指摘されたところはさっさと直して訂正文でも載せな?それと日本語の勉強もしとけ」。

 れんだいこお仕舞いの返歌しておく。れんだいこも寄る年波ごとに見えてくるものがある。それは、性格の悪い奴は治らんということ。だから、れんだいこは説教はしない。むしろ、ひたすら素直に何か学べることを得させてもらおうと思う。学んだことは、人は、身に覚えのあることを人様に説く習性があるということ。自戒せねば成らん。

 2004.12.30日 れんだいこ拝

【政府高官の対応】
 3.20日のイラク戦争開戦以降、日本人が同国で死亡したのは初めてで、政府は大きな衝撃を受けている。「恐れていた事態がとうとう起きた」が、自衛隊派遣へ向け準備を進めている政府が慎重になるのか強硬になるのか予断を許さない事態となったが、小泉首相は「テロに屈しない」として強硬路線に打って出ることになった。

 小泉純一郎首相は12.30日午前、イラクでの日本外交官殺害事件を受けて首相公邸で杉田和博内閣危機管理監らと対応を協議し、「日本はイラクの人道復興支援に責任を有する。どのようなテロにも屈しない」と述べ、自衛隊派遣を含む支援策に変更がないとの考えを示した。協議には外務省の堂道秀明中東アフリカ局長、岡本行夫首相補佐官らが出席。岡本補佐官は協議後、記者団に次のように述べた。

 「日本が全力を挙げてイラクの人道復興支援に取り組んでいくという方針にいささかの揺らぎもない」。

 小泉首相は、事件に関して「痛恨の極みだ」と強調し、杉田管理監らに「背景を含めて徹底的に調査し、現地の日本人の安全確保に万全を期してほしい」と指示。米国側からの情報収集や、現地調査をさらに進めるよう求めた。同時に、犠牲になった二人の遺族に十分な配慮をするよう求めた。しかし、午後になると、公邸で記者会見し「テロに屈してはならない。日本はイラクの復興支援に対しやるべきことはやらなければならない」と表明し、「事件の徹底調査」よりも「自衛隊派遣を含めたイラク政策を変更しない意向」を強調し始めた。

 福田官房長官は、「(日本を狙った)テロの可能性が強い」との見方を示し、同日午後、外務省の緊急対策本部で川口順子外相と安全対策などを協議。外務省は田中和徳政務官らをクウェートに派遣した。

 川口外相は30日午前、イラクでの日本人外交官殺害事件を受け、米国のパウエル国務長官と急きょ電話で会談し「イラクの復興支援、テロとの戦いに積極的に取り組むとの(日本政府の)基本方針が揺らぐことはない。小泉純一郎首相からも指示を受けた」と伝え、事件の事実関係調査や治安対策、現地の日本関係者の安全確保などについて米側の協力を要請した模様。長官は「できることはすべて行う用意があり、日本側に全面的に協力するよう現地に指示を出した」と答えた、とある。会談は米側からの電話によるもので、長官は「ご遺族に心よりの哀悼の意を伝えてほしい」と弔意を表明。外相は「二人を失った悲しみは言葉では言い表すことはできない」と述べた、とある。米国のベーカー駐日米大使やウルフォウィッツ米国防副長官らも、それぞれ日本側に対し電話で弔意を伝えた、とある。

 続いて、外務省で緊急記者会見し、「イラク復興支援に日夜粉骨砕身していた二人の部下を亡くし痛恨の極みとしか言いようがない。事件は許し難い」と述べた。しかし、今後の対応については「テロに屈することなくイラクの復興支援に積極的に取り組むという日本の姿勢が揺らぐことはない。小泉純一郎首相からもこのことについて指示を受けている」と強調、イラクの日本大使館の縮小、撤収についても考えてないことを明言した。
 

 安倍幹事長は同日昼、自宅前で記者団に「(殺害された)二人とも非常に優秀で立派な外交官と聞いており、大変残念だ」とコメント。その上で「テロには決して屈しないというわれわれの意見がこれで変わることはない」と述べ、自衛隊派遣方針が揺らぐことはないと強調した。ただ派遣時期については「場所によっても違うし、しっかりと安全確保のため十分な調査の結果を踏まえ判断しないといけない」と述べ、慎重な判断が必要との認識をあらためて示した。

 久間章生・自民党幹事長代理は電話での取材に対し、「日本人を特定して狙ったのかどうかなど襲撃された状況がよく分からないので、今の時点では自衛隊派遣への影響については何とも言えない」と述べた。

 一方、自民党の加藤紘一元幹事長はテレビ朝日の報道番組で「大量破壊兵器があるからという戦争の大義名分はなくなった。間違いの戦争だった」と指摘。「自衛隊派遣には反対だ。やるべきではない」と重ねて強調した。


【小泉首相、かん口令。「ぺらぺら話すな」】

 小泉純一郎首相は12.3日夜、イラクへの自衛隊派遣をめぐり政府部内に厳しいかん口令を敷いたことを明らかにした。
 「ぺらぺらしゃべればいいってもんじゃない。気を付けなさいと私から指示を出しておきました」。

 これを受けて石破茂防衛庁長官は同日の首相との会談後、首相官邸の正面で待ち受ける報道陣を避けて、別の通用口から出るなど「逃げの一手」。福田康夫官房長官は記者会見で派遣問題に関して「これ以上お聞きにならないようにしていただきたい」と記者団に声を荒らげた。

 小泉首相は、官邸で記者団に石破氏の「脱出劇」を指摘され、「あまりにも情報が漏れすぎるから。秘密にしなければならない情報もあるんです。そこを理解しないと」と強調。説明時期については「しかるべき時です」と三度も繰り返した。福田氏は記者会見で「具体的なことは言えない」の一点張り。記者団が食い下がると「決めていない、中身がないのに説明できない。あなた方は憶測に基づいて(新聞に)書いているじゃないですか。それは一体どういうことか」と「逆ギレ」状態。石破氏の行動に関しても「全くそういう指示はしておりません。疑い深いですね。本人に聞いてください」と述べた。


【犯人像について】

 イラクの日本人外交官殺害事件について、犯行声明が為されていない。12.1日、米政府高官は、「(襲撃は)周到に準備されていた」と述べ、テロの可能性が極めて高いとの見解を示した。また、犠牲となった奥克彦参事官が連合軍暫定当局(CPA)と日本政府のパイプ役として「活動的だった」ことで標的とされた可能性を指摘した。事件の状況からこれまで、日本政府内でもテロの可能性が高いとの見方が出ていたが、米政府内でも同様の見方が強まっていることを示した発言といえる。

 別の米政府高官は事件について「犯人や犯行理由の結論は出ていない」としながらも、一連のテロで、フセイン元大統領に忠誠を尽くす残党と国際テロ組織アルカイダなど外国人テロリストが共闘する傾向を見せ始めており、今回の事件も両者の「結合」が排除できないとした。外国人を対象としたテロは「人々を脅して(イラクから)追い出す」ことが狙いとも分析。外国人は「(イラク復興に)より明りょうな形で携わっており、標的も増える」と事件の背景を説明した。

 12.2日、日本政府は、イラクの日本人外交官殺害事件について、強盗目的や怨恨(えんこん)による犯行と考えられないとして、事件を「テロ」とほぼ断定した。同日までの外務省の調査で、(1)二人の所持品に手が付けられていない。(2)走行中の車に軍用とみられる銃を乱射した。(3)奥参事官が地方の統治評議会など「親米派」の政治家と深いつながりがある重要人物として知られていた−などが判明。政府関係者は「大使館を出た時点から追跡されたか、ティクリット市街地の手前で排外的な集団が外国人が乗った車の待ち伏せをしていた可能性がある。テロそのものだ」と明言した。

 米軍などの撤退を狙った武装勢力の犯行とみられるものの、犯行声明など具体的な証拠は見つからず、犯人の標的が「日本政府」か、「在イラクの外国勢力一般」か、などは未解明。対外的にテロと認定した場合、ブッシュ米政権が推し進める「対テロ戦争」の直接当事者と自らを位置付けることになるため、「政府は慎重に言葉を選んでいる」(外務省筋)のが実情という。

 12.3日、外務省の逢沢一郎副大臣が同省で記者会見し、イラクの日本人外交官殺害事件について、事件の状況から「単なる物取りではないという強い心証が得られつつある」と指摘、「テロの可能性が濃厚」と判断していることを明らかにした。逢沢氏は記者会見で、これまでの外務省の調査によって(1)・イラクなど複数国の現金やクレジットカードを現場で回収した。(2)・襲撃を受けた四輪駆動車の主に左側に約三十発の弾痕が残っていたなどが判明した。(3)・日本人や大使館関係者を計画的に狙ったかどうかについては「断定できる材料はない」と述べた。

 福田康夫官房長官も同日の記者会見で、テロかどうかとの質問に「その見方が強い」、「(イラクで発生しているテロの組織性について)外務省で情報分析している。テロは散発的に起こっているが、頻度が高いというのが私の認識だ」と強調した。


【米国側から日本の自衛隊派遣要請強まる】

 バウチャー国務省報道官は1日の会見で奥参事官ら2人が「イラク復興に多大な貢献をした」と述べ、米政府としてあらためて弔意を表明。「なぜわれわれがイラクにいるのか、命をささげるほど重要な目的は何なのか、堅固な理解が(同盟国間に)ある」と述べ、事件にもかかわらず日本の自衛隊派遣に期待感を示した。

 在イラク駐留米軍のサンチェス司令官は30日、バグダッドで記者会見し、頻発する欧米の軍や外交官に対する攻撃に、米国で訓練を受けたイラク警察官と、民間人の通報者が関与している可能性がある、と述べた。米軍は在留軍の早期撤退を視野に、旧イラク治安勢力の再訓練を進めている。同司令官はまた、一連の攻撃に国際テロ組織アルカイダが関係している可能性があるものの、確定的な証拠はまだ見つかっていないとも述べた。


 12.3日、共同通信によると米政府高官が、外交官殺害後、日本の政府・与党内でイラクへの自衛隊派遣に慎重論が出ていることについては「全面的に理解できる」としながらも、ブッシュ政権は来年六月に予定しているイラク暫定政権樹立以前に日本政府が自衛隊を派遣することを確信していると述べた。イラク復興を現地で続けている日韓やスペイン、イタリアなどの攻撃しやすい「ソフトターゲット」にテロの標的が拡大している事態に触れ「同盟国が(テロに屈して)イラク復興を後退させれば(武装勢力に)誤ったメッセージを送り、テロを助長するだけだ」と指摘。小泉純一郎首相が事件にもかかわらず、イラク復興政策を変更しないと表明したことを評価した。


【日本政府、2外交官追悼合同葬挙行】
 12.4日、イラクで殺害された在英国大使館の奥克彦参事官(45)と在イラク大使館の井ノ上正盛三等書記官(30)の遺体がクウェートからロンドン経由で成田空港に帰国した。奥参事官の妻恵美子さんや井ノ上書記官の妻幸乃さんら遺族がクウェートで遺体を引き取り、付き添ってきた。空港の駐機場には川口順子外相らが出迎え。航空機から降ろされたひつぎは、遺族らが見守る中、千葉県警の儀仗(ぎじょう)隊に運ばれ霊きゅう車へ。遺体は警視庁が検視、5日に司法解剖する。

 外務省は4日、奥参事官を大使に、井ノ上三等書記官を一等書記官にそれぞれ11月29日付で昇格させる人事を発令した。両家と外務省の合同葬は6日午前11時から、東京都港区の青山葬儀所で行われ、川口外相が葬儀委員長を務める。

 12.6日、奥大使(参事官から昇進)と井ノ上1等書記官(3等書記官から昇進)の奥、井ノ上両家と外務省の合同葬が午前11時から、東京・南青山の青山葬儀所でしめやかに行われた。外務省葬は78年以来、25年ぶり6回目。合同葬には、小泉首相をはじめとした政府関係者、河野、倉田の衆参両院議長のほか、在京の各国外交団、外務省関係者など1500人以上が参列した。川口順子外相が葬儀委員長になった。中央の祭壇には、右側に奥大使、左側に井ノ上書記官の遺影が掲げられ、冒頭、30秒間の黙とうが行われた。

 小泉首相は哀悼の意を表明し、その中で、奥大使について「連合国暫定当局(CPA)や米英関係者と信頼関係を築き、余人をもって代え難い活躍をした」と高く評価。井ノ上書記官についても「イラク人との友情を大切に、イラク国民の視線から地道な活動を続けた」とたたえた。首相は、涙で約20秒間も絶句した後、「2人は日本国、日本国民の誇りでもある。熱い思いと功績を決して忘れない。日本政府は2人の遺志を受け継ぎ、国際社会と協力してイラク復興に取り組んでいく」と、今後もイラク復興支援に全力を挙げることを誓った。

 弔辞では、竹内行夫・外務次官や、2人の外務省の同期入省者や学生時代の友人が思い出を語った。その後、奥大使の妻、恵美子さん(45)や井ノ上書記官の妻、幸乃さん(30)ら遺族や、一般参列者らの献花の列が続いた。葬儀に先立つ2人への勲章伝達式で、奥大使に従4位旭日中綬章、井ノ上書記官に従7位旭日双光章が授与され、葬儀委員長の川口外相がそれぞれ遺影にささげた。川口外相はあいさつの中で、優れた職員の功績をたたえる「川口賞」を2人に贈ることを表明、祭壇に表彰状を供えた。2人は8月にいったん受賞が内定したが、「任務が完了していない」として辞退していた。葬儀に先立ち、勲章伝達式が行われ、2人がイラクの人道復興支援に尽力したとして、奥大使と井ノ上書記官の祭壇に、それぞれ旭日中綬章と旭日双光章が供えられた。


【外務省の情報隠匿論理】
 高まる事件の「不審」に対して、外務省は、「(被弾数や銃弾の種類などは、)遺族感情を考慮すると死因以外は明かせない」と発表した。

(私論.私見)政府の「遺族感情を考慮して真相掘り下げを差し控える論」について

 この論はどこかで聞いたことがある。そうだ、日共筆阪のセクハラ失脚事件に関連して述べた党中央の「被害者のプライバシー保全のため真相掘り下げを差し控える論」と酷似している。とんだところで馬脚が現れるというもんだ。

 外務省は12.4日、殺害された奧参事官と井ノ上書記官が事件当時に乗っていた大使館の館用車の写真3枚を公表した。車は黒の四輪駆動車トヨタ・ランドクルーザーで、車体左の防弾ガラス2枚に弾痕が集中している。米軍が事件現場から車をティクリートに移動した後に撮影し、暫定占領当局(CPA)を通じて外務省に2日、電子メールで送信されてきた。銃弾が防弾ガラスを貫通していることが確認できる。また、フロントガラスの中央部分が割れ、ボンネットの前部中央部分にも弾痕のような穴が残っている。
(私論.私見)政府発表の「大使館の館用車の写真3枚は替え玉論」について

 次のような見解が出されている。
 概要「日本人外交官殺害事件の直後に起きた韓国人技術者の銃撃殺害事件の被害車両の場合、窓ガラスは後部座席もリアウインドウもすべて吹き飛び、銃弾はボディのあちこちに雨あられと散乱している。つまり、走行している車を襲った場合は通常こういう風になるということだ。ところが奥参事官らの車はなぜか見事なうつくしさを保っている。見事に判で押したように銃弾は前の窓ガラスと後部の窓ガラスにきちっとおさまっている。あれでは止まっているところを撃たれたとしか思えない。走行中なら必ず韓国車のようになる。しかし、様々な証言から、止まっているところを撃たれたのではないことがわかっている。

 では、どういう推測がこの場合、整合的であるのか。日本に提供された奥参事官らの車の写真はじつは替え玉であると。これが一番整合的な推論だ。で、本物はじつは韓国車のように、もっとひどい惨状であると。そこから犯人も推測できるようなものであったと。だから米政府機関が巧妙に摩り替えたと。しかも返さないと。こういう推測が成り立ちますな」(「日本に提供された奥参事官らの車の写真はじつは替え玉である、という仮説」)。

【ロイター外電が「遺体写真」発表。外務省が映像配信中止に動く】
 運転手を含む3人の遺体が、イギリスの通信社ロイターによりインターネット上で動画で発表された。これを撮影した者が誰なのか不明であるが。「運転手を含む3人の遺体を動画で撮影したのがロイターのカメラマンなのか、米軍 なのか、CIAなのか、モサドなのか、それらもまったく不明のまま、『バグダッドの 北の会議に参加する途上で殺された』という情報が、世界中に配信された」。外務省はすぐさま日本雑誌協会に掲載自粛要請を出している。

 しかし、週刊現代が、遺体映像の写真を掲載した。これに外務省国内広報課が次のような権力を行使している。@・同誌を出版している講談社に抗議し、のみならず回収まで要求している。但し、講談社は、外務省の「回収申し入れ」を、まったく相手にせず、無視している。というか実務上困難であり、外務省の申し入れだけが事実として残ることとなった。A・映像源と見られるイギリスの通信社ロイターに、ロンドンの日本大使館が圧力を掛けて、映像配信に抗議した。ところが、実際には、「抗議したと発表した」ものの実際にロイターやAPに取材したら、抗議し形跡すらなかった」(大手紙外務省詰め記者)ことが明らかにされている。国内的に強面の対外的には卑屈という日本官僚の習癖が露呈している事になる。B・電網上で発表している「電網宝庫」に、外務省の国内広報課と法務省の東京法務局が歩調を揃えて抗議し、掲載中止、削除の圧力を掛けた。ちなみに、大活躍している外務省国内広報課の課長・大森茂は、外務省に直接入った「生え抜き」高給官僚である。

 木村愛二氏は、外務・法務高級官僚が必死に隠蔽図るイラク2外務職員の不審な遺体映像は電網上で最早抹殺不可能で次のように抗議している。
 「外務・法務の両省は双方ともに、圧力の根拠は、『人権擁護』と主張し、遺族 を人質に取っている。しかし、遺族が抗議したわけではない。その結果、その他の情報不足と情報公開拒 否の状況下、事件の事実関係、真相は、隠蔽され続けている。これでは、真犯人を突き止めることは不可能となる。むしろ、死者の死後における再度の抹殺である。遺族も、真相を知りたいに違いないのである。外務・法務の両省の方こそ、遺族の人権を踏みにじっているのである。しかも、この事件が及ぼす影響は、図り知れないほど大きいから、誰にでも真相を知る権利がある。通常の殺人事件なら当然の鑑識、検屍解剖などの情報が、入り乱れて、どれも信用できないのだから、手掛かりとしての映像は、貴重この上ない。そこで、私は、やむなく、外務省の国内広報課長の大森茂に、何度も説諭を試み、 どうにもこうにも、箸にも棒にも掛からないから、わが電網宝庫でも発表するし、可能な限り広めると通告した」。

 更に、次のように締めくくっている。
 「『疑う者はテロリストの味方か!』、『アメリカの敵か!』と、皆が脅されているのである。 だから、私は、断固、疑い続けるし、映像を配信し続け、広め続けるのである。電網上に溢れ出ている映像を、あえて圧殺し、抹殺しようと『あがく』日本の高級官僚の 背後には、アメリカとか、イスラエルとかが、潜んでいる可能性もある。私は、『命が惜しくば』という脅しには、絶対に屈しない」。

【奥大使、井ノ上書記官の司法解剖所見について】

 奥大使と井ノ上書記官の遺体はいったん米軍が収容し、クウェート経由で12月4日に日本に帰国した。警視庁はその日のうちに検死を行ない、翌5日に奥大使は慶応大学、井ノ上書記官は東京大学で司法解剖が行なわれた。

 その後ただちに、首相官邸と外務省に奥大使の死因について驚くべき報告があげられた。事件の処理にあたった政府中枢筋の証言である。

 「奥大使の遺体にはいくつもの銃創があり、病院で亡くなったのではなく、即死に近かったと判明した。問題は頭部の被弾箇所だ。奥大使は頭の左側に5発の銃弾を受けていた。走行中に並走する車からマシンガンなどで撃たれたのなら、急所に正確に5発も命中するとは考えられない」。

 奥氏らの遺体の写真は通信社を通じて世界に配信された。写真には、手術台のようなベッドに横たわる奥氏の左のこめかみ付近とその数センチ下に小さな血塊が写っており、政府中枢筋の話と符合する。

 ということは、走行中の射殺証言もまた怪しくなり、意図的な射殺後のカモフラージュだった可能性も有る。かくして真相は更にヴェールにくるまれてしまった。誰が何のためにかように事を複雑にしているのだろうか。れんだいこが見るに、これは謀略戦に付き纏うやらせが混じって故意に事をややこしくさせているということではなかろうか。ならば、可能な限り解きほぐさねばならない。

【奥大使、井ノ上書記官の「遺体写真」の語る疑惑について】
 メディアが報じた二人の「惨殺写真」に関して重大な疑惑が発生している。奥大使、井ノ上書記官の死体が安置されている様子を撮った静止画像写真は、井ノ上氏の死体は手を空中に差し伸べており、何かを掴んでいるような「死後硬直」状態を写している。

 木村愛二氏は、「独自の素人『検死』をした」として次のように述べている。
 「井ノ上氏の死体は『死後硬直』の状態であり、奥氏の死体には硬直が見られない。この両者の死体の下には血の淀みが見られない。運転手のアラブ人の死体の動画は、編集で、つなぎ合わされたもので、同じ病院の同じ場所で撮影されたのではない可能性があり、頭部の下には大きな血の淀みが見える。死んでから、あまり時間が経っていない感じである。この3人は、同時に殺されたのでは、絶対に、『あり得ない』のである」。
(私論.私見)

 つまり、木村愛二氏の指摘に従うと、奥大使、井ノ上書記官惨殺事件は様々な憶測が飛び交っているが、何者かによって事前に射殺され、高速道路上の射殺事件として偽装されている可能性を生み出す事になる。これが「二外交官惨殺事件」解明のキーワードであろう。

 ましてや、このような惨殺の目に遭わされたのが外交官であるとすると、日本政府が事件の徹底解明を行うのが主権国家たる責務であろう。あぁだがしかし、北朝鮮に対しては威勢良く主権行使するも、「二外交官惨殺事件」に対してはブッシュ率いるアメ帝におんぶにだっこのザマである。結果、自衛隊の軍事派兵に政治主義的に利用された経緯ばかり見せ付けられている。これに憤然としないならば、それはあまりに植物的な市民であろう。


 2004.2.16日 れんだいこ拝

【革マル派の見解(解放、2003.12.5日付け)】 http://www.jrcl.org/

 米軍の日本人外交官誤射・殺害のもみ消しをはかる日米権力者を弾劾せよ! 「テロとの対決」を名分にした自衛隊のイラク派遣を絶対に阻止せよ!

 日本革命的共産主義者同盟 革命的マルクス主義派

 11月29日に、イラクのティクリート近郊の道路上において、日本人外交官2名とイラク人運転手が乗った車両が走行中に銃撃され、3名全員が殺されるという事態がひきおこされた。この事件は、その後に明らかとなったあらゆる情況からして、「テロリストによる犯行」などでは断じてなく、米軍による誤射・殺害であると推断しうる。それは、イラク・ムスリム人民による「反米・反占領」の苛烈なゲリラ闘争に震えあがりパニック状態に陥っている米占領軍が苦しまぎれに強行したスンナ派三角地帯≠ナの人民皆殺しの軍事作戦、その渦中でひきおこされた事態にほかならない。

 @真相の隠蔽ともみ消しに狂奔する米軍

 米軍占領当局(CPA)は、事件発生の直後から、「テロリストによる犯行」などという情報≠流しながら、事実の隠蔽に狂奔した。
@  事件発生は29日の午前11時頃(現地時刻)であるにもかかわらず、米軍は発生時刻を「午後5時」と6時間も遅らせて発表し、また「道路近くの売店に水と食料を買いに立ち寄ったところを襲われた」とまったくのウソを発表した。(この発表が「誤り」であったことを、12月5日にいたって米軍は認めざるをえなくなった。)
A  現場を目撃した住民によれば、「直後には日本人の1人は息があった」とされているのであるが、このことを米軍はひた隠しにした。
B  米軍は、被害車両のトヨタ・ランドクルーザーを現場から移動して米軍基地内に隠匿し、今なお返却していない。――同日に襲われ7名が殺されたスペイン秘密警察の車両や2名が殺害された韓国民間人の車両は、いずれも現場に放置されている。これに比して、まったく扱い≠ェ違っているのだ。
C  事件発表後に現場を訪れた共同通信記者によれば、付近には薬きょうがまったく落ちていなかった。――米軍は、銃の種類がわかる薬きょうをすべて回収したのだ! この隠蔽工作こそは、事件が米軍じしんによる犯罪であることを自己暴露しているではないか。

 日本政府の「要求」に応じて米軍が渋しぶ出してきた被害車両の写真によれば、被弾は左側面のガラス窓とドアに集中しているが、同時に、前部ボンネットにも貫通痕がある。このような貫通痕は、――米軍が強弁しているような――「左側を併走する乗用車型の車からの銃撃」では起こりえない。高い銃座を持つ車両(たとえば装甲車)で前方から撃ったものと断定しうる。しかも、ランドクルーザーが銃撃を受けて止まったその後から「米軍車両が通り過ぎていった」という地元住民の目撃証言さえある。

 
およそこれらの諸事実からして、事態の直接性が次のようなものであったと推定しうる。――日本人外交官らの乗るトヨタ・ランドクルーザー(ナンバープレートを外したスモークガラスの車)がティクリートに向かう道路を猛スピードで走行中に、これと遭遇した米軍部隊が「テロリスト」と誤認して銃撃し殺害した(これが午前11時前後)。その直後、殺害した相手が日本人外交官であることに気づき、うろたえた米軍は、その後6時間以上をかけて、米軍の犯行であることをしめす物証の隠滅に奔走し、隠滅工作が終わった後に発生時刻を偽って発表したのだ。

 A日本車をおとり≠ノしたゲリラ掃討作戦

 この誤射・殺害事件は、決して偶然に惹き起こされたものではない。殺害された日本人外交官たちは、29日にティクリートで開かれる予定であったCPAのイラク復興支援会議に向かう途中であった。ムスリム人民の反米・反占領のゲリラ戦に追いつめられた米軍は、このかんティクリートをはじめとするスンナ派トライアングル地帯において、「アイビーサイクロン2」と名づけた空爆・砲撃などによる皆殺し作戦を狂乱的に展開してきた。水鳥の羽音にも脅えるような心境になっている米軍部隊は、動く対象≠見つけただけで銃を乱射するというパニック状態に陥っている。韓国の記者は、「われわれの車両を追い越したら銃撃する」とティクリート近辺の米軍から警告されていたという。

 この事件直後の11月30日には、ティクリートからほど近いサーマラにおいて、米軍は「新通貨の搬送車列を襲撃してきた武装勢力」との大規模戦闘を展開し、「54名を殺害した」と発表した。この戦闘は、「搬送」部隊というおとり部隊≠使って「テロリスト」を誘い出し包囲殲滅(せんめつ)する、という作戦にもとづくものであった、と推察できる。ところが実際には、敵≠ノ脅えきっている米軍は、反米感情をむき出しにして立ち向かってきた住民たちにメクラめっぽうに機銃を乱射し、50名以上の住民を虐殺したのだ。これはまさに、ベトナム戦争末期に、米軍が狂気にかられてひきおこしたソンミ村の住民大虐殺と、まったく同様の事態ではないか。29日の事件もまた、こうした血迷った作戦がもたらした必然的事態にほかならない。

 いやそもそも、今日このとき、サダム・フセインの出身地でありもっとも米軍への抵抗の激しい「危険地域」であるティクリートにおいて、このような会議を開くことじたいに米軍の策謀が見てとれるではないか。米軍は、「テロリスト」をおびき寄せて殲滅するためにこそ、わざわざCPAの会議を敵の本丸≠ナ開くという策略をめぐらしたのだ。そして、そこに招集した各国外交官やNGOのメンバーをも、ゲリラ部隊をおびき寄せるためのおとりに使ったのだ。当日の29日には、要所に配置された特殊部隊などが、敵を待ちうけ見つけしだい攻撃する、という態勢をとっていたにちがいない。ナンバープレートを外したまま猛スピードで走っていた日本人外交官のランドクルーザーは、このような米軍・特殊部隊の網≠ノかかって蜂の巣にされたのである。

 イラク人民の苛烈な反米レジスタンスとアラブ義勇兵の自爆闘争・そしてフセイン派残党のロケット砲攻撃や爆弾闘争などによって連日連夜火だるまにされ、倒壊の淵に追いつめられている米占領軍当局が、この窮地を挽回するためにスンナ派トライアングルにおいて強行した軍事作戦。――その一つが、11月29日の「ティクリート会議」をおとりにしての謀略的軍事作戦であり、その失敗を糊塗することを狙った翌30日のサーマラにおける「テロリスト掃討戦」=住民大虐殺なのである。

 いまや米軍の士気は日ごとに落ち、パニックのあまり精神障害におちいる兵士が続出している(7000人ともいわれる)。ベトナム戦争末期と同様に、脱走兵もあとを断たない(1700人ともいわれる)。臆病者ブッシュが演出した早朝2時間のタッチ・アンド・ゴー訪問と「感謝祭夕食会」の茶番劇によっても、米軍の戦意低下をおしとどめることなどはできない。「イラク民主化」を掲げた米軍の占領支配は完全に破綻し、「ベトナム化」「泥沼化」の声が米ジャーナリズムでこだましている。このような破綻をのりきるためのブッシュと米占領軍の悪あがきの帰結が、こんかいの日本人外交官誤射・殺害事件にほかならない。

 B小泉政権の協力・イラク派兵強行を許すな!

 小泉政権は、ひきおこされた事態に仰天し動転し、ブッシュ政権の圧力を受けて事件の真相もみ消しに躍起となっている。小泉は、一部のジャーナリズムが流しはじめた「米軍の関与」説にうろたえ、自民党内部からも沸きあがっている「説明不足」という不満の声に慌てながら、「ぺらぺらしゃべるな」と箝口令(かんこうれい)をしきはじめた。ブッシュはただちに「悲しい」と哀悼の意を表し、アーミテージらの政府高官が相次いで在米日本大使館に弔問に訪れた。――この「異例の弔意表明」というかたちをとった米政府のもみ消し協力の要請に応えて、小泉政権は、被害車両の日本への引き渡しを要求しない、という温情≠みせている。警視庁公安部のもとでおこなわれた2人の遺体の司法解剖の結果について、とりわけ体内に残されているといわれている銃弾について、彼らは嘘をつきとおすにちがいない。〔12月6日の時点では、「銃弾については答えることはできない」などと発表じたいを拒んでいるほどなのだ。〕

 ハーケンクロイツ同盟の血盟≠ノ賭けて、小泉政権は米軍による誤射・殺害の事実を闇に葬ろうとしている。この破廉恥なもみ消しに全面協力しているのが、民主党・共産党を先頭とする「野党」であり、ほとんどすべてのマスコミ・ジャーナリズムにほかならない。

 小泉政権は、殺された2人を「二階級特進」させて勲章を与え、国葬なみの葬儀をおこなうことによって、彼らを「英雄」に祭りあげた。このような英雄譚(たん)≠でっちあげながら、小泉は、「テロに屈するな」「ここで屈したらテロリストの思うつぼだ」と金切り声を上げて、自衛隊派遣をあくまでも強行する姿勢をぶちあげている。

 すべての労働者・学生諸君。米軍による日本人外交官誤射・殺害のもみ消しを断じて許すな! 「テロとの対決」を名分にした小泉政権によるイラクへの自衛隊派遣を絶対に阻止せよ! 「米軍の撤退を要求してはいない」などとほざいて米軍のイラク占領支配に塩を贈る日共指導部を弾劾せよ! イラク人民の「反米・反占領」レジスタンスの爆発に悲鳴をあげる占領米軍による狂気の人民大虐殺を弾劾せよ! イスラミック・インター―ナショナリズムにのっとって果敢にたたかうムスリム人民と連帯してたたかおう!

(私論.私見) 革マル派の「米軍による誤殺説」について

 革マル派論文は、事件の「不審」面を詳細に説き明かしている点とそのタイミングのタイムリーさにおいて秀逸である。但し、結論部分の「米軍による誤殺説」は早計過ぎるのでは無かろうか。誤殺ではなく、意図的な殲滅であった可能性も問われねばならない。そう云う意味で、結論が想像的過ぎよう。


【中核派の見解(前進2130号、2003.12.15日付け)】

 自衛隊派兵基本計画粉砕せよ 小牧・北海道・全国で反戦闘争の嵐を 米英日帝と闘うイラク人民に連帯し派兵阻止闘争に立とう 

 11・29ゲリラ戦闘に対する革共同の態度

 11月29日、米英日帝のイラク侵略戦争と軍事占領に対するイラク人民の怒りが日本大使館の外交官に向けられ、2人の死者を出す事態が発生した。日本国内では「国を挙げて哀悼を」だとか「英雄」化を狙うキャンペーンが張られ、「テロに屈せず、自衛隊派遣を貫く」という小泉政権の掛け声のもと、イラク特措法に基づく自衛隊派兵の基本計画が今週にも閣議決定され、侵略戦争の戦場への大規模派兵が強行されようとしている。この事態に対して、われわれはどのような態度をとるべきなのか。

 第1章 侵略の先兵たちへの怒りの反撃は正義だ

 第一に、この事件は米英日帝のイラク侵略戦争に対する必然的なゲリラ戦争であり、正義の闘いである。起こったことは、侵略当事国、最凶悪の参戦国である日帝に対する攻撃である。政府自身も認めているように、日本人外交官に向けて狙いすました攻撃である。米英軍の軍事占領を支えるために、日本政府がイラクの地で行ってきたことへの当然の反撃である。3・20開戦直後から米帝ブッシュを真っ先に支持し、強力な後ろ盾となってきた日帝に対して、イラク人民の怒りが爆発したのだ。

 さらにまた、これは日帝の自衛隊イラク派兵を絶対に許さないという意志表明である。イラク人民、ムスリム人民は、3・20以来の日帝の突出した米帝支持表明に対して、「日本は第3の敵国」と断罪し、さまざまな形で警告を発してきた。それにもかかわらず、日帝・小泉は、「テロリストの脅迫には屈しない」と繰り返して、自衛隊派兵に向かって準備を続けてきたのである。

 2人の外交官は、4月からORHA(米復興人道支援室)に派遣され、CPA(米英暫定占領当局)のもとで、積極的に占領行政に加担してきた侵略者そのものである。イラク侵略戦争の先兵として自衛隊の受け入れ体制を構築するための工作活動に従事していたのだ。死亡した奥参事官は、自身のホームページで「テロとの戦い」を叫び、「復興支援」の名のもとに自覚的に米帝のイラク侵略戦争に協力・加担してきた中心的な人物であり、当然にもイラク人民のゲリラ戦争の標的となったのである。

 一切は、米英日帝のイラク侵略戦争と軍事占領の中で起きている。この残虐なイラク侵略戦争を止め、米英日帝がイラクから撤退しないかぎり、このような事態がますます激化することは明白である。

 考えてもみよ。政府もマスコミも「日本人2人の死」を大騒ぎするが、米英軍によって殺された数万人のイラク人民のことは、政権転覆や石油資源略奪のことは、どうして問題にしないのか。自分たちの土地に侵略してきた、圧倒的な重武装の帝国主義軍隊に大量虐殺されているのはイラク人民なのだ。

 米軍は今、大空爆を再開している。「アイアンハンマー」作戦で、「ゲリラが潜んでいる」という口実を設けてイラク人民を住居から立退かせて破壊することを続けている。パレスチナにおけるイスラエル軍と同じことをやっているのだ。イラク人民の怒りと敵意と憎悪に包囲された米英軍は、ますますイラク人民全体を敵視して攻撃をエスカレートせざるをえなくなっている。かつて日帝が中国侵略戦争にどこまでも深々とのめり込んで破滅していったように、米帝はイラク侵略戦争の泥沼から抜け出すことはできない。

 本格的な参戦狙う日帝小泉

 第二に、この事件後もあくまでも自衛隊派兵方針を変更せず、自衛隊を戦場に送り込もうとしている小泉にこそ最大の責任があるということである。「イラク侵略戦争は不正義の戦争だ」「米英軍は一刻も早く撤退すべきだ」という大多数の人民の声を踏みにじって、イラク侵略戦争に協力加担し続けてきたのが、日帝・小泉である。

 一握りのブルジョアジーの利益を「国益」と称し、そのために文民を戦場に派遣し、自衛隊を派兵して殺し合いをさせ、帝国主義としての大突出を図ろうとしているのだ。これに対しゲリラ戦争はもっと激しくなる。「テロに屈しない」という掛け声でさらに派兵が展開されれば、もっと激烈な殺し合いになる。帝国主義は「殺し殺される」戦場にどんどん送り込もうとしている。つまり、日本の労働者人民を死地に赴かせているのだ。これから自衛隊派兵で死亡する場合、最大の責任は小泉にあるのだ。

 第2次世界大戦で、日本では300万人の兵士と人民が戦死したが、それは何よりも天皇と日帝ブルジョアジーによって侵略戦争に動員され、殺されたのである。そして今まさに、それと同じことが始まっているのである。

 小泉(またその背後にいる奥田らブルジョアジー)に従っていたら、日本の労働者人民は再び侵略戦争の戦場に送り込まれ、他国の人民に敵対し、死ぬことになる。2人の死は、その前触れであり、警鐘である。日本の労働者人民はこのシグナルを受け取って、敵は誰であり、何をなすべきかを学びとらなければならないのだ。「復興支援」とか「国際貢献」の名のもとに本格的な侵略戦争に突入しようとしている小泉こそ、人民の敵であり打倒の対象なのだ。

 12月1日、航空労組連絡会など3団体が、「民間機の軍事利用に反対し、自衛隊のイラク派遣の中止を求める」声明を発表した。帝国主義の戦争動員の最前線にある航空労働者が、決起しているのである。侵略戦争の拡大は、民間労働者も動員する。これに対する労働者の階級的な反撃を今こそつくりだしていかなければならない。

 侵略戦争を内乱に転化せよ

 第三に、具体的に、われわれは何をなすべきか。侵略戦争にのめり込み、侵略戦争に人民を動員しなければ存立することのできない自国の帝国主義を打倒する、すなわち日帝・小泉を打倒することをはっきりと宣言して闘うことである。日帝・小泉は、あくまでも自衛隊を派兵し、有事法制を完成し、イラク・北朝鮮侵略戦争を強行しようとしている。さらに、教育基本法を改悪し、憲法改悪も公然と掲げて攻撃を強めている。しかも、改憲はずっと先の話ではない。イラク派兵は、憲法9条破壊=事実上の改憲だ。そして、他方で、大失業・リストラ、賃下げ、労働法制改悪、年金改悪を始め社会保障解体と、一大資本攻勢を強めている。そうしなければ帝国主義として延命できないところまで危機を深めているのだ。

 労働者を食わしていくことができなくなった帝国主義、自国人民を戦争で死に追いやることしかできなくなった帝国主義、このような帝国主義は打倒するほかない。この帝国主義の存在を根っこから断ち切らなければ人民は生きていけない。その中にこそ、人民の生きる道がある。帝国主義の侵略戦争を内乱=国内戦に転化せよ、ということが現実の課題となっている。
 日帝は帝国主義であるかぎり、対米関係からも、対北朝鮮の観点からも、自衛隊派兵を絶対に中止することができない。読売新聞の3日付社説は、「国益の観点に立った日本の主体的な判断として」自衛隊のイラク派兵の基本姿勢を貫け、と叫んでいる。そして、「万一、自衛隊派遣の方針を転換するようなことがあれば、北朝鮮に侮られるだけだ」と北朝鮮侵略戦争のために派兵は譲れないとしている。日帝支配階級にとって、イラク侵略戦争と北朝鮮侵略戦争は一体の侵略戦争なのである。

 小泉は、今週にもイラク派兵の基本計画を閣議決定し、来年早々に自衛隊本体を派兵しようとしている。この12月から、これに対する巨大な反戦闘争を爆発させなければならない。自衛隊本体が派兵される北海道・旭川、愛知県・小牧、広島県・呉を中心に派兵阻止現地闘争を巻き起こそう。

(私論.私見) 中核派の「ゲリラ戦闘説」について

 中核派論文は、革マル派論文に比して事件の詳細分析が為されていない。こたびの事件にも「不審」なことが付きまとっており、@・ゲリラ戦闘、A・米軍誤殺、B・米軍系による意図的殺害の三通りが考えられる。これを解明せねばならないときに、「ゲリラ戦闘説」で片付けるのは早計では無かろうか、結論が合えば良いというのでは無いように思う。


【れんだいこの「日本の自衛隊強制出動の為に為されたアングラ勢力による恫喝殺害疑惑」考】
 この事件はもっともっと解明されねばならない。丁度、1931(昭和6).9.18日に引き起こされた「柳条湖事件」に匹敵する謀略がありはしないか。柳条湖事件とは、9月18日夜奉天に近い柳条湖付近で、南満州鉄道の線路が何者かの手によって爆破され、関東軍がこれを中国軍の仕業だとして軍事行動を満展開していくことになったその引き金になった事件のことを云う。以降、いわゆる満州事変と云われる一連の経過が始まり、続いて日米決戦へと向うことになる。あるいは「ロッキード事件」の仕掛け過程とも酷似しているように思える。

 思うに、日本左派運動は、こうした謀略戦に対する対応が全く為されていない。あたかも敵と味方が明瞭分明にして階級闘争やっているかのような俗説に染まりすぎている。闘いは、いつの時代でも頭脳戦であり、謀略戦はその一種である。仕掛け人が謀略を通じて「何を獲得しようとしているのか。何処へ誘導しようとしているのか」を詮議するのは当たり前のことだろうに、からきし弱い。

 「現地人運転手を含む日本人外交官2名殺害事件」は、この観点から精査されねばならない。歴史には謀略が付きまとっているのは常識だ。あぁだがしかし、小泉系政府はその売国奴性宜しく、端から捜査の権限を放棄しており、前代未聞の米奴化を嬉々として促進する痴呆ぶりを見せている。かような御仁をトップに据える日本は、ますます危うい淵に誘われつつあることお墨付きと云える。

 では、日本左派運動派はこれをどう観ているのか。木村愛二氏は、「これが、アメリカ軍、CIA、モサドの仕事だとしたら、実に不気味で、悪魔的である」と述べている。この見解が注目されるぐらいのものである。

 インターネット掲示板
「現下の諸問題と展望3」で「1.中東派遣米英軍の事実上の壊滅と自衛隊派兵の本当の目的」(2003.12.24日付け)と題して、救国の志士氏が次のように述べているのも注目される。
 エジプト紙やフランス紙等の記事と調査によれば、派遣米英軍の死者450人、傷兵20,000人、脱走兵1,700人、精神異常での本国送還600人、自殺か戦線離脱の為の自損行為でかの死者20人で合計22,770人の先頭不能戦場離脱者という状態で、派遣軍13万人の内で約20%弱が既に壊滅したということである。これは、軍隊の部隊の三分の一がやられ先頭不能となれば、その部隊は総崩れで敗れたと看徹されるのが軍隊の常識であり、戦前の在満州の日本軍のノモンハン事件の関東軍のように壊滅に向かっている中東派遣米英軍の実態と真相が良く分かる。またモラルは最低で、強姦被害者は200名を超え、この中には米英軍の女性兵士も含まれるという野獣と化した地獄の実態が伺える。それに「本当の人民蜂起後のイラク戦争」はまだ序の口なのである。

 だから、苦し紛れに、補充兵を送って来ない日本に腹をたてて、「イラクの戦後復興における国連の役割」〜外交フオーラム11月号(在英国大使館参事官奥克彦)のように投稿し真相を明らかにした奥氏が、「国連だけは自分たちを本当に助けてくれる存在だ、と大半のイラク人は受け止めている。「米国一極の世界では、国連は米国の支持なしには無能の存在だ」との批判があるが、イラクの暫定統治、憲法に基づいた政府の樹立における国連の役割は大きい。」と主張、日本軍派遣の遅延の原因となり邪魔をしていると思われた奥・井上両外交官を、最前線で苦しむ米国第4機械化歩兵師団が「人道援助・復興支援」などと戯言を言っている日本人に対する「みせしめ」と警告の為に暗殺・処刑したのである。「イラク人民の蜂起によるゲリラ戦」段階に突入した今、「本当のイラク戦争」は、これからであり、来年にはシリア・イランへと戦線を拡大させるべく撤退する米軍に代わり、イラク人との戦争の矢面に立たされる立場に鞍めるのが目的の自衛隊派遣なのである。

 フセインのような贋愛国者で、元ODAイラク・バグダッド支局長の元影武者などを穴倉から捕まえたなどという猿芝居をやってみたのも、同じ米国第4機械化歩兵師団であり、既に始まってしまった「本当のイラク戦争」の苦境から逃れる術はない。こんな敗残兵の中の補充部隊というのが、「人道援助・復興支援」の名目で派遣される自衛隊の真の目的である。民族の売国奴である小泉首相は、ブッシュに、慶応大学女子学生の婦女暴行・強姦事件逮捕の恥部の前歴と防衛庁長官当時の父親にもみ消してもらいロンドン留学と称して高飛びをし、ほとぼりが冷めるまで逃げていた事実をCIAに握られて、米国のエージェントとなり下がり弱みを握られ脅され続けてきた、「小泉の正体」が露見した。ただただ国民の財産を米国に叩き売り、身代わりに自衛隊員の血と命をお供えとして捧げようとする「自衛隊イラク派兵の真相」と実態なのである。
 
 派遣される自衛隊員諸君は2度と日本の地を踏み帰って来ることはないのである。なぜなら、これから始まる第5次中東戦争のイスラム諸国征服遠征のユダヤ世界征服軍に米軍同様組み込まれ、第3次世界大戦が終了するまで消耗品として使い捨てにされるのだから。

奥参事官の「暗殺背景」考】
 奥参事官と井ノ上書記官は在イラク日本大使館の中核的存在で、岡本行夫首相補佐官は、「中央公論」11月号への寄稿で、奥参事官を「肝のすわって使命感の強い人だった」と述べている。小泉純一郎首相が「イラク復興支援に欠かすことのできない、中心的な役割を果たしてきた」と悔やみ、川口順子外相が「2人の優秀な部下を失ったのは痛恨の極み」と声を詰まらせたのも、奥、井ノ上両氏の確かな実績を踏まえてのことだ。

 奥参事官の履歴は次の通り。兵庫県出身、58年1月3日生まれ。享年45歳。早大政経学部入学、在学中の80年に外交官試験(上級)合格。81年外務省入省。語学研修は英オックスフォード大学で、省内の所謂「アメリカン・スクール」のキャリア官僚。元早大ラガーの行動派として鳴らした。90年、在イラン大使館2等書記官。92年、在米大使館1等書記官。この時、日米自動車交渉に取り組む。00年、本省総合外交政策局の国連政策課長に就任、国連改革に取り組んだ。大臣官房会計課首席事務官、北米局北米第2課日米協力推進室長、経済局国際経済第一課長、総合外交政策局国連政策課長を経て、01.10月から現職の駐英参事官に赴任した。省内では「経済畑」に属する。中東が専門だった野上義二元外務事務次官の信頼も厚かった。

 2003.4月、米英占領当局(CPA)の前身である米国の復興人道支援室(ORHA)へ派遣され、長期出張中だった。
イラク復興支援のため、日本政府が4月末から米英占領当局(CPA)の前身「米復興人道支援室」(ORHA)へ政府職員を段階的に派遣した中の第1陣だった。元々は在英日本大使館勤務だが、「明せきな頭脳とタフな精神力の持ち主」(外務省幹部)であることを買われ、難題山積のイラク復興支援の担い手に抜てきされた。

 
国際政治経済情報誌「インサイドライン」編集長、歳川隆雄氏(56)は、奥氏が国連政策課長時代に知己を得た間柄であり、「いずれにしても、CPA及び駐留米軍と日本大使館、つまり日本政府との唯一無二のパイプ役であった奥を失った痛手は測り知れないものがある」と追悼しつつ「奥参事官を標的にした暗殺だった可能性が高い」と強く主張している。

 歳川氏は、イラク復興と人道支援を目的に設置されたORHAが、ポスト・フセイン政権を念頭に、ラムズフェルド米国長官によって対イラク武力行使前に国防総省内に設置された事情を重視する。かぎを握るのは奥参事官がバクダッド入りした日付けだという。ORAHAの代表ガーナー氏(米陸軍退役中将)がバクダッド入りしたのは今年4.21日で、奥参事官はその二日後にバクダッド入りしている。「これは明らかに米国から日本に人材をORAHAに出すよう依頼されたと思われる。ORHAは旧共和国宮殿に仮事務所を設置し、そこに奥参事官の執務室も用意された」と歳川氏は指摘する。

 奥参事官はガーナー代表指揮下のORHAで国際支援担当の英陸軍将校の代理を務めていた。「これで米英軍などの外国の軍事行政機関の一員になったわけで、外務省はどのような法的根拠で出向させたのか。ORHAに『籍』を置いていたということは武装勢力からみれば米軍の協力者というよりも『一員』であり、標的の上位ランクに挙げたのではないか」との見方を示す。そのうえで歳川氏は、奥参事官の動向を流した内通者の存在を指摘、奥参事官とともに頻繁にイラク視察をしていた岡本行夫・首相補佐官についても「米軍から暗殺計画の情報をもたらされたことがある」としている。

【奥参事官上司その一、野上義二の胡散臭さ考】
 惨殺された両外交官を背後から操った元上司として外務省機密費疑惑関与の「黒色高官グループ野上義二、岡本行夫人脈」が浮かび上がっており、田中真紀子前外相時代の騒動の背景が脚光を浴びつつある。

 田中真紀子外相は就任早々と「伏魔殿」外務省の機構改革に取り組んだ。特に人事と機密費流用を廻って騒動が発生した。外相は、川島裕・前次官の後任問題で野上義二氏の就任を拒否し、柳井俊二駐米大使を留任させ、加藤良三氏を次官に起用する人事案を内示した。が、小泉首相と電話協議後断念し、野上体制がスタートした。この人事騒動が尾を引き、外務省内は外相と次官の対立を公然化させつつ推移していくことになる。「外相はずし」の四面楚歌の中で田中外相が采配して行くが、その人事権がことごとく封殺される。遂に、斎木昭隆・人事課長の更迭を求め人事課に2時間たてこもり、第2次人事凍結するなどの抵抗を見せた。

 2002.1月、アフガニスタン復興支援国際会議での非政府組織(NGO)参加拒否問題を廻って再々度、外相と次官が対立する。外相は、鈴木宗男衆院議員の関与によりNGOの参加が拒否されたとの見方を国会答弁し、野上次官がこれを「外相の勘違い」と否定する事態に陥った。「大臣と事務次官、どちらかがうそを付いている」事態になったが、関係者の証言により外相の指摘の方が正確であることが露見し、「事務方が大臣に逆らうのは許されないことだ」となった瞬間、1.30日、小泉首相は「どっちもどっち論」で逆裁定し、田中外相を更迭した。後任に川口氏が外相に抜擢される。

 ところが、その後鈴木議員の疑惑問題が発生し、外務省内抗争に勝利した野上氏も、鈴木宗男衆院議員が関与した北方四島支援事業をめぐる一連の疑惑を問われ、監督責任を問われる形で厳重訓戒処分を受ける経過を辿り、次官を更迭される。

 しかし、更迭後の野上氏は後任の川口外相の一時預かりの身分になった後、2002.9月、英国公使としての英国有数のシンクタンク・英国王立国際問題研究所の上級客員研究員として派遣される。表向き「降格」であるが、むしろ更に花道へとのし上がっている。野上氏は以降、中東問題を担当し、イラク情勢などの情報分析にあたることになった。

 2004.8.30日、野上前外務次官の次期駐英大使起用が内定した。「野上氏の復権は既定路線。駐英公使になった段階で大使昇格が念頭にあった。世論のほとぼりが冷めるまでの暫定措置であった」ことが判明した。外務省内にはこれを歓迎する動きと冷ややかな目線を送る両派が混交している。

 2004.8.31日、野上義二前外務事務次官の駐英大使人事に「待った」がかかった。民主党の米沢隆衆院外務委員長は、小泉政府の野上義二前外務事務次官(現・駐英公使)の次期駐英大使起用に反対する声明を発表した。政府が権限を持つ大使人事に、衆院外務委員長が公の場で反対するのは極めて異例。外務省は反発し、与党への根回しを開始している。野上氏の「復権」には与党の一部も難色を示しており、曲折が予想される。

【奥参事官上司その一、(野上義二、岡本行夫)の胡散臭さ考】
 他方、内閣官房参与として「外務省改革の指南役」を任ずる岡本行夫氏の動きも見逃せない。同氏は、元外務省北米1課長であったが、 湾岸戦争のとき外務省が自衛隊の海外派兵を見送ったことに激怒して北米1課長をみずから辞職したほどの超タカ派である。91年に退官したが、その後外交評論家としてTVに出演し、“対米追随論”を振りまき続けた。96年11月〜98年3月沖縄担当内閣総理大臣補佐官、1998年7月には科学技術庁参与に就き(2000年6月まで)、2001年9月より現在に至るまで内閣官房参与となっている。内閣参与の肩書きを持つ外交評論家として積極的に発言し、現在もテレビに度々出演していることで知られている。

 注目すべきは、岡本氏の「外務省改革」とは「対米追随論」からのものであり、それが「改革」であるかどうかは疑わしい。いわゆる米国ロビー派であり、小泉が主宰する外交関係の私的懇談会の座長に就任し、特措法とマキコ降ろしの陰の立役者ともいわれている。

 岡本行夫氏は、詐欺を働き税金を横領したことで有罪(詐欺罪)となった外務省の元“要人外国訪問支援室長”&“九州・沖縄サミット準備事務局次長”松尾克俊と共同名義でクルーザーヨットを所有していた間柄であり、岡本氏は「ヨット共同所有は一時的なもので現在は関係ない」と釈明しているが、そういうペテン話法を信ずることはできない。松尾元室長は岡本氏の部下であったことを思えば、むしろ真犯は岡本氏の方だということになる。岡本と松尾とは因縁が深く、事件当時、岡本自身が親しい記者に「松尾とはあまりにも関係が深すぎてなにもいえない」と漏らしていたことが暴露されている。
 2004.4.25日付け東京新聞は「岡本行夫前首相補佐官に聞く二つの疑問(田原拓治)記事を載せ、次のような衝撃的事実を報じている。れんだいこが分かりやすく意訳する。

 奥参事官惨殺事件の背後に岡本氏の胡散臭さが垣間見えるとして、次のような疑問を列挙している。
@  岡本氏は、昨年イラクに出張した日数は都合4回、計35日間で出先の大使館員を除けば政府の誰よりも多いが、出張中は常に奥参事官と過ごしたほど二人三脚ぶりを見せている。
A  奥参事官の事件発生の昨年11.29日当日の行動も、岡本氏のイラク北部入りの事前下見をしていた。しかし、ダマスカスとモスルを結ぶルートは外国人イスラム義勇兵の入国経路となっている最も危険なルートであった。そこをわざわざ下見させられていたことになる。
B  事件当時、車のナンバーが外されていたのは過去の出張で襲撃されかけた岡本氏による指示によるものと思われる。
C  以上の事は、岡本氏が胡散臭い人物とすれば、奥参事官は岡本氏の仕掛けたワナに入り込んだことになる。何らかの人身御供にされた可能性がある、ということになる。

 これに対し、岡本氏は、「悪意の中傷である」として次のように反論している。

@  「(予定の行程では)まず、シリアの首都ダマスカスへ行き、バグダッドからアンマン経由で来る奥が合流して滞在する。その後、二人でイラク北部のモスルに向け、ダマスカスから陸路で渡る予定だった。ダマスカス訪問の理由は、シリア政府をイラク復興に巻き込みたかった。シリア−イラク国境のコントロールや物流を見る必要があるとも思っていた」。
A  「(モスル行きの理由は)十二月四日に同地で予定されていた日本の援助による学校や低所得者用住宅など草の根案件の署名式に立ち会ってほしい、と奥に頼まれていたから」。
B  「奥さんはモスル駐留の米軍一〇一空挺(くうてい)師団と緊密な関係を持ち、この援助案件も同師団から高く評価されていた。モスルからバグダッドへの帰路は、奥さんが手配中だった同師団のヘリで移動する手はずだった」。
C  「CPA(連合国暫定当局)にいた奥は誰より治安状況に熟知し、確たる信念を持って行動していた。たまに訪れる者の意見に左右されるような人間ではない。私が襲撃されかけたという事実もない。自分の通行路の安全確認のために奥がティクリートに行ったことは考えられない」。
D  「(「米軍誤射説」について)私は米軍の行動様式を知っているが、そのようなことはあり得ない」。

 岡本氏が云っていることは、@・奥氏らとの合流予定は事実であった。A・岡本氏のイラク北部入りは、むしろ奥参事官の要望であった。B・奥参事官らは、米軍一〇一空挺師団の保護下にあった。C・事件発生時の奥参事官らの行動は岡本氏のイラク北部入りの下見であったのではない。D・「米軍誤射説」は有り得ない、ということになる。その他、「奥は私の部下ではなかったが、奥を助けたかったし、それが国益になると信じていた」関係の付き合いであったと補足している。

 (れんだいこボソボソ)岡本氏の反論は説得力を持つだろうか。

 記事は更に、岡本氏と三菱マテリアルとの胡散臭い関係を指摘している。岡本氏は三菱マテリアルの社外取締役になっており、CPA北部地域調整官からセメント工場の再建で相談を受け、イラク北部のセメント工場再建計画を仲介した経緯を明らかにしている。「岡本氏はモスルから同社の西川章社長に電話し、社員の派遣を要請。帰国後に経産省とも直談判し、社員二人が政府の産業調査員の身分で経産省職員とイラク入りし、工場修理を見積もった」とある。

 他にも、岡本氏の「イラク北部での石油開発への関与」も指摘されている。これに対し、岡本氏は、「イラク原油開発事業への日本企業の参入は政府として推進している国策。当然、私も実現を願ってきた。また、CPAやイラク側関係者から石油開発プロジェクトに日本の無償協力資金が使えないかという照会も受けた。しかし、無償資金を石油事業に使うことは望ましくないと可能性を否定してきている。ましてや、日本企業の受注のため、私が活動するようなことはまったくない」と答えている。
 
 岡本氏は、「国のためだと思ってきた。悔いはない」と言う。外務省北米第一課長時代に湾岸戦争を経験し、「日本は汗や血を流さない」という国際的な批判が「トラウマ(心的外傷)」となり、「汗や血を流す」一連の行動に繋がった、という。米国統治下での「復興」を積極的に後押しし、自衛隊派遣ではモスルにいち早く部隊を派遣するよう進言した。「もう一度やれと言われても、三菱マテリアルの件を含めて同じことをやる」と結んでいる。


【奥・在英国大使館参事官の絶筆「イラクの戦後復興における国連の役割」(「外交フォーラム」11月号より全文引用)】

 国連だけは自分たちを本当に助けてくれる存在だ、と大半のイラク人は受け止めている。「米国一極の世界では、国連は米国の支持なしには無能の存在だ」との批判があるが、イラクの暫定統治、憲法に基づいた政府の樹立における国連の役割は大きい。

□イラク人にとっての衝撃

 8月19日午後、夏休みを終えてバグダッド入りのためアンマンで待機していた私の耳に衝撃的なニュースが飛び込んできました。バグダッドの北東部にあるカナール・ホテルに本拠を構える国連事務所が爆弾テロの被害にあったというのです。

 8月の上旬にはバグダッドにあるヨルダン大使館が爆弾テロに見舞われ、ついに米軍兵士以外にもテロのターゲットが広がったか、と思わせた矢先でしたが、まさか国連を狙うとは誰も思ってはいませんでした。翌日、バクダッドに戻った私の目には、この事件が米軍主導の暫定統治に幾ばくかの苛立ちを覚えていたイラク人にも大きな衝撃と動揺とを与えたことが、手に取るようにわかりました。日中には優に50度を超える過酷な真夏の気候の下、治安や電力供給といったライフ・ラインが維持できない占領当局に対して、一般のイラク人の苛立ちは限界に近づいていました。自由は手に入れても、生活基盤は戦争前より悪化したために、当初の米軍歓迎ムードがかなり薄れていたのです。そんな中でも、国連だけは自分たちを本当に助けてくれる存在だ、と大半のイラク人は受け止めています。米軍をはじめとするわれわれ連合暫定施政当局(CPA)の関係者にとっては、この認識は正直なところ「フェアじゃないなぁ」と愚痴らずにはおられないものでした。しかし、そのくらい、イラク人一般の間では、人道支援に参画する国連は「外国勢力」とはいえ、別格の位置付けです。それだけにショックも大きかったと思います。今回の事件が今後の国連の役割にどのような影響を与えるのか、まだ見えてきませんが、イラク戦争後の展開を考える上で、大きな転換点となるでしょう。

 テロの犠牲となったデメロ事務総長特別代表は、5月22日に採択された安保理決議1483を受けて、ブレマーCPA長官との間で、徐々にではありますが、国連のプレゼンスを築き始め、少なくとも現地ではCPA側も国連との協力関係を進めようとしていた矢先の爆破事件でした。これを契機に国連の腰が引けていくようであれば、テロリストの思い通りの展開となるでしょう。戦後のイラクは、米国一極といわれる現在の国際社会で、国連がどのような役割を担いうるかについて、私たちが真剣に考える上で、さまざまな材料を与えてくれます。

□ イラクと国連の深い関係

 国連にとってのイラクは、「満艦飾の国」といえるでしょう。イラクが国連の原加盟国であることはあまり知られていませんが、イラクと国連とは、皮肉なことにサダム・フセインが周辺諸国との争いを深める度に、その関係を深めていきました。8年に及ぶイラン・イラク戦争後の停戦監視活動に始まり、湾岸戦争での多国籍軍による武力行使を容認した安保理決議678や、その後の、飛行禁止区域の設定、安保理による経済制裁の実施、オイル・フォー・フード計画による人道支援、大量破壊兵器の査察等々、枚挙に暇がありません。こうしてみると、国連のイラクへの関与の度合いは一貫して増える傾向にあったといえます。

 イラクをめぐる国連の役割、特に安保理を中心とした安全保障面での関与が、世界の他の紛争国での国連の役割と一線を画しているのはなぜでしょうか。それは、イラク情勢の趨勢が中東地域全体のパワーバランスに根源的な変化をもたらしうるからです。今回の対イラク武力行使の直前の、米英をはじめとする「武力行使止むなし」の立場の国と「査察をさらに継続すべし」と主張する仏、ロ、独等との対立はいまだ記憶に新しいところです。そしてこのことが、安保理決議1483によりイラクの戦後統治に関与する国連の役割が明記された後も、国連の立場を微妙なものにしてきたといえるでしょう。

□ 復興支援の現場で不可欠は国連

 5月1日に、ブッシュ大統領が「イラクにおける主要な戦闘行為が終了した」と宣言する前から、国連の援助機関はイラク国内での活動を再開していました。特に南部イラクを中心とした、水、医薬品の供給は、まだバクダッド周辺で激戦が続いていた4月上旬には、ウンム・カスル港周辺や、バスラ近辺で展開されていました。私も復興人道支援局(ORHA:CPAの前身)がクウェートで戦後のイラクの青写真を描いていた4月上旬、国連児童基金(UNICEF)の水調査団に加えてもらって、ウンム・カスル唯一の病院での水供給調査に参加しました。この時の私は、イラクへの武力行使発生後、イラク領内に入った最初の日本政府関係者だったと思います。しかし驚いたのは「調査」といいながら、UNICEFの関係者はポリビニール製の組立型簡易水タンクを携行していて、その日のうちにタンクを組み立てて病院に水を供給し始めたのです。解放されたイラク領内の水供給システムが全く機能せず、UNICEFがクウェートで借り上げたタンクローリー車が、ひっきりなしにイラク領内に入り、あちこちで水を配っていた頃です。国連事務所爆破で亡くなってしまったUNICEFのクリス・ビークマン次長が、1日に60台規模のタンクローリーで緊急水供給をやっている、と説明してくれました。

 この背景には、戦前からUNICEFがイラク国内の医療施設、教育施設の現状をきちんと把握していたことがあって、応急措置とはいえ、現場で直ちにプロジェクトを実施できたわけです。私はそれまでの経験から、国連の援助機関はどちらかというとオーバーヘッド・コストばかり高くて効率が悪い、と感じていたのですが、それは誤りでした。これこそ、お手本のような緊急援助です。

 また、当時、ウンム・カスル港の土砂の浚渫が問題になっていました。英軍がいち早くこの事態を重視し、私に日英共同でウンム・カスル港の浚渫をやろう、さもなくば、世界食料計画(WFP)が調達した食料援助船が入港できず、折角の食料支援もイラクの人たちに届かなくなってしまう、と協力を呼びかけてきました。WFPの担当者も必死でした。日本政府としては、法的にイラクのように相手国政府が未成立の場合、非政府組織(NGO)か国際機関を通じた支援しか、実施できません。そこで私は直ちにクウェートにある国連開発計画(UNDP)事務所にこの話を持ち込んで協力を仰ぎました。担当のベルギー人、ピーター・ルーズベルトは、「ミスター・オク、簡単ではないかもしれないけれど、やってみようよ」と、にっこり笑って応じてくれました。実際、このプロジェクトは、英国国際開発省(DFID)のクレア・ショート大臣(当時)が、軍関係への援助になる、といって引いてしまい、また、米国のコンサルタント会社ベクテルが入ってきて、明日からでも浚渫を始めるので日本の出る幕はない、といわれるなど、いろいろな横槍が入りました。しかし結局、ピーター・ルーズベルトが粘りに粘って、日本のプロジェクトとして仕立て上げてくれました。そのピーター本人は、たまたま別の場所にあるUNDPのバクダッド事務所にいて難を逃れたのですが、爆破テロで、ご夫人が腕にかなりの負傷を負ってしまいました。

 以上は、日本との関わりのある国連援助機関による活動の一端ですが、イラクの復興支援における国連援助機関の役割は不可欠です。しかし爆弾テロにより、現地採用のイラク人以外のいわゆる国際職員が相当数引き上げられてしまった今、イラク復興のペースはかなり減速してしまったのです。
□ 政治プロセスにおける国連の役割

 安保理決議1483で政治プロセスへの国連の関与が認められたとはいえ、国内統治の実権を握っているのは、ブレマーCPA長官です。デメロ事務総長特別代表がバグダッド入りした数日後の6月上旬、国際協力事業団(JICA)の川上総裁がバグダッドを訪問されて、旧知であるデメロ特別代表と会談されました。私も会談に同席させてもらったのですが、「政治プロセスにも関与する」と繰り返す特別代表の言を耳にして、「張り切りすぎて大丈夫だろうか。ブレマー長官との役割分担がさぞ難しかろうな」などと気をもんだものです。

 その約3週間後、イラク担当の大木大使との会談では、デメロ特別代表はかなり自信を持って、やがて設立されるイラク人による統治評議会の活動概要、憲法制定プロセスなどを雄弁に語ってくれました。私はこの時、現場ではブレマー長官とデメロ特別代表とのいい役割分担ができつつあるのだな、と実感しました。そのデメロ特別代表も、「イラク国内の治安は、いわゆるスンニ派の三角地帯を除いては基本的に問題がない」と高村イラク特別措置法委員会委員長に説明した2週間後に帰らぬ人となってしまいました。

 政治プロセスへの国連の関与は、ニューヨークで議論すればするほど、当地の権限を侵食されることを懸念する連合側とそれ以外の国との間で溝が生じるのかもしれません。しかしイラク国内では、CPAと国連とは相互補完関係に立ちうるようです。国連は、米国色を前向きな意味で薄め、その結果、CPAの施策を受け入れやすくすることが期待できます。経済制裁下で、国連の活動がイラク人の日常生活に深く組み込まれたことにも起因するのですが、国連の存在を認知する素地がイラクにはあると思います。安保理決議1500が統治評議会の役割を認知したのも、そういう意味で、さらなる前進だったわけです。

□ デメロ特別代表の遺志を継いで

 もうお気づきかもしれません。爆破テロにより、国連の物理的な存在は一時縮小しています。しかし、繰り返しになりますが、イラクには政治的、社会的に国連の活動を受け入れる素地があるのです。これを活用しない手はありません。また、「米国一極の世界では、国連は米国の支持なしには無能の存在だ」という批判をよく耳にします。あながち全面否定できないことは今回のイラクへの武力行使決定をめぐる経緯をみても明らかです。しかし、イラクの暫定統治、憲法に基づいた政府の樹立には、なお相当のエネルギーが必要です。その重荷を米国と一部の連合参加国だけでは、いずれ背負い切れなくなるでしょう。その時、国連という機関の役割が必ずや大きくなってきます。

 これを見越して、例えば安保理の非常任理事国であり、イスラム国でもある、シリアやパキスタンを前面に押し立てて、イスラム勢力との衝突ではなく、「国際社会とテロとの戦い」という構図をイラク復興の中で確立することに日本政府が関与できる余地がもっとあるかもしれません。このような策を講じてこそ、「自分が負傷しても任務を解かないでくれ」と叫びながら瓦礫の下で亡くなっていった、デメロ特別代表の遺志を生かせるのではないでしょうか。


【井ノ上書記官の人品骨柄考】
 井ノ上在イラク日本大使館3等書記官の履歴は次の通り。73年5月11日生まれ。30歳。熊本大法学部を卒業、96年外務省入省。在シリア大使館3等理事官、在チュニジア大使館3等書記官などを経て、昨年5月からバグダッド勤務。アラビア語の専門家で、宮崎県出身。
 井ノ上正盛書記官(30)の生前の様子が次のように明らかにされている。イラク戦争の開戦前に人間の盾として現地入りしたジャーナリスト安田純平さん(29)の言によると、在イラク大使館の撤収直前の3月7日、日本人の人間の盾がいたバグダッド・パレスチナホテルに、出国の説得に来た時のこと。1人はスーツ姿だったが、井ノ上さんはTシャツ姿。井ノ上氏はイラク開戦について次のように述べていた。「もうすぐ開戦でしょうが、おかしい戦争です。私も若ければ人間の盾をしたかもしれません」と、、ポツリとつぶやいたという。井ノ上さんとは約20分話した。「旅先で遭った人という雰囲気。ほかの外交官と違って本当にわれわれを気遣っていた」とも云う。別れの言葉は「開戦が近づいているので気をつけて」だった(2003.12.20日付け朝日新聞のローカルニュース「都城・上長飯小 井ノ上さんの後輩に生前の様子を伝える ジャーナリスト講演」)。

【米国務副長官・アーミテージの対日司令官的恫喝を観よ】
 日経新聞は次の記事を配信している。http://www.nikkei.co.jp/news/main/20031225AT2M2401B24122003.html

 12.23日、アーミテージ米国務副長官は、日本経済新聞社のインタビューに応じ、日本が自衛隊のイラク派遣を決定したことは日米同盟関係を強化すると高く評価した。日本国内には「国連重視」を求める声があるが、「日本の安全保障の第一に来るのは国連ではなく日米安保関係だ」と指摘し、日米関係を最優先するよう求めた。日本がイラクの大幅な債務削減に応じることにも強い期待を示した。

 副長官は自衛隊派遣について、日本が国際社会で役割を果たす意義の大きさを強調した。日本では国連のイラク関与が拡大しない限り派遣すべきではないとの意見もあるが、「日本が戦後に署名した最も重要な公文書は日米安保条約だ。国連憲章は2番目だと思う」と述べ、日米関係が時には国連との関係を超越するとの考えを示した。

(私論.私見)米国務副長官・アーミテージの暗躍考
 
 アーミテージにつき田中真紀子外相蹴落としに一役買った記憶があるが、対日司令官として蠢く役割が注目される。アーミテージ発言の興味深いところは、日本を規制する法を@・日米安保条約、A・国連憲章ないし決議、B・日本国憲法としているところであろう。この観点の是非論はともかく、これが現代日本をコントロール(規定)する原理だと知られねばならない。


拝啓 小泉首相殿29 日本人の価値に目覚めよ [親日の地]を反日に変えるな
 日本アラブ通信編集長の阿部政雄氏の2004.2.2日の「拝啓 小泉首相殿 29 日本人の価値に目覚めよ [親日の地]を反日に変えるな」より抜粋する。
 自衛隊本隊の派遣をとうとう衆議院で強行採決され、昨日は旭川の隊旗授与式で、「日米同盟と国際協調は、これからの日本の平和と繁栄にもっとも大事。それを行動に示すのが皆さんだ」と訓示されました。

 戦中派として、無念の思いで戦死した多くの人びとの言葉を預かって[一預言者]として一言すれば、焦土と化した日本を今日の日本にまで築き上げた平和憲法をいとも簡単に反古にして、重装備をした自衛隊をイラクに送り込む全く狂気の沙汰です。それは、繁栄を破滅に、前途有望な自衛隊員を死の脅怖にさらす暴挙です。

 こんな日本を泥沼に突き落とすような派兵に反対された野党の議員の皆様、本当にご苦労さまでした。日本を戦前回帰に強引に引き戻そうとする自民党指導部の御三家、小泉首相、安倍幹事長、福田官房長官の強い締め付けがあったに関わらず、加藤紘一、古賀誠、亀井静香といった3人の領袖によるこの承認案への造反があったことは一服の清涼剤でした。

 「大義ない」(加藤氏)、「慎重さ必要」(古賀氏)、「戦争状態で無理」(亀井氏)という主張は、すべて正論であり、当日反対はできなかったが、同様の意見をもつ自民党議員もかなりいたのではないか。自民党執行部は、その処分を口にしているようですが、政治的無責任さと世界的見識なさを恥じて自分を処罰すべきです。

 この上は、派遣から生じる一切の被害、惨劇について小泉さんを先頭にこの本案を通すのに協力した方々に責任をとってもらう必要があると思っています。それにしても平和を唱導する立場にあるべき宗教色の濃い公明党の神崎党首や冬柴幹事長が法案通過に釈迦力になったのは、理解に苦しみます。神も仏もあるものかという心境です。

 ところで、米議会で、ケイ前調査団長は「イラクの兵器備蓄、証拠一切なし」と証言したといわれるのに関わらず、小泉首相は「フセイン政権については、こうした兵器を開発、使用する[意図]を持っていたことなどを理由に[脅威]だった」と認定された。そして「世界はフセイン政権が打倒されてより安全になった」と述べ、武力行使で政権を打倒したブッシュ大統領の判断を支持する。」ということのみ強調されたと聞きました。

 数日前の日刊ゲンダイには、この自衛隊派遣は今後10年も続くと書いてありました。小生は、早く日本の政治家、とりわけ貴方が目を覚まさないと、10年はおろか、20年、30年も続くことになりかねないと危惧しています。首相や防衛庁長官のポケットマネーで方がつく[戦争ごっこ]ではないのです。

 今朝と昨日の朝日(1月31日、2月1日)のトップを飾ったのは、ブルガリア軍最高責任者の[イラク 安全な場所ない」[兵の死 大戦以来の悲劇]と[同時自爆テロ、クルド州知事ら50人犠牲」という大きな見出しでした。それに、サマワ周辺は劣化ウランで通常の300倍も汚洗されていると報じられています。根拠のない理由でアメリカに戦争をしかけられ、国土を荒廃され、仕事にもつけないイラク国民の抵抗運動が激しくなるのは、目に見えています。そんな戦塲に貴方は、本来専守防衛の自衛隊員を送りこむことに何らの痛痒を感じないのですか。やはり、小泉さんは、悪いけど、よほどの変人に見えますよ。

 [親日の沃野]を[反日の荒れ地]に変えるな

 最近のマスコミでは、現地にイラク人が大方の予想外に日本の自衛隊を歓迎していると報じられています。ムサンナ州の知事も、サマワのシーア派指導者も[自衛隊守れ]という見解を発表しています。このことは、良く考えれば、中東アラブでは日本人の持つ価値を、日本自身より高く評価している証拠です。アラブ過去50数年訪れる機会を持った小生にはそのことが痛いほど判ります。

 日本人の持つ価値を一番知らないのは、小泉さんたちです。アラブの人は、日本の政府はなぜ日本国民をあんなに粗末にしているか、いぶかっているのが現状です。(もっともこうした自衛隊への歓迎も小沢一郎民主党党首代行がテレビで言ったように[何か起こったら、急変する]危ういものですが)。「槿花一朝の夢」とうことがあります。

 それに最近のサマワにおける日本ブームは、アメリカの占領政策への反発が背景にあるとどこかで読みました。日露戦争以来、アラブ中東地域は[親日感情の沁み通った肥沃な大地](1980年代のアル・マ―リ・アラブ連盟東京事務所副所長)という言葉が懐かしく甦ります。このことはつい先頃までのアラブの日本への友好的態度は多くの方々が体験しておられる通りですが、小泉さんは、この親日感情を粉々に爆破、果ては、反日感情を徹底的に植え付けてしまおうとしているのです。

 正直いって、1957年末、カイロのアジアアフリカ諸国民会議に出席したとき、アラブ中東の人々の熱烈な親日感情に圧倒されました。それは、[夜目、遠目、傘の内]のたとえの通り、この地域を帝国主義的軍靴で踏みにじったことのない日本、第2次大戦後灰燼の中から不死鳥のように立ち直り、アメリカをもたじたじさせる技術経済大国に復興した日本は、新興諸国にとっての[輝ける一番星」であり、[まだ見ぬフィセンセ」いわば[白馬に乗った王子さま]ではないかという残像が残っているのです。

 「行きはよいよい帰りは恐い」というわらべ唄がありますが、ブッシュの狙いは日本を永久にイラクに張り付けさせ、イラクのうまい汁はできるだけ吸い尽くそうとのことではないかと思っています。日本はますます泥に沈み込むでしょう。それに誤って重火器でイラク人を殺傷してしまうかもれないし、白木の箱に入って帰って来る隊員だって続出しかねません。最初の頃はまた[忠勇無双の自衛隊員、2階級特進!]と新聞にデカデカ載るのでしょう。

 先に犠牲になった2人の外交官が外務省で葬儀が行われると夕刊で新聞記事を読んだとき、大平洋戦争の真珠湾の9軍神を思い出し、これは「2階級特進]として讃えられるなと予測したら、その通りでした。週刊誌で読んだのですが、奥大使の49日法会には大学関係、ラグビー関係の方をはじめ大勢の方が参列されたのに、外務省の誰一人も参加しなかったと知りました。「人情紙風船」というとこでしょうか。死者の霊は極楽浄土にもいけず、まださまよっているかも知れません。悲しい話しです。

 昭和11年の2.26事件(小生、小学3年生)の「兵に告ぐ」ではなけれど、こんなことを書きたくなりました。貴方は平和の反乱軍の首領です。

 小泉首相に告ぐ

   1、今からでも遅くないから平和国家の国是にもどれ
   1、日本よりも外国の元首のいうなりになるものは逆族とみなす
   1、小泉首相とその一派の父母兄弟の中には日本の歴史を逆戻りさせた政治家の家族として憂いているものがいるぞ。多くの国民は泣いているぞ。

     2004年2月2日

          あの15年戦争で死んだアジアと日本の人びとの霊一同 阿部拝

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【二外交官惨殺事件の未調査は日本外交百年来の不祥事なり】
 というような表題で、どなたか論考頼む。日朝共同声明の反故も然りだが、これは拉致事件の尾を引いているのでやや曖昧にされても仕方ない面もある。しかし、二外交官が惨殺されて、日本政府がその調査に向かおうとしないなどという主権放棄なぞあり得て良い訳が無い。小泉一派がこれに向かわないなら、右も左も無いこの一点だけでも四方から指弾されねばなるまい。

 しかし、今や我が日本では全てが漂流してしまう。直接行動の威力と経験が喪失せしめられ、全てが議会における議員数問題に丸め込まれ、理性だの道理だの道徳ばかりが説かれ続け、その他方で為政者は何でも許される、仰天すべきことでも選挙で結果だそうよと詐術されてしまう。

 その癖、社共は立候補者を絞込み防戦一方というから笑わせられる。ほんでもって更に絞込みするか立候補見合わせれば民主党が勝てる局面で候補者を立て共倒れしているのだから、頭おかしくなるよ。

 この仕掛けをどうやって打ち破るべきか。

 2004.2.9日 れんだいこ拝
 2004.1.10日号「週間現代」は、「なぜ隠し続けるのか」という見出しで、二外交官惨殺事件に対する外務省の対応の変調さを指摘している。その@、「日本の外交官が殺害された翌日、韓国の技師がテロ襲撃を受けて殺害された。事件後、韓国の代理大使は直ちに現場に赴いたが、外務省は日本人スタッフの一人も現地に送らず、雇ったイラク人警備員に調査をさせてお茶を濁しただけだった。そのため、襲撃された状況は現在でもはっきりせず、謎は残ったままとなっている」と切り出している。

 真偽確かめようが無いのでこの指摘通りかどうか分からない。この指摘が正確とすると、今や日本の外交は死んでいることになる。

 そのA、「外務省は未だに被害車両を公開せず(なぜか車両はしばらく米軍に押収されていた)、検視で摘出された弾丸の種類も発表していない(使用された弾丸で銃が特定できる)」。

 外交官の死という事態に遭遇して、関係証拠物件の捜査を行わない、つまり死因の精査に向かわないなんてことがあり得てよいことであろうか。

 そのB、「結果がどうであれ、政府と外務省には真相を究明し、国民に説明する義務がある。その義務を果たそうともせず、外交官の死を美談仕立ての悲劇で片付け、利用しようとする外務省の姿勢は、国民を欺くものと言わざるを得ない」。

 日本政府の対応自体が胡散臭く、もはや論外と云うべきだろう。いずれ関係者を歴史法廷に立たせねばならない。

 そのC、「二人の殺害事件に対して、責任の一端は外務省にある。そのことについて、外務省は口をつぐんだまま、責任逃れに終始している。外務省OBからは、竹内行夫事務次官は責任をとって辞めるべきだとの声も上がっている」。

 竹内行夫、野上義二を捕捉し、二外交官惨殺事件に対する責任の有無について追求せねばなるまい。

 そのD、「奥克彦大使と井ノ上正盛一等書記官の後任人事はいまだに発表されていない。二人のポジションは、後任人事を急ぐ必要の無い軽いものだったのか」。

 全てを米奴外交で行くのならもはや外務省は不要であり、即ち現に外務省が存在するのは国家予算の無駄遣いであろう。内閣調査室外交部にでも追い込んで縮小整理すればよかろう。

 2004.2.10日 れんだいこ拝


【国会質疑、民主党若林秀樹議員の二外交官惨殺事件追求の概要】
 「2004.2.5日付け第159回国会 イラク人道復興支援活動等及び武力攻撃事態等への対処に関する特別委員会 第3号」に、民主党若林秀樹議員による「二外交官惨殺事件」追求の質疑の様子が記載されている。これを読むのに、取り上げないよりはましという意味で取り上げた事自体に意義があるように思われる。僅かに次の事項について重要な指摘が為されている。

 「まず小泉総理にお伺いしたいのは、総理としてこの事件の真相解明に対してどういうリーダーシップを取ってきたのか、外務省、警察庁あるいは関係機関にどのような指示を出したのか、それをお伺いしたいと思います」と質問したのに対し、小泉首相より「外交官の死の原因究明については、政府を挙げて取り組むよう、既に外務省等関係当局に指示しております。二か月間たって何にも解明されていないということが私は非常にふがいない思いで一杯であります」なる答弁を引き出している。

 「そこで、川口大臣にお伺いしたいんですけれども、前回お伺いしたときには、イラク人の専門家も含め派遣して、現在、鋭意調査中であると。じゃ、今までに分かったことは何なのか、お答えいただきたいと思います」と質問したのに対し、川口外相のおざなりな答弁を踏まえて、「じゃ、イラクの専門家を派遣して、現地で調査したわけですよね」を確認している。つまり、日本の外務省が直接に現地調査に当たることなく、イラク人の専門家に依頼しているというお粗末さを浮き立たせている。しかし、突込みが弱すぎる。

 最後に「この結論に至るまでのその経過は、先ほど検視の結果の弾の問題も全然明らかにされていませんし、いまだに車がイラクにあるということ自体が私はやる気がないんではないかなというふうに思います。唯一残された物的な証拠というのは御遺体と金属片とその車だけなんです。車を見れば、どこから、角度で撃ったかというのがすべて分かるにもかかわらず、いまだにイラクにあるということ自体が私は、川口大臣がそれは鋭意調査していますという言葉は私は信じられないと思います」と述べている。

 つまり、有力な物的証拠である車両について「いまだにイラクにある」なる杜撰な調査しかしていない実態を暴露している。こういう点の指摘について意味のある質疑をしているが、それを単に確認しているだけの内容となっており、政府の失態として責任追及まで高めていない。物足りなさを覚えるのはれんだいこだけだろうか。しかし、もっと失望する事は、この程度の質疑さえ「二外交官惨殺事件」追求の貴重なものになっているという肌寒い現状である。

 2004.2.12日 れんだいこ拝

「もうひとつの反戦読本」(鹿砦社刊)を廻る言論弾圧について】
 2004.2.14日、「噂の真相三月号」に 「もうひとつの反戦読本」(佐藤雅彦=編著)が緊急出版された。主な内容として、「T.イラク駐在日本人外交官“殺害事件”の謎、U.ブッシュにおまんこを突きつけろ! いまなぜ“全裸反戦”デモなのか、V.ヒョスンのミソン〜米軍タンクに轢きつぶされた韓国の仲良し、W.秘史・最前線兵士たちのヴェトナム反戦闘争」とある。このうち、「日本の二外交官惨殺事件」の章が問題にされる事になった。

 
「イラク駐在日本人外交官“殺害事件”の謎」の章で、「マスコミ報道に現れた矛盾を追及していくと、殺害された日本人外交官は、米軍の誤射どころか、意図的に暗殺された可能性さえ垣間見えてくる」、「米国政府および現地占領当局CPAのペテン発覚の決め手になった。フランスAFP通信の報道の詳細など、日本では断片的にしか報じられていない情報を多数収録」と銘打って、写真入りで事件の概要と不審さが記述されている。外務省が回収指令した遺体写真も掲載されていた。

 これに対して、日本の書店の出版流通の2大取次であるトーハンと日販が自主規制をし取次ぎを拒否した。外務省並びに東京法務局も様々な圧力を開始した。その実態の一端が、「これが外務省からの警告文章だ!」で紹介されている。何と、2004.2.13日、「外務省 国内広報課」名で、「鹿砦社代表取締役 松岡 利康 殿」宛てに次のような文面のファクスが届けられた、と云う。これを再掲しておく。
 「噂の真相」2004年3月号に掲載されている貴社の広告によれば、貴社が出版される(ないし既に出版した)ブックレット3「もうひとつの反戦読本」に奥大使及び井ノ上書記官の遺体の写真が掲載されるとのことです。

 貴社が今回このような写真を掲載する出版物を刊行すること及びその広告にまでこのような写真を掲載したことは、いかなる理由にせよ、御遺体の尊厳を犯し、お二人の人権を踏みにじり、ご遺族の気持ちを深く傷つけるものです。

 このような行為は誠に遺憾であり、厳重に抗議するとともに、当該出版物の出版のとり止めないし回収を強く求めます。

              外務省大臣官房国内広報課 大森 茂

 これに対し、株式会社鹿砦社 代表取締役 松岡 利康氏は次のような声明を発表している。 
 当社が2月16日に発売する『もうひとつの反戦読本』に対し、あろうことか、外務省から圧力がかけられた。本日2月13日付けで警告文がファックスされて来た。これについて、私たち鹿砦社と編著者は満腔の怒りを表明する。

 小泉政権は、大儀なきイラク戦争に、世論を無視し、憲法に違反してまでも派兵し、その前段で、まさに犬死としかいいようのない奥克彦氏と井ノ上正隆氏の2外交官が惨殺された。真に平和を望む者として、それを深く傷むものである。 しかしながら、2外交官の死が、イラク派兵の喧噪の中で、忘れ去られようとしていることにも義憤を感じるものである。今、どれだけの人々が、この2外交官の死を覚えているであろうか。

 戦後初めて、自衛隊が海外の戦地に派兵され、今、わが国は大きな転換点に立っている。そしてそれは、絶対にいい意味での転換点ではなく、地獄への道に至る転換点であると断言する。現実に派兵したという事実からすれば、かつてわが国の転換点といわれた60年安保、70年安保以上に深刻かもしれない。

 いかなる非難を受けようとも、あえて私たちは、政府・外務省からの圧力で全てのマスコミが自粛した2外交官の死体写真を初めてカラーでそのまま掲載し、大義なき、この戦争の非道さを世に訴えるべきだと考え、本書『もうひとつの戦争読本』の出版に踏み切った。

 「人道支援」「国際貢献」だとか、どのような美辞麗句を並べ立てようとも、私たちは騙されない。私たちは、かのヴェトナム戦争の教訓を忘れてはいないし、もっと遡り、第二次大戦の歴史的教訓も忘れてはいけないと肝に銘じている。

 私たちは、このたびの外務省からの圧力、そしてこれから予想される、いかなる圧力にも屈することなく、反戦の意志表示をやめることはない。                           以上
  2004年2月13日


【「奥克彦氏遺体写真の語るもの」考】
 救国の草莽の志士氏は、阿修羅戦争48奥克彦氏への鎮魂歌で次のように述べている。
 「真相は全く別なのでしょう。アリバイ作りに偽装襲撃を演出か」との切り口で、写真入で次のように述べている。「皆様は、現場で銃弾で撃ち殺されたと思っておられるようですが、下の遺体の写真を検証してみれば、明らかに鋭利な刃物による切り傷であって、銃痕ではありません。法医学の権威の上野先生もおっしゃっておられますが、これは銃弾による傷ではないのです。時速150kmで疾走する車両に乗っている後部座席の搭乗者を刀傷を負わせることは出来ませんので、奥氏は別の場所で別のやり方で殺されたのです」。

 この後事件を次のように推測している。
 「おそらくは、第4機械化歩兵師団の米軍基地内で、手先によって。殺された」。
 「理由は、15億ドルの日本の無償援助の北部イラクに建設中のクルド系ユダヤ人基地建設(次のシリア・イラン侵攻の基地建設)への流用に反対したからでしょう。奥氏が死ねば、12月までのい日本政府の無償援助の使い道が決まらず、その管理権はCPAに移るのですから、本当の下手人は、CPA首脳と第4機械化歩兵師団の米軍とそれを差配しているイスラエル政府でしょう。それで、外務省は脅えて、捜査・調査・下手人追及を止めた訳です。見せしめの殺害に慌てて、イラク派兵を決めて、小泉も福田も川口も新たな自衛隊のお供えを差し出したという訳です。下手人米国の鼻息を伺って、奥氏と仲間と疑われ思われるのが厭で、奥氏の四十九日の法要にも、外務省は一人も参加しなかったという訳です。政府の連中は、真犯人が誰なのか、もう皆ご存知なのでしょう」。

 2004.3.5日、警視庁公安部は、外交官殺害事件被害者の司法解剖所見(東京大と慶応大の病院で司法解剖)として次のような発表を行った。奥大使の死因は、左側頭部射創による頭がい内損傷で、左頭部に数カ所、左脇腹、左腕などに約十カ所被弾。井ノ上書記官の死因は、左上腕部動脈損傷による失血死で、頭部に損傷はなく、左胸や左脇腹などに被弾していた。二人とも体内に残ったままの銃弾もあったといい、軽防弾ガラスで銃弾が失速、貫通しなかったとみられる。二人とも体の左側を中心に被弾していた。公安部は銃弾を詳しく調べ、使われた銃の特定などを急ぐ、とある。


【「被弾車両帰還する」考】
 2004.3.3日、昨年11月にイラクで起きた日本人外交官殺害事件で、奥大使と井ノ上1等書記官が襲撃された際に乗っていた四輪駆動車が4日夜の成田空港着の便で移送されることが明らかにされ、予定通り搬送されてきた。事件から約三カ月がたったが、真相は不明のまま。

 警視庁公安部は五日にも、殺人容疑で鑑定処分許可状を取り、被害状況を検証し、車体の弾痕などを詳しく調べ、使われた銃の種類や数、容疑者の人数などについて解明を進める。警視庁公安部は、2002.10月、国際テロ対策を強化するため約70人態勢の外事三課(課長・坂井清三、課長代理・羽村真ら)を新設しているが、ここが事件捜査を担当するものと思われる。

 公安部は事件直後から、昨年七月に改正された刑法の国外犯規定に基づき捜査を開始。奥大使と井ノ上書記官の遺体を司法解剖し、銃弾を鑑定した。これまでの調べでは、車は約三十発の銃弾を受けたとみられ、弾痕は車体左側に集中。窓ガラスのほか、ドアにも弾痕が確認された。使われた銃は、線条痕などから旧ソ連製の自動小銃AK47だった可能性が高い。公安部は外務省を通じ、現地の捜査機関に捜査共助要請の手続きを進めているが、混乱の続く現在のイラク情勢では「通常の共助要請は困難」(公安部幹部)という。公安部は、外務省からの情報や国内での捜査結果に加え、四輪駆動車を鑑定することで、さらに詳しい犯行状況の解明を進める。公安部幹部は「国内の捜査でできる限りのことをしたい」としている。

 一方、外務省幹部は四日「航空会社との調整もあり、運搬には時間がかかったが、事件の大事な証拠物件だ。警察の捜査を見守る」と述べた。事件から三カ月以上たつことから「どこまで新しい事実が判明するのか疑問」との声もある。

【月刊現代4月号、小林祐武(元外務省課長補佐)の貴重証言考】
 2004.4月号の月刊現代誌上に元外務省課長補佐・小林祐武氏の「逮捕官僚の慟哭手記 第3弾 外交官試験まで腐った外務省への『最後通告』」なる記事が発表され、「奥参事官はなぜ死んだか」の見出しの項で次のように述べられているとのことである。ちなみに、小林氏は、外務省のプール金(タクシークーポン)問題で有罪となった元ノンキャリア外務省職員である。
 私の身の上相談に付き合ってくれたその奥元参事官が殺害されたとのニュースを聞いて、私は激しい衝撃を受けた。なぜなら、外務省にはあの程度の銃撃から身を守る手段があったことを知っていたからだ。外務省はサミットなどの国際会議の際、各国首脳の警護のために、防弾車を何台も購入している。私が経済局の庶務を担当する立場だったときにも、防弾仕様のベンツを数台購入している。このベンツは、奥元参事官が乗っていたランドクルーザーとは比較にならないほどの牢固さを持っている。シュツットガルトのベンツ本社に出向き、その性能をチェックしたことがあるが、30cmの距離からマシンガンで打たれても弾丸がドアやガラスを貫通することはないし、地雷を踏んでも車体が壊れることはなかった。タイヤには炭素繊維が使われており、めったなことではパンクしない。たとえパンクしたとしても、ドラムだけでも走行可能と言う優れものだ。

 燃料タンクは100?もの要領があるし、スピードだって時速180Km以上はでる。この防弾車は国際会議が終われば、ほんの数台を日本に残し、大半は国外の日本大使館で再利用されることになっている。こうして海外に配備された防弾仕様のベンツは十数台ある。在外公館課と会計課の主席事務官だったこともある彼は、外務省が保有する防弾車が何台あるのかをそらんじるほどこの事情には精通していた。

 その彼が、世界でもっとも危険な地域で任務に当たらなければならないのに、防弾仕様のベンツではなく、一般用の車両を補強した程度のランドクルーザーを使わざるを得なかったのはなぜなのか。あの日、奥元参事官と井ノ上正盛元三等書記官が乗っていたのが防弾ベンツだったら、2人は命を落とすことはなかったはずだ。攻撃を受けて走行が不能になったとしても、車内から飛び出たりしない限り、身を守ることは出来たし、その間に救援を要請することも出来たはずだ。

(私論.私見) 「小林証言」について

 つまり、元外務省課長補佐・小林氏は、奥参事官らに鉄壁防御のベンツがなぜ貸与されなかったのかを訝っていることになる。これは重要な指摘であるように思われる。

【外交官殺害で報告書作成 4月中に公表の方向】
 2004.3.27日、日本人外交官殺害事件に関する外務省の調査報告書が4月中頃に公表される事が判明した。外務省は報告書作成にあたり、3月末から4月はじめにかけて、在イラク大使館の上村司・臨時代理大使が事件以来初めて奥克彦大使と井ノ上正盛書記官らが殺害されたイラク北部ティクリット近郊を訪れ調査した。「米軍誤射説」を指摘する声もある中でその内容が注目される。但し、政府は同事件を「テロ」としており、それを認定する内容になる見通しだ、とある。

【岡本首相補佐官が辞意】
 2004.3.28日付け新聞情報によると次の通り。小泉内閣の外交アドバイザーだった岡本行夫首相補佐官が辞任する意向を固め、3.27日小泉純一郎首相に伝えた。30日に退任手続きが取られることが判明した。奥参事官らの不審死事件以来岡本氏の評価は下がりっぱなしで、最近は出身官庁の外務省とすき間風も吹き始め、岡本氏の民間企業との関係も批判を強めていた。四面楚歌の中で、自ら潮時と判断したものと思われる。

 岡本氏は外務省出身で、外務省OBとしての経験と行動力を買われ内閣官房参与の肩書で01年9月に官邸入り。イラク戦争中の2003.4月、外交担当の首相補佐官となり復興支援の調整にあたっていた。同氏の辞任は首相にとっても打撃となる。

 
部下も持たず独自に支援策を練る岡本スタイルには、古巣の外務省から「スタンドプレー」(幹部)との批判もつきまとった。復興支援の必要性を訴えようと積極的にテレビに出演したことも、逆に反感を募らせた。今年1月には国会で、岡本氏が社外取締役を務める民間企業の社員がイラクのセメント工場を調査していたことを野党が追及。月刊誌でも取り上げられ、風あたりは厳しくなっていた。但し、引き続き「外交顧問」としてアドバイスを受ける予定だ、とある。

【警視庁がイラク外交官射殺事件の四輪駆動車の鑑定結果を発表】

 2004.4.5日付毎日新聞による。イラク北部のサマワで昨年11月、日本人外交官2人が射殺された事件で、警視庁公安部は5日、奥克彦大使(当時45歳)と井ノ上正盛1等書記官(同30歳)が事件当時に乗っていた四輪駆動車の鑑定結果を発表した。車両には36カ所の弾痕があり、うち22発は車内まで到達していた。ほぼ水平か下から撃たれたとみられる。

 同部によると、弾痕は車体前部と左側面に集中していた。弾の口径は7.62ミリで、使用された銃については、旧ソ連製自動小銃「AK47」の可能性も指摘されたが、同部は「特定できていない」と述べた。

 米軍の護衛車やヘリコプターからの誤射の可能性があるとの見方もあったが、上からの射撃はなかったことから、関連は薄いとみられる。

 奥大使と井ノ上書記官は昨年11月29日、バグダッドの日本大使館からイラク北部のティクリートで開かれる会議に車両で向かう途中、何者かに銃撃され死亡した。車両はランドクルーザーで一部防弾仕様となっていた。奥大使は後部座席、井ノ上書記官は右側助手席に乗っていたとみられている。


米軍誤射「状況矛盾する」 外交官殺害で警察庁
 イラクの日本人外交官殺害事件で、銃撃された四輪駆動車の検証結果について、瀬川勝久警察庁警備局長が5日、参院イラク復興支援・有事法制特別委員会で報告し「(米軍の)軽装甲車から撃ったとする状況とは矛盾する」と述べ「米軍誤射説」の可能性は極めて低いとの見解を示した。

 舛添要一氏(自民)の質問に答えた。瀬川局長は「約1メートルの高さから銃撃されたと推定できる」と指摘。米軍軽装甲車の車高は1・37−1・83メートルで「銃座を置けばさらに(銃の位置は)高くなる」と説明した。また「銃器の種類は特定できなかった」としながらも、銃弾の破片とみられる金属片と、ロシア製自動小銃カラシニコフの銃弾について「銅や亜鉛のパーセンテージは若干違うが、成分は同じだ」と述べた。(共同通信)
[4月5日19時26分更新]

【「阿修羅」投稿者・新世紀人氏の「奥君と井ノ上君は、誰に何故殺されたのか? 二人の死を利用するな」】
 「阿修羅」投稿者・新世紀人氏は、2004.3.21日付け投稿「奥君と井ノ上君は、誰に何故殺されたのか? 二人の死を利用するな」で興味深い視点を提供している。関連するところを抜粋紹介する。
 「彼ら二人はどうやって殺されたのかな…?車を停められて、外へ連れ出され、それから撃たれて、殺されたのかな…? だって、井ノ上君は両手をあげたスタイルで死んじゃってるじゃないか…。これはホールド・アップじゃあなかったのかな…?奥君は片手をパンツに突っ込んだスタイルで死んじゃってるじゃないか。なんでこんなスタイルで…。遺族を馬鹿にするんじゃないよ! なんで死体をあんな格好に、パンツに片手を突っ込んだスタイルのままで置くんだよ。 遺族に失礼じゃないか。日本人の少なからざる人達のこの疑問は、いつまでもづっと続くよ。誰が殺したんだよ、二人を」。
(私論.私見) 「新世紀人氏の外交官射殺状況の推理」について

 新世紀人氏は、「米軍あるいはその関係機関の誤射説」を否定し、@・車から連れ出され、A・ホールド・アップで、B・射殺された、という視点を提供している。この推理は今後大いに検討されていくことになるだろう。

【[週刊ポスト4・23]記事「イラク外交官殺害事件:『誤射』した米軍の様々な“事後処理”と外務省の“証拠隠滅”」】
 「週刊ポスト4・23」に武宮薫(ジャーナリスト)氏の「政府発表の『ランクル写真』、『弾丸鑑定』に隠された真相:奥大使は『米軍の誤射』」記事(P.36〜41)が掲載されているとの事。興味深いところを引用しておく(れんだいこ風に整理した。実物は「週刊ポスト4・23」で直接確認していただくようお願いする)。
【井ノ上書記官の死体の様子】
 「いきなりの惨禍の中で井ノ上書記官は、血まみれの手で無線機を握って、こと切れた」。

 (れんだいこコメント)
 手を上空に差し伸べた死後硬直の様子は何を物語るのか。
【外務省の対応】
 「事件がCPAから日本大使館、外務省本省へと伝わるまでに、発生から6時間以上が経過していた。外務省は当初、誰による犯行か明言を避けていたが、時間の経過とともに、反米テロリストによる襲撃を色濃くにじませることになった」。

 (れんだいこコメント)
 子供の使い以下の対応しかしない外務省は何を隠そうとしているのか。
【疑惑1:消えた遺留品】
 「身元がわからなかったのは、イラク警察の現場検証の時点で、車内に残されていたはずの2人の外交官パスポート、CPA発行の身分証明書、前出のナンバープレート、奥参事官のパソコン、井ノ上書記官のデジカメなどの遺留品がなくなっていたからだ。奥参事官がパソコンを所持していたことは本誌(04年1月1日・9日号)が真っ先に指摘した。パソコンには日本の復興支援事業や自衛隊派件の事前調査など重要データが入力されていたと思われる。襲撃から地元の警察が到着するまでの間に誰かが遺留品を持ち去った。それは少なくともテロリストではない。なぜならそれらの遺留品は現在、日本に戻されているからである」。

 (れんだいこコメント)
 犯人は何の利益があって奥参事官のパソコンを奪取し、確認しようとしたのか。あるいは情報を消そうとしたのか。
【疑惑2:米軍「運転手はレバノン人」の怪】
 「報道官は運転手をレバノン人と説明したが、実際はイラク人だった。記事を書いたAFPのパトリック・モーザー記者は、本誌の問い合わせに対し、『ティクリートの会議で数人の記者が報道官をつかまえて聞いた。確かにレバノン人といった』と証言しているが、米軍報道官がイラク人をレバノン人と取り違えたのも、根拠はある。ランクルははずしていた外交官ナンバープレートを助手席下においてあった。ナンバープレートは、レバノンの日本大使館登録であることを示していた。米軍がいち早くナンバープレートを見たか、それ自体を入手していたとすれば、運転手をレバノン人であると勘違いしてもおかしくない。それと同時に、消えた遺留品が米軍の手に渡っていたことを示唆している」。

 (れんだいこコメント)
 「運転手レバノン人」の意味が分からないが、「消えた遺留品が米軍の手に渡っていたことを示唆している」と関係している大事なことなのだろう。
【疑惑3:なぜ薬きょうが1つも発見されないのか】
 「本当に薬きょうが1つも残っていなかったのだろうか。あるいは一番先に到着した者が何らかの理由で遺留品と共に薬きょうも回収して証拠隠滅をはかったという憶測が生まれる根拠もここにある」。

 「自衛隊関係者が興味深い指摘をした。「カラシニコフは薬きょうが飛び散るが、M240Bは逆に、銃座の周りに落ちる。仮に犯人が目撃情報にあるように車の窓から見を乗り出してカラシニコフで襲撃したとすれば、周辺道路には薬きょうが散らばるはずだ。もし米軍の装甲車ハンビーに搭載されたM240Bなら、薬きょうはハンビーの車内に落ちる」。

 (れんだいこコメント)
 事件直後に現場に到着したのは米軍である。その米軍は事件解明で立ち働いたのか、証拠隠滅揉み消しに動いたのか、これを問うのがキーポイントであろう。
【疑惑4:外務省の証拠隠し1、現場写真のひた隠し】
 「外務省は米軍から11枚の襲撃されたランクルの写真を提供されていたのに、公表したのは3枚だけである、それ以外はその存在すらひた隠しにしていた。専門家の分析を嫌ったのかもしれない」。
【疑惑4:外務省の証拠隠し2、遺留品返却の経路】
 「消えた遺留品が日本に戻ってきた経緯も不可解だ。パスポートとCPA発行の身分証は「事件現場の地域を支配する部族長に預けられていた」として米軍から日本大使館に返却された。とはいものの、いったい誰が部族長に渡したのか。その部族長の名前も外務省は「日米関係にかかわる」という理由で明らかにしようとはしない。問題のランクルのナンバープレートも日本に戻ってきているが、外務省は『車の中に置かれていたはずだが、どこで発見されたかわからない』の一点張りである」。
【疑惑4:外務省の証拠隠し3、パソコンとデジカメ返却の経路】
 「遺留品の中で最も重要なのは、国家機密が詰まっている可能性がある奥参事官のパソコンと、当日の一行の足取りが記録されていたはずの井ノ上書記官のデジカメだろうが、ギリギリまで外務省が警察庁に渡そうとしなかったのもこの2つだった。本誌報道でパソコンの存在が明らかになり、国会でしばしばその所在が追及された。外務省はそのたびに「イラクの大使館にある」とか「どこにあるかわからない」などと説明をくるくる変えた。しかし私が得た外務省の内部情報では、今年1月はじめにパソコンとデジカメは米軍からイラクの日本大使館に渡され、2月中旬に外務省の中東二課に戻されたことになっている」。

 「中東二課ではパソコンのデータの解析がなされたが、警察庁にはパソコンが戻ってきた事実そのものを報告しなかった。が、ひょんなことから存在が発覚した。解析作業中の同課職員が外部の出入りの者に「これがあの奥参事官のパソコンだよ」と得意気にみせた。それが3月下旬のことだった。その時すでに、パソコンは外務省の複数の職員の手でベタベタと触られていたから、捜査上の最有力の物証であるにもかかわらず、指紋をとるなど捜査の常道を逸するものになっていた。外務省がパソコンを秘匿しているという情報は直ちに警察庁に伝わり、同庁を激怒させた。『あなたがたは証拠隠滅をはかる気か』−警察側の強烈な抗議に外務省も渋々パソコンとデジカメを渡した。3月25〜26日頃のことだった」。
 (れんだいこコメント)

 外務省職員惨殺は主権国家の面子に関わる由々しき問題であろうに、ましてや自分の省の者が惨殺されたというのに、外務省のこの消極的な態度は何を物語るのだろう。「外務省は既に死んでいる」。日頃この種のことに敏感な右翼までなぜ沈黙しているのだろう。おかしなことだ。この国では古典的民族派右翼ももはや死んでいる。シオニスト迎合派の巣窟になっている。

【外務省報告書提出される】
 外交官射殺事件から半年、2004.5.12日、外務省報告書が提出された。民主党の首藤議員が、2004.5.27日、衆院イラク支援会議で次のように質疑している。( http://www.asyura2.com/0403/war55/msg/948.html )(http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/013315920040527013.htm)(http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kaigiroku.htm

 首藤議員は、米軍誤射説の立場から種々詮索している。書き留めておくべきさわりの部分を抜き書きしておく。


 「警察庁が現地調査をしていない不思議」。警察が4.6日に「イラクにおける外務省職員殺害事件の捜査状況について」という二枚の報告書を国会に提出したがその杜撰さ。テロリストが使用したとされるカラシニコフAK47銃が被害車両の検証では不可能であること。アメリカ軍のM二四〇B、ハンビーの固定銃架から軽機関銃によって撃たれた可能性が強いこと。米軍が撃ったとの子供の証言を確かめることの必要性。道路わきの食料品スタンドのハッサン・フセインさんが「米軍の車列がほぼ同時に通り過ぎた」と何度も繰り返し証言していることにつき確認することの必要性等々。

 最後に、「この問題に関して、私は、日本の財産、そして日本の若者の生命が失われたということに関して、アメリカ政府及びアメリカ軍に対して、事実の徹底的な調査とその公開、そして、その責任がアメリカ軍にあった場合は、その損害賠償を当然のことながら求めたいと思います」で結んでいる。

【イスラエルの専門暗殺団について】
 外交官射殺事件との絡みは判明しないが気になるので掲げておく。2004.2.11日付けで、草の根 氏が「キルクークに900人のイスラエルの専門暗殺団 日本人外交官殺害に関与か」を投稿している。以下の通り。

 http://www.iraq4allnews.dk/viewnews.php?id=39735   2004-02-07

 数日前、投稿者がエネルギー関係の信頼できる消息筋から直接聞いた所によると、「イスラエルは最近イラク北部で様々な秘密活動をしている。殺害された奥大使は、何か相当イスラエルにとってやばい情報を掴んでいた。それを知ったユダヤ人に殺害された」。
 
 翌日、イスラム・メモの下記の報道に接したので、これは十分ありえると直感した。
 
 情報源:バハレンのアハバール・アル・ハリージ紙
 
 米軍で働くイラク人通訳(匿名)は、バグダードにイスラエルの秘密領事館があることを発見した。この存在を知っているものは、米軍占領当局と、アメリカ人と親しいイラクの暫定統治評議会の何人かのメンバーに限られる。
 
 「投稿者:上記情報は数日前に既出)」
 
 領事館はイスラエル政府と占領軍のアレンジで作られた。同通訳は領事館の存在を知って米軍で働くのを止め、ヨルダンのアンマンに移った。彼によると、「あるとき、3人の統治評議会メンバーが領事館内で座っていた。3人とはアハマド・チャラビ、ジャラール・タラバーニ、ムワッフィク・ラビーイ。
 
 その頃、複数のイラク住民(キルクーク在住)は、「イスラエルの暗殺専門団がキルクークのある家を事務所としている。かれらは最近バグダードからキルクークのアル・アドナーニーヤ通りに面す、キルクーク県庁裏の大きな家に移ってきた。そこで900人の暗殺団が集まり、モサドがイスラエルの国益に危険を及ぼすと見なすか、サダム・フセイン政権との関係を未だに有す、報道や学術、司法関係者を”処理”する計画を練っている。」と明かした。
 
 キルクーク住民たちによると、暗殺団には旧政権が1996年にイラク北部からグワーム島に移住させた多数のクルド人が含まれる。モサドの分子は時にはクルドの服装をし、時にはアラブの服を着る。流暢なイラク方言を話す。英語も流暢。彼らは連合軍やアメリカの民生当局の高官とも密接な関係を有し、完全な協調行動を採る。バグダードや他の諸都市で、綿密な計画により、何人かの大学教授が殺害された。彼らの殺害は驚きをもってイラクの学界や政界から迎えられた。なぜなら、被殺害者たちは愛国者として、また占領に対して率直な言動で知られていたからである。最後に殺害されたのは、ムスタンシリーヤ大学のアラブ圏研究センターの責任者であるアブドッラティーフ・アル・ミヤーフ教授である。このセンターは、パレスチナ問題を筆頭にアラブ圏の諸問題を専門に研究する機関である。故に、4人の教授を失っている同大学は、イラクの頭脳を抹殺する組織化されたグループを糾弾している。
 
 以上 ここで11日付のレバノンのアル・ムスタクバル紙の記事(バグダード発)が飛び込んできた。記事全文を選択して取り込んだのでURLは無い。どなたか、URL付きで記事全文を取り込む方法をご伝授あれ。
 
 ハーニー・エリヤース、イラク学術・文化人祖国連盟の事務局長は、イラク人学者、文化人殺害の黒幕としてイスラエルのモサドを非難した。殺害されているのは、文化人、大学教授、医者、弁護士、技術者。殺害目的は、イラクの発展の阻害と思われる。イラクの学術界ではモサドと結びついている「秘密共和国軍」と称する暗殺団がささやかれている。同暗殺団には、イラク人の各種専門学者800人の第一次暗殺候補のリストがある。
 
 連合軍によると、去年の5月初めから暗殺されたイラク人は1000人。その大部分は高学歴のエリート。報復が殺害理由ではない。

 同じ頃、読売新聞が2004.6.22日付けで「イラクで大学教授ら相次ぎ暗殺、反米勢力犯行か」なる記事を掲載している。以下の通り。
 【バグダッド=柳沢亨之】イラク消息筋などによると、21日、北部のモスル大学のライラ・アブドラ法学部長が夫ともども同市内の自宅で銃などで襲われ死亡した。2人の遺体は銃弾を受けていた上、のどをかき切られていたという。

 これ以前にも、13日にはバグダッド大学地理学教授が、15日には中部ヒッラ郊外のバベル大学イスラム史学教授が殺害された。いずれも反米武装勢力による犯行の可能性が高い。

 このほか、22日にはバグダッドで、外務省財政担当幹部とバグダッド市東部の地区評議会議長がそれぞれ、銃撃されて死亡した。(読売新聞)
[6月22日23時59分更新]

(私論.私見) 「イラク知識人暗殺考」

 イラクの知識人が1千名規模で暗殺されていることは分かる。ある者は、イスラエルのモサドだと云う。読売は、反米勢力説を匂わず。何なんだこりゃぁ。





(私論.私見)