外務官僚シオニスト派岡崎久彦、野上義二考 |
(最新見直し2007.1.30日)
【シオニスタン外務官僚スポークスマン岡崎久彦氏のこの発言を指弾せよ】 | |||||||
「外務官僚シオニスト派」の頭目・元駐タイ大使・岡崎久彦氏は、2003.3.25日付産経新聞朝刊の「【正論】イラク戦争
小泉総理の米国支持は近来にない快挙だ」で、小泉首相の「米英ユ同盟によるイラク攻撃支持表明」に対して次のように礼賛している。
更に次のようにも述べている。
岡崎式国際情勢論は、露骨に米英ユ同盟への拝跪を説教し続けている。次のように述べている。
イラク情勢が緊迫して以来、「アメリカのイラク攻撃は正当か。安保理決議はなくても良いのか」という当然の問題提起に対し、次のように貶している。
一応は「ウェストファリア条約以来三世紀半、国家の主権は平等、内政は不干渉、信教、イデオロギーは各国自由となった。国には悪い国と良い国があり、悪い国は悪い事をする前に叩いても良いという考え方はそれだけで是非の論が有り得る」述べつつも、次のように捻じ曲げる。
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【岡崎久彦(おかざき ひさひこ)の履歴】 | |||||||||
「首相官邸」http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2003/okazaki.html、「フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)岡崎久彦」その他参照。 1930(昭和5)..4.8日、満州の大連生まれ。祖父は大正時代に立憲政友会の幹部として活躍した和歌山県出身の政治家・岡崎邦輔。 1952(昭和27)年、東京大学法学部在学中に外交官試験合格、外務省入省。1955(昭和30)年、英ケンブリッジ大学経済学部学士及び修士課程修了。1977(昭和52)年、ペンネーム・長坂覚で「隣の国で考えたこと」(日本経済新聞社)を著し、 日本エッセイストクラブ賞受賞。1978(昭和53)年、防衛庁国際関係担当参事官。1981(昭和56)年、ジョージタウン大学戦略国際問題研究所客員フェロー、ランド・コーポレーション客員フェロー、ハーバード大学客員研究員。1981(昭和58)年、「国家と情報」(文藝春秋)でサントリー学芸賞受賞。第11回正論大賞受賞。1982(昭和57)年、外務省情報調査企画部長。1984(昭和59)年、外務省情報調査局長。同年10月、サウジアラビア大使。1988(昭和63)年、タイ大使を歴任。1992(平成2)年、外務省退官、(株)博報堂や千代田化工の特別顧問。1995(平成7)年、鹿内信隆正論大賞受賞。2002(平成14).10月、 岡崎研究所創設。現在、特定非営利活動(NPO)法人・岡崎研究所所長(http://www.glocomnet.or.jp/okazaki-inst/ambtomaki.fujisank52401.htm)。著書多数。 |
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【岡崎と田中真紀子外相確執の経緯】 | ||
岡崎氏はいわゆる「真紀子叩き」の急先鋒として、昨年の外務省“チャイナスクール”粛清劇ではかなりの活躍をした。小泉首相を持ち上げる他方で、田中真紀子外相について次のように評している。
「アーミテージ米国務副長官との面会中止などで、完全に小泉政権の“爆弾”となった外相」とも批判する。真紀子外相の適格性を疑い、次のように述べている。
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【野上義二考】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
岡崎と野上の関係の詳細は分からないが、ここで野上についてのコメント「趣旨と提言 官尊民卑 小泉が闇に葬った外務省疑惑」を転載しておく。
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(私論.私見)