(私論.私見) 「ユダヤ人迫害は偏見に基づくもの」について
「ユダヤ人迫害は偏見に基づくものであったのかどうか」、軽々に判断できない。なぜなら、偏見に基づくものであったとする場合、迫害した側の非ユダヤ人の愚昧さを前提としているからである。果して、ユダヤ人迫害側の民はそれほど無知蒙昧の輩達であったのか。れんだいこは、それは歴史の戯画化であると思う。
ある時代のある人々の行動が今日から見て理解できない場合、できるだけ記録を検討せねばならない。記録が散逸している場合でも極力実証的に精査せねばならない。それは何も「ユダヤ人問題」に限らないだろう。そのようにして調べていけば、「偏見に基づく行動例」は案外少なく、それなりの根拠があったことが知られる事例の方が多かろう。歴史科学はこれを消しているに思われる。
にも拘らず、「ユダヤ人迫害」になるとなぜこうも易々と偏見説で語られるのだろう。れんだいこには解せない。14世紀の西欧でのペスト流行及び大勢の西欧人の犠牲、ユダヤ人迫害はいずれも史実である。これを語るのに、「ユダヤ人とペストは何の関係もありません」なる結論は、何も語っていないに等しい。語るべきは、「ユダヤ人が井戸に毒を投げ込んだ」」という風説が流されたとして、どういう事情からそういう風説が生まれたのか、その根拠を明かさねばなるまい。その上で、その根拠は「偏見に基づくものであった」とせねばなるまい。この肝心のところの解説抜きに結論だけ持ってくるのは如何なものだろうか。
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