読売告訴乱発、よエエ加減にセンカイ

 (最新見直し2008.4.13日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 読売がまたまたやってくれました。そろそろ不買運動でも起こしてくらわしてやらんといかんかも。れんだいこは、元々読売には特段の含む意は無い。むしろ、子供の頃、我が家が読売新聞を取っており、れんだいこは読売の少年少女新聞で随分世話になった。青年期を迎え、あまりにも当局と時局に迎合的な同社の姿勢に嫌気が差し、以来今日まで購読していない。そういう大人しい関係にある。ところが、ナベツネ以来の読売の強権著作権論のエゲツナサに次第に我慢できなくなりつつある。

 2008.4.13日 れんだいこ拝


【事件の概要】
 「阿修羅マスコミ8」の めっちゃホリディ氏の2008.4.13日付「 読売新聞がジャーナリストを“言いがかり”で言論封殺(日刊サイゾー)」を転載しておく。

 http://www.cyzo.com/2008/04/post_479.html

 調査報道の活動に対して、報じられる側から圧力や嫌がらせを受けるケースは、決して珍しくはない。ところが、事もあろうに大手報道機関が、ジャーナリストに対して妨害工作を起こすという、信じがたい事態が発生した。日本最大の発行部数を誇る読売新聞社が、フリージャーナリストの黒薮哲哉氏に対し、著作権法の強引な解釈と司法制度を用いて、その言論活動を制限させようとするかのような行為を仕掛けてきたのである。

 黒薮氏は、以前から新聞業界に関するさまざまな問題点について、独自に取材を続けてきた。たとえば、そのひとつに「押し紙」問題がある。「押し紙」というのは、簡単に言えば新聞社本社が発行部数と売り上げの増加を意図して、各販売店に対して新聞を割り増しして押しつけるものである。つまり、新聞社本体が利益確保のために、末端の販売店に「無理やり買わせている」という性質のものと考えればよい。

 こうした「押し紙」をはじめとして、新聞業界の問題点や不祥事は、当の大手新聞やその系列であるテレビでは取り上げられることなく、一般に知られることもほとんどない。そうした新聞業界の、いわばタブーに対し、黒薮氏は地道に取材を続け、自らが運営するインターネットサイト『新聞販売黒書』

http://www.geocities.jp/shinbunhanbai/や、ニュースサイト『My News Japan』などで報じていた。

 そんな中、異変が起きたのは昨年12月のことである。黒薮氏は以前から、読売新聞社が優越的地位を乱用したことで、福岡にある同紙販売店とトラブルになっている件について取材を続けていた。そして、トラブルの当事者である読売新聞社西部本社に所属する、法務室長の江崎徹志氏が販売店側の弁護士に送付した資料(読売新聞販売局社員が、この販売店を訪店することを確認した文書)を入手。これをトラブルに関係する資料として『新聞販売黒書』に引用する形で掲載した。

 すると、江崎氏から当該記事について、「3日以内に削除するように求める。従わない場合には法的手段も辞さない」という趣旨の「催告書」が送られてきた。

 この催告書とは、相手に対して意思や要望を伝え、なんらかの行為を求める文書である。どちらかといえば事務的な書類であることがほとんどだ。そこで黒藪氏は、その送りつけられた催告書も、トラブルの経緯を示す資料として同サイトに掲載した。

 ところが、江崎氏はそれに対して、掲載された催告書の削除を求める仮処分を東京地裁に申し立てた。申し立ては、著作権者を自認する江崎氏個人によるものとなっているが、代理人を務める弁護士は読売新聞社の代理人と一緒。事実上、読売新聞社が、法的手段に出たのである。

 しかも、東京地裁はこの申し立てを認め、1月22日に黒薮氏に対して削除命令を下した。その結果、黒薮氏はこれに従い、掲載されていた催告書をサイトから削除することになったのだ。

 (橋本玉泉・文/後編へつづく)

 http://www.cyzo.com/2008/04/post_480.html

 ■拡大解釈される著作権法の危うさ

 この件でまず珍妙なのは、削除の申し立てに当たって、江崎氏が「催告書」が「自らの著作物である」という理由を掲げたことである。 すなわち、著者である自分に無断で当の「催告書」をネット上で公表したことは、明らかな著作権侵害だという理屈なのだ。

 そして、東京地裁が催告書をなぜ著作物と認めたのかについては、何ひとつ具体的な理由が明らかにされていない。だが、問題は「催告書が著作物か否か」という議論ではなく、すでに裁判所が催告書を著作物と認定し、事実として仮処分を認めてしまったことにある。

 つまり、もし自らに都合の悪い文書や資料が公開されてしまった際に、「著作物である」と主張することによって、それらを隠蔽できる可能性が発生してしまうことになる。

 だが、はたして催告書のようなたぐいの文書を、本当に著作物として認める根拠があるのだろうか? 著作権法によれば、権利が保護されるべき著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」(同第2条第1項第1号)と定義されている。一般的に考えれば、催告書といったたぐいのものは、著作物とはいえないはずだ。しかし、この解釈について、さまざまな議論があり、その判断は決して容易ではない。著作権に関する調査研究を行っている社団法人著作権情報センターに問い合わせてみたところ、「事務的な文書だからといって、それを著作物として認められないと、ただちに判断できるものではないと思われます」(著作権相談室)との回答だった。一方、黒薮氏は、今回のケースは、著作権法で保護されるようなものではないという主張を展開している。

 調査報道において、資料の公開は、真実性を担保する上でも非常に重要な意味を持つ。もし関連資料の公開が著しく制限されることになったら、調査報道というものが後退を余儀なくさせられてしまう危険性がある。しかも、そのきっかけをつくったのが、報道機関である大手新聞社というのは、いったいどういうことなのであろうか。

 黒薮氏はこの件について、「このようなケースが法的に認められてしまったら、正しい取材や報道ができなくなる可能性が出てきてもおかしくはない。例を挙げるなら、犯人から一方的に送りつけられた脅迫状を公表したとします。でも、犯人から『著作物だ』と申し立てられて、それを理由に違法行為とされてしまったら、脅迫状の公開すらできないことになってしまいます。そんな状況になれば、内部告発をはじめとする真実の公開がなされなくなる危険性すらあるでしょう」と、疑問と怒りをあらわにしている。

 しかも、江崎氏は記事内容に対し反論や訂正要求をするのではなく、いきなり司法制度を用いて文書を削除をせざるを得ない手段を講じたわけである。これでは、報道機関たる新聞社が言論圧殺という暴挙に出たと言われてもおかしくないのではあるまいか。

 今回の事件について、江崎氏はあらゆる取材に対して「ノーコメント」という姿勢だ。また、『My News Japan』記者の伊勢一郎氏の質問状に対して、読売新聞側はきわめてあいまいな答えしか出していないが、今回のように催告書のようなたぐいの文書が著作物として削除の対象となってしまった場合、報道活動への影響はあるのかという質問に、読売新聞側は「何ら問題はない」という旨の回答をしているのである。

 こうした「言論活動への妨害」に対して、黒薮氏は2月12日、起訴命令申請(一定期間内に本訴を提起するよう催促するもの。応じない場合は、仮処分は取り消される)を行った。つまり、そこまで「催告書は著作物」と言い張るのなら、本裁判でシロクロをはっきりさせようではないかという黒薮氏の意志である。

 これに対して2月下旬、江崎氏側が黒薮氏を著作権法違反として訴えるという旨の訴状が裁判所から届いた。論争は、法廷へと移ることとなった。

 黒薮氏は「私は、不当な攻撃に対しては断固として反撃します。まして今回の件は、報道機関という言論人が、事もあろうに言論の自由を妨害するという暴挙に出るという、あってはならないことなんです。こんなことは許されません。徹底的に反撃していくつもりです」と意気込みを語っている。

 このような異様ともいえる状況に、わが国の言論活動、報道、そして表現の自由はどうなってしまうのであろうか。この問題には、 すでに多くのジャーナリストが黒薮氏への支持と、読売新聞への批判の声を上げている。

 裁判の第一回口頭弁論は、4月14日10時30分から、東京地裁526号法廷で行われる。

 (橋本玉泉・文/「サイゾー」4月号より)


【事件に対するれんだいこ見解】
 本件は、マスコミ界の朝日新聞と並ぶ大手の読売新聞が、著作権法を盾にしてジャーナリストを告発した稀有な例となっている。がジャーナリズムの根幹と真価が問われている。

 事案は、フリージャーナリストの黒薮哲哉が、新聞社本社が発行部数と売り上げの増加を意図して、各販売店に対して新聞を割り増しして押しつける「押し紙問題」を採り上げ、福岡にある読売新聞販売店と読売新聞社の係争事件をホームページで「新聞販売黒書」と題してサイトアップしていたところ、トラブルの当事者である読売新聞社西部本社法務室長の江崎徹志氏が、自身が通達した文書を勝手に掲載されたのは著作権法違反であるとして、「3日以内に削除するように求める。従わない場合には法的手段も辞さない」という趣旨の「催告書」を送りつけたところから端を発する事件である。

 黒薮氏は、その送りつけられた催告書も、トラブルの経緯を示す資料として同サイトに掲載した。江崎氏はそれに対して、掲載された催告書の削除を求める仮処分を東京地裁に申し立てた。申し立ては、著作権者を自認する江崎氏個人によるものとなっているが、代理人を務める弁護士は読売新聞社の代理人と一緒であり、事実上、読売新聞社が法的手段に出たことになる。

 東京地裁はこの申し立てを認め、1.22日、黒薮氏に対して削除命令を下した。その結果、黒薮氏はこれに従い、掲載されていた催告書をサイトから削除した。2.12日、黒薮氏は、「言論活動への妨害」に対して、起訴命令申請(一定期間内に本訴を提起するよう催促するもの。応じない場合は、仮処分は取り消される)を行った。

 これに対し、2月下旬、江崎氏側が黒薮氏を著作権法違反として訴えるという旨の訴状が裁判所から届いた。論争は、法廷へと移ることとなった。裁判の第一回口頭弁論は、4.14日10時30分から、東京地裁526号法廷で行われる。

 この事件及び裁判で何が問われるべきか。黒薮氏は、「江崎氏の新聞配達店通達文書」が著作権法上保護されるに値する著作物であるかどうか、本裁判でシロクロをはっきりさせようではないかとしているようである。もう一点、「私は、不当な攻撃に対しては断固として反撃します。まして今回の件は、報道機関という言論人が、事もあろうに言論の自由を妨害するという暴挙に出るという、あってはならないことなんです。こんなことは許されません。徹底的に反撃していくつもりです」と述べており、現下の強権著作権論の根拠を問う姿勢を見せている。

 この裁判が真っ当に審理されるなら、前者については、著作物の権利濫用とも云える強権著作権論の法理論が問題にされる事になる。強権著作権論側は、著作権法上の「要事前通知要承諾制」の法文を示さなければならない。後者については、ジャーナリズムと強権著作権論の相克についての判例が期待される事になる。果たして、裁判所が、独立した司法機関としての権能を発揮するだろうか。これも注目されるところである。

 この事件の滑稽さは、マスコミ界の大御所的地位にある読売新聞社が、自らが論拠にしている強権著作権論で、自らが依拠しているジャーナリズムを絞殺せんとしているところにある。まもなく、「報道機関たる新聞社による言論圧殺」という事例が垣間見られることになる。

 ちなみに、今回の事件について、江崎氏はあらゆる取材に対して「ノーコメント」という姿勢を採っているということのようである。叉、「My News Japan」記者の伊勢一郎氏の質問状に対して、読売新聞側の答えは要領を得ず、そればかりか「今回のように催告書のようなたぐいの文書が著作物として削除の対象となってしまった場合、報道活動への影響はあるのかという質問に、「何ら問題はない」という旨の回答をしているとのことである。

 これは、戦前の大本営発表より酷いジャーナリズムによるジャーナリスト狩りではなかろうか。これが罷り通るほど世の中が狂い始めていることを示している。


 2008.4.13日 れんだいこ拝



 



(私論.私見)