補足「Webの創成( World Wide Webの誕生経緯)考」

 更新日/2005.12.21日

【「Webの創成( World Wide Webの誕生経緯)考」】
 「後藤斉のウェプサイト」に「Webの創成に纏わる創作者達の証言」が掲載されている。原文は「Weaving the Web: The Past, Present and Future of the World Wide Web by its Inventor」。極めて貴重有益故にこれを転載する。日本語訳は、「Webの創成~World Wide Webはいかにして生まれどこに向かうのか」(著者:Tim Berners-Lee 、監訳: 高橋徹、毎日コミュニケーションズ, 20011.9.1日初版)として出版されており、内容紹介として「World Wide Webの発明者でありインターネットを変え続けるWebの思想家が自ら語るWebの設計思想と次世代Webの構想」と添え書きされている。

 「引用原文」が掲載されているので、後藤訳の力を借りつつこれをれんだいこが和訳し、その内容を確認する。
 「Weaving the Web: The Past, Present and Future of the World Wide Web by its Inventor」
 (Tim Berners-Lee, London: Orion Business Books, 1999 )
 (和訳) Webの創成 World Wide Webはいかにして生まれどこに向かうのか
       (Tim Berners-Lee著, ロンドン、オリオン・ビジネス書店、1999年 )
 The irony is that in all its various guises -- commerce, research, and surfing -- the Web is already so much a part of our lives that familiarity has clouded our perception of the Web itself.
 (和訳) 皮肉なことに、Webがその証券取引、調査、ネットサーフィンといった多様な姿を現すことにより、すでにかなりの程度まで私たちの生活の一部になりきってしまっている為に却って、このように身近な存在であることが裏目に出て、Webとは何であるかがよくわからなくなってしまっている。
 (備考)guise=外観、様子。cloude=〈考え・意味など〉ぼんやりした、あいまいな。perception=理解(力) 。
 To understand the Web in the broadest and deepest sense, to fully partake of the vision that I and my colleagues share, one must understand how the Web came to be. (p.2)
 (和訳)  Webを最も幅広く深い意味合いにおいて理解する為には、即ち私や私の仲間たちが共有しているヴィジョンに十全に参加しようとするなら、Webがどのようにしてこの世に現れたのかを知らねばならない。(p.11)
 I immediately began to think of a name for my nascent project. [...] An alternative was The Information Mine, but,... Besides, the idea of a mine wasn't quite right, because ..., and it represented only getting information out -- not putting it in. (p.26)
 (和訳) 私はすぐに、今生まれようとしているプロジェクトにつける名前について考え始めた。あれこれと。Webの代案はThe Information Mine (情報鉱山) だった。あれこれ考えると、 鉱山という考えはピッタリするものではなかった。なぜなら、それは単に情報を掘り出すだけで、そこに情報を蓄積する意味を表現していなかった。 (p.36)
(備考)nascent=発生しようとする、 初期の。alternative=二者択一、選択肢、代案。perception=理解(力) 。
 My vision was a system in which sharing what you knew or thought should be as easy as learning what someone else knew.

 [...] The need to make all documents in some way 'equal' was also essential.

 The system should not constrain the user; a person should be able to link with equal ease to any document wherever it happened to be stored. (p.36)
 (和訳) 私が構想していたのは、或る人がその知識や考えを他の誰かのそれと同じくらいに容易く学び合いできるようなシステムであった。

 
... すべての文書をある意味で「等価」にすることもまた不可欠である。

 
システムはユーザーを制約してはならない。どの文書についても、それがたまたまどこに保存されていようと、同じように
たやすくリンクできるようになっていなければならない(pp.49-50)
 The fundamental principle behind the Web was that once someone somewhere made available a document, database, graphic, sound, video or screen at some stage in an interactive dialogue, it should be accessible (subject to authorisation, of course) by anyone, with any type of computer, in any country.

 And it should be possible to make a reference -- a link -- to that thing, so that others could find it. (p.40)
 (和訳) Webの背景をなす基本的な原理は次のようなものである。どこかの誰かが、ひとたび文書、データベース、画像、音声、動画あるいはある程度までインタラクティブな画面を準備したなら、(もちろん使用許諾の範囲内のことだが)いかなる国のどのようなコンピュータを使っていても誰もが、この画面に対してアクセス可能でなければならない。

 そして、リファレンスすなわちリンクをつくれるようにしなければいけない
対象のものを他の人たちが見つけることができるように。(pp.53-54)
(備考)authorisation=。
 The web is more a social creation than a technical one.
 I designed it for a social effect -- to help people work together -- and not as a technical toy.

 the ultimate goal of the Web is to support and improve our weblike existence in the world. (p.133)
 (和訳) Webは技術的な創造物というよりは社会的な創造物である。
 私はWebを技術的なおもちゃではなく、人々の共同作業の手助けとなるような社会的効果を生むものとして設計した。

 Webの最終目標は、世界中に私たちが織りなしている網の目のような存在を支援し、改善することである
(p.156)
 The ability to refer to a document (or a person or anything else) is a fundamental right of free speech. (p.152)
 (和訳) 文書(人やその他何でも)を参照できることこそが、言論の自由という基本的人権そのものなのであるハイパーテキスト・リンクを使った参照は効率的ではあるが、参照以外の何ものでもない。(p.174)
 Once something is made public, one cannot complain about its address being passed around. (p.154)
 (和訳) いったん公開されてしまったら、世の中にその情報のアドレスが出回ったことについて不満をいうことはできない(p.175)

(私論.私見) Tim Berners-Leeの「Web創成証言」考
 れんだいこの理解に誤りなければ、これによれば、「Web創成」に関わったTim Berners-Lee自身が、ウェブページの人民大衆的共有を目指して「World Wide Web」(W.W.W)を世に送り出したことが分かる。従って、「少なくともリンクは自由」であるとする姿勢こそが創作者達の意図であったことが判明する。

 こうなると、次のことが説明されなければならなくなる。創始者の意図が人民大衆的共有を目指して世に送り出したものを、その恩恵に預かってこれを利用する者達が創始者の意向に反することが許されるのかということを。実践的問題は、「World Wide Web」(W.W.W)利用者相互の使用許諾の範囲ないしルールとマナーの確立にあり、時代的にこのことが求められている訳であるが、Web創成者Tim Berners-Leeの「ウェブページの人民大衆的共有」観点を継承することこそがまずもってのルールとマナーではなかろうか。にも拘らず、「親の心、子知らず」を地で行く全方位著作権棒の振り回し屋が跋扈し過ぎていやしないか。この棒を引き続き振り回したいのであれば、少なくとも「http://www」を使わず自前のそれを作り出してから云うべきではなかろうか。あるいは根限り著作権棒を振り回し安い代替を見つけ出せばよいのに。何とならば、くどいようだが「http://www」の考案者が全方位著作権棒の振り回し屋を排斥しているのだから。

 このことは、http://wwwの考案者Tim Berners-Lee氏が文化形成の造詣が深く、人は当然己もまた先人の恩恵によって文化的に生かされていることを知るが故の措置であり英断であると云うべきだろう。それが分からずエエトコトリしようとする自己本位人間が全方位著作権棒を振り回して正義ぶっていいる。滑稽なことである。

 2003.6.6日、2004.3.10日再編集 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その14 れんだいこ 2005/01/29
 【インターネット上の著作権問題における原点視角考】

 
1.28日付けロンドン・ロイターによる2004年の最も偉大な英国人にWWW発案者記事を参照する。著作権が喧しいが、他人のふんどしで相撲を取る強欲な著作権万能全域適用論者の痴愚ぶりが浮き彫りにされるであろう。

 
2005.1.27日、ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)の発案者として知られる英国のティム・バーナーズ・リー(Timothy John Berners-Lee )氏が、「2004年の最も偉大な英国人」に選ばれた。

 
「2004年の最も偉大な英国人」審査員として選考に参加した歴史家のデービッド・スターキー氏は、ロイター通信に次のように語っている。
 「(バーナーズ・リー氏は)自分の発明を商業的には利用しないことを選び、ほとんど頑固と言えるほどの態度でこれを公開した。もしこれを完全に利用していれば、今日ではビル・ゲイツ氏が貧困者に見えるほど(の富を得ていた)だろう」。

 つまり、(バーナーズ・リー氏は、「謙虚さと才能に加え、利他的な姿勢が評価され」、「2004年の最も偉大な英国人」に選ばれたことになる。

 リー氏の履歴及び「WWW」の開発経緯を見ておく。次の通りである。
 1955.6.8日、ロンドンに生まれ、1976年、オックスフォード大学・クイーンズカレッジの物理学科を卒業後、英国の一流通信機メーカーのPlessy Telecommunications Ltd.に2年間勤務し、1981年から1984年までImage Computer Inc.などの企業を経て、1984年からCERN(スイスのジュネーブにあるヨーロッパ粒子物理学研究所)の特別研究員としてECP部門で働く。

 スイスの研究所に在籍していたこの時、外国にいるときでも同僚同士が一緒に研究できる「グローバル・ハイパーテキスト・プロジェクト」を構想して、ハイパーテキスト文書をクモの巣(ウェブ)のようにはりめぐらしたネットワークの中で簡単かつ自動的に知識を結集させられるようにしたいという目的からインターネットを通じてこれを行うことが出来る装置として「WWW構想」を発案し、その開発に向う。

 やがてウェブブラウザーを生み、その基礎となるプロトコルを規定することになるソフトを作成した。「HTML」(ハイパーテキスト・マークアップ言語)と「http://」(ハイパーテキスト・トランスファー・プロトコル)が基礎となるプロトコルとなった。

 「http://」に続けてウェブ上のアドレス「URL」(ユニフォーム・リソース・ロケーター)を書き込むことにより、誰もがホームページを持てるようになった。こうして、「URL」、「HTTP」、「HTML」などWWWの基本となるプロトコルがリー氏の設計で創られることになった。
 
 ウェブの生みの親が語る過去と未来(上)は、その意義についてのリー氏の発言を紹介している。
 「新しいもののなかで一番重要だったのは、『URI』(ユニバーサル・ドキュメント・アイデンティファイアー)、つまり今のURLという概念です。これは存在するどんな情報にも名前をつけて識別できるようにするべきだという考えで、名前をつけることにより、情報を識別するだけでなく、情報を保有することもできるようになるのです。この考えが、ウェブを普遍的なものにする基本的な糸口でした。そしてこれが私がこだわった唯一の点です」。
 「『URI』とは、『http://』ではじまり、何やら奇妙な長ったらしい言葉の続く、例のやつで、これは文書名を表しています。ウェブアドレスと呼ばれることも多いのですが、今ではトラックの車体から野菜に至るまで、あらゆるものの上に短く縮めた表現で書かれています。基本的には、ウェブ上に存在する特定の情報を識別するのに使われます」。

 1989年、グローバル・ハイパーテキスト・プロジェクト提案。1990年、最初のハイパーテキスト・ブラウザ&エディター開発。1990.12月頃、「WWWプログラムがCERN内に稼動し、1991.8.6日、最初のwebサイトが設立された。1991年の夏にはインターネット上であまねく稼動するようになった。かくて、リー氏は、歴史に「世界最初のWWW開発者」としての地位を得ることになった。その特許を取得せず、インターネットに開放してすべての人がアクセス利用できるよう提供した。

 1991年から1993年にかけて、インターネット上のユーザーと連携をとりながら、改良を重ねていった。

 1994年、リー氏は、MIT(マサチューセッツ工科大学)のコンピューター科学研究所の主任研究員に迎えられ、現在に至っている。なお、マサチューセッツ工科大学に着任した直後にウェブの標準化団体である「ワールド・ワイド・ウェブ・コンソーシアム」(WWWコンソーシアム、W3C)を創設し、ディレクタ(理事)として活躍している。「W3C」は非営利団体機関を貫いている。

 このリー氏の功績が「インターネット上のページを体系化、リンク、閲覧するシステムWWWの発明を通じてインターネットの包括的かつ国際的な発展に対する貢献」として認められている。


 
この間、2004.6.15日、フィンランド政府が創設した「ミレニアム・テクノロジー賞」を受賞。2004.7.16日、英国のエリザベス女王から大英帝国の騎士道の2番目に位置する爵位である大英帝国上級勲爵士(Knight Commander of the British Empire:KBE)の爵位が授与され、イギリスのナイトの称号を得る。
 
 
リー氏の功績は、「ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)の世界最初の発案者」としてのみにあるのではない。それを無特許で世界に公開した事が絶大に評価されるに値する。今日、そのWWWシステムを利用しての著作権談義がうるさいが、この「元一日のいきさつ」を銘しておくべきではなかろうか。

 世の著作権万能全域適用論者よ、ふんどしを締め直して、心して聞け。

 リー氏は、KBEの爵位を授与された時、次のように述べている。
 「私はこのような大変な栄誉に恐縮してる。Webは、私の仲間の世界中の発明家や開発者との共同研究開発を通じて実現されたもので、この栄誉はインターネットコミュニティの全ての人に与えられるべきものだ」。
 「Webは、これからも全ての人に対してオープンであり、提供情報に偏りがない、普遍的なメディアであり続けるべきだ。多様な機器に対応し、技術がより強力で利用し易いものとなったことから、様々な規模の誤解を解消し、協働するためのメディアとして、如何に使いこなすかを学ぶことが求められる」。

 
リー氏のこうした考えは、著作Webの創成 ― World Wide Webはいかにして生まれどこに向かうのか(ティム・バーナーズ-リー著、 高橋徹・翻訳)、「Weaving the Web」で積極的に開陳されている。
(れんだいこ私論.私見) リー氏の無特許公開姿勢について
 近時の著作権万能全域拡大論者は、これをどう受け止めるのだろうか。というより、欲ボケに汚染され過ぎて、問題を問題として認識する力さえないのかも知れない。

 2005.1.29日 れんだいこ拝

 「レイ・トムリンソン(Ray Tomlinson)ことレイモンド・サミュエル・トムリンソン」。(Raymond Samuel Tomlinson, 1941年4月23日 - 2016年3月5日)は、アメリカ合衆国プログラマ

 ニューヨーク州アムステルダム生まれ。1963年にレンセラー工科大学(RPI)で電気工学の理学士号を取得。在学時はIBMのインターンシップに参加した。RPI卒業後もマサチューセッツ工科大学(MIT)に入学し電気工学の研究を続け、1965年に電気工学の修士号を取得した。MITでは音声通信グループ(Speech Communication Group)に在籍し、修士論文の主題としてアナログデジタル複合型音声合成装置を開発した。

 1967年にBolt Beranek and Newman(現・BBNテクノロジーズ)へ入社し、ARPANET Network Control ProtocolやTelnet実装を含むTENEXオペレーティングシステムの開発に助力した。1970年代、トムリンソンはARPANETを介してファイルを転送するプログラムCPYNETを開発した。後にタイムシェアリングシステムの他のユーザーにメッセージを送るプログラムSNDMSGをTENEXで動作するよう修正する仕事を頼まれ、トムリンソンはSNDMSGにCPYNETのコードを組み込み、他のコンピュータのユーザーにメッセージを送ることを可能にした。

 1971年後半、ARPANETに接続された、並んで置かれた2台のコンピュータ間で電子メールを送信した。最初に送られたメッセージの内容は特に考えたものではなく、「QWERTYUIOP」のような意味のない文字の羅列であったという。またトムリンソンは、後にメールアドレスでローカル部とドメイン部を区切る記号として使われることになるアットマーク(@)を、ユーザーがローカルマシン上ではなく他のホスト上にいることを示す記号として初めて使用した。しかしトムリンソン自身ははじめこれを大したこととは考えず、同僚 Jerry Burchfiel はトムリンソンにこの電子メールシステムを紹介された際「我々が取り組むべきことではないから口外しないでくれ」と言われたと語っている。2016年3月5日に死去。74歳没

 受賞歴
 2001年 - ウェビー賞生涯功績部門、2009年 - アストゥリアス皇太子賞学術・技術研究部門。

 2016.03.07「電子メールの生みの親、レイ・トムリンソン氏死去
 (CNN) 電子メールの生みの親として知られるレイ・トムリンソン氏が死去した。74歳だった。勤務先の米レイセオンが6日、CNNに明らかにした。トムリンソン氏は1971年、コンピューター同士で直接的にメッセージをやり取りする電子メールを発明した。それ以前の電子メッセージは、極めて閉ざされたネットワークの内部でしか共有できなかった。米レンセラー工科大学とマサチューセッツ工科大学を卒業し、米ボストンのIT企業で、コンピューターを介してメッセージを送受信する方法を研究。インターネットの前身のARPANETでコンピューターからコンピューターへメッセージを送信する仕組みに着目した。しかしこの仕組みは複雑すぎると考え、簡単な方法を考案する中で、送信相手の場所を示す記号として「@」を使う方法を打ち出した。@に目を付けたのは、ほとんど使われていないにもかかわらず、キーボードにもともと配置されていた記号だったからだという。数十年後にパーソナルコンピューターが登場すると、電子メールも爆発的に普及する。2013年の時点で39億の電子メールアカウントが存在し、ビジネスメールだけで1日当たり1000億通が送受信されている。トムリンソン氏は2012年、インターネットの殿堂入りを果たした。米グーグルの電子メールサービス「Gメール」は、ツイッターのアカウントで「電子メールを発明し、@を世に出してくれてありがとう」と投稿し、トムリンソン氏を追悼した。
 レイ・トムリンソン@メールの父、死去
2016年3月7日 10時55分 (2016年3月7日 16時10分 更新)
 問題:電話を発明したベルが人類初の電話で語った言葉は「ワトソン君、ちょっと来てくれたまえ」。では、メールを発明したレイ・トムリンソンが人類初のメールで書いた言葉は何でしょう?

 こたえ:不詳

 人類初のメールはこの写真の奥に映ってる自分のコンピュータから手前の自分のコンピュータに送っただけだったので、トムリンソンは「歴史的瞬間とも思わずに、すぐ忘れた」と語ってます。勤務先のBBNテクノロジーズの同僚に見せたときにも「誰にも言うなよ! こんなのやってるのバレたらたいへんだ」と言ってたそうですよ?そんな楽しいメール誕生秘話で知られるコンピュータ界のレジェンド、レイ・トムリンソンが米時間土曜、心臓発作で急逝しました。74歳でした。もうひとりのレジェンド、ヴィンセント・サーフは早速ツイートで盟友の死を悼んでいます。

 Very sad news: Ray Tomlinson has passed away. https://t.co/Ghi8B2m3IX

 — vinton g cerf (@vgcerf) March 5, 2016動画を見る

 トムリンソンは1941年ニューヨーク州生まれ。地元の工科大学を出てMITで音声合成を学び、1967年にボールト・ベラネク・ニューマン(BBN)に入社し、人工知能の父マービン・ミンスキー今年1月逝去)とジョン・マッカーシーに師事します。BBNは国防省高等研究計画局(ARPA)からインターネットの原型になるUCLA、スタンフォード、UCSB、ユタ大の4台のコンピュータのネットワーク構築を請け負った会社です。

 トムリンソンがメールを発明した1971年当時はまだ、メッセージを送るにはメインフレームのマシンに電話回線で繋いで送るしかありませんでした。そこでひとつのコンピュータから別のコンピュータに送るSNDMSGコマンドを考えたのが、トムリンソンです。メールに「@」を使ったのもトムリンソンが最初。

 Thank you, Ray Tomlinson, for inventing email and putting the @ sign on the map. #RIP

— Gmail (@gmail) March 6, 2016動画を見る

 今日「@」を使うときには、しめやかにトムリンソンのご冥福をお祈りしたいと思います。

 source: Tech Republic, Forbes, OpenMap, Impress(satomi)


 「電子メールの歴史 」。

 主要年表

1961年 CTSS:TSSの実現
1964年 DTSS:最初に広まったTSS
1969年 ARPANET開始:インターネットの前身
1971年 レイ・トムリンソン、コンピュータ間での電子メールに成功
1975年 メッセージ転送プロトコル
1975年 MsgGroup:世界初のメーリングリスト
1976年 UnixにTCP/IPが組み込まれた
1976年 UUCP:最初の第3者中継
1976年 COMET:最初の商用メールソフト
1977年 ARPANET電子メール交換ガイドライン
1978年 最初のスパムメール
1979年 USENET:巨大な学術用ネットワーク
1979年 東京大学、構内での電子メール開始
1981年 sendmail:著名なメール転送エージェント
1982年 最初の絵文字
1982年 SMTP:電子メール送信・配信プロトコル
1984年 DSN導入
1984年 JUNET:日本初のインターネット
1984年 POP:電子メール受信プロトコル
1984年 SMS(short message service)
1985年 電気通信法改正、通信の自由化
1995年 Microsoft Exchange(Windows 95の標準メールソフト)
1986年 IMAP:電子メール受信プロトコル
1986年 PC-VAN:パソコン通信
1986年 まいと〜く:パソコン通信ソフト
1988年 Eudora:インターネット用メールソフト
1987年 NIFTY-Serve:パソコン通信
1992年 MIME:日本語や画像の使用
1992年 PC-VAN、NIFTY-Serve相互接続
1993年 POP3
1994年 IMAP4
1995年 Eudora日本語版(電子メールソフト)
1996年 PHSでの文字サービス開始
1996年 Becky! Internet Mail:電子メールソフト
1997年 Hotmail:Microsoftのメールサービス
1997年 Microsoft Outlookでの電子メール機能(Office97)
1997年 Yahoo!メール(フリーメールサービス)
1998年 漢字ショートメールサービス(ドコモ)
1999年 iモードメール(ドコモ):最初のキャリアメール(独自仕様)Eメール接続
2001年 Windows XP:Outlook Express
2001年 秀丸メール:電子メールソフト
2001年 MMS:SMSの機能拡張(文字数制限緩和、添付ファイルなど)
2001年 S!メール、写メール(J-PHONE):最初のMMS対応キャリアメール
2004年 Gmailβ版:Googleのフリーメールサービス
2004年 Thunderbird:Mozilla Firefox系の電子メールソフト
2006年 Gmail招待制からサインアップ制へ移行
2007年 Windows Vista:Windows Mail
2009年 Windows 7:Windows Live Mail
2009年 Gmail正式版
2009年 Google Apps for BlackBerry(Gmailの最初のスマートフォン版)
2009年 Google Apps for iPhone/Windows Mobile
2010年 Google Apps for Android
2010年 i.softbank.jp(ソフトバンクのiPhone用Gmail利用サービス)
2010年 spモード:ドコモのスマートフォン電子メールサービス
2011年 gooメール、スマートフォン版を提供
2011年 SMS事業者間接続
2011年 iMessage:iPhoneでのSMSサービス
2012年 Windows 8:Mail app
2012年 Outlook.com:Microsoftの新メールサービス


 1990年代前半までの電子メール

 TSSを用いた電子メール

  • 1961年 CTSS:TSSの実現
    TSS(Time Sharing System)とは、時分割にコンピュータの処理を分割して、複数の端末からコンピュータを共同利用する技術である(参考:「TSS」)。この機能を用いて電子メールをしようとするのは自然な発想である。
    最初に実装され利用されたTSSは、1961年にMITのロバート・ファーノ(Robert Mario Fano)らによるCTSS(Compatible TSS) である。実験的なシステムであり利用者は限定されていた。
    電子メールの利用では、1台の大型コンピュータのハードディスクに、ユーザ毎に電子メールを受信するためのメールボックス(=郵便受け)を用意しておき、発信者は受信者のメールボックスに書込み、受信者が自分のメールボックスを開いてメールを読むという方式である。
    すなわち、同一のコンピュータに接続した端末にしか送れないものであった。
  • 1964年 DTSS:最初に広まったTSS
    DTSS(Dartmouth TSS)世界で初めて成功裏に実装された大規模タイムシェアリングシステムである。1964年にダートマス大学のジョン・ケメニー(John George Kemeny)とトーマス・カーツ(Thomas Eugene Kurtz)により、GEのコンピュータGE 235に実装された。このシステムは後にGE 635に再装され、最大時には約300台の端末が接続された。
    DTSSは、その後GEの製品となり、多数の大学で利用されるようになった。その意味では、商業的TSSだともいえる。
  • 1976年 COMET:最初の商用メールソフト
    最初の商用メールソフトは、DTSSの商用化以前に発売されたCOMETだとされている。CCA(Computer Corp. of America)社は、自社製品のワープロソフトに、PDP-11を対象とした電子メール機能を追加してパッケージとして発売した。
  • PDP-11について
    DEC(Digital Equipment Corporation)は、1970年代~1980年代における最大のミニコンピュータメーカーである。PDP-11はDECの主力製品であり、16ビットUNIX機で特にリアルタイム機能に優れていた。 汎用コンピュータ分野ではIBMが独占的な地位にあったが、大学や研究所ではUNIXやTSSが重視されており、PDP-11が広く用いられていた。そのため、初期のインターネットや電子メールの分野では、PDP-11を対象にすることが多かった。
    なお、DECは2002年にヒューレット・パッカードに吸収合併された。
  • 1980年頃 汎用コンピュータ全盛時代での電子メール
    このようなTSSを用いた電子メールは、一般企業でも行われるようになった。そのときの対象コンピュータはIBM(日本では日立や富士通)の汎用コンピュータである。
    1980年代にOA(Office Automation)(参照:「OA」)の概念が普及した。日本ではパソコンのビジネスでの利用と解釈されたが、米国では電子メール利用も大きな要素だとされた。

 初期のインターネット環境での電子メール

  • 1969年 ARPANET開始:インターネットの前身
    米国防総省の高等研究計画局(ARPA)は、インターネットの前身となるARPANET (Advanced Research Projects Agency Network)を構築した。軍用が目的だったが、大学や研究所にも開放された。当然、電子メールにも利用された。
    1990年にARPANETは終了する。
  • 1972年 コンピュータ間での電子メール実現
    電子メールの黎明期におけるレイ・トムリンソン(Raymond Samuel Tomlinson)の功績は大きい。1972年、ARPANETに接続された、2台のコンピュータDEC社のPDP-10間でメールの送受信に成功した。
    電子メールの送信にMAIL、受信にMLFLLというログラムを開発、当時、仕様が検討されていたFTP(File Transfer Protocol)を応用したものであり、また、1983年のFTPの仕様発表に影響を与えた。
    現在、電子メールのアドレスに@を使うが、レイ・トムリンソンが他のコンピュータの相手に送るときに@で区別したのが起源だという。
  • 1975年 MsgGroup:最初のメーリングリスト
    ARPAのスティーブ・ウォーカー(Steve Walker)は、複数の相手先に対してメールを配信するMsgGroupを開発。返信、転送、フォルダによる仕分けなどの機能をもっていた。
  • 1976年 UUCP:最初の第3者中継
    AT&Tベル研究所は、第3者中継方式で直接接続されていないコンピュータ間で電子メールを送受信する方式であるUUCP(Unix to Unix CoPy)を開発した。
    直接接続している隣りの拠点→そこと接続している隣りの拠点→・・・というように、バケツリレー的に転送を繰り返す方式で、その経路は「バングパス」という方法で指定していた。転送を依頼された拠点は必ず次の拠点に転送するという善意による運営を前提にしたものである。
    この拠点は大型コンピュータであり、その利用者は大型コンピュータを所有する組織の者に限定されていた。また当時は「古き良き時代」だったので、このような「善意」で運用できたのである。しかしその後。不正中継に使われるようになったため運用されなくなった。
  • 1979年 USENET:巨大な学術用ネットワーク
    UUCPを用いたネットワークとして有名なのがUSENET(User's Network)である。
    1979年に,デューク大学のトム・トルスコット(Tom Truscott)とジム・エリス(James Tice Ellis),ノースカロライナ大学のスティーブ・ベロビン(Steven M. Bellovin)が構築した。UUCPのネットワークを用い、ダイヤルアップで接続した。1万台以上のコンピュータ(サーバ)が参加した。
    用途は、ネット・ニュースと呼ぶ電子掲示板・フォーラムが主であったが、電子メールにも利用された。
    現在、Usenetとはネットニュースと同じ意味に使われ、インターネット上の複数のサーバで主にテキストデータを配布・保存するシステムのことである。用途はUSENETと同様であるが、ネットワーク環境や運営は全く異なる。
  • 1978年 最初のスパムメール
    1978年5月にDECの宣伝・営業部門の代表者が同社の製品発表会の案内をARPANETを使って393人に送りつけたのが世界最初のスパムメールだという。
  • 1982年 最初の絵文字
    電子メールでは (^_^) のような絵文字を使うことが多い。初めて顔文字を打ったのは、スコット・ファールマン(Scott Elliott Fahlman)が電子メールのなかで「スマイリー」として :-) と :-( を使ったのが最初だという。テキストだけのやりとりでは感情が伝わらないので、絵文字を使おうと提案したのだそうだ。

 日本での初期の電子メール環境

  • 1979年 東京大学、構内での電子メール開始
    あえて一例をあげたが、前述したように、既に自社コンピュータでのTSSを利用した社内電子メールは、先行的な企業で行われていた。私が所属していた民間会社でも、1970年代後半に富士通の大型汎用コンピュータ M-180Ⅱ を利用して、自然発生的に社内で電子メールの交換をしていた(少数の仲間に限られていたが)。
  • 1984年 JUNET:日本初のインターネット
    村井純は、慶応義塾大学から東京工業大学に籍を移したが、両大学のコンピュータをネットワークで接続した。その後、東京大学のコンピュータとも接続しJUNET(Japan University NETwork)と命名した。それらのコンピュータはUNIXで、UUCPを用いていた。
    学術組織を結んだ研究用のコンピュータネットワークであり、日本におけるインターネットの実質的な起源である。その後。JUNETの参加者は増え、fjというニュースグループができた。 1985年にUSENETに、1986年にはCSNETに接続した。
  • 1985年 通信の自由化
    1985年に、電気通信法の抜本的な改正が行われ「通信の自由化」が実現した。それまでは通信回線は郵政省の電信電話公社が管理しており、一般の回線を電話以外で使うことは「原則禁止」で認可制だった。企業間でメッセージ交換をするには煩雑な手続きが必要であり、まして個人がモデムを使ってインターネットを利用するのは不可能に近かった。
    通信の自由化により、公社はNTT株式会社に民営化され、回線利用は「原則自由」になった。これにより、日本でのオンライン化は急速に普及した。

 電子メールプロトコルなどの設定

 電子メールが広く使われるためには、プロトコル(決め事)の標準化が必要になる。その取り組みは初期から行われ、1980年代前半までに多くの標準化の原型ができた。

  • 1975年 メッセージ転送プロトコル
    電子メールを送るときに、from, sender, to, cc, bccなどのヘッダをつけるが、その標準Message Transmission Protocol(RFC 680)が発表された。
  • 1977年 ARPANET電子メール交換ガイドライン
    メッセージ転送プロトコル、TCP/IPの動向を受けて、ARPANETでのホスト間でメールをやりとりする際のガイドライン(RFC 733)が発表され、ARPANETを用いた電子メールシステムが標準化された。
  • 1981年 sendmail:著名なメール転送エージェント
    カリフォルニア大学バークレー校のエリック・オールマン(Eric Allman)は、ARPANETでの電子メールの転送を総合的に管理する MTA(Mail Transfer Agent)であるsendmailを開発した。
    sendmailは公的規格ではないが、UNIXを搭載したメールサーバの管理システムとして広く使われるようになり、逐次改良を加えられ、現在では大多数のメールサーバに搭載、業界標準になっている。最初にして最も著名なMTAである。
  • 1982年 SMTP:電子メール送信・配信プロトコル現在、電子メールの送信・配信にはSMTP、受信にはPOP3、IMAP4が標準プロトコルになっている。
    それまで、TCP/IP環境での電子メール送受信にはFTPが使われていた。IETF(Internet Engineering Task Force)はもっと単純なプロトコルにする必要があるとして、SMTP(Simple Mail Transfer Protocol)を開発した。今からみれば必ずしもSimpleではないが、FTPからSMTPへの移行は急速に進んだ。
  • 1984年 POP:電子メール受信プロトコル
    それまで、電子メールを見るにはUNIXにログインして対象メールを開いていた。POP(Post Office Protocol)は、OSに無関係の仕様であり、Windowsサーバなどでも使える。受信した電子メールをメールサーバから、端末(パソコン)にダウンロード(移動)することにより、インターネットに接続しなくても読めるようにした。当時は回線速度が遅く、料金が高く、サーバの容量が小さかったので、このような方法が必要だったのである。
    POPの原型は1984年に作られたが、逐次改訂され、現在のベースになっているのは1993年のPOP3である。
  • 1986年 IMAP:電子メール受信プロトコル
    POPが電子メール全体をダウンロードするのに対して、IMAP(Internet Messaging Access Protocol)では、電子メールの一覧のみを取得sる。本文はサーバ側に保存しておき、指定によりパソコンに移動・コピーできる。
    複数のパソコンをもっており、モバイル環境でメールは見るがデスクトップで保存したい場合、複数人で共有したい場合に便利である。
    1986年にIMAPの原型ができたが、現在のベースになっているのは1994年のIMAP4である。
  • 1992年 MIME:日本語や画像の使用
    それまで、電子メールの文字セットはASCII文字に限られていた。規格としては日本語は使えなかったのである。MIME(Multipurpose Internet Mail Extensions)により、ASCII以外の文字セットが使えるようになっただけでなく、画像などのバイナリデータも使えるようになった。

このような経過により、1990年代前半までに、現在使われいるプロトコルはほぼ整備された。

 パソコン通信での電子メール

 一般の人たちにインターネットが普及するようになったのは1990年代中頃であるが、それ以前にパソコン通信が普及していた(参照:「パソコン通信の歴史」)。

  • 1986年 PC-VAN
  • 1987年 NIFTY-Serve
    パソコン通信とは、加入者のパソコンからモデムを介して一般電話回線につなぎ、プロバイダが設置した各地域のセットポイントにダイアルアップ接続する。そのセットポイントからプロバイダのコンピュータ(サーバ)につながり、共同利用する方法である。電子掲示板や電子メールなどのサービスが主であった。
    日本で最も普及したパソコン通信はPC-VAN(NEC)とNIFTY-Serve(日商岩井(現双日)+富士通)である。インターネットとは異なり、電子メールは同一プロバイダの加入者間だけに限定されていたが、1992年に両ネットワークが相互乗り入れした。
    1990年代中頃までは非常に普及したが、インターネットの普及により次第に低調になり、1999年にPC-VANはBIGLOBE、NIFTY-Serveは@niftyへと、両社が運営するインターネットへと移行した。
  • 1986年 まいと~く:パソコン通信ソフト
    当時のパソコンには通信機能がなく、通信回線に接続するにはモデムと制御用ソフトが必要だった。通信機能とメール管理機能、ワープロ機能などを加えたソフトウェアをパソコン通信ソフトという。
    多数のパソコン通信ソフトが出現したが、最も普及したのはインターコムの「まいと?く」であった(有料ソフト)。1991年に姉妹品「まいと~くFAX」が発売され、1997年にはインターネット対応した。
  • Nifterm:パソコン通信ソフト(オートパイロット)
    開発者・開発時期が調べられません。ご教示いただければ幸甚です。
    当時の通信事情を示す好例に、オートパイロットがある。 1996年頃の通信回線は28.8kbpsで、料金は3分間10円だった。それで短時間で必要な電子メールや会議室を巡回するように事前に設定しておき、一挙にダウンロードして、オフラインで読むテクニックが必要になる。それを支援するソフトウェアをオートパイロットといった。
    NiftermはNIFTY-Serve専用で有料ソフトであるが広く利用された。
    インターネット環境でも2000年代初頭までは同じような事情であり、オートパイロットが使われた。

 1990年代後半以降の電子メール

 フリーメールサービス

 インターネットで電子メールをするには、プロバイダに加入してメールアドレスをもらうのが通常だが、多くの無料メールサービスが出現した。

  • 1997年 Hotmail
    Microsoftはmsn.com のドメイン名でWebメールHotmailを提供していたが、Hotmail社が開発して提供していたものである。同社がMicrosoftに買収されMSN Hotmailとなった。
    1999年に日本でも利用できるようになった。その後2007年に「Windows Live Hotmail」と改称した。
  • 1997年 Yahoo!メール
    1999年からYahoo! JAPANが日本でのサービスを開始した。ポータルサイトでの利用と重なり、急速に加入者が増大し、2008年には日本でのブラウザを利用したメール利用者数が第1位になった。
  • 2004年 Gmail
    Googleはこの分野では遅れて2004年にGmailのβ版でのサービスを開始した。当初は招待制だったがすぐにログイン制になった。
    Gmailは、当時としては驚異の1GBのメール保管容量を無料提供したこと、Ajaxを活用して、スターやラベルを用いた多様な検索機能や再配置機能を実現した。HotmailやYahoo!メールなど他のフリーメールサービスに影響を与え、これに追従するようになった。
    Gmailは2009年に正式版に移行した。
  • 2012年 Outlook.com
    Outlook.comはMicrosoftのHotmailに代るフリーメールサービスである。MicrosoftがGmailに対抗し、また Facebook や Twitter などの普及に対応して全面的な改訂を行った。

 インターネット用電子メールソフト

  • Windowsの標準メールソフト
    WindpwsはOS改訂のたびに新しいメールソフトを標準装備してきた。
    ・1995年 Windows 95:Microsoft Exchange
    ・2001年 Windows XP:Outlook Express
    ・2007年 Windows Vista:Windows Mail
    ・2009年 Windows 7:Windows Live Mail
    ・2012年 Windows 8:Mail app
    Windows Live Mailは、標準装備ではないが、Windows Liveのソフトウェア群の一つであり、利用者が無償でダウンロードできるし、プレインストールしているパソコンが多い。
    Windows 8のMail appは、スマートフォン用と同様に、Microsoftアカウントにサインインするだけで、アプリとして利用できる。
  • Microsoft Officeでの電子メール機能
    Microsoft Office Outlookとは、WindowsのMicrosoft Office製品の一つで、個人情報管理 (PIM) ソフトウェアである。予定表・仕事管理・メモなどの機能とともに、電子メール機能がある。
    電子メール機能は、1997年のOffice97から搭載された。OSに関係なく、Microsoft Officeが搭載されているパソコンで動作する。
  • Eudora
    1988年にイリノイ大学のスティーヴ・ドーナー(Steve Dorner)により開発されたインターネット用メールソフト。1991年にクアルコム(Qualcomm)社に買い取られ、2006年にオープンソースになった。
    日本では、1995年にクアルコムと提携したクニリサーチインターナショナルが日本語版を発売。2002年にライブドア、2006年にソニック・ソルーションズが販売している。
  • Becky! Internet Mail
    1996年にリムアーツ(乗松知博)により開発された。Windows95のMicrosoft Exchangeと比較して、電子メールに特化した便利な機能をもち、動作も軽快だったため、広く用いられるようになった。
  • 2001年 秀丸メール
    サイトー企画(斉藤秀夫)による電子メールソフト。当初は「鶴亀メール」であったが、2005年に「秀丸メール」と改称。同社のワープロソフト秀丸エディタに追加機能の位置づけになっている。
  • 2004年 Thunderbird
    MozillaのブラウザFirefoxのメール機能を独立させたメールソフト。オープンソースで開発が進められている。Firefoxの人気とともに利用者が増大した。

 携帯電話・スマートフォンでの電子メール

 携帯電話、スマートフォンの歴史に関しては、「携帯電話の歴史」「スマートフォンの歴史」を参照されたい。
 なおここでは、従来から一般に使われているインターネットでの電子メールのことを「Eメール」ということにする。

 携帯電話での電子メール

 現在、携帯電話で使える電子メールには3つの種類がある。
・SMS(Short Message Service)
・キャリアメール(MMS)、iモードメール(独自仕様)やS!メール(MMS)など
・Eメール
MMSはSMSの拡張版で、通常最も利用されているのはキャリアメールである。

  • SMSの特徴
    ・送信できる文字数に制約がある。
    ・メールアドレスではなく電話番号で相手を指定する。
    ・プッシュ型である。携帯電話の電源が入ってれば自動的に受信する。
    ・料金は送信側が支払う。受信側は無料。
  • 1984年 SMSの開発
    SMSはフィンランドのマッティ・マッコネン(Matti Makkonen)が、携帯電話サービスとして発案した。
  • 1997年 Sky Walker(J-PHONE 現ソフトバンクモバイル)
  • 1998年 漢字ショートメールサービス(ドコモ)
    日本では、この頃からSMSでの電子メール利用が急増した。
  • 1999年 iモードメール(ドコモ)
  • 2001年 MMS仕様
  • 2001年 S!メール、写メール(J-PHONE)
    MMS(Multimedia Messaging Service)はSMSの拡張版である。SMSでの文字数制限が大幅に緩和され、画像や音声などのマルチメディアにも対応した。電話番号だけでなくメールアドレスも使えるので、Eメールとの送受信もできる。
    J-PHONE(現ソフトバンクモバイル)はMMS仕様により、自社の3G(第3世代)携帯電話向けにS!メールを発表、そのサービスの一つに、写真のメール送信「写メール」がある。日本では、3Gへの移行が急速で、電子メールはSMSから急速にMMSへと移行した。
    ドコモは、それ以前から同様のサービス「iモードメール」をしていたが、MMSではなく独自の仕様を採用していたため、ドコモだけのサービスに限られてしまった。
  • 2011年 SMS相互接続
    日本では、携帯電話各社(キャリア)が独自の実装方式(キャリアメール)をとっており、同一携帯電話会社の加入者間でしか通信できなかった。SMS相互接続によりキャリア間でのキャリアメールができるようになった。

 スマートフォンでの電子メール

 米国では1990年代後半からスマートフォンが出現し(参照:「スマートフォンの歴史」)、SMSでの電子メールが用いられていた。しかし、ここでは日本でのスマートフォンに限定する。スマートフォンの電子メールではSMS、MMS、Eメールが使えるが、その主流はEメールである。しかし、MMSは携帯電話から継続できること、一定量まで無料になっていることが多く、未だ広く使われている。

  • iPhone標準メール機能
    iPhoneは標準で、SMTP、POP、IMAPによるメール送受信に対応している。逆に、日本上陸当初はEメールしか扱えなかった。
    それで、ソフトバンクは2010年に、iPhone用の電子メールサービスi.softbank.jpを提供、そこからIMAPアカウントを得るようにした。i.softbank.jpでは用Gmailを対象にしていた。
    現在では、多様な電子メールサービスをアプリとして利用できる。
  • Gmailスマートフォン用アプリ
    GoogleのGmailは、Google Appsの一つとして2009年に正式版になったが、その後各種のスマートフォン版を提供した。プッシュ型で「モバイル Gmail」とも呼ばれる。
    ・2009年 Google Apps for BlackBerry(Gmailの最初のスマートフォン版)
    ・2009年 Google Apps for iPhone/Windows Mobile
    ・2010年 Google Apps for Android 
  • spモード
    携帯電話分野ではドコモが最大シェアをもっていたので、スマートフォンでもドコモ加入者は多い。
    2010年、ドコモは自社スマートフォン向け電子サービスdocomo.ne.jpを開始した。iモード絵文字やデコメールなどにより人気を得た。
  • Windows 8, Mail App
    Microsoftは2012年にWindows 8の標準電子メールMail appを発表。スマートフォンではアプリの形式で提供される。

 参考URL



 



(私論.私見)