PHP研究所のネット上の引用削除請求事件考

 (最新見直し2008.4.13日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 このところ立て続けに強権著作権側からの権利濫用例が頻発している。新聞社では平素、読売新聞が先頭を切っているが、毎日新聞も参戦したらしい。PHP研究所も然り。この後どこが続々と列なるのかウォッチしていく必要があろう。

 2008.4.13日 れんだいこ拝


【事件の概要】

 「阿修羅マスコミ8」のクマのプーさん氏の2008.4.12日付投稿「株式日記と経済展望さんも、刺される!(現役雑誌記者によるブログ日記!by オフイス・マツナガ)」に拠lり、ネットサイトの「株式日記と経済展望」が、PHP研究所法務室から無断引用による著作権違反として告発されたとのことである。これを仮に「PHP研究所のネット上の引用削除請求事件考」と命名する。

 早速飛んで見た。次のような文面が届けられたと云う。

 ◆私はPHP研究所法務室の角田裕司と申します。このたび貴殿のホームページの掲載内容に関する問合せがございまして、ご連絡をさせていただきました。

 当社で発刊の書籍『敵国になり得る国・米国』の内容一部分を貴殿ホームページに掲載しておられますが、当社において本書籍の著作権者に確認をしましたところ、貴殿に対する使用許諾は行っていないとの回答がございました。

 現行著作権法においては例外規定を除き著作権者もしくは著作権管理者の許諾を得ることなく複製等の行為を行なうことは固く禁止されております。また、今回の掲載内容が例外規定の1つである引用(著作権法32条)に該当するものとは、当社では判断しておりません。つきましては、即刻、該当ページの削除をお願いします。なお、本件に関する問合せ等がございましたら私宛ご連絡下さいますよう、お願い申しあげます。

 平成20年2月13日

 PHP研究所 法務室 担当 角田裕司
 TEL(03)3239-3105 E-mail:HOUMU@php.co.jp

 株式日記と経済展望」氏は、以下のようにコメントしている。

 敵国になり得る国・米国』は2月5日に書いた株式日記ですが、引用部分は削除しましたが、これでは私が伝えたいものの半分も伝わらない。別に青木氏の著作を複製したわけでもなく、一部分を「引用」しただけだ。「引用」は著作権法32条で認められており、著作権者といえども「引用」が拒否できるものではない。一番肝心なのはアクセス数を増やす為に「引用」したのでもなく、金銭的利益の為でもない事はブログを見ればはっきりする事だ。

 今のところはネットやブログなどは宣伝手段であり、商業化はまだ難しい。『敵国になり得る国・米国』にしても一部を引用して紹介する事は、宣伝になりこそすれ営業妨害にはならないはずだ。アマゾンのサイトでも一部を公開して読めるようになっている。だからPHP研究所の角田氏の言うことは言論弾圧行為なのだ。

 アメリカでは著名ブロガーの死亡が相次いでいますが、ブログを書く以上は内容に対するクレームや嫌がらせは避ける事ができない。特に女性のブログは著名になればなるほど匿名の嫌がらせコメントが来てコメント欄を廃止しているところがほとんどだ。日本人は特に臆病な人が多いから脅迫めいた嫌がらせが来るとブログを止めてしまう人が多い。

 「極東ブログ」の管理人にしても池田信夫氏にしてもブログを書くことでストレスを感じているようですが、ブログを書く以上は何らかのトラブルは覚悟しないとブログを書き続ける事は出来ない。

 「株式日記」の引用に対しても嫌がらせはありますが、私はネットがない頃の法律を持ち出してネットを取り締るのは間違っていると思う。もし「引用」がPHP研究所の角田氏が言うように著書の一部の「引用」も認めないのは「嫌がらせ」の一種だ。ネットにおける書評などは商業ベースに乗っている数少ないブログだ。だから書評を載せてもらうために献本してくれる出版社もあるのですが、PHPの角田氏はネットの特質や著作権法の理念が分かっていないのだ。

 私自身は不動産業者であり、ヤクザとの立退き交渉なども弁護士などの力を借りずにやってきたから、「嫌がらせ」に対して柔軟に対処する事は馴れっこであり、このような性格でないとブログなど書かないほうがいいかもしれない。アメリカでの著名なブロガーの死亡も過剰なストレスによるものでしょうが、精神的にタフでないと長くブログを書き続ける事は出来ない。多くのブログが半年か1年で消えてしまう。

 「株式日記」は過激な事を書き続けてきたから、プロバイダーに過剰な自己規制でサイトを消されたりしてきたから、裏サイトやブログなどでコピーして言論弾圧と戦っていますが、「人権擁護法案」など逮捕礼状なしでの家宅捜査が出来るような法律などが出来て取り締られるかもしれない。日本人は臆病だから政治ブログを書く人はますます少なくなってしまうだろう。


 このところこの種の削除請求が増えつつある。「PHP研究所のネット上の引用差止め請求事件」に先立ちネット界の論客Birth of Blues氏も同様の削除請求を受けているようである。毎日新聞社から次のような請求を受けて居るとのことである。
毎日新聞削除依頼

 株式日記と経済展望」氏は、次のようにコメントしている。
 ◆ネット界の刺客「Birth of Blues」さん、刺される 4月10日 オフィスマツナガ

 ネット界の刺客の「Birth of Blues」さん、刺された模様。

 (私のコメント)

 このように著作権法が言論弾圧の手段に使われているのであり、著作権法の32条の「引用」は勝手な拡大解釈で否定されて削除を求めてきます。法律が本来の目的とは離れて適用するのは「法律の乱用」と言ったほうがいい。著作権法などでも具体的な「引用」の範囲が示されていない以上は、削除を求めるのは越権行為になります。

【事件に対するれんだいこ見解】
 岩瀬達哉の社保庁との著作権訴訟」もそうであるが、このところ強権著作権論の振りかざしが激しくなっている。 何やら気難しいコンプライアンス論が唱えられており流行っている。れんだいこは、「岩瀬達哉の社保庁との著作権訴訟考」で既に述べているが再確認しておく。

 ネットであろうがブックであろうが、著者の発言や見解や記事を引用転載するのに、著作権法はこれを禁じていない。著作権法が規制しているのは、いわば同業他社の著書の無断発行なり、著者名、出典元を記さない引用転載に対してである。著作権者の権利及び版権を所有する出版社の権利を認めようとするのが著作権法の発生史である。つまり、著作権法は、人民大衆の著作物の引用転載、それに伴う批評権を掣肘するものではないということだ。

 それを、今日びの強権著作権論者は、人民大衆の著作物の引用転載それに伴う批評につき、著作権法がそれを著作者及び版権所有者の権利に対する侵犯だと明記しているとして「事前通知、要承諾制法理論」なるものを捏造している。

 多くの自称インテリが、ろくに著作権法を読みもせずソウダソウダと相槌し、著作者の権利を守れ、著作権法のコンプライアンス(法令遵守)に従えなどと云うからややこしくなっているだけである。「事前通知、要承諾制法理論」は、著作権法ではなく、彼らの業界団体が著作権法規定を改竄していわば任意勝手に見解を打ち出し、人民大衆の引用転載それに伴う批評権を侵害しているに過ぎない。

 唯一認められているのは、日本音楽著作権協会即ち例の泣く子も黙る鬼のジャスラックだけであり、これを仮にジャスラック法と命名すると、そのジャスラック法そのものが著作権法違反、音楽著作権法違反の恐れが強い。例えて云えば、憲法9条があるにも拘らず、日米安保条約が適用され、憲法とは別枠で強権発動している例に似ている。ご丁寧な事に、そういう胡散臭い強権著作権法を強力推進しているのが例の日共である。

 強権著作権論者の要通知要承諾制論は、二つの方向で機能している。一つは、情報統制であり、人民大衆の自由な情報交差を制限する事に役立っている。もう一つは、要通知要承諾の代わりに発生する対価請求権である。国家は主として前者を機能させ、民間的権利団体は後者を機能させる。

 そういう訳で、PHP研究所、毎日新聞社知的財産管理センターの圧力は、ジャスラック式法理論の社会全域拡大の様を示している事になる。これを如何せんか、これが問われている事になる。

 れんだいこは、これにつき、理論的に解決済みである。強権著作権論は、現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義即ち「シオン長老の議定書」マニュフェストを信奉するネオ・シオニズムが押し付けようとしている言論統制策であり、もう一つは金儲けの為なら禁足地にも踏み入るユダヤ商法的営利主義政策の賜物である、でしかない。

 我々がこれに抗するには、別系の志操、思想に基く著作権論を確固として打ち出し、ネオ・シオニズム系強権著作権論を一蹴せねばならない。史上、ネオ・シオニズム的狡知に打ち勝ったのはイエスであり、別系で日本の中山みきの思想も深い。ならば、イエス理論に基き、あるいは中山みき理論に基き、ネオ・シオニズム系強権著作権論の不毛を衝き、人民大衆に解放された著作者、版権社、人民大衆のそれぞれの権利を調整保全しつつ業界と文化伝統の愛育発展に資する理論を創造せねばならない。

 今はこの仕事が全くなされていないので、、ネオ・シオニズム系強権著作権論テクストを読んでますます阿呆に成るか利権狂いするかのどちらかの人士しか居ない。しかし何事も気づけば半ば仕事が達成されている。後は、理論構築と、ネオ・シオニズム系強権著作権論批判に向かえば良い。

 2008.4.13日 れんだいこ拝



 



(私論.私見)