著作物のドラマ化に於ける著作者の権限考

 (最新見直し2007.7.20日)

 (れんだいこのショートメッセージ)


 2007.10.17日 れんだいこ拝


【知的所有権とは】
 知的所有権には、特許権、実用新案権、商標権、意匠権、著作権などがある。著作権以外は、その権利取得に申請、審査、登録が必要とされる。これを形式要件と云う。著作権は無形式であるが、実は権利保護が最も強いものになりつつある。例えば、特許権、商標権の保護期間は特許権が出願から20年、商標権が10年であるが、映画の著作権は公表後70年(2003.6月から50年から70年に延長)になっている。著作権ビジネスは、デジタル化、インターネットの普及によって、今やコンテンツ(情報内容)ビジネスの中核となり、音楽、映画、アニメ、マンガ、ゲームなどの分野でグローバル展開しつつある。

【著作物のドラマ化に於ける著作者の権限考】
★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評15 」の「 NEMO 日時 2024 年 2 月16日
」「NHK「原作者がドラマ化に口を出すことは検閲であるため断固拒否する」5
ch他
」参照。
NHK 「ドラマ化しませんか?」
原作 「いいけどプロットのチェックはさせてね」
原作 「で、プロットはまだなの?」
NHK 「遅くなりました!もうクランクイン直前なんでこれでいいっすよね?」
原作 「は?ダメに決まってんだろ。直させろ。出来ないならドラマ化は認めんぞ」
NHK 「原作者ごときが口出しすんなやぁ!テメェのせいでドラマが中止になったぞ!賠償よこせ!」

 このやり取りに対し、次のように評されている。
口出しされたくないならオリジナルでやれとしか言いようがないわな。
知財原始人か?
この裁判NHKは敗訴しとるからな
原作者の条件が嫌なら最初から映像化しようとするなって話よな。
 2015年4月28日、講談社広報室「『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』に関してNHKより提訴された裁判に対する講談社の見解」。
 今回の係争はNHKが、作品に込められた作家の思いをまったく理解せず、ドラマ化を強引に進め、クランクインしようとしたために起きたものです。NHKは辻村深月さんの小説『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ』(弊社刊)のドラマ化を企画しましたが、辻村さんと、辻村さんから管理委託を受けている弊社が許容できる脚本を提示してきませんでした。そのため「当該スケジュールおよび当該スタッフによるドラマ制作をいったん白紙にしたい」と提案したことに対し、NHKは、ドラマ制作の中止を余儀なくされたとして、弊社に対して約6000万円の損害賠償を求めてきました。弊社が一貫して主張してきたのは、原作者の意志を尊重せずに作品を一方的に改変したドラマが制作されることはあってはならない、ということです。原作がどのように脚色されるのかを把握するため、弊社は再三、NHKに対し全四話のプロットを見せて頂きたいとお願いしましたが、それは叶えられず、クランクイン予定日の2週間前になって、ようやく全四話までの準備稿が届けられました。その脚本では、原作小説の、根幹の解釈を覆しかねない、容認しがたい改変がなされておりました。 辻村さんと弊社は、脚本をめぐるやりとりや、届けられたスタッフの説明の手紙から、 当該スタッフが、この作品のテーマを理解していないと判断せざるを得ず、このままの形でのドラマ制作を容認できないと伝えました。NHKは自らの一方的な判断で制作準備を進め、クランクイン予定日を設定していました。にもかかわらず、すでに様々な費用が発生しているので、その全額を払えと、弊社に対して裁判を起こしました。脚本委嘱料、撮影に要する美術費、出演料、職員の出張旅費・ 手当、会議費、タクシー代、携帯電話代、さらには原作書籍の購入代金まで、すべてを負せよと要求してきたのです。 そもそも、弊社の「ドラマ制作をいったん白紙にする」という提案は、当該スケジュー ル下での当該制作チームによるドラマ化は容認できないが、NHKから再提案があれば優先的に検討するというものだと、何度もNHKに説明しました。それゆえ、私どもはなぜ NHKがこのような裁判を起こしてきたのか、いまだに理解できません。 裁判のなかで、証人に立ったNHK幹部は、脚本の確認について、「放送局として、我々が作る編集内容に関して第三者が口を出せるということを認めてしまうこと自体が認められない。ほとんど検閲に当たります」と述べました。管理委託を受けている出版社が、原作者の意向を受けて脚本に意見を述べることを「検閲」と捉えていることに、私どもは衝撃をおぼえました。「作品は原作者のものであり、作家の意志を尊重せずに作品を一方的に改変したドラマが制作されることはあってはならない」という立場に立つ弊社としては、 この幹部の発言は到底受け入れがたく、見識を疑わざるを得ません。弊社は作家の方々とともに、優れたドラマが制作されるよう、今後とも尽力することを、最後に申し添えます。

【キャンディ・キャンディ事件】
 2019.1.21日、「『キャンディ・キャンディ』の著作権に関する講談社の見解」。
 キャンディ・キャンディ事件解決の為に最大限の尽力をした講談社

 梶原一騎の著作権を否定した いがらしゆみこ まず地裁における いがらしゆみこ氏の主張を記します。<証人尋問>でいがらし氏はこう証言しています。
 「私が考える原作というのは、資料も全部与えられて、きちんと台詞もこのとおりに書いて下さい、あるいは、言ってしまえばコマ割りまで指定され ているものがきちんとした原作だと思います」(記録書のまま)。

 水木杏子公式サイト(旧)「漫画の原作という仕事について」より引用

 つまり、原作者がキャラクターデザインにまで参加し、作画資料を提供し、ネーム形式で書かれた原作原稿でない限り、「漫画原作」としての法的権利は有しないという主張です。漫画『キャンディ・キャンディ』の原作は400字詰原稿用紙2,000枚超に書かれた小説形式のものである為に、「原作」ではなく単なる「参考資料」に過ぎないというのです。

 近年はネーム形式の原作者も増えましたが、日本の漫画史を築き上げてきた多くの漫画・劇画原作者、例えば梶原一騎、福本和也、小池一夫、雁屋哲、武論尊、牛次郎、工藤かずや、佐々木守… といった大御所作家たちの原稿は小説形式や脚本形式で書かれています。万が一にも いがらし氏の主張が法廷で認められ、判例となっていたら、このような大御所作家たちの著作権は否定され、彼らが人生をかけて紡いできた物語は「単なる参考資料」に貶められ、創作者としての名誉も法的権利も奪われてしまうところでした。そのような悪夢を防いだのが、講談社が裁判所に提出した仔細な陳述書だったのです。
 講談社の『キャンディ・キャンディ』担当編集者(企画立ち上げから第3部完まで)だった清水満郎氏が98年3月、地裁に提出した陳述書

 1.『キャンディ』の誕生理由

  当時の少女漫画はいわゆる”学園もの”が中心だった。しかし、いがらしさんの新連載を始めるにあたり、『なかよし』編集部では、より骨格のしっかりした大型の連載を目指し、いわゆる”名作もの”の企画で行こうということになった。”名作もの”とは、著名な外国文学のように、長きにわたり読み継がれた作品のようなものをイメージしていた。このような構想はかねてから東浦彰編集長が抱いていたものだが、編集会議でそういう方向を目指すことになった。そして、原作者として水木さんが編集部で人選された。 

 2.『キャンディ』のコンセプト

  基本的なコンセプトと設定は、漫画家のいがらしさん、原作者の水木さん、担当編集者である清水の3人で話し合って決めていった。まず『ローズと7人のいとこ』という作品名が、いがらしさんから出て、『あしながおじさん』の話を清水が持ち出した。水木さんも幼い頃から『赤毛のアン』などの名作ものは大好きだったということで企画に大変興味を示したため、以後は3人で話し合っていった。 

 3.『キャンディ』のストーリー展開

  いがらしさんが希望や意見を出し、原作にそれが反映されることもあったが、ストーリーを作ったのは誰かといえば、やはり原作者である。具体的なストーリーの展開は原作者の水木さんが作成し、その漫画化をいがらしさんが行なったと記憶している。 

 安藤健二著 『封印作品の謎2』(太田出版)P30-31より引用

 また、事件以前は いがらしゆみこ氏自身も「企画は編集部」「自分に話が持ち込まれた時には既に原作をつけることが決まっていた」と公言していました。

  参照:
  アニメック第23号(昭和57年4月)ザ・プロフェッショナル第四回
 「原作付き漫画」の著作権

 講談社版権事業推進部長・新藤征夫氏が98年10月、地裁に提出した陳述書の要約。

 1.「原作付き漫画」の著作権

  原作は漫画のセリフやストーリーを構成する部分にすぎないもの、という考えはしない。「漫画の原作」は、漫画の著作物とは別個の独立した著作物であり、原作者は独立した原著作者だ。したがって、その原作をもとに執筆された漫画作品には、つねに原作者の原著作権が及んでいる。 

 2.「原作付き漫画」の原作者の扱い

  このような「原作付き漫画」の二次利用(映画・テレビ・演劇など)の版権業務を行う際は、原作者と漫画家それぞれに事前許諾を得て、両者のクレジットも必ず表示するように義務づけている。商品化の際も同様である。連載以降に新しく描き下ろした登場人物の絵も、漫画の複製物であるため、原作者の権利が及ぶものと考えて、同じ扱いをしている。
 
 3.『キャンディ』の著作権管理について

  75年から契約解除となる95年までの20年間、講談社が著作権の管理をしていた。 その間、前述した「原作付き漫画」とまったく同じ版権処理をしていた。

 安藤健二著 『封印作品の謎2』(太田出版)P31-32より引用

  新藤氏は地裁判決の翌朝の新聞にも同様のコメントを寄せております。

   漫画「キャンディ・キャンディ」の版権を以前管理していた出版元の講談社の新藤征夫・版権事業推進部長の話
 一九九五年に五十嵐さんと、名木田さんの側から「自分たちで版権を管理したい」との要望があり、二人に返した。原作者と漫画家だけで管理するのは珍しいケース。出版社が仲介する場合、契約で原作者と漫画家の権利は同等に定めるのが普通だ。漫画にとって設定、ストーリー、世界観も重要な要素で、原作あっての漫画だといえる。漫画家が絵だけの権利を主張しても通らないのが業界の常識になっている。

 朝日新聞 1999年(平成11年)2月25日朝刊38面より引用
 講談社顧問弁護士の見解  講談社社史編纂室部長・竹村好史氏 談

 ――――講談社が「原作が原著作物である」という判断をしたのはなぜですか?
  「はじめは私も漠然と、「共同著作物」かなと思っていましたが、社の顧問弁護士と相談したら『原作者は原著作者にあたる』ということになりまして、社内の方針としてそうなりました。 『キャンディ』の場合、漫画化される以前には原作は世に出ていなかったわけですが、制作の順序としては原作を見ながら描かれるということで、そうした手順の問題だと思っています。ただ、原著作物であったにせよ共同著作物であったにせよ、双方の同意が得られなければ出版や商品化はできないわけであって、そこは大きな問題ではないと思います」。

 安藤健二著 『封印作品の謎2』(太田出版)P53より引用

 (株)講談社の見解では初めから「水木杏子は”原著作者”」であり、連載時からその見解に沿った法的処理がなされていました。にもかかわらず、日本マンガ学会では「最高裁判決で水木を原著作者と位置づけたのは、漫画界の実情を反映しない不条理な判決」とネガティブキャンペーンをはり、原著作者をカヤの外に置いて作画者一人を著作権フォーラムにまねき、最高裁判決を非難しました。そればかりでは終わらず、 日本マンガ学会著作権部会は、2005年10月13日の第3回著作権部会の席上で、 「キャンディ・キャンディ」のマンガ部分は、二次的著作物という解釈ではなく、ストーリー部分との共同著作物であるとなぜ解釈できないのか。マンガ家がストーリー作家の合意なしに、商品化の許諾を与えて製作したグッズの販売が不能となって損害を蒙った業者は、利害関係人であるから、これらのグッズの販売を許諾(合意)しない作家を訴えることが、現状打破の一つの突破口にならないか」等と最高裁判決及び講談社法務部の法的見解を非難し、原著作者・水木氏と商標権保持者である(株)東映アニメーションの正当な権利を侵して違法グッズを制作販売した業者を「被害者」と位置づけ、新たな裁判を起こすための扇動まで行っています。
 「いがらしの為の企画」ではなかった

 講談社社史編纂室部長・竹村好史氏 談
  「『世界の名作のいいところを全部出せないか』というようなコンセプトだったと思います。そんな露骨な言い方はしなかったとは思いますが……。だから、みなし子、看護婦、いじめっ子と名作に出てくる要素はみんな出てきますよね。そのうえで、水木さんといがらしさんを組ませるということになったんでしょう。編集会議でそう決まったはずです」。

 安藤健二著 『封印作品の謎2』(太田出版)P61-62より引用
 東京地裁の判断  東京地裁判決文

  しかし、本件においては、前記第二、一(前提となる事実関係)に証拠(甲一、一二、丙一の1ないし5、二の1ないし4、三ないし七、九、一〇)及び弁論の全趣旨を総合すれば、
  ① 昭和四九年秋、なかよし編集部は、当時なかよしに連載中の被告【D】の著作に係る漫画「ひとりぼっちの太陽」の連載終了後に、同被告による新たな連載漫画をなかよしに連載することを企画し、被告【D】の担当編集者であった【I】が同被告との間で新たな連載漫画の構想を話し合うなかで、新連載漫画については、なかよし昭和五〇年四月号から連載を開始し、ストーリーの作成を原告が担当し、作画を被告【D】が担当することが決まり、昭和四九年一一月までの間に、【I】は、被告【D】及び原告とそれぞれ個別に打合せを行って、新連載漫画につき、舞台を外国として、主人公である孤児の少女が逆境に負けずに明るく生きていく姿を描くなどの、漫画の舞台設定、主人公の性格や基本的筋立て等の基本的構想を決定したこと、

  ② 右に引き続いて、同年一一月、原告と被告【D】は、【I】を交えて初めての打合せを行い、なかよし昭和五〇年四月号に掲載する連載第一回分の筋立てのほか、なかよし同年三月号に同漫画の予告を掲載するために必要な、漫画の題名、主人公の名前、キャラクター等について各自の意見を交換したが、その際、被告【D】は、携帯していたB5判の無地のレポート用紙綴りに、主人公のラフスケッチ(キャンディ原画)を描いたこと、

 ③ 右打合せの結果を踏まえて、原告は、本件連載漫画の連載第一回分の原作原稿を執筆していたところ、これと並行して、被告【D】は、【I】からの依頼に基づき、なかよし三月号に掲載する本件連載漫画の予告用の主人公キャンディのカット画(キャンディ予告原画)を作成して、昭和五〇年一月八日ころまでに【I】に渡したこと、

  ④ その後、同年一月中旬に、被告【D】は、原告の作成した連載第一回分の原作原稿を、【I】から受領したこと、が認められる。

 東京地裁 平成11年(ワ)第20712号 著作権損害賠償請求事件
 当裁判所の判断1
 争点1(本件連載漫画の登場人物の絵のみを利用する行為に対して、原告の本件連載漫画の原著作者としての権利が及ぶかどうか)について(二)より
 日本ユニ著作権センター判例全文 より引用
 講談社側の証言まとめ  講談社側の証言を総合すると、
まず、 東浦彰編集長が「カルピス劇場のような名作路線を少女漫画で実現したい」という構想を持ち、 編集会議で、いがらしゆみこ作画の連載枠を使ってその企画を推進すると決定。
東浦編集長のコーディネイトで「物語・名木田恵子(水木杏子)」「作画・いがらしゆみこ」というユニットが組まれた。
担当編集・原作者・作画者の座組みが仮決定した段階で、原作者と漫画家にそれぞれ打診。
「名作路線の黄金パターンをすべて盛り込んだものとする」との編集部指定を受けて、一番最初の打ち合わせの場で原作者・漫画家・担当編集者の3者でブレインストーミング。
それを踏まえて原作者が連載開始に向け具体的なストーリーに発展させ、エピソードとキャラクター(人格・設定の意)を作成した。

 ということのようです。日本マンガ学会理事が教育現場を含む様々な場で吹聴している、「少女マンガの女王いがらしサンに、新人だった水木さんは当初言われるままに書かされてきた」が真っ赤な嘘であることは明白です。
 講談社が再びキャンディ・キャンディの著作権管理をする可能性

 講談社社史編纂室部長・竹村好史氏 談(安藤健二著 『封印作品の謎2』(太田出版)P54より引用 )
  ――――講談社が再び著作権を管理するという話はなかったのですか?
  そうした声があったのは確かです。社内的にも前向きで希望を持っていました。ただ、いがらしさんが控訴してしまったことで、すべて潰れてしまったんです。高裁、最高裁と行ってしまったら収拾がつかない。いがらしさんが詐欺みたいなことをしたわけですから、非を認めて水木さんに謝罪をしないかぎりは、今後は前に進まないでしょう。

 いがらし側の意向は不明ですが、原著作者・水木杏子氏の方は作画者の口車に乗って講談社との契約を切ったことが一連の横領詐欺の始まりであり、この事件後、すべてを元に戻し講談社、東映アニメに私の権利を任せることができたらと願っております(水木杏子公式サイト内「業者について思うこと」より)と表明しています。また、漫画本に関しては、「水木は講談社以外、許可しないつもりですが、その版元、講談社でさえ問題がきれいに解決しない限り、出版することはないでしょう」(水木杏子公式サイト内「キャンディ事件の現状について」より)とも宣言しています。

 現在、講談社と『キャンディ・キャンディ』という作品の間には、何の法的関係もありません。講談社がふたたび『キャンディ・キャンディ』を出版・版権管理をするには、新たに水木・いがらし両氏と契約を結び直さねばなりません。その際には当然、講談社法務部の以前からの法的見解であり、最高裁判決によっても再度確認された「水木杏子は原著作者」「漫画作品『キャンディ・キャンディ』は原作原稿の二次的著作物」に則った契約書が作成されるはずです。
 封印作品の謎 少年・少女マンガ編
 著者: 安藤健二(略)

 今回(2005年秋)『封印作品の謎』の著者、安藤健二氏の取材を受けました。その際、再度深く考えました。そして、簡単に<封印>という言葉を使った自分を恥じています。確かに今まではこれも<封印>の範疇かもしれないと甘んじていましたが、この言葉を使うと、あたかも原作者、水木の意志で封印されてしまった、と受け取られることを取材を受けて強く感じ、冷水を浴びされた思いがしました。 この事件は、水木サイドの初動ミスによって<詐欺事件>が<著作権侵害事件>にすりかえられてしまいました。あたかも<著作権問題>について論議されたような結果を招いてしまい自らの愚かさとはいえ残念でたまりません。また、その問題を正当化せんといがらし氏の弁護士、取り巻きの漫画家や漫画評論家たちが画策しています。この漫画作品はそういった人たち(この事件を検証しようともしない、また作品を本当に愛しているともいえない)によっていっそう暗闇に追いやられているのであって、<封印>とは全く意味が違うことを少しでも理解していただけたら、と願っています。(略)

 水木杏子公式サイト内「キャンディ事件の現状について」より

【コンテンツ・メディア複合企業】


 



(私論.私見)