歌手ちあきなおみ引退事情考 |
更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).3.2日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「歌手ちあきなおみの強制引退考」を書きつけておく。れんだいこには、歌を命としてきたちあきの引退が解せない。その裏にはジャスラックとの戦争があったのではなかろうかと考えている。伏せられている闇の部分であるが、れんだいこの霊能力により嗅ぎつけてみたい。 2010.05.18日 れんだいこ拝 |
【ちあきなおみの履歴その1】 |
「ウィキペディアちあきなおみ」、「ちあきの部屋」その他を参照する。「ちあきなおみ 「花笠道中」~美空ひばりものまねショーから」。 |
1947.9.17日、3姉妹の末っ子として神奈川県に生まれ、東京都板橋区で育つ。本名/瀬川三恵子(せがわ みえこ)。血液型O型。身長:162cm。 |
芸事の好きな母の影響で4歳でタップダンスを習い始める。幼い頃から歌が好きで幼少期から米軍キャンプでジャズを歌うなど歌と共に育った。 |
1952年、5歳の時 |
タップダンサーとして東京の日本劇場(日劇)で初舞台を踏む。芸名は「白鳩みえ」。音感が良く、運動神経の発達したちあきは、一家の大黒柱として芸能界に身を置くようになった。小・中学校時代の同級生たちは「授業があっても仕事が入ると迎えの人が来て、彼女を連れて行った」と証言する。 |
小学2年の時、神奈川県藤沢市辻堂へ転居。藤沢市立辻堂小学校を卒業。藤沢市立湘洋中学校へ進学。中学2年の時、大田区立大森第三中学校へ転校。中学3年の時、新宿区立大久保中学校(現在の新宿区立新宿中学校)へ再転校。 |
【ちあきなおみの履歴その2】 |
13歳で本格的な歌手活動を開始し、「メリー児玉」の名で米軍キャンプ、ジャズ喫茶やキャバレーで歌ったり、演歌歌手としての修行を下積みする。「三芳プロ」に所属し、「五城ミエ」や「南条美恵子」の名でジャズ喫茶でロックを歌ったり、地方を廻り前座歌手を務める。10代半ばには演歌のレッスンも2年ほど行い、その間、千葉の盛り場で流しを経験する。こうして、10代は芸名をなど変えながらいわゆるドサ回りで全国を回る。実力が認められ、橋幸夫やこまどり姉妹などの前座歌手も務めている。 |
**年頃、コロムビアのオーディションを受け保留となる。これをきっかけに作曲家・鈴木淳の元で1年4ヶ月レッスンを受ける。 |
1969年、21歳の時 |
「ちあきなおみ」の名でコロムビアより「雨に濡れた慕情」で念願の歌手デビューする。芸名は当時フジテレビプロデューサー千秋予四夫(せんしゅうよしお)の千秋(せんしゅう)を「ちあき」と読ませ、「なおみ」は当時の所属事務所の社長が坂本竜馬を尊敬しており、その子孫である坂本直道(さかもとなおみち)氏から採った、又は龍馬の本名直柔から「なおみ」としたと云われている。 「雨に濡れた慕情」はオリコンで17万枚近いセールスを切り好調なスタートを切る。 デビュー当時のキャッチフレーズは「苗字がなくて名前がふたつ」、「魅惑のハスキーボイン」。作詞家の吉田旺はデビュー曲のほかに大ヒットとなった喝采、紅とんぼ、冬隣など数々の名曲を作り上げることになる。今でもちあきと交信できる数少ない人物となっている。2作目「朝がくるまえに」も売れ、それぞれヒットチャート誌で17万枚近い売り上げを記録する。この年の第2回日本有線大賞期待賞を受賞する。 |
1970年、22歳の時 |
4月、デビューから2年目、「四つのお願い」がヒットし、人気歌手となる。続いての発売「X+Y=LOVE」も連続ヒットとなり人気歌手への仲間入りを果たす。年末にはその年新設された第1回日本歌謡大賞・放送音楽賞を「四つのお願い」で受賞する。また、「第3回日本有線大賞
努力賞」を受賞。 この間、映画で、喜劇の「冠婚葬祭入門」(松竹、三木のり平、倍賞美津子、由利徹、森光子)にバスガイド役として出演する。CMで、ヤクルト・ジョアのCM曲「幸せのジョア」を歌う。 6.6-7日、東京・渋谷公会堂で初のワンマンショーとなるライブ/コンサートを開く。ゲストとして鹿内タカシが登場する。「ヘイ・ジュード」、「ほんとにほんとにご苦労さん」、「無法松の一生」、「雨に濡れた慕情」、「朝がくるまえに」、「四つのお願い」などを披露する。 「四つのお願い」や「X+Y=LOVE」の頃はいわゆるお色気アイドル路線にて活躍。「元祖どっきりカメラ」や「コント55号の裏番組をぶっとばせ」など、歌手でありながらコメディーのセンスも持ち合わせていることを披露、活躍の場を広げた。 9.24日、ふるさとの歌まつり(三重・桑名より中継) 「四つのお願い」。 11.9日、第1回日本歌謡大賞発表、「四つのお願い」。 12.31日、NHK第21回紅白歌合戦に初出場、「四つのお願い」を歌う。以降1977年まで8回連続出場する。その後、「紅とんぼ」のヒットで1988年の第39回NHK紅白歌合戦に11年ぶりの出場を果たす。 |
【ちあきなおみの履歴その3】 | |
1971年、23歳の時 | |
歌手活動の傍ら、徐々にバラエティーなどの仕事も増えていった時期となる。 テレビドラマ「おかしな四つ児」(TBS)に佐良直美、水前寺清子、和田アキ子らと共に出演する。 2.18-19日、東京・日劇での初ワンマンショーを開催。殺陣、日舞、大衆演劇、落語など何でもありのバラエティーに富んだ内容となる。 <パンフレットから転載したセットリスト>は、第1景『殺陣・田村』。第2景『四つのお願い』…四つのお願い、朝がくるまえに。第3景『ゲストと一緒に』 ゲスト:桂米丸、市村俊幸…スタンダード・メドレー、二人でお茶を、トークコーナー。第4景『セクシー・ボーイ』。日劇ダンシングチームによる踊り。第5景『マル秘・ヤクザ大全集』 妻恋道中、唐獅子牡丹、旅姿三人男、兄弟仁義、旅笠道中。第6景『スリーピー藤による漫談』。第7景『ヒットパレード』…雨に濡れた慕情、X+Y=LOVE、別れたあとで、無駄な抵抗やめましょう、四つのお願い。ライブ録音され『ちあきなおみオン・ステージ』としてLP盤が発売された。パンフレットに比べLP盤の方が曲数が多いが、それでも全曲収録ではない。 9.5-12日、東京・浅草國際劇場での初のワンマンショー「ちあきなおみショウ」を催す。 12.31日、NHK第22回紅白歌合戦に2回目の出場、「私という女」。 |
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1972年、24歳の時 | |
6.8日、ふるさとの歌まつり(島根より中継)。「X+Y=LOVE」。 初の吉田旺/中村泰士コンビによる「禁じられた恋の島」が地味ながらロングヒット。 9月、13thシングル「喝采」が発売されるや、その年の年末から翌年にかけてオリコン集計で80万枚を売り上げる大ヒットとなる。この曲はちあきの実体験を元にして作詞されたという触れ込みでプロモーションされたが、実は全くのフィクションであった。実際には前座歌手時代に兄の様に慕っていた若手役者が急死した体験を持ち、それと歌詞の内容が偶然似ていたために「実体験」とすることでプロモーションに活かすという戦略をとったといわれている。実力派歌手としての認知が高まり、歌謡界の頂点に一気に駆け上がることとなった。 TV連続ドラマ「恋は初恋」(日本テレビ)に藤岡琢也、佐久間良子、日色ともゑらと共に出演する。 『喝采』が第14回日本レコード大賞を受賞。9月発売にもかかわらず本命の小柳ルミ子をやぶり受賞した。 12.31日、NHK第23回紅白歌合戦(3回目)「喝采」。 |
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1973年、25歳の時 | |
レコ大受賞の余波で「喝采」がロングセールスに。世間では実力派歌手のイメージが定着する。 6月発売の「夜間飛行」がヒット。「喝采」、「劇場」、「夜間飛行」の一連の作品は「ドラマティック歌謡」と呼ばれる。 TV「題名のない音楽祭」(NET/現・テレビ朝日)に出演し、「喝采」を様々なアレンジで披露。またシャンソンの「そして今は」をオーケストラをバックに歌う。 テレビ連続ドラマ「恋は大吉」(日本テレビ)に森雅之、千秋実、松山政路、麻丘めぐみらと共に出演する。 連続ドラマ「くるくるくるり」(日本テレビ)に萩原健一、島田陽子、沢田研二らと共に出演する。CMで、プリマハムのCM曲「プリマハム」を歌う。 9.1日、東京・渋谷公会堂でライブ/コンサートを開く。ライブ録音され、「ちあきなおみ ON STAGE」としてLP盤が発売された(完全収録ではない)。 12.31日、NHK第24回紅白歌合戦(4回目)「夜間飛行」。 歌のゴールデンステージ。「夜間飛行」 。 |
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1974年、26歳の時 | |
前年の「夜間飛行」に続いてポップス系「円舞曲」を発売する。その後、体調を崩ししばし入院・休養(5月)。東京音楽祭・国内大会出場もキャンセル。この頃、俳優・郷鍈治と交際がスタートしたと云われている。 8.3日、 第6回思い出のメロディーで「すみだ川」。 10.22-23日、東京・中野サンプラザで「ちあきなおみリサイタル」を開く。ライブ録音され「ちあきなおみリサイタル」としてLP盤が発売されたが、LP盤は完全収録ではなく、「ものまねコーナー」をはじめとしてライブ盤に収録されていない曲があるという。 12.31日、NHK第25回紅白歌合戦(5回目)。「かなしみ模様」。 |
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1975年、27歳の時 | |
DVD-BOX発売。2007年にはスカパー・TBSチャンネルで放送。 「喝采」以降、ちあきのディレクターを務めていた東元晃氏がコロムビアを退社。それに伴いそれまで東元氏のアシスタントを務めていた中村一好氏が6月発売のシングル「恋慕夜曲」からディレクターとなる。演歌寄りのアプローチが始まり、作曲家・船村演歌と組むことになる。 7月、「さだめ川」が発売されヒットする。演歌のジャンルでもその歌唱力の評価が高まる。 長年在籍していた所属事務所「三芳プロ」を退社。「コロムビア音楽芸能」に移籍。物まね番組ではデフォルメした美空ひばり、島倉千代子、欧陽菲菲、松尾和子、いしだあゆみ、奥村チヨ、山本リンダ、園まり、和田アキ子などの物まねを披露、芸達者ぶりを見せる。 3.2日放送のNHK「ビッグショー~ちあきなおみ・女の歌」に出演する。喝采、劇場、雨に濡れた慕情、夜間飛行、かなしみ模様、花吹雪、円舞曲、四つのお願い、新宿情話(ギター弾き語り)、二人でお酒を、裏窓、かもめ、ねえあんたを歌う。 8.10日放送のNHK「ビッグショー~藤田まさと 詩は心のドラマ」にゲスト出演し、ソロで「妻恋道中」、高田浩吉、水前寺清子と一緒に「おしどり道中」を披露する。 NHK・朝の連続テレビ小説「水色の時」に、大竹しのぶ、香川京子、米倉斉加年、奈良岡朋子らと共に出演する。好演が話題になる。 「寺内貫太郎一家2」(TBS・水曜劇場)の第9話にゲスト出演。病院に入院している患者役で登場。 NHK紅白歌合戦(6回目)「さだめ川」。 |
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この年、ちあきが郷と個人事務所を立ち上げる。 「事務所内での2人はとても仲睦まじく、ちあきさんはとても幸せそうでした」(ちあきに作品を提供したミュージシャン)。ちあきが69年のデビュー前から所属していた事務所は独立に猛反対した。それを押し切る形でちあきが新事務所を設立した。すると、ちあきバッシングの記事が芸能誌に次々と載るようになる。結婚前だった郷との関係などがネガティブに書き立てられた。さらに、レコード会社元幹部が「ちあきさんが、なによりも傷ついたはず」と推し量るのが実父に関する記事。ちあきの母親と実父はちあきが幼いころに離婚し、実父はほかの女性と暮らしていた。この実父の半生や評判を芸能誌はスキャンダラスに書き連ねた。一体、誰が情報を流したのか……。それにとどまらない。当時の音楽業界に強い影響力を発揮していた音楽評論家が、独立した途端、芸能誌の連載コラムで「ちあきはわがまま」などと激しい言葉で責め立てた。ちあきは72年に「喝采」でレコード大賞に輝いていたが、それらの実績まですべて否定するかのような救いのない論調だった。
「ちあきさんは芸能界に不信感を抱いたはずです」(元レコード会社幹部)。 12.31日、 NHK第26回紅白歌合戦「さだめ川」 。 |
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1976年、28歳の時 | |
2月、テレビドラマ「大都会 闘いの日々」第8話に、「俺の愛した、ちあきなおみ」(脚本倉本聰、監督村川透)というサブタイトルをもつ作品が制作、放映された。実在する現役歌手がサブタイトルにフィーチャーされること自体異例であり、ちあきおよび彼女の楽曲「喝采」がドラマの内容に深く関わっているものであった。 2.29日放送のNHK「ビッグショー~古賀政男 歌の人生劇場 雄飛編」にゲスト出演。「緑の地平線」「三百六十五夜」を披露する。 8.8日放送のNHK「ビッグショー~ちあきなおみ・私はおんな」に出演し、 オープニング(曲名不明)、喝采、さだめ川、X+Y=LOVE、夜間飛行、暗い日曜日、四つのお願い、甘い囁き、船頭小唄、たばこのけむり、ねえあんた、ボン・ボワヤージュを歌う。 ポップスと演歌の間で試行錯誤。ヒット歌手としては停滞期に入る。10月発売の「酒場川」で久々にオリコン100位内にチャートインしたが、ヒットには至らず。そのB面だった「矢切り(矢切)の渡し」が7年後、空前の競作ブームを巻き起こすことになる。 CMで、三菱電機カラーテレビ・NEWダイヤトロンF「たっち・おん・ぱ」のイメージキャラクターに起用され、CMに登場する(秋頃から、翌年も続投)。 この年、郷鍈治が代表を務めていた芸能事務所「ダストファイブ」に移籍したと云われている。この事務所はちあきさんと郷氏の結婚後に「セガワ事務所」となり、ちあきさんの個人事務所となった。 12.31日、NHK第27回紅白歌合戦(7回目)「酒場川」。 |
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1977年、29歳の時 | |
4月、一転してポップス路線に戻り、ニューミュージックのアーティスト・中島みゆき作品の「ルージュ」を発売する。その余波でヤマハ系のニューミュージックテレビ番組「コッキーポップ」にも出演する。友川かずきの「夜へ急ぐ人」を発売する。 TV「いらっしゃい」(テレビ朝日 4月3日~9月25日)毎週日曜日午前11から15分間放送された、ちあきさん司会の歌&トーク番組。ゲストには、当時ちあきさんに「ルージュ」を提供した中島みゆきも登場。 前後して担当ディレクターが変更された。 6月、広島平和音楽祭で披露された「夜へ急ぐ人」を9月にシングル発売。度肝を抜くパフォーマンスで賛否両論を巻き起こし話題になるがヒットには至らず。紅白での歌唱も話題となり「記録より記憶に残る歌」に。 7月、ちあきサイドからコロムビアに向け内容証明を送付。コロムビアとの契約更新の意思がない事を伝えた、とされている。しかし実際には契約期間が残っていた事からレコードリリースは続けていた。 10.16日放送、NHK「ビッグショー~ちあきなおみ・おんな 夜の中でひとり」。喝采、雨に濡れた慕情、夜間飛行、さだめ川、四つのお願い、かなしみ模様、別れたあとで、うかれ屋、夜へ急ぐ人、赤い靴。 「劇場」。 12.31日、NHK第28回紅白歌合戦(8回目)「夜へ急ぐ人」。 |
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1978年、30歳の時 | |
1月、河島英五、友川かずきが作品提供し、ゴダイゴが演奏を務めたアルバム「あまぐも」を発表。翌月後にはタイトル曲の「あまぐも」をシングルバージョンで新たに録音して発売(2月)。 | |
5月、かねてから交際していた俳優の郷鍈治と結婚。郷がちあきなおみの歌声に惚れ込み、ちあきなおみさんの実家に婿入り。結婚を機に「ヒット曲を追うのではなく、自分が歌いたい歌にじっくり取り組みたい」と休業、充電期間に入る。 | |
8月、所属レコード会社・コロムビアが、ちあきとの契約解除を発表。前年、ちあきサイドからコロムビアに対して契約更新の意志がない旨を伝えた事に対する報復措置とも云われている。これをきっかけに、実質的に芸能界の表舞台から干されることとなってしまった。しかし、俗に「営業」と呼ばれるキャバレーなどでのステージ活動や、東京・新宿ルイードなどのライブハウスでの小規模なステージ活動は行っていた。ライブハウスではジャニス・ジョプリンのカバーも披露していたという。 夫の郷は大物俳優・宍戸錠さんの弟。映画「狂熱の季節」で俳優デビューし、悪役やヤクザ映画を中心に活躍した。1975年頃から俳優業から徐々に距離を置いていたが、結婚後はちあきの個人事務所の社長兼マネージャーになるなど本格的に取り組むようになった。以降、歌手としてのテレビ出演の機会が減ったが、レコーディングはマイペースながらも精力的に行われた。また、本人の演劇性やコミカルな面を活かし、女優やタレントとしての才能も買われ、テレビでの活躍の場を広げた。 |
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ちあきは個人事務所設立後、中島みゆき(68)に作詞作曲を依頼した「ルージュ」(77)や同じく友川かずき(70)に頼んだ「夜へ急ぐ人」(同)など、歌いたい作品を歌っていた。これがコロムビア側の方針と合わなかった。さらに同社に断りなく郷と入籍したとして、契約解除を言い渡される。 | |
1979年、31歳の時 | |
表立った活動は全くなし。その後、ちあきは約1年間、歌手活動を休業。本人はのちに理由を「派手な世界が急になんだか恥ずかしくなってしまったんですね」と、語っているが、額面通りには受け取りにくい。 しかしこの年も「営業」は行っていた。映画『象物語』主題歌のレコーディングを行う(秋頃)。この時期、ちあきは孤立無援のような状態になってしまう。辛かっただろう。芸能界への不信がより募ったに違いない。ただし、郷はいつもそばにいて支えた。俳優の故・宍戸錠の弟で、やはり俳優だった郷は、悪役が多かったものの素顔は優しい人として知られていた。ちあきとの結婚後は俳優を辞め、彼女のサポートに専念していた。
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1980年、32歳の時 | |
ちあきは日本コロムビアからCBSソニーに移籍。ソニーは久保田早紀のシルクロード編「異邦人」、ジュディ・オングのエーゲ海編「魅せられて」に次ぐアフリカ編の第3弾を狙った。ちあきと親交のあった阿木耀子・宇崎竜童夫妻が東宝東和映画の主題歌「アフリカのテーマ 風の大地の子守り唄/アフリカン・ナイト」を用意した。映画公開の前年12月、サウンドトラック盤はレコーディングを終えていた。ソニーは映画公開に合わせてキャンペーンを展開、自動車CMのタイアップも決まった。ちあきは2年ぶりにサウンドトラック盤を収め、シングル盤も発表する計画だった。ところが、直前になり事情により(諸説あり)発売中止に。シングル盤は黛ジュンが再レコーディングして発売(2月)。ちあきバージョンは、映画での使用、及びサントラ盤(2月発売)にのみ収録されるという変則的なリリースとなる。なお、そのサントラ盤は2005年4月にCDで復刻された。*上記の詳細についてはこちらをご覧ください。 | |
だが80年の年明け、シングル盤のレコードプレス直前、ソニーは「ちあきなおみのカムバック作戦は中止。シングル盤は出さない」と発表。「ちあきサイドに家庭内の問題が噴出してプロモーションに支障をきたしかねず、カムバックにも消極的」と説明したが、夫婦が大切にしてきた企画をちあきサイドが壊すなんてあり得ない。謎が深まった。(フリーライター・中野信行) | |
4月、テレビ連続ドラマ「愛しい人」(日本テレビ・火曜劇場 4月8日~7月18日まで全13話)に竹脇無我、多岐川裕美、島かおり、山城新伍らと共に出演。この時期、テレビドラマに出演し、女優として表舞台に復帰し芸能活動を本格的に再開させた。 | |
1981年、33歳の時 | |
ちあきが信頼を寄せていたコロムビア時代のディレクター、東元晃氏の誘いでビクター/インビテーションレーベルに移籍する。ちあきは80年にCBS・ソニー、81年にはビクターとそれぞれ契約したものの、両社に所属した約8年間で出したシングルは僅か1枚にすぎない。当時のCBS・ソニーの制作陣の1人は「独立とコロムビアの契約解除が少なからず影響しました」と振り返る。シコリはなかなか消えなかった。 | |
10月、アルバム「それぞれのテーブル」を発売。歌謡曲から一転、「日本の歌を見直すため(後年の発言による)」外国曲に取り組む。このアルバムではちあき流にシャンソンをカバー。それにあわせライブハウスでのステージ活動も再開させた。 11.5日、「それぞれのテーブル」のお披露目を兼ねたライブ/コンサートを東京・ルイードで開催。 |
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1980年代前半、アルバム『それぞれのテーブル』でシャンソン、『THREE HUNDRED CLUB』ではスタンダードジャズ、そしてポルトガル民謡のファドを歌ったアルバム『待夢』を発表するなど洋楽のカバーアルバムを発表。シャンソン、ジャズ、ファドなど海外の作品をカバーしたアルバムをほぼ1年に1枚のペースで発表。歌手活動を再開させ、時々ライブ活動を行ってはいたものの、結婚前のようにテレビ番組で歌うことはほんどなかった。その代わりテレビドラマや映画に出演し、女優としての露出が増えたが、実は歌の表現力をさらに広げるための活動であったという。 |
【ちあきなおみの履歴その4】 |
1982年、34歳の時 |
7月、アルバム『THREE HUNDREDS CLUB』を発売。アメリカン・ジャズをカバー。独自の路線を歩み、マイペースで活動を行う。 12月スタートのドラマ『ちょっと噂の女たち・黒田軟骨の女難』で小料理屋「花と蝶」の女将役を演じ、毎回、劇中で演歌の名曲を披露。「矢切の渡し」が第1回で歌われた。’76年に発表された「酒場川」のB面曲だった「矢切りの渡し」が、かねてから梅沢富美男を擁する梅沢武生劇団の舞踊に使用されていたが、梅沢富美男人気により話題になる。また、ドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』(TBS)の劇中歌として使用された事もあり、コロムビアから「矢切の渡し」として再リリース(10月)。競作ブームを巻き起こすが、ちあき盤はヒットチャート上昇中にかかわらず、翌年2月に同じコロムビアから細川たかし盤が発売された事によりちあき盤は数ヶ月で廃盤に。細川盤はミリオンセラーを記録し’83年の日本レコード大賞を受賞。しかし、有線チャートではちあき盤が1位を独走する事となった。当のちあき本人は、その頃既にビクターでの新たな活動に注力していたため、自身の「矢切」廃盤については願ったり叶ったりだった模様。 (ドラマ)ちょっと噂の女たち・黒田軟骨の女難 (毎日放送 12月1日~翌年2月2日まで全10話)出演:伊東四朗、梅宮辰夫、木内みどり。毎週女優がゲスト出演し花を添える、1話完結のドラマ。原作は川内康範。ほとんどの回の演出を故・久世光彦が務めた。以前からちあきさんの歌手としての表現力、そして役者としてのコミカルな部分を評価し久世氏がかつて手がけたドラマ『寺内貫太郎一家2』などにもゲスト出演したちあきをこのドラマに起用。主人公のタクシードライバー・黒田軟骨(伊東四朗)が通う小料理屋「花と蝶」の女将・「蝶子」役でレギュラー出演した。ちあき演じる蝶子は毎回演歌の名曲を劇中歌として披露するのだが、それもあって久世氏はちあきを起用したようである。なおドラマ内で披露された劇中歌はそれだけのために新たに録音されたもので、レコード化・CD化は行われていない。ドラマの中で披露された楽曲のデータについては詳細不明。第1話のゲストはいしだあゆみ。蝶子と共に小料理屋を営む「花代」役で出演し、番組終盤では蝶子が歌う「矢切の渡し」をバックに花代が渡し舟で川を渡るシーンがある。なお、この第1話は横浜市にある「放送ライブラリー」という施設で常時視聴可能。また、研ナオコがゲスト出演した回では、ちあきと研ナオコが「悲しい酒」をワンコーラスずつ歌ったはずである(記憶違いでなければ…)。 |
1983年、35歳の時 |
映画「時代屋の女房」主題歌として、5年ぶりのシングル「Again」をリリース(1月)。 (ドラマ)壬生の恋歌(NHK・水曜時代劇)…第5話(5月18日放送)にゲスト出演。出演・三田村邦彦、杉田かおる、内藤剛志、渡辺謙、遠藤憲一、笑福亭鶴瓶、赤塚真人。 松本清張の「連環」 偽装心中をあばく女(テレビ朝日・土曜ワイド劇場 6月4日放送)出演:片平なぎさ、森本レオ、谷隼人。(映画)居酒屋兆治(東宝)出演:高倉健、加藤登紀子、大原麗子、田中邦衛。 アルバム『待夢』で、ポルトガルの民謡・ファドをカバー(9月)。 |
1984年、 36歳の時 |
新譜のリリースはなく、レコーディングとドラマ出演が主な年だったが、前年のアルバムを軸に、東京・草月ホールでライブ『待夢』を開催。(ドラマ)続・女性万引ガードマン
(テレビ朝日・月曜ワイド劇場 1月16日放送)。出演:大空真弓、山本學、仲谷昇。 赤い耳の殺意(日本テレビ・火曜サスペンス劇場 3月6日放送)出演:中山仁、小田かおる、高田敏江。 結婚 結婚サギ師が手玉にとった5人の女!(テレビ朝日・土曜ワイド劇場 6月30日放送)出演:小林桂樹、風吹ジュン、田中邦衛、木内みどり、梶芽衣子。 (映画)瀬戸内少年野球団(日本ヘラルド)出演:夏目雅子、佐倉しおり、岩下志麻、郷ひろみ。 7月、(ライブ/コンサート)待夢(東京・会場不明。草月ホールとの説あり)<セットリスト>恋に戯れ/夜に踊れば/悪い夢/朝な夕な/夜更けの天使/すり切れたレコード/愛のために死す 朝日のあたる家/酔いどれ船/秘恋(ひれん)/霧笛/ひとり芝居/始発・・・まで/愚痴 女はアクトレス/18才の彼/それぞれのテーブル/(アンコール)霧笛。 友よ(日本テレビ・西武スペシャル 11月7日放送)出演:飛鳥涼、烏丸せつこ、杉田かおる、森下愛子。 |
1985年、37歳の時 |
1.6日放送、(ドラマ)冬の京都 旅は道づれ女ざかり(テレビ朝日・月曜ワイド劇場)出演。小川知子、石田えり、田中健。妻・愛は迷路(NHK・銀河テレビ小説)*連続ドラマ出演:姿晴香、四谷シモン、榎木孝明、星由里子、内藤剛志。(映画)傷だらけの勲章(東宝)出演:西城秀樹、朝加真由美、中村嘉葎雄
西城秀樹と共に、本格的な主演作品。中村嘉葎雄とのラブシーンもあった。 2月、日本の流行歌をカバーしたアルバム「港が見える丘」(現在はアルバム名を「星影の小径」に改題)を発表。日本の戦前・戦後の名曲をカバー。斬新なアレンジで静かな話題を呼ぶ。また、そのアルバムを中心としたライブ『待夢Ⅱ』を東京・草月ホールで開催した。井上ひさし原作のNHKドラマ『國語元年』で好演。 2.23日放送、(ドラマ)昭和ラプソディ(TBS・日立テレビシティ)出演。財津和夫、藤真利子、にしきのあきら、所ジョージ、深水三章、小松政男、松居一代 音楽家・服部良一氏の半生を描いたドラマ。主演はチューリップの財津和夫。ちあきは前編で淡谷のり子に扮し登場。淡谷本人を前に「夜のプラットホーム」を披露した。 4.2日放送、松本清張スペシャル わるいやつら(日本テレビ・火曜サスペンス劇場)出演。名取裕子、古谷一行、原田芳雄、加藤治子。 4.19-20日、(ライブ/コンサート)『待夢II』コンサートI(東京・草月ホール)。星影の小径/雨に咲く花/港が見える丘/秘恋(ひれん)/横顔/愛の形見/女はアクトレスねえあんた/愚痴/18才の彼/すり切れたレコード/ひとり芝居/それぞれのテーブル/霧笛/雨のブルース/上海帰りのリル/夜霧のブルース/(アンコール)愛のために死す。 6.8-7.6日、國語元年(NHK・ドラマ人間模様全5話)出演。川谷拓三、石田えり、山岡久乃、浜村純、佐藤慶、賀原夏子、名古屋章、すまけい、島田歌穂。 6.22日放送、隠しカメラの人妻 行きずりの情事が死を招く!死者からの脅迫状 (テレビ朝日・土曜ワイド劇場)出演。香山美子、萩原流行、山本圭、小鹿みき、笹野高史。 11.24日放送、(TV)遠くへ行きたい・ちあきなおみの「横浜はじめて物語」(読売テレビ)の老舗旅番組に出演。ちあきが米軍キャンプ周りをしていた当時訪れた横須賀や横浜を訪れる。BGMとしてアルバム『港が見える丘』から同曲が使われた。ちあきの乗馬シーンも観る事ができる。現在、横浜市にある「放送ライブラリー」という施設で常時視聴可能。 |
1986年、38歳の時 |
前年のアルバムから、「星影の小径」がAGF・マキシム・レギュラー・コーヒーのCMに起用され、静かな話題となる。ビクター音源によるベストアルバム『What'
New』をリリース(2月)。ジャケットのイラストは林静一氏の手によるもの。TVの旅行番組『地球浪漫』でポルトガルへ。ファドのルーツを探る旅となる。 9.20日放送、(TV)地球浪漫(TBS)で「霧笛」を披露。 |
1987年、39歳の時 |
大日本除虫菊金鳥のCM「タンスにゴン」のイメージキャラクターに起用され、癖のある主婦を好演(怪演)。その怪演ぶりがお茶の間の話題をさらう(1991年まで続く人気CMとなる)。前年、テイチクレコードの社長に就任した東元晃氏に足並みを揃える形でテイチクへのレコード会社移籍が決定。翌年の音楽活動に向け準備が進められていた。12月にはそのお披露目としてマスコミ向けにミニライブを開催する。 (ドラマ)冷たいのがお好き 女二人のグルメ完全犯罪!(日本テレビ・火曜サスペンス劇場 4月14日放送)出演。樹木希林、中条きよし、松金よね子。劇中で「愛のために死す」を披露。 ある誘拐 母は告白する(読売テレビ・木曜ゴールデンドラマ 7月2日放送)出演。大空真弓、前田吟、木野花。 六畳の生涯(読売テレビ・木曜ゴールデンドラマ 11月26日放送)出演。植木等、宮下順子、加藤嘉。 (ライブ・コンサート)マスコミ向けのレコード会社移籍・新曲披露ライブ(12月15日、東京・青山クラブ)「かもめの街」、「冬隣」、「役者」、「君知らず」、「紅とんぼ」、「歳月河」の6曲を披露。*ドラマ『冷たいのがお好き』(愛のために死す)、『テレビ探偵団』(レコ大・喝采歌唱シーン)でちあきの歌唱シーンを立て続けに観る。 1987年から放送された『タンスニゴン』のCMで美川憲一との掛け合いが話題となる。 |
1988年、40歳の時 |
テイチクに移籍。テイチクに移籍すると、また精力的に歌い始めた。どうして同社入りしたかというと、「喝采」の担当ディレクターで、ちあきが最も信頼する音楽人の東元晃氏が、同社社長に就いたから。東元氏がちあきを庇護したことで歌いやすい環境が得られた。 |
3月、5年ぶりのシングル「役者」で本格的に歌手活動を再開。夏頃からはディナーショーも開催。精力的にTV出演をこなし、NHK歌謡パレードには頻繁に出演。様々な曲を披露した。中でも「紅とんぼ」、「かもめの街」が話題に。同年発売の「紅とんぼ」で11年ぶりの紅白歌合戦出場を果たした。「紅とんぼ」などの作曲家船村徹の作品を多く歌った。NHK『歌謡パレード’88』内で、9月のオリジナルソングとして「紅とんぼ」を発表し反響を呼ぶ。翌月シングル発売され、紅白歌合戦にも11年ぶりの出場を果たす。紅白出場をきっかけに翌年にかけてロングヒットとなった。この年はシングル2枚、アルバム3枚を発表。ちあき復活を印象づけるかのようなリリースラッシュだった。TV)NHK歌謡パレード'88(NHK)テイチクに移籍後、歌謡曲・流行歌の分野で本格に活動再開。その復帰番組がこの番組。4月5日の初出演以降、翌年春頃まで1~2ヶ月1度の割合で頻繁に出演した。 飛鳥涼の「伝わりますか」などをレコーディングした。 4.5日、NHK歌謡パレード'88、かもめの街、役者。 4.25日放送、(ドラマ)かあちゃんは犯人じゃない(関西テレビ・乱歩賞作家サスペンス)出演。レオナルド熊、伊藤孝雄、岩芝公治、嶋谷隆司、牟田悌三。 5月17日…役者、冬隣、かもめの街。 5月31日…役者、かもめの街。 7.30日、NHK「加山雄三ショー」。港が見える丘~夜霧のブルース~佐渡おけさ/フィジーにおいで(加山雄三とデュエット)「霧笛」/「冬隣」/「かもめの街」。にっぽんの歌(テレビ東京)NHKに続き民放への歌番組にも出演。民放への出演はほとんどがテレビ東京ばかりだった。 8月2日…別れの一本杉、かもめの街。 9.4日放送、ちょっとだけの離婚(毎日放送・東芝日曜劇場)出演。板東英二、曽我廼家鶴蝶、西川のりお。 9.6日、 NHK歌謡パレード'88、柿の木坂の家、紅とんぼ。 9.13日、NHK歌謡パレード'88、「粋な別れ」、港が見える丘、紅とんぼ。 9.20日、NHK歌謡パレード'88「森進一・ちあきなおみ 出逢いのステージ」。ちあき歌唱曲は港町ブルース(森とデュエット)、命かれても。上海帰りのリル~「星影の小径」 、紅とんぼ、冬隣。11月1日…紅とんぼ。9月には番組のオリジナルソングとして「紅とんぼ」を披露。3週間連続で出演。その3週目には『森・ちあき 出会いのステージ』と題して森進一と二人だけでステージを務めた。 10月18日、にっぽんの歌でテレサ・テン、松尾和子と共演。口笛が聞こえる港町、こぼれ花、冬隣、紅とんぼ。演歌の花道(テレビ東京 12月4日放送)「泣きはしないさ」「紅とんぼ」「片情」を披露。 11.1日、NHK歌謡パレード'88。「紅とんぼ」。 11月29日、『演歌名人戦』で、森進一、五木ひろし、石川さゆりと共演。銀座の恋の物語(4人)、おんなの宿、紅とんぼ。 12.4日、演歌の花道で「紅とんぼ」。 12.31日、NHK第39回紅白歌合戦(11年ぶり9回目の出場)。「紅とんぼ」。番組エンディング~星影の小径(音声のみ)。 |
1989年、41歳の時 |
演歌のジャンルで活躍した歌手に送られる「藤田まさと賞」を受賞した。 歌以外での活躍も続き、コンスタントにテレビドラマに出演する一方、平成元年には舞台『LADY
DAY』で伝説のジャズ・シンガー、ビリー・ホリデイ役を熱演。好評を得て翌年再演となった。シングルリリースはなかったものの、アルバム3枚を発売。 「矢切の渡し」、「さだめ川」、「喝采」、「雨に濡れた慕情」、「紅とんぼ」の再録音も行った。歌番組はもちろん、トーク番組、バラエティー番組にも出演。素顔をのぞかせた。 10月、『LADY DAY』で初の舞台(ミュージカル)に挑戦。主演を務め、伝説的ジャズ・シンガーのビリー・ホリデイの最後のステージを一人舞台で再現する。歌と演技が好評で演歌で活躍した歌手に送られる「藤田まさと賞」を受賞する。再演され、1991年の舞台『ソングデイズ』でも主演を務めている。 (TV)NHK歌謡パレード'89(NHK)。 |
1月3日、『新春歌謡パレード'89』。船村徹、北島三郎、吉幾三と共演。ちあきは「BAR紅とんぼ」の女将役で登場。芝居を交えながらの特別編。披露した歌は「柿の木坂の家」、「紅とんぼ」。 1.20日放送、(ドラマ)親たちの受験期(フジテレビ・男と女のミステリー)出演。蟹江敬三、山口美也子、西岡徳馬。 2月21日、男の純情、紅とんぼ。 2.28日、NHK歌謡パレード'89 「矢切(り)の渡し」。『とっておきの1曲』。着物で登場し「矢切の渡し」をTVで初披露。2番の歌詞を間違えつつも大好評を得る。にっぽんの歌/おめでとうチータ(テレビ東京 2月4週放送)。番組放送翌週の2月28日に結婚を控えた水前寺清子の結婚記念特番にゲスト出演。「逢いたかったぜ」、「リンゴ村から」、「紅とんぼ」を披露。 3~4月頃放送、HOTチャート有線(TBS)で「紅とんぼ」を披露。 3.12日放送、 すばらしき仲間II(中部日本放送・制作)「昭和の名曲メドレー」。ちあきの素顔に迫る密着ドキュメント。「夜霧よ今夜も有難う」、「朝日のあたる家(朝日楼)」、「紅とんぼ」を披露。逢いたかったぜ(*1)、渡り鳥いつかえる(*1)、柿の木坂の家(*2)」。 3.19日、演歌の花道(テレビ東京)で「矢切の渡し」、帰れないんだよ、紅とんぼ。 3月下旬-4月上旬放送、さんまのまんま(関西テレビ )。 4.3日放送、愉快にオンステージ(NHK)。番組ホストはさだまさし。「無縁坂」「秘恋」「紅とんぼ」を披露。 6月18日…粋な別れ、口笛が聞こえる港町、紅とんぼ。 7.7日、(ライブ/コンサート)高橋幸宏プロデュース山本耀司・ちあきなおみジョイントコンサート『寝不足の朝、運動不足の夜』(東京・芝浦インクスティック)。ゲスト:細野晴臣、鈴木慶一。「朝日のあたる家」など数曲を披露。 9月、(コンサートタイトル不明)(仙台・宮城県民ホール)*内容不明。 10.6日、「朝日のあたる家(朝日楼)」「それぞれのテーブル」で「ちあきなおみ・情け歌(大阪朝日放送・制作)。深夜枠の『フリーチャンネル』内で関西地区のみ放送。作曲家、中村泰士氏をホストに2時間歌いまくりの贅沢且つ貴重な番組。もちろん全曲スタジオでの生歌唱だが、ラストの5曲はちあきさんのMCのみによるミニライブ形式。なお、この番組で披露された「朝日のあたる家(朝日楼)」は2005年放送のNHK-BS2『歌伝説 ちあきなおみの世界』でダイジェスト版が紹介された。<セットリスト>TOKYO挽歌/矢切の渡し/逢いたかったぜ/渡り鳥いつかえる/港が見える丘/霧笛/喝采(中村泰士とデュエット)/口笛が聞こえる港町/粋な別れ/かもめの街/それぞれのテーブル/朝日のあたる家(朝日楼)/イマージュ/紅とんぼ。 10月放送、徹子の部屋(テレビ朝日)。 10.21日放送、女と男・聞けば聞くほど(TBS)。笑福亭鶴瓶と酒井ゆきえが司会で、高島忠夫とトーク。『LADY DAY』」プロモを兼ねる。 10月27日~11月15日、(舞台)LADY DAY(東京・シアターVアカサカ)。音楽・ピアニスト:倉田信雄。 *NHK-BS2での紅白歌合戦再放送により、ちあきの「喝采」歌唱シーンを生まれて初めてフルで見る。 *初めての生ちあきを『LADY DAY』で体験。ちあきのすべてに圧倒された。観客の中に吉田旺氏を発見。なぜか作曲家の市川昭介氏の姿とダブる。 *『LADY DAY』の最終日から中1日置いて中島みゆきの『夜会Vol.1』初日を観る。この週は自分の生涯において最も濃厚な1週間のベスト3に入るのではないだろうか。 |
1990年、42歳の時 |
自転車に乗った共演者・美川憲一に「もっと端っこ歩きなさいよ」と注意されるバージョンは話題を呼び、美川の再ブレイクのきっかけにもなった。 |
1991年、43歳の時 |
水原弘のオリジナル曲をカバーした「黄昏のビギン」が発表された。同年(京成電鉄・スカイライナー)と1999年 -2003年(ネスカフェ・プレジデント)に、戦後間もない頃に小畑実が歌った曲をカバーした「星影の小径」は1986年(AGFマキシム・レギューラーコーヒー)、1992年(Audi)、2006年(キリンビバレッジ「実感」)にテレビCMに使われた。「かもめの街」や「冬隣」現時点でのラストシングル「紅い花」など作曲した杉本眞人は「もっとも尊敬する歌手はちあきなおみ」と語る。アルバムを2枚発表。
(ドラマ)彼女たちの選択(NHK・ドラマ指定席 1月7日~10日まで全4話)。出演:江波杏子、平田満、戸川京子、南美江、中村嘉葎雄。 虹が出た!(関西テレビ・花王ファミリースペシャル 3月3日、4月14日、7月14日、9月8日、12月8日)*この年は計5話を放送。出演:高田純次、美川憲一、木内みどり、西村知美。 6.20日、(ライブ・コンサート)ちあきなおみオン・ステージ~それぞれの歌~(東京・渋谷公会堂。ほか各地で公演)。オープニング~喝采/かもめの街/TOKYO挽歌/帰れないんだよ/夢の中へ/酒と泪と男と女/黄昏のビギン/スタコイ東京/朝日のあたる家/メンバー紹介~ギター仁義/涙の酒/矢切の渡し/兄弟船/やくざ若衆祭り唄/ラ・ボエーム/アコーディオン弾き/メドレー:雨に濡れた慕情~さだめ川~夜間飛行~四つのお願い/紅とんぼ/追憶。 *『ソングデイズ』では、自分の前の席にお歳を召したご夫婦が座っていて、ちあきさんが歌う「麦と兵隊」を聴いて涙を流していたことが印象に残っている。自分が観に行った日、舞台上の音声トラブルがあり一時公演が中断に。後年、歌手のクミコがその事を自身のサイト(日記)に書いており、同じ日の公演を観ていた事が判明。 7月の『すたんだーど・なんばー』では日本の名曲をカバー。その中から「黄昏のビギン」がシングルカット、先行発売された。続く10月発売の『百花繚乱』では「花」をテーマに「日本のAOR」を展開。収録曲から「紅い花」がシングルカット、同時発売された。ところが、このころから郷は肺がんを患い始める。 10月から翌年3月まで「黄昏のビギン」が京成電鉄・スカイライナーCM『いらっしゃい おかえりなさい』に使用される。『虹が出た!』でテレビドラマの主役を務める。主題歌は「色は匂へど」。不定期ながら翌年まで8回放送された。舞台『ソング・デイズ』に出演。演出は『LADY DAY』同様、栗山民也氏。戦後間もない日本の夜に生きる女性を演じた。劇中では、「トンコ節」「麦と兵隊」などを披露。 11.8日放送、(TV)クーニーズへようこそ(テレビ朝日)。番組ホストは山田邦子と篠原勝之。『ソングデイズ』プロモのためトークゲストとして出演。 11.9日放送、(TV)夜も一生けんめい。(日本テレビ)。「スタコイ東京」、「ビー・バップ・ア・ルーラ」。出演者全員で「メドレー(雨に濡れた慕情~柳ヶ瀬ブルース~X+Y=LOVE~四つのお願い~タンスにゴン~喝采)」を 披露。 (舞台)ソングデイズ(東京・パナソニック東京グローブ座・11月19日~12月2日)出演。藤木孝、坂本あきら、土家里織、鷲尾真知子、篠崎はるく。 |
1992年、44歳の時 |
1.31日、「紅い花」。華麗にAh! SO (テレビ朝日・制作)。 |
2.2日、横浜・関内ホール『ちあきなおみ~それぞれの愛~』コンサート。 「矢切りの渡し」、 「ラ・ボエーム」。「朝日のあたる家(朝日楼)」。 |
4.18日、愉快にオンステージ(NHK・制作)「黄昏のビギン」。 |
7月の東京・アムラックスシアターでのライブが現在のところ最後のステージとなる。 |
【ちあきなおみの履歴その5】 | ||
1992.9.11日、夫で個人事務所社長の郷鍈治さん(55)が肺がんで逝去(享年55歳)。結婚生活は14年目で幕を閉じた。夫との間に子供はいない。郷は亡くなる前、ちあきに対し、『もう無理して歌わなくていい』と伝えたと伝えられている。 郷が荼毘に付されるとき、柩にしがみつき「私も一緒に焼いて」と号泣したという。これにつき、最後の付き人となった古賀慎一郎「ちあきなおみ沈黙の理由」は、次のように描写している。
古賀氏は、「私も一緒に焼いて号泣伝説」を否定し、「私はその場にいましたが、そうした記憶はありません。火葬場で柩がストレッチャーから炉に移され、鉄の扉が閉められた時、ちあきさんは後を追うように一、二歩前へ駆け寄り、泣き声なのか叫び声なのか、小さな声を上げました。それが私の見たすべてです」と述べている。 生前の故・宍戸錠さんが明かしたところによると、国立がん研究センター中央病院(東京・築地)に入院していた郷さんが亡くなる間際、看護師たちはちあきの後追い自殺を真剣に心配していたという。悲壮感が漂っていた。 郷が逝去した際、ちあきはこんなコメントを出している。
このコメントを目にした前出のレコード会社元幹部は「1、2年休んだら復帰する」と思ったという。なにしろ売れっ子だったのだから。だが、前出・ちあきに作品を提供したミュージシャンは「もう戻って来ない予感がした」という。 郷の死去以降は一切の芸能活動を停止。引退宣言もないまま44歳で芸能活動を休止させ現在まで公の場所にも全く姿を現していない。 邦楽・洋楽を問わず歌のジャンルの枠を超えて、順調且つマイペースな活動を続けていたが、平成4年、夫・郷氏の死去に伴い活動を休止。今日(こんにち)まで一切芸能活動を行っていない。 一切の芸能活動を休止し、引退同様の状態となった。結婚後に所有した不動産(ビル)のオーナーではあるものの、実業家として表立って活動しているわけではない。義兄(郷の実兄)に俳優の宍戸錠。 |
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1992年以降の休業後、毎年のようにベスト盤などのCDがリリースされ、2000年に発売された6枚組CD-BOX『ちあきなおみ・これくしょん
ねえあんた』は4万セット以上を売り上げ、歌謡曲系のCD-BOXとしては異例のヒットとなった。 2003年に通販のみで発売された10枚(巻)組CD/カセットBOX『うたくらべ』も1万セット以上の売り上げを記録。
2008年10月には6曲のライブ未発表曲、未発表ライブ映像のDVD、本人提供の未発表写真集を含めたCD-BOX『歌手-ちあきなおみ-』が発売された。プロデュースを手掛けた東元晃がちあきを約2年にわたって根気よく口説き、映像を世に送り出すことを含めて了解を得たという。新譜の発売はなく、コンサート、TV出演を中心に活動。しかし、影では入院中の主君の看護のため、ステージと病院を往復する日々が続いていた。7年前の「星影の小径」が外車販売のAudiのCMに起用され、好評につきシングルカットされた。この曲がCMに起用されたのは2度目。また、映画『死んでもいい』では「黄昏のビギン」が使用される。 |
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1993年、45歳の時 | ||
前年からのCMが好評で、廃盤だったアルバム『港が見える丘』が『星影の小径』と改題され再発売。*国会図書館の存在を知り、ちあきさんの入手困難なアルバムを聴くため、足繁く通うようになる。 | ||
1994年、46歳の時 | ||
テイチクから初のベスト盤といえる『全曲集』がリリース。 | ||
1995年、47歳の時 | ||
テイチク時代の船村徹作品集『男の友情』をリリース。お蔵入りしていた未発表作品5曲が日の目を見ることとなった。しかし、2年ほどで廃盤に。一説にはちあきさんサイドからお蔵作品をリリースした事によるクレームがテイチクに入ったためという話も。コロムビアから『全曲集』、テイチクから2枚組の『大全集』がリリース。「紅い花」が映画『GONIN』の挿入歌に使用され、シングル盤が再リリースされる。 | ||
1996年、48歳の時 | ||
コロムビアから『特選集』がリリースされる。 | ||
1997年、49歳の時 | ||
テイチクから『全曲集』(’94年盤をリニュアル)、コロムビアから『歌謡ベスト16』がリリースされる。 | ||
1998年、50歳の時 | ||
ベスト盤のリリースも全くなし。ちあきさんファンにとっては寂しい年となる。 | ||
1999年、51歳の時 | ||
秋頃より「黄昏のビギン」がネスレ日本の『ネスカフェプレジデント』のCMに起用される。テイチクから『全曲集』(新編集盤)がリリースされる。*インターネットを始め、歌謡曲系サイトをネットサーフィン。たくさんの方と知り合うきっかけになる。 | ||
2000年、52歳の時 | ||
シングル曲・アルバム曲の他、未発表曲、そしてNHK『みんなのうた』で披露された「さとうきび畑」や海外向けにレコーディングされた「喝采」の英語バージョンを含む、ちあきさんのコロムビア時代の集大成ともいえる6枚組BOXセット『ちあきなおみ・これくしょん ねえあんた』がリリースされる(6月)。発売時にワイドショーや雑誌で取り上げられたことがきっかけとなって、この種のCD-BOXとしては異例の売上を記録。6月2週に142位で登場後、翌週は122位。品薄が解消され、遂に、6月4週、オリコン60位にチャートイン。アルバムチャートには実に27年ぶりの登場となった。 昨年からCMで使われていた「黄昏のビギン」が、徐々に話題となり、2月に「かもめの街」のカップリング曲として再度シングル発売。じわじわ売れつづけ、BOXのヒットと重なったこともあり、6月3週にオリコンチャートに初登場(86位)、2週に渡ってチャートイン。 『ちあきなおみ・これくしょん ねえ あんた』、前年発売の『全曲集』の2枚が演歌アルバムチャートの1位、2位を独占(6月)。現役歌手も真っ青のセールスとなる。 8月、テイチクから2枚組ベスト盤『ちあきなおみ大全集~黄昏のビギン』が発売される。 10月、BOXのヒットを受け、コロムビア時代のオリジナルアルバム4枚が復刻。ちあきさんファンにはたまらないニュースとなる。 *BOX『ねえあんた』の発売に狂気乱舞。それに合わせ勢い余ってファンサイト「ちあきの部屋」を開設。 |
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2001年、53歳の時 | ||
1月、船村徹・作曲家50周年記念曲として「歳月河」をシングルカットしてリリース。オリコンには100位でチャートイン(1週のみ)。 テイチクより『全曲集~黄昏のビギン~』リリース(3月)。 ビクター時代の外国曲のカバーアルバム3枚ががまとめられ『アナザー・ワールド』として発売される(4月)。 テイチクより2枚組ベスト盤『CHATEU CHANT 1981』リリース(11月)。長らく廃盤だったアルバム『かげろふ~色は匂へど~』が完全収録された。 |
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2002年、54歳の時 | ||
ビクターよりベスト盤『new best
one』発売(3月)。シングル曲『アゲイン/冬の道化師』収録。ライナーノーツ執筆は、長年ちあきさんの音楽制作に携わった東元晃氏。 9月、テイチクより洋楽・邦楽のカバー曲をリマスタリングして収録したベスト盤『RE-MASTER VOICE』発売。 11月、新編集の『全曲集~黄昏のビギン~』が発売される。 |
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2003年、55歳の時 | ||
3月、未発表のライブ音源5曲を収録し、既存の曲と併せて仮想コンサート形式で収録した編集盤『VIRTUAL CONCERT 2003 朝日のあたる家』が発売され、話題に。 4月、それらライブ音源5曲を単独で収録、加えてこれまでちあきさんが在籍したレコード会社の音源を集め編集した10枚組BOX『うたくらべ~ちあきなおみの世界~』が通販のみで発売され、こちらも話題となった。 |
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2004年、56歳の時 | ||
10月、コロムビア時代の全シングルA面+未CD化のB面曲を多数含んだ『しんぐるこれくしょん(2枚組)』、コロムビア時代に録音された作曲家・船村徹の作品をまとめた編集盤『もうひとりの私~ちあき 船村徹をうたう』が同時発売される。 昨年に続き、未発表のライブ音源6曲収録した編集盤『VIRTUAL CONCERT 2005 ハンブルグにて』が発売される(11月)。 |
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2005年、57歳の時 | ||
コロムビア時代のオリジナルアルバム5枚、そしてCBS・ソニーに残した幻の楽曲「風の大地の子守り唄/アフリカン・ナイト」が収録された映画サントラ『象物語(限定盤)』が紙ジャケット仕様で復刻、CD化される(4月)。 テイチクより2枚組ベスト盤『ちあきなおみ大全集』が発売される(10月)。 NHK-BS2(11月6日)、NHK-BSハイビジョン(11月24日)で過去の歌唱映像をまとめた90分番組『歌伝説 ちあきなおみの世界』放送。好評につき12月24日には早くもBS2で再放送。 (TV)歌伝説 ちあきなおみの世界(本放送:NHK-BS2 11月6日放送) BSハイビジョン初回放送(=再放送):2005年11月24日…NHK-hi再々放送:2005年12月24日…NHK-BS2。地上波・総合テレビ初回放送(=再々々放送):2006年2月25日…NHK総合テレビ。再々々々放送:2006年6月15日…NHK-BS2。再々々々々放送:2007年8月9日…NHK-BS2。再々々々々々放送:2009年11月14日…NHK-BS2。 |
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2006年、58歳の時 | ||
2005年11月にはNHK-BS2で90分の特集番組『歌伝説・ちあきなおみの世界』が放送され反響を呼び、初回放送を含めてBS2・NHK総合(地上波)・NHK-BSハイビジョンで2007年8月までに計6回放送された。 前年放送され話題となった『歌伝説 ちあきなおみの世界』が地上波に登場。2月25日にNHK総合テレビで放送された。6月15日にはNHK-BS2でまたもや再放送。通算5回目の放送を達成した。 過去2度に渡りCMに起用された「星影の小径」が3度目のCM起用となる(キリン『実感』)。それにあわせ5月にシングル、アルバム『星影の小径』が新装リリースされる(5月)。 飛鳥新社から発行の季刊「団塊パンチ」で60ページに及ぶちあきさん特集が組まれる(11月)。 |
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2007年、59歳の時 | ||
2.16日、テレビ東京『たけしの誰でもピカソ』で民放では初となる本格的な特集「遂に実現!名曲伝説!ちあきなおみ」が組まれ、2008年1月25日にはその続編も放送された。 3.21日、ビクター/インビテーションレーベル在籍中のアルバム4タイトルが紙ジャケット仕様CDで復刻される。 6.25日、コロムビア・ファミリークラブから通販のみの8枚組CD-BOX『昭和こころうた』発売。 8.9日、『歌伝説 ちあきなおみの世界』がNHK-BS2でまたもや再放送。これで通算6度目となった。 コロムビアからアナログLP盤発売。独自企画のベスト盤『ちあきなおみ・おりじなる』と、オリジナル・アルバム2タイトル『戦後の光と影/ちあきなおみ・瓦礫の中から』 『もうひとりの私~船村徹作品集』復刻盤=合計3タイトル(10月10日)。 テイチク時代に発表された9枚のアルバムのうち、6枚が10月と11月に3枚ずつ再発売される。10月…『伝わりますか』 『紅とんぼ/ちあきなおみ 船村演歌を唄う』 『男の郷愁』。11月…『かげろふ~色は匂へど~』 『すたんだーど・なんばー』 『百花繚乱』。 週刊アサヒ芸能で特集記事『ちあきなおみ 「伝説の歌姫」との再会!』が連載される(10月~12月)。 |
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2008年、60歳の時 | ||
1.25日放送、(TV)たけしの誰でもピカソ 名曲伝説・ちあきなおみ特集 第2弾(テレビ東京)。前年放送され好評だったテレビ東京系『たけしの誰でもピカソ』でのちあき特集・第2弾。 3月、前年、週刊アサヒ芸能で連載された記事が加筆・修正され『ちあきなおみ 喝采、蘇る』として単行本化される。 テイチクから5枚組CD(SHM-CD仕様)+未発表ライブ映像「紅い花」を収録した特典DVD付きのBOX商品『歌手-ちあきなおみ-』が発売される(10月)。 |
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2009年、61歳の時 | ||
11.14日、NHK-BS2で『歌伝説・ちあきなおみの世界』に次週放送の番組予告・未公開映像素材を追加して、『歌伝説 ちあきなおみ・ふたたび』として15分間延長の上改めて放送。
2005年に初放送され、以後5回の再放送を数えた『歌伝説 ちあきなおみの世界』に、『歌伝説』では放送されなかった映像を交えた次週放送番組の告知や番組へのメッセージ募集などを加え15分間を追加し、『歌伝説
ちあきなおみ・ふたたび』として新たに放送した。 翌週11月21日放送、NHK-BS2『BSまるごと大全集 ちあきなおみ』が生放送された。この番組は事前に視聴者からちあきなおみの歌へのメッセージ・リクエストを受け付け、NHKに保存されている映像、未公開コンサート映像、視聴者からの提供映像を、視聴者から募ったメッセージと共に紹介する、2時間の生放送番組となった。歌への想いはFAXボードに貼り切れないほど膨大で、新旧ちあきファンからのメッセージで埋め尽くされた。2009年12月31日にNHK-BS2で再放送。 |
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2010年、62歳の時 | ||
2019年、71歳の時 | ||
4月、デビュー50周年記念のベストアルバム企画盤「微吟」(びぎん)が発売され、第61回日本レコード大賞企画賞を受賞している。「売り上げは2万枚を超えました」(テイチクエンタテインメントの宣伝担当者)というから人気は底知れない。 6月、BSテレビ東京で未公開映像などを交えた2時間の特集番組『ちあきなおみ 再び始まる歌姫伝説』が放送された。 |
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2020年、72歳の時 | ||
【主な作品歌】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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映画 |
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テレビドラマ
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(私論.私見)