能楽「高砂」

 更新日/2019(平成31).1.3日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、能楽「高砂」を確認しておく。 「高砂 たかさご 歌詞の意味」その他参照。

 2019(平成31).1.3日 れんだいこ拝


【能楽「高砂」】
作詞:
作曲:
歌手:
 高砂や この浦船に帆を上げて
 月もろ共に出汐(いでしお)の
 波の淡路の島影や
 遠く鳴尾の沖こえて
 はや住の江につきにけり
 はや住の江につきにけり
 播磨国の高砂で、浦に泊めた船の帆を上げる。月と共に満ちる潮、波の淡路の島影を通り、遠ざかる鳴尾(なるお)の沖を過ぎて、早くも住之江に着いた。
 波の淡路(なみのあわじ)は、波の泡(あわ)との掛詞(かけことば)になっている。同様に、遠く鳴尾(とおくなるお)は、「遠くなる」と「鳴尾(なるお)」の「なる」が掛かっている。ちなみに、結婚式・婚礼では「忌み言葉」を避けるため、「出汐」が「満潮」に、「遠く鳴尾」は「近く鳴尾」に歌詞を差し替えて歌われる場合がある。
 夫婦愛や長寿を謡う大変おめでたい祝言歌

 結婚式・婚礼・正月の祝言歌として定番の『高砂(たかさご)』。その歌詞は、室町時代の猿楽師・世阿弥(ぜあみ/1363-1443)による能楽に由来しており、現代まで端唄・謡曲・地歌として歌い継がれている。「高砂や この浦舟に帆を上げて…はや住の江につきにけり」のくだりは特に有名。祝いの席で歌われる場合もこの部分が歌われる。夫婦愛や長寿を謡う大変おめでたい能楽ではあるが、有名な「高砂や この浦舟に帆を上げて」のくだりを聞いただけでは、それがなぜ夫婦愛や長寿につながるのか良く分からない。『高砂』が夫婦愛や長寿を言祝ぐ(ことほぐ)作品であることを理解するには、能のあらすじ・ストーリーをある程度知っておく必要がある。

 能楽『高砂』あらすじ・ストーリー

 舞台は播磨国(はりまのくに/現在の兵庫県)。九州阿蘇宮の神官らが都へ上る途中、高砂の浦で、松の落葉を掃き清めている老夫婦に出会った。その松は、高砂と対岸の住吉(現在の大阪市)の両方にあり、場所は離れているのに、同じ「相生の松(あいおいのまつ)」と呼ばれていた。なぜ松の名前が同じなのか神官らが尋ねると、老人はこう答えた。「私は対岸の住吉の者、妻はここ高砂の者でございます。松と同様、海を隔てた夫婦ですが、時と場所をへだてても、心が通い合う夫婦の愛は変わりございません」。そう言うと老人は「住吉で待つ」と言い残し、舟で沖に去っていった。実は、老夫婦は松の精であった。神官らもまた舟を出し、松の精を追って住吉に辿り着く。『高砂』の「高砂や この浦船に帆を上げて」は、この場面で謡われる。そこでは、住吉明神の御本体が来臨。宮人たちに音楽を奏させ、美しい月光の下で、松をたたえつつ「神舞」を舞う。 松風の音とともに現世を祝福して曲を終わる。

 相生の松について

 兵庫県高砂市の高砂神社(下写真)は『高砂』の舞台の一つと考えられており、境内には相生の松(あいおいのまつ)が枝を張っている(現在は5代目)。相生の松は、1つの根から雌雄2本の幹をもっており、尉(イザナギ)と姥(イザナミ)の2神が宿る霊松とされている。



 



(私論.私見)