加藤隼戦闘隊 |
(最新見直し2011.03.15日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、日本の名歌、音楽論その他を確認しておく。 2011.03.15日 れんだいこ拝 |
【加藤隼戦闘隊(飛行第六十四戦隊歌)】 |
作詩・加藤部隊、作曲・陸軍軍楽隊 |
作詞:田中林平 旭六郎 作曲:森屋五郎 原田喜一 岡野正幸 |
昭和19年 |
エンジンの音 轟々と 隼は征く 雲の果て 翼に輝く 日の丸と 胸に描きし 赤鷲の 印はわれらが 戦闘機 寒風酷暑 ものかわと 艱難辛苦(かんなんしんく) 打ちたえて 整備に当る強兵(つわもの)が しっかりやって 来てくれと 愛機に祈る 親ごころ 過ぎし幾多の 空中戦 銃弾うなる その中で 必ず勝つの 信念と 死なばともにと 団結の 心で握る 操縦桿 干戈(かんか)交ゆる 幾星霜 七度(ななたび)重なる 感状の いさおの蔭に涙あり ああ今は亡き武士(もののふ)の 笑って散った その心 世界に誇る 荒鷲の 翼のばせし 幾千里 輝く伝統 受けつぎて 新たに興(おこ)す 大アジア われらは皇軍戦闘隊 |
空の軍神となった加藤建夫陸軍少将が、戦隊長として率いた一式戦「隼」装備の陸軍航空部隊の精鋭、飛行第64戦隊の部隊歌。1941年(昭和16年)公開のニュース映画や、1944年(昭和19年)公開の同名の映画『加藤隼戦闘隊』の大ヒットによって軍のみならず民間でも広く愛唱された。曲自体の成立は1940年頃で、南支派遣軍軍楽隊が作曲、64戦隊員らが作詞を担当した。全体に勇壮な歌詞と曲であるが、5番まであるうち4番のみ旋律が変わり、悲壮な心情をふと窺わせたような曲調となっている。 |
(私論.私見)