NHK受信料の仕組み考

 (最新見直し2007.11.15日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「NHK受信料の支払い根拠と仕組み」について案外知られていない。ひたすら支払い拒否運動が組織されようとしている。れんだいこは、この風潮に棹差したい。以下、考察する。

 2005.1.27日 れんだいこ拝


【「NHK受信料の法的根拠と思想」】
 準公報の「電波時報」誌上などで、担当官らの論議が盛んに行なわれている。たとえば、電波監理局放送業務課長(当時)の鎌田繁春などは率直そのもので、こう書いている。
 「受信料の考え方としては、放送サービスの対価、受信機設置料、受信機設置許可料、税金など、いろんな言葉でいろんな風にいわれている」(同誌、’54・9)。諸説紛々。

  http://www.jca.apc.org/~altmedka/nhk-2-10.html

 NHKの受信料システムの根拠は、イギリス流の電波国有理論に拠っている。イギリス流の電波国有理論とは、「国営電波による公共独占放送」に伴う受益者負担の発想により成立している。NHKもこれに倣い、国家機関の強制による契約料・受信料を財源とする権利を主張している。

 次のように解説されている。
 「NHK側の論理は、そこで一転して、受信料制度を維持しないと、国営になってしまうが、それではよくないだろうというオドシにかわっていく」。

 ところが、アメリカでは事情が異なる。元々、商業放送が広告収入で発達し、のちに公共放送を設立することになった事情に規定されてか、公共放送の財源は連邦政府、州政府、民間機関などの寄付にたよっている。

 次のように解説されている。
 「アメリカでは、電波を、国民が申請すれば使用できるものとしたので、その使用による収入確保の道は使用者の自由にまかせられていた。だから、特定の受信者と契約し受信料を集めることも、理屈の上では可能だったのだが、受信料制度は成立しえなかった」。

 現在は、電波に特殊な雑音をいれ、この雑音をとりのぞく装置を視聴者に渡すセレクト・テレビという方式の有料システムができているが、この方式の存在そのものが、受信料集めの困難さの証明となっている。

 このように、イギリス(または戦前の日本)とアメリカの歴史的比較は、受信料の性格を考える上で、最も重要である。
 
 http://www.jca.apc.org/~altmedka/nhk-3-1.html
 第三章 NHK=マスコミ租界《相姦》の構図

【「NHK受信料支払い拒否の法的根拠と思想」】
 NHK受信料不払い側の言い分として、「勝手に放送したものを見たからといって、なにも金を払うことはありません」というのが、受け手側としての最強の論理であろう。

 元逓信省事務官中村寅吉の回顧によると、「放送」という用語の使用がはじまったのは、第一次世界戦争中の1917(大正6).1月で、ところはインド洋上であるという。そこで日本船三島丸は、イギリス海軍発電らしき送信を受けた。ドイツ軍艦出没中の警告であったが、普通はCQ・CQの呼びだしに応答を確認してから送信するものを、緊急の警告であったため、応答を待たずに送ってきた。そこで、通信日誌への記入法を考えた挙句、「送り放しであることから、これを『かくかくの放送を受信した』と表示することにした」(『逓信史話)』)と説明されている。

 「放送」という用語の誕生譚のいきさつからすれば、「放送」とは、受け手の確認なしに一方的に放つものであるからして、受信料を支払う根拠が薄れる。社会科学的に厳密な規定をする向きによれば、「ラジオ放送は、じつは、送り手側からの一方通行的な放送用の無線電話」(「現代マスコミ論批判・精神交通論ノート」)だとされている。

 NHK受信料支払い拒否者は、故に、NHKがあたかも天の岩戸以来の権利であるかのように、当初から送信者の立場に立ち続け、一方的に受信料請求の権利を主張し続けていることに対して不快を見せている。

 小中陽太郎が次のように述べている。「二重構造の専制王国NHK」と題して、強烈に皮肉っている。
 「狼が来る、狼が来る、と言って善良な羊を驚かした少年は、まだ許せる。もし、狼が、自分で、狼が来る、と言って柵の構築費用をせしめていったら、いったいどういうことになるであろうか。NHKの受信料の徴収の論理は、そういうことを思わせる。NHKの企業内の人々がこの四面楚歌の中で、いかにして、その論理を構築しているか、それは涙ぐましいほどである」(『創』’73・8)。

【「在日米軍のNHK受信料支払い」を廻るやりとり考】
 1976.2.1日付けサンケイ新聞情報を参照する。「在日米軍のNHK受信料支払い」を廻って興味深い遣り取りが為されている。NHK受信料の取立人が、基地外に住む米軍家庭に英文パンフレットを持参して請求を開始した。テレビの受信料など支払う習慣のないアメリカ人は騒然となり、米軍当局に問い合わせが殺到した。

 米軍は統一見解をまとめ、在日米軍司令官名で、「全軍に告ぐ。NHK受信料は支払うに及ばず」の指令を発した。「在日米軍人、軍属および、その家族は、安保条約にともなう日米地位協定第13条の第3項によって、日本国政府から免税特権を得ている」との根拠で、「不払い指令」を出した。ちなみに、「免税」の範囲については、同第1項で、「合衆国軍隊が日本国において保有し、使用し、又は移転する財産について租税又は類似の公課を課されない」と記されている。

 これに対して、NHK営業総局は次のように反論している。
 概要「米軍の『受信料税金説による免税特権説』は誤りであり、『NHKの受信契約料は税金にあらず、特殊な負担金”である』。NHKが受信契約を結ぶさいの根拠としている放送法でも、外国人や米軍関係者にたいする除外規定はとくに設けられていない。故に、基地内外を問わず、米軍関係者からも受信料は徴収できる」。

 NHK受信料問題は、国会でも取り上げられたことがあり、NHKは、「放送法、日米安保条約にもとづく地位協定からも米軍関係者の受信料徴収は当然」との見解を明らかにしている。

 つまり、「放送法」という日本の国内法と、「安保条約」という国際条約を持ち出しての争いが演ぜられたことになる。当時の放送批評懇談会理事長の志賀信夫は、次のようにNHK側の言い分を弁護している。
 「在日米軍はまったく放送法の解釈を間違えている。NHKは放送法によって明らかにされているように国営放送ではなく、特殊法人である。受信料が税金であるという解釈はどのように放送法を拡大解釈してもでてこない。NHKはスジを通し抗議文を正式に渡し、訂正を求めることが必要だ。日米地位協定によって集金人が基地内にはいれないとするのなら、NHKは政府と折衝し、在日米軍に支払ってもらうように働きかけてもらうか、国の在日米軍関係費用から出してもらわなければならない。在日米軍も日本に住んでいるのだから、受信料を支払わないと、日本人みんなの反感をかうことになる」。

 この問題は、日米地位協定第13条の「租税又は類似の公課」の解釈に関わっている。次のように解説されている。
 「ちゃんと日本語で書かれ、国会の承認を受けているのだから、翻訳云々の争いではない」。要するに、NHK受信料もしくは“負担金”が「類似の公課」に当たるのかどうかを判定せねばならない。これはもはや、「外交交渉で決定しないことには、「放送法」の解釈を云々しても無意味なのである。しかも、日本国民でさえ納入の強制がないというのに、米軍基地内には集金人も入れないのだ。国会でも、毎度のように珍問答が続いている」。

 ちなみに、米軍の基地内に居住する軍人軍属については事実上契約不能となっている。なぜなら、NHKの集金担当者は基地内への立ち入りが不能だからである。この問題が国会で質疑されており、次のような遣り取りになっている(1977.3.15日「逓信委議事録」)。
中塚参考人  現実に、基地内に私どもの集金担当者が立ち入るのは困難だからでございます。
藤原委員  在日米軍の基地内に入れない理由は、一体何でしょうか。
中塚参考人  法律的には入れないなにはございませんが、実行上入って契約、集金活動をやるのはきわめて困難だからでございます。(略)
藤原委員  NHKの集金人が基地内に入れるように、郵政省はいままでその手だてをしていたのかどうか、大臣、お答え願いたいと思います。
石川(晃)政府委員  この件について特段の配慮はいたしておりません。  

 時代に合うNHK受信料制度とは

 「受信料の公平負担にさらに努力します」。先月二十九日に放送されたNHK特集番組で、橋本元一会長はこう宣言した。だが、ちょっと待ってほしい。そもそも受信料を払う義務を視聴者はなぜ負わされているのか。衛星放送など、見たい人が見たい番組だけ払う料金体系が浸透しつつある現在、一律負担に疑問も出ている。時代にあった公共放送の受信料制度とは−。

 「受信料は見ている人から取るべきで、逆に払わない人には見せないという態度をハッキリ示せばよい」

 本紙ファクスモニターの東京都の主婦、落合恵美さん(41)は、今の受信料制度に不満げだ。他のモニターからも制度への疑問の声が上がる。

 「スポンサーをつけて民営化をすべき時代が到来しているのではないか。受信料中心の経営方式にあぐらをかいた放漫経営。だから受信料を湯水のごとく不正に流用したりするのではないか」と批判するのは神奈川県の大学生、山崎奨一さん(19)だ。埼玉県の桐生政也さん(25)も「民営化または公社化する方法により、政治との接触を断ち切ることを進めてほしい」という。

■会長は現行維持重要課題と説明

 だが、橋本会長は二十九日放送の特集番組「NHKの再生をめざして〜十七年度改革予算から」で、「視聴者のみなさまがNHKの放送をご覧になって、気持ちよく受信料をお支払いいただけますよう、努力を重ねていくこと。これがNHKの再生に向け、最も大きな柱と位置づけ、取り組んでいきたい」と現行の制度維持が最重要課題と説明した。

 NHKの受信料収入は本年度六千五百五十億円にも上る。全事業収入の96%が受信料だ。受信料制度の始まりは一九二五(大正十四)年までさかのぼる。

 この年、NHKの前身、社団法人東京放送局が日本で初めてラジオ放送を開始した。当初は「聴取料」という名称で、月額二円の予定だったが、すぐに一円に改定され、翌年一月から徴収が始まった。牛肉百グラムが二十銭の当時としては、安くない額で、契約数は五千五百件足らずだった。

 意外にも「ラジオが普及するきっかけは戦争だった」と立教大学の服部孝章教授(メディア法)は話す。「戦線が拡大する中で戦地にいる肉親の情報を得ようとラジオを買い求めた」(同教授)というわけだ。

 聴取料は戦後の五〇年に制定された放送法によって「受信料」に改められ、支払いも義務化された。同時にNHKは特殊法人になった。当時は民放が育つ経済環境になく、受信料で運営される公共放送となったようだ。東京五輪後の六七年にはテレビ受信契約が二千万件を超え、翌六八年にはラジオ受信料が廃止された。

 現在の受信料は一九九〇年以来、据え置きだ=表参照。昨年十一月現在の契約数は三千八百二十三万件。

 時代とともに歩んできたNHKだが、現在はテレビを取り囲む状況が変わってきている。料金を払って見たい番組を見る「ペイテレビ」が、国民の生活に定着しつつある。九一年に営業放送を開始した衛星放送WOWOWの加入者は昨年末現在、二百四十九万二千一人いる。同社のBSデジタル放送の視聴料は月額二千四百十五円(月間プログラムガイド付き)だ。

 同社広報担当者は「放送を始めて十四年経過し、国民全般に見たい内容にお金を出すシステムに対してアレルギーがなくなってきている」と話す。

 もうひとつの変化はBS、CS放送の開始で多チャンネル化時代を迎えていることだ。これらに危機感を持った海老沢勝二前会長は二〇〇〇年四月の定例会見で、「放送と通信の融合が急激に進んでおり、公共放送として新しい技術をサービスで還元するのが使命」と多角化経営を表明した。

■受益者負担の仕組み確立せよ

 多チャンネル化と同時に「放送」から「通信」へ進出した。同年にホームページで無料ニュース配信を開始、昨年のアテネ五輪では、携帯電話向けに速報や競技結果を無料配信した。橋本体制になっても拡大路線は維持される見込みだ。一連の多角化に受信料ばかり食う「肥大化」などの批判が出ている。

 NHK問題に詳しい経済ジャーナリスト町田徹氏は「衛星放送やケーブルテレビも含めた『受益者負担』型の有料放送がどんどんできて、NHKを見ない人にとっては受信料の負担強制はおかしいと不満を持っている」と視聴者の気持ちを代弁する。

 その上で「NHKも受益者負担の仕組みをきちんとつくるべきではないか。地上波も含めて放送のデジタル化が進むと、受信に必要なICカードを活用することで、見る番組やチャンネルに応じて料金を払う仕組みが導入できるようになる。そうした徴収の仕組み次第で、運営が立ちゆかなくなるほど収入を減らさずに、受信料制度はなくせる」と指摘する。

 情報セキュリティ大学院大学の林紘一郎副学長も「多角化の道を歩むなら、民営化しかないだろう。通信部門への進出で不公平感をなくすには、(見た分だけ払う)ペイパービュー・システムが良策だ。問題になっている政治介入も防げるし、民放のようにスポンサーの影響を受けることもない。視聴者にとっても明朗会計だ」と話す。

 制度の見直しが進まなければどうなるか。町田氏は「受信料の負担強制を続けたまま、肥大化することへの不満は視聴者からも高まるだろう。公共放送を名乗るのであれば、例えば、教育チャンネルと衛星一チャンネルだけを残し、ほかは切り離すべきだという議論が起こってもおかしくない」と組織縮小の議論が出てくるとみる。

■行政の手で災害放送の運営も

 実際、大東文化大学の岡村黎明講師(メディア論)は「今最も必要なのは、公共放送として必要ない部分を切り落とす覚悟だ。通信事業はもちろん、BS放送もNHKとは別の事業体をつくって、利用する人がコストを負担するシステムにすべきだ」と主張。さらに「多チャンネル化が進んでいけば、災害放送もNHKの専売特許とは言えなくなり、行政が災害放送を運営する可能性も出てくる。十年単位で先を見れば、民営化も選択肢の一つではないか」と提案をする。

 これに服部教授は「見る人だけが負担するという原則をNHKに導入したとき、視聴率抜きの番組ができなくなる恐れがある」と懸念する。その上で全国くまなく電波が届く公共放送の存在意義を認める一方で、現在の受信料制度を維持するのなら、組織のあり方に注文を付ける。

■「制度残すなら信頼回復必要」
 
 「英BBCの場合、独立性をもった経営委員会が組織や番組の監視役を果たし、政治的な圧力もはね返す防波堤でもあった。こうした中で英国民のBBCに対する信頼感が生まれ、受信料を負担している。これに対し、NHK経営委員会は権限が弱く、国民の代表という意識もなく、受信料も『特殊な負担金』としてしか説明されてこなかった。制度を維持していこうとするなら、NHKは組織のあり方そのものを問い直し、国民の信頼を得なければならない」


 1966.暮、匿名著者グループにより「知られざる放送」が出版された。佐藤首相がこの本を読んで激怒、カンカンになって、「NHKともあろうもんが、事前に押えることもできなかったのか!」と激怒したと伝えられている(『宝石』’67・3)。

 1971.1.25日、週刊文春(3・1日号)が、「NHK開局以来の大捕物」といわれる大事件の発生を記事にしている。概要は次の通り。事件の前年に小金井市の文化人有志が「NHK視聴者会議」を結成した。NHKに対して八項目からなる質問書を出し、回答を求めていたが、一向に返事がないので、代表者・佐野浩(小金井市議)らが当時の内幸町のNHK会館を訪れ、回答があるまで待つと伝えた。何等の武器も携行せず、暴力行為に及んだわけではない。これに対し、NHKは、“不退去罪”だとして、いきなり丸の内署に連絡したところ警官20名の出動となり、逮捕した。拘留は13日に及んだ。NHKのやり過ぎは明らかであった。

 1971.1月、NHKの“広報室長”理事待遇という飯田次男の次のような暴言を吐いたのを週刊文春(3・1日号)が記事にしている。
 「ボクは、新聞記者のヤツラがNHKの組織の批判などするとここへ呼びつけてどなるんだ。『おまえら、たかが新聞記者のブンザイで、NHKの組織がどうのこうのといえる身分かよ!おまえらはできた番組だけを批評してりゃそれでいいんだ』とこういってやるんですよ」(『週刊文春』’71・3・1)。

 飯田氏は謝罪文を取られた。その後の飯田氏について次のように記されている。
 「前田天皇の忠犬、飯田室長は、この暴言で受信料支払い拒否者を激増させ、ついに引責辞職に至るが、のちに顧問、小野元会長並みの待遇をされている」。

 1972年秋、小中陽太郎の「王国の芸人たち」が発刊された。小中陽太郎は、NHKとの契約者の立場にある音楽家集団を取材した時、組合(日芸労)の指導者「大石」解雇事件の隠然たる下手人として噂されている元スポーツ・アナウンサー「飯山」の存在を発見した。小中陽太郎は、この作品を書くに当たって、相当量の資料の提供を受けたと語っている。つまり、解雇反対闘争の裁判準備などによる資料の収集者が別にいたことになる。小中の描く「飯山二男」像は次の通り。
 「飯山二男は、志東良順とともに、戦後のスポーツ放送のスター・アナウンサーであった。志東がプロ野球で鳴らしたのに対し、飯山は六大学や競馬を手がけた。焦茶のステットソンのソフトを陽焼けした額にあみだにかぶるのが得意のポーズだ。だが、飯山が志東と違って、アナウンサー一本から行政職に転じたのにはある隠された経緯があった。

 飯山二男は、終戦直後新聞放送界の大ストライキに際し、東京のアナウンサールームにあって、これを切り崩した。飯山が、どれほど、このスト破りを終生の自慢としていたかということは、大石の馘(くび)を切る三月前の昭和三十五年の三月一日に、彼が中国新聞の『マイク二十年』と題する連載物に、得々としてその思い出話を披露していることからもよくわかる。その文は図々しくも『アナ一人一人を説得、病をおしてスト破り決行』という題がついていた」(同書)。

 小中氏は、「飯山」が、解雇事件の三カ月前から中国新聞に「マイク二十年」と題する連載を出し、戦後の新聞・放送ゼネストの山場でのスト破りを次のように自慢している事実をつかんだ。
 「私は文字通りスト破りを決行したのである。それから三日目にさしもの大争議も終わったのである」(同書)。

 飯山氏の中国新聞の手記は次の通り。
 「労働法の何たるかを知らず、争議行為とはどんなものかわからない組合が、一部指導者の煽動によってわが国放送史上に一大汚点を残すような“大義名分”のないストライキをやらかしたのである。

 私は腹を立てた。即刻私の部屋へ組合の委員長を呼びつけた。『あのビラを張った責任者は誰だ、人の名誉を傷つけてそれで健全な組合がなり立つと思うか。オレは罪人ではない。あんなビラ位でオレが引っ込むと思うか。オレはそんな意気地なしではない。言論は自由の筈だ。オレがオレの意見を後輩にはいて(スト中止の意味、筆者)何が悪い。大体ストライキしてくれと誰が頼んだ。オレは反対なんだ。たった今オレは組合を脱退する』

 怒り心頭に発するとはこのことだろう。私はあらん限りの声を張りあげてどなりつけた。しかし、この時、私は独自の行動をとろうとひそかに決心したのである。

 それから組合幹部は手をかえ品をかえて私をなだめに来たが断然きかなかった。その翌朝、私の家に有志が集り、悲壮な決心で声明文を作りあげた。“われわれは放送人として、これ以上聴取者に迷惑をかけることは出来ない、本日ただいまから就業する”と言うのである。

 私は部屋ヘアナウンサー全員を集めた。『僕と主義主張を同じくする者は僕と行動を共にしてくれ。反対者はこの部屋を出てくれ』と声涙共に下る演説をぶったのである。反対者は一人で、私以下三十八人が署名を終った。直ちに私は声明と署名を持って山野岩三郎会長に会見を申し込んだ。

 一カ月近いストライキで疲れていた会長は、涙を流して私の手を握ってくれた。十月二十五日のタ刻であった。

 やがて午後七時、スタジオヘ入って私は冒頭に名乗った。『私はアナウンサーの飯山でございます。ただいまからニュースをお伝えします』 誠に感激的な一瞬であった。私は文字通りスト破りを決行したのである。それから三日目に、さしもの大争議も終ったのである」(同前)。

 飯山氏は次のように評されている。
 「まさに『NHK帝国』のヒトラー(いや、ゲッペルス宣伝相かナ)的発言であり、ジャーナリズムに対する挑戦状だと言わざるを得ない」(『文芸春秋』’71・4)

 飯山氏の背後には、元朝日新聞の前田会長、同じく元朝日新聞で自民党のマスコミ対策係、橋本登美三郎らがいた。それだけではなく、テレビ局の系列支配を企む新聞社全体が、電波免許の関係ではNHKとグルだった。そういう巨大な“トラの威を借るキツネ”が、飯田の正体なのであった、とある。

 1973.1月、読売新聞が、NHKの受信料問題で、“キャンペーン”を張った。

 1973(昭和48).2月、ある記者による「きびしい追及」があって、はじめてNHKは資料を「郵政省の記者クラブ」に提出した。

 【木村愛二氏の亜空間通信907号(2004/12/08)、「米軍指令『受信料は税金』支払うに及ばず事実上は契約はいたしておりませんNHK 国会答弁の実績」】は次のように記している。
 http://www.jca.apc.org/~altmedka/nhk-2-9.html
 http://www.jca.apc.org/~altmedka/nhk-3-2.html
 ラジオ・テレビ記者会、東京放送記者会、電波記者会

 NHKには、記者クラブが三つもある。ラジオ・テレビ記者会(通称・第一記者クラブ、以下同じ)、東京放送記者会(第二)、電波記者会(第三)である。このうち、電波記者会は郵政省に部屋を持ち、NHK内で月二回の定例記者会見という慣行になっている。ついでに郵政省の記者クラブをあげると、この電波記者会以外に、NHKや大手紙十二社による郵政記者クラブと、KDDや電々公社なども含めた“郵政族”用社内報等の記者による飯倉クラブがある。飯倉というのは、郵政省が霞ヶ関に新庁舎を建てる以前の住所の町名。伝統を重んじての名称である。

 さて、NHKに部屋を確保した第一、第二記者クラブは、NHKだけではなく、民放も取材対象とし、共同の記者会見をNHK内でやる。民放の広報担当者が常々愚痴ることなのだが、NHK広報室にいわせれば、「民放ができる前からのことで……」と、そり身になっての御返事。記者の方も、ほかの記者クラブや日本式労働組合の書記局と同様で、“既得権”の部屋を手放す気は、さらさらない。そして、それを上手に操るのがNHKの広報マンの腕前である。

 「NHKの権威主義的な体質批判」。『国民の放送』というスローガンと現実の落差が問われている。

 一九七三年二月に、電通が提案した「自民党広報についての一考察」には、こう書かれていた。“平河クラブ”とは、千代田区平河町にある自民党本部の記者クラブの通称。新聞・放送記者百五十人ほどが登録されている。これに加えて、“永田クラブ”と通称される内閣記者会にも約三百人の記者がいる。そして、政府、政権党=自民党、派閥の発表をセッセと“たれ流し”報道。時折は野党筋からの批判も加わるが、おおむね中央からの世論操作に一所県命というのが、大勢である。つぎの段階では、こじき根性を見込まれて、台所に上げられる。いわゆる夜討ち朝駆け取材で、果ては日本でも、《ポチ》というマスコミ俗語が生れた。つまり、こじき以下、飼犬同然という状態。これでは、チョウチン記事は書けても、田中金脈やロッキード汚職の追及には、立ち遅れるのも当然だ。


 



(私論.私見)


本多勝一著『NHK受信料拒否の論理』。内幸町のNHKと有楽町の朝日新聞社。「放送媒体は、インテリ層がいかにその言論機関性・情報伝達機関性を軽視しようとも、イデオロギー関係機関であることは否認すべくもない」(奥平康弘『法律時報』40巻6号所収「放送における政治と行政」)。和田勉は、「批判者のフハイ」(『放送批評』’75・12)。


 NHKの職員数は、一九五五年には約八千五百人。それがいまでは約一万七千人。