マスコミメディアのジャスラック提灯活動を粉砕せよ

 (最新見直し2009.3.31日)

Re::れんだいこのカンテラ時評555 れんだいこ 2009/03/31
 【2009.3.31日付け産経新聞特集のジャスラック提灯記事考】

 2009.3.31日、産経新聞社(企画・製作−産経新聞社生活情報センター)は、16、17面の2ページ組でジャスラック広報特集を組んでいる。16面は「歌の心と日本人」と題して、藤原正彦と黛まどかの対談記事となっている。小見出しは「悲しい歌に勇気づけられ、心のヒダにすんなり届く」。17面は「歌謡曲の巨匠たちが残した音楽の力を伝え続けて」。小見出しは、「4人(古賀政男、服部良一、吉田正、遠藤実のこと)はジャスラック歴代会長」、「音楽著作権管理と音楽文化の普及・発展につとめた70年」。

 この時期、なぜこの企画が紙面に登場したのかの詮索も面白いが省く。タイトルだけを見れば普通の広報文句であり、目クジラするには及ばない。しかし、内容を読むと露骨なジャスラックピーアールになっている。それはともかく、数々の貴重情報が開示されており、唯一その点が為になった。それはともかく、これを論評しておく。

 16面の「歌の心と日本人」で、藤原正彦、黛まどか両氏は、歌の果たしてきた歴史的役割を讃美する観点からそれぞれの体験を語り合っている。それはどうでも良いのだが、れんだいこの窺うところ恐らく深い考えもないままに、黛「著作権管理の大切さを痛感したそうです」、「日本は万葉の昔から誰もが詩歌を詠んでいました。歌の力や大切さを誰もが知っているはず。著作権についても、皆がもっとその大切さを意識すれば、深く理解できると思います」、藤原「作り手にとって著作権は生活の糧となる大事な財産だから」と相槌を打たされている。

 参考になったのは、藤原氏の「明治時代にポルトガルから神戸、徳島にやってきた作家のモラエスは日本について、『こんなに歌であふれた国は見たことがない』と絶賛しました。昔の日本人は歌うことの素晴らしさを誰よりも知っていた」のくだりである。これは確かにそうなんだ。この観点からの突込みがもっと欲しい。

 もとへ。れんだいこが両名に告げておく。それほど歌を愛し伝統的に愛唱してきた日本的システムを評価するのなら、ジャスラック式著作権活動が闖入して以来、ジャスラックがその文化の灯を守り育てているのか破壊しているのか、これを客観化させることが必要なのではないのか。両名には、ここを全く問う姿勢が見られない。黛は知らないが、藤原よお前もかという気がしないでもない。

 次に、17面の「歌謡曲の巨匠たちが残した音楽の力を伝え続けて」にコメントする。古賀政男、服部良一、吉田正、遠藤実と繋がる4名の歴代ジャスラック会長が、如何に音楽著作権管理と音楽文化の普及・発展につとめたかを力説している。が、書けば書くだけ読めば読むだけ空々しくなる類のものに過ぎない。所詮は作曲家能力しかない巨匠を会長にまつりあげ、実質は文部省天下り官僚が理事長以下要職を取り仕切り、会長、理事、評議員を上手に操りながら、音楽著作権を食い物にしてきた結果が今日の歌謡文化の衰退局面ではないのか。

 こう問う姿勢なくして、ジャスラック論は語れない。にも拘らず、産経新聞社生活情報センターは、阿諛追従ものに典型的な日本音楽発展史を綴ろうとしている。それは、大東亜戦争末期にノー天気に日本軍略史を語り讃美し、大本営発表を繰り返すさまと酷似しており、何の意味もない、というか反動的醜悪でしかない。

 今、ジャスラックが顧みるべきは、創立70年の総括として、人民大衆的愛唱につき、著作権侵犯論からではなく音楽基盤の培養、ファン育成観点からの在るべき姿の提示であろう。これまでのような日本列島の津々浦々の音楽愛好者の集いを見つけては、著作権侵犯非国民のレッテルを張りつけ、過去に遡っての高額請求で神経を傷めさせ、弁護士を使って訴訟に持ち込み、演奏楽器を撤去させ、店舗経営者を逮捕させるという常套手段を猛省すべきであろう。こういう活動が果たして日本音楽著作権擁護の為の正当なありかただったのかどうか自己批判するべきであろう。

 公益法人として突出した売上を誇り、なお且つ漢字検定協会の如くに調査、批判されないのを良いことに、音楽の奏でられる森を見つけては槍を持って料金徴収に勤しむ野蛮さが果たして先進国的文明的なりやと問いかけることであろう。現下のジャスラックは全くのところ、権利暴力団の走りであり親玉である。そういう地位に居りながら、この道をますます暴走しようとしているのが現経営陣の姿勢である。これを糾弾せねばなるまい。

 今、ジャスラックは公取委の調査対象になり、行政指導を受ける立場に追い込まれている。これまで攻める一方であったジャスラックが初めて防戦を強いられている。驚くべきことは、そのジャスラックは、徹底抗戦を表明している。ジャスラックが尋常でない団体であることが暴露されつつある。今後ジャスラックの膿がますます出て来るだろう。ジャスラックに大枚のパーティ券の世話になっている議員諸氏よ、今から首を洗っておけ。小沢批判の際の口舌をそのままお返ししてみせようぞ。天下り問題も然りで、他の団体のそれは指摘されつつあるが、ジャスラックのそれは優るとも劣らない。等々書き始めたらキリがない。

 問題は次のことにある。このジャスラック式音楽著作権論と、これに基く活動は、著作権法に照らしてみてもジャスラック定款(仮にこれを音楽著作権法とする)に照らしてみても違法の可能性が強い。にも拘らずジャスラック式音楽著作権論が常態となり、これが定着化し更なる猛威を振るおうとしている。それはあたかも、憲法9条と自衛隊の関係に相似している。憲法9条と自衛隊の関係については、社共始め日本左派運動は概ね憲法9条擁護にシフトしているが、著作権問題については逆で、法破りのジャスラック式強権著作権論に加担し更なる強権化にエールして正義ぶっている。

 れんだいこは、この異常性に早く気づくように思念している。日本左派運動に覚醒を促している。未だに友、遠方より来たらずではあるが、なぁに構やしねぇ。こういうものは一夜のうちに変わる。ジャスラックのお化け振りがさらされるにつけ、れんだいこの指摘の正しさがいやましにくっきりと浮き彫りになるだろう。その日が来るのは時間の問題に過ぎないと確信している。

 2009.3.31日 れんだいこ拝


 



(私論.私見)