高裁判決考

 (最新見直し2009.4.23日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 2009.4.23日、かにこうせん訴訟に於ける第二審の高裁判決が下された。これにコメントしておく。

 2009.4.23日 「かに子」経営者拝


 2009.4.23日、かにこうせん訴訟に於ける第二審の高裁判決が下された。主文に目を通したあと、判決論理を確認した。結論から云うと、判決の態を為していない。司法当局の知能の腐敗をまざまざと確認させられた。控訴人と被控訴人の立論を記したところまでは良い。その後の控訴人の主張を退ける際のロジックが無茶苦茶であり、その頭脳たるや地裁のそれをも下回る。日本の司法制度に対する暗澹たる気持ちが押えられない。続いて最高裁に上告することになるが、最高裁らしさを見せてくれるだろうか。高裁に劣らぬほどの痴愚論法で却下してくれるのだろうか。今や関心はその方にある。

 かにこうせん訴訟は、著作権訴訟史上例のない、ジャスラック式の強権著作権論とその論理に基く諸活動に対する真っ向からの否定弁明を展開しているところに特徴がある。司法当局は、控訴人の主張を裁く責務があるところ、殆ど何の見解をも示し得ず、たまに示したとすればナンセンス極まるロジックで被控訴人ジャスラックを擁護している。こうなると、のれんに腕押しになる。

 しかしながら、かにこうせん訴訟の意義は変わらない。いずれ、ジャスラック式の強権著作権論とその論理に基く諸活動に対する疑問が噴出してくるのは自明で、既に公取委の行政指導が始まっており、目下誕生しつつある消費者庁が稼動し始めるや同様に監視し始めることになるだろう。こうなった時、かにこうせん訴訟が提起した理論が脚光を浴びることになろう。要は、それがいつのことになるかだけで、時日の問題に過ぎない。

 そういう意味で、高裁の裁判官は、かにこうせん訴訟で提起された著作権法の正確な理解に立ち戻る絶好機会を自ら封じ、無能振りを歴史に遺したことになる。従来式のジャスラック勝訴判決の判例を地裁同様にあてがったに過ぎない貧能ぶりを如何なく発揮した。控訴人からすれば、唖然とするサラリーマン裁判官振りを晒したに過ぎない。

 この問題で怖いことは、今や日本が総じてこういう貧能漬けになっていることを窺わせることである。近々裁判員制度が導入されるが、司法改革の一助になるどころか、司法改悪を一挙に促進し、日本人民大衆間の齟齬を深めることにしかならないだろう。そもそもこれが狙いで導入されたのであろうが、寒い話ではある。

 以上、感想を述べておく。

 2009.4.23日 れんだいこ拝




 



(私論.私見)