パブかにっ子のジャスラック抗弁書2 |
(最新見直し2008.3.7日)
(第2回審尋の経緯) |
11.27日の第1回審尋に続き12.21日、第2回審尋の場が設けられた。馬場弁護士の反論書を読み、抗弁書2を書き上げ臨んだ。午後4時開廷とのことで10分前に出廷したが、4時00分を過ぎても誰も来ない。このたびは呼び出し通知も無く不安になったが、4時04分、裁判官、書記官、ジャスラック弁護士が一緒に入廷してきた。 何か述べたいことがありますかと尋ねられたので、大いにありますと答え、馬場弁護士の反論書が私の質問に全く答えておらず、定型文句を繰り返しているに過ぎないと述べた。抗弁書2を持ってきたことを伝え、裁判長と馬場弁護士に手渡した。裁判長はパラパラと目を通し、馬場弁護士に何か云う事が無いかと尋ね、馬場弁護士が無いと答えると閉廷宣言した。 私は、審尋の場と云うところは互いの主張の議論をするところと思っていたので拍子抜けした。書記官を捉まえ、今後の見通しを尋ねて裁判所を後にした。 2007.12.21日 |
【抗弁書2】 | ||||||
2007.12.14日付け消印の馬場弁護士の「準備書面」が**地方裁判所(第3部民事部執行係・**書記官)より届けられました。これにつき思うところを記しておきます。
馬場弁護士の結論は分かりました。それはともかく、馬場弁護士は、私が提起した諸問題に殆ど答えていません。私が何を訴えようが訴えまいが結論だけ記すだけの、「木で鼻をくくる」という言葉がありますが、そういう類いの無味乾燥な反論書になっております。 私は、法律論なら法律論でと思い、著作権法、音楽著作権法を読み、いろんな角度から、現行のジャスラック的音楽著作権論に基く課金請求の行き過ぎを問題にしました。馬場弁護士はそれに全く答えず、確固牢とした上述のような見解を呪文の如く唱えております。 その中でも気になる事があります。馬場弁護士は、「営業のために他人の著作物を利用する者はその許諾が必要であることは、全ての著作権に共通のことで、音楽著作権だけ特別であるという債務者の主張は誤りである」としています。 申し訳有りませんが、私はやむなく著作権を学んでいる者で、馬場弁護士のような専門家では有りません。そのように主張するのであれば、願うらくは、その該当条文を明らかにして下さい。条文を示さぬままに「著作権法上はこうなんだ」と勝手に決め付け、説教されるのは、言い得勝ちな独りよがりの論法でしかありません。不親切で迷惑です。 なぜなら、著作権者にとって、広く利用されること自体が著作権者の諸々の利益にかなうからであると思われます。本来の法は、そのように弁えているように思います。ジャスラック的著作権理解は、勝手にその垣根を取り外して全分野全域に課金対象化せんとするものであり、法解釈的にオーバーランではないかと考えております。ここから混乱が発生しているように思います。最近このような混乱が収拾つかない形ではびこり始めているのは事実です。 そういう意味で、私の主張を、馬場弁護士の如く「音楽著作権だけ特別であるという債務者の主張」とする書き方は正確ではありません。私は、そのようには申しておりません。あくまで「ジャスラック的音楽著作権論の行き過ぎ」を採り上げ問題にしております。著作権法、音楽著作権法はまだしも弁えをもって自制しているように思うからです。このことに関しては「抗弁書bP」で縷々説明したところです。 次に、馬場弁護士が、「カラオケ使用料が有料でも無料でも、無承諾演奏、歌唱は著作権侵害である」、「カラオケ歌唱無料の例も多く、裁判例は有料・無料で全く差が無い」としている点も気にかかります。ここでも、私と馬場弁護士の見解が対立しております。 私が著作権法の条文を読む限り、「私的使用、営業利用の別」、「有料、無料の別」はかなり重要なこととして識別しており、懇切丁寧に例示しつつ説き明かしているように思います。 例えば、第38条の「営利を目的としない上演等」は、これに直に関係しております。それによれば、「公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもってするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない」と、わざわざ記してあります。 馬場弁護士の弁は凡そ、知らぬ者を煙に巻く論法を多用しているように思います。さように言い切られるのであれば、私が催促しようがしまいが、素人目にも分かりやすいように条文と判例を添えて下されることを要望いたします。これを示さぬままの断定は言い得言い勝ちでしかありません。 私は、法廷と云うところは、法治主義に則り、条文に即して解釈及び判断を積み重ねていくところと思っております。条文と判例を示さぬままの持論の押し付けは双方が極力忌避せねばならないと思います。馬場弁護士の対応は、弁護士にあるまじきもので、その意味で顰蹙を買うものではないでしょうか。 |
以下、馬場弁護士の反論を個別に整理確認してみます。 私は第二点として、音楽著作物許諾契約書を締結すると、今後はJASRACの言いなりにならざるを得ず、そういう奴隷契約を通用させてはならないと問題提起しました。ここで新たに付け加えれば、同契約書には解約条項が有りません。凡そ契約には解約の際の規定も設けるべきなのに、その条項が有りません。これを欠く契約書は重症的に不備なものと云わざるを得ません。 本当にそうでしょうか。私は、カラオケリース機器業者がJASRACに毎年幾ら著作権料を支払っているのか明らかにするよう要請しました。馬場弁護士は、この要請を無視しております。 馬場弁護士はかく述べておられますが、「確定裁判例を無視した不当な見解」はまだしも、「このような見解を放置すること自体が日本の文化発展の障害となる」についての認識が、私と、馬場弁護士及びジャスラックの間で見解が対立しております。果たして、どちらが「日本の文化発展の障害」なのか議論を続けたいと思います。 私は、【私のJASRAC料不払い論その4】で、「JASRACは、音楽著作権者に対する配分決算書を公開する義務が有り、これをしないままの取立て優先は不正です」と述べました。 馬場弁護士は、これについても、ホームページ上の経理報告で事足れりとしているようです。「ぬか釘」とはこう云う事を云うのでしょう。 私は、【私のJASRAC料不払い論その5】で、「JASRAC的音楽著作権論の『儲け理論』に疑問が有ります」と述べました。判例の「カラオケ無料を歌い文句で営業利用しているのだから歌唱無料は免除の理由にならない」について、「カラオケ無料の場合の課金の是非は未だ議論が尽くされていないように思います」とも述べました。 これに対する馬場弁護士の反論は、「カラオケ歌唱無料の場合は著作権料を支払う必要がないという債務者の主張自体誤りで根拠が無いもので、これを前提にした議論は成り立たない。カラオケ歌唱無料の例も多く、裁判例は有料・無料で全く差が無いものとしている」としております。 馬場弁護士さん、「有料・無料で全く差が無い」としている判例を開示して下さい。これを示さないままに一方的に云われるのは迷惑です。いずれにせよ、議論を噛み合わせようとしていないことが分かります。 私は、【私のJASRAC料不払い論その6】で、「店舗面積別課金は著作権法に馴染まない無茶苦茶な課金制だと考えます。どうしても請求するのなら歌唱者に直接請求する装置を案出すべきです。それが出来ない間の課金は不当と考えております」と述べました。 「聞く耳を持たぬ」とはこういうことを云うのでしょう。ここでも議論が全く噛み合っていないことが分かります。 私は、【私のJASRAC料不払い論その7】で、「カラオケ店舗への課金を廻って、JASRACの音楽著作権論がさほど広報されておらず、開店してから知らされるのは不当と考えます」と述べました。 馬場弁護士の反論は、「それなりに広報している」というものです。「ああ云えばこう云う」とはこう云う事を云うのでしょう。ここでも議論が噛み合っておりません。 私は、【私のJASRAC料不払い論その8】で、「JASRACの本来の活動は、音曲文化の擁護を基点にすべきです。現在のような取立ては、社団設立趣意及び許可基準違反ではないかと考えております」と述べました。 馬場弁護士の反論は、「債務者のこの項の主張も、本件仮処分申立事件とは全く関係なく、答弁する必要はない」というものです。 馬場弁護士さん、「全く関係なく、答弁する必要はない」とするのはあなたの主観です。私は大いに関係があると思っておりますので、「著作権料徴収に関する社団設立趣意及び許可基準」を明示してください。そもそもの始発に於いて、ジャスラックが、どういう基準で音楽著作権料を取れるようにしたのかはとても大事なところです。私は、NHKのそれと比べて見たいと思います。そういう意味で必要なのです。 それにしても、私が必要と思い尋ねたことに関して、「債務者のこの項の主張も、本件仮処分申立事件とは全く関係なく、答弁する必要はない」というのは酷い答弁です。「全く関係ない」とはよくぞ云うものだとあきれております。 私は、【私のJASRAC料不払い論その9】で、「JASRACの料金徴収活動実態は余りにもえげつない。強制的であり脅迫です。私は従いたくありません」と述べました。 馬場弁護士の反論は、「債務者のこの項の主張も、本件仮処分申立事件とは全く関係なく、かつ、一法的で独自の見解で、答弁する必要を認めない」というものです。 馬場弁護士さん、JASRACの料金徴収活動実態を廻って全国各地で紛争が発生しているのは事実です。このこと事態否定されるおつもりですか。このことが、関係ないことはないでしょう。「本件仮処分申立事件とは全く関係ない」とする神経が信じられません。 私も叉既に多少なりとも被害を受けており、今年の9月入院し虫垂炎手術を受ける身になりました。幾分かはジャスラックの課金攻勢が関係していると思っております。「関係ない」とは云って欲しくないです。馬場弁護士の立論が信じられません。 私は、【私のJASRAC料不払い論その10】で、「JASRACの歩合給社員を雇ってまでする取りたてはやり過ぎです。むしろ違法と考えます」と述べました。 馬場弁護士の反論は、「答弁する必要を認めない」というものです。これも同様で、「答弁する必要を認めない」とは単に「臭いものに蓋をする」式対応でしか有りません。 私は、【私のJASRAC料不払い論その11】で、「JASRACの音楽著作権論そのものが歪んでおり、音楽著作権先進国を気取っておりますが下品にして野蛮丸出しではありませんか」と述べました。 私は、【私のJASRAC料支不払い論その12】で、「JASRACは、マスコミの音楽利用に対して如何なる請求をしているのか明らかにする必要が有ります」と述べました。 馬場弁護士の反論は、「答弁する必要を認めない」というものです。 「答弁する必要を認めない」を乱発しておりますが、「いずれも答弁する必要がある」ものです。なぜ「答弁する必要を認めない」のかご説明ください。こういうところを切開しない限り、問題が解決しないと思います。 私は、【おわりに】で、概要「凡そ以上の諸点で、私はJASRACに不信を抱いております。察するところ、JASRACは大衆文芸文化的業界の団体の中で突出して著作権を利権化させた挙句、巨大売上化しているように思われます。それは、本来抑制的に権利行使すべきところをNHKよりも税務署よりも強い権限で課金請求徴収しているゆえの結果だと思います。その巨大売上に利権が発生していると考えます。この流れをどこかで適正なものに戻さねばなりません」と述べました。 馬場弁護士の反論は、「債務者の主張は全て根拠の無いものであり、本件仮処分の決定をお願いする」というものです。失礼な反論です。「債務者の主張は全て根拠の無い、本件仮処分の決定をお願いする」とは俗に「問答無用」と云っていることになります。 裁判長閣下、こういう弁護人の弁護活動に対して「それはないよ」と叱責してください。互いが議論を尽くそうとしないのなら、こういう法廷の場は不要になると思います。馬場弁護士は自らやり取りを深めることを拒否しておりますが、変な弁護士さんではないでしょうか。許されることでしょうか。 私は、【「**地方裁判所御中 陳述書」に対する反論】で、陳述書に対して私が思うところの様々な疑問をぶつけました。馬場弁護士は、これに対してもまともに答えておりません。「第一段、第二段の著作権等管理事業法への移行等は、根拠法律の変更で、著作物利用料には変更はない」、「第三段の免除措置等使用料規定の一部変更は、必要かつ合理的である」、「一曲一回の使用料は裁判例でも承認されたもので、暴利との債務者の主張は認められない」、「債務者の主張は勝手な独自の主張で、理由が無い」などとしております。 既にあきらかですが、馬場弁護士の応答はどれ一つ取っても「馬の耳に念仏」、「のれんに腕押し」の如くですれ違いばかりです。その癖、私のパブ経営手法に対して「債務者の如き悪質な侵害行為」としている態度には変更がないようです。 馬場弁護士さん、私がなぜ悪質なのかご説明願います。根拠を示さないままに「債務者の如き悪質な侵害行為」と誹謗することは私の人格を著しく傷つけるものです。弁護士さんの方から一方的にこのような発言を聞かされるのは心外です。 「債務者の主張は勝手な独自の主張で、理由が無い」ともしております。一般にこのように片付けてしまえば、何を云っても通じなくなります。要するに、聞く耳を持たない姿勢のみが伝わります。 私は、次のように結んでおります。「最近は原理論的なやり取りが滅法少なくなりましたが、司法が健全ならば避けて通れない関門と考えます。裁判官が既存の判例のみに依拠せず、今後の音楽業界の在るべき姿を見据え的確な判断を下され仲裁賜る事を期待します」。今も、この気持ちに変わり有りません。 私は、以上のやり取りを踏まえ、次のように主張したいと思います。馬場弁護士のこのような対応反論が法廷で日常茶飯事なのかどうか分かりませんが、私には非常に不愉快です。馬場弁護士の反論は全て意図的にピンボケなものです。 私は、ひょっとして、私の考え違いを指摘されるのかと期待しておりました。ところが、帰ってきた反論は「要するに要るものは要るんじゃ」式の、何ら議論の無い頭ごなしのものでしか有りません。私は、ジャスラックが、こういう弁護士を使って、こういう手法と論法で取り立てに勤しんでいることを軽蔑します。馬場弁護士の再度の誠意ある、私を説得するに足る丁寧な反論開陳をお願い申し上げます。 私は、法律論なら法律論でと思い、著作権法、音楽著作権法を持ち出し、ジャスラック的音楽著作権論の行き過ぎを問題にしました。馬場弁護士が、「法を守れ」と主張することを踏まえ、法で反論したつもりです。馬場弁護士は、これに対して何も答えておりません。「債務者の主張は勝手な独自の主張で、理由が無い」と決め付けるばかりです。 最大の食い違いは、馬場弁護士が「著作権利用には許諾が必要」としていることにあるように思います。しかしながら、既に述べましたように、著作権法の各条文はそのように書かれていないように思います。むしろ逆に、「引用、転載の自由」をある程度に於いて認めることを骨子にしているように思います。馬場弁護士が、いわば任意勝手に「万事許諾が必要」とする著作権理論を創造し、それを盾に金銭強要するのは不当であると考えます。 考えてみれば、私は何も、本件でどなたから金銭借金した訳では有りません。ジャスラック料も滞りなく支払ってきております。それなのに、いつしか訳の分からない債務を負わされた格好にされ、勝手に延滞金利を加算され、法外な請求を受けております。こういう事が許されるのでしょうか。信じられません。 或る時に、音楽著作物許諾契約書に署名捺印し、その後債務不履行というのなら分かります。しかし、私は、そのような契約をした者ではありません。契約していない者に債務を負わせる論法が理解に苦しみます。 本来なら、ジャスラックは、NHK並みに不断の啓蒙による自然理解を取り付けるべく努力すべきです。NHKが、受信料を支払っていない者に対して、テレビ設置以来の金額を請求した事例を知りません。ジャスラックにはなぜそれが許されるのか、解せません。 馬場弁護士の反論は、何の論証も無いままにジャスラックは全て正しく、お前が間違っていると云うものでしかありません。どうしてもそう云われるのであれば、きちんと論証してください。該当条文を示さないままに、勝手に著作権法上こうなっているという主張は、私に対しても法廷に対しても失礼ではないでしょうか。 弁護士たるものが法に基かず、勝手に「我こう思う、故に君、金払いたまえ」とのみ主張して裁判攻勢を仕掛けるのはやり過ぎでしょう。その法廷でも、聞く耳を持たず主張を一方的に繰り広げるのは、法治主義精神に著しく違背しているように思います。 最後に。当「かに子」で、お客様にカラオケがなくなることを申し伝えたところ、一部の方が寂しいと申しております。何とか円満に解決するよう希望しております。但し、私は、現状のような契約書に署名するつもりはありません。どうしても課金されるというのなら、契約書に署名しないままであれば面倒臭いので今後に於いては支払っても良いと考えております。私が譲歩できるギリギリの線がこれです。 先日の審尋の場で、馬場弁護士が長期分割支払い案を提示しましたが、そのような提案を受け入れるつもりは毛頭有りません。その理由は、既に十分説き起こしたつもりです。 以上、私の抗弁書bQと致します。 2007.12.19日 「かに子」経営者 |
(私論.私見)