JASRACの杜撰経理、融資考

 (最新見直し2007.3.15日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 利権集団の巣窟と化したJASRACの資金管理の不透明問題がある。次のような事例が報告されている。


【JASRACの杜撰経理、融資その1、黒い霧事件】
 1964年、JASRACは、1959年から1964年までの間、著作権使用料から約1億円を簿外処理し、その裏金を使って当時の役員への裏給与や遊行費、文部官僚接待費などに充てていたことが発覚した。これにより、当時の会長と初代天下り官僚(元文部次官)の菊池豊三郎専務理事らが背任で東京地検に書類送検された。菊池は事件当時文部省の著作権法改正に関する審議会で委員を務めていた。これを「黒い霧事件」と云う。

 不起訴に終わったことにより「刑事告訴されても握りつぶせる権力、それがJASRAC」と云われるようになった。。

【JASRACの杜撰経理、融資その2、古賀財団融資事件】
 JASRACは1994年に新橋から現在の代々木上原に移転した。その時に、JASRACから古賀政男音楽文化振興財団へ、ビル建設費用78億円が無利子で融資され、しかも完成後のビルにJASRACが入居したのだった(このあたりこのあたりを参考にしてほしい)。現在、JASRACと同じ敷地には古賀政男音楽博物館が入っている。
 1994(平成6)年、JASRACは、経理上の滞留金(著作権料として徴収され著作権者に支払われるまでの3ヶ月間銀行にネカしておくオカネ)の中から50億(78億円とも云われる)を、定款に違反して、外部の古賀政男音楽文化振興財団のビル建設費用に無利子融資問題が発生している。しかも、建設業者が特命指定されており、融資の一部が流用されている疑いがある。しかも、出来上がった古賀会館の半分にJASRACが入居し、ベラボーに高い賃借料払って使用する契約が結ばれた。

 これには旧文部省幹部、ОBが深く関与しており、古賀財団理事・剣木亮弘とJASRAC顧問の佐野文一郎は共に文部官僚が暗躍していた。剣木は、事件当時の文部大臣で、佐野氏を庇ったと云われている。佐野氏は事件の責任を追及されたが、辞任には及ばず、後に事務次官に上り詰めた。著作権と云う信託財産を使った古賀財団への融資は法律に抵触する可能性があったが、当時の文部省官房長が承認した。その人物が現在の吉田JASRAC理事長である。よほど深い利権関係にまみれていることが判明しよう。

 この融資は、JASRAC理事会のごく一部だけで決められ、当初より異議が巻き起こった。「古賀財団の財務状況もハッキリしないのに、これだけ巨額の資金を無利子で融資するのは非常識だ」とJASRAC内外で批判が相次ぎ、協会員である小林亜星・三枝成彰・すぎやまこういち、武満徹、黛敏郎の各氏ら50名余りがJASRACへ押しかけ、理事会に対し融資の撤回と執行部の退陣を要求した。

 これに対し、理事会側は、「融資に問題は無い」として申し入れを拒否した。為に、小林氏らは融資の差し止めを求めてJASRACを東京地裁に提訴した。結局、この訴訟は融資額を52億円に減額することで和解が成立したが、JASRACの資金管理の不透明さを象徴する事件として刻印されている。


 同12.7日、JASRACが、通常理事会で石本前理事長ら旧執行部4人を刑事告訴することを決議する。

 「社団法人 日本音楽著作権協会(JASRAC)のサギ犯罪(反米嫌日戦線)」は、次のように記している。
 「バブル期の象徴とも言えるカラオケブームによって、JASRAC通過するオカネが年間何百億単位にフクレ上がって来ているのに目をつけたナニモノカが意図的にJASRAC理事長及び一部理事通とハカってシカケた一種のサギ犯罪」。
 「糾弾によって背任罪で刑事被告人となり辞職に追い込まれた件の理事長アトガマには、しかし、そうしたウサン臭さスベテにフタする行政手腕見込まれたトーダイホーカ卒のブンカ庁高等ヤクニンが、一味に乞われてスカさず天下りして来て、期待どおりの役目を果たし(刑事裁判はウヤムヤに、貸付契約については強制的な和解カンコク)高額の給料受けて3年、任期満了すると高額退職金に加えて送別パーティーでセンベツ貰い、地方選挙に出馬、ヌケヌケとドコゾの県知事にオサマった。よーするに今、このクニをダメにしているハコツクリとアマクダリの癒着パターンが、ソックリそのままワレワレの目の前でテンカイされたのであります」。(野坂昭如・永六輔・小林亜星・共著『世なおし直訴状』文芸春秋01年)

 上記の県知事とは、愛媛県知事の加戸守行(かともりゆき)であり(「ウィキペディア加戸守行」、「つくる会」教科書採択等々で率先したことで注目された。



 



(私論.私見)