ウェブ掲示板における管理人の責任問題考 |
(最新見直し2005.12.7日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
インターネット掲示板を廻る管理人の責任考もしておかねばならない。以下、実際に発生した事件を題材に実証的な考察に入る。 |
【掲示板書き込みに対するプロバイター及び管理人の責任について】
2001.9.17日付け毎日新聞(太田阿利佐記者)記事は、「掲示板書き込みに対するプロバイター及び管理人の責任」を廻る次のような記事を載せていた。
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【掲示板の中傷発言訴訟】
2002.6.26日付け毎日新聞(太田阿利佐記者)記事は、「掲示板の中傷発言訴訟」に関する次のような記事を載せていた。インターネット掲示板の書き込みの内容を廻って、「削除を求めたのに掲示板の管理者が応じなかったのは不当だ」として裁判が起され、2002年6月頃管理人に損害賠償を命ずる判決が東京地裁で為されたとのことである。これを少し考察しておく。
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【れんだいこの「2ちゃんねる敗訴」考】 | ||||||||||||||||||
判決文を読んでいないのでその法理論全体の構図が分からないが、争点は次のようなところにあったと思われる。
この判決を廻っての判断はかなり難しい。というのは、インターネット掲示板が商売仇(がたき)あるいは政争を廻る政敵のイメージダウン政略に利用されることがどこまで許されるのか、という問題を抱えているからである。一般に、消費者が自らの体験を自らの言葉で語り、掲示板に情報を流す手法は認められるべきだろう。問題は、そういう偽装で商売仇(がたき)あるいは政争を廻る政敵のイメージダウン政略に利用される場合にどう対処すべきかということにある。 れんだいこ次のように考える。少なくとも、明白にそのように判断される投稿文に対しては管理人責任で削除すべきではなかろうか。しかし、これだけでは解決しない。いわばグレーゾーン情報に対してはどうするのか。これに付き管理人は是々非々で臨み得るのでは無かろうか。つまり、採配自由とすべきでは無かろうか。この場合、重度の過失が立証された場合のみ、管理人の責任が問われるとすべきでは無かろうか。 この点で、地裁判決は妥当であろうか。管理人に賠償金400万円の支払いを命じたのは過度の責務を負わせたことになり、果たして適切であったかどうか。本件の場合、「誹謗中傷」記事の根拠性が吟味され、いわゆる不当記事であった場合と、投稿者の体験の発表であった場合とにおいて、判決が違うべきではなかろうか。この点、この肝心なことに対して地裁がどこまで吟味したのか分からない。 上記の論点の次に争点となるのは、管理人の掲示板管理責任一般論についてである。少なくとも、投稿者の責任と管理人の責任、告発者の責任の三角関係が解明されねばならない。その上で管理人に責任が負わされるとして、「400万円の支払いと該当発言の削除」が妥当であろうか。 この法理論は、掲示板管理人を萎縮させ、ひいては大衆的表現活動の自律性に対する大きな規制の網を設けることになりはしないか。インターネット・サイト及び掲示板における活用の権利及び表現の自由の確保は今や真っ只中の難しい問題である。今後のための法理論形成に役立つ事例として吟味されねばならない。果たして、こたびの判決文はそれに堪え得るものであろうか。 2002.9.5日 れんだいこ拝 |
【掲示板における罵詈雑言規制問題考】 |
掲示板における罵詈雑言規制問題も検討されねばならない。特に政治的問題についての議論の場合付き物で、馬鹿、アホ表現は容易に為されがちなところである。これに対して、当該投稿文者及び掲示板管理者に対して削除請求と名誉毀損等で訴えるという抗議が為された場合、管理人はこれにどう対処すべきか。 これに対するれんだいこ見解は明解だ。まず、「馬鹿、アホ表現」が、議論の応酬の中身と関係しているのかいないのかによって判断されるべきだろう。つまり、「対抗言論」中の許容範囲内のことか無関係の罵詈雑言なのかどうか、が重視されるべきだろう。関係なく表現されている場合、投稿者に対するイエローカードを出せば良い。それでも為される場合レッドカードで退場させれば良い。議論の中身と関係している場合、投稿者に対し、むやみやたらを制し、止むに止まれない記述に止めるよう自律精神を喚起させるしか方法が無いのではなかろうか。 対するに、いわゆる被害者の「削除請求と名誉毀損等で訴えるという抗議」に対してはどう対処すべきか。少なくとも、議論の中身に関係して云われる「馬鹿、アホ表現」に対しては、「馬鹿、アホ表現」の不適切さに反論し弁証することが望ましいのでは無かろうか。そういう表現を為すも為さざるも品格であり、相手が為すに応じてこちらも為すというのでは芸が無かろう。一方的に相手が為すに付き、掲示板は大衆劇場であるからして観客が適切に判断してと信頼し、その叡智に期待するしか方法が無いのでは無かろうか。 つまり、法規制に馴染まないとすべきではなかろうか。最終的には(ということは議論を尽くした上でということになるが)、大衆劇場による直接民主主義の参政権的投票によって白黒諾否を決すれば良かろう。 これを容易に裁判沙汰にするというのであれば、まずもって当人が該当掲示板に出没しなければ良い。インターネット掲示板は自由の精神のみで誰もが参加しており、五万とある掲示板の特徴を踏まえて自身の主体性で参加している訳だから、気に入らなければ気に入るような掲示板を探せば良いだろうし、自前で作成しても良い。政治談義の場合、議論が沸騰し罵詈雑言が飛び交う可能性はあらかじめ承知して参加すべきでは無かろうか。これらの点を弁えず、現存のリアル国家権力機構に直列で裁判沙汰にすると息巻く品格劣性さこそ知るべきでは無かろうか。一言で云えば無茶苦茶な恫喝では無かろうか。 仮に、掲示板の品格の向上を願ってというのであれば、まず自身が身を以って示す姿勢が欲しい。裁判沙汰にするなどという恫喝で願うのではなく、ごく普通にどうあるべきか論で議論を仕切れば良かろう。これを自律と云う。この自律精神の培養に資する観点を欠如させたままいきなり裁判沙汰などと云う方が気難し過ぎよう。 よくあることで、結構自身も際どい表現しているのに、突如相手の表現の非をなじり、削除要求続いて裁判沙汰にするぞと息巻く人士の方が多い。それは余りにご都合主義で身勝手な我が身本意であろう。もっとも、この類のインテリ染みた輩が妙に多くなって来ているのが気になる。 付言すれば、かの宮顕―不破系日共党中央の論理がその典型だ。日共は自民党や公明党の政策やその組織問題について根限り「悪」を暴き立てる。ところが反転して日共自身が詮索され始めると、我が党のことをあれこれ云うのは憲法で認められた結社の自由に対する侵害だ。戦前を見よ!云々をひとくさりアジる。次に、党員は党規約に基づいて入党しておりいわば組織の自律性に関わっていることだ、それを部外者があれこれ批判する方が党内問題への過干渉だ的なご都合論法を振り回す。 こういう得手勝手論法に染まった輩が容易に裁判沙汰にするぞとあちこちで恫喝しまくって掲示板を渡り歩いている。こういう手合いに対しては一喝するに限る。左翼性の「サ」の字も無い論理のエセ性を暴くに限る。ホント、日共系のインテリ面人士にこういうのが多い。問わず語りに権力機関とべったりであることが判明して興味深い。 2002.9.5日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)