共同通信社の読売新聞社写真無断使用考 |
(最新見直し2008.10.17日)
Re::れんだいこのカンテラ時評479 | れんだいこ | 2008/10/17 |
【マルチ商法批判には飛びつくが著作権商法が槍玉に挙がらないのはなぜか】 2008.1017日、「共同通信、ノーベル賞益川教授の読売新聞掲載写真を無断使用」なる記事が掲載されている。それによると、A新聞社がB新聞社の写真を無断使用し、抗議され、謝罪したという顛末のようである。それはともかく、マスコミのどこかの社のこういう見出しをそのまま転載するのも著作権法違反になるらしい。そういう判決が出ている。やりにくい時代になったもんだ。 事件の実際は、共同通信社が、ノーベル物理学賞受賞者の益川教授の写真を、2003.6月の読売新聞が掲載した写真を無断で使用し、配信していたというものである。写真は産経新聞大阪本社発行の8日朝刊に掲載された。読売新聞大阪本社が抗議し、共同通信社が著作権を侵害する行為であったとして謝罪したとのことである。つまり、新聞社間の著作権法を廻る盗った盗られたイザコザであるところが興味深い。 自称インテリの多くの者は、共同通信社ケシカラン、読売よ断固追求すべしとする正義論をぶつのだろうが、れんだいこは違うと思う。新聞社同士でさえ首を絞めあう時代になったことを悲しむ。A新聞社がB新聞社の記事なり写真なりを引用、転載することが本当にできないのか。それは本当に賢明なのか。こういう場合、著作権法に照らしてどうなのかを問わねばならないのではないのか。ところが、恐らく誰もそう問わない。 新聞社には、「1997.11月付け日本新聞協会編集委員会のネットワーク上の著作権に関する協会見解」なるものがある。これを仮に「新聞協会著作権見解」と命名する。それによると、新聞記事を利用する際には「事前通知、要承諾制」であることをしきりに説いている。これを厳守する限り、写真流用できないのは自明である。 しかしながら、「新聞協会著作権見解」と著作権法のどちらが優先するのか。著作権法の方が優先するのも自明ではなかろうか。「新聞協会著作権見解」が著作権法に抵触しない場合には、より詳しい手引きのようなものとして遵守すれば良かろう。法律の上下関係は大概そうなっている。あるいはそうなるように目論まれている。 ところが、著作権関係ではそうなっていない。ここに問題がある。究明すべきは、「新聞協会著作権見解」が著作権法の規定を無視して独自の決まりを作っている場合はどうなるかである。れんだいこは、「新聞協会著作権見解」を無効として、早急な見直しを要求する。堂々と「新聞協会著作権見解」破りを勧める。なぜなら、悪法悪見解とは闘わないと良くならないからである。自称インテリにはこの弁えがない。いたずらに従順を説き、悪法悪見解でも従えと云う。否、実際には連中には悪法悪見解という分別もなく単にムードで強権著作権論派の見解に恭順しているだけであろう。 以上の弁を証明するために著作権法の該当箇所を紹介しておく。但し、これをやると膨大になるので、便利式に編成された「れんだいこの著作権論サイト」を紹介しておく。任意なところをクリックして確認すればよかろう。 れんだいこの著作権法考(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/tyosakukenco/) 要するに、著作権法は、「引用、転載は極力できる」と書いてあると読むべきで、近時の強権著作権派の「極力できない、要事前通知・要事前承諾制」的読み込みは違法であるということが言いたい訳である。著作権法上は、1・出典元と出所元を明示し、2・趣旨を歪曲改竄しない限り、3・少なくとも自身の主張が主で引用転載が従である限り、できると考えるべきである。これが原型である。こう読まない法学士が居たら、いったん高校生に戻って現代国語解釈の基礎から勉強し直すべきであろう。 れんだいこは、憲法9条と前文があるにも拘らず、軍隊が創設され、次第に肥大化し、専守防衛区域として東南アジアまでと何度も確認されていたのに堂々とペルシャ湾まで派兵され、今やアフリカだろうがどこだろうが自在になりつつある動きと類似しているとみなしている。しかし、どう詭弁しようと違憲は違憲なのだ。だから連中は憲法改正を急いでいるわけで、現行憲法内でできるのであれば憲法改正する必要もなかろう。それも分からず、何でもイエスする者が多いから暴挙が暴挙とならずに通用しているのではなかろうか。彼らは日頃、法を護れというが、彼らこそ法治主義違反で法テロリストであろう。 強権著作権論派の質の悪さはもっと酷い。著作権法を無視した独自の見解を或る時に作り上げ、著作権法に拠らず締め付けようとしている。これに司法が同調しており、最高裁までもが著作権法よりも「独自見解」に依拠して判決している。法の番人が率先してそういうことをやる酷い時代になったものである。付言すれば、ロッキード事件の際の法曲げ以来、こういうことが罷り通ることになった。 今や日本人1億がそうやって七面倒臭い決まりを作りあって互いに首を絞めあおうとしている。その結果が、こたびの新聞社間写真融通不許可騒動と云う訳である。著作権法上はできるものをできないとして抗議し、謝罪させる、謝罪するからややこしくなるだけのことである。本来はもっと大らかに昔からしてきたように融通し合えばよいだけのことである。多く利用された側は、侵害されたとして怒るのではなく名誉と心得ればよかろうに。そのうち利用され率ランキングなぞすれば却って株が挙がるのではないのか。人様に役立てば本望だろう、却って売れるのだろに。れんだいこはそう思う。 そういう意味で、「新聞協会著作権見解」の早急な見直しに向かうべきだろう。もっとも、審議した結果として逆に強化してはいけない。それは、れんだいこの意図に反する。こういうことまでわざわざ云わねば通じない時代になった。 最後に。その点で、狂人ブッシュはんは事態を見る目が的確だ。新しいことをしようとすれば新しい法案を作る。彼は、なし崩し解釈の道は採らない。2008.10.13日、ブッシュ大統領は、「Pro−IP」法案として知られる著作権侵害の取締強化を目的とした法案「Prioritizing Resources and Organization for Intellectual Property Act」(S.3325)に署名し、法律として成立させた。これにより、米国内での知的情報の融通は大幅に制限され、取締りが強化され、著作権「侵害」とみなされた場合の罰金が大幅に引き上げられることになった。 「当初は、司法省が、著作権者のかわりに著作権侵害の民事訴訟を提起することを認める条項が含まれていたが、司法省自身が反対したこともあり、この条項は削除された」ともある。これがアメリカン民主主義の行き着いた最新事態である。 この「Pro−IP」法案こそ、我が国の強権著作権派の垂涎の法であり、彼らはこれを手本として追って追随することになろう。興味深いことに、この点では、日頃強権著作権論で正義ぶる日本左派運動サヨ派は見事にブッシュ派と共闘関係にある。これが事態の本質である。ブッシュ政策のあれこれを批判しているが、過激なところをたしなめているだけで、あるいは国連を通じてやれと云っているだけで、肝心なところでは繋がって居ると見なしたほうが分かり易い。 2008.10.17日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)