メニュー著作権考 |
(最新見直し2007.8.18日)
Re:れんだいこのカンテラ時評319 | れんだいこ | 2007/08/11 |
【レストランメニュー著作権考】 昨日気づいたことを記憶の定かなうちに記しておく。お盆のこととて墓参りした後近くを周遊し、のどの乾きを覚えたのでとあるレストランに駆け込んだ。この時、テーブル上に置かれているメニューに目が留まった。 多くのレストランは、ウェイトレスが注文取りに来た際にメニュー表を渡し、頃合を見計らって「お決まりでせうか」とやって来るとしたもんだ。あるいはボタンを押してこちらから呼びつける場合もある。いずれにせよ、注文を告げるとメニュー表も回収する。ところが、昨日のレストランはテーブル上に置いたままである。その昔はそうであった。最近は回収される場合が多い。 回収するのは、同業他社がそのメニュー表をカメラ取りなどして参考にするのを嫌がってのことだろう。持ってきたり持ち帰るのは手間隙かかるのだから、そういう理由としか思えない。いわばメニュー著作権のようなものを主張しているのだろう。 ところがどうだ。昨日のレストランは世の流れに逆行してメニュー表を置いたままである。このレストランはかなり有名なチェーン店であり既に老舗でもある。同業他社の活用を知らぬ訳ではあるまいに。これはどういう訳か。そういうことが気にかかり、注文した白玉入りかき氷をかきまぜながらメニュー表に目を落とした。 何でもないような価格表だと思っていたら、オリジナル商材の説明書きが添えられていた。米はどこそこの契約栽培のそれ、野菜、ポテト、ハムのそれぞれ、酢、醤油、油の効能と契約製造云々が説明されている。いわゆる有機農法でヘルシーに気配りしていることを縷々説明している。 なるほどこういうことを読ます為にテーブルに置いているのか、いわば店のもう一つの売りである。しかしまてよ、この店は、こういうメニュー表が同業他社に参考にされることを嫌がらないのか、他の多くの店が嫌がっているというのに。れんだいこの脳内アンテナが作動した。これは重大な発見である。さっそく我が掲示板に書きつけてみよう。 レストランで、メニュー表を置く店と回収する店があるが、その違いはどこにあるのか。これがテーマとなる。興味深いことは、メニュー表を回収する店のそれが同業他者に参考にされたとして困るほど立派なものではないのに比して、メニュー表を置く店のそれは同業他者が参考にしたくなるほど立派なものであることである。 メニュー著作権的理解からすれば、逆にならなければおかしいのではないのか。なぜこういう逆事象が起きるのか。れんだいこは今これを思案している。結論はこうなる。「レストランに於けるメニュー表隠匿事例」は現代的な著作権論の本質を表現しているのではないのか。必要がある方が案外と主張せず、ガラクタの方が妙に拘り主張するという倒錯をそのまま表現しているのではないのか。 これはインターネット・サイトでも然り、世の持ちつ持たれつ世界に於ける気難し系とお人良し系が織り成す社会でも然りなのではなかろうか。権利権利と何でもかんでも主張したがる手合いと縁の下の力持ちを心がける手合いの紋様に似てないだろうか。 この場合、気難し系が頭が良いとか、お人良し系が頭が悪いと云うことは一切ない。何でも主張派が頭角を現すとか、縁の下の力持ち派が逼塞すると云うことは一切ない。むしろ、逆で、気難し系が頭が悪く、何でも主張派が世の嫌われ者になり、お人良し系が万事意欲的で、縁の下の力持ち派が押し上げられて然るべき地位についていることの方が多い。レストランで云えば、メニュー隠し派が流行らずに置き派が隆盛していることの方が多い。 こうなると、メニュー表を置く置かないは、著作権と云うより本質的には思想の問題であるように思えてくる。経営とか生き方の問題に思えてくる。ところがいけない。ここに自称インテリが登場すると、メニュー表をテーブル上に置くような店は著作権の何たるかを知らない野蛮人であり、最近の学の流れが分かっていない云々と説教し始める。中には、店長を呼んで講義し始める者も居るかも知れない。 最近、この種の偏狭著作権論が横行し始めているのではなかろうか。もっと大事なことに背を向け、小さなことに目くじらする種類の正義が跋扈し過ぎているのではなかろうか。こういうことが云いたかったんだれんだいこは。 他にも次のような事例がある。とある旅館に感動して十年ぶりに再訪した。ところが、経営主体が代わり、かっては玄関奥の正面が広く取られ、そこで夜になるとプロの審査員を呼んでのカラオケ大会が行われていたのだが、妙に狭苦しくなっている。確認してみると、広間の半分がブテックになっており、お陰でカラオケ大会は地下で催されていると云う。経営コンサルタントの診断によりそうしたのだと云う。幾分か料理の質も落ちており、もう行くのは止そうという思いで旅館を後にした。 れんだいこは何が言いたいのか。最近の流行り病に汚染されるとろくなことになりはしない、本来あるべき空間と社交を創出せよ、案外と昔の人の方が人間たるものを深く知り物分りが良く賢かったのではなかろうか、それに気づくと伝統とか文化の良いものを継承せよ、逆のものを寄せ付けるな、これにはかなり知が要ることを思え。著作権棒の振り回しは極力控えさせよ、ということになる。 2007.8.11日 れんだいこ拝 |
メニューは置きっ放しが正解でしょう。 | 考察者K | 2007/08/11 |
何気に巡回していましたら、面白い事が書いてありまして、引き込まれてしまいました。おはつの書き込みになります。某所で悪名高き「誤字脱字の帝王」の「考察者K」と言います。よろしくお願い申し上げます。 「メニュー」ですが「著作権の関係で回収されている」というのは始めて知りました。実は「待たされる間に、次回来た時に、食べる選択肢の情報を考えたいのに回収されてしまう」ので「こんな店二度と来てやるもんか」とマイナスの印象を抱きつつも「何で回収するのだろう?」と疑問でした。 「今日はこれを食べるが、他のメニューの情報収集をすることで、次回の物を物色する」というのは、結構多い比率で存在する考え方ではないでしょうか? 実際、椅子に付いてから「メニュー」が運ばれて選ぶのでは「ゆっくり選ぶ時間もなく、急かされる」と云う感覚になります。Kなどは「取り合えず今回は、誰々さんと同じ」と「メニューすら見ないで決める」こともありますが、何人か一緒に食事する時は「全員がメニューをジックリ見たりすれば、時間がかかるので、初回は『取り合えず』の選択になる可能性が高い」でしょう。 「著作権」は保護された方が良い場合はあるでしょうが、「著作権を盾にした権利意識の拡大的な考え方」で「多くの人が気分を悪くする」のなら本末転倒になっていますね。そもそも、他所の人に「撮影されたら困る」のは「そのメニューの構成などが、どこかのパクリである証拠を押さえられたら困る」からではないか?とすら思えますよね。 メニューなんて、構成的には「それほど差異はない」でしょう。 メニューの構成ではなく「商品」の方の著作権保護かもしれませんが、「見た目」で「食材」や「作り方」を判断できる人なら「メニューの写真を見る」ではなく「実物を食って味わえば、再現可能」だろうと言う気がします。 メニューの回収は「手間」も必要ですし「マイナス要素の多い、理屈面からだけの行動」だと言う気がします。多分、「現場を知らない、机上の空論と遊ぶインテリが作った作法」なのでしょうね。 |
Re:メニューは置きっ放しが正解でしょう。 | れんだいこ | 2007/08/12 |
考察者Kさんちわぁ。「メニュー」が「著作権の関係で回収されている」というのは、突如閃いた推測です。実際には、置き去りにするとメニューが痛むとか食事の際に邪魔になるだろうということかも知れません。しかし、あれこれ考えると、マニュアル作成者が、メニューを著作権と考え、同業他社に情報を盗まれないように配慮するという姑息な意思の下にそのように指示しているのではないかなと気づくことになりました。そう考えれば、回収する行為が整合的に理解でき、他の理由によっては説明が付かない。故に、「メニュー」が「著作権の関係で回収されている」と推測した訳です。 > 「著作権」は保護された方が良い場合はあるでしょうが、「著作権を盾にした権利意識の拡大的な考え方」で「多くの人が気分を悪くする」のなら本末転倒になっていますね。 著作権と云うのは外来的な考えで、もっと云えばユダヤ商法的なものがもたらしている偏狭な何でも金にする貪欲な発想に基づいております。権利化法理論はその際のこじつけ論理であり、まともに当然視するには及ばない。れんだいこはそう考えております。従って、「著作権は保護された方が良い場合はあるでしょうが」的見解は妥協し過ぎと考えます。「著作権は保護されない方が良いのですが、どうしても認めねばならないのはかくかくしかじかに限られます」と云う風にした方が良いと思います。今は逆転しきっております。 聖書普及問題も一考に値します。昔から無料で配布されていました。著作権が認められ強権化されるに及び引用転載が御法度になりつつあります。滑稽なのは、イエスも各福音書記述者も著作権など云わずに、むしろ教えが広まることを願っているのに、その任務に当たる者が最近になって小難しく云い始めていることです。これも転倒です。日共党中央問題も同じです。これについては毎度述べていますのでここでは触れません。 最新の相撲協会の横綱二場所出場停止処分も転倒しています。横綱が病欠休場する場合もあるのに、相撲取れるのに取らさないなどと云う処分はやり過ぎでせう。伝家の抜かずの宝刀を抜いた感じです。しかしいけない。相撲協会の処分が手ぬるいなどと云うコメントも為されているようです。れんだいこは無茶苦茶を云うとあきれております。 こういう転倒倒錯事例が目に付きます。音楽著作権協会がピアノ演奏家を逮捕させるなども酷い。昔なら音楽普及功労者として表彰せねばならぬ者に対して逆に取り締まろうとしている。金を払わないのが理由なら、有線、ラジオ、テレビの音楽番組にも取り立てる必要が有ります。その方面は手抜きして弱い者イジメをしている。実際に取り立てるとしたらその金額が莫大なものになり、歌番組が次第に消えることになるでせう。旅館が複数台のカラオケ機器を持っている場合、一台当たり幾らを掛けるとかなり高額になります。そういう訳で頭を抱えております。 話がどんどん飛びますのでこれぐらいにしておきます。この掲示板を今後とも有効活用致しませう。 2007.8.12日 れんだいこ拝 |
【考察者K 氏の「著作権は押し返す運動をするべきではないのか?」】 | |
「阿修羅」の「雑談専用25」の考察者K 氏の2007.8.18日付け投稿「著作権は押し返す運動をするべきではないのか?」を転載しておく。
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(私論.私見)