新聞記事のネット閲覧有料化考

 (最新見直し2010.12.24日)

 (れんだいこのショートメッセージ)


 2010.12.24日 れんだいこ拝


 日経新聞が率先して、「会員制有料閲覧方式」を打ち出し、新聞記事の冒頭部分のみネット掲載し、それ以上先は読めないようにしている。これをどう判ずるべきだろうか。れんだいこは、「1997.11月付け日本新聞協会編集委員会のネットワーク上の著作権に関する協会見解」から定向進化した著作権強化の流れであり、ますます痴愚かしつつあると見立てる。ジャーナリズム協会は一体、職業の社会的負託をどう考えているのだろうか。どの業界であろうと飯を食うのが最優先で、業界が生き延びる為の方策を講ずるのは至極自然である。然しながら、そうやって飯を食う環境づくりが達成されたなら次に社会的貢献を考えるのも至極当然である。世の中はこうやって持ちつ持たれつの関係で成り立っている。しかしながら、日経新聞の「会員制有料閲覧方式」は、飯を食うだけでなく更に上乗せ利益を狙っての悪巧みに思える。

 彼らの著作権論によれば、人の著作物を無断勝手無料で読めるなどと考える方がオカシイので正義の精神において読めなくするのだ、そのどこがオカシイと云うことになるのであろうが、勝手にすれば良かろうと申し渡しておく。世の中はどんどん進歩しており、そういう偏狭な正義論にお構いなく「お互いがお互いに役立ちつつ飯が食える方法」を案出しつつある。お高くとまった正義論が次第に相手にされなくなりつつある。こういうところは議論して正邪を決めるより、実際に運行して適合させる方が賢明と思う。だから、勝手にすればと思う。

 ジャーナリズム協会が一手一つに「会員制有料閲覧方式」に向かえば向かうほど、人民大衆的著作権派は、「非会員制無料自由転載方式」の場を創造して行くことになるだろう。それが世の中の辻褄合わせである。やがて「非会員制無料自由転載方式」広場が隆盛化し、「良貨が悪貨を駆逐」し始めるだろう。なぜ、そういうことが云えるのか。それは、人間存在の根本様式としての自由性が、非会員制無料自由転載方式広場の空間を欲し続けているからである。いわば本能であり、この本能には誰も立ち向かえない。如何にユダヤ商法的狡知がはびころうとも、最後には駆逐される。そして身内以外には誰からも相手にされなくなるだろう。

 それにしても、読売、産経が率先するのならともかくも、日経が先鞭を切ったところが「今時の日経」らしい。

 2010.12.24日 れんだいこ拝





(私論.私見)