囲碁・将棋棋院の著作権川下非適用精神の真っ当さについて |
更新日/2017(平成29).6.19日
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囲碁・将棋棋院の著作権非適用精神の真っ当さについて | れんだいこ | 2004/02/19 |
今のところこんな考察するのはれんだいこだけかも知れない。それは、「全方位著作権者が文明のシロアリであり、その運動が社会文化のガンであり、如何なる文明もこれに汚染されると衰退し始める」ことを的確に認識しているれんだいこならではの卓見であることによっている、と思われる。 前置きはさておき次のことを思案せねばならない。マスコミが、図書館が、政党が、音楽家が、彼らの営為にことごとく著作権を主張し、「了解なくして使用利用普及相成らぬ」などと宣言し始めるならば、日本文化が長らく育んできた囲碁・将棋棋院も同様にその権利を主張しても良きところ何ゆえに為さないか、ということを。(註、本ブログ時点では、囲碁・将棋棋院は棋譜著作権をナンセンスとして退けていた) れんだいこが思うに、囲碁・将棋棋院は文化というものの伝統についての造詣が深く、真っ当な見識を持っている故ではなかろうか。 囲碁・将棋棋院には数多くの専門棋士が居る。彼らの対戦棋譜はそれこそ専属性のものであり、これに権利を主張することはしようと思えばできる。あるいは新型定石の発明に対して何らかの特権を請求することもできよう。なぜしないのか。ひとえに、彼らの知能及び技術の熟練形成が先人達のそれに負っていることを深く知るからであろう。それはひとえに相互の技術練磨に等しく活用されるべき性質のもので、これを育むことを良しとしておればこそであろう。一言で言えば、「お互い様のお陰さま」という思想があるのではなかろうか。 飯の種は別のところで調達すれば良い。棋士の生活は、対局料、指導料という二つの分野で賄い、その原資を増やすことで懐を肥やそうとする気持ちはあれども、対戦棋譜の掲載に許可が要るとか、それにはゼニが要るなどとは要求しない。彼らは、好きなことやってそれで飯が食えればとりあえず最高の本望であり、それ以上の邪な気持ちを湧かさない。仮に棋譜が掲載されれば光栄であり、多くの者がその棋譜を打ち並べれば誉れであってそれに尽きる。 余得で云えば次のようなことは考えられる。その誉れが回り廻って、知名人となったその人が仮に著作をものせば売れ行きを増し、それがまた別の新たな収入になる。実力が伴えばそのような技ができる。それで良いのではないのか。どこに初手から入り口規制せねばならない理由があろう。この「回り廻っての余得」に自信がない輩がせこい感覚で権利主張しているだけのことではないのか。碁会所、将棋会所にしても然りである。そういう裾野を広げるところが生まれれば、それを育むことが是であり、その逆のことはしない。碁会所、将棋会所に対して著作権料払えなどという請求書を送り付けるなど考えられない。今、「ヒカルの碁」ブームにより多くの青少年少女の愛好家が生まれつつあるが、関係者の多くは手弁当であろう。文化というものの大事さあるいは本質を知っているからではなかろうか。 本来は音楽にしてもそうであろうに。多くの者が愛唱する土壌の中でレコードが、カセットが、CD、著作の売れ行きが増すのではないのか。それを思えば、スナックでカラオケに興じる姿は、むしろ逆に普及に一役買っている訳だから広告宣伝料を戴いても良いくらいだ。カラオケ業者は日本音楽著作権協会(JASRAC、以下「ジャスラック」と云う)に対し既に莫大な金額を支払っているというのに。なぜ末端のスナックまでゼニが取られねばならないのだ。解せないこと夥しい。 新潟の老舗ジャズ喫茶「スワン」が、ジャスラックにより、店内演奏で使われる曲の著作権使用料550万円余りを支払っていないとして、演奏差し止め、楽器、レコードの差し押さえなどを求める仮処分を申し立てられたなどというのは本末転倒も甚だしい。「店主でドラマーでもある佐藤政良さん(62)とともに店に立っていた妻の冨士子さん(71)が、心筋梗塞で突然帰らぬ人となったのは、二回目の調停を数日後に控えた11月15日。『ジャズが好きだし、若い人にも演奏の場を提供したいという思いで、夫婦で何とかやって来た。足が出てもやってきてくれるミュージシャンにも支えられてきたがもう無理だ』と佐藤さん。『店を閉めても支払えといわれている。自己破産するしかないのだろうか』と疲れ切った表情だ」などと聞かされると、胸が締めつけられる。これは著作権に名を借りた組織暴力であり犯罪ではないのか。 これを伝えたのが新潟日報であり、オピニオン記事「ジャズ文化の灯消さないで 老舗やむなく閉店も 演奏使用料が重圧に」であるが、ここにこうして書き付け紹介するのに、新潟日報の許可が要るというのが「1997.11月付け日本新聞協会編集委員会のネットワーク上の著作権に関する協会見解」である。何を馬鹿な、と思うのはれんだいこだけだろうか。 政党も然り。仮に社民党あるいは共産党の機関紙記事を紹介すれば、喜ばれることはあっても何ゆえに「黙って掲載するとは何事だ」と叱られねばならないというのだろう。共産党の場合で云えば、戦前の闘士は治安維持法下で特高の目の網をかいくぐり、アジビラを置いては脱兎の如く走り去っていた。その場に居たものは誰にも知られぬように懐深く持ち帰るなり読み合わせしていた。これを広めてくれる人が居れば願ったり叶ったりではないのか。それがあかん、今は逆に恫喝ないしは告訴の対象にされている。一体、れんだいこと最近の共産党(これを「日共」と蔑称で呼ぶ)のどっちが狂っているのだろう。 とか、いろいろ書きつけてみた。これを投稿し公開しておく。 2004.2.19日 れんだいこ拝 |
【囲碁将棋棋院のインターネット対局考】 |
囲碁将棋棋院はもう一つ良いことをしている。最近インターネットを使って囲碁将棋に興じる道が開けた。既に数十のサイトが開設され、中には無料のものも多く、有料の場合には棋譜が取れたり、専門棋士と対局できたり指導を受けることができる等々の特典付きで且つ月額料金が比較的低額設定されている。どちらも世界中の見ず知らずの人と対局できる。そういう訳で囲碁将棋ファンに有り難がられている。囲碁将棋会所もインターネットを敵と見なさずに、店舗に複数台用意して顧客サービスに努めている。 囲碁将棋棋院が、ひたすら愛好家の需要に応えようとしており、インターネットと云う最新科学技術機械をその為の道具として利用せんとしていることが分かる。ここには、多くのファンの育成が文化の裾野になることを熟知し、幅広い裾野に支えられる業界の在り方を通じて伝統文化を守り愛育発展せしめようとする極めて健全な精神が宿っているように思われる。 れんだいこが、なぜこれに注目するのか。それは、ジャスラックの営業姿勢と余りにも対極的だからである。囲碁将棋棋院には著作権的規制は微塵もない。ジャスラックの場合、これに相当するのがカラオケ機器による歌唱演奏と思われるが、ジャスラックは、ファンの歌唱演奏に対して著作権侵犯論で課金制を敷き、目先の利益を追うことに傾注努力している。個人単位では実情把握できないと云う理由で店舗経営者に課金し、それも面積割で課金し、従わない経営者に対しては裁判にかけてでも警察に逮捕させてでも取り立てている。しかも、カラオケ機器を導入した時点に遡って制裁的別枠料金制による巨額課金で徴収攻めにしている。とかく横暴横柄さが目につく。 囲碁将棋棋院の在り方は、ジャスラックの異常性を測る物差しになるのではなかろうかと思い採り上げコメントしておく。 2009.3.8日 れんだいこ拝 |
【棋譜著作権考】 | |||||||||
「囲碁の棋譜でーたべーす」の「棋譜の著作権について」を転載する。
「勝手に将棋トピックス」の「[将棋界][著作権] 日本将棋連盟による「棋譜の著作権」の主張について」2012年02月26日を転載する。
「将棋の棋譜に著作権はない」を転載する。
「解決済みのQ&A 棋譜の著作権について」を確認する。
「「インチキ数字」研究家(ほぼ自称) 元木一朗のブログ」の「将棋の棋譜の著作権について(勉強中につき、メモ書き)」(2008年06月27日)
「囲碁の棋譜の著作権について」。
「ネット将棋生活」の「棋譜と著作権 」(2011年 04月 10日)
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(私論.私見)