囲碁・将棋棋院の著作権川下非適用精神の真っ当さについて

 更新日/2017(平成29).6.19日

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 囲碁・将棋棋院の著作権非適用精神の真っ当さについて れんだいこ 2004/02/19
 今のところこんな考察するのはれんだいこだけかも知れない。それは、「全方位著作権者が文明のシロアリであり、その運動が社会文化のガンであり、如何なる文明もこれに汚染されると衰退し始める」ことを的確に認識しているれんだいこならではの卓見であることによっている、と思われる。

 前置きはさておき次のことを思案せねばならない。マスコミが、図書館が、政党が、音楽家が、彼らの営為にことごとく著作権を主張し、「了解なくして使用利用普及相成らぬ」などと宣言し始めるならば、日本文化が長らく育んできた囲碁・将棋棋院も同様にその権利を主張しても良きところ何ゆえに為さないか、ということを。(註、本ブログ時点では、囲碁・将棋棋院は棋譜著作権をナンセンスとして退けていた) れんだいこが思うに、囲碁・将棋棋院は文化というものの伝統についての造詣が深く、真っ当な見識を持っている故ではなかろうか。

 囲碁・将棋棋院には数多くの専門棋士が居る。彼らの対戦棋譜はそれこそ専属性のものであり、これに権利を主張することはしようと思えばできる。あるいは新型定石の発明に対して何らかの特権を請求することもできよう。なぜしないのか。ひとえに、彼らの知能及び技術の熟練形成が先人達のそれに負っていることを深く知るからであろう。それはひとえに相互の技術練磨に等しく活用されるべき性質のもので、これを育むことを良しとしておればこそであろう。一言で言えば、「お互い様のお陰さま」という思想があるのではなかろうか。

 飯の種は別のところで調達すれば良い。棋士の生活は、対局料、指導料という二つの分野で賄い、その原資を増やすことで懐を肥やそうとする気持ちはあれども、対戦棋譜の掲載に許可が要るとか、それにはゼニが要るなどとは要求しない。彼らは、好きなことやってそれで飯が食えればとりあえず最高の本望であり、それ以上の邪な気持ちを湧かさない。仮に棋譜が掲載されれば光栄であり、多くの者がその棋譜を打ち並べれば誉れであってそれに尽きる。

 余得で云えば次のようなことは考えられる。その誉れが回り廻って、知名人となったその人が仮に著作をものせば売れ行きを増し、それがまた別の新たな収入になる。実力が伴えばそのような技ができる。それで良いのではないのか。どこに初手から入り口規制せねばならない理由があろう。この「回り廻っての余得」に自信がない輩がせこい感覚で権利主張しているだけのことではないのか。碁会所、将棋会所にしても然りである。そういう裾野を広げるところが生まれれば、それを育むことが是であり、その逆のことはしない。碁会所、将棋会所に対して著作権料払えなどという請求書を送り付けるなど考えられない。今、「ヒカルの碁」ブームにより多くの青少年少女の愛好家が生まれつつあるが、関係者の多くは手弁当であろう。文化というものの大事さあるいは本質を知っているからではなかろうか。

 本来は音楽にしてもそうであろうに。多くの者が愛唱する土壌の中でレコードが、カセットが、CD、著作の売れ行きが増すのではないのか。それを思えば、スナックでカラオケに興じる姿は、むしろ逆に普及に一役買っている訳だから広告宣伝料を戴いても良いくらいだ。カラオケ業者は日本音楽著作権協会(JASRAC、以下「ジャスラック」と云う)に対し既に莫大な金額を支払っているというのに。なぜ末端のスナックまでゼニが取られねばならないのだ。解せないこと夥しい。

 新潟の老舗ジャズ喫茶「スワン」が、ジャスラックにより、店内演奏で使われる曲の著作権使用料550万円余りを支払っていないとして、演奏差し止め、楽器、レコードの差し押さえなどを求める仮処分を申し立てられたなどというのは本末転倒も甚だしい。「店主でドラマーでもある佐藤政良さん(62)とともに店に立っていた妻の冨士子さん(71)が、心筋梗塞で突然帰らぬ人となったのは、二回目の調停を数日後に控えた11月15日。『ジャズが好きだし、若い人にも演奏の場を提供したいという思いで、夫婦で何とかやって来た。足が出てもやってきてくれるミュージシャンにも支えられてきたがもう無理だ』と佐藤さん。『店を閉めても支払えといわれている。自己破産するしかないのだろうか』と疲れ切った表情だ」などと聞かされると、胸が締めつけられる。これは著作権に名を借りた組織暴力であり犯罪ではないのか。

 これを伝えたのが新潟日報であり、オピニオン記事「ジャズ文化の灯消さないで 老舗やむなく閉店も 演奏使用料が重圧に」であるが、ここにこうして書き付け紹介するのに、新潟日報の許可が要るというのが1997.11月付け日本新聞協会編集委員会のネットワーク上の著作権に関する協会見解である。何を馬鹿な、と思うのはれんだいこだけだろうか。

 政党も然り。仮に社民党あるいは共産党の機関紙記事を紹介すれば、喜ばれることはあっても何ゆえに「黙って掲載するとは何事だ」と叱られねばならないというのだろう。共産党の場合で云えば、戦前の闘士は治安維持法下で特高の目の網をかいくぐり、アジビラを置いては脱兎の如く走り去っていた。その場に居たものは誰にも知られぬように懐深く持ち帰るなり読み合わせしていた。これを広めてくれる人が居れば願ったり叶ったりではないのか。それがあかん、今は逆に恫喝ないしは告訴の対象にされている。一体、れんだいこと最近の共産党(これを「日共」と蔑称で呼ぶ)のどっちが狂っているのだろう。

 とか、いろいろ書きつけてみた。これを投稿し公開しておく。

 2004.2.19日 れんだいこ拝

【囲碁将棋棋院のインターネット対局考】
 囲碁将棋棋院はもう一つ良いことをしている。最近インターネットを使って囲碁将棋に興じる道が開けた。既に数十のサイトが開設され、中には無料のものも多く、有料の場合には棋譜が取れたり、専門棋士と対局できたり指導を受けることができる等々の特典付きで且つ月額料金が比較的低額設定されている。どちらも世界中の見ず知らずの人と対局できる。そういう訳で囲碁将棋ファンに有り難がられている。囲碁将棋会所もインターネットを敵と見なさずに、店舗に複数台用意して顧客サービスに努めている。

 囲碁将棋棋院が、ひたすら愛好家の需要に応えようとしており、インターネットと云う最新科学技術機械をその為の道具として利用せんとしていることが分かる。ここには、多くのファンの育成が文化の裾野になることを熟知し、幅広い裾野に支えられる業界の在り方を通じて伝統文化を守り愛育発展せしめようとする極めて健全な精神が宿っているように思われる。

 れんだいこが、なぜこれに注目するのか。それは、ジャスラックの営業姿勢と余りにも対極的だからである。囲碁将棋棋院には著作権的規制は微塵もない。ジャスラックの場合、これに相当するのがカラオケ機器による歌唱演奏と思われるが、ジャスラックは、ファンの歌唱演奏に対して著作権侵犯論で課金制を敷き、目先の利益を追うことに傾注努力している。個人単位では実情把握できないと云う理由で店舗経営者に課金し、それも面積割で課金し、従わない経営者に対しては裁判にかけてでも警察に逮捕させてでも取り立てている。しかも、カラオケ機器を導入した時点に遡って制裁的別枠料金制による巨額課金で徴収攻めにしている。とかく横暴横柄さが目につく。

 囲碁将棋棋院の在り方は、ジャスラックの異常性を測る物差しになるのではなかろうかと思い採り上げコメントしておく。

 2009.3.8日 れんだいこ拝

【棋譜著作権考】
 「囲碁の棋譜でーたべーす」の「棋譜の著作権について」を転載する。
 「純粋な棋譜(碁の勝負を記録したもの)には著作権はないとの意見が世の大勢のようですし※、 囲碁を楽しむ為には棋譜は誰でも利用できる方が良いように思います。当サイトではこのような考えを元に、著作権の存在しない棋譜のデータベースを作成しています。 ※棋譜に著作権を主張される方も一部におられるようですが、 この分野が専門の法学者が著作権無しと数名結論付けておられます。 『知的財産法講義II 第2版 著作権法・意匠法』(渋谷達紀著、有斐閣、2007年6月10日発行) 最近(2009/5)では北海道大学教授の田村善之氏への質問へのメールでの解答。無論、これ以前に加戸守行氏著『著作権法逐条講義』においては私見ながらと断った上ですが、 棋譜に著作権のあるかのような記述もあるにはあります。ただこれは論じている本題と離れた話題でもあり、正面切って著作権の有無を論じたものでは無いのは明らかです。こうして見ると「棋譜に著作権があるかどうかはグレー」との主張はもはや成立せず、 「棋譜に著作権なし」とするのが、法学者の間での定説となっていると言ってよいように思います」。

 勝手に将棋トピックス」の「[将棋界][著作権] 日本将棋連盟による「棋譜の著作権」の主張について」2012年02月26日を転載する。
 「日本将棋連盟がニコニコ動画上の将棋関連動画を削除」の続きです。今回の動画削除に関して、将棋関連動画を削除することが将棋界においてどのような意味を持つのか、という点と、それに伴う権利の主張が正当かどうかという2つの問題が考えられます。より重要なのは前者だと思いますが、今日は後者に関連して、私が以前から関心を持っている「棋譜の著作権」に関する話題について書きます。前者についても、後日書きたいと思います。

 棋戦ごとの違い

 2ちゃんねるの書き込みで指摘があって気づいたのですが、削除された動画が扱っていたどの棋戦の棋譜だったかによって、削除され具合に明らかな差が見られます。具体的には、名人戦・順位戦と王位戦・女流王位戦が目立ち、残りは非公式対局((将棋) 羽生善治×渡辺明 (次の一手名人戦) 前編、郷田真隆 × 三浦弘行 (解説:藤井猛) 1/3など)が主です。名人戦・順位戦が多いのは、名人戦七番勝負とA級順位戦最終節がNHKBSで生中継されるため素材が多いことから自然ですが、王位戦も目立つ理由はよくわかりません。そして、竜王戦やNHK杯戦関係の動画で日本将棋連盟の申し立てによって削除されたものは、私が検索して探した範囲では見あたりませんでした。また、それ以外の棋戦についてはきちんと調べていませんが、見ない印象です。

 このことから、動画削除を申し立てた人は、明らかに棋譜によって態度を変えていると考えられます。ただ、単なる棋士紹介の動画なども削除されていることから、特定の棋戦に関するものだけを狙い撃ちにするのが目的だったのか、ほかの棋戦はこれからということなのか、釈然としないところがあります。

 特に、棋譜と著作権についていくつか(続)で紹介したように、2011年3月に「棋譜の著作権」を否定する内容の記事が毎日新聞に掲載されたことをふまえると、毎日新聞が主催社である名人戦・順位戦について、あえて「棋譜の著作権」を行使してくる理由が私にはわかりません。しかしいずれにしても、棋譜を自分の手で並べただけでプロ棋士の映像を利用しない動画のように、「棋譜の著作権」がなければ削除を申し立てられないようなものまで対象になっていることから、削除を申し立てた人は「棋譜の著作権」に訴える何かしらの理由があったのでしょう。

 日本将棋連盟のこれまでの態度

 日本将棋連盟が公式サイト(shogi.or.jpドメイン上)で「棋譜の著作権」について言及したことはこれまで一度もありません。その他の対応については、wikipediaの記述が妥当だと思います。(今回の削除がすでに書き加えられました。)「日本将棋連盟は、過去には法的根拠は無い(棋譜に著作権は無い)とした上で、収入問題に発展しかねないので頒布を控えてほしいとの「お願い」をネットコミュニティに対して行っていたが、最近では、棋譜に著作権ありとして、許諾を得ない掲載や転載を禁じているケースもあり、必ずしもスタンスは一定していない。一時、江戸時代の棋譜に著作権を主張し、物議をかもしたこともある(後に撤回された)。2012年2月現在、ニコニコ動画に於いては現役故人を問わず日本将棋連盟所属棋士の棋譜に著作権を主張し、棋譜を機械的に再生した動画を削除させている」。

 一般的に考えると、「棋譜の著作権」については、大きく分けて次の4通りの態度が考えられると思います。1. 棋譜は著作物でないと認める。2. 棋譜の著作物性について、あいまいな態度を取る。3. 棋譜は著作物であると明確に主張するが、権利行使(動画削除を求めるなど)は原則としてしない。4. 棋譜は著作物であることを前提に、権利を行使する。

 日本将棋連盟はこれまで2.の態度を取ってきました。(ちなみに、囲碁の日本棋院は3.です。)このことは、米長邦雄永世棋聖(現 日本将棋連盟会長)が2002年に『近代将棋』2002年7月号で次のように書いたことにも表れています。

「棋戦の期間中ほぼ一年間は主催紙に総ての権利があり、それから後は日本将棋連盟と主催紙が共有です。この場合の権利という意味は、あくまでも独占掲載権であって、それが即ち著作権なのかどうかはわかりません。将棋界はそれで良いのであって、少々いい加減の処があります」。

 最近では、2010年9月28日に西尾明六段がtwitterでつぎのようなつぶやきを残しています。

「プロの棋譜であればそうなるんですかね。でも、かなりうやむやな気がします。"@yuusaku_takamu: @nishio1979 著作権はスポンサー&連盟?でしょうか。"Twitter / 西尾明」、「@miyamotometi もちろん指し手に著作権はありません。ただ、新聞掲載以前の棋譜等には敏感なところもあります。Twitter / 西尾明」、「あ、つまり指し手の著作権はないですが、棋戦や対局者を明記した棋譜全体に著作権が存在する可能性は考えてよいと思います。ちなみに対局の翌日に全棋譜をつぶやいたら、あとで怒られそうですw Twitter / 西尾明」。

 つまり、プロ棋士の間でも著作権についてどのようになっているのか、確固とした認識があるわけではなく、なんとなくあいまいなまま現在に至るというところだと思われます。

 「棋譜の著作権」をめぐる趨勢

 下記の2つの記事でも記したとおり、私は棋譜が著作物と認められる可能性はあると考えていますが、同時にその可能性は高くないとも思っています。特に、渋谷達紀『知的財産法講義II 第2版 著作権法・意匠法』の出版以降は、棋譜の著作物性を積極的に肯定する見解が弁護士などの専門家から出たのを見たことがありません。

 そのような情勢を今回申し立てを行った人が理解していたとすれば、今回削除された動画をアップロードした人が裁判に訴えることによって、棋譜の著作物性を否定する判例が生まれる可能性を視野に入れているはずです。日本棋院のように上の3.の態度で止まっていれば、紛争にならないので判例が出ることもありませんが、一気に4.に移行することによってそのような可能性を生じてしまっているわけです。

 日本将棋連盟が2.の態度を取ることは、将棋ファンから見ると、「棋譜の著作権」を恐れる心理がある中で、それほど気にしない人によってそれなりの規模で棋譜が利用されるという状況です。このように、長年かけて育ってきた微妙なバランスが、今回の削除によって壊れる可能性があります。どちらに転ぶかわかりませんが。

 棋譜の部分的利用

 そんなわけで、棋譜の著作物性はあるかもしれないしないかもしれないという状況ですが、もし「ある」と仮定したときに、今回の申し立てにどのような問題があったのかを考えてみます。論点はいくつか考えられますが、私がもっとも問題と考えているのは棋譜の部分的利用に関するものです。

 今回削除された動画には、名人戦などの対局を部分的に切り取ったものが多く含まれています。このような動画を「棋譜の著作権」を理由に削除するということは、たとえ棋譜を一部しかコピーしていなくても著作権侵害であると主張していることになります。これは受け入れがたい主張です。

 棋譜がまるごと再現されることは、現実的に見て、過去の棋譜を複製されることとほぼ同じといえます(依拠性の問題はありますが)。しかし、様々な場面で、部分的な棋譜が再生されることは珍しくありません。たとえば、大盤解説会でプロ棋士が過去に指された対局でこんな手順があったと述べたとすると、これは部分的な棋譜が再生されたことになります。したがって、棋譜の部分的利用が著作権侵害になるならば、そのような場合でもいちいち著作権者の許諾を得る必要があります。この結論に納得する人はいないでしょう。

 今回の一連の削除では、指し手が映像に映っていれば「棋譜の著作権」を理由に削除申し立てという安直なやり方がとられていましたが、これは棋譜の著作物性を肯定する立場の人から見ても許容されがたい手法だと考えます。棋譜の著作物性を肯定するにしても、ほぼ全局まるごと複製しない限り著作権侵害にならないという理屈がつくような論理構成を考えるべきです。

 「棋譜の著作権」を主張する前にすべきこと

 今回、日本将棋連盟は2.から4.に態度を変えました。たとえ、棋譜の著作物性が肯定されたとしても、この一足飛びの変更は性急すぎるといえます。

 「棋譜と著作権についていくつか(続)」で紹介したように、日本棋院は「棋譜の著作権」を主張するにあたって、日本棋院とプロ棋士との契約関係などの整備を進めました。上で引用した西尾六段のつぶやきを見ても、日本将棋連盟でそのような契約が行われた形跡はないと言ってよいと思います。今回の削除は「公益社団法人日本将棋連盟」の名義で行われましたが、何も契約がなければ著作権者は著作者である対局者です。日本将棋連盟が著作権侵害を申し立てる立場にあったかどうか疑問です。

 また、権利を主張するときは、同時に他者の権利を尊重する必要があります。今回削除された動画には、物故棋士や片方がアマチュアの対局も含まれていました。もし棋譜の著作物性を肯定するならば、日本将棋連盟に所属していないアマチュア棋士や、すでに逝去したプロ棋士の遺族などから、「棋譜の著作権」に関する許諾を得る手続きを済まなければ棋譜が利用できません。本当にそのような手続きができていたのでしょうか。

 以上のように、今回の動画の削除には多くの問題があります。下記の26日の西尾六段のつぶやきからも、日本将棋連盟内部でこの件に関する意志統一ができているのか非常に疑問であり、今回削除申し立てをした人の暴走に近いのではないかという疑いを持っています。「これ初耳。確かに対象が棋譜というのは変な感じ。確認してみよ"@redipsjp: プロの棋譜をソフトで再生した動画について,将棋連盟が「棋譜の著作権侵害」を理由に削除を求めているらしいけど,無理筋ではないですかね。bit.ly/yUUNil"Twitter / 西尾明」、「有料コンテンツの棋譜をほぼリアルタイムで垂れ流されることがあれば取り締まるべきだと思うが。棋士も新聞に載る前の棋譜をネットなどで紹介する際には制限が掛かる。Twitter / 西尾明」ということで、「棋譜の著作権」の行使に関する疑問点について書きました。それとは別個に、そもそも動画を削除する行為がどうなのかという論点も重要です。これについては後日書きたいと思います。

 追記:さらに調べたところ、王座戦で削除された動画が見つかりました。「将棋 第56期王座戦五番勝負第1局 羽生善治 vs 木村一基」。しかし、動画の説明文に「王位戦、最終局までもつれましたね。」という記述があることから、王位戦の対局と誤認された可能性もあります。それから、前回の記事で「対象物: 将棋連盟所属棋士の棋譜」という理由と「対象物: 棋譜」という理由の2種類がありその違いは不明と書きましたが、調べた範囲では、前者が名人戦・順位戦など、後者が王位戦という区別になっているようです。2度にわけて申し立てをおこなった際に、別々の記述がなされたということかもしれません。


 「将棋の棋譜に著作権はない」を転載する。

 将棋の棋譜には著作権があるのか、といったことはいろいろなところで議論されています(「日本語のリンク」参照)。多くの人が混乱している様子が見えます。世界的に多くの人が指しているチェスの世界では、棋譜に著作権がないとされています。そこで、欧米における棋譜と著作権の解釈について知るべく、 The Shogi Discussion Listにて棋譜と著作権について議論をしました。その議論は、以下からすべて読むことができます。簡潔にまとめると、このようになります。

  • 棋譜は創作物(creation)ではなく事実の記録(facts)であるため、チェスの棋譜は著作物であるとはみなされない。
  • 棋譜に対するコメントは著作物であるため、コメントが入った棋譜も著作物となる。したがって、コメントつきの棋譜を再配布するときには、元の棋譜からコメントを取り除かなければ、著作権侵害となる。
  • FIDE(世界チェス協会)が、数年前チェスの棋譜を管理下におこうとして、猛反発を受けた。FIDEは、棋譜に著作権を与えることが可能であるかどうかを真剣に検討したが、それは無理であった。
  • チェスでは、多くの棋譜がパブリックドメインとして公開されている。
  • 欧米諸国の法律では、チェスや将棋の棋譜を、自由に交換できる。
  • 単独の棋譜には著作権はなくても、棋譜を集める過程で創作的な活動をしている場合には、複数の棋譜を集めた棋譜集に著作権が発生する可能性がある。
  • プロの棋譜とアマの棋譜で著作権の有無を分けるのはおかしい。

 この欧米における著作権の解釈をふまえると、欧米から輸入された著作権という概念を元にして作られている日本の著作権法において、棋譜に著作権があると解釈される、と主張するだけの根拠はありません。したがって、私は将棋の棋譜に著作権はないと主張します。


 「解決済みのQ&A 棋譜の著作権について」を確認する。
 問い「囲碁・将棋の棋譜で、既に亡くなられた棋士の残された棋譜集の棋譜を、ネット上に勝手に公開する事は問題ないのでしょうか。例えば、ヒカルの碁で有名となった囲碁の本因坊秀策の棋譜の著作権は、発生するとなれば何に帰属するのでしょうか。棋譜全集に掲載のある棋譜全てを、自分のホームページに掲載した場合、著作権違反なのか。違反であれば、それは出版社に対してなのか。などです。駄文で申し訳ないですが、ご回答をお願い致します」。

 回答「そもそも棋譜に著作権はあるんですか? 文化庁の見解では「棋譜自体は事実の記録であって、著作権はない」と言っています。将棋連盟も著作権はないが、掲載権という言葉を作って運用しています。掲載権はスポンサーとなる新聞社間の紳士協定のようなもんで、法的なものではありません。

 将棋の場合、棋譜データベース
 http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?page=FrontPage
 に新しいプロ棋士の対局棋譜も満載ですよ。将棋の場合は、まだ生きている方の最新棋譜でも問題ないという実例です。(連盟は白黒はっきりつけようとすると、著作権がないことが明確になるのを恐れている)百歩譲って、棋譜に著作権があったとしても、没後50年で著作権は切れますから、本因坊秀策の棋譜の著作権は切れています」。

 「「インチキ数字」研究家(ほぼ自称) 元木一朗のブログ」の「将棋の棋譜の著作権について(勉強中につき、メモ書き)」(2008年06月27日)

 囲碁の棋譜の著作権について」。
 私は最近、趣味で囲碁を始めました。今は昔と違って、新聞の囲碁欄だけではなく、ネット上の色んな所でプロの棋譜(対局の経過・結果などを記録したもの)が公開されています。そこで質問ですけど、こういった棋譜には著作権があるのでしょうか? これについては、「ある」という意見と「ない」という意見の両方あってよく分かりません。日本棋院(プロ棋士が所属する団体)は、「棋譜には著作権がある」という立場をとっているそうです。ただし、文化庁は将棋の棋譜については著作権はないという見解を示した、と聞いたことがあります。だったら、将棋の棋譜も囲碁の棋譜も同じだと思いますけど、法律的にはどちらが正しいのでしょうか? 私のブログにプロの棋譜をアップしたいと思っているのですけど、ここがハッキリしないため勝手にアップしていいものかどうか考え中です。

 みんなの回答「岡田 晃朝弁護士確かに、見解は分かれているようです。当職は個人的には、棋譜は、創作物というよりアイデアに近いもので、それ自体は著作物でないと考えております。しかし、独創的な棋譜の記載・表現を用いた場合、棋譜自体の中身でなく、その表示の仕方が著作物となることはあると考えます。2011年06月21日 08時46分」。

 「ネット将棋生活」の「棋譜と著作権 」(2011年 04月 10日)
 将棋のブログをやっていると棋譜の局面図を張りたくなります。棋譜の著作権はどうなっているのかいつも気になるので調べてみました。wikipediaの「棋譜」ページを読む限りでは、どうやら棋譜に著作権はないようです。棋譜に著作権があるのか否かについては、過去さまざまな議論が行われており、法律の専門家の中にも著作権ありとする見解があったが、2007年に渋谷達紀による著作権を否定する見解が出されて以来、知財法の専門家の間では棋譜に著作権無しとみなされている。

 裁判になったことがないので判例はなく、日本の法学者たちの見解が変わってきたということです。要するに、昔は棋譜に著作権が認められるという空気だったけど、今は認められないという空気ということでしょうか。ちなみに、欧米のチェスでは、もともと著作権はないようです。「棋譜は著作物ではなく事実の記述」ということで、誰でも自由に転載できるとのこと。「棋譜に著作権はない」ということについて議論の余地さえないようです。日本だけ棋譜に著作権を求めるというのは無理筋のような気がしてきます。世界の著作権法の慣例を覆して、「棋譜に著作権がある」というロジックを組み立てることが本当にできるでしょうか。当たり前ですが、棋譜に解説が付いていた場合は、その「解説」には著作権が発生しますけど。

 ちなみに、日本将棋連盟としては、頒布は控えて欲しいということのようですね。棋譜が極端に流通してしまったら、将棋の戦法書が売れなくなるとか、プロ将棋の有難味がなくなるとか、そういう大人の事情がありそうです。

 ということで、結論。・現代の潮流として棋譜に著作権はないので、本来はブログに局面図を載せるくらいで問題は発生しえない。・ただし念のため、メールアドレスやコメント欄のようなコンタクト手段を明示しておいて、連絡がきたら誠実に対応する。結論というより、「落とし所」といったところでしょうか。



 



(私論.私見)