ウィキペディアのコピーレフト思想考 |
(最新見直し2006.11.13日)
(れんだいこのショートメッセージ) | |||
れんだいこは、「フリー百科事典ウィキペディア」を利用する。ネオ・シオニズム解析には役に立たないが、一般に世の中の分からないことを知るのにとても重宝な事典である。この事典は、世の人々の知的啓蒙に資する為に無料のサービスを提供しているようで、俗にこれは「コピーレフト」思想と呼ばれる。 次のように記されている。(2005.12.4日現在確認するのに出所元が分からなくなってしまった。以前の記述かも知れない)
「Wikipedia:著作権」を参照すると、概要「コンテンツへの自由なアクセス許可。複製、改変、再配布の規制緩和」を目指しているように思える。次のように述べている。
これらの試みは、このところとみに進行しつつある自称知識人たちによる全方位全域著作権化に静かなる叛旗を翻しているように見える。近時の傾向は全体としては、活字著作物に対して全域の著作権を認めたうえでの規制緩和的動きにあるので、れんだいこの著作権論とは又違うもう一つの「全方位全域著作権化に対する叛旗」という意味で共同戦線化できるように思われる。 今やはっきりしつつある。自称知識人サヨウヨたちによる偏狭な知的囲いの悪趣味をそれとして見定め、これに堰止めする有効な手法を確立せねばならない。ふざけたことに、サヨウヨたちは、偏狭な知的囲い趣味化を正義の名において正当化せんとしている。こういう輩がインターネット界にも跋扈している。我々は、断固として、その非を衝かねばならない。そして我らの自由な言論空間を押し広げていく為に共同せねばならない。「知の練磨と共認、共有」は、いわば知の本能であると心得、この本能に棹差す輩に対して、これを知の破壊者として見定め対峙せねばなるまい。 全く馬鹿げた話であるが、ウヨはともかくサヨまでがこれを推進しつつある。サヨの何たるかのお里が知れていよう。してみれば、政治も宗教も知の啓蒙も、ひねくれ者はひねくれたことにしか夢中になれないという訳か。それなら辻褄は合っていることになる。 日本左派運動は、真に左派化を望むなら、裾野形成に於いて邪道にしかならないウヨサヨ著作権論ーそれは欲深著作権ないしは資本主義著作権とでも言い換えても良いーと断乎として闘わねばならない。れんだいこはそう思う。 2004.11.14日、2006.11.13日再編集 れんだいこ拝 |
【コピーレフト考】 | |||||||||||||||||||||
「フリー百科事典ウィキペディア」が「コピーレフト」思想によるオープンサイトであることは分かったが、では、「コピーレフト」思想とはどのようなものであるのだろうか。これを確認しておく。検索で取り寄せた、「コピーレフト」、「コピーレフトって何?」、「コピーレフト」、「コピーレフト(左著作権)という概念」(2001.10.3日) 」等々を参照する。 れんだいこ理解に拠ると、「コピーレフト」思想とは次のようなものである。 現代著作権は、学問的著作の先行的オリジナリティに対する排他的保護を基本原理として組み立てられている。これにより、先行著作者ないしは先行著作物は著作権で保護され、後続の者がこれを無断で利用できないように法的規制されている。この思想及び制度を仮に「コピーライト」と命名する。 この「コピーライト」に対する「コピーレフト」(copyleft) と呼ばれる思想ないし制度が生まれた。「コピーレフト」は、1984年にフリーソフトウェア財団を設立した天才プログラマと評されるリチャード・ストールマンによって提唱された概念であり、元々はプログラムをフリーソフトウェアにする試みから始まった。ストールマン博士は、現代著作権法的規制に何らかの不便を感じたのだろう、パブリックドメインを排他的なものから開放的なものへ転換させ、非著作権的に誰でもが使えるようにオープンにし、相互に改良を重ねることでプログラムの質を漸次向上させ、その成果をも又相互フリーに共有していく方が「より生産的ではないか、より合理的ではないか」と発想した。 但し、そのようにして取り込んだプログラムを排他的に著作権化する者が出てこないように次のようにルール化し、これの遵守を誓約する者間で運用しようと提案した。かくて次のような申し合わせとなった。
リチャード・ストールマン氏の提起したこの手法はその後、プログラムのみならず活字形著作物にも適用されるようになった。その代表的事例が「フリー百科事典ウィキペディア」である。但し、この「コピーレフト」思想を生かす為には、「コピーレフト思想冒涜者」を防ぐ為の対策を講ぜねばならない。そこで、次のような「ルールとマナー」を約定とすることにより、これを守る者間で著作物の成果をフリーに共有できるようにしようとしている。 れんだいこが理解するところによる整理すると次のようになる。
これにより、「コピーレフト空間」に於いては、著作権法規制に煩わされること無く、著作権規制対象物に対して自由に利用することができるようになる。この試みは、著作権法 (copyright) の法理論を認めつつもその思想と制度の対極に立とうとしているところから、「コピーレフト」(copyleft)と云われるようになった。「コピーレフト」という用語が生み出された経緯について次のように語られている。
「コピーレフト」呼びかけ人は次のように語っている。
潮木守一氏は、「オンライン・ジャーナルの可能性と課題」(http://www.gsid.nagoya-u.ac.jp/user/prof/p1ushiogim/experiment.htm#n9)で次のように述べている。
畑仲哲雄氏は、「プレスルームの概略・理念・利用法について」(http://ing.alacarte.co.jp/~press/press.htm)で次のように述べている。
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【「コピーレフト」が生み出された経緯考】 | |
「コピーレフト」が生まれた歴史的背景事情が次のように説明されている。
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【コピーレフト考】 | ||
「コピーレフト(左著作権)という概念」(2001.103日) 」は次のように述べている。
「Wikitravel:旅行者の役に立つコピーレフトなコンテンツ 」(著者: MisterBad、日本語訳:
yomoyomo)は次のように述べている。
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【コピーレフトと似て非なるもの考】 | |
現在、「コピーレフト」以外にも「似て非なるもの」が生み出されている。これについて分かりやすい解説が無いので、れんだいこ的に無理矢理理解すると次のようになる。右から左へこれを見ていくと、
1・オープンソース、2・BSD、3・X
Window System、がまず右に位置する。次に、4・「フリーソフトウェア」(Free Software
Foundation、FSF)、5・クリエイティブコモンズ、6・コピーレフトという順に左傾化している。 オープンソースや、BSDやX Window Systemには、思想的な共有性は無く、現行著作権制度下での「自由性」を求めたもので現行著作権法をやや左傾化させた手法とみなせる。「現在のライセンス保持者の自由を最大限にしたもの」と評されている。 「コピーレフト」と似て非なるものに「フリーソフトウェア」(Free Software Foundation、FSF)というものがある。フリーソフトウェアと「コピーレフト」の類似と相違について次のように説明されている。 れんだいこ理解に拠れば、制限のない共有と共同的な創造活動をおこなうのに、著作物をパブリックドメインにおいて、独占的な状態への移行を許さない共有的な仕組みが「コピーレフト」であり、「コピー/改変した共有物を共有的な状態から、独占的な状態へ移行させる事を一定の条件の元に誰にでも許すパブリックドメインに近い仕組み」が「フリーソフトウェア」である。 即ち、「フリーソフトウェア」は、オープンソースや、BSDやX Window Systemを更にやや左傾化させたものであり、「コピーレフト」はこれをもう少し左傾化させたものと見ることができる。「コピーレフトでは今後のライセンス保持者の自由を最大限にしたものだと考えることができる」と評されている。 更に、「クリエイティブコモンズ」と云うものがあり、「コピーレフト」を少々気難しくさせている。1・自由な利用、2・コピーレフト制限、3・非営利限定の組み合わせより成り立ち、原則的に全てにおいて「帰属」に拘り、「利用者は、知的コンテンツ作成者を、作成者が指定する方法で紹介する義務がある」とのことである。「コピーレフト」をやや右化させたものが「クリエイティブコモンズ」のようである。 次の文章は、れんだいこには分かりづらいが何か重要なことを教えてくれるように思われるので引用しておく。
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【「コピーレフト」のれんだいこ的例え考】 |
れんだいこの気づきはこうである。例えば、雪道通交を考えてみれば良い。この場合、道路をコミュニケーション往来、雪を著作権規制と仮定する。降雪地帯では往来がままにならない。そこで、凍結防止剤が撒布される。これが一の試みである。次にシャベルカーでの除雪作業がある。これが二の試みである。次に、車道のある車線を全自動降雪防止道にしておく。これが三の試みである。次に、全車道を全自動降雪防止道にしておく。これが第四の試みである。「コピーレフト」とは、この第三の試みではなかろうか。さて、「コピーライト」とは、どういう試みになるのだろう。雪道にクマが寝そべって分けの分からないいことを勝手に吼えている構図ではなかろうか。 2005.12.7日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)