「左往来人生学院騒動考」

【掲示板における罵詈雑言テロ声明放置に伴う管理人の責任考】
 以下、「左往来人生学院掲示板」に実際に発生した問題について考察してみる。


「左往来人生学院第一期」
 うちはだいこさんが登場してくる前の状況は、最初期の第一期と二期に分けられる。第一期は、今から思えば分かりやすく云ってややノンポリ風なハートツーハートの和み系であった。れんだいこがトピックスに意見を発信し、これにレスがついたりつかなかったりそれでもそれぞれの個性が発揮しあった板であった。

 主要投稿者を列挙すれば、れんだいこ、あたみぃ、カラバ、たけし、日本共和党管理人、ちょろ9、クマ、らいむすたあ、元横国ノンセクト、荒田別、五月書房、飯田橋学生、帽子屋(投稿bP100)、mikimami、庶民。

「左往来人生学院第二期その1、うちはだいこさんの登場」
 いつの頃からかはっきりしないが次第に政治色を深めてきた。「講座派・労農派の資本主義論争」をテーマにした頃からだろうか。れんだいこと飯田橋学生さんと帽子屋さん、庶民さん辺りの投稿で話がつながり始める。この頃を二期としよう。この時期にうちはだいこさんが参加してくることになる。

 うちはだいこさんが本掲示板に初登場したのは、2002.7.19日投稿bP736「うちはだいこ日蓮正衆創価学会レーニン派」名による「日本共産党80周年記念不破哲三議長をぶった斬る」である。同日投稿bP737「れんだいこさんの名前のルーツについて」を投稿している。以下、7.21日投稿bP742「小沢ちと危険て゜は」、8.25日投稿bP821「マルクス主義とはなにか@」、同日投稿bP822「A」、8.27日投稿bP827「飯田橋学生さんへ」、8.29日投稿bP834「飯田橋さんどうも」、同日投稿bP835「二」。飯田橋さんとの遣り取りが為されている。特段のトラブルは発生していない。

 9.12日投稿bP864「反論2」、同日投稿bP866「イラク侵略を準備するアメリカ帝国主義」、9.13日投稿bP873「革命的共産主義者同盟中核派に対する批判にこたえて」、9.14日投稿bP876「れんだいこさんどうも」、9.18日投稿bP892「中核派批判の反論1、2」、同日投稿bP894「れんだいこさんの意見に半分賛成します。」、同日投稿bP895「補足」、9.19日投稿bP896「日本の訪朝のねらいは、不況を愛国主義にそして戦争準備するためのものだ」、同日投稿bP897「在日を防衛しよう」。うちはだいこさんとれんだいこの遣り取りも平和的に為されている。
 帽子屋さんが、9.20日投稿bP901「Re:中核派批判の反論」で参加。これに、今は名前を秘すさんが、同日投稿bP902「Re:革命的共産主義者同盟中核派に対する批判にこたえて」で参加。うちはだいこさんが、9.23日投稿bP907「反論にこたえて」で参加。連続して、同日投稿bP908日「ユーゴ空爆は、市場分割戦争です。」、同日投稿bP909「イラク空爆にたいする各帝国主義のオモワク」、同日投稿bP910「帽子屋さんどうも」。

 ここで初めてうちはだいこ氏と帽子屋さんの遣り取りが始まる。ちなみに、その時の文章は次の通り。「山田よりも宇野の経済政策論がもとです。またレーニン帝国主義です。日本の明治維新と帝国主義段階論について、正統派はブルジョア民主革命を対置。労農は、社会主義革命を対置した。宇野はこれを段階論で止揚した。天皇制ボナパ打倒と帝国主義打倒をセットで革命すべきとしたのが中核」。特段にトラブルは発生していない。
 うちはだいこさんの投稿がラッシュの如く為されるようになる。9.27日投稿bP918「飯田橋さんへ」。同日投稿bP919「ファシスト石原を粉砕せよ」、10.1日投稿bP925「現代帝国主義論」、同日投稿bP926「多国籍業について」、同日投稿bP927「二」、同日投稿bP928「補足」、同日投稿bP930「過剰生産能力の解決は、戦争か革命か」、10.2日投稿bP933「スターリン・ソ連論と日米帝国主義論について」、同日投稿bP934「2」、同日投稿bP936「日本の財政問題と左翼の意義」、10.3日投稿bP939「『反デューリング論』のまちがい」、同日投稿bP940「『自然の弁証法』のまちがい」、同日投稿bP941「スターリンの理論的あやまり」、同日投稿bP941「スターリンの理論的あやまり」、同日投稿bP941「スターリンの理論的あやまり」同日投稿bP942「結論」同日投稿bP943「補足」、同日投稿bP944「長くかいてつかれました」。

 これに対し、れんだいこが同日投稿bP945「どんどん議論を進めてください」とエールを送り、同日投稿bP946「Re:長くかいてつかれました」にもレスしている。うちはだいこ氏より同日投稿bP947「さうでしたか」が為され、れんだいこより同日投稿bP948「Re:さうでしたか」の遣り取りとなっている。これに飯田橋学生さんがレスをつけ10.5日投稿bP952「Re:さうでしたか」、これにれんだいこがれスを付け同日投稿bP953「Re:さうでしたか」の遣り取りとなっている。
 10.7日投稿bP956「小室直樹について」、同日投稿bP957「中曽根について」、同日投稿bP958「中曽根について2」、同日投稿bP961「朝鮮問題について」を投稿している。ここで初めて帽子屋さんガ加わり、10.13日投稿bP967「Re:小室直樹の本」で、うちはだいこ氏の見解に次のようにレスしている。

 「うちはだいこ・また、「必要条件と十分条件の区別」うんぬんについても、内容のあるものではありません。小室によると、「資本主義では必然的に失業が生じるので、資本主義を廃止するのは失業をなくす必要条件だが、社会主義でも『セーの法則』が成立しなければ失業はなくならないので、社会主義は失業をなくす十分条件ではない」というものです。しかし、社会主義とは労働力が商品でなくなる社会のことなのだから、『セーの法則』がどうであろうが経済的要因による失業は論理的にありえないと思います。帽子屋・それはどうでしょうか。社会主義といえども資本をもちい、土地と労働力が結合される以上、商品であることは変わらないと思いますけど。小室、いや森嶋通夫の議論のポイントは、ケインズが流動性選好、節約のパラドックスなどで、耐久消費財の出現による「投資=貯蓄」という関係がくずされたことをいう所にあると思うのですが」。
 うちはだいこさんは10.18日投稿bP975「Re:旧社会党へれんだいこよりのラブコール」、同日投稿bP976「日本経済について」、10.23日投稿bP980「うちはだいこより、反戦のアピール」、同日投稿bP982「社会党的なものへの解体」。帽子屋氏が10.29日投稿bP995「Re:「余禄」の貧困なる悪ふざけについて」、11.2日投稿bQ000「世相全般の貧困なる悪ふざけについて」でれんだいことの遣り取りに入っている。11.7日投稿bQ004「民主党について」、11.8日投稿bQ007「日本における宗教と政治について」。
 同日帽子屋さんより投稿bQ009「Re:世相全般の貧困なる悪ふざけについて」。これはれんだいこ宛てレスであり、うちはだいこさんとは交叉していない。
 うちはだいこさんの精力的な投稿ラッシュが続く。11.12日投稿bQ014「最近の中国共産党について」、11.13日投稿bQ016「Re:最近の中国共産党について」、同日投稿bQ017「続き」、同日投稿bQ019「中国の人民民主義について」、11.14日投稿bQ021「一国社会主義論・民族主義論について」、同日投稿bQ022「「日本における、世界社会主義革命論についてA」、同日投稿bQ023「日本における、世界社会主義革命論についてB」、同日投稿bQ024「結論」、同日投稿bQ026「革マル派について@」、同日投稿bQ027「革マル派についてA」、同日投稿bQ028「革マル派についてB」、同日投稿bQ029「革マル派についてC」、同日投稿bQ031「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考」、同日投稿bQ032「訂正」、同日投稿bQ033「訂正・意味不明でごめんなさい」、11.18日投稿bQ039「元飯田橋学生さんへ」、11.18日投稿bQ040「Re:ナカソネ的なるものとカクエイ的なるものについて」、同日投稿bQ041「続き」、同日投稿bQ042「日本のくさい政治家(きな臭い政治家について)」、同日投稿bQ044「野党はというと(ふにゃふにゃした人物ばかり)」、同日投稿bQ045「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考」、11.19日投稿bQ047「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考」。
 11.19日れんだいこの投稿bQ049「コーヒーブレイク」を受けて、帽子屋さんの投稿bQ050「Re:コーヒーブレイク」。うちはだいこさんより11.22日投稿bQ054「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考」、同日投稿bQ055「スターリン主義とは何か」。二人のレスは交叉していない。

「左往来人生学院第二期その2、うちはだいこさんと帽子屋さんの遣り取り始まる」
 帽子屋さんが11.25日投稿bQ061「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考」で、この間の遣り取りに初参加した。この投稿を直接の契機として「帽子屋対うちはだいこ」の遣り取りが為されて行くようになる。

 概略を述べると、帽子屋さんが「ちょっとちょっとうちわだいこ様、そりゃあないですぜ」の口上から入っていることが注目される。この間のうちはだいこさんの展開する「帝国主義的明治維新論」(「更に、 私は、宇野を一歩すすめて、世界帝国主義段階における日本帝国主義確立が明治維新であったと思っています」)に対し、「 いや、意気込みは分かるんだけど、講座派・講座派内批判者・労農派・高橋亀吉との間で戦わされた膨大な『帝国主義』議論をぬきにして思いつきで語られても困ります。20世紀初頭、資本主義確立=帝国主義同時転化シェーマこそ講座派理論の核心でしたが、もはやなにがなんだか分からないし、高橋亀吉は『プチ帝国主義論』で帝国主義としての資格に書けることをのべておられますよ」と批判している。更に、「 資本主義『確立』時期と帝国主義『確立』のメルクマールとなる、下部構造の一大転換点って何なんですか?。資本主義も帝国主義も経済体制の成立なんですよ?うちわだいこ様。明治維新という『政治』に求めるなんて、全然マルキズムじゃないよ、そりゃあ。一応1901年確立説は、1900年に日本を襲った恐慌をにらんでの話なんですが」と痛罵している。

 れんだいこが思うに、この批判は議論の範疇ではあるが言葉遣いは相当に厳しい。
 これに応えて、うちはだいこさんのレスが11.26日投稿bQ062「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考」で為されている。

 概略を述べると、帽子屋さんの「 ちょっとちょっとうちわだいこ様、そりゃあないですぜ」のパンチに、「あなたは、帝国主義社民の立場ですからね」と相手にせずの言葉で返している。次に、「帝国主義的明治維新論」批判に対して、「あなたは、右翼的に総括していますが、その次元からいわれても困ります」と反論している。更に、「日本帝国主義の確立について日本共産党はどのように分析していますか?ブルジョア革命すらできていない後発資本主義としているはずですが」と逆質問している。

 帽子屋さんの「 資本主義『確立』時期と帝国主義『確立』のメルクマールとなる、下部構造の一大転換点って何なんですか?」の質問に対しては、「支配的資本のちがいです。商人資本から産業資本の移行と産業資本から金融資本への転化です」と答えている。「資本主義も帝国主義も経済体制の成立なんですよ?うちわだいこ様。明治維新という『政治』に求めるなんて、全然マルキズムじゃないよ、そりゃあ。一応1901年確立説は、1900年に日本を襲った恐慌をにらんでの話なんですが」の批判に対して、「帝国主義的明治維新論」の観点を披瀝した後「帽子屋さんは、すこしおちょくった書き方をしていますが、根底には、レーニン的帝国主義論やマルクス主義自体を好まない、帝国主義社民ないし修正マルクス主義、右翼社民(右翼的総括)の立場であるためではないだろうか?」と批判し返している。

 以下、両者がバトルに入る。帽子屋さんの11.26日投稿bQ063「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考」。概略を述べると、冒頭で「はあ、なんだかなあ」と述べた後逐次レスつけている。うちはだいこさんの「あなたは、帝国主義社民の立場ですからね」揶揄に対し、「まあ、労農派的立場のほうに共感をおぼえますね」と述べている。「帝国主義的明治維新論」批判に対して、「あなたは、右翼的に総括していますが、その次元からいわれても困ります」と反論されたの対し、「 右翼的総括って何?まずきちんと分かるように書きなさいな。印象論じゃなく」、「明治時代=資本主義段階以前と帝国主義の共存って何よ、そりゃあ」、「 一時が万事、この調子。ちったあ『帝国主義』について論者は何を戦わせていたのか、勉強しなさいよ」再反論している。

 以下も同様で、「あんたはいったいなにを学んできたの?」、「明治維新期、帝国主義段階に突入していたという珍論、およそ聞いたこともないよ」、「キミの学問的不誠実を他者の党派性の責任に転嫁するなよ。。。」、「 『独占』、『帝国主義」、『金融資本』、『資本主義』全部がキミ独自の定義によるものじゃないか。マルクス主義の看板を下ろしたまえ」と罵倒している。

 同日帽子屋さんより投稿bQ064「あ、そうそう>うちわだいこ様」が為されている。原文は次の通り。「レーニン帝国主義論を批判的にとらえ日本資本主義確立の特色を、@帝国主義は資本主義に先行する発達した封建資本が独占段階に到達し、そののち松方財政による本源的おこなわれた?A金融資本から産業資本が叢生した、という点に求めるというなら少なくともキミの議論は矛盾はしないな。明治維新の何をもって帝国主義とする要素があるのか、具体的に経済構造の変化を書く必要があるけどね。ま、マルクスともレーニンとも遠く離れても良いというならどうぞ」。

 同日うちはだいこさんより投稿bQ065「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考」。概略を述べると、「あなたは、社会党が西洋型社民ならば(反共産主義的帝国主義社民)うまくいったといっているのではないですか。それは右翼的総括というのではないでしょうか」と、帽子屋さんのスタンス批判から入っている。

 以下も同様で、「ただただけちづけをしたいだけでしょう」、「以前に、日本社会党に関連して、西洋型社民ならばうまくいったかのような意見や、左翼を批判され、民社党系の主張されていたから、右翼社民とあなたを定義したわけです」、「あなたは、宇野の本をよんだことございますか?」、「あなたは、ただただ民社党のお立場だからなんとかけちづけをしたいだけでしょう。非難なされたいのであるのならば、宇野ぐらい理解してからにしてください」、「口汚しくののしるのは、何かわけがおありでしょうか?」、「 マルクス主義レーニン主義の批判を展開したつもりであろうが、新左翼の土台である宇野経済学に無知をさらけだしたのがあなたのけちづけではっきりしました。帽子屋さんの社会党批判でいつかは私も批判対象にされてくるであろうとはおもっていましたが口汚くののしっているという意外、学ぶものはなんにもありませんでした」、「ちがうだろ、あなたのいいたいことは、日本革命-世界革命の旗をおろせということでしょう」。

 同日帽子屋さんが投稿bQ066「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考」。概略を述べると、うちはだいこさんの「あなたは、社会党が西洋型社民ならば(反共産主義的帝国主義社民)うまくいったといっているのではないですか。それは右翼的総括というのではないでしょうか」批判に対し、「 議会主義という政治的リベラリズムの根幹を否定し、相手への説得と了解を拒否し、暴力的革命に委ねる行為を是とする暴力団と同類の行為=貴方こそ、右翼的総括というものですよ」と反論している。「右翼社民定義」に対して、「 なんだ、つまりは「うちわだいこ=党派的人間」であり色眼鏡でしか見れないわけか。西尾末広を尊敬する男だけど、わたしはリベラリズムの基盤の上の主張に立たない民社協会は興味ないし、そもそもマルクス主義者ではない俺がどうして民社なのかね?(爆笑)同時に俺は山本宣治を尊敬する男だけど、共産党なのかね?それとも日農なのかね?(爆笑)」と反論している。「あなたは、宇野の本をよんだことございますか?」に対し、「 あ〜あ、開き直っちゃったよ、うちわだいこクン。資本主義導入=帝国主義化の同時転化仮説こそ、じつはレーニン帝国主義論をネタに考え出した日本のマルキストの優れた分析だったんだよ。資本主義の後に来るはずのものものが同時に来る。このネタ元は、宇野ではなく山田盛太郎だけどね」と反論している。

 特徴的罵倒文言として、「ほんでもって論争の本筋はおしまい。あとは敗残兵掃蕩のみ♪ご協力感謝♪」、「…もはや処置なしです、「 どうみても貴方のほうが宇野が何を言ってるのかを理解していないようですけど。それ以前にマルクス主義経済学を学ばれてはいかがですか♪」。「口汚しくののしるのは、何かわけがおありでしょうか?」に対して、「単にキミがバカすぎでむかついたから書いてるのですよ。勉強したまえ♪」と応答している。他にも、「無名の高橋亀吉…おわったな、うちわだいこ」、「恥ずかしくないか?うちわだいこクン」、「過去ログでもみてみろ。ソースが無駄だ」、「宇野弘蔵を完全に曲解して」、「世界帝国主義段階における日本帝国主義確立が明治維新であったと思っています(うちわだいこ:2054投稿)』なんて恥ずかしい限りだな」、「最初の段階で思い込みしか書かれてないわな。あとはソースの無駄。演説は結構」、「もっと詳しく書いてあげようか?」、「『世界帝国主義段階における日本帝国主義確立が明治維新であったと思っています(うちわだいこ:2054投稿)』は妄想の産物でしょう」。

 但し、内容のある議論というか指摘も為されている。「 明治維新=帝国主義確立:うちわだいこ説、明治維新から短時間で=帝国主義化と資本主義化の同時進行:宇野説。全然違うだろうが(笑)。宇野はあくまで山田日本資本主義分析のテーゼの世界史的把握を志しているんであって、そんなんで日共だの労農だの民社だの協会派だの片腹痛いわ(笑)」、「 その通りです。よって八幡製鉄が完成した1901年をもってのちのマルクス主義史観は1901年資本主義=帝国主義同時転化論をとなえたのです。よって明治維新=帝国主義確立のうちわだいこ論は棄却されます(笑)」。

 更に、今後微妙な影を落として行くことになる「党派的見解云々論」が為され始めている。「わたしは、すべて自学自習で経済学と日本資本主義論争史を学んでますので、まったく民社とは関係ないですな。そもそも文学部の経済史ですんでね。まったくうちわだいこクンの党派性とバカさ加減が次々と明らかにされうれしい限り(笑)」、「まったくの身に覚えのない、党派的なご意見でこの帽子屋迷惑のきわみ♪」。

 更に、学識ぶった見地からの批判が露骨化しつつあるのもこのレス辺りからの特徴となる。「りゃあ当たり前。インターネットで他人から学ぼうなんてムシが良すぎます。学問のありようを根本的に間違っていますな」、「 とりあえず、明治維新=帝国主義「確立」といううちわだいこ氏の妄想が明らかになり明治維新を気に資本主義化と帝国主義化が同時にすすんだ(山田・宇野)説をご承認いただいたことにより、お開きといたしますか♪」。

「左往来人生学院第二期その3、れんだいこ最初の仲裁」
 この展開に対し、れんだいこが仲裁役を買って出たのが同日投稿bQ068「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考余禄」である。次のように発言している。概略を述べると、帽子屋さんの「はあ、こういうバカを相手にすると疲れるね。キチンと書いてあげるから勉強しなさい」発言に対し、「こういう云い方はれんだいこは好きくないんだな。なぜなら、資本主義とか帝国主義とか金融資本とかその他なんでも、そうマルクス主義でも人間でもプロレタリアートでも右翼でも左翼でも、これらを厳密に定義しようとすれば、案外出来ないんだな。

 かといって、漠然とは話が通じている。その流れの中で遣り取りが行われるのは仕方ない面もある。以上を踏まえて、相手が何を主張しようとしているのか汲み取る力がこちらの芸だと思うんだな。そこへ大上段に構えて薀蓄垂れると却ってややこしくなる気がしますのや。

 もっとも、書き手は誤解されないように話がより通じるように言葉、概念、定義を吟味しつつ駆使して、極力分かりやすく書くべきだと思う。しかしこれはとても難しいことなんだな。かといってあきらめたらいけない。稽古ごとには段級があるように上達目指して行くべきだと思うんだな」。

 帽子屋さんの「そりゃあ当たり前。インターネットで他人から学ぼうなんてムシが良すぎます。 学問のありようを根本的に間違っていますな」発言に対し、「確かにインターネットから学べる知識はたかが知れてるかも知れない。学問はもっと奥行きが深くて論理的かも知れないとは思う。しかしですね、れんだいこが興味覚える政治史とかマルクス主義界隈はですね、奥へ入れば案外無茶な言説が平気で罷り通っているということも考えられる。その分入り口を難しくしている訳で、中々我々が入っていけないけど。ひょっとして他の学問もその程度かも知れない。何せ「科学的」と冠詞がついた世界でこの程度だからね。

 つまりですね。思い切って云うと、知識をいくら集積しても素材が悪いというか観点が悪い人には何の役にも立っていない。例えて云えば、狭い容量のコップにいくら水を注いでもこぼれるばかりや。更には、悪い観点にどんどん接ぎ木していくから、学べば学ぶほど針を棒に棒を針に云う倒錯理論に陥ることさえある。そんなこんなで庶民の知恵のほうが賢い例はごまんとある。ただ言葉にする能力に欠けているだけで、とか思うんだな。

 以上を踏まえて議論を実り豊かなものにしていきたいですね。何せ、政治家、官僚、学者とか文化人、マスコミまで含めると数百万人の知識人が現に居て、処方箋出せといったらみんな後ずさりする連中ばかりやからね。たまに出てきた処方箋見たらちんぷんかんぷんものやからね」。
 これに対し、同日帽子屋さんが投稿bQ069「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考余禄」で次のようなレスを付けている。概略を述べると、「れんだいこ様、ご迷惑おかけしています」から始まり、「 確かにその通りなんすけど、『定義を曖昧』にして議論をすすめても、噛み合いませんよ。定義が曖昧、もしくは知らないのならば、あらたな概念をつくって自分の身の丈にあった議論をするのが高度ではないけど誠実、というものです。それを『帝国主義』だの、それこそクモをつくような議論を曖昧にして進められたんじゃ敵わないっすよ。私の生涯をかけたテーマは、『近代資本主義』なんですから(笑)」、「ごめんなさい。分かるだけに凄い腹がたつ、というやつでして」、「その意味で、(うちはだいこさんは)やはり学問を誤解していると思いますよ」。

 しかし、この時点では、末尾において「とりとめもないですが、謝罪しておきます」と述べている。つまり、まだしも牧歌的であったということになる。
 11.27日れんだいこが投稿bQ070「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考余禄」で次のように述べている。概略を述べると、帽子屋さんの「れんだいこ様、ご迷惑おかけしています」に対し、「いえいえ帽子屋さん的発言もスパイスとしてはあっても良いと考えております。願う楽は、愛情を持って欲しいというところかな」。「ここですが、文系の学問の場合理系ほどには積み上げ式になっていないと思うのですよね。それと、理系の場合は実験で確かめることが出来る。が、文系の場合それも難しい。それなりに尺度はあると思うけど、専門分野でも結構エエ加減なのではないかと思っております。

 れんだいこは、なぜそういう風に考えるのか。それは拙いながられんだいこ論文集が全編そういう問題意識から生まれていることを考えれば分かります。既存の観点に満足し得るものがないかられんだいこ流でうったてし直そうとしている訳です。今は明治維新を考察しようとしておりますが、後付けのイデオロギーに流され過ぎており、当時の明治維新が持っていた豊潤さを掴みきれていないと思う訳です。どう掴みきれていないかは、これからおいおい述べていくつもりです。

 こういうことを書き始めるとキリがなくなりますので止しますが、どうやら学問というのには本当に頼れる基準権威というのは無いのではないでせうか。群盲象を撫でるかの如くに甲乙丙丁論が跋扈し、学閥的に後継者が続いているのが基調で、ひょっとしてどの論もいまいちなのではないかとする疑問を持たれることが少なすぎる。とか何とかな気がしております。

 れんだいこの姿勢は、資料は資料、観点は観点で別個にしたい。現実はごっちゃにされ過ぎている気がしますね。左派の場合、そこへ党中央の権威が介入し(宮顕ー不破系のそれとなると最悪になります)、そのセクト的利益の押し付けでまともな分析が更に出来無きされるケースが目に付きすぎる。それやこれやで滅茶苦茶な状態にある、学問的には肌寒い情況にある、なんて考えております
」。
 11.27日帽子屋さんが投稿bO71「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考余禄」で、れんだいこの投稿bQ070にレスを付けている。なかなか味わい深い遣り取りになっているが、うちはだいこさんとの絡みは無いので割愛する。

「左往来人生学院第二期その4、今は名を秘すさんが参戦、議論が続く」
 11.28日今は名を秘すさんが参戦し、投稿bQ072「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考で次のように述べている。概略を述べると、帽子屋さんの政治的スタンスについて「おっちゃんBBS」での帽子屋さんの投稿bR585「Re:だいたい」文を次のように紹介している。「おれは小沢新進党支持者だったけどね。民社・社民連支持者だったから、いまは仙谷・前原あたりが好きなので民主党。はい一丁上がりっと。(合掌)」。

 つまり、帽子屋さんの他の掲示板での「民社・社民連支持者」発言を紹介し、「そもそもマルクス主義者ではない俺がどうして民社なのかね?(爆笑)」発言との矛盾を突いている。その上で、「そもそも帽子屋なる輩の定義する『リベラル』って、いったいなんなの?」と問い掛けている。

 更に、「こいつ」と呼び捨てにしつつ、「問答有用板」、「おっちゃんBBS」での発言を紹介しながら、「私は、この帽子屋なる輩を『右翼社民』とは思わない。そんなたいそうなものでは全然ない。もちろん、『リベラル』でもない。こいつは、ただの、政治的屑の塊だってことだ」、「こいつが、おっちゃんBBSのなかで、極右の『加減乗除』っていうハンドルネームの教師とやりあったときだって、まともな政治的議論もせずに、『かげぐち』だのなんだのと、実に低水準なことでやりあっていた。問答有用板の常連のなかには、いまだにこんなクズ・カスを評価している連中がいるみたいだけど、こんな奴は全然相手にせず、みんなで無視するのが一番いいのさ。みんながこんな奴を相手にするから、こいつは図に乗るんだよ」と述べている。

 今思えば、議論内容に正確さをもたらす為とはいえ、他所の掲示板での発言を持ち出したのはちょっとした「事件」であった。それはともかく、今は名を秘すさんの明確な帽子屋批判により事態はヒートアップしていく。

 同日うちはだいこさんが投稿bQ073「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考」で、本格的な帽子屋さん批判に突入している。概略を述べると、帽子屋さんの「はあ、こういうバカを相手にすると疲れるね。 キチンと書いてあげるから勉強しなさい」に対し、「こういう書き込み方はあなた自身の性格が下品であるということをさらすものです。飯田橋さんのおっしゃるように、なにをかいわんやです。西村某の書き込みとそっくりなのは偶然ではないでしょう」と「品性下劣批判」から入っている。

 帽子屋さんの政治的スタンスについて、「類推して民社党の主張であるといってよろしかろうとおもいます」、「民社党流のお立場であることを堂々とみとめられたらいかがか」と述べている。この時点では、帽子屋さんを左様に見ているということになる。

 更に、「帝国主義的明治維新論」について、「帝国主義段階とは、資本蓄積が金融資本・独占化・重工業であり、日本の資本形態は帝国主義といえる」と述べている。明治維新論、帝国主義論、宇野論、西尾論、レーニンの帝国主義論について遣り取りしている。

 更に、うちはだいこさんの「あなたは、帝国主義についてどう思うのかまず明らかにしてからにしてください。 口汚しくののしるのは、何かわけがおありでしょうか?」に対し、帽子屋さんが「単にキミがバカすぎでむかついたから書いてるのですよ。勉強したまえ♪」と答えていたのに対し、「自分の意見とはあいいれないからということでしょう」と答えている。帽子屋さんの「最初の段階で思い込みしか書かれてないわな。あとはソースの無駄。演説は結構」に対し、「あなたの意見からはふれられないむ答えできないのをこうやってあらわすことに、あなたの意見が実は一人よがりであることを指摘しておきたい。金融・財政政策はなぜあるの ?経済に介入しないとでもいうのですか」と答えている。

 注目すべきは、末尾で次のように述べていることである。「あなたは、明らかに、政治的意図を背景にしている。だれかが暴露されていたのであらためていうつもりはない」。この観点が火縄になっていくことになる。

 同日、れんだいこは投稿bQ074「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考」で次のような介入している。概略を述べると、「一連の遣り取りを見て思うことは、どうぞ議論が生産的になりますようにということです。帽子屋さんはそれなりに良いところもあるのですが、毒舌をもう少し磨いてくれたらなおいいやね。さて、議論の内容についてですが、ある時にはどこか焦点絞って詰めていくのもいいやね。今は総花的で却って何がどこが問題になっているのか分かりにくい観があります。宇野経済学についても、これをガイドとして学ぶにはどこのサイトが良いとか教えていただき、その理論的特徴をくっきりさせてからでないと議論が空回りするように思います。西尾末広論も案外と面白いかもね。山宣論も右同じ。レーニンの帝国主義論の論も同じ。今はごっちゃになってるかられんだいこもどこから入って行けば良いのか面食らっております。帽子屋さんのスタンス論も面白いしとかな按配で。バタバタ気味なのでそういうことで宜しく」。

 つまり、ここまでの議論に対しては、主として議論が優先しており、そうである以上管理人の仲裁はこの辺りが限界であったように思える。但し、罵倒化の萌芽が見え始めたように思われる。しかし、「双葉の芽」を摘むのは難しい。

 12.2日帽子屋さんが投稿bQ081「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考」で、次のように述べている。概略を述べると、今は名を秘すさんの参戦に対し、「つまらん奴があらわれたね。まあ、誰だかマルワカリだけどね。相手にしてあげよう(爆笑)」。次に、政治的リベラリズムを説明して、「リベラリズムはすべての基本。その上に立脚してこそあらゆるものが可能になるのだよ」。今は名を秘すさんの「こいつは、ただの、政治的屑の塊だってことだ」発言に対し、「名前も名乗れない『人間のクズ』に政治的クズ認定されるとはおれも進歩したもんだ(笑)この調子で頼むね♪」、「実に低水準なことでやりあっていた」発言に対し、「最初から加減乗除センセをマトモに相手にした覚えはないので、その批判甘んじてお受けしよう(笑)」、「みんなで無視するのが一番いいのさ。みんながこんな奴を相手にするから、こいつは図に乗るんだよ」発言に対し、「相手にされたいんだね、キミ(笑)まあリベラリズムが分からないバカのバカ騒ぎは楽しかったよ」と返答している。

 同日帽子屋さんが投稿bQ082「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考」で、次のように述べている。概略を述べると、「しょうがない、相手にしてあげよう。うちわだいこ様♪」から始まり、政治的スタンスについて「いずれにせよ『党派的』立場に立たない、学問的なもの以外に興味のない、帽子屋には関係ありませんね」、「偉そうなことを言う前に、あなたが反革命政府に殺されてから言ってください(笑)」と切り返えしている。

 次に、西尾論、ヤマセン論を述べながら、「 というかヤマセンの生き方に、主義主張をとおしたその姿に、「党派を超えて感動する」という人間としてごく当たり前のことが、どうして理解できないのかね、貴方は。どうみても人間として欠陥を感じるんだが」と述べている。明治維新論を述べながら、「つまり明治維新後の短期間での資本蓄積による帝国主義「化」(宇野)であって、全然明治維新=帝国主義「確立」(うちわだいこ珍論)じゃない、ってことだね。それならそれで全然構わない、ってとっくの昔に書いたけど(爆笑)」、「わたしはうちわだいこ「明治維新=帝国主義【確立】」という宇野弘蔵、高橋亀吉、山田盛太郎のみならず戦後の井上清らの議論をも愚弄する学問的無知を叩いているだけです」と述べている。

 罵倒用語として、「相変わらずウソだけはお上手だね。さすが、暴力革命論者であらせられる(笑)」、「あなたが勉強していないからですよ」、「説明されるまでわからない貴方の無知がさらけ出されましたね」、「もはや、日本資本主義論争も知らずにシッタカブリしているうちわだいこ氏の醜態には、惨めさが漂いますね」、「おれがあんたを許せない点、それは学問的常識のなさ」。

 興味深い見解として、「大政翼賛会に抗せず…つまり戦時中獄につながれて、まったく役に立たなかった宮本顕治や徳田球一は、影響を与えられなかったという点で評価に値しませんね。というか政権が取れていない時点で評価に値しませんね(笑)カクマルも中核もそうですね。合掌♪」。

 興味深い指摘として、「とりあえず、キミが間違っていることを示せ、というから書いただけ。書けといったくせに、いざ書いたら『一人よがり』?何様のつもり?」。「経済に介入しないなんてどこに書きました?ソースをしめしてください。あなたの『間違いだらけの演説はいらない』と言っているだけです。言ってもいないことを想像で書いて、反論するのはやめてください(笑)」。

 末尾で、帝国主義論に対しなかなかな見解を披瀝している。「現代帝国主義のいっそうの悪質さを知りながら、同じ帝国主義で形容するとは、帝国主義の用語でもするつもりなのかね?(爆笑)」、「なぜ今のアメリカを帝国主義、と名づける必要がある?答えてくれないか」と議論を振っている。

 12.3日今は名を秘すさんが投稿bQ084「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考」で、次のように述べている。概略を述べると、「ほら、私が言ったとおり、こいつはただの政治的屑の塊だったということが、はっきりしてきたね」から始まるかなり強烈な罵倒に入っている。帽子屋さんの「相手への説得・了解を拒否するもの、多数を得ようと試みないもの、 いずれにせよこのようなモノとの論争は無意味極まりないとは思いますが」発言に対し、「そういう自分のネットでのふるまいは、『相手への説得・了解』を求めるものでは決してなく、その多くが『罵倒・嘲笑』に基づくものだったわけだろ。そういうところが、2ちゃんねらーと全く同じだということだ。だから、『このようなモノとの論争は無意味極まりない』ということを、私はずっと言い続けているわけだよ」と応酬している。

 帽子屋さんの「名前も名乗れない『人間のクズ』に政治的クズ認定されるとはおれも進歩したもんだ(笑)」発言に対し、「匿名性は公権力に対して異議を唱え、抵抗するための武器としては強力な役割を果たす。おまえや、2ちゃんねらーのクズどものように、匿名の影に隠れて、他人への罵倒嘲笑や、差別発言をまきちらすために、そのために「匿名」を利用するのなら、その匿名性は卑劣な役割を果たす。

 今回、私があんたに許しがたいものを感じたのは、おのれの全存在をかけ、おのれの生命すら賭けて、社会変革のための実践を取り組んだことなど一度もなく、またそうしたことを行なう意志も全然なく、大衆運動すら全く無縁のままであり、ネットに何かを書く以外、何もやらないような、そんな輩が、革命勢力を罵倒嘲笑し、自分を高みにおいて自己満足しているからなんだよ。そういう輩が、そのいっぽうで山本宣治のような、右翼テロに倒れた人間を、平然と岸や西尾らと同列にして称賛し、『尊敬』する、こういうところに、私は虫唾の走るような思いをしたということだ
」と述べている。
(以下略)

 同日帽子屋さんが投稿bQ086「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考」で、次のように述べている。今は名を秘すさんの投稿bQ084に対しての反論となっている。概略を述べると、今は名を秘すさんの「ほら、私が言ったとおり、こいつはただの政治的屑の塊だったということが、はっきりしてきたね。そもそも対米開戦に責任を有しながら、戦後日米同盟の推進に務めた岸のどこが「主義主張をつらぬく人」だったのか、よくわからないけど、まあ、そんなことはどうでもいい」発言に対し、「ほら、私が言ったとおり、こいつはただの人間的クズ野郎だったということが、はっきりしてきたね(爆笑)。よく分からないのは、君がナショナリスト(国家主義者)として栄光ある日本を追い求める岸の論理を内在的に把握できていないからだよ。こういうクズ野郎がいるから、他者への理解を欠いてしまうんだね。おまえはチマチョゴリを切りつけるナショナリストと同じレベルの人間だよ」と切り替えしている。

 以下、罵倒用語のオンパレードとなる。「テレ隠しにしてはレベルが低いね(笑)」、「インチキ野郎♪」、「おれは相手をみて選ぶ、と公言しているが? 某氏や某れんだいこ氏のような「相手への説得・了解をもとめる」人には美しく♪ 某氏や、キミのような「相手への説得・了解をもとめない」人間的クズにはそれなりに♪という所だな」、「んで俺の差別発言って何だ? おまえは2ちゃんねらーのクズ同様、匿名じゃないのか?おれへの罵倒嘲笑・差別発言はいいのか? やり始めたのはお前であって、俺じゃない以上、全責任はお前にあるよな♪ バッカでえ(ゲラゲラゲラ」、「アホか」、「人間のクズよ」、「おまえが社会変革に取り組んでいるのかどうかは知らないし、大衆運動に挺身しようが勝手だが、おのれだけ特別の位置におき、他者が全存在を賭けていることすら分からず、このような思いあがったことを書く奴は、心の底から虫唾(むしず)が走るね。おまえみたいな他者を理解できない男が大衆運動だ??大衆を軽蔑しているクソ野郎が何様のつもりだ!臍で茶釜を沸かせるぜ(爆笑)」、「こういうインチキプロパガンダを平然と垂れ流す、インチキ共産主義者には虫唾が走るね、ホント」。

 他方で、れんだいこの「民主党の騒動に思う」をスレッドとして、あたみぃさん、帽子屋さんとのレスが為されている。このスレッドはその後も有益な遣り取りで続いて行く。

 同日うちはだいこさんより投稿bQ093「あなたの立場は?」で、「岸信介や、西尾を賛美し、アメリカ帝国主義ということはだめだという根拠は何ですか?とにかく、あなたの主張は、何を目的にしているのかね」なる短文レスが付けられた。

 12.4日帽子屋さんが投稿bQ095「Re:あなたの立場は?」で、次のように述べている。うちはだいこさんの投稿bQ093に対しての反論となっている。概略を述べると、うちはだいこさんの「論理が一貫しておらず、論じるに値しない」ことを指摘した上で、「岸と西尾、ヤマセンや大平は一貫かつ瞠目に値する人物だった。うちわだいこは一貫しておらず矛盾しており、瞠目に値しない」と述べている。

 うちはだいこさんの「とにかく、あなたの主張は、何を目的にしているのかね」に対し、「何度も書いた。学問的誤謬を正すこと」と述べている。その後、「尊敬する山本宣治を称えさせてもらう」として貴重資料をアップしている。

 12.6日うちはだいこさんより投稿bQ100「Re:あなたの立場は?」で、次のように述べている。帽子屋さんの投稿bQ095に対しての反論となっている。概略を述べると、西尾擁護論をぶつ帽子屋さんの見解に対して、「西尾は戦争に反対して、獄中生活となりましたか。またあなたの尊敬する経済学者は、弾圧されましたか」と述べた後、「あなたの立場こそなんですか。ナショナリストは、戦争に労働者を引き込んだばかりではなく、アジア民衆を虐殺した。あなたはこれを賛美するということです。また、議会制民主主義の社会主義をめざしたというがそれは実現していません。あなたのほうこそ、空想主義ではないでしょうか。あなたの立場は、カウツキ−・ベルンシュタインの提唱した帝国主義社民です」云々と批判している。

 同日うちはだいこさんは投稿bQ101「日本帝国主義は最初から帝国主義として登場した」で、「帝国主義的明治維新論」を補強する見解を打ち出した。同日れんだいこは、投稿bQ102「Re:西尾末弘論」で、れんだいこなりの西尾論を提起した。同日帽子屋さんは投稿bQ103「Re:あなたの立場は?」で、うちはだいこさんへレスを付けた。概略を述べると、「うちわだいこのアホへ♪」で始まり、西尾擁護論の眼目として「ナショナリストを賛美しているのではなく、『ナショナリストとして首尾一貫している』上、瞠目すべき見解を有していることを賛美しているのです」とした上で、「うちわだいこを否定するのは、『マルクス経済学』的に一貫しておらず、瞠目すべき見解もないからです。ポイントは『一貫して瞠目する人間かどうか』にあります。要は、あなたがクズである。そういうことです」と持説を述べた。

 うちはだいこさんが「あなたの立場は、カウツキ−・ベルンシュタインの提唱した帝国主義社民です」と指摘したことに関して、「そもそもマルキストであるといった覚えもありませんので、だから何?以外の感想はありません」と述べた。留意すべきは、帝国主義論を展開し、「どうでもいいのですが、宇野外在的帝国主義論、すなわち『帝国主義の時代だから帝国主義になった』論を採用するならば、現在は『植民地』をもった帝国はない以上、『帝国主義』の時代ではありえません。それを強引に帝国主義というからこそ、論理的整合性のない単なる言葉遊びに堕してしまうのです。あなたが帝国主義を主張したいなら勝手ですが、最低限『内在的帝国主義論』によるべき、すなわち反宇野以外の立場に立たない限り、その説は論理的整合性をみたしておりません」と述べている。


 うちはだいこさんの書き付ける理論に対し、「何度もいいますが、わたしが批判しているのは、マルクス経済学の初歩的基礎すら知らない、うちわだいこの珍論、【明治維新=帝国主義「確立」論】であって、講座派・労農派の共通的見解である【明治政府=帝国主義推進論】ではありません。悪しからず」で締め括っている。

 同日帽子屋さんは投稿bQ104「経済史専攻として添削」で、次のように述べている。うちはだいこさんの書き付けた内容に逐次レスをつけており、明治維新期の金融資本論、資本蓄積論を廻って補足的な論を展開し、「日本の重工業のほとんどは1930年代にできた。つまり帝国主義の『「確立』は1930年代であって、明治維新ではない(笑)」と締め括っている。

 同日帽子屋さんは投稿bQ105「Re:西尾末弘論」で、次のように述べている。れんだいこの書き付けた内容に対して「この辺は微妙に間違っているので訂正をもとめます」と述べた後、西尾賛辞論を展開している。

 12.7日れんだいこは投稿bQ106「Re:西尾末弘論」で、帽子屋さんの西尾論にコメント付けている。結論として、「それはそうなんだけど、その社会党内での右派のドンとしての在り方がどう評価されるべきなのかが肝心だと思います。れんだいこ史観によれば、宮顕―不破らの投降主義的な換骨奪胎型の左翼運動よりは、抵抗運動の域を出ない急進主義運動よりはまだましとする余地はありますが、左派的な政権取り運動が登場してきた場合、これに対して融和するのか敵対するのか、その見極めが西尾論になるべきだと考えます。れんだいこの従来の考えは、後者ではないのかと認識しております」と述べている。

 12.8日帽子屋さんが投稿bQ107「Re:西尾末弘論」でれんだいこの投稿bQ106にレス付けている。結論として、「左派的な政権取り運動が、議会主義に立脚した社会民主主義であるならば、かれは融和どころかその実現に全力を貫いた人でしょうね」と述べている。

 12.9日元飯田橋学生(転居)さんが投稿bQ108「天皇制は不要」で、れんだいこの観点を批判している。

「左往来人生学院第二期その5、今は名を秘すさんが、帽子屋さんをカクマル規定する
 12.9日今は名を秘すさんが投稿bQ109「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考」で、帽子屋さんに批判的レスを付けている。この時、初めて帽子屋さんのカクマル詮議が為されているのが注目される。概略を述べると、帽子屋さんのうちはだいこさんへの「人間的クズ」呼ばわりに対し、「うちわだいこ氏に喧嘩売ったのは、おまえだろ。『相手をみて選ぶ』ってことは、おまえカクマル?そういや、『偽装転向』はカクマルの専売特許だね。カクマル松崎も『マルクス主義は捨てた』とか言っていたな」と詰問している。

 締め括りで、「おまえのように、岸が戦犯であることを認めながら、「『ナショナリストとして首尾一貫している』上、瞠目すべき見解を有している」ことを理由に『尊敬』する、こういうのを私は政治ゴロ、政治的屑というのである。『瞠目すべき見解』があれば、戦犯だろうがファシストだろうが『尊敬』するのか?そもそもおまえは石原慎太郎に対してはどうなんだ?石原の事も『尊敬』するのか?」と問い掛けている。

 12.10日帽子屋さんが投稿bQ110「:一国革命論と民族主義の第一義性考」で、今は名を秘すさんの投稿bQ109にレスつけている。概略を述べると、「今は名を秘すから、永遠に名を秘さなきゃ生きていけない、アホな言論者クンへ♪から始まり、今は名を秘すさんの「うちわだいこ氏に喧嘩売ったのは、おまえだろに対し、「は?喧嘩を売ってるのは、間違いや勘違い・議論の不適格さを指摘されても訂正しない方だが。それ以上に、おまえがうちわだいこと何の関係があるの?関係ないお前がシャシャりでるな!!」と一喝している。

 今は名を秘すさんの「おまえカクマル?」に対して、「帽子屋を、かつて【民社党認定】したくせに、今度は【カクマル認定】ですか。(大爆笑)そもそも、帽子屋はリベラリストではあるけれどマルクス主義者になった覚えはないのですがね。もはや空しいですなあ、永遠に名前を秘すクン(笑)」と回答している。

 今は名を秘すさんに対して、「名前をあらわせず、陰でコソコソ悪口を言うしか脳のない、ウジムシ極左(笑)おまえが2ちゃんねらーを批判する権利はないと思うよん♪」、「暇つぶしのネット論議になんで全存在をかけるの?バカ?おまえ」、「ウジムシ左翼」、「っとと現実にかえって政府と戦って死んで来い(笑)」、「チッ、チッ、チ。いかんねえ、チンピラウジムシ左翼の永遠に名を秘すクン」、「ほんと、クズだよな、こーゆーやつ」、「おまえは卑劣なウジムシ左翼じゃないか。いまだにハンドルネームすら出せやしない(笑)」、「あいもかわらず姑息なウジムシ左翼だな」とも云いなしている。

 締め括りで、「そもそもだ、このウジムシ左翼は根本的なことを誤解しているんだよね。『主義主張を超えて』尊敬を勝ちとるからこそ偉大な人物なんだ、という当たり前のことが分かっていない。黒田寛一と山本宣治の差はそこ。マルクスが偉大なのはそのため」と述べている。

 12.12日うちはだいこさんが投稿bQ113「帽子屋いや西村」で、帽子屋さんへ短いレス付けている。「帽子屋は、やけに西尾のことになると神経をとがらせるなあ。また無産政党・労組(友愛系)を賛美する。あんたねえ、西尾も友愛も戦前は戦争翼賛。戦後は民社党創設だ。こんな人物を評価したり、岸を賛美するのは、民社党を支持していないといってもそれはまったく矛盾しているぞ。お前のいうことがもっとも、低水準にほかならないぞ」。

 同日帽子屋さんが投稿bQ114「Re:今は名を秘す、いや中核(大爆笑)」で、今は名を秘すさんにレス付けている。概略を述べると、口汚いのが目立ち「たんなるキチガイ極左暴力団だったか♪」、「とっとと暴力革命の根拠地でもつくって【大衆運動】の同士でも粛清して楽しんでろ(笑)」、「だから根拠を出せよ、ボケナス」、「ほんとイカサマがばれるとすぐこれだ。ウソを100篇いえば真実になると思ってるんだろうね。暴力による革命といい、イカサマプロパガンダといい、ナチ・ゲッペルスそのものだな(笑)【ナチの宣伝技術はドイツ共産党のパクリなんだけどな】」、「ひらすら同じ事を繰り返しいってその場を逃れる。極左、とっととラーゲリへ帰れ!おまえなぞ左翼運動にいらん!(笑)」と述べている。

 同日帽子屋さんが投稿bQ115「Re:天皇制は不要。」で、おっちゃん(あたみぃ)にレス付けている。同日あたみぃさんが投稿bQ116「Re:天皇制は不要。」でレスつけている。

 12.13日うちはだいこさんが投稿bQ117「Re:今は名を秘す、いや中核(大爆笑)」で、帽子屋さんにレス付けている。概略を述べると、「これは論争というよりも、悪質な嫌がらせにほかなりません。今は名を秘すさんのご指摘のようにカクマルでしょう」と述べた後、「あなた自身、西尾はすばらしいといっているではありませんか? マルクス主義者ではないのなら、なぜマルクス『経済学』を使うのですか?」と問い掛けている。

 カクマル詮議が続き、「やけに、詳しいとこみるとあなたはカクマルJR総連でしょうか」とも述べている。西尾論、帝国主義論の後、「では、お前の『左翼』とはなにかね」と問い掛けている。


 同日今は名を秘すさんが投稿bQ118「Re:今は名を秘す、いや中核(大爆笑)」で、うちはだいこさんにレス付けている。概略を述べると、「うちわだいこさん、私は学生時代中核派と行動をともにしていたという事実があり、今でも大衆運動のなかで中核派との関係をもっているものです。それゆえ、あなたを援護射撃するわけです。かつて私はある掲示板において、小西誠氏と『対カクマル戦争』とか、『カクマルをどう規定すべきか』をめぐって、議論したことがあります」と明らかにしている。

 うちはだいこさんが帽子屋さんを「今は名を秘すさんのご指摘のようにカクマルでしょう」とカクマル詮議したことに対して次のように述べている。「正直言いまして、わたしはうちわだいこさんが『中核派シンパ』として、ここの掲示板に登場したとき、必ずカクマルからなんらかのアクションがあるものと思っていました。そんな時に、帽子屋があなたへの罵倒・嘲笑を浴びせにきたんです。この帽子屋はたしかに罵倒・嘲笑モードに入る場合は『相手を選んでいる』ことは事実です。単に『意見が違う』『認識が違う』程度ではこいつは罵倒・嘲笑モードに入ったりはしません。そう、この男には明らかに『中核派に喧嘩を売る』という目的意識があります。この帽子屋は『ウジムシ』とか『キチガイ』などという言葉を好んで用いています。こういう言葉を好んで用いるのは2ちゃんねらーと、そしてカクマルだけです。彼が出入りしている多くの掲示板の常連のなかで、こんな罵倒語や差別語を用いる人間は、他にはいません「」。

 「うちわだいこさんもご存知のことと思いますが、カクマルは結成と同時にスパイ戦術(加入戦術)を採用し、民青に潜入したカクマルのスパイは完璧に民青になりきりますし、天皇制右翼に潜入したカクマルのスパイは完璧に右翼になりすまそうとします。カクマルへの好意的な言動など絶対にとらないようにしています。それがカクマルのスパイ戦術というものです。国学院大においては全共闘運動のころ、カクマルのスパイが国学院大のML派のキャップにのしあがり、この男の手引きによって国学院大のMLはカクマルにテロられて壊滅させられたということがあります」。

 「この男が出入りしている問答有用板という掲示板によると、帽子屋のメールアドレスは、『boushiya_k@hotmail.com』となっています。中核派は組織をあげて、この男について、調査したほうがいいと思います。そして、カクマルのスパイであることが判明できたなら、しかるべき措置がとられるべきです」と述べている。

 続いて、今は名を秘すさんは投稿bQ119「追加」で、「それと、マル共連のフォーラムに登場する『匿名子』というハンドルネームの人物についても、中核派はしかるべき調査が必要です。これは、マル共連のフォーラムの過去ログを見れば、わかるはずです」とも述べている。

 
続いて、今は名を秘すさんは投稿bQ120「Re:一国革命論と民族主義の第一義性考」で、今は名を秘すさん自身は「悪いけど、俺はあんたを最初から『右翼社民』とも『民社党』とも認定していない。俺の書いたものくらい、読み直せ」と述べた後、。「ネットはな、全世界に公開されたもので、ここの掲示板も公安警察や民間反革命は当然ROMしている。だから、何度もいうように、必要な防衛行動はとらなければならないということだよ。で、なんでおまえは俺の名前をそんなに気にするんだ、おい。これだけでも、おまえは『スパイ』の疑いをかけられても仕方ないよ」と述べている。

 12.14日今は名を秘すさんは投稿bQ121「予想通りのレス」で、更に帽子屋さんのスタンス批判を続けている。帽子屋さんの「暇つぶしのネット論議になんで全存在をかけるの? バカ?おまえ」に対し、「予想通りのレスであったとはいえ、これほど、ここの掲示板の管理人や常連全員、そしておっちゃんBBSや問答有用板などの管理人や常連全員を愚弄する発言はないだろう。つまり、この人達全員は帽子屋の「暇つぶし」の対象でしかないというのだから・・・まさに、政治ゴロ・政治的屑の名にふさわしい記念碑的な文章である。こういう態度をとっているのは、むろん帽子屋だけではない。2ちゃんねらーも実はそうである。だから、2ちゃんねるは『便所の落書き』などと言われてしまっているのだろう」と批判している。

 12.15日元飯田橋学生さんが投稿bQ122「Re:今は名を秘す、いや中核(大爆笑)」で、この間の遣り取りの帽子屋さんのカクマル詮議に対して、「カクマルはそんなに暇ではないと思いますよ。影響力ある掲示板ならともかく、ここに来る人の数は一日あたり2桁でしょう。それに『帽子屋』は数年前から各種掲示板に登場して日本資本主義論争などを語っていますし、主張の内容はそれなりに一貫してます。『帽子屋』は単なるリベラル中道知識人だと思いますが」、「ちょっと神経過敏になってると思いますけどね」とコメントしている。

 同日山さんが投稿bQ123「社会民主主義者のための弁明」で、ベルンシュタイン論を展開し、「さて、ベルンシュタインが悪いとか書いている人がいますが、おおよそ彼のマルクス批判というのは正しかったと思います。現在の社会民主主義というのは、議会制民主主義、市場経済、自由主義の肯定の立場にたっているのですが、ドイツの左翼では彼が先駆けであったのです。ドイツ社会民主党が、1959年に採択したゴーデスベルク綱領というのは、ベルンシュタイン路線の勝利を意味しているわけです」、「ロシアの共産主義者が絶対的に正しかったわけではないのです」と、一石を投じている。

 同日れんだいこが投稿難儀ー2124「いわゆる社民批判の視角について」で、次のようにコメントしている。

 「皆さんちわぁ。れんだいこは自ら蒔いた種で少々多忙中で、なかなかレスできません。が、山さんの投稿で触発されることが有り以下書き上げてみます。

> ベルンシュタインが悪いとか書いている人がいますが、おおよそ彼のマルクス批判というのは正しかったと思います。現在の社会民主主義というのは、議会制民主主義、市場経済、自由主義の肯定の立場にたっているのですが、ドイツの左翼では彼が先駆けであったのです。ドイツ社会民主党が、1959年に採択したゴーデスベルク綱領というのは、ベルンシュタイン路線の勝利を意味しているわけです。

 これについて思うことがあります。マルクス、エンゲルス、レーニンらの当時の論敵に対する著作を我々が学ぶ場合、その相手方の実際の論理を教えられないままマルクス、エンゲルス、レーニンの批判的見解を鵜呑みにして今日まで来ているように思います。当時の無政府主義者にせよ、デューリングにせよ、ベルンシュタインにせよ、カウッキ-にせよ咀嚼されていないように思います。果たしてこれは公正足りえるか。

 マルクス、エンゲルス、レーニンらは当然相手方の理論を知り抜いた上で批判しているのですが、その当時ならともかく今日まで百年を経過してなおマルクス、エンゲルス、レーニンらの見解を通してしか当の相手を知らないというのでは、学問的にはお粗末なのではないでせうか。世にマルクス主義系の学者があまた居た時にこういう作業が為されていないのは、学問の貧困ではないでせうか。俗に云われるご都合主義的作風はここら辺りにも胚胎しているように思います。

 
さて、ベルンシュタイン、カウッキ-その他諸々のいわゆる社民的批判についてですが、レーニンはひいてはマルクス、エンゲルスは、批判の仕方を誤った形跡があるというのがれんだいこ史観です。どういうことかというと、社民がブルジョア民主主義に埋没する形で革命よりは改良を実践志向していることにつき、革命的左翼としてはその非をなじり批判してきたと思うのですが、一つ重要なことを見落としているのではないのか。

 マルクス、エンゲルス、レーニンらは、ブルジョア民主主義という形容によって近世の曙光となったルネサンス精神を見落としており、ブルジョア民主主義批判によってルネサンス精神をも赤ん坊のみならずたらいごと流したのではなかろうか。ベルンシュタイン、カウッキ-らは、彼等がよく表現為し得なかったけれども、真意としてルネサンス精神の重要さを認識していたのではなかったか。

 こうなると、そもルネサンス精神とは何ぞということから確認せねばならなくなりますが、要するに政治から経済から文化までも含めた自由、自主、自律的な社会運動で、歴史的制約状況を一歩一歩その方向へ変革していく精神と規定し得るかと思います。我々が目指す運動は、そもマルクス、エンゲルス、レーニンらもここが原点で、社会主義運動はその正統なる継承者としての資格を持っている。そういう意味で、マルクス主義は歴史的に見て正義運動足りえているはずだった。

 ところが、ここにマルクス、エンゲルスの理論的限界もあったため、実践上の権力奪取、新権力敷設運動との取り組みに着手したとき、手段を目的化するような転倒規約ないし論理の潜入を許してしまった。気づいてみれば、マルクス主義はルネサンス運動の反対物に転化していた、という悲劇を見ることができるのではなかろうか。この現象は世界中のマルクス主義運動に普遍的にたち現われたことを思えば、個々の指導者の特異性に責任をなすりつけるのはおかしい。

 結論として、マルクス主義を再生させるには、より強度にブルジョア制度批判に傾斜するばかりでは駄目で、マルクス、エンゲルス理論の中からその限界的な殻を食い破って新理論を孵化させねばならない、ということになるのではないでせうか。

 
ベルンシュタイン、カウッキ-その他社民系は、マルクス主義の名を騙ってマルクス、エンゲルス理論の周辺ないし外側から変質化を試みた故にレーニンから批判を浴びせられた。この場合、レーニンの批判は正しかった。だがしかしレーニンも又マルクス主義が根底の原理に据えておくべきであったルネサンス精神の高揚については皆目配慮がなさ過ぎた。

 かように考えておりますがいかがでせうか」。

 12.16日うちはだいこさんが投稿bQ125「Re:今は名を秘す、いや中核(大爆笑)」で、今は名を秘すさんに次のようなレスを付けている。「どうも非常にあなたの援護射撃はありがたい。また、マルクス主義レーニン主義の理解は、私をこえるものだと思います。さて、私は、現役創価学会員であり、同時に中核派シンパです。これをみて、いったいどういう人なのか不思議がられるのでしょうが、どちらも大衆を基盤にもつ組織であるから、支配階級とその庇護にあるものにとっては非常に警戒されるわけです。さて、私の中核派への期待は、戦争を体を張って逮捕流血を恐れず反対するということです。私の人生観は、日蓮正宗にありますが、政治的には革命的共産主義です」と、政治的スタンスを明らかにしている。

 帽子屋さんに対して「革マルか、東日本労組のメンバーでしょう」と述べ、異常な罵倒・嘲笑について「やはり目的があると思います」と述べ、その動機について「中核派のシンパが、ここでかきこみをしているということに対する何らかのアプローチでしょう。根底には、中核のくせにという嫉妬と憎悪がうずまいているのでしょう。カクマル派は、さまざまな行為をおこなってきましたが、これからも下品な言葉で敵対するのでしょうが、国労や重要な地域では、真実の姿があきらかになっており、カクマルがわめき散らかすほど、その腐敗した差別根性は明白となっているということです。公明党の戦争協力を断固ゆるさない、そういう思いが、わきあがる今日この頃です」と締め括っている。

 同日うちはだいこさんが投稿bQ126「Re:いわゆる社民批判の視角について」で、れんだいこの見解にレスをつけ、「どうもれんだいこさん久しく。簡単に補足しますと、戦争の問題でいかなる立場をつらぬいたかだと思います。彼らの指導する第二インターは、戦争賛成を決議して解散したわけです。レーニンのみが、これに反対したわけです。第一次大戦過程のことです。そのとき孤立無援となったボル党員は自殺者をもだした。だが、結果は戦争反対が勝利したのです。そこで一次大戦は終局した。これをうらぎったのがスターリンです。この総括なしに、戦後の国際共産主義はかたれません」と述べている。

 同日うちはだいこさんが投稿bQ127「Re:今は名を秘す、いや中核(大爆笑)」で、「カクマルは暇ですよ、実践運動しないのですから。また東労組もそうでしょう。ストもしないし、暇こいているでしょう」と述べている。

 同日うちはだいこさんが投稿bQ128「Re:社会民主主義者のための弁明」で、山さんにレスをつけ種々反論している。

 同日山さんが投稿bQ129「Re:社会民主主義者のための弁明」で、うちはだいこさんの反論に再反論している。

 12.17日帽子屋さんが投稿bQ131「Re:今は名を秘す、いや中核(大爆笑)」で、うちはだいこさん批判のレスを付けている。概略を述べると、「中核派のうそつきプロパガンダうちわだいこ君がまだ卑劣にも頑張っていますねと述べ、うちはだいこさんの「やけに、詳しいとこみるとあなたはカクマルJR総連でしょうかに対し、「大笑いです。都合が悪くなると帽子屋を『民社党認定』のうえ、今度は『カクマル認定』ですか(笑)民社党でカクマルな人って存在するのでしょうか?頭のイカレタ暴力革命論者の言うことは理解不能です」と否定している。帽子屋さんの「ほんとイカサマがばれるとすぐこれだ。ウソを100篇いえば真実になると思ってるんだろうねに対し、うちわだいこさんが「それはお前だと述べていたのに対し、「またしてもウソがばれましたね♪ウソを何度つきつづけるのでしょう」とも述べている。

 西尾擁護論を述べ、「暴力革命を推進するうちわだいこは、たんなる現実世界で多数を得られない敗北者ウジムシ左翼でしかありません。とっとと政府側の暴力でもって、いさぎよく死んでください。そしたら少しは一貫した行き方をもった人物として尊敬してさしあげます」、「あなたは労働・農民運動について学習しなおした方がいいのでは?。革命で血が流れないと、戦争で血を流したの主語は何なんだよ?バカか。もはや、詩的すぎて声も出ませんね」と批判している。

 カクマル嫌疑に対し、「帽子屋は民社党なのかね、大内力なのかね、それともカクマルなのかね(大爆笑) 宇野経済学にいろいろ流派があるのは知ってるが、大内力以外のだれかひとりでもうちわだいこの珍論『明治維新=帝国主義【確立】』を唱えたバカ経済学者がいるなら出してみろ!(笑)」と反論している。

 うちはだいこさんの「帝国主義的明治維新論」を批判し、「まさしくウジムシ化石左翼だね(笑)」とも批判している。「そもそもの発端は、うちわだいこの珍論『明治維新=帝国主義【確立】』はマルクス経済学でみて間違いだ!!!といったら、うちわだいこ君はおまえは西尾を尊敬する民社党だからだろ!と学問的議論ができないから政治的レッテル張りで逃げる卑劣なウジムシ的態度をとって逃げていることにあるんだろ?」とも批判している。

 西尾擁護論について、「おれは一言も西尾をすばらしいとは言っていないよ。労働者の地位の向上について、終始一貫した実践的労働運動を展開した点で、尊敬に値するがね」とも云っている。

 うちはだいこさんの「西尾を賛美する尺度はなにかね。戦争にたいして、どういう態度をとるのかが、『左翼』の価値をきめるのだ」との詰問に対し、「ファランヘ野郎、日本ラーゲリ化計画を推進する暴力革命礼賛うちわだいこ的全体主義に反対し、『今は名を秘す』卑劣漢には理解できない、【政治的リベラリズムに立脚し、自由と平等を理念として社会の改善を図っていく】のが左翼だな。(笑)」とも述べている。

 12.17日元飯田橋学生さんが投稿bQ132「Re:社会民主主義者のための弁明」で、山さんとうちはだいこさんの遣り取りに参加し、「ベルンシュタインは社会平和主義の立場を取って、一応反戦だったと思います。もちろん階級的な反戦闘争の立場には立っていません」、「レーニンは先住民征服を批判していないかもしれないが、社民は一層そういう問題意識に欠けています。それは社民が帝国主義本国の恵まれた人々のイデオロギーだからです」、「労働者の支持を得たら正しいということにはならないよ。しょせんは階級意識に覚醒していない『選挙民』でしかない」と述べている。

 同日帽子屋さんが投稿bQ133「Re:今は名を秘す、いや中核(大爆笑)」で、「今は名を秘す中核活動家クンが逆ギレをはじめましたね♪ いやあ、スゲエ。文字通り笑える」と述べ、今は名を秘すさんが「中核派は組織をあげて、この男について、調査したほうがいいと思います。そして、カクマルのスパイであることが判明できたなら、しかるべき措置がとられるべきです」と述べたのに対し、「そうだ、いいことを教えてあげよう。私の知人にはカクマルの人はいるぞ(笑) うちの大学のサークル活動は、カクマルの人が握っていたから、サークル活動の関係者ならだれしも知っている公然の秘密だがね。俺より年上なのにまだ大学生だよ。良くやるよね(笑)」と述べている。

 今は名を秘すさんに対する罵倒がエスカレートし、「誹謗中傷以外のことがかけない、政治ゴロ・政治クズとは君だよ。おまえの投稿は、『便所の落書き』そのものだよ」、「2ちゃんねらーは誹謗中傷をネットでするかもしれないが、日常生活は普通におくっている。中核派は日常生活すらヘルメットと覆面マスクをかぶらなければカクマル怖さに生きていけないじゃないか(大爆笑)」、「ヒキコモリの大衆活動家」、「こんなネットが本職の自称革命家、実際はカクマルと警察が怖い、ヒキコモリ中核派がいるからいつまでたっても日本で革命できないんだな〜♪」と述べている。

 岸論を展開し、今は名を秘すさんが「戦犯岸を『尊敬』するなどというこの帽子屋が、問答有用板などにおいて戦争犯罪被害者に言及するのは、それはヒロヒトやアキヒトが語る『お言葉』なるものと、本質的な違いは何もないといってよい」に対し、「『日本の栄光を追い求め』たナショナリストとしては、他の革新官僚とは一線を隠すほどの才能と実力をあわせもち、戦後にあっては実質たった7年の政治生活で総理大臣まで歴任し、安保改定と保守政権を永続化させるほどの実績をのこしたという点で、まさしく戦犯岸は傑物であり、『尊敬』に値する男である」、「そして戦争被害者を考えるなら、市民側が、このようなそう何人もうまれない才能と実力をもつ傑物をもひきつける理念をいかに提示し、有意な人材を組織化して国家の側に立ち向かっていくか、それが問われている。上杉を選択して美濃部を選択しなかったのが、岸だ。アキヒトあたりで逃げるな、ヒキコモリ♪」と述べている。

 
同日投稿bQ134「訂正」で、「おおっと。間違った 訂正ね うちの大学のサークル活動は、カクマルの人が握っていたから、サークル活動の関係者ならだれしも知っている公然の秘密だがね。俺より年上なのにまだ大学生だよ。良くやるよね


 うちの大学の【文化系】サークル活動は、カクマルの人が握っていたから、サークル活動の関係者ならだれしも知っている公然の秘密だがね。俺より年上なのにまだ大学生だよ。良くやるよね

 このままじゃ、おれのサークルまでカクマルにされてしまう(大爆笑)
」と述べている。

 
同日投稿bQ135「Re:社会民主主義者のための弁明」で、飯田橋さんにレスつけている。飯田橋さんが「労働者の支持を得たら正しいということにはならないよ。 しょせんは階級意識に覚醒していない『選挙民』でしかない」と述べていたのに対し、「『階級』自体は自明のものではありません。階級って何ですか? 階級というのは便利な用語です。しかし階級意外にさまざまな利害関係で人間は生きている。その社会的造語で実体のない『階級』概念を金科玉条にして、それ以外の判断軸で人間が行動することについて、『階級意識に覚醒していない』選挙民というのは、たんなる思いあがりでしかない。

 労働者の支持を得られないのは、労働者が階級意識に目覚めていないからではない。階級という概念が虚構(フィクション)であり、良くできてはいるが限界のある概念だからだ。労働者の支持をえたら正しいということにはなりません。しかし労働者の支持を得られないことはもっと正しくありません
」と述べている。

 同日元飯田橋学生さんが投稿bQ136「Re:いわゆる社民批判の視角について」で、れんだいこの「世にマルクス主義系の学者があまた居た時にこういう作業が為されていないのは、学問の貧困ではないでせうか。俗に云われるご都合主義的作風はここら辺りにも胚胎しているように思います」に対し、「学者はそんなに怠惰ではないですよ。カウツキーは大きな影響力を持っていた人物だから当然研究されてますし、日本でも戦前はたくさん邦訳されてましたね。(向坂逸郎が訳した岩波文庫『農業問題』は極めて悪訳でなんのことかわからない。改訳してほしいがいまさらカウツキーの本を文庫で出して採算とれないよね。)カウツキーの伝記は法政大学出版局から邦訳されてますね。時永訳だと思います。ベルンシュタインにしても社民学者が研究してます。デューリングだけは、思想界で忘れ去られてしまった人間なのであまり研究はされていないと思います」と述べている。

 れんだいこの「マルクス、エンゲルス、レーニンらは、ブルジョア民主主義という形容によって近世の曙光となったルネサンス精神を見落としており、ブルジョア民主主義批判によってルネサンス精神をも赤ん坊のみならずたらいごと流したのではなかろうか。ベルンシュタイン、カウッキ-らは、彼等がよく表現為し得なかったけれども、真意としてルネサンス精神の重要さを認識していたのではなかったか」に対し、「これはスターリン主義の経験からふりかえって逆に改良主義を評価するという誤った史観だと思います。そもそも革命的なマルクス主義の後継者はボルシェビキだけではないのです。ヨーロッパのルクセンブルクとかホルストとかを忘れてもらってはこまります。ボルシェビキがれんだいこさんの指摘するものを十分に咀嚼できなかったのは彼らが革命を行った国の後進性によるものだと思います。ここに載っている論文はめちゃ参考になります。
http://www.fujijoshi.ac.jp/dept/human_dept/uchida/paper.html
」と述べている。

 同日元飯田橋学生さんが投稿bQ137「佐治孝夫 社会主義戦略の挫折と再生」で、この本はめちゃ参考になりますとして、「社会主義戦略の挫折と再生」(佐治孝夫、芦書房)を紹介している。。

 同日うちはだいこさんが投稿bQ138「Re:今は名を秘す、いや中核(大爆笑)」で、帽子屋さんにレス付けている。概略を述べると、「あんたはうそつき」、「ゆがんだ知識はどうにもにらぬ。あんたは、反動」と述べ、縷縷反論している。「ドイツ擁護は、ファシストの常套句 ファシストカクマル、いや早稲田ジャックよ、お前らの神戸事件謀略はどうなった」とも述べている。

 同日元飯田橋学生さんが投稿bQ139「ドイツ・イデオロギー
で、うちはだいこさんの「解釈は必要ない。変革するのでなくてはなにもならない。ドイツイデオロギー  ゆがんだ知識はどうにもにらぬ。あんたは、反動」に対し、「それは、ドイツ・イデオロギーではなく『フォイエルバッハ・テーゼ』ですね」と述べている。

 これを説明して、「例の第11テーゼですが、上の岩波文庫版によるとこうなっています。『哲学者たちはただ世界をさまざまに解釈してきたにすぎない。(しかし、)肝腎なのは、世界を変革することである』(「しかし、」はエンゲルスによって付け加えられたもの)」と述べ、「この文章はかなり誤解というか悪用されてきたのではないでしょうか。中核派はどうか知りませんが、この文章をあたかもマルクスが理論の重要性を否定したかのように利用する人が後を絶ちません。この文章を素直に読めば、観念論哲学を批判し、世界を変革するための実践的唯物論の立場を述べたもの--と思います。このことは、この11番目だけでなく全体を読めば明白だと思いますし、またマルクスの生涯を見れば(このテーゼを書いた青年時代まででさえ)、マルクスが理論を軽視したりするはずのないことは十分明らかだと思います。

 理論活動(観念論哲学との闘争を含む)は、ブルジョアジーとの理論における階級闘争であって、狭い意味での『実践』だけに従属させられるものではないと思います。蛇足ですが、観念論哲学といえば、こぶし書房は田辺元とか高山岩男とかの本まで出版していますね。黒田寛一はとうとうもうろくしたのか、それとも幼児退行したのか
」と述べている。

 同日元飯田橋学生さんが投稿bQ140「階級意識で、帽子屋さんの「『階級』自体は自明のものではありません。 階級って何ですか?階級というのは便利な用語です。しかし階級意外にさまざまな利害関係で人間は生きている。 その社会的造語で実体のない階級概念を金科玉条にして、それ以外の判断軸で人間が行動することについて、『階級意識に覚醒していない』選挙民というのは、たんなる思いあがりで しかない」に対し、「階級意識というのは、いわば理性(ヘーゲル)もしくは一般意志(ルソー)の意味で使っています。階級というのは、確かに非革命期には『実体のない』概念ということになるので振り回すのは良くないのでしょう。マルクスにしろ労働者階級を物神化していたわけではない。より広い理性の立場から、階級のない自由な社会を作り出す哲学的共産主義から、それを実現する主体を捜し求め、それがプロレタリアートであるとしたわけです」と述べている。

 同日帽子屋さんが投稿bQ142「Re:大丈夫か、中核のうちわだいこ様」で、「なんかマジでイジメすぎたかな〜。ほとんどガキの逆ギレになって心配になってきたんですけど。創価学会+中核派という日本最強のカルト集団が悪いのか、帽子屋の攻撃に耐えられないのか」と述べた後、うちはだいこさんに逐次反論している。

 スペイン内戦論について何やら込み入った議論をしている。うちはだいこさんの「ゆがんだ知識はどうにもにらぬ。あんたは、反動」に対し、「こんどは民社認定とカクマル認定にあきたらず、反動認定かい(笑) 別に構いませんよ、反動認定されても。つーか、キミみたいな暴力革命論者に同務(トンム)なんて呼ばれたくありませんよ(笑) 反動である以上、うちわだいこ創価学会・中核派が政権をとったら帽子屋はラーゲリで銃殺されるんでしょう。ブルブルブルブル…こわいですねえ。これをみるみなさん、断固としてこんな連中に政権をとらせないよう頑張りましょう〜♪えいえいお〜♪」と述べている。

 西尾論を展開し、「産業報告会を推進したのは宮崎正義・鮎川義介や社会大衆党左派の麻生久ですが?友愛や西尾は一応反対です、というか社大党から除名されていましたけどね」と述べている。

 スペイン内戦論について再び述べて、「日本語になってないね。どうみても、ロシア革命とスペイン内戦で、暴力革命論を正統化してるじゃないの。フランコ独裁万歳の左翼なんて存在する価値はないよ。逝って良し!」、「おれは、政治的リベラリズムだから、暴力革命論者でもあたたかく迎えてあげますよ(笑)」と述べている。

 再び西尾論展開し、
社会大衆党は、麻生久の国防パンフレットに同意してますからね。満州事変には反対しましたが、日中戦争は日労系の国家社会主義に引きずられてえらい迷惑です。結果麻生久日労系は大政翼賛会に、安部・西尾ら社会民衆党系は無所属になります」、「だから?『「大政翼賛会に反対し』『労働運動に挺身し』とは書いたが戦争に反対したとはいっていないよ?」と述べている。

 うちはだいこさんの反論に対し、「もはや、お前のカアチャンでべそ的な応答ですね。大衆とつながりが切れた武力革命論者は幼児退行するのですかね」と述べ、「あんたの立場はどこにあるのかがないからそういう中傷をしているのだね」に対し、「おれの立場なんて決まってる。経済史家だ。真実を探求するものだ(笑)」と述べている。

 帝国主義論について言及し、「アメリカには金融資本は成立しておらず、帝国主義ではない」、「おまえ、産業資本と銀行資本の融合が金融資本だろうが、マルクス経済学上でも。おまえこそ頭の中に【銀行資本】【遊休資本】概念がないのか?ボケナス。死んで来い」、「キミはプロパ中核派活動家であって歴史家じゃないから、事実なんてどうでもいいんだろうけどね」と述べている。

 うちはだいこさんの「ファシストカクマル、いや早稲田ジャックよ、お前らの神戸事件謀略はどうなった」に対し、「おいおい民社党・大内力・反動じゃなかったのかい?(大爆笑) 創価学会が広宣流布のごとく、必死で他人をカクマル扱いし始めたね。多分問答有用の人間がみるとビックリするだろうね。このおいらがカクマルなんだからな♪ おのれに敵対するものはカクマル! うちわだいこといい今は名を秘すといい、こんな調子で『軽蔑』」している大衆相手に大衆運動やるから、だれも信用しないんだよね。おまえら無理だよ、あきらめろ。つーかお前らはホントに大衆には必要とされてないって。ウザイ」と述べている。

 同日れんだいこが投稿bQ145「Re:いわゆる社民批判の視角について」で、「元飯田橋学生(転居)さん皆さんちわぁ。何や三つ巴四つ巴になっており困惑するというか面白いというか」と述べた後、議論を展開している。飯田橋さんの「学者はそんなに怠惰ではないですよ」に対し、「これなんだけど、れんだいこが云いたかったのは、どなたかがカウツキー、ベルンシュタイン、デューリングの精緻な研究をして、我々が咀嚼できるようなテキスト作って欲しいという意味です。そしてその要約が出来る限り的確なものであることが望まれます。でないと、読むのにへとへとで一生が終わってしまう。

 今、明治維新史をれんだいこなりに整理しつつありますが、同じことが言えます。せめて基礎的な知識だけはもっておかないといけないと思いますが、なかなか格好のテキストがありません。特に、水戸学の動きなぞ必須だと思われますが、時代に大きく関わり強い影響力を持っていたにも関わらず、その皇国史観の為か左派系は無視しております。

 そういうなのは真っ当な歴史書ではないと考えます。その意義をも限界をも要約的に位置付けておくことが肝心です。が、為されているように思いません。つまり史書に公平さが無い。カウツキー、ベルンシュタイン、デューリングに対しても、同じようなことが云えるのではないのかということが云いたいのです
」と述べている。

 れんだいこの「ベルンシュタイン、カウッキ-らは、彼等がよく表現為し得なかったけれども、真意としてルネサンス精神の重要さを認識していたのではなかったか」に対し、飯田橋さんが「これはスターリン主義の経験からふりかえって逆に改良主義を評価するという誤った史観だと思います。そもそも革命的なマルクス主義の後継者はボルシェビキだけではないのです。ヨーロッパのルクセンブルクとかホルストとかを忘れてもらってはこまります。ボルシェビキがれんだいこさんの指摘するものを十分に咀嚼できなかったのは彼らが革命を行った国の後進性によるものだと思います」に対し、「ここですが、『改良主義を評価するという誤った史観』かどうか。れんだいこが思うに、いわゆる社民批判の視点として、マルクス主義が見落としてきたルネサンス精神の擁護という観点についてはむしろ汲み取るべきではなかろうか。社民が革命よりも改良路線を志向し、とどのつまり体制内化運動を組織してきた面については批判を逞しゅうすれば良いと考えます。

 但し、宮顕―不破的な、実際には社民よりも悪質な右派路線を志向しつつ社民を「左」から批判し、他方でルネサンス精神の圧殺傾向を強めるという漕ぎ手については、これを最悪質な運動と捉え、容赦なく批判しきらないといけないと考えます。れんだいこは全く以ってナンセンスな連中と考えております。にも関わらず、批判が弱すぎる。

 せめて徳球―伊藤律的、60年安保ブント的、全共闘運動的自由、自主、自律的運動を再創造せねばならないと考えます。70年以降この種の運動が無いことが政治の低迷、貧困をもたらしているのではなかろうか。何や政治が上も下もチマチマしている
」と述べている。

 同日山さんが投稿bQ146「Re:社会民主主義者のための弁明」で、「階級的な反戦の立場とは、どのようなものでしょうか」と問い掛けている。飯田橋さんの「私が書いているのは、ドイツ社会民主党内の路線の話です。 ルクセンブルクなどを虐殺し、革命を圧殺しナチスに道を開いた後、憲法擁護局の助言に基づいて新綱領が採択されたわけですね」に対し、「ベルンシュタインが、ルクセンブルクなどを虐殺したわけではありません。革命を圧殺したのではなく、誤った理論に拘ったために、ナチスに道を開いてしまったのです」と述べている。

 「ベルンシュタインは、議会制民主主義、市場経済、自由主義の肯定の立場にたちながらも西欧中心主義という弱点を持っていた。しかし、だからと言ってレーニンが正しかったわけではないということです」、「西欧社会民主主義と社会民主主義一般とは、違うと思います。経済的に恵まれていない国家においても、議会制民主主義、市場経済、自由主義の肯定の立場にたつ左翼は存在するは可能です」、「仮に階級意識に掌握しても、労働者の多数派は、議会制民主主義、市場経済、自由主義の肯定の立場にたつでしょう」と述べている。

 同日うちはだいこさんが投稿bQ147「スペイン人民戦線クーデターで転覆させたのは反動ファシスト」で、「帽子屋よ、あんた馬鹿か。ファシストを支持する左翼がいるか。スペイン革命・人民戦線に、軍事クーデターをけしかけたのがフランコ。私は前者。トロツキストは、フランコに虐殺された(内戦にまけた) これはスターリニストの裏切りが根底だった。あんた、それを歪曲して何をしたいのかね?」とレスを付けている。

 同日うちはだいこさんが投稿bQ150「Re:社会民主主義者のための弁明」で、山さんの「 ベルンシュタインが、ルクセンブルクなどを虐殺したわけではありません。 革命を圧殺したのではなく、誤った理論に拘ったために、ナチスに道を開いてしまったのです」に対し、「修正主義が戦争に加担し、帝国主義戦争を阻止もできなかったこと、ナチに社民は殲滅されたこと、これすべて修正路線によるもの」と述べている。

 12.18日うちはだいこさんが投稿bQ151「アメリカは帝国主義」で、帽子屋さんの帝国主義論を批判し、「アメリカ帝国主義をなんと、帝国主義ではないとでたらめをいっております。政治的・軍事的にも強大な帝国主義国。世界帝国主義の基軸を否定したい理由は、アメリカ帝国主義の戦争の不正を暴露されたくないからであろう。

 石油利権のための戦争が、湾岸いらいの中東侵略戦争。それを否定したいがための暴言。産業資本が資本投資する、ならばだれが設備資金をあたえるのであるか。銀行と産業資本の融合が金融資本だ。あなた、アメリカ産業民主主義だの経営と所有の分離などいうが、アメリカ金融資本は巨大だ。多国籍企業として、世界を独占しまわっているのも、産業資本なのか。金融投機よるITバブルも産業資本なのか。馬鹿もやすみやすみいえ
」と述べている。


 同日飯田橋から大塚さんが投稿bQ152「Re:社会民主主義者のための弁明」で、「ベルンシュタインは社会平和主義の立場を取って、一応反戦だったと思います。 もちろん階級的な反戦闘争の立場には立っていません。 階級的な反戦の立場とは、どのようなものでしょうか」に対し、「ベルンシュタインなどは、戦争を「誤った政策」の産物と考え、支配階級に対して誤った政策を改めるように求めました。それに対して、レーニンなどは、戦争を帝国主義段階の産物と考え、資本主義を打倒してこそ平和も実現できると主張しました」と述べている。

 「ベルンシュタインが、ルクセンブルクなどを虐殺したわけではありません。革命を圧殺したのではなく、誤った理論に拘ったために、ナチスに道を開いてしまったのです」に対して、「あなたの意見では『誤った理論に拘った』のが社民なのか共産なのかはわかりませんが、まあ両方が責任がありますね。しかし根本的には社民の裏切りです。社民がブルジョアジーを助けなければ、数年間も帝国主義戦争はできなかったでしょう。ボルシェビキ革命が起こった後では、社民がブルジョアジーを助けなければ資本主義は風前のともしびだったわけです。1919年から1923年までの間にプロレタリア革命の機会は何度もあったのが事実です。もしドイツ革命が成功していれば、オーストリアや東欧の資本主義もすぐに倒れたでしょう。ロシヤ革命の孤立とスターリン主義の台頭はなかったでしょう。つまり20年代以降の世界史は全く違ったものになっていたはずなのです」と答えている。

 続いて、「議会制民主主義というのは虚構であって、資本主義が危機に陥らない限りで存在しているものです。資本主義が革命の脅威にさらされる場合は議会制民主主義など廃止されてしまうでしょう」、「仮に階級意識に掌握しても、労働者の多数派は、議会制民主主義、市場経済、自由主義の肯定の立場にたつでしょう」に対し、「そうでしょうか。選挙の投票率が世界的に下がりつづけているのはどう説明しますか。また、市場経済は死滅しつつありますよ。国家介入を重視するケインズ政策は資本主義の部分的な否定でした。(念のためにいっておくと、ケインズ政策が「しのびよる社会主義」だという意味ではなく、資本主義を延命するために資本主義を部分的に否定するような政策を導入したということ)現在の主流は「新自由主義」ですが、実際にはケインズ以前の「自由主義的資本主義」に戻るどころか、一層露骨な国家介入が行われていますね。また軍事費の増大も、いわば「軍事的ケインズ政策」であって市場経済の部分的な否定につながるものです。

 自由主義も死滅しつつありますね。米国では「反テロ戦争」を口実に人権が廃止され国家監視社会になりました。日本でも同じようになっています。社会民主主義の幻想はことごとくついえ、マルクスが描いたような古典的な階級対立の時代がやってきつつあるのではないかと思います
」と述べている。


 同日飯田橋から大塚さんが投稿bQ153「民族問題」で、「カウツキー研究―民族と分権」(相田 慎一、 昭和堂)、「言語としての民族―カウツキーと民族問題」(相田 慎一 、 御茶の水書房)を紹介している。

 同日うちはだいこさんが投稿bQ154「Re:社会民主主義者のための弁明」で、ベルンシュタイン社民批判をしている。「労働階級の分断と、買収にのるのが帝国主義社民議会主義というが裏側は買収そのもの」、「帝国主義戦争は市場再分割だから、利害をかけてたたかわれるもので、修正をせまるっても何もならない。かといって改良主義が権力とっても戦争をやる場合すらある。例、イギリス労働党政権」、「改良主義は、転向です」。

 帽子屋さんの「仮に階級意識に掌握しても、労働者の多数派は、議会制民主主義、市場経済、自由主義の肯定の立場にたつでしょう」に対し、「そんなことはない。あなた自身の立場を吐露しているだけだ」と述べている。

 同日うちはだいこさんが投稿bQ155「最後は世界大戦に対置するのは世界革命のみ」で、中核派的革命観とでも云うべきか展望を示している。「帝国主義の延命。アメリカの延命は、帝国主義を分裂させ、帝国主義の利害のむきだしが露呈して、帝国主義同士の闘いに・・・。世界大戦にむかわせず、レーニンの戦略を日本で実現。そして日本革命から世界革命へ」。

 同日あたみぃさんが投稿bQ156「Re:最後は世界大戦に対置するのは世界革命のみ」で、投稿bQ155にレスをつけ、「こんな豊かで寝ぼけた国が、世界革命の起点になるでしょうか? 私には信じられない・・・」と述べている。

 同日れんだいこが投稿bQ157「民族主義イデオロギーについて」で、次のように述べている。

 再度問うてみます。近代以降の歴史ベクトルは民族主義ではないのか。自民族のアイデンティティーの確立の勝者と敗者の攻防戦が今なお行われている、これがここ数百年の歴史の深層を底流しているものである、こう読み取るべきではないでせうか。ここを解かないと、目下の中近東紛争における非道さがそれとして見えてこない。

 共産主義者は、この民族と国家による相互の対立という不毛な歴史を終息せんと志し、国際主義を標榜しながら国家間抗争を止揚せしめんとしたが、かのレーニン時代の短いひと時を除いてうまくいった験(ため)しがない。そのレーニン時代でさえ、国際主義の旗印の下にコミンテルン運動を組織しかかっただけで、実際にそれが首尾よく推移したという訳では無い。つまり、国際主義は過去も現在も砂上の蜃気楼でしかない。

 それを思えば、第一次世界大戦が勃発するや、その緊迫する情勢の中で第二インターナショナル諸党の大多数がこぞって自国政府の戦争を支持し始め、「祖国防衛戦争」と位置付けることになった。これを批判するのはたやすい。が、むしろ歴史のベクトルに忠実に呼応していたのではなかろうか。それほど民族主義は根強いイデオロギー足りえているという現実を知るべきではなかろうか。

 典型的には、ドイツ社会民主党などは戦費案に賛成投票するという形で「祖国防衛」方針に転換している。「祖国の危機に当たっては祖国を見捨ててはならない」という論理であった。この論理はレーニンから「社会排外主義」と規定されることになる。

 この流れに異を唱えたのが、ロシアとセルビアのマルクス主義政党だけであった。ロシアでは、レーニンが「プロレタリアートは祖国を持たない」、「帝国主義戦争を内乱に転化せよ! これが唯一正しいプロレタリア的スローガンである」、「真のインターナショナリズムとは、『祖国防衛』を名目にして、フランスの労働者がドイツの労働者を打殺し、ドイツの労働者がフランスの労働者を打殺するのを是認することにあるのだろうか!」と主張し、カウツキー等の指導理論の社会排外主義に抗して、革命的祖国敗北主義を掲げて戦争の革命への転化をおしすすめて行った。そして史上初のソビエト政権の樹立に成功する。

 我々は通常、この時のレーニン路線を継承しようとしている。それはそれで正しい。しかし、この判断だけに終始するのは今日の時点においては問題がある。そういうレーニン路線も、西欧列強からますます遅れようとしているロシアのロマノフ王朝体制に対する怒りを原点にしており、そういう民族国家主義の見地から革命を引き寄せたのであり、ロシア国民はその限りにおいてレーニン率いるボリシェヴィキ運動にシンパシーを寄せたのではなかったか。こう読まないと、後の流れが理解できない。

 なるほど、レーニンら急進主義派は、更に次のステップを夢見ていた。連続してドイツで革命が起こり、フランス、イギリスへ飛び火していくことを期待していた。しかし、なぜそのようにならなかったのか。それは、単にいわゆる敵権力の圧制が強まったからであろうか。その圧力に、マルクス主義者が社民体制化した故だろうか。そう読み取るのは表面的な批評に過ぎないのではなかろうか。

 れんだいこが思うに、当時のヨーロッパ社会主義者達は、レーニンの国際主義的呼びかけにも拘らずロシア革命に見ていたのはロシア民族主義の陰では無かったか。つまり、何ら青写真無いままに国際主義運動に突き進む訳にはいかないという自国民族主義的対応により、意図的にブレーキをかけたのではなかろうか。それほど民族主義のイデオロギーは根強い。

 この危惧は現実になる。レーニンが病気で引退し、トロツキー派との政争に勝利して登場してきたスターリン派はどぎついばかりなロシア大国主義者達であった。これが本質であるが、その意図を巧妙に隠し国際主義的用語で散りばめ、世界の共産党・労働者党を配下に置こうとし始める。

 かくなるソビエト政権を擁護するのか打倒すべきか、ここで喧々諤々の議論を行うべきであったが、「革命の祖国ソビエト擁護運動」へと収斂させられていった。この流れで、時に社民の批判を強めたり取り込もうとしたり、ソ共を唯一指導部としたりもう少し緩やかな兄弟党に位置づけなおそうとしたり紆余曲折するが、本質的な解明には至っていない。

 我々が解析せねばならないのは、そういう自国民族主義と国際主義の相関関係の構築であり、分かりやすく云えばエスペラント運動的な国際主義をあくまで目指すのか、金日成的な主体民族主義を目指すのかという問題の理論的解明ではなかろうか。この中間項に様々な試みが存在しているが、国際主義をまともに目指した政権党はいまだ生まれていない。

 れんだいこは何が云いたいのか。「絵に描いた餅」としての国際主義史観から解き放たれて、それほどまでに民族主義のイデオロギーが根強く実在するのなら、近世以降現代までの歴史を自国民族主義の観点から読み直してみる必要がありはしないか、ということである。自国民族主義こ立脚しつつ如何にして対等互恵の国際主義を産み出していくのか、この理論と手法こそ真に求められている課題であるのではなかろうか。残念ながら、れんだいこは、レーニンの諸言説以外に有益な知恵を知らない。

 結論。一般に、民族主義を排斥するマルクス主義は論がまだ練られていない段階にあるということではなかろうか。階級理論は結構だ。民族理論もいるのではなかろうか。ひょっとしてこっちの方が階級理論より上に位置しているのかも知れない。個々人の気質論もいるような気がする。帰属集
団論も組織論も。等々を思えば、マルクス主義を語るにも未だ生成期のそれとして語る必要があるのではなかろうか。

 同日山さんが投稿bQ158「Re:社会民主主義者のための弁明」で、「ベルンシュタインは、戦争に加担していない。共産主義者も帝国主義戦争を阻止できなかった。ナチスが台頭したのは、誤った理論に拘ったため」とのコメントをしている。

 同日山さんが投稿bQ158「Re:社会民主主義者のための弁明」で、次のように述べている。「戦争は帝国主義段階の産物ではありません。資本主義を打倒することが平和を実現するわけではありません」、「もしドイツ革命が成功しても、市場経済を採用しない社会主義国家は経済的に疲弊し、やがて、1989年〜1991年の革命の拡大版のような市場経済・議会制民主主義革命がおこったと予想します」、「議会制民主主義は虚構ではありません。私は、資本主義が革命の脅威にさらされても議会制民主主義は廃止すべきでないと考えています。真の問題は、革命後の国家が議会制民主主義を維持するのかどうかです。まさに、このことがレーニンとカウツキー・ベルンシュタインとの思想の違いなのです」、「選挙の投票率が下がりつづけていることを根拠に、労働者の多数派が議会制民主主義を否定しようとしていると考えるのは無理があるでしょう」、「市場経済は死滅しつつあるどころか、旧ソ連、東欧、中国といったかつての非市場経済国家が市場経済に参入することによって、ますます発展しつつあります。ケインズ政策は、資本主義の部分的な否定ではなく、夜警国家論の否定、市場万能論の否定でしょう。新自由主義は、一層露骨な国家介入ではなく、鉄道、電話、航空、たばこ、郵便、生命保険、電力、高速道路などの公共性が高く、それ以前の資本主義では、国家やそれに準じる組織がおこなうべきであるという事業を分割し、民営化、株式会社化する方向で改革するというものであり、国家の市場への関与を狭める役割を果たしていると考えるべきでしょう」、「社会民主主義の幻想はことごとくついえず、ヨーロッパにおいては、保守と並ぶ政権をになう政治勢力として、イタリアなどのコミンテルンの流れを汲む旧共産党を陣営に加えてますます発展しつつあるとみるべきでしょう。今、現実の世界でおこっていることは、マルクスが描いたような古典的な階級対立ではなく、マルクスが想像もしなかった民族意識の復権です」。

 12.19日今は名を秘すさんが投稿bQ160「Re:今は名を秘す、いや中核(大爆笑)」で、次のように述べている。概略を述べると、元飯田橋学生さんの帽子屋=リベラル中道知識人ではないかとの指摘に対して、縷縷カクマル批判を展開している。「昨年の秋にカクマルは辛淑玉さんや佐高信氏への罵倒中傷のパンフをばらまいたこともあり、無党派の市民団体の人達にとってもカクマルの問題は無関係ではない」、「あるいは、マル共連フォーラムに出入りする「匿名子」のように、カクマルにとって不利な内容の書き込みがあったときに登場して、カクマルを擁護する書き込みをしたり、あるいは「中核派批判」へと巧みに話題を変えようとするような、そんな役割をネットのなかでしている人もいます」、「国学院大においては全共闘運動のころ、カクマルのスパイが国学院大のML派のキャップにのしあがり、この男の手引きによって国学院大のMLはカクマルにテロられて壊滅させられたということがあります」、「全共闘運動のころは、すべてのセクト、さらにはノンセクトまでもがカクマルのテロの対象にされていました。とくに早稲田や国学院ではカクマルの学内単一支配を狙うカクマルの残忍なテロが67、8年ころから横行していました」、「数年前、カクマルがニセ警察手帳、ニセ公安調査官手帳を大量に偽造していたことが発覚しました。かつて彼らは敵対党派の機関紙を偽造し、ニセビラを偽造するなど、さまざまな策略を行なっています」。

 「彼らはこのような行為の積み重ねによって時代をつくっていくことができると本気で信じているカルト的な集団であり、その構成員は選民思想と人民蔑視感にあふれています。この人民蔑視感は、『暇つぶしにネットをしている』と嘯く帽子屋の人民蔑視感と選民思想と、とても共通しているということです」と述べている。


 同日、今は名を秘すさんが投稿bQ161「Re:今は名を秘す、いや中核(大爆笑)」で、次のように述べている。「うちわだいこさん、こんにちわ」で始まる小西誠氏批判を述べている。『新左翼運動その再生への道』を取り上げ、「この主張の根本的な誤りは、カクマルの強烈な選民思想と人民蔑視感を直視することができず、彼らを大衆運動主義の党派であるかのように錯覚しているということがあります。なぜオウムが民衆に包囲されても解体しなかったかを、小西氏は検討したことがないということです」と述べている。

 
帽子屋はウジムシとかキチガイなどという言葉を好んで用いています。こういう言葉を好んで用いるのは2ちゃんねらーと、そしてカクマルだけです。彼が出入りしている多くの掲示板の常連のなかで、こんな罵倒語や差別語を用いる人間は、他にはいません」に対し、「そうですね、自分の理解をこえたものへのおそろしい嫉妬・嘲笑・などは、実はそれ自身が脆弱であるということをつきだしてもいるのです」のレスを受け次のように述べている。

 「
カクマルは中核派のことを「ウジ虫」、解放派のことを「青虫」、ブントは「赤ダニ」、ノンセクトを「ゴキブリ」と呼び、それらすべてを「変種下等動物」と呼んでいます。そして、彼らに対するテロを「害虫退治」と言っています。このように、敵対党派を「人間以下の存在」呼ばわりする事、それは実はナチスにも見られることです。ナチスはユダヤ人やスラブ民族やロマ民族などを人間以下の「亜人間」と位置づけていました。

 今回帽子屋が「ウジムシ左翼」というカクマルと全く同じ言葉を言ってきたのは偶然のようには私には思えません。「罵倒モード」というのは実は相手の人間性を引き出し、さらにはホンネの部分を引き出すことがあります。その意味では「罵倒モード」だって捨てたものじゃないでしょう。

 また「キチガイ」って言葉は差別語として、今では放送禁止用語、カクマルを除くすべての左翼セクトはこんな差別語は用いません。これは別に左翼セクトに限ったことではなく、たとえば帽子屋が常連として出入りしている「問答有用板」の常連の人達だって、差別語の問題には無関心ではないことは、彼ら、彼女らが石原慎太郎の差別発言に強い怒りを表明していることからも明らかになるでしょう。

 帽子屋はネットを「暇つぶし」だなどと言っています。しかし、「暇つぶし」としてのネットであろうと、あるいは便所の落書きであろうと、責任というものがあります。全世界に向けられたネットでの書き込みを「暇つぶし」だなどといって誤魔化すことは決して許されません
」。

 同日、今は名を秘すさんが投稿bQ162「Re:今は名を秘す、いや中核(大爆笑)」で、次のように述べている。帽子屋さんの「そうだ、いいことを教えてあげよう。私の知人にはカクマルの人はいるぞ(笑) うちの大学のサークル活動は、カクマルの人が握っていたから、サークル活動の関係者ならだれしも知っている公然の秘密だがね。俺より年上なのにまだ大学生だよ。良くやるよね(笑)」にレスをつけ、「前から不思議に思っていたのは、『どうして、文学部の学生がマルクス主義を学んだのか?』ということ、『そのきっかけは何だったのか?』ということ。なるほど、大学にカクマルがいて、しかもそれが『知人』だった、となるとカクマルによる学習会に参加してマルクスを学んだ、と、そういうわけだ」。

 同日、飯田橋から大塚へさんが投稿bQ163「Re:社会民主主義者のための弁明」で、山さんの見解に次のように反論している。「議会制民主主義は虚構ではありません。 私は、資本主義が革命の脅威にさらされても議会制民主主義は廃止すべきでないと考えています。真の問題は、革命後の国家が議会制民主主義を維持するのかどうかです。 まさに、このことがレーニンとカウツキー・ベルンシュタインとの思想の違いなのです」に対し、「『議会制民主主義』の定義によりますが、現在の資本主義社会におけるそれであるならば、当然社会主義とは相容れないと思います」。

 「選挙の投票率が下がりつづけていることを根拠に、労働者の多数派が議会制民主主義を否定しようとしていると考えるのは無理があるでしょう」に対し、「確かに「選挙に投票しない」という消極的な意思表示と「議会制民主主義を積極的に否定する」ということの間には大きな開きがあるでしょう。しかし少なくとも、多くの労働者が議会制民主主義に意義を感じなくなっているということはいえるわけです。議会制民主主義がもはや人民の生活を向上させず、逆に人民を抑圧したり収奪する法案ばかりを審議していることの反映です」。

 「市場経済は死滅しつつあるどころか、旧ソ連、東欧、中国といったかつての非市場経済国家が市場経済に参入することによって、ますます発展しつつあります」に対し、「これはまったくの間違いです。旧ソ連と東欧圏において市場経済はよく機能していますか。明らかに否とこたえなくてはなりません。市場経済の導入がもたらしたものは生活水準の大幅な低下とマフィア経済でした。中国においても成長は行き詰まりつつあると思います」。

 以下、 ケインズ政策を廻って、「資本主義の部分的な否定ではなく、夜警国家論の否定、市場万能論の否定でしょう」に対し、「なぜ市場万能論が否定されたのか。それは独占の登場により、市場が『見えざる手』でなくなったからです。市場経済は長期的には死滅しつつあり、その対症療法がケインズ政策ということです」。民営化的新自由主義に対し、「形式を変えるだけでしょう。市場は通貨政策でコントロールされます。新自由主義というのは形式だけで、実質的には『利潤率を維持するために人民の生活を切り捨てる』ということにほかならないでしょう」。「西欧での社民の政権与党化」について、「ヨーロッパの社会民主主義って、まだ存在するのでしょうか? 英国労働党にしてもドイツ社会民主党にしても、実行している政策は保守そのものですよね。社会民主主義は党名だけ」。「今、現実の世界でおこっていることは、マルクスが描いたような古典的な階級対立ではなく、マルクスが想像もしなかった民族意識の復権です」に対して、「ヨーロッパ統合はどうするの?」。

 同日、うちはだいこさんが投稿bQ164「Re:最後は世界大戦に対置するのは世界革命のみ」で、「世界大戦にむかわせず、レーニンの戦略を日本で実現。そして日本革命から世界革命へ」に対して、おっちゃんが「こんな豊かで寝ぼけた国が、世界革命の起点になるでしょうか? 私には信じられない・・」反論し、概要「革命情勢は近づいている。それに対応できないのは、帝国主義労働運動故である。民社党・かつての社会党右派の連中の転向社民、日本共産党の労働戦線分裂主義、革マル反革命が阻害要因である」なる見解を披瀝している。

 同日、うちはだいこさんが投稿bQ165「Re:社会民主主義者のための弁明」で、山さんの見解に反論している。「戦争は帝国主義段階の産物ではありません。資本主義を打倒することが平和を実現するわけではありません」に対し、「世界的大戦は帝国主義の産物です。戦争を一般化・相対化するごまかしはやめていただきたい。世界大戦は、帝国主義の不均等発展による市場再分割による解決として必然だ。これは、労働者と被抑圧人民にとって利害ありません」。

 「ルクセンブルクなどを虐殺し、革命を圧殺しナチスに道を開いた後、憲法擁護局の助言に基づいて新綱領が採択されたわけですね」に対し、山さんが「ベルンシュタインが、ルクセンブルクなどを虐殺したわけではありません」と述べているのに対し、「あなたのいっているのは、ドイツ社民党路線という。では、そのドイツ社民党大臣ノスケが殺したわけです。ドイツ社民は戦時公債に賛成した」。

 「議会制民主主義は虚構ではありません」に対し、「議会の歴史を勉強されたらよい。決して正義を代弁してはいない。フランスの身分制度による調整機関として発足したのであり、階級矛盾を融和する機関です。帝国主義であるかぎり議会は、戦争反対はかかげられない」。「私は、資本主義が革命の脅威にさらされても議会制民主主義は廃止すべきでないと考えています。 真の問題は、革命後の国家が議会制民主主義を維持するのかどうかです。 まさに、このことがレーニンとカウツキー・ベルンシュタインとの思想の違いなのです」に対し、「議会制とは、王制にたいするブルジョアなどの要求でもたらされてきたもの。ブルジョア革命でのこされたが、ブルジョア国家体制の階級矛盾を調整する期間で、プロレタリア革命になれば廃止すべきだ」。ケインズ政策について、「ケインズ的発展は虚構。実際は、赤字財政で発展したわけで、赤字は返せない方向にいっている」。

 
社会民主主義支持論について、「権、いったい具体的にどのようなものでしょうか。労働者階級の利害・解放がマルクス主義であって、人権擁護的な要求ではない。根底的な解放なわけです。ブルジョア的な権利さえ侵害され、社会的権利はほりくずされている。これが、ブルジョア体制の結末です。くわせなくなれば、弱いところからきるのです。だから、いよいよ階級対立が激化するのではないのですか?また、帝国主義市場再分割が開始されたとするべきです。あなたの世界分析はまちがっている。人権すらほりくずされるのなら、それに対する闘いがあるのは当然で、階級対立はおきるのが自然な見方です。事実、世界的に階級闘争は激化している。あなたの意見はいのなかのかわずだ」。

 社民主義は発展しつつあるという見解について、「発展している?イタリアでは、左翼民主党の規制をはねのけて一斉ゼネストが闘われている。
1300万参加
」。「民族意識の復権論」に対して、「新自由主義製作への反発は、世界でおきている。階級闘争は激化している。民族意識を鼓舞したいのがあなたではないのですか?国際階級連帯闘争は、各地でみられている」。

 同日、うちはだいこさんが投稿bQ166「Re:今は名を秘す、いや中核(大爆笑)」で、帽子屋さんの「私の知人にはカクマルの人はいるぞ」に食いつき、「帽子屋は、早稲田革マルでしょう。大学サークルを革マルが握っているという大学は、早稲田大学・国学院大学・愛知大学・鹿児島大学・などです。そして文学部といえば早稲田大学第一文学部自治会・国学院大学文学部自治会です。そして、経済史(マルクス経済・とくに宇野派もくわしいから)というと早稲田・国学院です。サークル・文学部・というと・・早稲田でしょう。文連は革マルですし・・・。この人は、早稲田大学第一文学部で、革マル文連ということでしょう。マルクス主義者でもなく(はじめはだれでもそう)文学部で、マルクス経済を学ぶ機会をあたえられたのは、革マルサークルの知人からと自白しているように、革マルシンパないし、活動家というわけです」と述べている。

 帽子屋さんの岸論に対し、今は名を秘すさんが「一生、岸賛美を言っておれ、このカスが!「才能と実力」があれば、戦犯でも「尊敬」するというのか! この男が人間を評価する基準って、「才能と実力」だけか!」を受けて、「革マル独特の官僚擁護でしょうね。革マルは、おちぶれたエリートがおおいですから・・・」と述べている。


 同日、うちはだいこさんが投稿bQ167「Re:今は名を秘す、いや中核(大爆笑)」で、「今は名を秘すさん、いつもながらさえた発言恐れ入ります」とエールを交歓している。今は名を秘すさんが、「帽子屋はネットを「暇つぶし」だなどと言っています。しかし、「暇つぶし」としてのネットであろうと、あるいは便所の落書きであろうと、責任というものがあります。全世界に向けられたネットでの書き込みを「暇つぶし」だなどといって誤魔化すことは決して許されません」と述べているのを受けて、「そう帽子屋だって書き込みをしているのですから、なにをいっているのでしょうかね」と述べている。

 同日、山さんが投稿bQ168「Re:社会民主主義者のための弁明」で、種々再反論している。「「議会制民主主義」の定義によりますが、現在の資本主義社会におけるそれであるならば、当然社会主義とは相容れないと思います」に対し、「なぜ議会制民主主義と社会主義とは相容れないと考えるのでしょうか? 」と反論している。「議会制民主主義がもはや人民の生活を向上させず、逆に人民を抑圧したり収奪する法案ばかりを審議していることの反映ですに対し、「私には、多くの労働者が議会制民主主義に意義を感じなくなっているとは思えません。もし、議会制民主主義がもはや人民の生活を向上させず、逆に人民を抑圧したり収奪する法案ばかりを審議しているとするならば、その責任はそうような議会を選んだ人民にあると考えるべきでしょう」と反論している。

 「これはまったくの間違いです。旧ソ連と東欧圏において市場経済はよく機能していますか。明らかに否とこたえなくてはなりません。市場経済の導入がもたらしたものは生活水準の大幅な低下とマフィア経済でした。中国においても成長は行き詰まりつつあると思います」に対し、「旧ソ連と東欧圏において革命後に混乱があったのは、市場経済を機能させるための、法的整備などの条件が整っていなかったからでしょう。最近は、これらの混乱から脱し、順調に経済発展していくでしょう。中国を見れば、市場経済を否定した経済政策が多くの餓死者を出し、市場経済を肯定した経済政策がいかに人民の生活レベルを向上させるかを分かりやすく学ぶことができるでしょう」と反論している。

 市場経済とケインズ論の絡みで、「なぜ市場万能論が否定されたのか。それは独占の登場により、市場が「見えざる手」でなくなったからです。市場経済は長期的には死滅しつつあり、その対症療法がケインズ政策ということです」に対して、「全く違います。それ以前の経済学と同様に、ケインズ経済学は市場を肯定します。その上で、実際の経済に対する認識が異なるのです。ケインズ経済学は、賃金を下方に硬直的であると認識しているのです」。

 新自由主義論で、「いや、狭めるのでなく形式を変えるだけでしょう。市場は通貨政策でコントロールされます。新自由主義というのは形式だけで、実質的には「利潤率を維持するために人民の生活を切り捨てる」ということにほかならないでしょう」に対して、「いや、形式を変えるのではなく、実質的に国家の市場への関与を狭める役割を果たしているのです。通貨政策でコントロールされるのは、マクロ経済です。国家自らが、市場の参加者になるわけではないという点で、明らかに国家の役割は低下しています」。

 民族主義で、「ヨーロッパ統合はどうするの?」に対して「ヨーロッパ統合は、マルクス的な民族意識の消滅ではなく、個々の民族の歴史的、文化的独自性を尊重するものでしょう。その上で、ヨーロッパ統合は、アルファベットとキリスト教という古代のローマ帝国以来の歴史的基盤という特殊性ゆえにおこった現象であり、世界の他の地域にも同様のことがおこりうると考えるべきではないでしょう」。

 同日、山さんが投稿bQ169「Re:社会民主主義者のための弁明」で、種々再反論している。概略を述べると、ベルンシュタイン論で、「あなたのいっているのは、ドイツ社民党路線という。では、そのドイツ社民党大臣ノスケが殺したわけです。ドイツ社民は戦時公債に賛成した」に対し、「ベルンシュタインが、ルクセンブルクなどを虐殺したわけではありません」。ドイツ社会民主党論で、「革命を対置できず、ナチに殲滅されたわけです」に対し、「 革命を対置できなかったからではなく、現実的な政権政党にならなかったために、ナチスの台頭を許してしまったのです」。

 議会論で、「 私は、議会が正義を代弁していると主張しているわけではありません。議会は、階級矛盾の融和だけではなく、異なった意見の違いを認めつつ、多数派を尊重しようというものです。帝国主義だろうが何だろうが、議会は多数派の意見が通ります。従って、戦争反対を主張する議員の方が多ければ、戦争しないでしょう。戦後の日本は、戦争を賛成する議員の方が少なかったから、戦争をしなかったのです」。

 「議会制とは、王制にたいするブルジョアなどの要求でもたらされてきたもの。 ブルジョア革命でのこされたが、ブルジョア国家体制の階級矛盾を調整する期間で、プロレタリア革命になれば廃止すべきだ」に対し、「 階級矛盾と意見の違いは別です。プロレタリアしかいない国家においても、意見の相違はあります。多数派に従おうというのが、民主主義です」。

 同日、帽子屋さんが投稿bQ170「Re:今は名を秘すといいつつ永遠に革命人生を送るバカへ」で、種々再反論している。概略を述べると、「カクマルで民社協会に所属する、大内力で反動の帽子屋で〜す♪本日もヨロピク♪」。「さっそく始まりました、中核派のイカサマプロパガンダ♪ 「暇つぶし」⇒「責任なし」というスリカエで、言ってもいない他人の言論をデッチアゲて反論 まさしく【大衆】を心の底では軽蔑する中核派活動家今は名を秘すクンらしい発言ですねえ♪」。

 「なるほど、大学にカクマルがいて、しかもそれが「知人」だった、となるとカクマルによる学習会に参加してマルクスを学んだ、と、そういうわけだ」に対し、「ハズレ♪ 単に経済史を専攻しているから、自学自習で勉学♪
みんなでサークルの人と軽蔑していましたね、カクマルの人を。繁華街で演説してるんだもの♪ ちなみにおいらは大学生のとき故郷の知人に中核派の笑えるパンフレットを送りつけたら『帽子屋は中核になった』といわれてエライ迷惑だったよ♪
」、「れんだいこ板といい現実生活といい、ほんとに中核派は迷惑な存在だよな(爆笑)」。

 ネット参加は「ヒキコモリ」に対して、「みんな片手間でやってるの。本気とはね、本業に使う言葉」、「キミはヒキコモリで本気かもしれないけど、問答有用の常連は違うから必要ないね。みんな『片手間』で、自分の考えたことを『暇つぶし』で書いているのだから


 「こんな中核派犯罪者のバカに生まれてきてゴメンナサイ、お母さん(笑)」、「とりあえず、ウソツキイカサマプロパガンダをしたことを認めるのか?今は名を秘すクン(爆笑)。人について誹謗中傷をならべてたてた挙句、何様のつもりだね。2ちゃんねらーと同様、責任のない言論をする人間だね、こいつ。いや、2ちゃんねらー以下だね。2ちゃんねらーは現実世界では覆面マスクにヘルメットなんか被って匿名で生きていくような卑劣な真似はしないからな(爆笑)。まずは、自分の民社認定・カクマル認定を含め、【石原批判をしたことがない】とウソを書いたことについて、この場で謝罪するんだな」。

 岸論に関係して、「この男が人間を評価する基準って、『才能と実力』だけか!」に対して、「当然。「才能と能力」のある人間を尊敬できない人間は嫉妬でしかない。『好き嫌い』『立場をとる・とらない』はその後だな」。
「」

 12.20帽子屋さんが投稿bQ172「Re:うちわだいこはフランコ暴力クーデターを支持するバカマルキスト」でレス付けている。概略を述べると、冒頭「カクマルで民社で大内力にして反動の帽子屋で〜す♪(笑) うちわだいこクン、ウソはいかんねえ」、「いったい、おれはカクマルなのかね?民社なのかね?いい加減はっきりしろよ(爆笑) キミはウソツキイカサマプロパガンダだったことを認めるのかい?」。

 帽子屋さんの「そうだ、いいことを教えてあげよう。私の知人にはカクマルの人はいるぞ(笑) うちの大学のサークル活動は、カクマルの人が握っていたから、サークル活動の関係者ならだれしも知っている公然の秘密だがね。俺より年上なのにまだ大学生だよ。良くやるよね(笑)」を更に説明して、「おれはその人と今も時々合うけど、これまでほとんど話をしたことないがなあ。だれもが実はカクマルと知ってるし、周囲からはハレモノあつかいだしねえ。しっかし面白いねえ、みなさん。『知人がいる』と書いただけなのに、いつのまにか中核派活動家2人の間で『知人から』『カクマルサークルから』マルクス経済学を学んだことにされている!!!(爆笑)」、「まあ、どっちとも関係はないんだが、早稲田のカクマルが襲撃されたり、民社協会に苦情がいったり、京大の中核派が報復で襲撃されたりすると面白いからそのままにしておこうっと♪」と述べている。

 帽子屋さんの「暴力による革命といい、イカサマプロパガンダといい、ナチ・ゲッペルスそのものだな(笑)【ナチの宣伝技術はドイツ共産党のパクリなんだけどな」に対し、うちはだいこさんの投稿bQ117の「ロシア革命過程は、暴力革命だったし、スペイン内戦は暴力革命の内乱そのもの」を取り上げ、「どうみても、フランコ独裁で暴力革命を正当化しているよね。左翼のクズだね♪」と述べている。

 続いて、帝国主義論に入り、縷縷述べている。真意は、「よく考えてごらん。内在的到達段階ではない帝国主義である以上、植民地もないのに帝国主義となづけて分析する必要性はないし、【より巧妙化した悪質な帝国主義】であるならば、同じ帝国主義という言葉をつかうと、その悪質さを隠蔽しかねないだろ?現代帝国主義のいっそうの悪質さを知りながら、同じ帝国主義で形容するとは、帝国主義の擁護でもするつもりなのかね?(爆笑)

 宇野は今の日本やアメリカを帝国主義という必要を終わらせたんだよ。【帝国主義】は、今やきみみたいな変態左翼のオモチャになり、スローガン以外意味を有しなくなった。『帝国』だの、帝国の文化秩序みたいな議論は盛んだが、『帝国主義』なんかいう人は希少になった。【帝国】でもいいし、【自由貿易帝国主義】でもいいし(一九世紀初頭のイギリス資本主義の形容)、むろん現代帝国主義論でも良い」、「うちわだいこ帝国主義論は、アメリカ『帝国主義』?の一層悪質な姿を隠蔽するものになりかねぬと批判したのだが?『帝国主義』概念を金融資本の成立していない国に使いたいならどうぞ。ウスッぺらなプロパガンダでしかないけどね」。

 うちはだいさんの経済学的知識に対して、「ほとんどこれではお笑いマルクス経済学ですな。いったい誰に習ったんだ♪恩師の顔がみ・た・ひ(笑)」。

 今は名を秘すさんに対して、「今は名を秘すは他人を民社呼ばわりしながらそのことを否定するウソツキであり、政治的リベラリズムが何たるか逆に聞かれて答えられないバカとか、カクマル怖さに中核派はヘルメットを被るウジムシ左翼、というのもあるが、こんなの常識だからいいよね(笑)」。

 同日飯田橋から大塚へさんが投稿bQ173「帝国主義」でレス付けている。概略を述べると、帽子屋さんの「(うちはだいこさんが)どうみても、フランコ独裁で暴力革命を正当化しているよね。 左翼のクズだね♪」見解に対し、「うちはだいこさんが言っているのは、どう見ても『スペイン内戦における革命派側の暴力行使』のことで、フランコ側を支持してるんじゃないですよ。それくらいは理解しましょう」。

 この間の「帽子屋=カクマル詮議」に対して、「
まあ、うちはだいこさんも『帽子屋=カクマル』とかは誤爆なんで、ここらへんで撤退しましょう

 帝国主義論に対してもコメントしており、帽子屋見解に対し、「『帝国主義』の語源はそういうことでしょう。しかし自由主義者が名付けた用語であってもその後マルクス主義の文脈では違う意味で用いられています。また、『帝国主義』というのを、『帝国主義国と非帝国主義国』という風に理解するのでなく、ルクセンブルクのように世界体制として理解する必要があると思います。『民族解放闘争』の破産もレーニン的視覚ではなくルクセンブルク的視覚でないと理解できないと思います」。

 同日帽子屋さんが投稿bQ174「Re:帝国主義」でレス付けている。概略を述べると、飯田橋から大塚へさんの「うちはだいこさんが言っているのは、どう見ても『スペイン内戦における革命派側の暴力行使』のことで、フランコ側を支持してるんじゃないですよ。それくらいは理解しましょう」に対し、「いやいや、暴力革命を正当化するのにあきたらず、スペインのフランコ『をも』正統化する論理など断じて許せるものではありません(そーユー怒り方をしているのですけど?)。これは、政治的リベラリズムを絶対視し、左右の全体主義を排斥するものとしては、許されざる一線であります」。

 「まあ、うちはだいこさんも『帽子屋=カクマル』とかは誤爆なんで、ここらへんで撤退しましょう」に対し、「かれは民社の誤爆も謝罪してませんよ?まあ踊らせると面白いので、かれと今は名を秘すが謝罪するのをまちましょう」。

 帝国主義論について、「まさしく世界体制としての帝国主義であるならば、いまの植民地のない、むしろ実体化せず隠蔽されている支配体制を「帝国主義」と旧世紀の遺物的ネーミングをするのは、いささかアメリカ資本主義を軽くみた千年一日の議論でありましょう。そこでかような提起を企てているわけであります。いっそう悪質なものにおなじ『帝国主義』と名をつけるのは、悪質さの隠蔽に他なりませぬ」。

 同日飯田橋から大塚へさんが投稿bQ175「Re:社会民主主義者のための弁明」でレス付けている。概略を述べると、山さんの「なぜ議会制民主主義と社会主義とは相容れないと考えるのでしょうか?」に対し、「議会制民主主義は「個人」を主体にした思想で、社会主義の論理とは違います。議会制民主主義は、合理的・利己的に行動する個人という前提に立った制度ですが、社会主義は平等と連帯の制度です」。

 「私には、多くの労働者が議会制民主主義に意義を感じなくなっているとは思えません。 もし、議会制民主主義がもはや人民の生活を向上させず、逆に人民を抑圧したり収奪する法案ばかりを審議しているとするならば、その責任はそうような議会を選んだ人民にあると考えるべきでしょう。」に対し、「『責任』というような問題に迷い込むのでなく、議会制民主主義がもはや機能しなくなっているのはなぜかということを歴史的に分析すべきではないか」。

 その他、市場経済論、ケインズ政策論、ドイツ社会民主党についても反論している。

 同日帽子屋さんが投稿bQ176「Re:社会民主主義者のための弁明」でレス付けている。概略を述べると、議会制民主主義論に言及し、「これはマックスウェーバーによれば、議会制民主主義はあらかじめ『選ばれるべき人』が少数に絞り込まれていることが機能する上での前提条件であり、それはすなわち近代化の進展とともに失われてしまう封建的な「名望家秩序」にこそ依存しているからだ、と説いていますね。19世紀末のイギリス議会政治からの考察とはいえ鋭いものがあります。これを矯正するものとして、『人民投票制指導者民主主義』を説いたのも彼です。マルクスのルイ・ポナパルト分析などは、なかなかこれと接合させると面白い」。

 その他、ケインズ政策論、ドイツ社会民主党についても言及している。「ドイツの共同決定法」に言及して、「従業員の経営参加の法制化は、大きな意味をもつでしょう。そもそも国営化とは何でしょうか?労働者階級の代表が資本の管理を取り戻すことにあります。であるならば、労働者が資本とともに経営に参画することは質的違いを有するものなのでは?むろん質的違いが量的違いにどの程度結びつくものなのかはいまひとつ謎ですが」。




 



(私論.私見)