落語協会よお前はなぜ染まらぬ考 |
(最新見直し2014.9.23日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで「落語協会よお前はなぜ染まらぬ考」をしておく。 2014.9.23日 れんだいこ拝 |
今日ふと気づいたのだが落語の場合は同じ演題を廻って落語家が芸を競う。語り部にそれぞれの味があり、そこを味わう。だから落語においては演題は基本的に自由に使えるんだろうと思う。これを思えば落語は著作権になじまない。逆に音楽だけはなぜ特権的な著作権を振り回すのだろうと云うことになる。音楽著作権に対する不審はまだある。昔なら作詞家と作曲家と歌手は三位一体で名歌づくりに勤しんでいた。この関係が著作権以来崩れさせられた。即ち作詞家と作曲家には著作権が認められ歌手には認められていない。これにより歌手の地位が低下させられたことは疑いない。ユダ屋商法による被害者である。昔、家元制を突く運動があったが、今思うに若気の至りのそれではなかったか。元々の家元制はその業界人の芸と飯を保証する合理的な制度であり、これを思えば今時の著作権制が如何に粗暴粗雑なことか。家元制の方が歴史の風雪に耐えているのであり著作権制なぞ典型的なユダ屋商法でしかないんだな。これについては後日さらに推敲する。 2014.9.23日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)