亀戸事件に抗議した社会主義者・労働者も、自分たちの同志、社会主義者 の虐殺に対して抗議していますが、朝鮮人事件については一言も触れません。 その証拠として、亀戸事件労働者大会というのがあります。
「我等が同志川合義虎、山岸実司、平沢計七は震災後の混乱に乗じ、警察と
軍隊との協力に依って9月3日、殺戮せられた。
決議 吾人は官憲当局の発表は己を蔽わんが為の卑劣なる遁辞にして、人道上断じ て許すべからざる行為なることを認む。 吾人は速に司法当局が司法権を発動し以て責任者を厳罰に処せん事を要求す。 右、決議する」。 |
この中に、朝鮮人事件については一言も触れていません。日本の歴史家が 三大虐殺事件として並立していっているにもかかわらずです。社会主義者は朝 鮮人事件に目をつぶったのです。 |
朝鮮人事件合理化のために「鮮人の背後に社会主義者がいる、ロシアがい る」という官憲による第二の流言が出て来るということを知らずに、そういう
ことを提起せずに、抗議文なんかは意味がないと思います。 このときの社会主義者は、朝鮮人問題には目をつぶり、そっぽを向き、連
帯のひとかけらもありません。そればかりか、このときの労働運動のボス鈴木
文治は朝鮮総督に手紙を送って、「朝鮮人の思想善導のために、一役買いまし
ょう」という提案をしています。つまり朝鮮人を使って、震災後の廃墟を整理
する方向に彼らの能力を生かしたい、そのためには朝鮮人を善導し、思想教育
をしたいと言う訳です。 これは朝鮮人の中の、日本に協力して金儲けをしようとした相愛会の朴春
琴、李起東らと全く同じ行為だった訳です。 同じくテロを受けた者たちが真相究明に対して一言も言わないということ
では、真相の究明などあり得ない訳です。 |
朝鮮人虐殺や労働運動指導者の虐殺事件は、労働総同盟の一部指導者を震 えあがらせたようで、その後、日本労働総同盟は急速に右傾化したとされます。
そのいい例が鈴木文治の手紙といえます。 それでも総同盟は震災の翌年、公式に朝鮮人虐殺事件の抗議をしました。
しかしそれも後の祭りで、日朝労働者の提携気運は急速にしぼんでしまったよ
うでした。こうしてみると、関東大震災は日本の労働運動にとっても大きな転
機だったようでした。 |