ドイツの司法改革考

 (最新見直し2010.10.03日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、ドイツの司法改革を確認しておく。

 2010.10.03日 れんだいこ拝


 「阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK96 」の鷹眼乃見物氏の2010.10.2日付け投稿「ドイツ・日本司法の比較論考、「日本司法の失われた50年」の成果こそが(検察庁、大阪地検)特捜部崩壊の原因」その他を参照する。原文は、「2009-05-21 法(権利保護)の歴史を軽視する酷薄な『裁判員制度』/日本国民の無」のようである。
 (序 論)

“過去に目を閉ざす者は現在にも(そして未来にも)盲目になる” リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー

・・・司法の在り方について、日本とドイツに違いをもたらした原因を大きく括るならば、それは「憲法の役割」(政治権力に対する授権規範性の問題)についての認識の違いということがある。日本国憲法の定めにより最高裁判所には違憲立法審査権が与えられているが、残念ながら、現代の日本では、その機能が全く形骸化しており、そのことについての国民一般の危機感もまことに希薄である。

・・・つまり、現代ドイツの裁判官は、“裁判という典型的な動的・選択的統合(dynamo-objective coupling)のトポス(厳しい司法判断のプロセス)で漸く確保でき得る真実・真理・事実(=民主主義の未知の地平を守り抜くという意味で新たに発見され得る公共の知見を含む)の保全と維持に自らの地位と才能を全力投入すべきことを十分理解しているよいう点で、彼らは“公務員中の公務員であること”を自覚している”と言える。

 (本 論)

 ドイツの裁判制度の現況/1960年代・司法改革の成果としての・・・http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090521より部分転載

●ドイツと日本の司法の根本的違いは、「日本と異なり、立法と行政に対するチェック機能をドイツの司法が十分に果たしている」という点にある。例えば、ドイツでは日本とは比較にならぬほど多くの違憲判決が出ており、その背景にはドイツ連邦憲法裁判所が年間で約5千件(平均)の違憲判断裁判を処理しているという実績がある。これに対して、日本の最高裁判所(司法官僚組織のトップ構造部分)は違憲判断のケースを極力避けるという方針を基本としているため、ドイツに比べ違憲判断裁判の件数が極端に少ない。(というか、それは殆ど無いに等しい!)それどころか、国民一般の意識の中には、「違憲判断」に対する一種の鈍感さのような空気が定着してしまっている。

●ドイツの参審制(国民の義務であり名誉でもある“名誉職裁判官制度”)では、その参審員(名誉職裁判官)は市民の諸階層(労働団体・経営者団体・教育関連団体など)からの推薦で登録名簿が作られ、その中から選任される。ドイツの“名誉職裁判官制度”は刑事裁判だけでなく、社会保険・医療分野などを管掌する社会裁判所が取り扱う裁判でも行われており、この場合の参審員は専門知識分野での経験が重視される“専門裁判員”の役割を負うこととなり、一般国民の司法参加の意義とは少し異なるものとなる。

●ともかくも、このような部分を垣間見ただけでも、精密な予審制を採り入れたフランスの司法・裁判制度とは異なる形で、ドイツの司法・裁判のあり方の根本にも“ドイツの司法は凡ゆる側面で市民の人権と結びつくべきだ”という「持続的に民主主義を保全する強い意志」が存在していることが分かる。一方、日本の司法には、凡ゆる側面で“市民の人権と切れた”、あるいは“それを切れさせようとする”「司法官僚組織至上主義の原則」による、政治権力にとって最も使い勝手が良い「上位下達型の司法のあり方を押し付けるという強い意志が存在している」ことが分かる。

●一方、現代ドイツの「司法・裁判制度」が、このような形で「持続的に民主主義を保全する強い意志」を持つことになったプロセスには、「1960年代におけるドイツ司法改革」が画期的な役割を果たしており、第二次世界大戦後のドイツで、まだ司法分野にナチス協力者が残存していることへの危機感(=ナチス時代に“自分は何もしなかった”と主張する、民主主義の保全について消極的な裁判官の排除と、凡ゆる形で司法民主化を持続的に改善することの必要性についてのドイツ国民の自覚)がその直接的な契機となった。

●また、現代ドイツの裁判官は、“裁判という典型的な動的・選択的統合(dynamo-objective coupling)のトポス(厳しい司法判断のプロセス)で漸く確保でき得る真実・真理・事実(=民主主義の未知の地平を守り抜くという意味で新たに発見され得る公共の知見を含む)の保全と維持に自らの地位と才能を全力投入すべきことを十分理解しているよいう点で、彼らは“公務員中の公務員であること”を自覚している”と言える。

●実は、日本の1960年代における司法でもドイツに似た状況が生まれるかに見えたが、最高裁判所による青年法律家協会所属の裁判官の再任拒否などが切欠となり状況が変わった。つまり、それ以降の日本はドイツと全く反対の道を歩んでしまった。それどころか、ドイツはシュレーダー前首相のような学生運動の委員長であったような逸材を「新たなドイツ社会の建設」のためにドイツに包摂する道を選択した。そして、おおよそ、この頃のドイツでは「過去に目を閉ざす者は現在にも(そして未来にも)盲目になる」という、あの余りにも名高いリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(Richard Karl Freiherr von Weizs醇Bcker/1920− /参照 → http://www.bea.hi-ho.ne.jp/good-luck/book/kakoni.html)の演説が評価されていた(現在も、評価されている!)。

●このような意味で、日本とドイツに違いをもたらした原因を大きく括るならば、それは「憲法の役割」(政治権力に対する授権規範性の問題)についての認識の違いということがある。すでに触れたとおり、日本国憲法の定めにより最高裁判所には違憲立法審査権が与えられているが、残念ながら、現代の日本では、その機能が全く形骸化しており、そのことについての国民一般の危機感もまことに希薄である。

●一方、「ドイツ基本法・第20条3項」(参照 → Grundgesetz feur die Bundesrepublik Deutschland、http://www.fitweb.or.jp/~nkgw/dgg/)には『行政権と裁判権は制定法(Gesets)とRecht(人権・正義)に服する』と規定されており、政治権力と官僚機構から全く独立した立場にあるドイツの司法・裁判所・裁判官は、この立場で市民の権利の保護のため自由に仕事をしており、しかも、このような現実(事実)についての理解がドイツ社会(=全ドイツ国民)の共通認識となっている。ここでは、内閣官房・法務省・最高裁判所・財務省・総務省等、霞が関を頂点とする堅牢な官僚機構の重い蓋を被る日本社会における裁判官の立場(それは官僚組織の中での持ち駒の一つに過ぎず、出世・昇進・転勤など身分処遇上への懸念から絶えず最高裁判所の顔色を窺わざるをえない立場)と、ドイツの裁判官の立ち位置との決定的な違いが明瞭に確認される。

●更に敷衍するなら、1960年代以降の日本は、ドイツを初めとする欧州諸国と全く逆の方向を歩んでしまったことが、上で見た<ドイツと日本の司法のあり方にみられるような典型的な民主主義の質の違い>をもたらした。具体的にいえば、それは民主主義の偽装化、政治の右傾化、司法の反動化、司法・検察官僚を頂点とする官僚組織の強化、アナクロ方向への教育管理の強化ということであり、そして、これらの悪しき動向を後押ししたのが、官房機密費汚染や記者クラブ制度などで飼いならされ実効権力の御用機関化したメディア一般の堕落と退廃ということである。

 (注記)

 以上のドイツ司法・裁判制度の現状について、下記を資料として参照した。

 ▼1960年代ドイツの司法改革の行方、http://www.lec-jp.com/h-bunka/item/v6/tokusyu2/03c.html

 ▼日本法哲学会公開シンポジウム:司法改革の理念的基礎、http://wwwsoc.nii.ac.jp/jalp/j/JudiciaryReform.pdf

 ▼各国の参審制度、http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/kentoukai/saibanin/dai13/13siryou2-2.pdf

 ▼日本とドイツにおける違憲審査制度の比較、http://www.cit.nihon-u.ac.jp/kenkyu/kouennkai/41kai/step4/8_kyouyou/8-003.pdf





(私論.私見)