革命的議会主義考 |
(れんだいこのショートメッセージ) |
197年代初頭のその昔、日共不破が「人民的議会主義」を標榜し、政界進出してきた。その論たるやいかにも不破らしい本音隠してああでもないこうでもない論を総花的に述べたものでしかなかったが、それはともかく論を獲得していたことは評価されよう。とはいえ、不破の狙いは、その論でもって日共党運動を議会専一主義に向かわせることにあったことがその後の動きで判明する。「人民的議会主義」にはそのようには書かれていないが、不破とはそういう癖のある御仁である。 不破式人民的議会主義運動は、当初は票数議席とも伸ばし堅調であったが、次第にその詭弁主義が飽きられ、90年代に入るや敗走に継ぐ敗走を重ねている。示威運動、その他大衆闘争を犠牲にしてのそれだから、選挙運動にも失敗したとなると残ったものは何もないという惨状を見せている。 そういうことを踏まえ、れんだいこは、不破式「人民的議会主義」に代わる論、二枚舌でない革命的議会主義論の創出を期待している。れんだいこがやれば良さそうだが、出来るとも思うがそれにはそれなりの集中した時間が必要で、今のれんだいこには余力がない。そうい訳で、どなたかの論考を望んでいる。 「阿修羅政治版13」のあっしら氏の2003.9.2日付け投稿「議会で革命ができると考えるのも妄想なら、議会の利用さえできない政治勢力が革命を実現できるというのも妄想」は名句である。付け加えれば、戦後憲法秩序はプレ社会主義というべきものであり、ならばその諸制度を活用しない手はないという観点が欲しい。戦後左派運動はこのことを見ずに、徒にマルクス主義的に嘴を黄色くしてブルジョア議会論を唱え、議会批判するのを得手としてきた。それは総じて非マルクス主義的態度である。このことをはっきりさせておきたい。 2005.7.12日 れんだいこ拝 |
(れんだいこのショートメッセージ) | |
れんだいこは、「2005都議選考」で、中核派の選挙結果に対するコメントについて次のように批判した。
その中核派は、2005.7.18日付「前進2206号」に、れんだいこ仮題で「2005都議選総括」、「長谷川候補のお礼と決意表明」、「選挙戦を振りかえって」の三論文を掲載した。「長谷川候補のお礼と決意表明」だけでももう少し早ければよいと思うが、それでもこれで体裁は整った。 随所に興味深い論点があるので、れんだいこがこれと対話してみる。れんだいこは、これは今後に関することで余程重大な対話になると心得ている。 2005.7.11日 れんだいこ拝 |
【「中核派の2005都議選総括」との対話】 | ||||||||||||
れんだいこ仮題「2005都議選総括」は、「第1章 新指導路線下で新たに革命的議会主義に挑戦」で、次のように述べている。
次に、都議選に於いて「つくる会教科書の杉並区での採択絶対阻止」を優先課題としたことに付き次のように述べている。
更に次のように述べている。
ここで初めて選挙結果に触れ、次のように述べている。
|
||||||||||||
「第2章 つくる会教科書阻止を訴えた闘いの正しさ」で、冒頭、「つくる会教科書の杉並区での採択絶対阻止闘争の意義」について次のように述べている。
続いて、次のように述べている。
続いて、次のように述べている。
続いて、次のように述べている。
続いて、次のように述べている。
続いて、次のように述べている。
|
||||||||||||
「第3章 戦争と階級闘争絶滅の大反革命を押し返した」で、冒頭、「都議選の意義」について次のように述べている。
続いて次のように述べている。
続いて次のように述べている。
|
||||||||||||
「第4章 階級闘争の分岐・流動と開かれた11月への道」で、次のように述べている。
|
【中核派の2005都議選候補者・長谷川氏の「選挙のお礼と新たな決意表明」」との対話】 | |||
2005.7.18日付前進2206号には続いて、れんだいこ仮題「長谷川候補のお礼と決意表明」(「戦争教科書 採択絶対阻止へ 大衆闘争の高揚を切り開いた都議選決戦 新しい次元の闘いを貫き『教科書』訴え悔いはない お礼と決意表明 長谷川英憲」)が記事掲載されている。これを検証する。
|
【中核派の「選挙戦を振りかえって」について】 | ||
2005.7.18日付前進2206号には続いて、れんだいこ仮題「選挙戦を振りかえって」(“戦争の教科書を絶対阻もう” 長谷川氏、連日渾身の奮闘 選挙戦最終日 熱気あふれる駅頭街宣」が記事掲載されている。これを検証する。
|
【「共産主義者の宣言」から汲み取るべき選挙政策考】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「共産主義者の宣言」の指針するプロレタリア運動の選挙政策について確認する。現下の社共運動が如何に逸脱しているか、現下の新左翼運動が如何に逸脱しているかを晒してみたい。手前味噌ながら「『共産主義者の宣言』考」( marxismco/marxism_genriron_gensyo_sengen.htm)をテキストとする。 1948年、国際的組織として結成された共産主義同盟同盟の綱領として発表された「共産主義者の宣言」は、各国各地の共産主義者に次のような態度を採るよう指針させた。 「第1章、ブルジョアとプロレタリアート」の項で次のように述べている。
これによれば、プロレタリア運動は、大衆運動から政党運動へ乗り出し、何度も試練を経ながら「労働者の特定の利害を法的に承認するよう迫る」。イギリスに於ける十時間労働法はその成果である、として肯定的に述べていることが判明する。 次のようにも述べている。
これによれば、プロレタリアートとブルジョワジーとの闘争が、まずは国内闘争として展開されることを指摘している。国内間のこの階級闘争に勝利することが要請されている。 次のようにも述べている。
これによれば、階級闘争の激化がいずれ市民戦争(内乱)に至り、内乱が公然たる革命を勃発させ、ブルジョワジーの暴力的打倒を通じてプロレタリアート支配の基礎が築かれることを見通していることになる。 「第2章、本文2、プロレタリアと共産主義者」の項で次のように述べている。
これが、マルクス主義者の運動論の骨格でありエッセンスである。共産党と云う独自の党派を結成して、唯我独尊セクト的に政治活動するものではないと示唆している。逆に云えば、「他の労働者階級の諸党派」を左から支える運動を推進することこそが肝要と述べていることになる。これに照らせば、民的議会主義という名の下に展開されてきた日共不破式議会主義運動は、犯罪的な党派運動を推進していることになろう。 次のようにも述べている。
これによれば、「他の労働者階級の諸党派」を左から支える運動を推進する」ことの出来る共産主義者は、故に実践面でも理論面でも秀でている者達で無ければならない、ということになる。 次のようにも述べている。
これによれば、共産主義者は、国内闘争に責任を持つ立場であるが、排外主義的な国家主義、民族主義には陥らない。そういう見地からプロレタリアートの政治的支配権獲得闘争を支援し、革命政権を樹立し、国際主義的国家を形成することを責務とせねばならない、ということになる。 次のようにも述べている。
これによれば、労働者階級の革命運動は、「プロレタリアートを支配階級の地位へ持ち上げること、民主主義を廻る闘争で勝利を収めることである」。次に向うのは、政治的支配権を使って、生産用具の社会化(国家化)に向わねばならない、ということになる。留意すべきは、それが「全生産能力を可能な限り急速に増大させる」方法であり道筋である、と云う。 次のようにも述べている。
これによれば、「全生産能力を可能な限り急速に増大させる方法としての革命政権の青写真政策」として、土地占有制、累進課税、相続権廃止、海外移住者の国内資産の没収、官営中央銀行の下での官民共存、通信・交通・運輸の官営化、官営企業の拡大、国家的総合開発計画の策定、平等な労働義務、都市と農村の格差是正、無料義務教育、児童労働の禁止、産学協同が掲げられている。 「第4章、種々の抵抗党に対する共産主義者の立場」の項で次のように述べている。
これによれば、共産主義者は、党派的利益を追い求めるのではなく、「常に運動の未来を気にかけ」、全体の情勢を左からこじ開けていくことを任務とすべし、と指針している。 次のようにも述べている。
これによれば、共産主義者は、常に批判的立場をとる権利を保持しつつ、フランスでは社会民主主義者と同盟し、スイスではブルジョア急進派を支持し、ポーランドでは農業革命派を支持し、ドイツでは革命的ブルジョワジーと共闘すべし、と指針している。つまり、共産主義者が各国各地に共産党を創設するまでは良いとしても、独善主義に陥ることなく「歴史的判断」で共同戦線運動を展開するよう示唆していることになる。
これによれば、共産主義者は、奉仕的立場から運動に取り組むも、批判的立場をとる権利を保持しつつ情勢の左傾化に向けて尽力すべし、と指針している。
これによれば、共産主義者は、ブルジョワ革命の前夜を直ちに引続くプロレタリア革命の序曲として取り組むべし、と指針している。
これによれば、共産主義者は、どこでも、あらゆる国の民主主義諸政党との共同戦線を引き受け、現存する社会的、政治的秩序に対するあらゆる革命的運動を支持して骨折り労を為すべし、と指針している。
これによれば、共産主義者は、自分の見解や目的をかくすことを恥とし、暴力革命の必然性をも論証しつつ理論活動に邁進すべし、と指針している。 以上、れんだいこは何を語ろうとしているのか。賢明な者には既に解説不要だろう。一言だけするならば、今や共産主義者は自前の党派結成を当たり前としている。このこと自体は良かろう。問題は、不断に共同戦線を求め、縁の下の力持ちとなって汗を流す運動を通じて活動家の能力と党的能力を高めていくような運動を目指すべきではなかろうか。 この路線から外れたところの権威主義、排他主義、統制主義、お山の大将主義は邪道と心得るべきではなかろうか。今現在の問題で云えば、日共の野党内分裂主義による自公体制補完戦術こそ最も唾棄される手法ではなかろうか。口先では「ホンモノの野党」を饒舌し、実践的に権力安定に奉仕するかような遣り方に憤然と抗議すべきではなかろうか。 とはいえ、その他左派政党のお粗末さも言語道断であろう。れんだいこもネット進出足掛け5年になる。この間有意義な提言を何度もしている。これを無視して、相変わらず下手糞な手前味噌ばかりし続けている左派系諸派よ、左翼狭量主義こそ最も忌むべき精神の貧困と知れ。 2005.9.3日 れんだいこ拝 |
「小室直樹『痛快!憲法学』(集英社インターナショナル、2001年)」の読書録214(2002.05.18)に次のような興味深い内容が記されているので転載しておく。
【第3章 すべては議会から始まった】
憲法や議会は歴史上、民主主義とはまったく関係ない。中世において、租税導入を
したい国王と既得権を守りたい貴族が妥協する場として設けられたのが議会であっ
て、そこで合意された最初のものがマグナ・カルタであった。しかし、民主主義とは
まったく関係なく作られたマグナ・カルタが原点となってイギリスの民主主義は生ま
れることになる。
【第4章 民主主義は神様が作った!?】
国王対貴族の争いは、貨幣経済の発達(貴族は自給自足に頼り、国王は商工業者か
ら税金をとっていた)によって国王が勝ち、絶対王政が成立した。このリヴァイアサ
ンに挑んだのが予定説を信じたプロテスタントである。予定説によれば、救われるか
どうかは神が既に決定していて人間には分からない。しかし、少なくとも予定説を信
じているということは救いのための必要条件であるので信じる。また、いつまで経っ
ても救いの確信が得られないので「信仰の無限サイクル」が生まれる。こうして片時
も信仰が頭から離れることのないプロテスタントが王権を覆した。
【第5章 民主主義と資本主義は双子だった」】
民主主義と資本主義は予定説から生まれた。予定説によれば絶対的権力を持つ神に
対して人間はちっぽけなものである。そこに神の下の平等という人間平等の観念が生
まれ、民主主義の土台となる。
また、予定説によれば、職は神が与えてくれたものである(天職)。したがって働
くことが神の意思に合致することになり、結果、いくら金持ちになっても働く。富は
否定されているのでお金は貯まる。反面、隣人愛に基づいて商品やサービスを適正な
値段で奉仕する。この隣人愛を合理的に行うという利潤最大化が、伝統主義を転換す
る資本主義の精神となった。富の否定が利潤追求を生むという逆説的な結果が起きた
のである。
【第6章 はじめに契約ありき】
中世までの伝統主義を終わらせたのが予定説だが、そこから新しいビジョンを作り
出したのはロックの社会契約論である。ロックによれば、人間は自然状態ではせっせ
と働き、富を増やして平和に暮らすことができる。しかし、中には働かない人もい
て、貧富の差が生じ、泥棒や殺人などの争いが起こる可能性がある。そうなると紛争
を裁定してくれる権威が必要となるので、人間は契約を結び、国家を作った。人民の
契約が国家の基礎となっているため、国家が契約違反を犯せば、人民は抵抗権、革命
権を行使できる。
日本国憲法も社会契約説である。しかし、日本では公約違反が平気で行われ、契約
が守られていない。しかも日本国民は公約違反に対して厳しい態度を取らない。社会
契約は死んでしまっている。
【第7章 「民主主義のルール」とは何か】
民主主義のルールとは、約束・契約を守るということである。これは西洋では、旧
約聖書以来流れているエートスである。しかし、日本では政治家は約束を守らない
し、国民も公約違反に目くじらを立てない。これが日本の民主主義の問題だ。
【第8章 「憲法の敵」は、ここにいる】
憲法の敵・民主主義の敵は民主主義である。なぜなら民主主義が独裁者を生むから
である。これは歴史的にも証明されている。ローマ共和制を帝政に変えたカエサルに
しろ、フランス革命後に皇帝となったナポレオンにしろ、ワイマール憲法下で独裁者
となったヒトラーにしろ、国民の絶大な人気を背景に独裁者となった。
【第9章 平和主義者が戦争を作る】
憲法9条は1928年不戦条約を手本にしている。しかし、不戦条約はかえって第二次
大戦を引き起こした。チャーチルは「平和主義者が戦争を起こした」と言っている。
ヒトラーは平和主義を利用して勢力を拡大していったのだ。
ヒトラーがヴェルサイユ講和条約を破棄し再軍備したとき、ラインラントに進駐し
たとき、そして、ズテーテンラントを要求したとき(ミュンヘン会議)、いずれのと
きも周辺諸国は平和主義に縛られ、ドイツ軍を一掃できたのにもかかわらず、軍隊を
使わなかった。その結果、ヒトラーは戦力充実に成功し、第二次大戦を引き起こした
のだ。
平和主義は戦争を招く。戦争をする決意のみが戦争を防ぐ。これが第二次大戦の教
訓である。現実問題、平和主義と軍備は矛盾しないのだ。日本も真の平和主義を目指
すのであれば、戦争研究をしなくてはならない。
【第10章 ヒトラーとケインズが20世紀を変えた】
20世紀前半まで民主主義は古典派経済学を前提としていた。ところが、そこで世界
恐慌が起こった。ヒトラーとケインズは公共投資こそが不況脱出策であることを見抜
き、前者は見事に経済を立て直した。
平成不況の原因は、民主主義精神の欠如に由来する。資本主義経済は民主主義が
あってこそ成立する。しかし、民主主義が欠如していた日本には真の資本主義は根付
かなかった。ヒトラーとケインズが有効需要で不況に打ち克てたのは、資本主義経済
を前提にしていたからであり、同じことをやっても前提が異なる日本には通用しな
い。
【第11章 天皇教の原理−大日本帝国憲法を研究する】
日本がまがりなりにもデモクラシーの国になれたのは天皇教のおかげである。伊藤
博文は大日本帝国憲法制定にあたって、ヨーロッパの憲法はキリスト教の伝統から生
まれたことに気づいていた。そこでキリスト教に変わるものとして天皇を憲法の機軸
に持ってきた。その結果、(1)天皇の下の平等によって士農工商の身分性がなくな
り、(2)日本は神国であることを信じたため予定説同様、余計なことを考えずに働
くエートスが生まれた。
しかし、天皇は現人神であるため、人民との契約が存在しない。このため日本人に
「憲法とは国家を縛るものである」という意識は定着しなかった。
それでも大正デモクラシーの頃は、議会の弁論で内閣が倒れるなど、立派にデモク
ラシーが機能していた。50年前まで身分制があったことを考えれば日本のここまでの
成長は誇りうる。
【第12章 角栄死して、憲法も死んだ】
大正デモクラシーまではうまくいっていた日本のデモクラシーは、国民、議会、マ
スコミが軍を支持することにより死んだ。デモクラシーを殺したのは結局デモクラ
シーだったのである。
戦後、憲法が死んだのは田中角栄が死んだからである。第一に、田中角栄は議員立
法を数多く手がけたデモクラシーの権化だった。第二に、ロッキード裁判では、刑事
免責が行われ、反対尋問が無視されるという憲法・刑事訴訟法違反が相次いだ。
【第13章 憲法はよみがえるか】
戦後の独裁者は官僚である。バブルを一気に破裂させてしまったのが土地をを担保
とした融資を控えるよう通達した大蔵官僚であったように、官僚は放っておけば悪く
なる。この官僚の弊害に気づいていた中国は、歴史的に貴族、宦官、御史台を官僚と
常に対立させてきた。日本では政治家がその役割を果たすべきであるが、官僚を制御
できる政治家はいない。よい政治家を作るのはよい国民しかいない。
戦後日本が悪くなったのは、GHQが天皇教の効用を理解せず、象徴天皇制を導入し
たからである。その結果、機会の平等は結果の悪平等、自由は放埓というように誤解
されることになった。また、天皇という憲法の機軸が失われた結果、急性アノミーが
起こった。人間は権威なくして生きていけないのに、権威を消してしまったため、秩
序もなくなったのである。
日本を復活させるためには、現実を直視すること、そして、民主主義を目指して
日々努力すること、これしかない。
▼全体の感想
実はあまり期待しないで読んだのだが結構おもしろかった。編集者シマジくんへの講
義という形式も読みやすい。
内容面でのポイントは、憲法典ではなく、憲法思想を解説したところであろう。それ
を小室直樹お得意の聖書論、キリスト教論から説いている。カルヴァンの予定論に関
する説明も詳しく、マックス・ウェーバー『プロテタンティズムの倫理と資本主義の
精神』の内容をざっと理解するのにも役立つ。
小室直樹のこの分かりやすさは、さすがに一般向けの紹介本を多く手がけているだけ
ある。ただ小室直樹は、分かりやすく説明するのは上手でも、彼の自説には首を傾げ
たくなる点が多い。天皇教論や、田中角栄擁護論には疑問点が多い(後述)。
▼社会契約論の重要性
本書を読んで改めて認識したのが社会契約論の重要性である(第6章 はじめに契約
ありき)。本書は、憲法を理解するために社会契約論までさかのぼるのだが、この説
明は分かりやすい。憲法が国家権力を縛る存在である理由や、国家権力は民主主義に
不可欠の装置であるということが理解できる。
今後、この点をもう少し深く考えるために、社会契約論の本にも手を伸ばしたい。
▼平和主義者が戦争を作る?!
【第9章 平和主義者が戦争を作る】は、一見過激な主張に見えるかもしれないが、
歴史的にはほぼ事実といってよい。小室直樹は、戦間期の平和主義的雰囲気がヒト
ラーを増長させたと述べている。ヒトラーが再軍備をはじめて領土を広げたのに対
し、平和主義者たちは武力でそれを抑えることをためらったのである。結果、ヒト
ラーは強大な軍事力を手に入れてしまった。平和主義が第二次大戦を招いたという事
実は、E.H.カーが『危機の二十年』を通じて分析していることでもある。
この平和主義の誤謬は、日本国憲法を考える上でも重要な問題だ。9条をどうするか
は別として、過去の失敗には真摯に目を向けるべきである。『危機の二十年』をもう
一度読んでみる必要性を感じた。
▼天皇教論、田中角栄擁護論
本書ではおもしろい天皇論が展開されている。大日本帝国憲法で、天皇を国家の機軸
に決めたことは、「天皇の下の平等」つまり、士農工商という身分制度を廃止するの
に役立ったというのである。大日本帝国憲法の草案者・伊藤博文がそこまで考えてい
たのかどうか定かでないが、結果として「天皇の下の平等」が、西洋での「神の下の
平等」と同じ機能を果たしたというのはおもしろい解釈だと思う。
ただし、戦後、日本が悪くなったのは、天皇の権威が新憲法で否定されたからという
説には賛成できない。確かに最近、いろいろな社会問題が起こっているが、それでも
今の日本はかつてないほど豊かなはずだ。少なくとも戦前よりも戦後の方が、生活も
ずっと向上し、安定しているであろう。天皇の権威がなくなったから社会的アノミー
が増えたという意見は短絡的に聞こえる。
同じことは、小室直樹の田中角栄論についても言える。小室直樹は、田中角栄こそデ
モクラシーの権化であり、彼が死んだ時点で日本の憲法は死んだと述べる。しかし、
戦後、デモクラシーが生きていたのは田中角栄が生きていたからだというのは誇張が
過ぎよう。ましてや田中角栄は、現在の金権政治を作り出すもととなったような人で
ある。
どうも小室直樹は、難しいことを分かりやすく説明するのはうまいのだが、自説は眉
唾が多いような気がする。
▼終わりに
憲法とは、本来、国民が分からなくてはならないものである。したがって、本書のよ
うな分かりやすい憲法学の本は大歓迎だ。本当は専門の憲法学者がこういうことをや
るべきだと思うのだが、専門化が出す一般向けの本は条文解釈、判例解説に終始した
り、難解な内容になったりする。憲法改正も現実味を帯びている今日、国民投票の際
に国民の正確な判断を可能にするためにも、一般向けの分かりやすい憲法本がますま
す望まれよう。
2002.05.18.
●関連読書録
【小室哲也関係】
・読書録158 小室哲也『数学嫌いな人のための数学』
http://www6.plala.or.jp/Djehuti/20011121.htm
【社会科学>法律>憲法】
http://www6.plala.or.jp/Djehuti/NDC300.htm#323
【民主主義関係】
・読書録151 橋爪大三郎『政治の教室』
http://www6.plala.or.jp/Djehuti/20011102.htm
(私論.私見)
(回答先: 今日は小泉の死刑執行日 投稿者 笹川良一 日時 2005 年 9 月 11 日 08:10:42)
百姓一揆になるかも、、、
日本人の多くは権力者に大声張り上げモノすら言えない性格、
然し、選挙となると誰に制約を受ける事無く投票する事が出来ます。
勤労者がクワ(投票用紙)持って逆襲するだろう。
この様な小泉の表情が再現するかも
http://www5.hokkaido-np.co.jp/pdf/20031110_3.pdf