都庁元幹部の内部告発「小池の7つの悪政」

更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).9.22日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「都庁元幹部の内部告発「小池の7つの悪政」」をものしておく。

 2007.4.9日 れんだいこ拝



【都庁元幹部の内部告発「小池の7つの悪政」】
 澤 章「小池百合子都知事が東京都にもたらした「7つの悪政」、都庁元幹部が激白!」。
 小池百合子東京都知事が就任して5年。小池知事に、築地市場移転問題の担当次長に抜擢されるも、その内実や政治手法に嫌気がさした元都庁幹部が、著書『ハダカの東京都庁』(文藝春秋)を6月に出版した。内部に精通した元幹部だから知っている、小池知事の「7つの悪政」プラス1をお伝えする。(元東京都選挙管理委員会事務局長 澤 章)


 政敵とのバトルに大忙しの小池知事
 端から見れば滑稽千万、笑うしかない

 この度、東京都庁や小池百合子都知事の内実を記した著書『ハダカの東京都庁』(文藝春秋)を上梓した。いかにも下心をくすぐるような題名で恐縮だが、中身は至って真面目な、都庁に関する暴露本である(笑)。タイトル原案には、当初、冒頭に「お笑い」の3文字が入っていた。つまり、「お笑いハダカの東京都庁」とするはずだったのだ。著者が若い頃、テリー伊藤氏の『お笑い北朝鮮』や『お笑い革命日本共産党』をゲラゲラ笑いながら読んだときの感覚で執筆しようと思ったからである。だが、書き進むうちに、どうしてもシリアスな部分にも触れざるを得なかった。結局、タイトルからは「お笑い」を外したが、外部からうかがい知れない巨大組織の実態を明らかにするには、笑いというスパイスを欠かすことはできない。特に、小池知事のやっていることの大半は、もっともらしい理屈を付けてはいるが、そのほとんどが、自己保身と自己顕示の塊のようなものだといえる。ご本人は日々、政治という名の“戦場”でサバイバルゲームにいそしんでいるのだろうが、端から見れば滑稽千万、笑うしかない。以下、8つの切り口で小池知事の悪政ぶりを笑い倒してみたいので、しばしお付き合いいただきたい。

 保健所との連携を進言した局長を更迭
 女性知事による「女性登用」の残念な末路

 第一の悪政 人事権を振りかざす恐怖政治

 都庁内部の人事権を掌握するのはもちろん、トップの都知事だ。だが、私利私欲のために強権を振るうことを許されているわけではない。あくまで都民のために行使されなければならない。ところが、小池知事は自分の意に沿わない局長をいとも簡単に飛ばす一方で、自分に忠誠を尽くす幹部を極端なまでに重用してきた。確かに歴代知事も、自分の好き嫌いで副知事などの人事を私物化していたのは事実である。だが、小池知事の場合、その度合いが尋常ではない。例えば、コロナ拡大の第1波の時、対策の陣頭指揮を執っていた内藤淳福祉保健局長を突如更迭した。区の保健所との連携強化を進言した局長に対して「だったら、あなたが保健所に行けばいいじゃない」と知事が言い放ったなどと、庁内には、まことしやかな噂が広まった。他にも、事業執行上のミスを報告するのが遅れた、都議会自民党に情報を流したといった不確かな理由で何人もの局長が左遷の憂き目を見ている。まさに“女帝様”のやりたい放題である。

 第二の悪政 女性登用という名の女性蔑視

 小池知事1期目のウリは、なんといっても「男社会に立ち向かう女性戦士」というイメージを醸成したことだった。幹部人事でも、女性管理職の積極的な登用を進めた。埋もれた人材を次々と抜擢したように見え、都庁内には驚きの声が漏れた。だが、メッキはすぐに剥がれた。都庁でも一、二を争う枢要部長ポストに、その分野が未経験の女性管理職を他局から異動させたが、案の定、まったく機能せず、1年で異動となった。そうかと思えば、知事肝いりの事業を仕切るポストに女性管理職を就けたまではよかったものの、彼女がいわゆる“パワハラ上司”であることが判明し、すぐに出先機関に追いやった。何かにつけて女性の味方を標榜する小池知事だが、内実は女性管理職を自分の手駒としか考えず、自分の見栄えのために動かしているにすぎない。彼女たち自身の人材育成やキャリアプランを考えることなど、さらさらないのである。要するに、小池知事が掲げる“女性活躍”による最大の被害者は、誰あろう女性自身なのだ。女性の立場を身勝手に操る小池知事の詐術に、特に女性の方々はだまされてはいけない。

 「目安箱」で私に伝えられたあきれた中身
 批判回避の思い付き政策もさすがに限界か

 第三の悪政 密告を奨励し職員を分断する「職員目安箱」の設置

 「目安箱」といえば聞こえはいいが、小池知事が鳴り物入りで導入したこの箱は、職場の隣人同士による“密告情報収集システム”に他ならない。誰もがメールなどにより匿名で通知することができ、知事が必ず直接目を通し、秘密は外部には絶対に漏れない――。建前上そういうことになっているのだが、実態はどうか。寄せられた情報は取捨選択された後、総務局長に下ろされる。私は中央卸売市場次長だった頃、何度も総務局長に呼び出された。秘密裏に「目安箱」の中身を知らされ、適切に対応するよう指示を受けるのだ。しかし、その中身のくだらなさときたら脱力モノだった。市場の幹部職員が禁煙のフロアで隠れてたばこを吸っているだとか、他局から異動してきた上司が部下を怒鳴りつけて困っているだとか、これって知事に密告する話なのか。小池知事がブチ上げた築地市場移転計画の延期で七転八倒していた当時の私は、あきれ返るしかなかった。それ以外にも、上司や同僚の悪口や、誰と誰とが付き合っているなど、どうでもいい情報ばかりだった。どうせなら、小池知事自身の不正行為を密告する透明な箱を外部機関に設けていただきたいものである。

 第四の悪政 巧妙な情報操作とイメージ操作

 小池知事の本質はテレビのメインキャスター(MC)であると、著書『ハダカの東京都庁』にも書いたとおり、メディアを操る術で彼女の右に出る者はほとんどいない。毎週金曜日に開かれる記者会見では、自分に好意的な記事を書く記者しか指名しない。登庁時や退庁時のぶら下がり取材では、質問に正面から答えずに論点をすり替えたり、質問に途中でぷいと背を向けて立ち去ることも珍しくない。一方で、新型コロナウイルス対策を語る際には常に、菅義偉政権との対立軸を意識して、自身の責任回避に余念がない。しかし最近は、その能力にも陰りが見えてきたように感じる。都独自の大規模ワクチン接種会場を巡って、右往左往ぶりが目立ったからだ。当初、大規模会場を設置しないとしていた小池知事だったが、他県が次々手を上げる中、突如、築地市場跡地でやると言いだした。かと思えば、築地跡地は東京オリンピック・パラリンピックの車両基地に使用するため6月末までしか使えないとして、今度はそのライブサイト会場の代々木公園で実施すると突如発表。これは、公園の樹木を剪定が必要だとする会場設営への批判を回避する魂胆が見え見えだった。批判をかわすための思い付き発言が、さらなる批判を引き起こし、その批判を抑え込むために、次なる思い付きを口にする――。この悪循環が止まらなくなってしまった。小池知事もついに焼きが回ったのだろうか、残念である。

 財政調整基金以外も大盤振る舞い
 小池知事が後藤新平を持ち上げる矛盾

 第五の悪政 隠れ浪費で都財政は火の車

 小池知事が就任した時、都には自治体の“貯金”である「財政調整基金」が1兆円も積み上がっていた。ところが、コロナ対策にその基金を使い果たし、今年度末の残高は21億円にまで減少する見込みだ。財政調整基金の取り崩しは、確かにコロナ対策という大義のためであるから大目に見よう。しかし、もう一つの基金取り崩し問題は、ほとんど知られておらず、看過できない。都には、財政調整基金とは別に事業目的別の基金がいくつも設置されている。例えば、温暖化対策に使うための基金などである。総額2兆円あったが、これが小池知事1期4年の間に半減したのだ。もちろん、行政目的に沿って準備したお金なのだから、「使って何が悪いの?」と小池知事は言うかもしれない。しかしその実情は、与党の一角を占める政党の言いなりに予算を付けたり、人気取りのために補助金をばらまいたり、そんな無節操な基金運営の結果なのである。これを隠れ浪費と言わずして何と言おう。この先、都の財政は、コロナ対策に加えて小池知事の隠れ浪費の影響をもろに受けて冬の時代を迎える。そのツケを払わされるのは将来の都民である。

 第六の悪政 横文字政策にはご執心だが、都市インフラには無関心

 小池知事のスタンドプレーにはいつもへきえきさせられるが、自治体の長として最も許せないのが、彼女の不作為による怠慢である。小池知事は自分がお気に入りの政策には全精力を注ぎ込む。国際金融都市構想、次世代通信規格の5G、DX(デジタルトランスフォーメーション)などなど、浮ついた横文字系の政策が並んでいる。その一方で、都民の生活や都市活動を支える都市インフラの整備には極めて冷淡だ。現在、更地となった築地市場跡地を豊洲市場方面から延びる大きな道路が横断している。環状第2号線(環2)と呼ばれる幹線道路の仮の姿である。本来なら、新大橋通りまで完成済みの地下トンネルと接続し新橋、虎ノ門、四谷にアクセスするはずだった。ところが、小池知事の一声で築地市場の豊洲移転が延期されたあおりで、環2は未完のまま放置されている。環2に限らず小池知事は、都市インフラを積極的に整備する気が極めて乏しい。反対運動を恐れてか、人気取りには効果がないと踏んでいるのか、不作為を決め込んでいる。小池知事はしばしば、戦前に東京市長や帝都復興院総裁を務めた医師で、都市計画の専門家でもあった後藤新平を引き合いに出すが、自身は東京における都市インフラの重要性を理解せず、中長期の視点も持ち合わせているとは到底思えない。そんな人物に東京のかじ取りを任せるのは、やめた方がいい。

 味方にすり寄り、仮想敵を叩く単純さ
 「ポスト小池」に思いをはせる都庁職員

 第七の悪政 敵か味方か、単純な二者択一思考

 風を読むことにかけては当代随一と、小池知事を持ち上げるコメンテーターは世にあふれている。政治家に求められる能力のひとつではあるが、それしか持ち合わせていない人物が都知事の座に座っているとしたら、こんな都民をばかにした話はない。それでも、小池知事は目の前の人間を敵か味方かで識別し、目の前の事象を自分に得か損かで判断することを止めない。エジプト・カイロ大に形だけ通っていたことにし(まともに卒業したとはとても考えられない)、テレビキャスターとして世に出て以来、彼女は独自の“世渡りのスキル”を磨いてきた。その過程で習得したのが、「敵か味方か・損か得か」の二者択一思考である。味方と定めた相手には全身ですり寄り、仮想敵を設定して徹底的に排除する行動パターンは、都知事になってからも繰り返された。その結果、小池知事の周りに心から信頼できる都庁幹部職員は1人もいない。彼らはただ、知事から敵のレッテルを貼られてパージされることを恐れているだけである。

 悪政プラス1 都庁は小池知事に食い物にされた

 小池知事就任後の5年間、都庁は人事も組織も財政も政策も、異形の政治家によってズタズタに引き裂かれた。その惨状はここまで述べたとおりである。日本の首都・東京都ともあろう自治体が、小池氏1人にもてあそばれ、いい食い物にされたのだ。その小池知事は今、6月25日告示・7月4日投開票の都議会議員選挙を前に、音沙汰なしの構えを見せている。五輪開催の是非に対しては、政敵の菅首相と同様に「安全・安心な大会を」と公式見解を繰り返すにとどめ、一向に本意を語ろうとしない。これも世渡り上手の風待ち作戦の一環なのだろうが、コロナ禍に苦しみ不安を抱く都民に対して、極めて不誠実な態度と言わざるを得ない。小池知事の残任期はまだ3年もある。だが、もうそろそろ「小池後」の都政を真剣に考えてもいいのではないか――。少なくとも、都庁職員の大多数は心の底からそう感じているに違いない。


  2021/06/18 、澤 章「“若い女性記者を飼いならし、敵対する記者を完全把握” すべて計算ずくで指名する小池百合子流の“メディア・コントロール術”」。
 
毎週金曜、午後2時から行われる東京都知事の定例記者会見。落ち着いた様子の小池百合子都知事とは裏腹に、会見開始5分前まで加筆訂正等が行われる現場は、まさにドタバタ劇。そんな会見の舞台裏を描いたのが、東京都庁に30年以上勤め、知事のスピーチライター、人事課長を務めた元幹部・澤章氏による『 ハダカの東京都庁 』(文藝春秋)である。同書から一部を抜粋し、定例記者会見の驚くべき裏側を紹介する。
 ◆ ◆ ◆
 会見打ち切りの不思議

 知事の定例記者会見は原則週1回、第一本庁舎6階の会見場で行われる。小池知事は毎週金曜午後2時スタートを旨としている。ネット中継を通じて誰もがリアルタイムで視聴できる。会見の主役はもちろん知事だが、主催はあくまで都庁記者クラブと呼ばれる大手メディア各社で構成する団体である。クラブの歴史は古く、都庁が有楽町にあった時代から営々と続いている。新聞社を中心とする「有楽クラブ」とテレビ局などで構成される「鍛冶橋クラブ」が合併したものである。以前は、このクラブに所属していなければ会見に参加できなかった。今ではフリーのジャーナリストも含めて自由化され、近年では、ネット系の新興メディアが存在感を増している。ネットメディアは小池知事のお気に入りである。既存のメディアは知事に批判的なところが多い。それを嫌って、あえてネットメディアにすり寄ったのだ。ネットメディアも存在感を増したいがゆえに、権力者におもねる態度を隠そうとしない。両者の利害が一致したというわけである。

 定例記者会見に話を戻す。主催者の意向とは関係なく、会見は往々にして知事の都合で一方的に打ち切られる。「それじゃあ、次が最後の質問で……」と記者席を制し、返答が済むと知事はそそくさとドアのほうに向かう。記者席から「まだ、質問が残っていますよ」「〇〇についてどう考えますか?」と声が飛ぶが、知事は振り向くこともなく記者の問いかけを無視していなくなる。会見の開始時刻は知事サイドの都合で遅延、変更されるのにもかかわらず、終了時刻だけは予め知事サイドに決定権があることになっている。おかしな話である。会見後のスケジュールの関係はあるにしても、毎回とはいわないが、記者からの質問が尽きるまで対応するのが知事の務めなのではないか。他の自治体ではそうしている知事もいる。会見では稀にだが、特定の記者と知事がムキになって言い争う場面があるが、知事は何も、目の前の記者を相手に質疑応答を行っているわけではない。記者の後ろにいる、メディアを視聴する都民・国民に向かって話しかけているはずだ。それを忘れて、記者の質問を無視したりはぐらかしたり、あるいは、こそこそと逃げるように会見場を去る知事に、都民への誠意を感じることはできない。小池知事の愛想笑いとドヤ顔、それに不愉快そうな表情をご覧になりたければ、毎週金曜の定例会見をお勧めする。

 謎のペーパーとメディア・コントロール

 会見場で小池知事が懇意の記者しか指名しないことは業界筋ならずとも有名な話である。会見が始まると、担当職員から知事にこっそり手書きのペーパーが手渡される。そこには記者席のどこに、どの社の誰が座っているかが記されている。知事はこのペーパーを手元に置き、自分が贔屓(ひいき)にする記者を指名する。知事は首を左右に振って次に指名する記者を探し、ランダムに当てているように見えるが、そんなことはない。誰がどこの記者なのかを把握した上で、完全に計算ずくで指名しているのである。だから、批判的な記事を書く記者は最初からマークされ、たとえ手を挙げても質問する機会を与えられることはほとんどない。いつまで経っても指されないので「もう質問するのは諦めました」と心情を私に吐露してくれた全国紙の記者もいたくらいである。逆に、昵懇(じっこん)の記者は毎回のように質問を許され、そのたびに知事から微笑みを返される。その差は歴然である。

 小池知事1期目の初期、知事がまず取り組んだのは若い女性記者の懐柔だった。メディア各社は駆け出しの記者を都庁に配置することが多い。ちょうどいい練習の場なのだろう。その中で女性記者も目立つ。知事は機会を見つけて不慣れな女性記者たちに声をかけ味方に引き入れた。報道番組のMCあがりの知事にとっては朝飯前。自らが女性であることを武器に女性の味方を演出する典型例である。知事に気に入られたと勘違いした彼女たちは、会見の場で「休みの日は何をして過ごすか」とか「きょうの服の色は……」とか枝葉末節(しようまっせつ)の質問をして記者仲間の失笑を買っていた。その一方で、前述した通り、自分にとって不利な記者に対しては、徹底的に排除の姿勢で臨んでくる。これが小池流のメディア操作術である。さすがメディアの扱いに長けた知事だと喝采を送っている場合ではない。小池知事のメディア懐柔とイメージ操作は、事の本質をベールで覆い隠し、都民の知る権利を気づかないうちに侵害しているのである。

 会見前の打ち合わせが知事最大の関心事

 さて、会見の冒頭は知事からの情報提供タイムだ。質疑の時間はこれが終わってからになる。実はこの会見冒頭の発表ネタを仕込むのが、事業を所管する各局にとって一苦労なのである。コロナ禍にあっては都からの発表案件もコロナ対策に限られる傾向にあるが、平時においては何か良いネタはないかと、知事サイドから矢の催促を受ける。毎週必ずメディアの気を引かなければ満足しないのが、小池知事だからである。目立つネタ、取り上げてもらえそうなネタが、毎週出てくるはずもない。それでも、乾いた雑巾を絞るように、各局はどうでもいいイベント情報をかき集めては、知事サイドに差し出す。どれだけの時間と労力が費やされたのかを知事本人は知るよしもない。ある局の広報担当者がこう表現していた。「毎週のように、知事に持たせる花束を作らされてばかりいる。毎回、違う種類の花でなければ気に入ってもらえないから大変だ。こんな仕事、もううんざり」と。こんな調子だから、せっかく用意された花束は大抵が安物の造花である。

 毎回、小脇にファイルを抱えて会見場に入ってくる小池知事だが、直前までドタバタ劇が繰り広げられていることはあまり知られていない。小池都政下、知事への説明で最も重要視されているのは、現下の重要案件でも予算案件でもない。会見のための打ち合わせである。会見での質問に窮することなく、弁舌爽やかに答えられるかどうかが、小池知事最大の関心事に他ならない。そして、会見を乗り切るための強力なツールが、直前まで手を加えられる想定問答集、すなわち、あのファイルなのである。

 数日前から始まる打ち合わせ

 想定問答の打ち合わせは会見の数日前から始まる。一発OKという場合は稀である。何度も練り直しをさせられる。想定問答には、テーマごとに各局から上がってくるものと知事サイドから指示するもの、さらに知事サイドが直接作成するものの3種類がある。特に、旬の話題や政治ネタは会見直前まで確定しない。午後1時55分、会見開始まで残り5分を切るまで、知事執務室の中では想定問答の資料に加筆訂正等が行われる。小池知事の言語感覚は鋭い。その場で想定問答のペーパーに鉛筆でさらっと、修正のフレーズを書き入れることもしばしばである。現役時代、私は何度も目撃しているが、敵ながら(?)天晴れと思ったことを覚えている。小池知事の自分の発する言葉へのこだわりは並大抵ではない。しかし、それは都民のことを考えてではない。言質を取られないように、言葉尻を捕まえられないように、細心の注意を払っているに過ぎないのだ。こうして自ら手を加えた付箋付きのファイルを抱え、神妙な面持ちで会見場に登場するのである。6階会見場は知事定例会見で利用されるだけではない。新規事業や計画の発表時に担当者が説明会場として使用したり、外部の方が会見を開く場合(例えば、知事選への立候補表明や訴訟提起の発表など)もある。都の役人が最も恐れるのは、公金横領といった職員の重大な不祥事に関して、メディアに説明・謝罪する場として利用する時である。矢面に立つのは不祥事を起こした本人ではない。所属する局の幹部職員である。局長、所管部長、所管課長、人事担当課長といったフルキャストの責任者が並ぶこともある。このお馴染みの謝罪会見、民間では専門家などを交えて事前準備を綿密に行う場合もあると聞くが、都庁の場合はほぼぶっつけ本番である。そもそも個々の管理職にとって一生に一度あるかないかの経験だ。都庁内で謝罪会見のノウハウが蓄積・継承されているはずもない。だから、毎回、初心者集団によるしどろもどろの会見にならざるを得ない。

 謝罪会見のお辞儀(じぎ)の静止時間と角度

 幸か不幸か私は、30数年間の役人人生で3回ほど経験してしまった。初めての謝罪会見はある事業局の不祥事を説明・謝罪する場で、私自身は人事課長として同席を求められたに過ぎず、気軽な気持ちで臨んだ。元上司でもあったある局長が冒頭の謝罪のお辞儀を開始した後、ちょっとした珍事が起こった。お辞儀で下げた頭を上げるタイミングをそろえるため、横目で局長を見ていた私は驚いた。この局長、いつまで経っても頭を上げないのだ。こうなりゃ私も意地でも頭を上げないぞと思った。15秒、まだだ。30秒、まだ上げない。会見場の雰囲気がざわつき始めたのがわかった。結局、1分近くは頭を下げていたと思う。誠意を表すにも限度というものがある。過ぎたるは及ばざるがごとしとは正にこのことである。お辞儀の静止時間とともに重要なのがその角度、そして複数で頭を下げる際にはどうシンクロさせるかである。お手本となる事例が2016年9月30日に起こった。小池知事が初当選し築地市場の移転が延期された直後、豊洲市場の地下にあるべき盛り土がなく、謎の空間の存在が明らかになった。急きょ中央卸売市場次長に命じられた私が取りまとめた「自己検証報告書」の発表の日だった。報告書の発表とはいえ、事実上の謝罪会見だった。担当の副知事、市場長そして私の3人が深々と頭を下げる写真が、翌日の新聞各紙を飾った。今見ても美しいお辞儀と言わざるを得ない。事前の打ち合わせが功を奏した。中央の副知事のタイミングに残りの2人が合わせると決めていたのだ。都庁の後輩の皆さんには是非、今後の参考にしていただきたいものである。

 メディアとはギブ・アンド・テイク

 メディアとの付き合いは職層が課長、部長と上がるにつれて増えてくる。局長級ともなれば、記者との個人的なつながりもいくつかできてくる。その時、記者との距離感をどう保つかは難しい問題である。つかず離れずの姿勢をキープする人もいれば、夜の部を交えて敢えてズブズブの関係を築く人もいる。中には、若い女性記者との関係を重視する局長も……。記者と役人の関係はギブ・アンド・テイク、情報の貸し借りの世界である。ある時は意図的に情報を流し、ある時はその見返りに手心を加えてもらう。そうした駆け引きの中で記者は特ダネを狙ってくるのである。昔の副知事には腹の据わった人物もいたもので、自宅を訪れた新聞記者を招き入れ、酒と食事を共にしてそのまま自宅に泊まらせた挙句、翌日、公用車で都庁に一緒に出勤したというのだ。こんな芸当ができるのも、副知事が都庁の情報をすべてコントロールし、知事に代わってメディア対応を任されていた時代だからである。だが、これは過去の話だ。現状のように、知事サイドが厳格な情報統制を敷き、情報漏洩の犯人探しに躍起になっているようでは、副知事の腹芸の出番はもはやない。小池知事の口癖の一つが「ワンボイスで!」である。裏を返せば、自分と違う意見や自分の知らない情報がメディアに流れてしまうことに、神経をとがらせている証左である。ワンボイス・イコール言論統制とまでは言わないが、どこかの国の独裁者が好みそうな言葉である。

 夜討ち朝駆け

 それはさておき、市場移転問題にかかわっていた時期、こんなことがあった。当時の私は様々な記者との情報交換を時時刻刻、行っていた。ある晩、ひとりの新聞記者が私の自宅の呼び鈴を鳴らした。時刻はすでに午後8時を回っていた。私はまだ帰宅していなかった。「どちら様ですか」と妻がインターホン越しに尋ねた。すると、「夜分にすみません。〇〇新聞ですが……」と答えが返ってきた。モニターを見ると、むさくるしい男が立っている。妻はこう返した。「え? あ、うち、新聞は間に合ってますから。△△新聞、取ってますから」。そのあと、どんなやり取りがあったのかは知らないが、その記者からメールをもらった私が帰宅すると、玄関で記者と妻が楽しげに立ち話をしていた。わざわざお越しいただかなくても、と私が言うと、記者は苦笑いしながら、いえね、もっとザックバランにお話を聞きたいと思いまして、と分かったようで分からない理屈を口にした。夜討ち朝駆けは日常的だった。記者の方々も人の懐に飛び込む術を十分に把握していたのである。

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 「ちょっと薄給すぎやしないか」コロナ支出により「給与カットが再び現実のものに…」東京都庁職員のリアルな“給与事情” へ続く (澤 章/ノンフィクション出版)







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