第45回2009総選挙情勢 |
(最新見直し2009.8.30日)
参考サイト「阿修羅政治版」、「宮地健一の共産党問題」、「ザ・選挙立候補予定者」その他
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、2009衆院選の選挙情勢を解析しておくことにする。どうも、こたびの選挙は歴史的なものになりそうな気がする。日本人民大衆の穏和にして我慢に我慢重ねる習性の限界がほとばしり出そうである。これを痛快と云わずして何と云おうぞ。 2009.7.14日 れんだいこ拝 |
【党派別現有議席数】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
党派別現有議席数は次の通り。
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【2009総選挙獲得議席予想】 |
定数480過半数の241議席が勝敗ラインとなっている。既に予想が出されている。それによると、議員定数は480、現有議席は自民党304、民主党112のところ、週刊文春6月11日号は「自民192、民主231」、別に「自民155、民主261」。週刊ポスト7月31日号は「自民160、民主261」。週刊現代7.4日号は「自民130、民主283」、8.1日号では「自民78、民主332」。追って、れんだいこが予想することにする。 |
【各党の責任数値と選挙見通し】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「2009.7.17日現在の各党の責任数値と選挙見通し」は次の通り。
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【れんだいこの戦績星取早見表】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大地は北海道エリアで2.。日本新党は1. |
【自民党派閥の勢力変動】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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Re::れんだいこのカンテラ時評594 | れんだいこ | 2009/07/28 |
【45回衆院選序盤情勢考】 「8月18日公示、30日投開票」の来る45回衆院選挙は、自民党の記録的壊滅と云う歴史的事件になりそうな様相を見せている。これを序盤(解散決定時)、中盤(公示日)、終盤(投票直前)、総評(選挙後)に分けて分析してみたいと思う。歴史的事件にはそれなりの応対が適切であろうということと、今後どんなハプニングが待ち受けているか分らないのでその都度の流れを確認しておきたいと思うからである。 7月28日現在つまり序盤情勢は、民主党が都議選以来の勢いを持続しており、与党にとってただならぬ気配を見せている。このまま投票に向かえば、2005年の小泉采配による自民党の記録的圧勝の丁度裏返しになりそうな気配である。既に各メディアでも予想されているが、民主党が単独で過半数に達することは間違いない。社会党増、国民新党微増をも巻き起こしながら民主連合派が圧勝する瞬間が刻一刻と近づきつつある。これを逆に云えば、自民党は、死の行進による集団自殺に向かっていることになる。墓場選挙となり葬式が相次ぐことが予想される。公明党もこたびははっきりと退潮するであろう。都議選の如く現有議席を維持するのは困難であり、手痛い敗北を喫するであろう。独善孤高派の共産党は、これ以上下がりようのない議席となっているので踏みとどまると思われるが、更に減らす可能性がないわけではない。こういう按配(あんばい)になっている。 その要因をどこに求めるべきだろうか。この本筋が解明されるべきであろうが、マスコミ各社はこれを論評することなく、徒に議席予想、世襲問題を取り上げてお茶を濁している。既にそれぐらいの能しかないということだろう。そういうのらりくらり当たり障りのなさは、れんだいこの性に合わないので論評しておく。 民主党圧勝の要因は、云うまでもなく人民大衆の生活危機、将来不安に根ざしている。小泉流悪政により年金、医療、社会保険、雇用が破壊され、他方でハゲタカファンドの我が物顔のふるまい、カンポ施設の1円、千円、1万円払下げに象徴されるような既成政治の腐敗、財源がないと云いつつ他方で軍事防衛費には金に糸目をつけない乱費、国際責任論による海外への資金流失、その裏腹で国内の中小零細企業のバタバタと音を立てての倒産、世界に例を見ない年間3万人以上に及ぶ自殺、猟奇事件の多発等々に対する政治への不信が渦巻いている。 日本人民大衆は新しい政治の質、進路設計を求めている。そういう不満のはけ口が野党に期待感を持たせている。一度やらせてみよう、ダメなら戻せば良いという国民的合意が形成されており、この空気はもはや如何ともし難い。こうなってはマスコミ総動員による阻止キャンペーンも難しい。つまり、体制側にとって打つ手がないジレンマ事態に陥っていることになる。 民主党圧勝の要因は、単にそういう機運故ではない。さほど指摘されていないが、こたびの選挙が初めて与党連合対野党連合の決戦構図となっていることにある。これは、小選挙区制という選挙区1名当選方式では当たり前の戦略戦術となってしかるべきなのだが、これまでの選挙において、この当たり前のことができていなかった。与党は自公で選挙割連合しているというのに、野党は分裂したままの闘いを飽くことなく繰り返し、まんまとしてやられるという芸の無さを見せ続けてきた。これまで幾度、野党が連合しておれば勝てた闘いを死屍累々とさせてきたことか。煮え湯を飲まされてきたことか。 こたびはこの点が違う。民主党が初めて目的意識的な対抗戦略を打ち出し、これを現実のものとしている。ここに民主党圧勝の技術的要因がある。民主は、自民と公明が助け合う関係でバックアップしていることを分析し、それに対抗させて水戸黄門ばりに社民と国民新党を助さん格さんにして闘いを挑んでいる。大地、日本新党をも取り込んでいる。取り込めないのは共産党だけで、かくて野党連合を成立せしめている。誰がこれに采配を振るったのか、これは云うまい。ここまで至るには相当の苦難があったものと思われるが、見事に人民大衆が待ち望んできた勝利の方程式を敷き終えている。2009衆院選はかくて、与党連合対野党連合の決戦方式の下で刻一刻と「8.30投票戦」を向かえつつある。 共産党は、長年にわたって全選挙区立候補方式による野党間分裂を仕掛けてきたが、もはや引っ掻く程度のことしかできない。偶然かどうか分らないがこたびは候補を絞ることになった。これも野党連合を有利にしている。しかしながら、この期に及んでも、共産党の選挙戦術は奇妙である。候補を擁立した選挙区と取り下げた選挙区の立候補基準が曖昧で、科学的社会主義を自認し饒舌している割にはとんだ科学性ぶりを示している。「少数絞り込み」になっている分だけ手強くなっているのが普通であるが、単にじり貧の結果としての絞り込みでしかないようにも思える。留意すべきは、相変わらず自公対民主連合の競り合い区に投入している感があることであろう。「民主政権=自民党よりも危険な政権論」によっていると思われるが、この棒は振り回せばするほど嫌悪される循環に入っている。しかし今や、如何なる独善主義的策動を凝らそうとも影響力はない。これを逆に云えば、野党連合が、共産党式分裂策動にも拘わらず大きく前進してきたことになる。 こたび宗教法人幸福の科学が幸福実現党という名でかっての共産党式全選挙区立候補方式で参入している。が、その影響は無視して良かろう。同党の参戦は、創価学会−公明党に続いて同党がただ単にかなりの資金を要す選挙戦を担う能力があることを見せたことに意義があるのかも知れない。この裏にどういう思惑があるのか分らない。奇妙な感だけする突如の参戦となっている。 さて、こういう情勢下の序盤戦となっている。小選挙区300のうち、ほぼ210選挙区以上で実質上の自民対民主の直接対決となっている。与党内で公明が自民を支えているようにその他野党が民主を支えることができれば、自民の65議席は堅いとして残りの145議席は民主のものとなる。民主の戦略は、そのお返しとして社民党、国民新党、無所属が立つそれぞれ数選挙区で候補を取り下げて協力している。これらの選挙区で選挙協定がうまく機能すれば野党連合の威力は倍加し、政権交代を加速することになる。これによると概略、自民70議席前後、公明3、民主200議席前後、社5、国民新5、日本0、共産0、無所属9見当が予想される。 比例区票を2005年衆院選基準(自民77、公明23、民主59、社民6、国民2、大地1、共産9)に換算しても、与党が過半数の241議席を獲得するのは不能で、与党170議席前後、野党310議席前後ということになる。実際には、比例区でも民主が伸び、自公が減ると思われるので、「与党160、野党320」による議席差160、あるいはそれ以上という線が考えられる。中盤、終盤にずっこけない限り、これがほぼ堅い話になる。 付言しておけば、こたびの選挙で「小泉チルドレン83名」は跡形もなく消えてしまうであろう。東京10区の小池百合子が僅かに残るかどうかという形勢である。中川、武部らの小泉派はこぞって墜落する。そればかりではない。かって及び現在の有力閣僚、大物議員まで枕を並べて討ち死にする可能性がある。まさか現職首相まで及ぶとは考えにくいが、いたるところで思わぬトン死が相次ぐであろう。自民党は全体に旧田中派、大平派系譜の底力が見られ、その他のタカ派系派閥は格段に議席を減らす可能性が強い。小泉派壊滅の裏返しで郵政造反組の復活当選が見られそうでもある。概ね無所属から出馬しているので、一騎当千の兵(つわもの)揃いの10名規模当選が考えられる。 こうしてみると、2009衆院選は大変な選挙になりそうである。近代史上、幕末維新の際に江戸幕府から明治新政府に政権交代した例以来の珍事が起こりそうである。しかも、「普通選挙による初めての革命」的な変化を伴う政権交代ということにもなる。日本史上に本当にこういうことが起こるということが間もなく教えられようとしている。その昔、鍬と鎌を手に筵(むしろ)旗を押し立てての百姓一揆が投票用紙に持ちかえて押し寄せそうな気配である。これを投票一揆と呼ばずして何と云おうか。 当然、新政権の質が問われることになるが、今から難しく問うことはなかろう。議会を通じた政権交代を可能にならしめた国としての記録を歴史に刻む価値の方が高かろう。新政権が左右両翼からなる混合世帯である以上、これを興させてから対応策を考えれば良かろう。そういう意味で、「民主政権=自民党よりも危険な政権論」を持ち出す者には眉唾するが良かろう。新政権をを左から支えるなり、左から抵抗するなり「左バネの闘い」はそれからで結構ではなかろうか。まずは政権交代を呼び込むべきであろう。 民主党は興味深いことに、かっての自民党の如く保守から革新まで、右から左まで、タカ派からハト派まで巻き込んだ寄り合い世帯となっている。これは悪いことではなく、素晴らしいことだと受け取るべきであろう。徒に衛生的硬直的な組織論を弄ばずに、日本政治がこのところ久しく忘れている衆議を寄せて叡智を生みだす談じ合い政治を生みだす可能性に賭けるべきであろう。こたびの衆院選は、その第一歩を記す闘いと位置付ければ良い。以上を、序盤戦情勢分析とする。 2009.7.28日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評596 | れんだいこ | 2009/08/16 |
【第45回2009衆院選の画期的意義考】 8.18日、第45回2009衆院選が公示される。こたびの選挙が如何に画期的か、これを確認しておく。要するに、日本政治史上初の議会選挙を通じての政権交代と云う「日本版平和革命」が本当に実現しようとしているところにある。このことが如何に画期的なことであるか、歴史眼を通せば見えてくる。逆に云えば歴史眼がなければ分からない。字義通りの意味での革命とはかなり面貌が異なるが、形式的でも良い「選挙を通じた平和革命」と云う有り得べからざる政治ドラマに着目すれば良い。 まず、このことを讃辞すべきであろうが、左派圏界隈で新政権の内実を危惧して政権交代を阻止せんとする者が居るとすれば、単なる気難し屋でしかないか学んで却って馬鹿になる根っからのよほどの馬鹿であろう。口先万年体制批判で悦に入り左派ぶり続けていても、この連中はむしろ反動の側に列なっている。政治に於ける責任能力を欠いた、それを考えることのできない本質的に体制事大主義的なお調子者に過ぎない。 そういう者は知るが良い。「選挙を通じた平和革命」の内実が二大政党制論に支えられた米欧的議会主義によりもたらされていようとも、戦前戦後を通じての遠い彼岸の夢物語でしかなかった「選挙を通じた平和革命」であることには変わりがなく、日本左派運動は本来この道を執拗に手繰り寄せるべきであったところ、自らこれが難しいとして労を採ろうとしなかったし、そもそも能力がなかったことを。そういう按配であったから、社共的右派は議会内野党運動に向かい、新左翼系は体制の虚構をプロパガンダし一挙的体制転覆式暴力革命を目指して反体制運動に精励し、共に潰えた歴史が刻まれているのではなかろうか。 日本左派運動の右派も左派も、「選挙を通じた平和革命」なぞできないと仮定しての見立ての下に、それぞれの指針にのめり込んで行った。今日から思えば、「できない」とする理論の方こそが虚構で、粘り強く取り組めば「できる」とすることこそが必要な観点だったのではなかろうか。日本左派運動が、これまで何故に、これを目指さなかったのか。そういう問いを迫るのが、こたびの第45回2009衆院選の画期的意義となっているのではなかろうか。 歴史的に見れば、日本左派運動が目指さなかった訳ではない。戦後直後の日本共産党を指導した徳球−伊藤律系党中央は、ロシア10月革命に続く二番手争いを中国と競い、1947年の2.1ゼネストであわば実現せんとしていた事歴がある。かの時は結果的に占領軍GHQ権力に阻まれたとは云え、その功績は燦然としている。次に、1949年の9月革命史がある。この時、徳球−伊藤律系党中央の日本共産党は、社会党をも巻き込む社共合同運動により戦後革命の最後の決戦に向かった。しかし、この闘いも、この肝腎な時に内からの分裂策動と外からの強権弾圧に挟撃され失敗する。これにより戦後革命の夢が流産する。 以来、日本左派運動が政権奪取に王手を掛けた例はない。日本左派運動は政権奪取を視野から失い、左右に分裂を深めて行く。れんだいこに云わせれば、日本左派運動の軌道外れがここから始まっている。誰が誘導したのか問われないまま今日に至っている。右派は次第に体制内の万年批判野党として、いわゆる体制修繕運動に向かい始める。左派は右派批判をバネとして暴力革命論に傾斜し、60年安保闘争、68−70年全共闘運動、71−73年暴動闘争に向かった末に逆に封殺される。その後の日本左派運動は政治的激動を生みだし得ないまま、口先批判を専らとする運動に矮小化してきた。この流れが2009年現在まで続いていると看做して差支えない。日本左派運動は、これに対する俯瞰的な総括を為し得ないままズルズルと後退し続け今日の政治状況へと至っている。かく判ずる必要があるように思われる。 ここまで述べればお分かりいただけるように、第45回2009衆院選の「民主連合による選挙を通じた平和革命による政権奪取」は、日本左派運動とは別系の流れにより生み出されつつある政治ドラマである。それは、日本左派運動が遂に叶えられなかった積み残した夢の実現でもある。それは、民主連合派の能力が日本左派運動の能力に優っていることを示している。こう捉える史観が欲しい。 興趣は次に、この運動の主体は誰かの解明に移る。れんだいこは、非常に多岐な潮流を見てとる。一つは、鳩山−岡田−前原系の民主党内ネオシオニズム派とでも云うべき戦後タカ派の系流である。この流れが、自公政権的保守政治からの転換を夢見ているように思われる。共に改憲派であり、自公政治と目先を変えただけの新たな御用聞き政治に向かう可能性が強い。しかしながら安逸な批判は避けねばなるまい。ミソはリベラル性にある。これにより、ワシントン直通の自公政権的売国御用聞きベッタリ政治手法は採用し得ないと見立てたい。これが救いと云えば救いではなかろうか。 次に、小沢−羽田−渡部系の角栄チルドレン派の系流である。この流れが、戦後保守本流を形成した1960−70年代的政府自民党ハト派政治の復権を夢見ているように思われる。ミソは与党的政治責任能力にあり、自公政権的強権政治手法とは違う和的政治による政権運営に汗を流すと見立てる。これを補翼するのが、国民新党、日本新党、新党大地、郵政造反組の保守系反ネオシオニズム派である。この系譜は、自民党内に於けるタカ派によるハト派駆逐政争によりもたらされたものであり、互いに踏み止まって共同しつつあると考えることができる。 次に、管系の市民運動派の系流である。旧社民連的流れを汲む市民運動派が遂に政治権力の頂点に加わろうとしている点で興味深い。べ平連も及ばなかった長征ではなかろうか。他にも社会党系、民社党系を抱えている。これを補翼するのが、社民、共産である。共産党は建設的野党論を生みだしたことで漸く、宮顕−不破以来の治安維持法的制動から脱しつつあるように思われる。社共的民主連合政権構想が頓挫した結果の次善策として連動しようとしていると考えることができる。他にも、様々な潮流が混淆している。 してみれば、民主連合とはいわば、左を右化させ、右を左化させたところで成り立っている、良い意味で様々なイデオロギーを混淆させた共同戦線運動足り得ているのではなかろうか。この運動体による政権奪取は、日本政治史上初の人民革命と呼ばれるに相応しいのではなかろうか。人民革命の名に値しないのであれば、次に予定すれば良いのではなかろうか。この人民革命を抑止する理由は見当たらないとするべきではなかろうか。 今や日本人民大衆が意識してかせずか不明ながら8.30日に投票一揆を起こしそうな気配である。自公政治に対する苛立ちが「ここはいったん民主にやらせ、ダメなら戻せば良い。民主の能力を見てみよう」とする世論を自然発生させており、もはや如何ともし難い。この国民的合意は、日本人民大衆の政治感覚の素晴らしさを示していると了解すべきではなかろうか。 かくして、後二週間で新政権が生まれようとしている。心得るべきは、細川政権の轍を踏まない政治能力を証することであろう。呉越同舟は弱いが三本の矢は強い。かの時は、社会党のふらつきにより暗礁に乗り上げた。しかし、貴重な政治的経験になったと思えば良い。議論百出、喧々諤々。決定事項は異論異端の党内反対派を許容しつつ押し進め、適宜見直せば良い。要は、この国の在り方を廻るグランドデザインを生みだし、国家百年の計を誤らない針路の舵取りと個別政策上の賢明なる処方箋作りに掛かっている。民主連合の能力が問われている。 れんだいこは心配していない。中曽根以来足音を高め、小泉時代に満展開したネオシオニズム政策との決別にシフトすれば良い。幸い我々にはバイブルがある。その後の日本は捨てたが、むしろ世界で教本化された「田中角栄式国家改造論」を手元に戻し、バージョンアップすれば良い。このシナリオある限り操舵を誤らない。このシナリオに背を向ける限り何をしているのか分らない元の木阿弥に戻るであろう。そう考えている。日本政治は思えば、無駄な時間を費やし過ぎてきた。そろそろ知るべきであろう。 さぁ政権交代へ向けて投票一揆に向かおう。 2009.8.16日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評597 | れんだいこ | 2009/08/21 |
【第45回衆院選、中盤情勢考】
2009衆院選は8.18日公示され、小選挙区(定数300)に1139名、11の比例ブロック(定数180名)に868名(比例単独候補は235名)の計1374名が出馬している。小選挙区には自民289、民主271、公明8、共産152、社民31、国民9、みんな15、改革1、日本2、諸派293名が立候補している。 序盤情勢は、民主党が都議選以来の勢いを持続しており、与党にとってただならぬ気配を見せている。選挙区では自民70議席前後、公明3、民主200議席前後、社民5、国民新5、日本0、共産0、無所属9見当が予想されていた。これに比例区票を加えると、与党170議席前後、野党310議席前後となり、与党が過半数の241議席を獲得するのは不能とのご託宣だった。 公示後の8.21日現在の中盤戦に於いては、この動きが更に加速されつつある。民主は、優勢区をそのまま優勢に維持しつつ、競り合い区で抜け出し、劣勢区を競り合い区へと引き上げつつある。これまで自民の金城湯池となってきた常勝選挙区94が軒並み苦戦を強いられている。派閥幹部や大物議員まで揃って接戦を余儀なくされており、現職閣僚で議席獲得が確実気配なのは河村官房長官、小淵少子化担当相ら数人に止まる予想となっている。 自民党にとっては特に小泉チルドレン問題が災いしている。比例区はさておき小選挙区に於ける小泉チルドレンはどいつもこいつも資質劣勢で使い物にならない。こたびの選挙では野党連合の食いごろにされている。強そうなのは郵政返り咲き組で健闘している。派閥では、津島派、古賀派が善戦している。しかし共に民主旋風により苦戦を強いられている。かくて自民の安泰的優勢区は指で数えられるほどしかない状況に至っている。公明も然りで選挙区での当選が覚束ない。公明党の場合、伝統的に比例重複を避けているので深刻な事態を迎えつつある。初めて一敗血にまみえるかもしれない。自公はひょっとして脳震盪を見舞われるかも知れない。 してみれば、2005衆院選の小泉旋風の反作用的な、民主連合への追い風が吹きまくっていることになる。このままつつがなく投票日を迎えれば、まさに「投票一揆」が演ぜられるドラマが待ち受けている。実に痛快なことではなかろうか。巷の声は圧倒的に政権交代に傾いており、「ここは一つ民主にやらせ、ダメなら戻せば良い」とする国民的合意が形成されている。この合意は、政権党の悪政の長年の積み重ねから逆噴射的に自然次第に形成されてきたものであるからして、自公側にはこれに抗する妙薬がないというジレンマに陥っている。 マスコミは、ふって湧いたものか意図的に引き起こされたものか分らないがノリピー問題、押雄問題、インフルエンザ問題を執拗に報道し、人民大衆の選挙熱を冷まそうと躍起になっている。しかし、日本人民大衆は、そうは馬鹿ではない。これまでの経験から、目くらましの術を見破りつつある。そういう訳で、マスコミを使っての陰陽動作戦もうまくいかない。つまりお手上げ状態になっている。 かくて、日本政治史上初の「選挙を通じた政権交代と云う平和革命」が訪れようとしている。一体、誰が、この日を予見できただろうか。これを危ぶむ者がいるとするなら、れんだいこが反駁しておこう。君達の愚昧な頭脳による憂慮にも増して日本人民大衆の政治的センスの方が実は優れていることを示しており、何ら心配するに及ばない。それよりも強い者に巻かれろ式の言論提灯ばかりしてきた君達の失職がこれから始まる、覚悟しておけ。 この事態の功労者は一体誰だろうか。れんだいこは、小沢采配もさることながら、蔭の功労者は国民新党ではないかとみている。これから述べるが、国民新党は、この功績により相応の評価を得るに値する。小選挙区の国民新党は全員受かるべきであり、比例区でも選ばれるが良かろう。玄人筋ならそう選択する。敢えて記しておく。 もとへ。かの時、小泉郵政改革により自民党から弾きだされた郵政造反組の一部は俄か作りで国民新党を結成し選挙戦に臨んだ。何とか議席を持ちこたえた者もおれば苦汁をなめさせられた者もいる。選挙後すぐに気づいた。与党側が自公で共闘しているのに野党側が分裂していて勝てる訳がない、ここは一つ自民に対する公明の役割を我が党が引受けませう、民主を勝たせませうと割り切った。それについてはまず最低保証として次の選挙区をください、後の選挙区は推薦に廻りますと、どちらが持ちかけたかは分らぬが、そういう盟約を結んだ。この戦略に社民も乗った。かくて、民主を黄門様とする助さん、格さんによる野党連合が形成された。これに新党大地も日本新党も加わった。ここに勝利の方程式が生まれたように思う。 これは何も難しい戦術ではない。当選者1名という小選挙区の仕組みを考えれば当然に生まれる判断である。これまでこの当たり前の協定ができなかった。してみれば、小泉の刺客騒動は、日本政治史上稀なるものであったが、思わぬ副産物を生んだことになる。その野党頭脳の貧困の程度に応じて与党はおごり高ぶった。小泉政治が、このおごり高ぶりの中で5年有余の長期政治となり、政権与党頭脳のお粗末さを嫌というほど見せつけた。何のことはない、現代世界を牛耳る国際金融資本の御用聞きに忠勤することにより御身を安泰にし、我が世の春を謳歌したに過ぎない。それにしても資質劣悪な者ばかりをよくぞ寄せたものではある。 その化けの皮が剥げ、日本はいたるところで深刻な危機に見舞われている。小泉の自民党総裁選過程での絶叫「自民党をブっ潰す」は皮肉なことに結果的に本当のものとなり、「国民には痛みに耐えてもらう」も然りで、彼は自民党のみならず日本そのものを壊しレイプした。れんだいこが、狂人政治とみなす所以である。麻生は、小泉的狂人政治とは無縁であるが、今度はバカ殿政治に向かっている。景気立て直しも「上から目線」のものでしかなく、大判振る舞いによる財政悪化の咎めが待ち受けている。どこのコックをひねれば景気が良くなるか、税の自然増となるかの政治眼力はからきしない。漢字が読めない。国民が食傷する所以である。 もはや自公政治ではどうにもならないのであり、民主連合政治がいかほどのものかは分らないものの、やらせてみるよりほかにないというのが人民大衆の政治眼力である。これはこれで素晴らしい。なぜなら、その通りであるからである。かくて、投票一揆が始まる。刻一刻とその日が迫りつつある。口元が緩む話ではないか。 こういう歴史的遭遇に於いて、選挙に行かないようではつまらない。選挙速報で一喜一憂しても、やはり投票した身でないとつまらない。これはれんだいこの経験則である。確か、れんだいこの投票始まりは、去る昔のアントニオ猪木の「国会を卍がため」又は「国会を延髄切り」から始まった。あれから皆勤の癖がついてしまったが、世の中何が幸いするか分らないということになる。こたびは空前の投票率になりそうである。現代の若者はどう反応するだろうか。歴史的な政治の流れを受け止めてもらいたいと思う。以上を、れんだいこの2009衆院選中盤予想とする。 2009.8.21日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評598 | れんだいこ | 2009/08/28 |
【第45回衆院選、終盤情勢考】 第45回2009衆院選は、いよいよ大詰めを迎えた。新聞各紙の予想が既に出されており、ともに自民党の半減以下の歴史的大惨敗、民主党が300を超える議席を獲得して圧勝するとの見通しを報じている。7.13日の麻生首相の解散宣言以降、このところの民主ブームが更に加速し、与党政権側には為すすべがないという状況下にある。 際立つ特徴として、2005郵政解散で大量当選した小泉チルドレンが壊滅的に一掃されることが予想されている。そればかりか、自民の首相経験者、派閥の長、その他大物議員、現役閣僚、党三役を含む上から下までの劣勢が伝えられている。公明党代表の当選も危ぶまれている。かくて政権交代が本当の話となりつつあり、現実性を帯びている。今やその刻待ち通しとする空気がみなぎっている。 れんだいこが思うに、この政変は、去る日の自民党総裁選時の小泉候補の雄叫びであった「自民党をブっ潰す」から始まった。小泉元首相のこの公約は絵空事であったのではなく、本当の話であったということになる。どうやって潰すのかシナリオが分らなかったが、今日の事態を迎えて、なるほどこうやって潰すのかと感心させられている。奇人変人狂人と云われる小泉の心中はいかほどのものなのだろうかと推測したくなるが、各地に応援に出向いては演説で能天気な酔狂発言を繰り返し続けている。処置なしというべきだが、招く方も招く方と云うべきだろう。 自民党内は結党以来、右から左まで、ハトからタカまで親米派から親ソ、親中、親台派まで、改憲派から護憲派までの寄り合い世帯を、派閥中心の合従連衡で政局運営してきた。政権派閥は、反目の派閥であろうが、将来の逸材を見出しては登用し経験を積ませる度量があった。それは、ある意味で日本政治の粋であったとも云えよう。 小泉が、この仕組みをズタズタに切り裂いた。2004−5年の過程で、党内に郵政民営化一本槍の賛成か反対かを迫り、反対派を駆逐し、刺客を送り込んで徹底殲滅に乗り出した。それは、反目の派閥のみでなく自らの派閥まで対象とする残酷な党内レイプであった。反対派のある者は落選し、ある者は生き残り、そのうちのある者は国民新党を結成し、ある者は復党し、ある者は民主党に流れ、自民党内の再結束を決定的に困難にさせた。自民党内には、この怨讐が未だ続いており傷は予想以上に大きい。もはや党分裂不可避の局面に至っていると云えよう。ここまで亀裂を深めさせたのが小泉政治であり、「自民党をブっ潰す」を本当の公約にさせたことになる。自民党内ですら、この仕掛けを予想し得た者はいまい。それはまさに奇策であった。史書は恐らく、小泉政権をそういう意味で格別に評することになるだろう。 これに時代が噛み合った。米国政界でブッシュ派ネオコンが退場を余儀なくされ、オバマ新大統領によるチェンジとイエス・ウィ・キャン時代が始まった。日本政治が、これに連動する。細川政変過程で、後に雲散霧消する幾多の政党が生まれた中で、民主党が次第に勢力を伸ばして行った。これに自由党が加わり厚みを増し、以来押せ押せムードに入った。これに郵政民営化騒動で生まれた国民新党が連動するようになった。更に社民が連なり、日本新党、大地党も共同戦線化した。かくて、日本政界は、自公与党と民主連合と共産党の三派に整序されるという分かり易い構図ができあがった。加えて、共産党が、都議選の敗北以来、我こそ真の野党論から建設的野党論に転換し、民主連合寄りにシフト替えすることになった。この野党津波が、自公ブロックに襲いかかり、政権交代必至局面を生みだしている。 これにより間もなく、日本政界にこのところ久しくのさばっていた国際金融資本の走狗シオニスタン派が一掃されることになるだろう。これはまことに欣慶の至りである。日本政治は与党であれ野党であれ、民族派であれ国際派であれ、改憲派であれ護憲派であれ、国権派であれ民権派であれ、まずは日本の国家と民族と歴史を愛する者の手によって担われねばならない。この当たり前のことが永らく失われてきている。こたびの第45回2009衆院選は、当たり前の政治に戻す元年となるだろう。 してみれば、民主連合の完膚なきまでの圧勝は、日本政治史上類例のない椿事と云うことになる。議会政治史の精華であり、総じて日本人民大衆の見識の高さを示すことになる。痛みに耐える我慢強い特徴を持つ日本人民大衆が怒った時、阿吽の呼吸でいかほどのことを為し得るのか、下手な暴力革命論者は尻尾を巻いて逃げださざるをえまい。それを間もなく見せられることになる。野党連合勝利のこの日は、100年に一度の珍事に相応しいお祭り騒ぎをするに値する。実にすばらしい。民主連合政権が権力をどのように扱い、政策を盛るのか、それを知らされるのはこれからである。一興とすべきだろう。 それはさておき、第45回2009衆院選の最終局面のれんだいこ予想をしておく。自民は、解散前の303議席から110議席前後に凋落する。これを上回る場合には、劣勢を終盤で跳ね返したことになる。公明は、31議席から23議席前後に落ち込む。常勝の全員当選の夢が潰えるのは間違いない。自公合計で150議席に至らないことになる。解散前の334議席の半数以下ということになる。これは、麻生が悪いのではない。能力の無さよりも、小泉政治の尻拭いをさせられる身の気の毒を思う。 民主は、解散前の112議席から290議席前後へと大躍進する。少なくとも倍増以上が間違いない。小選挙区での圧勝は、既に民主議員の能力の方が政権与党側のそれより上回っていることを示している。雌伏20年有余、悲願の美酒に酔うべしであろう。社民は、7議席から15議席前後に向かう。数字的には倍増するが、かっての黄金時代から考えると喜ぶほどのことではあるまい。国民は、5議席から10議席前後に倍増する。大健闘したと評されるべきだろう。こたびの民主連合の立役者であり、この党は政治の醍醐味を教えてくれる貴重な政党である。大地は1から2が予想される。北海道限定の政党であるが、国民新党同様に民主連合圧勝の立役者であり評されるに値する。日本新党は1から1、改革は1から0、みんなは2から2と予想できる。無所属は、平沼グルーフを含め6議席ほどを維持することになるだろう。 共産は、9から7へと更にへこむ可能性がある。大方の予想は9から10としているが、そうはいくまい。仮にへこんだとしても、建設的野党論を捨てる必要はない。反省すべきは、我こそ真の野党論で長らく野党陣営を分裂させてきたことであり、漸く正規の軌道に乗ったと思えば良い。今後は、建設的野党論による是々非々活動の中味によって評価される日が来るであろう。それにしても、70年代の民主連合政権構想が変な形で生まれることになったもんだ。 さて、こう予想して前祝いの祝杯を挙げに行くことにする。この予想がどれほど当たるか当たらないか、もう一度検討し直すことにする。歴史は面白いな、生きてて良かったな、もう少し長生きしてみたいなと思う次第である。さあて、あさって日曜日の夜にはテレビ漬けとなろう。高速道の無料化、ガソリン価格の低下の話は本当だろうな。少し気になるが、民主連合のお手並みを拝見しよう。 2009.8.28日 れんだいこ拝 |
「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK70」の月読氏の2009.8.29日付け投稿「【注目選挙区の終盤情勢】 マスコミの報道表現に秘められた真意から当落を読み解いてみると…」を転載しておく。
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(私論.私見)